沈黙 SILENCE 3
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
キリスト教と言っても、当時、
カソリックのポルトガル、スペインとプロテスタントのオランダ、イギリス
は敵対してたんだよ。
島原の乱でも、オランダは幕府側について、海から原城に砲撃したんだろ?
西洋vs 日本の視点でばかり見すぎ。 小学生上級の歴史では、キリスト禁教と鎖国について、キリスト教は神の前での平等を説くから、
徳川の封建制度に都合が悪かったと教える教師が多いね。少なくとも40年前の僕の担任はそうだった。
高校くらいになると、早い奴は中学生で、その理屈はおかしいだろうと気付くわけだ。
仏教でも、仏の前ではみな同じと元々、説いてるのだし、スペインやロシアのようなキリスト国だって
絶対王制だったり、農奴がいたりするのだから。
禁教と鎖国は、矢張り西欧による植民地化への警戒だろうね。
300年後に、同じ警戒から、幕藩体制の打倒運動が起こるわけだ。 なんか議論を眺めてて思ったけど、植民地政策にとって布教は「されてるといろいろ都合がいい」ぐらいのもんで、「必須」とか「最強」ってほどのものでもないのかなぁと。 そんな神の教えに忠実に従う人間なんていつの時代も極々少数でしょ
神の名を掲げて殺しあうのが紛れもない人間の歴史の一部分なわけで
確かに西洋全般で語るのは雑だったが、その中のどれかが食い込んでくるのは明白だろうな その不満分子を焚き付ける手段が布教なんじゃないの? うーんやっぱり影響は間接的な気がする。あったらいいかなレベル。
「神の教えに忠実に従う人間なんていつの時代も極々少数」なら広める意味ない気がするし。
不満分子たきつけるなら武器やるか扇動した方が早い気がするし。 当時のヨーロッパに、宗教を侵略のための道具視する明確な意識があったわけではないんだよ。
異教徒は異教徒であることをやめなければならない、というのは、信念なの。そのことに異論の余地なんてない。
そういうのと同時に、敬虔なキリスト教王権の保護下に元異教徒たちの土地を置いてやるという「恩恵」を与える、
という意識が同居してるわけ。
現代人の「飽くなき欲望」「拡張主義」みたいな発想を当時の人達に投影して考えるから、理解を間違えるんだよ。 宗教が侵略行為の歯止めになるどころか、逆に手助けし正当化するためのものに結果的になっていたわけか >>619
それは大日本帝国の八紘一宇と同じで
ほんとに信念として、良いことと信じて行動していた人もいれば
それを隠れ蓑にして儲けようとする連中もいっぱいいた
むしろそいつらの方が多かったかもな
結局のところ日本が欧米に侵略されなかったのも
植民地として大して旨味があるところではなかったという単純な理由だろう
宗教的にもビジネス的にも 映画上映館にプログラムとともに原作、関連する本が売られている。
中でも遠藤周作の講演を活字化した「人生の踏み絵」はおすすめ。作者自身の解説がユーモアたっぷりに語られる。
それにしても、カドカワで売られてる本が新潮だらけなのは、カドカワが太っ腹なのか。 思えば日本が徳川300年を満喫してた間、他のアジア諸国は植民地にされ苦しんでたわけだよなぁ
宗教も奪われ反抗すれば虐殺され異人種だから支配層と同化もできずそれが数百年・・・
鎖国という手は結構ギリギリの選択だったのかもな >>623
列強を本気で侵略に踏み切らせず、ギリギリの綱渡りで上手く線引きした平和を300年…
徳川幕府ってスゲーぞw 同時期の中国や朝鮮も海禁政策で同じようなことやってるから別に特別でもないやんけ 民間人の移動や物流がほとんど機能してなかった朝鮮半島とは比べ物にならないよ そういう歴史的背景にほぼ触れず、日本が当たり前の防衛策とってキリスト教が広まらなければ日本の特殊な民族性のせいって論法
欺瞞と独善の塊みたいな映画だな とにかく日本と日本社会が差別と憎悪にまみれてることにしたい人たちがいるからね 日本人は当時も好奇心が旺盛だった
それまで地球が球体だとまで考えれなかったのは数学的知識が
欠け過ぎていたのが大きかったのかもしれず、一度それを得てしまうと、
常に、その先はどうなっているかとか妥当性とか考えないと気が済まないので、
狂信よりも実証に至る事を選ぶ確率が高くなるのでは?
