夏美のホタル有村架純その2
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公式サイト
http://jump.5ch.net/?http://natsumi-hotaru.com/ 駄作とかさんざん悪口叩いてきたけど作り方によってはほんわかしたいい映画になる可能性がある なんでもそうだけど基本は真面目
真面目の上に立って崩したりふざけたりエロったりすればいけどこの作品は真面目の名のもとににあぐらをかいてる 真面目な作品だから真面目にやったらいいだろうぐらいの安易な気持ちが作品全体を覆っている へっぴり腰であんな持ち方じゃあピンボケしか撮れないだろう もともと写真家志望は工藤阿須加扮する相羽慎吾で有村架純扮する河合夏美は映画で急遽写真家志望にされたんで慣れていないのはやむを得ない
と言うのは下手な言い訳で無論ちゃんとしなくてはいけない もっとも私なんか写真のことは全く知らないので取り方なんて全然気にならなくて
スタイルいいなあってそっちの方ばっか見とれていた ほんわかした思いやるはなしで良かったというのが高評価の代表 ギスギスした夏美 冒頭からいけない
塩気が足りないなんて真面目な顔で言わせるなよ せめて笑いながら言わせろ イライラしている夏美 狭いベッドに図体のでかい工藤阿須加と寝かせるなよ 見てるほうが暑苦しい
あんたはすぐ諦めるんだからとか言って慎吾をなじる夏美をヒステレックに叫ばせるな
暑苦しい限界 ここまででこの映画を諦めた このあと有村の綺麗な脚以外見るところを探すのに苦労する つかみで見限られたら辛い 監督やスタッフは辛くなくてもファンは辛い 有村架純のファンは辛い 有村架純のファンだから辛い 五つ星をつける人はファンだと思う いいファンだ大事にしないと そもそも原作の小説が映画に向いていないのかもしれない というと監督をはじめスタッフを擁護しているようだが違う ファンを大事にするにはどうしたらいいかわからないし映画に向いてない小説がどんなものかもわからないし擁護しているのかしていないのかもわからない 要するに何にも分からず喋ってるわけだ いい加減なわけだ いい塩梅というようないい意味と いい加減な仕事とかいう悪い意味ともう一つ いい加減にせよとか 全く逆な意味に使うことがあるから気をつけなくては 言葉はけっこう思い違いがある 小説も漫画も脚本家の力量次第というとこがたぶんにありそうだ それでも監督は有村に芝居をするなという 芝居は引き算だとも言う そんな戯言をいうひまがあったらちゃんと監督せい
監督なら監督せい 監督や脚本家は大変だ
よっぽど神経が頑丈にできてるか何を言われても何にも感じないかどちらかでないともたない ひょっとしたら見てないんじゃあないの完成作品 そんな気がしてきた 好きだとしたどんなところが好きだったんだろう 背が高いとこ まさか 惚れてるっていう感じは全く感じられなかったのに電車を泣きながら追う違和感 美しい風景
穏やかに流れる時間 そんな映画にしたかったならベタな人生観なんかいらん しかし他でどんな映画でも映画は値打ちがあるって言ってしまったので
この映画もけなして終わるわけには行かなくなった 問われて名乗るもおこがましいが姓は映名は画なんちゃって この映画は有村のプライベイトなもので
おそらくちゃんとしたプロデューサ-もいないし制作費を集める苦労もなかったと思う ほとんどの映画は誰かが必死になる 必死になる人が誰かいる 映画に限らないが何かやるとき必死になる人がひとりでもいればそれに引きづられるということはある 番宣とか試写会とかをはじめ日本なんとか協会とかの鶴なんとか番組にも出て
棚田があるとこに行きたいなんて協会まで利用しようとするからほとんど人に出会わず苦労していたんだ 息抜きのために作ってもらったものなのにそんな厳しく言われたら息抜きにならないよね ごめん 時として馬鹿なファンはアンチ以上に厳しい バカですいません 有村架純は何をやってもいいんだ 何をやっても最高なんだ なんか嫌なんだなあコイツ ひよっこの秀と同じような嫌さ加減 ヒデはまだ若いからなんかの拍子にということもあるだろうがコイツに希望は…… ひどい目にあったひよっこ終わったら脚本家に優しかった有村 辛かったことを忘れて糧にすることができる女優有村架純 あのブランコの場面あんまり覚えていないけど夏美が慎吾を一方的に攻めているような感じだったがちょっと視点を変えたらよくなったかもしれない そもそも夏美の性格なんかの設定が間違っていたような気がしてきた 前に書いたが ギスギスしてイライラしている感じの喋り方と行動 映画の根底に流れているはずの情感と夏美の性格設定の違和感 根っこが間違っているからすべてが滑っているように感じてしまう ブランコの場面あそこ公園だったんだ ブランコ以外何もなかったような気がしたけど 慎吾の足の上に夏美がむかいあってすわって漕いでいたら鎖が切れて落下 なんてあっても良かったのに 片方が切れ座板が傾く 切れた位置にもよるが座っていれば大怪我することは無いはず 慎吾の上に折り重なる夏美 ちょっと甘酸っぱい場面があってもよかった 最後の方で仏師が 才能は覚悟だ と言っているが原作の小説にも同じ言葉あるのかな 正確には 覚悟ができる才能が有るか無いかだ ということだろう 要するに才能なんてこと偉そうに言わんほうがいいんじゃあないかな 不釣り合いのことが頻繁に出てくるとイライラさせられる 楽しませてくれない
というより楽しませる気ないんだ 全てのジャンルでタレントと呼ばれる人は大したもんだ 人の場合その時間がだんだん短くなり代わりに暇な時間がふえた 人生は暇つぶしなんてうそぶく人もいるけどバランスを崩さず暇を潰すのはなかなか大変だ ファンとしてはあんまり本音は言いにくいのですが駄作 主人公をスト-カ-が盗撮しているみたい センスがないとしか言い様がない
何も残らんない無駄な映画になってしまった
ちなみに星は一つ 無駄ではない 何年か後またこんな映画が撮られると思うからその時の参考になる
ちなみに脚本は岡田某氏監督は廣木某氏でお願いしたい きっといい映画になると思う お父さんは感動した
守るものを持つものなら共感する場面が多いし必ず感動する
有村架純も良かったが小林薫さんが名演
ちなみに星は五つ ヒト様々だなあとつくづく思う
守るものを持っていない者は感動しないと言っている
逆に言うと感動しないのは守るものを持っていないからとも言っている
小林薫さんの演技は素晴らしかっただろうがあの仏師はいらなかったんじゃあない 星一つと星五つを一つずつ見たらもういいやと思った
全体ではだいたい 好評が3割 悪評が7割 かな もう一度見直してみたら
好評が4割 悪評が5割 真ん中が1割 かな 好評な人の思いは 感動しないのはお前が鈍いからだ ということなんだ まあそれもあるだろうけど逆に敏感すぎるところもある 敏感すぎるのも鈍感すぎるのも困ったものでいい加減なのが一番 ヒトは極端に寄ったほうが楽なんだ 宙ぶらりんみたいな状態で機嫌よくいられるのはむつかしい レビューの悪評の中には専門的な理由を書いているのがけっこうある 例えば引きが多すぎるとか この映画で引いた画面を意識してみたことはない そもそも引いた画面というのがわからない あんなんで写真を撮れるわけがないと言われてもカメラのことも撮り方も知らないので