その意味では宗教にとっては沼で、俺はその事は誇りに思う
http://www.xavier.jp/xavier/xavier_remark.html >>627
映画って、原作に沼の表現があるじゃん。それを忠実に描いただけだし、
キリシタンを放置したら国が壊れる、日本が沼で何が悪い、と言わんばかりにイッセーが宣教師を論破してたやん。
>>628
過去に師事した、ポルトガルの宣教師が日本人を馬鹿にしてて、日本語を覚えようともしなかった、と浅野忠信がゆうてたやん。差別的だったと。 イッセー最後は萎んじゃったけどあれ論破してたんか・・w
そもそも日本人が書いたからってバイアスかかってない事にはならんよ
ま、この監督も日本人が原作者ってことを錦の御旗にしてたからこんな映画作れたんだろうけど 錦の御旗って、そもそも日本人を
批判するために作った映画じゃないから。 >>632
言い含めて、懐柔してたじゃん。
日本人らしいねじ伏せ方だよ。 この映画を日本蔑視とか日本特殊論の映画だと言う人はよっぽど欧米コンプレックスが強い(欧米が上で日本が下という負け犬根性が強い)んじゃないかと思うわ
すごくフラットな感覚で作られてるのに
欧米の基準が全てと思っているロドリゴに通詞が語っていることとか読解できないのかな?
それともキリシタン弾圧のシーンで日本人が残虐って思われちゃう!ヤダ!って馬鹿センシティブなのかな?
弾圧なんて世界史では至る所でいつの時代にもあって、キリシタン弾圧なんて対外政策の選択として珍しくない考え方 体が萎んで腹立たしそうに立って懐柔してたのかアレ
禅問答のような喩え話で背景薄っすら説明してフラットワロタ
羊の目も便利なもんだ たしか、萎んだ時の経緯は、
井上「平戸に行ってきたが、そこの大名だったかに関する面白い話を聞いた
妻以外四人の妻候補だったかと別れたという話」
ロドリゴ「一夫一妻で良いことです」
井上「四人はスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスだな、分かるか?
日本には日本の宗教があり、それ以外は必要ない」
ロドリゴ「日本の宗教以外で妻を一人だけに絞ってみては?キリスト教会を妻としてみれば?
キリスト教は愛の宗教です」
井上「醜女に愛される迷惑を考えろ」
ロドリゴ「醜女とはキリスト教の事?」
井上「(かなり溜めるように間を置いて)そ・う・だ、この日本には、
キリスト教は広まらない」
ロドリゴ「いいえ、広まらないのは、それを邪魔する人達がいるからです」
井上「わしのことを言っているのか?お前は日本の事が分かっていない」
ロドリゴ「あなたこそキリスト教の事が分かっていない」
井上→ここで萎む
「世間ではキリスト教の事を邪教だと言っているが、わしは必ずしもそう思っていないぞ
」
世話する小僧のような人を呼んで、体を掴んで立ち上がろうとしたが、足がしびれていて、
やつ当たりだろぷか、その人の頭を扇子で叩く
立ち上がり、去り際に
井上「醜女に愛される迷惑をよく考えることだ」
かなり違っているとは思うけどこんな感じじゃなかったかな あ、一つ思い出した
醜女の愛じゃなくて醜女の深情けだったと思う >>638
井上は元クリスチャンだからロドリゴの言ってることは重々承知なんだよね
ロドリゴの葛藤を過去に自分でくぐり抜けてるからこその日本は沼発言
井上はキリスト教だけでなく日本にも若干失望していたのかもしれない
映画にも原作にもその描写はないけど >>613
島原天草の乱は一般的にはキリシタンが率いたとされているけど、
実際には浪士やら農民やらの名も無い烏合の衆もたくさん寄り集まって反乱したんだってな
その中で所属として一番判別しやすいのがキリシタンだったからキリシタンの反乱って思われてるだけで >>640
井上が日本に失望してる描写がないってそんなことないでしょ
原作では「日本とはそういう国だ、どうにもならん、なあ」
ってとこだし
映画ではセリフ変わってたけど最後の「歓迎する」の場面が同じ意味でしょ 見てないけどラストサムライの渡辺謙みたいなもんだろ お茶の間に、あの穴釣りやら、水磔やら火炙りはキツイでしょw いまどきのドラマって、映画じゃ過激すぎて出来ない描写やるためのものだと思うので