それでマイナス点を付けることもできない やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 人を押しのけたりひどいめに合わせたりはけしてしないもの 今日図書館から連絡があった あした取りに行けると思う いろんなことごちゃごちゃ言ったりやったりしないと元気がなくなる厄介な生き物だ この小説を映画にするのはむつかしいとちょっと読んで思った 私小説ではないが私小説ぽいというか私小説くさいといおうか限りなく私小説に近い 有村には罪はないんだがこのことが最大のネックになってただろう だから小説では相羽慎吾が主役で河合夏美は相手役なのに映画では逆になっていた 大工さんでも知り合いの家を建てるときは緊張もあるが気楽さもある
どちらに比重がかかるかだ 夏美のホタルのスタッフは気楽さに寄りかかってしまった だから安易に主役を逆にし安易に性格設定をしてしまった 相羽慎吾はカメラマン志望の学生で河合夏美はひとつ年上の幼稚園教諭 夏美の性格を常にイライラしギスギスしている女性に設定した意図がわからない
なにか思惑が働いたのかなと勘ぐりたくなる が何にも考えずただインパクトがあるくらいな気持ちだったかもしれないがこの安易さが全てをダメにしてしまった 仏師がカメラマン志望の慎吾に言った
「神は細部に宿る。だから、爪の先ほどでも妥協はするなーー」 日常生活でこんなことを信条にしていたら生きていけない しかし創作活動では重要なんだろう
それを聞いた慎吾は踵を返して歩きだしたがなんとなく いつもより大股で歩いていた 夏美のバイクは400cc
スピ-ド狂の夏美の運転は凶暴かつ天才的だと
タンデムシ-トで小柄な夏美に必死にしがみついている慎吾は死ぬ思いだった 小説の夏美は魅力的だが映画の夏美は……
なんでこうなったの なんでこんなふうにしちゃったの 誰がしたの 映画夏美のホタルは原作のタイトルだけを借りたオリジナル脚本による
としたら納得する 人生訓が散りばめられたような苦手な作品なので一気に読めず
2週間ほどあるので少しずつ読むことにした 仏像にもカメラにもバイクにも興味がない いささかやっかいだ 脚本のことは置いてとりあえず感じた問題は演出なのだ 冒頭 足りないのは塩気と言うセリフ 問題は言い方なんだ ほんわかした優しさが溢れる映画のはずだから
夏美が笑いながら冗談めかしてあのセリフをいったら映画全体の印象が随分違ったと思う 主演を変えてもいい しょくぎょうの設定を変えてもいい 主人公を相羽慎吾から河合夏美に
夏美の職業を幼稚園教諭からカメラマンを目指す写真の専門学校生徒に 人格を変えては河合夏美ではなくなる
小説の夏美のホタルとはまったくちがう映画夏美のホタルにしてしまったのだ 原作と映画は別物だが
登場人物の人格を変えたら別物という範囲を超え全く関係ないものになってしまう この映画を駄作にしたのは脚本のことはおいて演出なんだ
何度でも言うが演出がダメなんだ 夏美の小説にある人なつっこい好ましい人格を無視して
ギスギスしてイライラした偉そうな人格に演出で変えてしまったんだ たぶん仕事に合わせて人格も安易に変えたんだろう 何も考えてないんだ ひょっとしたらこの監督には人格を変えたという意識もないかもしれない 何度も言うが冒頭の場面
本来の夏美ならちょっといたずらっぽい顔して 塩気が足りない と言っただろう それをなんだふてくされたような態度で 塩気が足りない とぶすっと言わせた 脚本は 塩気が足りない としか書いてないだろう 演出でどうともなる 小説の夏美は無邪気で、陽気で、人なつこい性格となっている 出会ってくれてありがとう 想いをつなぐ物語
とか
人は寄り添いながら生きていく
とかだが
もっともらしいれどもう一つピンと来ない ピンと来ないし人格を変えられた夏美とは全く合わない 日本でただひとりの惹句師と言われる関根史郎氏は
映画を見て考えるが間に合わない場合は脚本を読んで考えると言っている 原作と映画は別物と度々言っているが脚本と映画も別物なのだ 原作と映画の間には脚本が入るがその脚本と映画の間には演出が入る 電車で帰る慎吾をバイクで追いかけ泣く夏美 最低もいいとこようこんな場面出すなあ感心するわ 慎吾はカメラマン志望の学生なのだ この設定は原作とおなじ
もう一度言っとくが原作の夏美は幼稚園教諭 カメラマン志望でも学生でもない
それを慎吾と同じ学校のカメラマン志望の学生に夏美を設定したのだ 好意的にみたら有村だから力が入りすぎていたということも言える 映画を見て違和感をかんじた場面は原作には無い場面ばっかなんだ 今言った病院の場面 最悪だった電車を追い掛け泣く場面 夏美が幼い頃父のバイクで訪ねた此処の場面
いずれの場面も無いほうがいい場面なのだ なんでこんな場面を付け足したのかセンスゼロ よく覚えてないけど夏美が慎吾をなじっていたような場面
まるで冒頭のベットの上で慎吾をなじっていた場面の蒸し返し 慎吾役の工藤阿須加さんが どう演ったらいいかわからなかった
と言っているようにまるっきり良いところもなく掴みどころのない相羽慎吾像
原作では主役なのにね 原作では 慎吾ちゃん と夏美は呼んでいるが
なぜか慎吾は 夏美 と呼び捨てにしている ちなみに夏美のほうが一つ年上なのだ 付き合い始めた頃はたぶん一つ年上の夏美は 慎吾君 と呼んでいたに違いなく
慎吾は 夏美ちゃん と呼んでいたに違いない それがいつの間にか相談したわけでもなくそう呼び合うようになったのかもしれない 原作者は二人の仲をそんなふうに表現したかったかもしれない そんな若い二人と年老いた二人の親子が出会い慈しむ物語なのだ
ちなみに
原作では恵三さんは62歳お母さんは84歳 映画では10歳ほど若く設定しているようだ もともとこの小説を映画にするのは無理だったもしれないと読みながら思った この小説の肝の一つはは川遊びと川の生き物や山菜をとって料理して食べること もう一つは 見舞いに来た恵三さんの別れた妻美也子さんと
倒れたことを知らせ35年ぶりに合ったヤスエ婆さんとの思い違いの葛藤とそれを解消して涙する夏美と慎吾 この二つとも映像にして感動させるのはむつかしいと思う 食べ物を料理するところを見せ美味しそうに食べるところを見せるのは簡単だが…… 映画でもそうゆう場面はあったと思うが印象に残らなかった 映画を見ながら来るなと思った
せめて恵三が死んでからと思っていたら来てしまった 来てベットの上で父と息子が抱き合って泣いた 最悪
いくらなんでもこれみよがしすぎる 映画で原作がないオリジナル脚本ってあるのかしら あるだろうたくさん 夏美のホタルからは原作 脚本 演出の関係を考えさせられた まだ考え始めたところだが 演出家と役者の考えが違う場合は勿論役者は演出家に従わなければならない
どうしても嫌なら降りるよりない 関ヶ原の監督は役者たちを怒鳴り散らしていたが唯ひとり役所広司さんだけは好きなように演ってもらったと言っている