ネトフリかHBOで超えぐいドラマ版やったらええんや BSだと変なしがらみ無いだろうから実況は盛り上がるだろうな 今キリシタンものを連続ドラマにするだけのカネがあるなら、誰も沈黙は選ばないでしょ。内容がデタラメすぎるもの。
高山右近とか、天正遣欧使節、不干斎ハビアンあたりに手を出すと思う。あるいは三浦按針か支倉常長(&ルイスソテロ)だろう(当然「侍」を原作にはしない)。 とりあえずアドレスを貼るのみで、当スレからは立ち去りますが、
もし興味ある方は読まれて下さい。
《神・転生の存在の科学的証明》
http://message21.web.fc2.com/index.htm
遅ればせながら観たけど良い映画だった
宗教の話ってより普遍的な道徳観念の話だと感じた ときどきトンチンカンなズレた感想が上がるだけのスレになったな キリスト教も仏教も詳しくないから下手なこと言えないなあと
ただこれを反日反日叩いてたのが国家神道カルトの人達なんだなってのぐらいは分かったよ それこそトンチンカンな妄想でしょ
反日とまではいわないまでも、そうとう拗らした映画だよ キリスト教を異常なまでに嫌がるネトウヨこじらせたのがうるさいなあ
ネトウヨの実体不明なご本尊こそ、胡散臭いじゃん いっそ二次大戦中、東南アジアの某国で神道を広めんと奔走する日本人神主でも映画化したらどうだろ
もちろん日本が起こした戦争や植民地支配はほぼまったく触れずに神主の善意と宗教的熱意だけ前面に出してな
戦争末期、日本が後退しだしレジスタンス勢力が盛り返し神道帰依者を迫害しだす
野蛮な反日アジア兵に拷問され神道を捨てる憐れな現地民。
この国は沼ダー腐ってるーと言いつつ神主も結局耐えられずレジスタンスに協力することに
やがて現地の娘と結婚し歳をとり東南アジアの某国で人生を終える神主
でも彼は実は最後まで神道を捨てては無かったのです・・・(終)
ウツクシイ物語だなぁ 神道にそんな葛藤があるなら受けるかもしれないけど、神道って「もののあはれ」的なサムシングでしょ
消えゆく事がさだめの宗教で奔走とか有り得ないよ、それは教義に背いてる 植民地時代の西欧宗教者がキリスト教を非文明圏に広めるが使命だと独善的に思い込んだように
日本人宗教者が変な使命感を持ってもおかしくはあるまい
実際占領地で相当数の神社や鳥居が建てられていたしな どんなに馬鹿でもお金さえ払えば映画観る資格はあるってことで こんな映画カネダして観る方がバカでしょ
つか>>661は東南アジアの某国を朝鮮にしたほうが分かりやすいな
こんな内容を日本人が映画化したら隣国でどんな反応があるんだろう 遠藤周作って、キリスト教に関しては「神の沈黙」っていうのがテーマっぽいね。
イエスの生涯とかキリストの誕生とかの作品とか読んでも、そんな感じ。
彼は自称キリスト教徒として、死ぬまでに神を確信し、救われていたのだろうかが気になるw バカが見たら日本を貶めるだけの反日映画
だがこの世界の殆どは表面しか見れないバカなので反日映画と言っても間違いではない そうそう、結局多くの観客は表面しか見ないから結果的にグロテスクで異質な日本だけが浮き彫りになるわけよ
特に原作に興味も無い外国の観客などはそんな印象しか残るまい
どんなに深い内容だ感動したと言ってもそれが現実
だからこそ外国人監督としてこの映画撮るなら対比としてしっかり背後の植民地支配のエグさ残酷さを描くか、
舞台を魔女狩り時代にでも変えて神の沈黙なり何なり好きなだけやればよかったのよ 俺がうざいなと思ったのは井上様の「アッアッアッアッ」くらいだな
バケモノ顔の女優二人はまあ理解できる
実際の漁村なんかもっと汚くて、裸同然の下層民がいるボロ屋が多かったハズだから
踏み絵やら穴吊りの拷問なんか実際あったことだし、
実際あったことを描いて反日とか言う奴がいたら間違ってるのはそいつの方
そんな奴の歴史観に合わせて映画作ったらもっと恥ずかしいウリナラファンタジーが生まれてしまうだろう そうそう、歴史描くなら都合の悪い醜い部分も全部出しゃいいのよ
神父達の母国が他国でやってることはぐらかしながら当然の如く拒否されるとその国の民族性のせい
それこそ欺瞞だらけのウリナラファンタジーよな ホワイトギルティを目的とした映画じゃないからなぁ
ロドリゴと関係ない欧米の蛮行シーンをいきなり写すのもロドリゴがそれをみるのも日本につく前に背教してしまいそうで微妙 キリスト教信者からしたら従順に正しく()キリスト教も白人も受け入れフィイリピンみたいになってほしかったのかねぇ
神父共も様々な植民地を経由して日本に来たなら神の沈黙の前に己の良心の沈黙を問題視してろ つべのコメント欄やレビューサイトの掲示板でも蛮行に触れてる向こうのキリスト教信者たちも沢山いてふっつーに議論してるんだがね
藁人形論法ばかりだなここは いきなり反日とか言い出すのは基地外で間違いないから安心して 何が言いたいんだか分からない糞映画だったな
原作もそうなの? 短いとはいえマカオの場面はもっと撮りようがあったよね
亡命日本人キリシタン信者がもっといたこと、教会で司祭の下男や奴隷として働く現地人(やインド人・アフリカ人)が多数いたこと
別にセリフがある役でなくていい、背景やモブ程度にその存在を匂わす描写があっただけでも、だいぶ印象は変わっていたと思う。 原作のテーマとは違うと敢えて誤魔化したんだろう、と言いたいとこだが
実際はそんなことは「考えもしなかった」てとこだろうなwナチュラルに鈍いんだよ
ま、お偉い監督様に日本の原作を映画化されて有り難や有り難やと誉めそやし批判する輩ははウヨクだーとのたまう一方で、
海外のキリスト信者が自らの蛮行をバランスよく見ようとしてるとは皮肉よなぁ アンチが遠藤周作自身の思想を叩いてないのが不思議。この人キリスト教の中でもそうとうぶっ飛んだ立場に立ってるんだけどな。
『沈黙』だとそれが薄いけど。 まあ普通にみなさん「それじゃ浄土真宗でんがな!」って言ってると思うけどな 悪人正機説かな?
似てるよね
親鸞和尚は放蕩息子(ルカ15章)でも読んだのかなと思うくらい ジョン・ヒックとかテイヤール・ド・シャルダンの影響を言ってるんでしょ。『深い河』に顕著。
沈黙の結論自体(いわゆる浄土真宗っぽいというやつ)はプロテスタントなら割と容易に導けるものだし。 特に『深い河』のこの台詞なんか、通説的なキリスト教解釈からは絶対に出てこない。
「その(神という)言葉が嫌なら,他の名に変えてもいいんです。トマトでもいい,玉ねぎでもいい」
「神は色々な顔をもっておられる。ヨーロッパの教会やチャペルだけでなく,ユダヤ教徒にも仏教の信徒のなかにもヒンズー教の信者の中にも神はおられると思います」
「玉ねぎという愛の河はどんな醜い人間もどんなよごれた人間もすべて拒まず受け入れて流れ」る
他にも磯辺の妻が、自分の生まれ変わりを探してほしいと磯辺に頼むシーンなんかも出てきて、転生を肯定しているとの読みも可能。
なかなか過激だよ遠藤周作は。 ナルニアもそんなんだね
異教でも善なる心で信じる神は同じものになる >>480
つい最近下高井戸で見たけど
やっぱり満席だった 塚本ファンって変な思い入れがありすぎ大したことない鉄男はリアルタイムで当時見たけど、当時騒いでた連中にも思った
人づてにストイックで作品にマジメな人だと聞いたけどそんなことはどうだっていい モキチは迫力あったけど、作品のテーマ的には
華々しい殉教は違うんじゃないか?ということがある。
我々はモキチにはなれない。かといってキチジローもなあ。
間をとってPANTAがベストということで。 フェレイラのレイプされたあとそいつの女になってしまったような演技たまらん >>683
俺も深い河を読んで思ったんだけど、もしかすると遠藤は>>653みたいな多元主義?だったのかもね むしろヒンズー教にそういう考えの人がおおい
ラーマクリシュナとかパラマハンサ・ヨガナンダとか
多神教や一神教の違いは単に時代や場所の違う人に合わせて神が形を変えたものとか 現実的には、斬首した男をそのまま奉行所みたいなところに埋めないだろーと思うが
死体をずるずる引きずって、白い地面に血のラインが描かれるあのシーンは絶対必要だなあ
すごい印象に残る まだ御法度が整備されてないのかもしれないが、奉行の一存で邪宗の信徒を斬首するのも本当はあり得ないと思う。
戦国の蛮風が残ってて、天草の乱直後だとはいえ、それでも百姓の命はそう軽くない。 宗教多元主義は日本人には受け入れやすいし、現に無意識に受け入れてる人も多いだろう(「どの宗教も道は違えど到達点は同じ」とかよく聞く)。
ただ教義同士がぶつかり合ったり矛盾したりするところの調整は、結局人間がせざるを得ないんだよね〜。その辺の問題は言わずもがな。
上のようなことを言う人でも、幸福の科学や生長の家を受け入れられるか?って言われたら「うーん」ってなる人が多いんじゃない?