だから役者も実力があれば監督の演出を超えたところでやることができる場合もある 役者の生殺与奪を握っているのだから監督を選ぶのは最重要事項なのかもしれない 有村くらいになれば監督を選べると思うが実際に選ぶのは事務所の仕事なので
作品選びとともに事務所の腕の見せどころなんだ 原作 脚本 監督 役者 に加え事務所を忘れてはならないのだ 勿論プロデューサーも 監督を間違えるとこんな映画になるという見本として意味が有る 有村の事務所は優秀な事務所だからそんなこと承知の上での選択だったかもしれない いま有村は女優だから知らなくてもいいことは知らないほうがいい 後ろを見るのはファンだけ 女優は前だけ見ててほしい 出続ければ出過ぎとか見飽きたとかゴリ押しとかアホ丸出しなこと言われるがそれも人気がある証拠
逆に今みたいに間があくと理由は分かっていてもいろいろ言われる
言われるうちが花なのは分かっていても体調が悪い時は鬱陶しい 体調がいい時はアンチ来い来い相手になってやるってなんでもそれなりに反応できる しかしアンチもワンパターン2ちゃんももうそろそろかな この映画はまず監督を決め
その監督が脚本家を呼びスタッフを揃えプロデューサーなんかの体裁を整えたと思われる これから思うに初めにプロデューサーありきなんだなあ しっかりしたプロデューサーを選び任せる
映画は監督よりプロデューサー次第みたいなところがある どこか地方の合宿して取らしてくれるところに行って取ったらよかったのに 夏美のホタルみたいなバイクシ-ンや車を運転するシ-ンがある作品に出会うことは十分考えられるし取っておれば良かった 免許もだがそれより完全に仕事から離れた時間を過ごすチャンスだったのに残念 何だあかんだあ言ってけっきょく仕事から離れさせてくれなかったんだ でも夏美のホタルの撮影中は有村休みのような気分だったかもね 原作では「慎吾ちゃん」と夏美は呼び「夏美」と慎吾は呼んでいる
夏美のほうが一つ年上なんだけどね 気の抜けた映画なのに慎吾ちゃんとは呼ばず慎吾と呼び捨てにしている
このあたりだけみてもなんにも考えていないのが分かる 朝ドラひよっこでヒデがみね子ちゃんと呼んでいたのを突然
みんな呼んでいるからというわけのわからん理由でみね子と呼び捨てにしだした 何も考えていないのも困るが性格がねじ曲がっているのも困る 呼び方は難しいけど愛があれば自ずから決まるような気がする 付き合い始めた小野玲二のことをいつまでたっても小野くんと呼んでいる工藤泉 名前を呼ばれたい小野くんの気持ちは知っているがなぜか呼ばない泉 慎吾ちゃんと慎吾では全然違う
夏美の性格が違うだけでなく映画全体の雰囲気も違ってくる もっとも女も呼び捨てにされたがるところがあるんじゃあねえ 男がしたがるのと女がされたがるのはだいぶ違うんじゃあないの 男は単純だからなあ 三月のライオンでの零は実の姉でも義理の姉でもない香子を姉さんと呼んでいる 今でも車を運転するのは命懸けだが近い未来車に乗るのは覚悟が必要になる 車の運転は何回かぶつけて一人前になるがバイクは何回かこけて一人前になるんだろう 有村は原作の河合夏美にあこがれを持ったのかもしれない 忖度なんて言葉ちょっと前まで誰も口にしなかったのにね今や流行語 ひよっこでもそれとなく忖度するようなセリフが時々ある 遊びのないハンドルでは車を運転できないように遊びのない脚本では映画は作れない ところが遊びのない脚本で作った映画が困ったことにヒットすることがある いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
時間がある方はみてもいいかもしれません
ネットで検索するといいかも『蒲原のロロムムセ』
8SXDU むらがられるぐらいでなければ芯の女優なんてやってられない それにつけても原作の河合夏美は
明るくやさしく周りを気遣い華奢な体で400ccのバイクに跨れば天才的なスピ-ド狂という魅力に溢れる22歳の幼稚園の教諭なのだ それなのに映画の河合夏美は
ギスギスして常にイライラしている ようもこんなメチャクチャにできるもんだと感心するほど 原作では一つ年下なのに相羽慎吾のことを 慎吾ちゃん と呼んでいる この呼び方に夏美の人柄が集約されているのに映画では やたら呼び捨てするのが好きな書き手もいる なんだろうなあ しかし慎吾は夏美ってよびすてにしている なんでかな 写真集の表紙
Clear だって 題なんかつけんほうがいいのに 夏美と慎吾二人の行為の描写まったく無かったと記憶している
いらないしないほうがいい でも子供はできるんだ なかったというのは小説のなかで 映画でもなかったから良かった 冒頭狭いベットでふたりして寝ている無神経な場面はそれらしかったがあの場面で夏美がおっぱい晒していたらと思っただけで…… このところみね子の性格も変わってきたけど夏美ほどひどくはない 自分語りの脚本は困ったものだが自分語りをしない脚本は少ない そうでもないかも みんな自分を語りたくてウズウズしている 夏美のホタルでは監督が自分語りをしているとは思えないんだがなあ それにしてはお粗末 なんでこうなっちゃったんだろう 脚本を書いたのが自分の手の者みたいだから脚本に縛られなかったからかな 監督としてはなんとかやれても演出家の才能ないんかも 物の設定はできても役者を活かすことはできないみたい それでも監督業やっとれるのはよっほど監督払拭しているのかな 役者を置いて自分が一番と思っている監督にはできないことだから 監督になりたがるのはそんな資質の持ち主が多いみたい それにつけても何度も言うが冒頭の「塩気が足りない」と夏美が言った場面 本来明るく陽気な夏美を暗い陰気な夏美にしてしまったのがすべてだった 軽率としか言い様がないがどうも有村に近寄る監督や脚本家は
彼女を明るく幸せな女に描きたくないようだ 老いを感じ自分の手の届くとこに置いておきたい男の悲しいサガ 男が女に勝てるのは暴力だけだが近頃の若い男はそれさえも怪しくなってきた でも小説の夏美は 慎吾ちゃん と呼んで男を立てる優しさがある かねがね原作と映画は別物と言ってるが
原作のヒロインを殺してしまう映画ってなんだろう なんぼ別物といってもヒロインを殺していいわけないよね それを平気でやる やって恥ずかしげもなく生きている 前にも言ったけど
原作にはなく脚本に付け足したものがスクリ-ンをよごしている まだ幼い頃
優しい父の背中にくくられバイクで風を切りホタルを見に来た懐かしい川の場面 別れた妻が連れてきた実の子とべットの上で抱き合う場面
原作では倒れてから一度も意識は戻らなかったし子供は葬式の時はじめて来た なんでこんな気分が悪くなるようなわざとらしい場面わざわざ付け足すのかわからん この映画では勘弁して欲しかった
まあ良かれと思ってやったんだろうけどね ひどすぎる 慎吾役の工藤阿須加がどうやったらいいかわからなかったと言っていた 原作と脚本演出があまりに違うので戸惑ったんだ 無理もない 工藤阿須加のことを才能がないんだからやめたほうがいいなんてひどいこと言ってる人がいたけどそんなことないよ もともと工藤君はテニスで将来を嘱望されていたけど肩かどこか痛めて断念したらしい
そんな挫折の経験がある人は強い 期待しています 原作の小説は気持ちがいい
有村が惚れ込んだのもむべなるかも
それなのにひどすぎる ひどすぎるのはむろんこの映画とこの映画の監督をした人 真面目で明るい夏美は有村架純にピッタリ
ちゃんと撮ってくれる監督さんでリベンジ 監督を選ぶんだ 普通はプロデューサーか監督が配役を決める 前の監督を外したら恨まれそうだな ねちっこそうだもんね でも仕方がない なんか菓子折りでも届けておいたら それもいやらしいか ほっといたほうがよさそうが 心配することはないなんか映画撮ってるみたいだから世間の悪口なんかへともないだろう へこたれてくれれば新陳代謝できるけどへこたれないからだんだんダメ監督ばっかになる
そして日本の映画はだんだんへこたれてくる もうだいぶ前に終わったことをいつまでも愚痴っていても仕方ないけどあんまりひどいのでついつい ほんとにリメイクしてリベンジしてもらいたい原作が素敵だから このまま終わらせるのはもったいないし原作者に申し訳ない ようわからんがどんな映画でも作り続けることが映画界にとって大事ことらしい 映画なんか随分長いこと見てなかったのに有村架純のファンになってまた見るようになった 高校時代は昼食代にもらったお金をため見に行っていたもんだけどいつごろか疎遠になっていた その頃は映画を見に行ってたが今は有村架純を見に行く だから映画の内容より有村架純が魅力的かどうかで評価している 全く邪道だけど 夏美のホタルの有村は魅力が無いとは言えないが余りにも映画そのものがひどすぎて有村の魅力もかすれるほどだった ということはやっぱり映画そのものがいい映画でないと出ている役者もきらめかないのだ そこそこの映画にそこそこの役でいつも出てくれている方がとも思う こんな映画作っちゃあダメだよという教科書 原作と見比べることをお勧めする 車なら
かっこいい高級車でも乗っているのがダサければ車もダサく見えるし
おんぼろ車でも乗っているのがかっこよければ車もかっこよく見える 有村は結構頑固だから合わない演出家とは辛い時もあるみたい クランクアップでビリギャルの監督とは抱擁していたけどストロボエッジの監督とは握手だけだった >>535
いやあ いいファンだ
それでこそファンの鏡です でも有村が出たほかの映画は大体6回から7回見ているけど夏美は3回が限度だった アイアムヒ-ロ-をまた借りようと思っているからついでに夏美のホタルも借りよう 借りて一人で見るのは小説や漫画を見るのと同じように秘め事になるのかな 映画館は公共の場だからそこでマスターベイションなんかしてはいけない 小説や漫画は個人が秘めたる場所で見るから作家がマスタ-ベイションしてもいいのだ テレビは映画よりもっと不特定多数の人が見るから規制が厳しくなるのは当たり前と言えば言えるのだけど度が過ぎると角を矯めて牛を殺すの例え通りヒトが生きられる場所がなくなってしまう 小説夏美のホタルでは人生訓めいたものがたくさん出てくるが秘した場所で見る小説だからいいのだ 夏美のホタルの頃よりだいぶ女優としての自信が出来たんじゃないかと思わせる 下の方をくくっていくと6月5月4月三ヶ月の表紙の写真が載ってる 6月は言うまでもなく有村架純 5月は手塚さとみ姉さん 4月は誰かわからない びっくりしたのは三誌とも二宮和也の名前が乗っているのだ 二宮和也主演の連ドラが始まるんだ いや昨日から始まったのかな でも大樹の下は落雷に気をつけなくては 命を落とすこともある 歩いていける近くのコンビネ暖簾の違う3軒覗いたけど見当たらない ちょっと足を伸ばして普通の本屋と言うよりそこそこの大きさの書店にいったらあった 撮影 森脇祐介
ヘア&メイク 川添カユミ
スタイリスト 石上美津江 びみょうな照明 0.1mm単位で表情が違って見えるのだろう 去年10月号のモアの表紙
一面大写しの顔 アホっぽくていい 試しにためつすがめつ眺めてみたらいろんな表情が見えた 一筋縄にはいかない有村架純の一端がうかがえて見飽きない 左目がやや眇めなのはいつもの通り
これがこの女優のおくぶかさをつくっているのかも 知人に
息子の相手にどちらがいいと訊かれたらもちろん去年のアホっぽい顔の有村架純 見れば見るほどアホっぽいが見れば見るほど眇めに吸い込まれる 欠点だらけの顔なんだけど欠点が魅力を作っいるとしか思えない 去年のモアの表紙にもなんと二宮和也の名前が有村と並んで載っている どこかの放送協会さんともここの事務所さんとも
一度ご破産にして新たな気持ちでお付き合いしたほうがいいかもとファンは思うのです 同様に
今までお世話になった監督さんや脚本家さんとも一度ご破産にしたほうがいいのではないかとファンは思うのです なんでもそうだが向き不向きがある
役者に向いてる人と向いてない人がいるとおもうがわからないんだなあ 普通に考えれば楽しければ向いてるということなんだろうけどね 役者は個人の問題だが監督は違う
大勢の人に影響する監督に向いてない人も結構いると思うんだけどね 監督業が楽しくても監督に向いていない人はたくさんいると思う 映画は監督のものだと言われている
何を寝ぼけたことをと思ったが
一人の統一者がいないとみんなてんでんばらばらにやってむちゃくちゃになりそう でも一度みんな好きなようにやらせてみたらどうだろう
指示された方がやりやすいという人には指示を出せばいい
もちろん台本はあるし基本台本通り演じなければならない そうすれば少なくとも主人公の人格が変わるということはないんじゃあないかな ちょっとだけ制作に参加しているようだ ちょっと心配 人のことを思いやる優しい気持ちがビジネスとしてはマイナスになることもある たぶん
それさえも有村の寛大さが包みこんでしまうだろう 終わって二週間後何も考えたくなかった
気丈に振舞っていたがやっぱりひよっこはきつかったんだ やっぱり
それが確認できただけでもこのインタビューは価値が有る 有村にとってひよっこがプラスになるかどうかはファンにはわからないが
有村が利用されたことはファンは忘れないよ ひどいけど有村にとっては必要なことだったに違いない 夏美のホタルで大怪我をしたわけではない いい経験だったんだ いい経験をさせてくれた監督の悪口を言ってはいけない 罰が当たる そうすれば夏美のホタルは有意義な映画だったと言われる 廣木監督って胸キュン映画三巨匠の一人って言われることもあるんだって
ビックリクリクリ 世の中どうなってるの その上なんと
三巨匠の一人が今度神木隆之介と共演することになった映画の三木監督だって 廣木監督すいませんでした リメイクの時もぜひ監督でお願いします 夏美のホタルからこっち有村は紅白の司会をするなどトントン拍子 みんな廣木監督のおかげ 劇場映画を撮ったことのある監督さんは偉いということがわかった しかも大ヒットを飛ばしているんだからものすごく偉いんだ そんな偉い監督さんの悪口言っちゃったんだから地獄に間違いなく落ちる俺 また借りてこようかな残念な映画
どうしたらこんな残念な映画にできるのか不思議 土曜日だから3本借りてきたけど夏美は借りてこなかった ビデオでちまちま見ていると粗ばっか目に付く 映画は映画館で ビデオでしげしげ見ているといいところが分かる 映画館ではわからないところが分かる おすすめはまず映画館で何回か見てビデオであの場面どうだったかなと戻し戻し見る あら探しには何回も見れるビデオおあつらいむきとおもったけどそれだけではなかった どんな映画でもあるんだからこの映画でもあるに違いない ふと思ったんだがこの監督は
ひょっとしたらいい子の有村架純を悪い子にしたかったかも 悪と子というと語弊があるけどもっとアクを出して欲しかったかも 可愛がってもらうため監督家や脚本家にヨイショする精神的枕なんていらないよ ムラ社会だからそうゆうことも潤滑油として必要 正論ばっかゆってたんじゃあやっていけないよ 全くのオフがないみたい オフになったら何をしたらいいか困ってしまいそうだね 困っても死にはしないからいいか そのうちそうゆう時も来るだろう 有村架純の下着姿が見れただけでこの映画はいい映画なんだろう 水着姿より下着姿の方がエロい なぜだろう 想像力が働くのかな 一年ぶりくらいに借りたんだけど自分で見つけられず店の人に探してもらった 三月のライオンで胸がこぼれ落ちそうなランジェリー姿の上半身を見せてくれたけど
全身の下着姿は他にあったのかな とにかくバランスが素晴らしい
足の付け根から下のほうが頭部も含めた上の部分より長い
ビデオを止めてちゃんと測ったんだから間違いない 沢村一樹さんが
架純ちゃんの手足はバランスが悪いほど長いって言っていたのが間違いではなかった 薄いブル-のパンティにコルセットのような下着をつけ体のラインがこれみよがしに誇らしげ 有村架純の姿態は素晴らしい しかし映画を見るのは辛い 有村架純という女優が主演する夏美のホタルという映画を見るのがつらい 演技をするなと監督に言われたらしいが
演技をしないように演技する有村架純という女優が主演する映画を見るのがつらい 辛いなあと思いながらまた見たらあら不思議辛さがなくなった 夏美のほうが一つ年上だけど 慎吾ちゃん って呼んでるんだぜ小説では だから映画を見るのが辛い 夏美はそんな上から目線の女ではない いつもイライラして切口上の夏美 そんな夏美は見たくない 青い空に舞い上がった綿毛を追う夏美の大写し ここで終わって欲しかった あとの部分は全く余分 余分というより駄作の重ね塗り 厚化粧でごまかそうとしたら余計みっともなくなる見本 才能は覚悟だなんて言ってたけどその覚悟ができるかできないかも才能だよ 地蔵さんの木彫と祠 まったく間抜け
結構なワンボックス車に乗ってそこに来る慎吾と身重の夏美 ああ~あ 有村は廣木監督のこと大好きで尊敬していますって言ってるんだよ もう一度言うが有村は健気にも廣木監督が大好きで尊敬していますって言ってるんだよ この映画を作った監督を大好きで尊敬していると言う有村架純は無条件ですごい もうひと皮だなあ もう一皮剥ければすごい女優になる どうしたらそうなるのかわからないけど
いろんな人が手を変え品を変え試みてくれているみたい 下手な鉄砲も数うちゃ当たるの例えがあるからそのうち的中するかも この作品もその内の一つだと思えばそれなりに価値はある
世の中無駄なものはひとつもないって言うから 夏美のホタルでご都合主義な場面ってあったっけ すぐには思い浮かばないなあ 原作では幼稚園の教諭をしている夏美が映画では写真学校の生徒になっているのはご都合主義とは言えんだろう 原作では生きているうちには会えなかった息子と映画では病床で抱き合った
これもご都合主義とは言えんだろう 松岡茉優ちゃんが万引きの撮影で今までの経験を引っ張り出して演技をするとオッケイがいつまでも出なかった
さらの状態でするとオッケイが出たと言っていた これひょっとして廣木監督の言う演技をするなと同じ意味 有村の高評価は多分に営業的お愛想がふくまれているとおもうが尊重しなくてはいけない
俺の印象は最低だがね 俺は常に俺の直感を最重要視する ほとんど間違いはないが100%ではない 監督としての評価は最低だが人間としての評価なんてできない 有村は人間として評価と言おうか見ているんだろうな優しい人だから 演技のこともわからん 世間のことほとんどわからん よう生きとると感心するわ 原作では夏美も慎吾も夢を持ちながら地に足をつけて生きている 映画ではブレ-キの効かないバイクで走っているような危なっかしさがある 危なっかしいがドキドキもワクワクもしない危なっかしさなのだ 原作の慎吾は明るく前向きで夏美を理解できる好ましい青年
映画の慎吾はおどおどして常に夏美の顔色を伺っている魅力の欠片もない老年 ヒロインの相手役をダメな人間にしたらヒロインもダメになる どう演ったらいいのかわからなかったと工藤阿須加が言っていたのは前に言った この映画にご都合主義が全くないとするならご都合主義のない映画はダメな映画になってしまうと言うことになる >>729
ダメというより面白くない作品になってしまう まあファンにとってはこれはこれで有村架純ということかな 小説でも漫画でも原作がある場合読んだほうがいいのか読まないほうがいいのかそれが問題だ 演出家はたぶん読んで欲しくないと思う
原作と脚本がゴチャゴチャになって整理が上手く付かなくなるから もし夏美のホタルの場合原作を読みほんわかした気持ちで脚本を見たらなんだこれと思うだろう だから工藤阿須加はどう演ったらいいかわからなかった ギスギスした感じをごまかすため最後お腹の大きな夏美をだした そんな姑息な手段じゃあどうにもならないし恥の上塗り 女優有村架純の事務所的流れなんかわからないし知らない
有村個人としては矢っ張りこの映画は必要だったんだ とするなら映画の悪口なんか全く余分なこと 映画の悪口なんかどういったらいいかわからんくらいだから言った覚えはない
言うのは監督の悪口 監督の悪口を言うってことは映画の悪口をいうことなの? 監督の悪口は言うけど映画は褒めるってことあるのかなあ
あるいは逆に映画の悪口は言うけど監督は褒めるってことあるのかなあ 映画は監督のものなんて言われているんだから
監督の悪口言えば自動的に映画の悪口になるのは仕方がないのかな でも特定のファンが監督の悪口言う場合は
自分の贔屓の俳優なりタレントなりが粗末に扱われていると感じたときで映画そのものでは無い 何度も何度も言うけど主人公の人格変えちゃあいけないよ
監督は偉いかもしれないが神さまじゃあないんだから(笑) 有村架純すれいつの間にか平均年齢随分若くなってるみたい
有村本人は年を取っていくのにファン若くなっていく大ジョブかなあ
バランスが取れてるとも言えるからいいんじゃあない どのスレ見ても当たらず障らずの書き込みおおくなった まさに今の世の雰囲気そのもの 管理されるのが好きなんだ 人さまざま好みをどうこういうことは野暮 そうゆう人が増えればそうゆう社会になる こうゆうのが民主主義かな? 民主主義の次に来るものはなんだろう? 呪術師の世界? 歴史は繰り返すっていうから(笑) 765は有村スレより拝借したものだが化粧品のCMかな?
さすがに上手く撮るわと思うだろうけど誰でも上手く撮られるものではない 有村みたいなややこしい被写体を上手く撮るのがブロの腕の見せどころ
だから優秀なカメラマンほど有村を撮りたがる まあこの絵は有村ファンとしては正直気持ち悪い 業務用の有村架純 今は主権在民の時代ではなく主権在法の時代
法律を操るものが権力を握る CMのメイキング映像 相手役の男性にきをつかう架純ちゃんかわいい 有村の架純ちゃんがいつまでも可愛く在れるようにファンの一人として応援する 年を取ってもかわいいヒトは魅力的 そんな女優になってほしい ファンはわがままなものタレントするのも女優するのも大変 女優って男みたいってよく聞くけど女の方が男より強いんだからなにを言いたいのか分からない 思うに夏美のホタルは実に平穏な平穏すぎる物語なんだ 平穏な物語なんだから主人公も平穏な女性にすればぴったりだったのに物語の雰囲気と主人公の雰囲気がちぐはぐなんだな >>784
夏美のホタルの有村はパンツは履いてるけどパンティはぜんぺん履いてない 映画館に来てくれた全員にパンツ配って欲しい位の出来の映画 でも架純ちゃんは綺麗に撮れてたし特に川辺を歩くジ-パン姿 足の長さを見せつけてくれた
この場面だけでも有村ファンは満足ではある レビューを見ると有村ファンでもと言うより有村ファンほど映画そのものに厳しい意見をかいてるみたい 見た観客のほとんどが有村のファンみたいな感じ
言い換えれば普通の映画ファンの話題にはほとんどのぼらなかったということか スレがおかしくなってる
肝心な時には便りにならずどうでもいいとき出てくるものな兄? やっぱりいろんな意味で甘えていたんだろうなお互いに ダメ映画みんなで作れば怖くない バレなきゃあいいというのがモラルハザ-ドらしいけど おおはやりだなあ なんか今のごく若いやつら見ているとこいつらのために何かなんてどうでもよくなる
さっさと戦場に行って血と涙を流せばいいんだなんて思ってしまう 霞ヶ関の公務員さんのモラルもひどいなあって普通に思う ひとりひとりに会ってみれば人を落とし入れようなんて思いもしない健全な人たちなんだろうけど…… 夏美のホタルはごく普通の健全なふたりの若い男女と周りの大人とのほんわかした交わりを描いた作品なのだ その清い水を弄り回して汚濁した水変えてしまったのがこの作品 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の告発
色川高志「文句があったらいつでも俺にサリンをかけに来やがれっ!! そんな野郎は俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 ジジババは
若者が戦場に送られ血を流し涙を流し泣き叫ぶ姿を楽しみに生きてるのじゃ(笑) そんな楽しみがあるからジジババはなかなか死なないのだ どっこい 今日もジジババは生きて目を覚ましたのじゃ ざまあみろ 我ながらひつっこいけどやっぱりナゼ夏美の性格変えてしまったのだろうとまた思う 台本は最後の終わり方だけ見ても下手だと思う
ここだというとこ何箇所か見逃した上にだらだらと人生訓とか人物像とかまったく蛇足もいいとこ それより演出 なんでこんな悪意を感じさせる演出をすねのかなあ 見ていて辛い 有村ファンは辛い 冒頭のコンパみたいな場面から見ていて辛い 初めて映画を見たとき原作は読んでなかった だが違うと思った これは違うと思った 有村が愛読した小説の主人公はこんな女ではないと思った ギスギスしてイライラしてすぐ頭にくるような女であるわけがないのに映画はそんな女にしてしまった やっぱり監督は第三者的視線を持った私情をはさまないヒトに頼むべきだった 事務所のミスなんだけといろいろ大人の事情もあるだろうしねえ 大人の事情といえばなんでも見逃されると思ったら大間違いだよ 辛いのが薄まるまでこれやらなくてはならないとなんとなく思う今日この頃 同じことをくどくど言ってる我ながら嫌な奴だけどファンならやらなくてはと思う今日この頃 ファンである辛さとファンをやめる辛さそんなの天秤にかけたらダメ そうなんだよなあファンの愚痴なんか聞きたくもないだろう 愚痴の相手いろいろだけどタレントに対する愚痴 要求も愚痴だと思うけど 多いね 髪の毛がどうだの化粧がどうだの衣装がどうだのまあよく見とるなあと感心はするけどね 嫌なのは分析ね もう一つ人気が出ないのはなになにだからとか言うの多いね
馬鹿なのにりこうぶってとんちんかんなことネチネチと 同じようなタイプだがよくいるのは評論家気取りで重箱の隅つつくような批判をする奴
本人はアドバイスのつもりだろうがこうゆうのが一番タレントをダメにする ここは典型で人のことはいえないけど出た映画やドラマに対する愚痴
特にコケた場合にまず作品そのもののくだらなさに一席ブツ 一方的で返ってこないのでだんだんエスカレ-トする
エスカレート 段階的に拡大する
デスカレート 段階的に縮小する ただ相手役とか周りの脇とか役者を批判することはめったにない 原作と映画は別物と言いながら原作に言及することもたまにある 原作では歳はひとつ下だけど慎吾ちゃんと夏美は呼んでいる この雰囲気が実にいいのだ なのに映画では慎吾って呼び捨てにしている この雰囲気が実にいいのだ なのに映画では慎吾って呼び捨てにしている 一方的で返ってこないのでだんだんエスカレ-トする
エスカレート 段階的に拡大する
デスカレート 段階的に縮小する 原作読んだのかなあこの人 読んだ上のこれなら大したもんだ 前にも思ったけど監督とか演出家というヒトは原作があれば読んでおくのかなあ 脚本を書くヒトはむろん読むだろう読まなくちゃあ話にならない でも大体の筋書き知ってる時は読まないかも 読まないででっち上げれるのもすごいけど 監督と脚本原作と脚本はそれぞれスム-ズに行ったほうがいいのかせめぎあった方がいいのかそれが問題だ まあ何だあかんだあと文句ばっか言ってるが要するに
有村が画面に出てくるのが待ち遠しいような映画を作ってくれということ しょっぱなから目を背けさせられるような映画は勘弁してくれ ユ-チュウブ見てたらたまたま夏美のホタルの番宣がうつった 実際は工藤のほうが有村より二つ上 原作では夏美のほうがひとつ上 映画の中では二人共あんまり笑顔を見せてないけどこの番宣ではニコニコ笑っていい感じなんだ 特に映画の工藤阿須加は陰気な感じの損な役だけど有村と顔を見合わせる時の感じが好青年なのがよくわかる ほかの登場人物は夏美と慎吾の扱いしだいで変わってくる 原作では近くの温泉浴場に二人で行くことがある
むろん男女別々に入るのだけど入浴シ-ンが好きな是枝監督なら混浴も♪ 映画の二人は混浴してイチャつくような雰囲気ではない 是枝監督なら混浴していちゃついても
違和感が無いような二人の関係にしてくれるんじゃあないかとの期待感がある https://www.shogi.or.jp/player/lady/62.html
↑水町みゆちゃん
なるほどカトモモちゃんと間違えそう
まだ高校生 痩せたカトももちゃんより瑞々しいミユちゃんに気を惹かれない?
https://pbs.twimg.com/media/DjK0uU6VAAApngo.jpg
セ-ラ服の下にこのムチムチの体があると思ったら…!!!
たまらん♪
水町みゆちゃんのキャッチフレ-ズ
セーラー服とムチムチボディ♪ 水の街とか水郷とか言われるところは結構あるけど水町という苗字がめづらしい 間違えて覚えてしまいそうな水町みゆ
ファンの間ではみゆみゆって呼んでるらしい みゆちゃんが夏美の役をやったらどうなる みてみたい こうの 史代(こうの ふみよ) 1968年9月28日4生
日本の女性漫画家、イラストレーター。
広島県広島市西区出身。広島大学理学部中退、
2001年放送大学教養学部卒業。比治山大学美術科客員教授 「この世界の片隅に」の原作者がドラマ化の脚本家に苦情を言ってる
原作をめちゃくちゃにするなって 素直さがないんだよね 素直にしてたら自分が埋没していまう恐怖
要するに自信がないんだ(笑) 名無シネマ@上映中2016/04/03(日) 01:44:50.21ID:Nmbzr4yd
写真好きのストーリーなのかな
僕だけが〜のピザ屋バイトの前時代に思えてきた
3名無シネマ@上映中2016/04/05(火) 00:39:28.49ID:oVAkqJE/
有村さん、確かにカメラ絡み多いよね
日テレの「永遠のぼくら」もカメラ好き女子大生だった
http://www.ntv.co.jp/bokura/
4名無シネマ@上映中2016/04/08(金) 15:32:53.12ID:s4C8EvSN
広瀬すず1強時代ならすぐそこまできてるけどね
月9で華のなさ演技力のなさ人気のなさがばれ落ち目の有村
じわじわ天然のかわいさが認知しはじめられてる広瀬
来年には広瀬すず一色なんだろうね
素材が違うな 髪型固定しないとやばいのはどっかな?
すず 天真爛漫な子供 本人のトークショー付先行上映会だって、
http://www.aeoncinema.com/cinema/katsuragawa/
いきたいけど、難しいな … 関東でやってくれないかなぁ 原作者はほんとうに映画を見てるのかな 見て言ってるのかな? すずちゃんのファンどうしてるかな まだ広瀬すずのファンでいるのかな >>916
安っぽい天才だな 言ってる訳無いじゃん 予告通りストーリーは、ほっこり&一部ウルウルの人情に心温まる系 有村さんは、とても可愛いかったし(生の舞台挨拶はなおさら)
「人への感謝や人の繋がりを大事にする心優しいしっかり者」の主人公は、有村さんの等身(心)大で“はまり役”だったと思う
彼女が19才の時に原作本を読んで感動した、というのは、架純ちゃんの夏美への共鳴であって、確かに「夏美のホタル」は
「架純のホタル」でもあると言って良いと思 正直、近年稀に見るぐらいの可愛い顔だよ、このムスメは。 ヒューマンドラマで心が温まり、あそこが元気になれば、言うことなしじゃん
有村架純って、可愛い顔して絶妙にエロいよね
特報での生足からして美味しそうだったし
(特報)
https://www.youtube.com/watch?v=MuTRnEAoblY エロある?
前に原作にはないラブシーンがあるみたいに書かれてたけど 開始2分で、エッチ終わって、工藤とお布団の中から、出てくるのが、唯一のエロかな。というか、エロでも何でもないか。
工藤の乳首は見れるよ。
有村は下着姿から直ぐに服羽織って、また布団に入っちゃうよ。 一瞬だが下着姿のおっぱいめちゃデカなってて焦った
痩せすぎだったし丁度いいくらいになったのか何なのか 劇中見せる大量の生足も最高だった
映画は…と言いたいところだが。本来数字取りに来てる映画でも無いし肩の力が抜けて見れたわ 不覚にも息子来たとき泣いちまったよ
あとビリの時から思ってたけど静の演技が張ってない分、感情的な動の演技は迫力ある良い演技するよね この映画では、全般的に寄せて上げてたね。
特にあのシーンはデカくて、びっくりだったよ。 廣木の作品てなんでここは要らないんじゃねって所まで演者の顔が見えない引きの画が多いんだ ようみとるなあ 廣木監督のモノ初めてなのでわからんかった エロというより、日常の中の健全なセクシーがけっこう良い
39の言うように生脚もGood,入浴シーンでは入浴剤を透視して見よう
白Tシャツごしの胸に、ときめく というか そそられるのは、かすみんだから だろう 今までそういう目で見た事なかったけど
Tシャツホットパンツでだらしなく座るとか清純派がやるとムラムラする しゃがんだとき一瞬ホットパンツの隙間から白いパンツが見えた 彼氏があの家にやってきて初めて夏美と軒下で会話するときだよね あんなんでホタルって撮れるの?
バイク乗り回してるのは絵になってたと思う でも、合成と停車時の入れ替えだよ。
免許取得が撮影に間に合わなかった。。 いや、ホントに廣木隆一は絵のセンスがないわ。アレでカッコいいとか思ってんのかな。広い絵固定長回しとか。
あと「生まれてくれてありがとう」とか手垢の付きすぎてるセリフばっかで胃もたれした。
それと、あんな優柔不断な馬鹿男と一緒になっても幸せになれないと思う。酒蔵潰すのが関の山。 だいたいホタルがそんなに重要な役割をしてないんだからタイトル「夏美の夏休み」とかで良かったんじゃない? ホタルの写真撮るなら手持ちじゃなく、三脚立てて長めに露光でしょ。
あんなスナップみたいに撮ってキレイに撮れるわけない。ISOを高過ぎちゃうと絵が汚くなるし。
ホントに写真学科かよって思ったけど。レンズも50ミリ1本しか無かったと思うし。 そんなことでアチャーとかやってる娘が写真学科でプロのカメラマンになるとか思えないなあ。
まったくのど素人なら良いけど。焦る以前にちゃんと準備しなさいよって話なので。
それと結局、ホタルの写真も有耶無耶に終わってるからタイトルの意味もなくなってるし 原作読んで無いので父の事が良くわからなく
もやもやして終わった 父の形見の愛車がSRってのもなあ。
あの父親世代だとレーサーレプリカ全盛時代だからNSRとかガンマとかだろ。普通。 そこで素早く三脚立ててパシャパシャってリアリティあって説得力が格段に増すと思う
太古の記憶なんで定かではないが
池中玄太?だったかな、西田敏行のTVドラマ、そんなシーンばっかだったようなオボロな記憶が 確かにレーサーの愛用が単発ネイキッドってのも微妙
ま、有村架純がガンマ乗ってたら萌えるが意味不明w バイクとカメラのこと詳しい人たくさんいるんだ
逆に俺なんかバイクとカメラのことは素人なんで気にならなかったけどね 長い箸で小豆を摘むような歯がゆい廣木演出は健在だなあ。何であの人大事なシーンを引きで撮るのだ?
客の見たいものを見せるという、基本的な映画の文法に反してるのだが、本人はカッコいいつもりなのか? オオカミ少女と黒王子もクライマックスで引きの画を使って台無しになってた 有村架純 日刊スポーツ映画大賞 新人賞受賞 今さら新人賞でもないと思うが、
<新人賞・選考経過>
有村について「彼女の存在で作品が良くなったものが多い。きれいでまっすぐさを感じる」(神田紅氏)
「『夏美のホタル』では1人で作品を持たせていた」(寺脇研氏)
など新人らしさと実力が評価された。1回目の投票で過半数。 「夏美のホタルでは一人で作品を持たせていた」寺脇研
有村がいなければ作品の呈をなしていないという寺脇研氏の指摘はまっとうなものだ 架純ファンなら勿論、その可愛さと爽やかなエロさと演技力を満喫できるし
そうでなくても、和み癒される自然と田舎暮らしの描写とともに、
都合3組の親子の愛の物語りに、心を打たれる良い映画になってる
主題歌の『星の中の君』、今さっき、多分NHKの、オリンピック番組の“涙のシーン”のBGMで使われていたね
「いま君はきれいだよ」、すごく合ってたしジーんときた
選曲したスタッフGJ.映画もまた観たくなった 授与者広瀬すずちゃんの戸惑った顔
いろいろ言われているけど広瀬すずちゃんはまともな子だとわかった 廣木監督 「有村架純は何も言わずにやってくれるので心強い」
この鈍感さがこいつがやっていける秘訣だな 映画は監督のものなんて寝ぼけたこと言ってるから日本映画は碌でもない作品
しかできない。映画は俳優女優のものに決まってるじゃん。
俳優女優の魅力を最大限引き出すのが監督の仕事でそのための脚本なのに… 1時間ドラマで済むレベルの映画だった
有村が光石研にいきなりキレるシーンなんて現代の若者ってあんなだろうなーって感じで
あと引きの画が多い映画だったけど
有村架純は広○○ずと違って足も長いしサマになるしバイクも似合うわ 原作を読もうか迷っている。原作と映画は別ものなのだがそもそも映画化されたのは有村がこの原作者のファンで心酔する監督なんか嫌な感じ。
駄作には違いないが何で駄作になったのかなあ?? しょっばな夏美の部屋。あんな小さなベッドであんな図体のデカイ男と眠れんよ。
見ただけで気持ちが悪くなる。まずその無神経さだけで監督失格。 この監督は「芝居をするな」と言うのが十八番らしく有村架純もストロボエッジで何度も言われたらしい
以前高良健吾もこの監督に同じことを言われたがそのすぐ後蜷川幸雄に「芝居をせよ」と言われ混乱したと言ってい 今日の「ひよっこ」で、短かったけど、“地蔵さん”の光石研さんとの
共演シーンあったね。共に嬉しいだろうな。成長を見てもらえたかな 人は寄り添いながら生きていく。こんなのは映画にならんよ。
出会ってくれてありがとう。やれやれ
想いをつなぐ物語。何のこっちゃ 才能とは覚悟することとかの台詞最後の方にあったが全くいらん。
あの場面仏師との会話の場面は全部要らない。だらだらと間延びするだけ 作り物のホタルはいらなかったってみんな言ってる。
今年もホタルは姿を見せなかった。のほうが余韻があって良かったのに…… 夏美のホタル。もっと現実離れしたメルヘンチックな映画にすれば良かったのに。
ちゅうとはんぱなリアルティや全くいらない人生訓などは抜きにして、ただただ可愛い有村架純の足の美しさを愛でる映像だけの映画♪ ある人がビリギャルはつまるところ有村架純のPR映画だって言ってたけど、
本来映画ってそうゆうもので、自分のことは置いてひたすら主人公を撮す映画監督がいい監督なんだ♪ 夏美のホタルの問題は明らかに脚本。
ひよっこの問題も明らかに脚本。 と思っていたけどひよっこはともかく夏美のホタルは脚本より演出 脚本もひどいけど同じ脚本で違う監督の演出で撮ってご覧
良いか悪いかは別にしておそらく全く違う映画になったと思う 同じ脚本で何人かの監督が撮る
こんな試み今までなかっただろうからぜひやってみて欲しい 暇な監督結構いると違う
でも映画一本も撮ったことない自称監督はどうなの そんな心配するようにはならんだろうけどね
スタッフは変わってもキャストは同じということで その際使用する脚本が原作からのものかオリジナル脚本のものかによっても変わってくる 何度も言ってるけど
何度でも言うけど最初のコンパみたいなシ-ン「塩気が足りない」と言った時の夏美の口調態度違うなと思った この時原作はまだ読んでない 原作を読んだのは1年後 有村のファンだから 有村がこんな投げやりでイライラした態度とるわけないと思ったわけだ
まあゆうなら公私混同だな でも三月のライオンで登場した香子
零に顔を寄せ耳元でおしっこ漏れそうと言った香子 ふてくされた香子 ツンデレみたいな香子
そんな有村らしくない香子に夏美のような違う感は全くなかった 有村ファンなのに有村らしくない香子を見たくて何度も映画館に行った 有村ファンだから三回見た夏美のホタル 三回が限界だった 小説の中の夏美の魅力を削ぎ落としたのが映画の中の夏美 この間Aスタジオに出てた村上虹郎という若い俳優 夏美のホタルに出ていたんだ 今放送中の「この世界の片隅に」の第5話に登場して話題になってるらしい 実は第5話録画はしたけどまだ見てないんだ 見るのが楽しみになった 病院のベットに横たわる父光石研に会いに来るんだ
来たけど直前に父は亡くなっていた そんな場面にしてくれという願いもむなしく親子は抱き合って泣くんだ また小説だけど息子は葬儀の時初めて姿を見せるんだ 病室にのこのこくるわけがない
この感覚お涙頂戴的映画的感覚 この救いがたい映画的感覚に全てに渡り支配されている映画 それが夏美のホタル 役者のみなさんも大変だ こんなんでいいのかなあと思いながらの演技 まあなれているんだろうけどね
寺脇研氏が「夏美のホタルは一人で作品を持たせていた」
と言うようベテラン陣もどうしていいかわからなかっただろうし若手の工藤阿須加も同様な事を言っている 病室にぼおっと入ってきて抱き合って泣いた村上虹郎はこの時19歳かな印象が薄かったのはやむを得ない
死んでから来てくれとおもっていたんだから つねづね原作と映画は別物とは言ってるけど主人公の人格変えたらダメだよね あの冒頭の場面「塩気が足りない」このセリフ有村自身の言葉で聞きたかった このスレッドは1000を超えました。
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