でもこの2つってまさに宗教多元主義だよね。 4DXでザバザバ水ぶっかけられてコンヒサンしたかったよ >>698
生長の家のことはほとんど知らないけど、
幸福の科学は 、教祖が仏陀の生まれ変わりとか、色んな人間の霊言を話したりとか、
色んな意味で別格過ぎるwwwwwww
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教とかの一神教の流れは分かり易いけど、
とにかく有限な人間が考えたり、色んな宗教をツギハギにくっ付けたような宗教ではなく、
神つまり創造主が啓示した教えというのがポイントだと思う。
人間が後付けで、くっ付けたような多元主義は、また別だと思うw 昨日の深夜(今日の早朝)フジテレビで
小説「沈黙」の旅 という番組をやってたね
映画のシーンは使わず(使えず?)オリジナルキャストで、いくつかのシーンを再現してた
これはこれで面白かったよ ブルーレイ特典、インタビューが多いなあ
未公開メイキングをがっつり見たかった >>701
それ見たかったんだが見逃してしまった
再放送はないのかなあ。あってもBSかなあ >>701
最初、舞台挨拶シーンから始まり、海の磔シーンなどもあったよ。
後半は役者が別の人だったので見直したら、遠藤周作の沈黙のセリフそのままで映像化したかったんだと思った。
遠藤周作の沈黙がテーマだったからね。
九州に親類がいないのに長崎に行着くってこれ運命だね。
当時は長崎に何年もかけて何度も足を運ぶって大変だったろうに。 ああ、こうしてこの作品は書かれたのだなと深く感動した。
で、映画もほぼ原作通りとわかった。
ただここまで取材しないと、心の中にわだかまりを持たないと小説というものは書けないのかと、敬意を表したくなった。 私も学生の卒業旅行で九州に行った。後半は長崎。最初に見たのは26聖人。膝からガクッと崩れそうになった。
その後訪れた数々の協会、そして原爆平和公園。
そこまで見終わって熱が出ました。帰りの電車も帰ってからも。
殉教と原爆の死にはもちろん違いはありますが、両方の死を見て命の尊さを熱を出すほど痛感しました。
遠藤周作の沈黙に出会ったのはこのすぐあとです。 「沈黙」の書かれてないバックストーリーとして、
イベリア半島でのユダヤ教徒異端審問があり、改宗してマラーノとして生きたユダヤ人たちをカソリックは軽蔑した、という事実がある。
フェレイラという苗字はマラーノにもしばしば見かけるという。
ユダヤ人を拷問にかけ、殺し、転ばしたのはカソリックで、本編で彼らが殺されたり転んだりしているのを見ると、つくづく無常や因果を感じる。
転んでも内心の信仰を捨てない生き方はマラーノのものでもある。彼らの多くはイベリアからオランダに移住し、資本主義の基礎を築き、東アジアからカソリックを駆逐した。 Tudorsとかいうヘンリー8世モノのエログロ時代劇でも、プロテスタントへのえげつない拷問がてんこもりだったなあ 改宗させられたユダヤ人も野蛮なキリスト教徒のことをどう思ってたのかねぇ
今度は>>708の内容を日本人監督が映画化すりゃいいのに。きっと向こうの観客も感動してくれるよな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています