ナラタージュ有村架純その4
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きょうのできごと a day on the planet バイクは250ccだがチュ-ニングして400cc並みの性能があった 両親が海外に赴任している自宅は泉一人だけ住んでいる その自宅のガレ-ジでバイクを分解整備していたのが泉が二年生まで付き合っていたTOだった 子供の頃から何でも分解するのが好きな子で
分解しては放していたので父親に怒られ分解したものを元通りに組み立てるようになった 誰でも経験あると思うが分解することはできてもそれを組み立てるのはむつかしい TOの天性の才能が泉と付き合うようになってすぐ
ガレ-ジにあったバイクをあっという間に分解し手を加え組み立ててしまった 部品がものすごく多く一番むつかしいエンジンさえも分解し組み立てることが容易にできた エンジンを分解はできるが組み立てられないのが二級整備士
分解して組み立てることができるのが一級整備士 一級建築士はそこらじゅうにいるが
一級整備士はメ-カ-の本社工場にでも行かないとなかなかお目にかかれない 高校一年の秋二人共16歳になったので中型の免許をとった 泉は一発で取ったがTOはなんと5回も落ち六回目にやっととれた
整備は天才的だが運転はからっきしなのだ 免許が取取れたので中古の250ccバイクを二台買いTOがエンジンから足回りまですべてチュ-ニングした 新車を買ったほうが安いぐらいチュ-ニングにかかった でも一度乗った高速が怖くて二度と乗らないと言うTO だから二人で行く時は下の道をトコトコ走り山道は出来るだけ避けた
でも楽しかった 2台の車を外に追い出し整備工場にしてしまったガレ-ジ
急に両親が帰ってきたらヤバイけどそのときはその時だと思っている泉 ガレ-ジでは偉そうにしているTOが
かぶったフルフェイスのヘルメット越しに見せるたよりない表情が可愛くてたまらない泉だった 山道のヘアピンでヒュ-ンと瞬間的に抜き去ったのが泉だとは分からなかった小野君 何年か後葉山先生のとこで顔を合わせてすぐのことだった 泉がバイクに乗ることさえ知らなかったのだから無理もない 長かった冬がおわり春の陽気に誘われ二人で京都に出かけた むろん北陸高速には乗らず8号線をとろとろと走っていった 一乗谷は越前に有り朝倉家第七代朝倉孝景が谷に入って100年
第十一代朝倉義景が織田信長に攻め滅ぼされるまで朝倉館を中心に栄華を誇った谷なのだ うっかり右手の案内板を見損なったら通り過ぎてしまうほどひっそりとあった 急に風が吹いてきて一乗谷の薄紅色の桜花がはらはらと散った 今年は例年より開花が早いようだ 入口から見通し真ん中を歩いていく二人の口から思わず吐息が漏れた ここは穏やかだ 穏やかすぎる
穏やかすぎて 美しすぎる
あとは滅びるしか そんな思いを抱いた二人だった ぶると身震いして一乗谷を出た泉が地図を見て言った
来た道をまた8号線に戻るよりここから滋賀県の近江まで行こうよ山道だけど びっくりた泉
山道は高速道路とおなじくらい怖がっていたのに 平坦な道を走り今庄に至った
今庄から栃の木峠と椿坂峠 二つの峠を越し余呉湖に至る本格的な山道 スピ-ド狂の泉でも初めての道は怖いが先が見えない山道は特に怖かった 俺が先に行くと言ったAOになんでどうしたのと首をかしげた泉 街中でも泉の後をこわごわ付いてくるようなAOなのに にこっと笑いフルヘイスのヘルメットを被ってバイクにまたがったと思ったら泉に頷きエンジンをかけアクセルを回した ビュ-ンととびたしたバイクは緩めることなく山道にかかった 通行量が少ない山道といえいつ対向車と出っくわすかわからない
「危ない止まって」ヘルメットの中で叫ぶ泉 もしかして一乗谷の妖気に当てられおかしくなったのかもと思いながら
栃の木峠の標識の前で止まっているTOを見てホッとした泉はここまで対向車に出会わなかったのは奇跡なのだとも思った ヘルメットを外し泉を見て笑ったTOの姿がフッと消えた
バイクごと泉の視野から消えた 首をかしげながらシャッターを上げると
バイク工場の道具類は綺麗になくなり2台の車が収まっていた ハッとして振り返ると今乗ってきたバイクはそこにあった 夏美のホタルを図書館で借りて読んでみたら映画とあまりの違いに仰天して
ナラタージュも読もうと思ったが予約がいっぱいなので買った かねがね映画と原作は小説にしろ漫画にしろ別物と言ってきたがその根は同じと思っていた 夏美のホタルの原作と映画は根が違う別物なんだ
根は同じ別物と根から違う別物ははっきり分けなければと思ってナラタージュも読むことにした ナラタージュ
作者は島本理生さん 1983年5月18日生 34歳
平成17年2月 角川書店より単行本として刊行される 元号と西暦がごっちゃに出てくるとややこしくてかなわん 子供の頃から小説を書いていたというから早熟で才能豊かなんだ だいたい小説を読むのは苦手なんで少しずつ読んでいる ちらっと読んだ感じでは根が違うほどには違わないじゃあないかということ 大学2年になってしばらくした4月の終わり頃
葉山先生から呼ばれ卒業して初めて高校に顔を出した泉 懐かしく思えてじいっと葉山先生を見つめていたら、
それよりさらにじいっと見つめられたため、先に目をそらしてしまった泉。 この人は全くためらうことなく他人と視線を重ね合わせるので、
こちらが照れてしまう、と泉は言っているは。 その前、目に強い印象がある葉山先生とも泉は言っている 相手が照れて目をそらすほどじいっと見つめる葉山先生 番宣で有村は葉山先生に扮する松本の目のことを
目の奥がないとか目が死んでいるとか散々ないいかたをしていた そんなことないよと否定していた松本は40%kの演技を行定勲監督に要求されていたらしい 実際に映画の中で松本潤扮する葉山先生がじいっと相手の目を見つめ続ける場面は記憶にない 映画は狭い事務所で残業している泉に電話がかかってくるところから始まる 小説は結婚する相手と新居を見に行くため川沿いを歩く場面から始まる ともに泉が大学を卒業して何年か経ったある日 霞がかかったような大人の会話で始まる 結婚する男とは仲が良かったという泉から好きだとはいう言葉はなかった 仲の良い友達と結婚する泉が好きなのは未だに葉山先生なのだ
そして
そのことは相手の男も承知しているのだった よっぽど泉に惚れているのだ 魔性の女泉の体の虜になっているのかな かつて泉に別れを告げられ駄々っ子のようになってしまった小野君 一時親しんだら忘れられなくなる男と女の関係は麻薬と同じなんだ 葉山先生はどうなんだ 忘れたのかそれとも初めから記憶することはなかったのか
小説にその記述はない いま最後のぺ-ジを見た 葉山先生も忘れていなかったんだ 最初のぺ-ジを見て最後のペ-ジを見る 卑怯な読み方だ 買ったんだから
返さなくてもいいんだからゆっくり読ましてもらう 映画ではほとんど触れられていない泉の家族のこと小説ではかなり書かれている やっぱし舞台は東京なんだ 環状線の外のどこか下町ではない 映画は架空の街の架空の高校の架空の少女が架空の教師に惹かれる話なんだ 映画では手をつないで買い物に行った話しかない母親のことも
小説では詳しく父親も含め両親から愛されているようすがほんわかと記されている 他愛もないもので 三年になってクラスに馴染め朝学校に行くのが鬱陶しい日が続き電車に飛び込む願望に囚われていた それを葉山先生が救ってくれたらしいのだがその経過がよくわからなかった 小説の泉は映画の泉より饒舌で明るく活発な女の子という感じだった 行定勲監督が小川プロデューサーを訪ねた時はたしか脚本を携えていた たぶん舞台は東京のままで高校も大学それとなくわかるような感じに描かれていたと思う その脚本が実際映画になる際どのくらい変わっていたのか分からないが
泉の様子はやや暗くなり饒舌ではなくなり活発というほど活発ではない女の子になっていたようだ 小川プロデューサーに見せた脚本から撮影に入った脚本までにどれくらい変わったかな 場所を東京ではない架空の街にしたのは小川プロデューサーだ 松本潤の起用を提案したのも小川プロデューサーだ 実現させたのは行定勲監督だがね 二階堂ふみちゃんのおっぱいが見れるというので行った 二階堂ふみちゃんのおっぱい
綺麗なおっぱい 程よい大きさのおっぱい
全裸の立ち姿も横からだが見せてくれた お尻もいい 暴力はいじめによるもの
設定は高校生だけどみんな無理があるんだよなあ でも仕方ない 要するに理解しなくてもいい感じろという映画のようだ 上杉柊平扮する観音崎というデカイ高校生が
高校を舞台に暴力にセックスに暴れまくる映画なんだ 暴力を振るうのもコイツだけセックスするのもコイツだけ
八面六臂の大活躍 コイツが主役なんだ こいつに暴力を振るわれるのが
漫画から抜け出したような端正な顔立ちの吉沢亮扮する山田一郎くん 上杉柊平25歳185cm 吉沢亮24歳171cm
殴りまくり蹴りまくる でも素手なので死にはしない 倒れている山田一郎をいつも助けに来るのが二階堂ふみ扮する若草ハルナ 若草ハルナは観音崎の元カノ
二階堂ふみと上杉柊羽平が全裸でやっている場面もある
ここで二階堂ふみちゃんのおっぱいやお尻が見れる 山田一郎はホモなんだ 観音崎にいじめられるひとつの理由ではある 若草ハルナがやらせてくれないので欲求不満になり暴力を振るう観音崎は
同級生の土居志央梨扮するルミを犯しヤリまくるのだった 土居志央梨25歳168cm 脱ぎっぷりの良さはデビュー当時から有名 フェラありシックスナインあり
デカイ観音崎に負けない豊満な体を惜しげもなく駆使して大活躍
ヒロインはこの子 立派なR18 ちなみに火だるまで落下する田島カンナ役の森川葵ちゃんは脱ぎません 二階堂ふみちゃんのおっぱい見たさに行ったのは間違いないがもう一つ
ナラタージュと同じ小川プロデューサーと行定勲監督がコンビを組んだ映画だから 行定勲監督はなんかナラタージュのストレスを思いっきり発散してるみたい 小川さんがブロデュ-サ-としてどの程度関わっていたか知らない ともに高校が舞台の映画だが授業の場面はゼロ
先生は葉山先生とちょっとだけ出てくる体育の先生だけ プロデューサーの前にエグゼクティブプロデューサーというなんだかわからないのがいる その前にいる製作者は金を出してる人か出してる会社の代表らしい 100館ほどの公開館数では仕方がないと言えばそうなんだが
興収一億にも届きそうもないコケ具合 せっかく裸を晒して奮闘した女性陣に行定勲監督は謝らなくてはいけない 有村の濡れ場を期待してがっかりした人はこっちを見てください 合わせて一本だから リバ-ズ・エッジの舞台を定時制高校に設定すればよかったんだ なってるのかな? 昼間に授業を行う定時制高校もある
制服は私服で年齢の行った生徒も多い 部活なんかも普通の高校と同じように行われている 普通の高校では嘘っぽさ満載だが定時制高校ならこの登場人物達でも納得 服装はともかく過激な言動は真面目な定時制高校から抗議を受ける恐れ有り 営業妨害で訴えらりたら困るからどんな高校かはっきりさせずにぼかしたのかな 原作岡崎京子 脚本瀬戸山美咲 音楽世武裕子
どうせなら監督も女性にすればよかったのに 監督 壇蜜
撮られるのが上手い壇蜜さんは撮るのも上手い AV女優と映画女優の違いはセリフを喋ればすぐわかる たどたどしいAV女優のセリフは萎える
上手な映画女優のセリフは興奮する 数少ないセリフがうまいAV女優の一人が蒼井そらさん ひよっこに米屋の娘役で出ている伊藤沙莉さんがナラタージュに出ていた 泉をプ-ルに突き落として笑っているいじめグル-プのひとりが伊藤沙莉
場面ははっきり覚えているがそう言われなければ分からない ナラタージュではセリフはなく写ったのも一瞬だけだったが
ひよっこでは有村とも絡む役でセリフも多く芸達者なところを見せている 主役ができるような役者をチョイ役でつかう
社長ができる器の人を守衛に使っているようなもの
ちょっと違うみたいかな 才能に恵まれているのか 運に恵まれているのか 人に恵まれているのか
何だかわからないがとにかく恵まれている 夜自分のアパ-トに帰るときスト-カ-みたいなのにひつこく跡を付けられ
怖くなって小野くんに助けを求めた 喧嘩したばかりの小野くんがおかしなことを言うので
苛立った泉は衝動的に葉山先生の家に向かった なんとか葉山先生の家に着いたとき折りよく帰ってきた葉山先生はボロボロの泉を見てびっくり こんな夜遅く自転車は危ないからと躊躇するがそれなら歩いて帰るという泉に仕方なく貸す 映画では葉山先生が呼んでくれた富山ナンバ-のタクシ-で帰る泉 自転車で高校まで通勤していたことが分かって何か葉山先生が実在するように思えた 自転車のサドルにまたがる泉 自転車のペタルをこぐ葉山先生 なんかいいなあ でも自転車で向かい風は辛い 人生行きも帰りも向かい風 映画夏美のホタルは主人公河合夏美の人格を原作の小説と変えてしまっているが
ナラタージュの主人公工藤泉の人格は変わっていない もうひとりの主人公葉山先生は人格が変わるというほどではないが結構
おやっと思う違いがところどころにある 漫画にしろ小説にしろ原作がある脚本及び演出で一番やってはいけないことは主人公の人格を変えてしまうこと 主人公の人格を変えてしまうと原作と映画は似て非なるものになってしまう 映画化を承知した時点で原作者はどうなろうと覚悟をすれば済む 主人公のファンがいる
ファンにとって主人公の人格が変えられるということは殺されたと同じことなのだ 内田康史さんという方の
映画はこうして作られる---映画プロデュ-サ-の仕事という記事を読んだ だいたい思っていたことから大きく外れることはなく特に興味があった監督とプロデューサーの関係について
監督は作る人プロデューサーは売る人だがプロデューサーは両方できる方が望ましいといっている 意外だったのは撮影したフイルムを切り貼りして一本の映画に編集するという作業があり
当然監督がやるものと思っていたが必ずしもそうではないということ それが編集権なんだが監督がやるのかそのほかの例えばプロデューサーがやるのか
あらかじめ決めておかないと揉める場合があるとも言っている 編集によってはまったくべつな映画になってしまうので編集は大切な作業らしい
クランクアップから上映までかなり間が空いているのは特別な事情がある場合意外は手間のかかる作業だかららしい まず最初に企画立案という作業から始まるがナラタージュの場合
行定勲監督が脚本を持って小川真二プロデューサーを訪ねてきたところから始まった プロデューサーの目で脚本を読む プロデューサーの目と監督の目は違うんだ メジャーにしたほうがお金を集めやすいと思い松本潤の起用を行定勲氏に提案する お金を集めるのがプロデューサーとしてもっとも重要な仕事の一つ お金がなくては何も始まらない 監督はお金のことはあんまり考えない ただ作りたいだけ 松本潤を引っ張り出すための交渉は行定勲監督が行った
本来なら小川プロデューサーがやるべきところなのかな
この辺は曖昧でわからない 本来なら脚本がないところから原作を選び脚本を書かせそれを持って資金集めに奔走するのがプロデューサーの最初の仕事なんだ 原作から選択したり脚本が持ち込まれたりプロデューサーの能力が試されることばかりなんだ 有能なプロデューサーの手にかかれば何でもヒットするわけではない ナラタージュに続いてコンビを組んだ小川プロデューサーと行定勲監督の映画リバ-ズ・エッジは大コケ模様 小野くんは靴職人を諦めて長期未解決事件捜査班で事件を解決するらしい
DODAで転職との事 小野君が靴職人を目指していたのは映画だけ
泉に土下座させ靴を脱いでいけと強要する場面を強調したいための設定 泉が小野君と付き合った理由は原作を読んでもわからない
よくある成り行きとしか言いようがない 小野君が泉と付き合いたかったのは好きだからだがどこが好きなのかはわからない もちろん若い小野君だから泉とやりたかったのは確かだ 工藤泉の肉体的描写は今まで読んだ中には見当たらなかった 工藤泉の回想禄だから自分の思いなんかは随分くどいほど書かれているが
肉体について書かれていないのは当然といえば当然なのか 映画の泉は有村架純だから小野くんがやりたいと思うのは当然だ ナラタージュの有村は胸を盛っているという人がいるが紅白の揺れる胸は本物みたい まだ付き合う前小野くんが誘ってバッティングセンタ-に二人して行った 打球を勢いよく飛ばし終えた小野くんが見ていた泉に
「退屈じゃあなかった?」と聞くと
「自分でやるよりも、上手い人がなにかやるのを見ている方が好きなんだ」と言った なんか泉の性格をよく表しているセリフみたい
観察するのが好きなんだ
葉山先生の観察に飽きて小野君を観察する 泉のセリフは男みたいで
セリフが続くとどっちのセリフかわからなくなって読み返して確かめることがある 小説を読むときは飛び飛びに読む癖が有り
また戻ったりして行ったり来たりするのでなかなか前に進まない 付き合い始めてからまた飛ぶといきなり もう寝たくなかった という文字が見えびっくりした 男でも女でも相手と寝たくないと思うようになったらおしまいだ ただ二人ともそう思うようになれば円満に別れられるが
一方に強い執着心があればややこしくなる 葉山先生の観察に飽きてと書いたが飽きたのではなく疲れたのだ
わかろうとしたがわからないので疲れ小野君の体にもたれ休憩していたのだ 休憩時間が終わってベルが鳴り葉山先生の授業が再び始まった いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
時間がある方はみてもいいかもしれません
ネットで検索するといいかも『蒲原のロロムムセ』
FJ8WB 原作者が脚本も書くのがいちばんいいと思うけどどうなんだろう 脚本家は嫌がるだろうが映画化を許可するとき契約条項にいれたらいいのに 漫画家は文章は書けないかもしれないけど絵コンテに書けばいいじゃあない 架空の街にふっと現れたような少女をひとり迷わせるためなのか 特に高校生の泉はまつたく実体がない
葉山先生の幻想の中にだけ生きてるような工藤泉 小説では葉山先生との場面より小野君との場面のほうが多い しかも相当回やっている
なのに最後まで小野君を名前で呼ばなかった工藤泉は相当偏屈な女ではないのかな 小説では工藤泉の魅力が特に女としての魅力が伝わってこないんだよなあ 映画では有村架純だから
高校生から社会人まで文句なく男たちが泉に引かれる気持ちはわかるんだけど 観察好きで欠点をついて非難 寂しくなればそんなに好きでもない男と寝て紛らわせ
飽きたらさっさと別れ 疲れきった素振りで男をたぶらかす 何者の番宣で
一日だけ生まれ変われるとしたら何になりたいですかと聞かれ
有村架純になって男という男をたぶらかせたいと山田孝之が言っていた <<297は違法だと思いますからクリックしないでください 有村架純ファンの密かな願望
男をたぶらかす一面をかくし持っている女優有村架純 行定勲監督が工藤泉役に有村を起用したのは
有村架純の隠れた本性を感じていたからかもしれない しかも以前から泉役は有村と決めていたようだ
ということは有村架純をだいぶ前から注目していたということだ
いつごろからだろう 原作の工藤泉は有村架純というトンネルをとおって映画の工藤泉になっている 小野君と初めて行為をしたあと大丈夫と聞かれた泉は
「大丈夫でも想像した、小野君がほかの女の子とそうことをしているときを」と言った 映画で初めての場面って記憶にないんだけどあったのかなあ とにかく工藤泉はめんどくさい女なんだと思わざるを得なくなった 小川プロデューサーが舞台を東京近郊の街から架空の街にしようと思ったのは原作を読んでからに違いない 工藤泉の嫌な面をそぎ落とすにはどうしたらいいかを考えた末だと思う 行定勲監督が持ってきた脚本に泉がどんな風に描かれていたか知らないが
原作に沿って描かれていたとしたら映画化は無理だと小川プロデューサーは思ったはずだ 葉山先生と泉の会話は曲がりなりにも高校の先生と生徒の会話なんだ
それなりに大人と少女の会話 小野君と泉の会話は若い男の子と女の子の会話
一人称で書いてるから作者の中でこんがらがっているような気がする ひょっとしたら脚本に起こすとき三人称に書き換えて見たかもしれない 行定勲氏の奥さんではないかと噂される正体不明の脚本家堀泉杏氏が書き換えたかもしれない それはともかく泉と小野君の行為中の描写がほとんどないんだ 無意味な振動の下で私は体中の体温が奪われて自分の体がプラスティックか何かに変化していくように思えた
まるで強姦に近い不幸な交わりだ 新しいクラスに馴染めず鬱陶しがられはじかれたようになり
毎朝学校に行くのか耐えられないほどゆうつになったある朝電車に飛び込もうと思っているとき葉山先生が現れ
飛び込むのを諦め学校に一緒に行く羽目になった 葉山先生とはそれ以来の腐れ縁 とは書いてない
その時葉山先生が好きなんだと思った と小説には書いてある ぜったい腐れ縁だよねえ だから第二章もぐだぐだと続くのである 一生懸命な男にとって無意味な振動って立つ瀬ないよね 映画では二年生まで親しかった友達が転校し三年になってクラス替えしたクラスに馴染めなかったとなっている 小野君と初めて交わった時泉は初めてではなかった
小説ではその時のことが書いてあるが映画にはなかった 泉が初めてした相手は誰だろう 小説にも書いてなかった 君はあいかわらず個人的なこと話すのをとことん嫌がるなあ と葉山先生は泉に言った だから自分の肉体のことは書かないし
初めての相手が誰なんて口が裂けても言わないし書かないだろう 自分のことを話すのが嫌なヒロインなら
架空の街で肉親もなくどこに住んでるかも分からないような少女がふさわしい と小川プロデューサーは思いそれにあった街を探したのだ 小野君と初めてしたあとのことをちょっと前に書いたけど
読み返してみて改めてまともじゃあないよねと思った 小説では初めての行為の前と後に小野君の肉体のことをかなり詳しく描写している 映画ではそんなのなかったよね 二人の肉体の何の描写もなかった 初めてしたあと 小野君がほかの女の子としていることを想像したってまともじゃあないよね 思うのは仕方がないけど口に出すのはどんなもんかな
正直といえば正直なんだけどね はなはだ迷惑な正直 ダメと押し返そうとしたけど「たまには大丈夫だよ」と呟きつけずに彼が入ってきた いつも付けてやってたんだ
ちょっとびっくりしたけど当然だといえば当然だな まだ名前でも呼んでいない恋人でもない男の子供ができたら大変だもんね 互いに都合よく思い違う
女は結婚相手だと思い男は遊び相手だと思う 葉山先生とならどうだろう
葉山先生が付けようとしたら付けないでと言うかも知れない 冷静に考えれば小野君の子供が出来て結婚してくれといえばできる可能性が高い
言わなくてたぶん小野君は結婚しようと言うだろう
小野君の実家も裕福そうだし親も孫ができると喜んで後押ししてくれるだろう 一方葉山先生の子供が出来たらえらいことだ それこそ不倫の子だ でも無意味な振動で体がプラスチックにさせられたような相手の子供を生むのは辛いことかも この辺の女の感覚がわからない 男はそうゆうことは話さない だいたいの男は 大概の女は本能的に自分がコントロ-ルできそうな男を結婚相手として選ぶらしい だから男は選ばれた時点でもうコントロ-ルされているんだ 泉は小野君も葉山先生も結婚相手としては見ていなかった
だからコントロ-ルしたいともしようとも思わなかった 恋人同士だって毎回必ず合意の上じゃなきゃやったらいけないと思う
と言う志緒は正しいと泉は思った 小野君とは別れたほうがいいんじゃないと言う志緒は
葉山先生とはどうなってるの一時期噂になってたのよと言ったがそれは知らなかった泉 迂闊にも知らなかった泉はまだ別れようともせず小野君の部屋に行くのだった さっさと別れられない泉の優柔不断なところは葉山先生によく似ている 自分を良く見せたいと思うのは誰しもだが
葉山先生も泉も自分をよく見せようと頭では思っていなくても体が勝手に見せたがるタイプなんだ 材料を切りながら
小野君がまた付けずに入ってきたらどうしようと思ったら寝たくなくなった泉 避妊具には 素材 厚さ サイズ コスパ などなどいろんな要素がある それ以上に重要なのは二人の触感が心地いいかということ 数多くの避妊具のうちどれがいいか話し合って決めることが必要というが
泉と小野君はそんな触感について話したことあるのだろうか 出会い頭ならともかく付き合っているなら必要なことだけど
泉と小野君の二人が首突き合わせてそんな話をしているとこ想像できない 朝っぱらからなんだけど
前戯からフェラしながら付けるのが一番自然だと思うけど泉したことあるのかなあ小野くんに 泉がしてくれないのでイライラした小野君が付けずに入れてしまったのかなあ それはともかく付けずに入れた原作の場面映画にはない たぶん 夜中にかかってきた電話がどうのこうの言ってるうち
自制できなくなった小野君が泉を抱き抱え強姦まがいにやってしまった場面がそのかわりだと思う ほとんどが アッとかウッとかの声だけで動く映像はない あの場合付けるも付けないもなく
強姦するのに妊娠が心配で避妊具付ける礼儀正しいやつはいない しかし避妊具の話はいっさいそれまで画面に出てこなかったから
付けずに入れてしまった話の代わりにはならない まだ付けていないのに気付いた泉がダメと押し返そうとしたが
「たまには大丈夫だよ」と言った小野君に体重を預けられ身動きができなくなった この場面 二人の言葉 二人の顔の表情 蠢く二人の体 等々を丁寧に撮ってほしかった
撮って映像に残して何度でも見れるようにしてほしかった ある種この時代の若者を象徴する映像として後世に残ったに違いないのに残念 付き合い始めてだいぶ経つのに下の名前で呼んでもくれずFもしてくれない だから強姦まがいなことやったみたいだけど実は
子供が出来たら泉を独占できるんじゃあないかというおもわくがあった 人は嫉妬に狂えば狂うほど相手を独占したくなる、小野くんは生挿入して泉を独占したかったんだ 泉は小野くんに抱かれながら葉山先生の事を考えていた
小野くんは気付いていた、泉の目線の先に葉山先生がいることを 男が書いた恋愛小説と女が書いた恋愛小説では根本的に違うのかどうかわからない おんなの大声でしゃべっている井戸端会議を読んでるような気になる 抜けたら何を言われるかわからないので怖くて抜けられないのが女の井戸端会議
だから延々と長くなる 二人だけの井戸端会議でも本質は同じ
話を打ち切ったら何を思われるかわからない 葉山先生とのことをぐだぐだと
小野君とのことをぐだぐだと
恋愛小説だからしょうがないのかな 目が覚めたら葉山先生の部屋だった
見渡すとソファに座っている葉山先生に手招きされ隣に座って肩に頬を寄せ凭れた 夢の話が許されるなら 葉山先生との別れの交わりも夢にして欲しい しかし夢から覚めたあと胃が痛くなり病院にいったら胃炎だと診断された 夢を見たのはシャワーのシ-ンの次の日 上野にある同潤会アパ-トを見たあと
もう先生を追いかけるのやめますと別れを告げた日の夜だった 別れと嘘と裏切られた気持ちがごっちゃになり
訳が分からくなって胃が痛くなった泉 葉山先生との交わりが夢だったとわかったら泉はどうなるのだろう そして泉と小野君はもっとドロドロした関係にのめり込んでいって欲しい 不倫を売りにした映画ではなく純愛を売りにした映画にする 純愛のつもりで見に来たら泉と小野くんでインパクトのあるR15 映画ではもっとストレ-トな話にしたらよかったのにと思う 架空の街をフラフラ生きている男と女のわけのわからない話になっちゃっている 有村架純のファンの多くは
どんな役でも例え汚れ役でも生き生きとした有村を見たいと思っている 映画を作る側はそんな俳優のことなんか考えていないだろう 原作は置いて脚本家や演出家の思いや自分語りが映画やドラマを薄汚くする場合がある ヒトは自分を語りたがるもので
人間の属性といっていいくらい誰でも民族宗教人種男女を問わず自分語りが好きなんだ この話は奥が深いんで考え出したら底なし沼に捕らわれもがくことになる ここはナラタージュという映画の話でそれも
有村架純と言う女優のファンが有村架純がどうのこうのとグタグダってるだけのとこ この映画でもっと有村架純を生き生きと魅力的に見せるにはどうしたらいいかだ でも映画は出来上がったものだから想像はできても変えられない 小野君がいつものように付けようとしたので「付けないで」と泉が言った でもと戸惑う小野君に「たまには大丈夫だよ」と笑った泉が来てと誘った ちょっと慌てた感じで体をあずけた小野君が入ってきた ああっといつもより大きく呻いた泉の腰を強く抱いた小野くんが激しく振動した 粘膜と粘膜が直接擦れいつもと違う感触に二人共あっという間に達した 体をずらした小野くんの脇腹を撫ぜながら「やっぱり付けない方が気持ちいいね」と息を整え泉が言った 葉山先生とのことでウジウジしている自分が嫌になっていた泉はいささか自暴自棄になっていた と言うより自暴自棄になっている自分に陶酔した泉は赤ちゃんを作ろうと思った シャワーを使いながら小野君の感触を股間に思い出しながら泉は
赤ちゃんができれは葉山先生のことは忘れられると思い付けないでと君に言ったことも思い出していた そして小野君の実家は裕福な家 小野君は長男
子供が出来たら結婚して就職するまで生活費は援助してくれるに違いない
という打算もあった 映画では雨に濡れて屋上に立つ泉
セ-ラ-服のいかにも自殺しそうな雰囲気の少女 しそこね濡れねずみで屋上から降りてきた泉を見て演劇部に誘う教師が葉山先生
泉が三年生になってしばらくした日のことだった 原作ではすでに2年生のどこかで演劇部には入っていた泉が
3年になった新学期に赴任してきて演劇部の顧問になったのが葉山先生 泉は電車通学をしていたのだ しかも途中で一回乗り換えて
だから電車に飛び込もうと思った泉 そんなおもいで電車を待っているとき葉山先生が現れ飛び込み損なった泉 原作では電車通学をしていた泉だが映画ではどこからどうやって通学していたかわからない ほんわかした有村架純の姿をちょっと見たくなり借りてきました この男はベストではないがまあまあだ
この男くらいでいいから結婚して平穏に暮らして欲しいと思う今日この頃 架空の街にしたほうがよかったのかどうか観客としてはわかりにくくなったと思う わかりにくい方が広がりがあると言うけどそれもどうだろう とかグダグダわけのわからないこと言って楽しむのがこの映画の楽しみ方なのかな なんか不安定な泉と現実の有村が混同してしまい
結婚して落ちついてほしいなんて思うようになることもある 黒川をひょうきんな男にし志緒を男を尻に敷く軽薄な女にしたのはどうなんだろう 主役の人格を変えるのはもってのほかだが
脇役でも人格を変えてしまうのはダメじゃあないの 「工藤さんを罵っている時の黒川は生き生きしてたよ」と小野君は言った そんな黒川が映画ではただのひょうきん者になっている 志緒もそうだ
恋人の黒川に対してただの高圧的でヒステリックな女になっている
原作では泉に 小野君と別れたほうがいいと思う と冷静にアドバイスもしている かつて監督は役者の生殺与奪を握っていた しかし今は……どうなんだろう 俳優が違うんだなと思っても監督にこうせよと言われればそうしなくてはならないのは今でも変わらない 指示された通りにやってれば安心するひともいるしイライラする人もいるだろう
監督との相性もある プロ野球でも監督との相性があるようだ
気持ちよくプレ-できれば成績も良くなるのは想像できるし逆も想像にかたい まあしかし芝居の場合相性がいい監督がダメ監督の場合はどうなんだろう
いろんな判断がむつかしい 最後のほうびっくりしたのは
葉山先生と別れの交接をした泉が葉山先生のものを手に取り舐め口に含んだりしているのだ 目を閉じてその部分に唇をつけたり口にふくんだりすると……云々とある 初めてのフェラの様子ではない では小野君にもしていたのか もしかしたら
泉のフェラが気持ちよくて小野君は別れたくないと泣きついたのか 人によっては挿入するよりフェラのほうが気持ちのいい場合があるからな R15ではなくR18だろうと言う人が居るくらいの激しい絡み 二階堂ふみちゃんは全裸でおっぱいもお尻も見せてくれた でもAV顔負けに激しかったのは土井志央梨ちゃん
AV女優と違ってさすが女優さんセリフで萎えさせられない 女優さんが全裸を晒してもおっぱいやお尻を見せてもいいんじゃあないかと思うけど
有村さんちの架純ちゃんんはちょっとやめてと思ってしまう 女優さんがフェラやシックスナインをしてもいいんじゃあないかと思うけど
有村さんちの架純ちゃんはちょっとやめてと思ってしまう 本当は行定勲監督 原作にあるような場面
有村架純がフェラしたりシックスナインしたりする場面撮りたかったに違いない 監督が自主規制したのか事務所のNGなのか知らないけどできなかったので次のリバ-ズ・エッジでやった もしナラタージュで有村架純ちゃんがそうゆう場面をやるとしたらファンとしては坂口健太郎君として欲しい
松本潤さんとは絶対ダメ もし松本潤さんが葵つかささんと結婚したら有村のファンはしてもいいと思うでしょう でも松本潤さんはしないよね するわけがない 目が死んでるもんね 葉山先生には余裕を見せていたい泉に乗り移ったように凛として
全然平気ですよあなたの私生活のことなんか知らなくてもと言う有村に
思わず怯えた表情を見せた松本潤 もし松本潤が葵つかささんと結婚したらお祝いに
有村架純はおめでとうと言って出すまでしてあげたでしょう 泉は希望していた東京の会社に就職し
葉山先生は東京の私立高校に妻の親のコネで入り込み
小野君は東京の高校の先生になった 工藤泉は有村架純
葉山貴司は松本潤
葉山美雪は市川実日子
小野怜二は坂口健太郎 この4人は変わらない
新たに工藤泉の結婚相手と小野玲二の恋人役が加わるが誰になるか楽しみだ それにしても
原作を読んでると不倫の話でも恋愛の話でもなくスト-カ-の話に思えてくる 不倫話をネタに有村架純が
松本潤と坂口健太郎の二人を相手に魅せる激しい濡れ場で客を釣ろうとしたのが大失敗 むしろ
松本潤をスト-カ-している有村架純を坂口健太郎がスト-カ-するという
Wスト-カ-話を売りにする方がよかったのだ 一つの映画にスタ-が何人か出ていたら
互いのファン同士が好き嫌いで相殺し合うから期待するほどの集客力はないんだ ファンと言うのは溜まった池の水のようなもので限りがある
流れる水のような一般の人を惹きつけないとなかなか大ヒットは生まれない 「私ではあなたの力になれませんか」
と泉が言うと葉山先生はきっぱりと首を横に振った 行定勲監督が松本潤をこの映画に誘うとき
普段の40%の松本潤で演技して欲しいといって口説いたのは
咄嗟に思いついたことに違いないと以前思ったのは間違では無かったと原作を読みながら思った えっ40%!? 結果的にこの悪魔のような囁きが殺し文句になったのだ 葉山先生はグズグズしているようではっきりしている時も多いのだ 番宣で有村が言ってたが
目の奥が無いとか目が死んでいるとか有村に思わせたのは松本潤のやりすぎ 原作で小野くんも「葉山先生はどっちかといえば社交的だね」と泉に言っている 東京近郊の街を架空の街にしたのは小川プロデューサー
松本潤に40%の存在感を要求したのは行定勲監督 興収一億にも満たず爆死したリバ-ズ・エッジもこのコンビ でう評価したらいいかわからない
分かることは映画は水物 葉山先生が普通の男で泉が普通の女で
東京が舞台のナラタージュだったら爆死していたかもしれないしヒットしていたかもしれない キャストも博打設定も博打 打ってみなくちゃあ分からない
目をつむって振ったらホ-ムランになることもある 振らなきゃあ可能性0 それは俳優も同じ
主役級の俳優はいつも評価に晒される 割と気楽だったとこにひよっこ
辛い目にあったおかげで耐える自信がついた 映画出演がしばらく無かったから気が休まっているかとおもったけど
DVDだの写真集だの責任を感じなければならないことやっぱり多いんだ スタ-になっちゃったんだからしょうがないけどあんたにぶら下がってる人多いもんね 本当は数字なんか気にしなくてもいい脇の脇でちょっと出て
キラッと光る架純ちゃんをいつも絶え間なく見ていられたらと
ファンとしては思うけどもう無理だからなあ 一方では
打席に立つ三番バッタ-有村架純のホ-ムランも見たいなんて好き勝手を望むのもファン この5月9日にナラタージュのブル-なんとかとDVDkが発売されるらしい 「純愛ラブスト-リ-」だって
上映されたときはたしか
「禁断の純愛ラブスト-リ-」じゃあなかったかな いつの間にか激しい濡れ場が歌い文句になりそれを期待して見に来た客もいただろうが
濡れ場らしい濡れ場は一つもなく期待はずれと文句を言うレビューもあった 禁断と聞けばそんな場面を想像するがないから禁断を取ったのかな 最初から純愛映画にすればよかったんだ ラブスト-リ-はいらない それはともかくほかのスレで映画ナラタージュの主役は誰かで口喧嘩があった >>549
文中のDVDKのKは余分 わかりきったことだけど念のため 原作は工藤泉の一人称で回想が書かれ
映画でも出ずっぱりな泉役の有村が主役かなと思うが
松本潤の著名度を考慮すればW主役が妥当かなと思ったが 5月9日発売の広告にはハッキリ
主演 松本潤 ヒロイン 有村架純 と記されている 主役ではないんだから有村架純のファンは数字を気にして買う必要はないんだ
もちろん買いたい人はかえばいい ナラタージュが発売される前の4月27日に
「有村架純 カナダ大自然の旅」が日本放送協会から発売されるんだって 4104円(税込) ちなみに ナラタージュ DVD5800円(税別)
ブル-なんとか6800円(税別) ひよっこの撮影開始からカナダの旅までまるまる一年
芯まで疲れきった拘束代なにで払ってくれるのかな 昨年秋のナラタージュからこっち映画がないとこを見計らっての企画ファンの懐具合も考えているのだろう カナダの旅ノルウェイの旅に比べいまひとつ元気がなかった 心配だ 写真集 ナラタージュ カナダ の全部買うつもりなら写真集に それが有村のためにいいだろう 愛は惜しみなく奪うというが愛は何を惜しみなく奪うのだろう だからヒトを愛するということは自分の時間を与えるということなんだ 泉は葉山先生を愛していたわけではなく言うならスト-カ-だし一緒に死んでもいいなん思っていない でも電車に飛び込むのを諦めたときこの人を好きだと思った 心の支えになった葉山先生を逃すまいとスト-カ-にならざるを得なくなった泉 しかし葉山先生に「私ではあなたの力になれませんか」
と言って迫っても首を振る葉山先生の指一本にも泉は触れることきできなかった 体調が悪いから稽古休むとクロちゃんから聞いていたので心配になって次の日も家に行ったが留守だった 彼が行きそうな場所を訪ね歩きようやく夜11時すぎバスタ-ミナルのベンチに座っている彼を発見した 「私に出来ることかなかありますかなんでもします」
「僕が一緒に死んでくれと言ったら」
「一緒に死にます」 それから葉山先生のマンションに行き例のシャワーの場面になる 歯がカチカチぶつかるようなキスだけしてバスル-ムを出る 彼の別れた奥さんに違いない感じのいい女の人の写真があった
「奥さんだった人ですか」と泉が聞くとちょっと黙っていたが「今でもそうなんだ」と葉山先生が言った 工藤泉がはじめて男性に接したのは何時で誰だったかはどこにも書いてないし映画でもわからない 小野くんが初めてだとは原作を読んだ限りでは思えない 高校時代葉山先生とはそうゆうことはなかったはずだけど 卒業の時例の社会科準備室で不意にキスされただけだよねえ 高校時代と大学に入ってからとがこんがらがってしまう 全編回想だから注意していないとわけがわからなくなる時がある 葉山先生としたのは最後の方
小野くんではなく葉山先生でもないとしたら誰?何時? 小野君と初めてしたあと
「小野くんがほかの女の子とそうゆうことをしている時を想像した」と泉は言った そうゆう泉は初めての時のこと初めての彼のことを思い出さないのかな まさか まさかのまさか泉も柚子ちゃんと同じ目に…… だいぶ前のことだが時々思い出すと衝動的に死にたくなる
葉山先生が現れ飛び込むのをやめた時もそんな時だった 葉山先生にまとわりついたのも葉山先生なら汚れたからだを清めてくれそうな幻想に取り付かれたかも もしそうなら
自分が死ぬ代わりに柚子を殺しその言い訳に新堂君宛てに長い手紙を書いたのだ 小説の冒頭
東京の映画配給会社に就職して数年たった泉は結婚する予定の男と巻尺を持って新居を見に行った 借りる予定のマンションまで行く川沿いの道を歩きながら
「君は今でも俺と一緒にいるときに、あの人のこと思い出しているのか」と彼が訊いた 「見えるよ。君に彼の話を聞いた夜から、俺は君を見ていてずっと思っていた」 じいっと立ちすくむように川を見ていると、ふいに、となりで黙っていた彼が口を開いた 「きっと君は、この先、誰と一緒にいてもその人のことを思い出すだろう。だったら、君といるのが自分でもいいと思ったんだ」 彼の言うその人のことは今でも呼吸するように思い出す
だが泉が思い出すその人は記憶の中に留め、それを過去だと意識することで現実から切り離している
そうでもしないと泉は今でも男に襲われた夜を昨日のように思い出してしまう 彼が都合よく誤解してくれたことにのっかり
行けるとこまで行こう と腐った生き物の匂いを漂わす川面を見ながら泉は思った 小野くんに土下座し逃げるように別れてきた泉の足元にしゃがみ込み地面を叩き
「何か方法があったはずだ」と自分をせめる葉山先生 てっきり妻に放火までさせてしまったことをくいているかと思ったがそうではなく
柚子をなんとかしいやれなかったことを責めているのだ モアの表紙26日発売のモアの表紙今までとはちょと違う大人の落ち着いた大人の印象 まるで不倫を誘っているような 不倫はダメ映画だけにしといて 可愛い可愛いと言っていたひよっこがいつの間にか
この写真を撮った人誰だか知らないが有村のこと好きなんだ 大人の女優が表紙を飾っている雑誌♪ 大人の男が買って何が恥ずかしい! 小野くんに押さえつけられ付けずに入ってきて振動したときあの時とそっくりだと思った泉 映画で泉が風をひいて寝込んでいるとき葉山先生が訪ねてくる場面 飛ばし飛ばし読んでるからわけがわからなくなっても来た すったリンゴを入れたスプ-ンを口元に差し出す葉山先生の目を見ながら口を開け
受け入れスプ-ンを咥えたままトロ-ンとした泉の目つきのエロいこと さがしていたら卒業式の後誰もいない教室でふいに葉山先生に口づけされた場面にでっ食わした ようやく体を離すと、葉山先生は途方に暮れたような顔をしていた。 「ごめん」
そのとき、すぐに謝られたことがすべてを物語っているような気がした。 それが一年半前、最後に顔を合わせた時のことだった。 もし胸を揉まれたりしたら泉はどうしたかな その辺を知りたい
葉山先生の行動より泉の反応を知りたい 葉山先生は胸なんか揉まないんだ
女性の胸なんか揉むのは葉山先生には似合わない 胸を揉むとかとか下腹部を撫ぜるとかそうゆう表現は最後までいっさいなかった 寝なくてももともとねちっこいのだけど寝たら余計ねちっこい 行定勲監督が工藤泉役に有村架純を定めたのがいつごろかは知らない 葉山先生役についてはあまり思案していなかったんじゃあないかと思う 松本潤ではどうかと小川プロデューサーから松本潤ではどうかと提案があったときすぐ乗っかったのは考えていなかったからなんだ 工藤泉の回想録なんだから当然泉がメインで泉役をする者が主演だと思っていた 小説の葉山先生は優柔不断の嫁姑問題で厄介なことになったごく普通の男で男から見るとあまり魅力的ではない その気を見せて擦り寄ってくる女生徒にも毅然とした態度をとれず
はたまた顧問をしている演劇部の生徒の自殺も防げす
周りの女を皆な不幸にしてしまうダメな男でとても主役にはなれない なのにメジャーな作品にしたいというプロデューサーの思惑に流されてしまったのだ だから始めの脚本からすると決定稿はまったく別物のようになっていたと推測される 工藤泉のわかりにくさは作者のわかりにくさがそのまま出ているのかも わかりにくい工藤泉役に有村架純を決めていたということは
有村架純もわかりにくい女だと思っていたのか 有村架純のわかりにくさは写っているしゃしんを何枚か見ればすぐわかる その時の精神状態が顔に出るから正直といえば正直なんだ それが有村架純の魅力でヒトを惹きつける源なんだけどね そこに行定勲監督も惹かれ工藤泉役には有村架純をと決めたんだ 小野くんが劇団をやめた話は原作のままのセリフをつかっている ただ会話している場所は違う
映画では高校の演劇部の部室だったと記憶しているが小説では小野君の実家で 小野君の実家は長野県の松本の先ハッキリ場所は書いてないがかなり田舎 黒川君小野君志緒さんそれに泉の四人でバスに乗って出かけた 小野君の実家は大きな家で
足を踏み入れたとき 初めて来た家にもかかわらず無性に懐かしい気持ちになった
と泉は書いている 次の日朝から芝居の稽古をしてお昼ごはんの後くつろいでいるときあの会話が交わされた 映画で小野君の実家に行く場面は
小野君のバイクで高速を走りどこかわからない場所に有る実家に行きひと晩泊まっている 小野くんがバイクに乗るのはあの場面だけだったが坂口健太郎はバイクの免許持ってるのかな この5者を柱におびただしい人や団体が関わっている映画 そのトップに出てくる主演俳優の誇らしさとプレッシャ- そして誇らしさにもプレッシャーにも縁が無いものがほとんどなのだ スタ-と言われる人につながるにはファンになるかアンチになるしかない
だからファンとアンチは本質的には同じなのだ 私の周りのお金を持ってるお年寄りは
旅行にはよく行くが映画を見に映画館に行くことはほとんどない 映画には無関心なんだ 興収なんて言葉聞いたことも見たこともない いまや旅行といえば海外旅行
シニアのみなさん旅券を捨てて映画館に行こう
海外旅行に使うお金を映画に使ってくれれば少子化も解消し日本の未来は元気になる 少子化の解消は言い過ぎだが少なくとも映画界は元気になる 冥土の土産に映画をと言いたいが女の人は以外にサバサバしていて
冥土より海外旅行のほうが興味があるようだ いずれにしても不倫も純愛もシニア層を惹きつける言葉ではないようだ 中高年層をシニアというらしいく高齢者はシルバ-と言うらしい シルバ-世代を惹きつける言葉はなんだろう 不老不死? まさか! ぽっくり逝く 苦痛も恐怖もなくぽっくり逝く
これがお年寄りの望み とは言っても本音は 死にたくない なんだけどね
死ぬならということ なんだかんだ言ってもナラタージュは死ぬなんてこと思ったこともない若い世代の話 でもナラタージュで
主人公の工藤泉は高校生の時自殺しようとして思いとどまりそれより若い柚子は自殺した 確かにそうだけど
泉の自殺願望は若い時にありがちなナルシシズムに過ぎず
柚子の自殺は歩道橋から飛び降りたというのがリアリティを損なっている 吉村昭氏の星への旅のような
幻想的な自殺ではなく衝動的な自殺だと思うんだがそれにしても歩道橋からは 試しに
近くの歩道橋から見下ろしてみたけど
飛び降りたら死ぬというより痛そうと思ってしまった 泉はナルシシストなのか?
誰でも程度の差こそあれそうなんだけど でなければ生きていけない 柚子の住んでるところにも
確実に死ねると思われる高い建物はたくさんあるのだからそこからと思うけど
登ってまで死にたいとは思わなかったよおだ 小野君と別れたいと思った理由を「あなたに、呼ばれた気がして」と泉は葉山先生に言った その前「ただ一緒にいてくれればいいんだよ」とすがる小野くんに
「小野君が私を見る気持ちとおなじ気持ちで私は葉山先生を見ている」と言って諦めさせた泉 行定勲監督がナラタージュのインタビューを受けている
なんで今頃とおもったらビデオの発売の宣伝に引っ張り出されたみたい ナラタージュの
ブル-なんとかとDVDとが5月9日に発売されるらしい
確か写真集も5月9日 ナラタージュの有村は主演ではないからなあ 借りてみようかな
写真集はもちろん主演 映画監督は映画で勝負せい
グダグダしょうもないこと言ってたら男が下がるぜ まえに戻るが
顔を見られたと思った男が柚子を歩道橋から投げ落としたと思うのが自然なんだけどなあ 新堂君への柚子からの手紙を読んでも柚子に関する新堂君の話を聞いても
柚子ちゃんが自殺するようには思えないんだ 思うにこの小説に出てくるヒトは生きにくいヒトが多いみたい
体育のなんとかいう先生も我が強くてそんな感じだし 母子家庭だった葉山先生の家
葉山先生の家が母子家庭だったことは映画には一切出てこなかったと思うけど
ひよっとしたら泉との会話にさりげなく出ていたかも 子供の頃父親が出ていったとあるがいくつの時かわからない
いくつの時かは重要なことだと思うけど いつもお金に困った生活をしていたという葉山先生
高校に入ってから三つぐらい掛け持ちでバイトをしていたと言う葉山先生 有村架純が母子家庭だったことはファンであればみなん知っていること たしか有村が中学一年の時別れたらしい
有村も高校に入ってから掛け持ちで週5位の割りでバイトをしていたという 有村の場合お金のことより両親がしょっちゅう喧嘩をしていたことが心を傷つけたようだ 葉山先生は両親の喧嘩のことは話していない
じゃれあうような喧嘩ならいくらしてもいいけど傷つけあうような両親の喧嘩は子供の心に深い傷を負わす 葉山先生が話さないのは記憶がないのか言いたくないのかどちらかわからない
あるいは子供の前では喧嘩しなかったかもしれない 葉山先生の場合両親の喧嘩より嫁姑のせめぎあいが深刻だった
最後は火付けまで至ったのだから 苦労して育ててくれた母をないがしろにはできない葉山先生 同居はできれば避けたいと言っていた結婚相手を説得して同居することにした葉山先生 結婚して一年ほどたって葉山先生がわかったことは
母は僕が思っているよりも強く、妻は僕が思っていたよりずっと弱かったということ と作者は書いてるが葉山先生は分かっていたのだ二人の力関係を、
わかっていたけどわからないふりをして火を付けさせてしまったのだ ちょうどひよっこで牧野親子が
気がついていたのに気がつかないフリをして由香の母親を過労で死なせてしまったのと同じ 気がつかないフリをしていたなんて言えないよね
とうとう最後まで牧野親子の口からそのセリフは出てこなかった 葉山先生も分からないフリをしていたなんて泉に言えないよね
ほかの恥ずかしいことはことは言えても 「その後母はそのとき親身になって世話をしてくれた人と再婚した」と葉山先生が言ったとき
「奥さんとは それっきり別れたんですか」と泉が訊いた このとき葉山先生は嘘を言った
後にその嘘を泉がはげしくなじったが話の流れからことさら嘘をいう気は葉山先生にはなかったのではないかと思う うんって頷いただけで声を出してうんと言った覚えはないんじゃあないかな 別れたことにしたほうが収まりがいいじゃあないか位の軽い気持ちだったに違いない 葉山先生という人は神経質そうに見えて実は物事を軽く考えるタチの人ではないかなあ 嫁が火をつけたことより
母親が再婚してくれ自分が面倒見なくて済むようになってやれやれと思ってるみたい つい先日テレビで撮影場所だった富山県の高岡と氷見の町並みや人柄なんか見ることができた そのまま架空の街でなく現実の街として
表舞台で良かったようないい雰囲気の街なんだ ひよっこに出てくる売れない二人の漫画家の出身地の設定が高岡なのは不二子・F・不二雄さんの出身地がここだから 大伴家持に由来する万葉まつりなんかもあり歴史も古い由緒正しい街なんだ 正面切ってここを舞台にしたなら全く違うナラタージュになったのは間違いない 出来上がったナラタージュはそれはそれでいいんだけど 高校生姿の有村架純が昼間この街を歩いてるところ見たかった 川沿いを陰気に会話しながら歩く葉山先生と泉が
新装なった富山銀行の本店の前を歩けば明るく未来を語れたのに 東京から逃げてきた先生と自殺願望を抱えた女子高生が出会いともに再生する物語でもよかったんだ プロデューサーは架空の街にこだわり監督は不倫物語にこだわったのかな 氷見からの海越しにみえる立山連峰は素晴らしい 一度実際に見てみたい これを撮ったのはたぶん3月頃で雪をかぶった山々が実に美しい ナラタージュの撮影は6月頃なのかはっきりわからないが
6月頃ならもう雪はあんまりなく頂きにちょっと残っているくらいなのかな 葉山先生のお母さんが幾つなのかはしらないが葉山先生は34歳だったかな
だとすれば二十歳で生んだとしても54歳 いい具合に結婚相手が見つかり都合よく結婚できましたね お母さんが結婚したから元の鞘にもどる話ができたんだろう 事件のあと母は一人で家にいられないほど怯えていたと葉山先生は言う まあ小説だから細かいこと言ってもねえ 大筋が面白ければいいんだ 映画では放火場面がでてきて葉山先生の妻美雪役の市川実日子さんの鬼気迫る演技が見れた 小説では結構細かく書いていたが映画では嫁姑の話はそれだけだと記憶しているけど 葉山先生は泉の前ではウジウジしてはっきりしないみたいだけど他ではけっこう闊達なんだよね 前に小野くんも言ってたよね葉山先生はどっちかというと明るく前向きな人だって 細部のリアリティが大きな虚構を支えるって言うけど映画ではどうなんだろう ひよっこの感想を書いてるうち
物語が始まる前のことと物語が終わった後のことに興味を持つようになった ナラタージュではやっぱり主役の二人
葉山先生と工藤泉の過去に何があったか知りたいし生い立ちも知りたい 知りたいけど教えてくれるはずもなし勝手に想像するよりない 母子家庭でいつもお金に困っていた みんな遠方にいる親戚は裕福でもなく頼りにならなかった 高校に入ってバイトをいくつも掛け持ちでやったとか
でも大学には行けたんだ そのへんのことはよくわからない よくわからないというより書いてない
いきなり大学を卒業してからという話になった 小説では卒業間際川沿いを歩きながらの会話だけど
映画で川沿いを歩いている場面で何を話したかほとんど覚えていない どうも場所が特定できないから時間の経過も前後もあいまいになってしまうようだ レンタルで見た。若い頃は失恋の寂しさから自分を崇高してくれる男と付き合ったりは良くある話し。で、やっぱ、つまらなくなり別れを告げると当然激怒りして面倒な事に。 危険を知らせ電話してるのに、ここぞとばかりにダダこねるような男なんて、そりゃ冷めるわなと。バイクあんだろみたいな。 結局、皆、片思いだったという話し?
皆というか葉山先生は違うか。 >>805
工藤泉は愛を求めただけ
愛は惜しみなく奪う
奪われるのが嫌な葉山先生が逃げ出しただけ >>806
他人事とは思えないダメさ加減の小野君を坂口健太郎が好演している 映画は映画館で見るのと思っていたけど必ずしもそうではないみたい 映画館で7回見た映画をレンタルで見たらわからなかったところがよくわかった すぐ巻き戻して見れるからだと思うし
表情なんかも停止して見れるから顔中舐めるように見ることができ楽しい でも映画館で見ていると
あれ今の場面どうだったのかなもう一度と巻き戻しを期待してしまう自分がいる
集中力に限らず便利さに頼って五感がだんだん退化しているのかも ヒトは生き続けるために五官を退化させ五感を鈍くしているんだ それにしても都会の高校生工藤泉といい田舎の高校生谷田部みね子といい
それぞれの高校生姿になんの違和感もない有村架純 特に葉山先生に付いて川辺を歩く泉の表情は子役を使っているかと思えるような幼さ ビデオを見てはっきりわかったのは
その一回目に歩いた時の会話は奥さんが家の物置に放火したことだった 「奥さんとは、それっきり別れたんですか」と訊く泉に
うんと頷いた葉山先生は映画では「別れた」とはっきり言った ところが小説では うん と言っただけで別れたとは言っていないのだ ふと思ったのは 俳優さんは撮影に入る前に
台本は当然読むだろうが原作があれば原作も読むのかなあということ まあ読む人と読まない人とがいると思うけど
読むほうがいいのか読まないほうがいいのかどっちだろう ちなみに
小説では川沿いの道を歩きながら云々とあるが
映画はどう見てもゴミだらけの川辺で道ではないよね 汚い川沿いからすぐ広い海に出たね 何か象徴しているのかな ちょっとよそ行き風のノ-スリ-ブでの服を着た泉と小野君が
芝居を見た帰り食事をするため入った店のテ-ブルに向かい合って座った 場面場面の衣装は誰が決めるんだろう 脚本家が指定するのかな
指定する場合もあるかもしれない この場面はどうしてもこんな衣装でとか でも殆どの場合監督と衣装係が相談して決めるような気がする ノ-スリ-ブで胸元は上品にえぐれ肌に優しくまつわる生地で作られたワンピ-スを着た泉 むっちりしたむき出しの二の腕は男なら誰でも触りたくなるエロさ いてもいないって答えちゃうよなあ そして部屋に誘った 靴を作っているから見て欲しいと誘った
小説には全くなかった靴作り こういうのが映画的なんかな 靴を見に行く 女が男の部屋に行く正当な理由になった そしてあらかじめ泉に合わせて作っておいた靴を履かせ抱きしめた いままで何回も見ててわからなかったことを音声ガイドが教えてくれた 運転席に座っているものの泉が運転しているとは見えない まっすぐ前を向いて黒目が動かない
運転していれば黒目はバックミラ-やサイドミラ-を見たり前方の飛び出しなど注意して常に動いている それに今まで一度も運転している姿を見せていないとこみるとたぶんペ-パ-ドライバだろう 普段運転している者でも雨が降ってる夜は怖い
自殺行為と言いたいがほかの車をまきぞいにしかねない他殺行為だ 有村は夏美のホタルのバイクシ-ンに備えて中型の免許を取りに行ってたが間に合わなかったみたい
むろん普通免許はない だから運転する感覚がわからない有村扮する泉は運転しているふりもできない 周りの者が教えてやらないと せめて目線はあっちこっち見るんだよくらい
人形が座ってるみたいだよ 義父と会って妻の近況などを聞いて動揺したところにお酒
車の運転ができなくなって泉に助けを求めた 葉山先生は泉が運転免許証を持っていることしってたんだ
葉山先生くらいじゃあないのこの世の中で泉が運転免許証持ってるのを知ってるのは やっぱり有村に免許とらせたほうが今後のこともあるしいいんじゃあない ひよっひ終わりが絶好のチャンスだったんだ
どこかの放送協会お仕着せのカナダ旅行 疲れが取れていなかった 断れよ 写真集をどうしても出したいなら
教習しているところを適時混ぜながら撮ればよろしい 大学への通学とか今回のような前の高校への足とか
葉山先生ちとか小野君のマンションとかの行き来にも便利
気分転換にもなるし泉を原付に乗せよう そして小野くんに教えてもらい中型免許とって二人でツ-リングに出かければ気分爽快
鬱陶しい葉山先生のことなんか雲散霧消間違いなし 828で歩いているのは川辺ではなく河口なんだ
流木やゴミは上流から流れてきたのではなく海から浜辺に打ち上げられたものなのだ 屋上から海が見える
高校があんなに海に近いとは知らなかった 河口を歩く葉山先生はコ-トを着て手はポケットに
あとに続く泉はスカ-とが風に揺れる制服姿で寒そう >>840
小説では将来の希望は中学校の教諭教えるのが好きみたい 部屋に誘った文句は
予定していたバイト代が遅れて今お金がないからお金のかからな俺の部屋にいかない? カッコ悪いみたいだけど泉のような女の子にはこっちのほうが受けるかも 誰かが言ってたけど 小野くんってプライドの高い自信家みたい 小野君の腕を解き帰りますと言って出て行く泉 外は雨だった
外階段をゆっくり降りていく泉を追いかけない小野君 スト-カ-らしき男に後を付けられた泉が
小野くんに助けを求めたか押し問答をしているうち電池が切れた 俺ならそこに心配でじいっとなんかしておれずに闇雲に探し回るが小野君は探さない 靴を脱いだ泉が素足で冷たい石畳を踏んで歩いていく後ろ姿を黙って見送る小野君 靴を持って追いかけ履けって言うよね普通
履かなければ力ずくでも行かせないって言うよね普通 >>872
この場面のすぐ後に映画館の出口で雨を見上げる泉に傘をさし掛ける葉山先生
駅まで相合傘の二人の場面を撮りたかったからしょうがないけどね 現在と過去がコロコロ入れ変わり頭が混乱して筋がよくわからなくなる 書き落としたけど小説の泉は車の運転は一回もしていない
たぶん運転はできないんだ ちなみに志緒の恋人でもある同級生の黒川くんのことは黒川って呼び捨てにしている 小野くんに対する呼び方だって
玲二って呼ぶのが抵抗あるなら玲二君って呼べばいいだけのことだと思うんだけど何でかわからん スト-カ-の件で小野君と口論したあと泉はフラフラしながら葉山先生の家にたどり着く ちょうど帰ってきた葉山先生に車で送っていくからと言われたが
それはダメですと断った泉は自転車を貸してくれという そして結局泉は小説では自転車を借りて帰り
映画では葉山先生が呼んでくれたタクシ-で帰ったのだった 原付を借りられたら一番良かった 葉山先生が通勤に使っていたとして >>865
番宣で 水に濡れるシ-ンが多くて寒そうにしていたねと松本が有村に言ったけど
この場面でコ-トをかけてやる気遣いもなかったんだ >>892
日本海に面した北の街では夏でも肌寒い日がある 閑話
葉山先生と小野君ではなく松本潤と坂口健太郎の二人
この二人のうち有村架純が付き合うなり結婚するなりするとしたらどちがいいだろう 松本潤はイメ-ジが悪すぎる
噂だからかなり尾ひれはついているだろうが…… 坂口健太郎に関しては初めて知った月9の役での良い人のイメ-ジがそのまま残っている
特にメイキングでの森川葵との掛け合いがよかった 濡れ場で有村が下になり男が上からキスをするとき
坂口健太郎には唇を少し開き気味に受け入れる姿勢なんだけど
松本潤には口を結んだ状態を崩していない >>893
河口のシーンの撮影は汗だくだったとコメンタリーで話してるんだが
スローで何度も確認する割にはコメンタリーは聞かずに悪く言うわけね
呆れる >>902
松本潤ヲタなの? ごめんね
そのコメントは知らない
大阪朝日放送の番宣で松本潤が言ってたことと私が映画を見た感じを言っただけ ついでにこれも大阪だけど毎日放送の番宣
本当は問い詰めたくても全然平気ですよ私はというふうに凛として葉山先生の前に立つようにしていました
と泉としての心構えを言ったのだが
松本潤は私生活を有村架純になじられたような顔をしていた 葵つかさと結婚すれば松本潤は男の中の男になれるんだけどね 前から思っていたことなんだけど
工藤泉はいつどこで誰と初めてやったんだろう この物語が始まる前の話なんだ だから想像するよりない とにかく不倫と濡れ場が売りの映画なんだから
ヒロイン工藤泉の経験を知っておくことは大事なことじゃあない? 前にも書いたことなんだけど改めて
二年間一緒だった親しい友達が転校して三年生になって新しいクラスなに馴染めず云々…… その親しかった友達が男だったら!転校したのではなく自殺だったら! 初めての男が目の前で電車に飛び込んで自殺したとしたら新しいクラスに馴染めないどころの話ではない その衝動に駆られたときホ−ムに現れた葉山先生を見て止めた泉 小説では舞台は東京近郊で泉は電車通学をしていたのだった だから葉山先生も同じ線で電車通勤していたことになる 映画では校舎の屋上に濡れて立ち
死ねなく降りてきたところで演劇部に入らないかと葉山先生に誘われる 小説では
二年の時から演劇部に入っていた泉が三年になったとき赴任してきて演劇部の部長になったのが葉山先生 死のうと思ったホ-ムで葉山先生を見てこの人好きかもしれないと思った泉 なんのこっちゃ 演劇部に誘われ私にはこの人だと思った泉 なんのこっちゃ 泉は自殺した男友達の代わりを葉山先生に求めていのかも とすれば葉山先生
毒をもって毒を制すみたいにバランスが取れ泉といることに居心地がよくなったのかも ドラマとか映画の中の嘘と言おうか間違いと言おうかありえないようなことはどこまで許容されるもんだろうか 例えばこの映画では社会科準備室というのが頻繁に出てくる まあゆうなら社会科の先生の控え室と言おうか休憩室のようなもんだと思うが
主に昼休みに泉が頻繁に訪ねて話し込んでいる そのとき葉山先生以外の先生が一人も姿を見せたことがない この学校では社会科の先生は葉山先生だけなのか そんなことはありえない 葉山先生がほかの先生に昼休みには準備室に来ないように頼んでいる そんなこと言えるわけがない 何かもっともな理由があるのだろうか一向に思いつかない 社会科準備室の場面がなくてはこの映画が成り立たないほど重要なのは自明なこと
街を架空の街にしたのとはわけが違う だけどその超法規的措置がどこまで許されるかということ まあ法的にアウトということは殆どないんじゃあないかな でも思想的とか宗教的とか任侠的とか権力的とかの一線を超えるとやばいことになる もちろん一線を越したらやばいことになるのは映画に限らないけどね 一線を越さないよう自主規制やりまくってるんじゃあないかな 常に耳目を張り巡らし自主規制を監視しまくっているそれぞれの部位は
強固なように見えて案外脆いのかも 本体ではなく部位なんだから 言うまでもなく本体があってこその部位なんだからね ドラマでもあんなことありえないとか間違っているとか批判されることはよくあるけどそれでどうこうなることは殆どない 葉山先生が移動を申し出ようかと思っていると泉に言った
小説の高校は移動がある公立の高校のようだ 映画は私立の高校 奥さんのお父さんが学校のことでは力になれると思うと言っている 東京に帰ってくるなら力になれると言えるほど顔がきくんだ 職業はわからない もしかしたら会社を経営しているかも 東京にある奥さんが物置に放火した家は誰の家なのかな 葉山先生が結婚したのはまだ30前のはず
母子家庭でいつもおかねに困っていたんだ 自力で家を持てるとは思えない アルバイトはしただろうが奨学金も借りたかも
借りたとしたら教師になってから返すのにいっぱいで貯金をする余裕はなかったはず 普通に考えれば奥さんの実家がお金を出して葉山先生と奥さん二人の名義かな?
贈与税の話はペつにして 名義外されると違う 法律的にはどうするか知らないけど 奥さんにではなく家に執着があった そんなことないだろう そのほうが本当らしいけどそんなこと言ったらこの物語がぐちゃぐちゃになる もしそうならいつも煮え切らない葉山先生の態度も納得できるけどね もし土地は葉山先生のお母さんの名義だとしたらどうなる いつもお金に困っていたほど貧乏で
家も雨漏りがひどく半分傾いているような家だったが借家ではなく持ち家だったのだ むろん土地も 結婚を機にボロ家を取り壊し家を建てた 頭金は美雪さんの実家が出してくれた たしか美雪さんも教師をしていた
二人で働けば教師の給料は結構いいからロ-ンは無理なく払っていけたはず そんなある日突然美雪さんが学校辞めるといいだした よくある人間関係の縺れ それまで平日は仕事で家にいなかったのが終日嫁と姑が一日中顔を付き合わせることになりお互いうっとうしくなった 嫁と姑は似たような性格で互いに譲らず激しく口論するようになってしまった
そして嫁より姑ほうが強いことを葉山先生が気付く前に事件は起きた 放火の場面が写ったが物置が玄関の斜め前にあったような記憶がある
珍しい配置だ 物置はたいてい家の横か裏にある
普通なら車庫になる場所に物置がある まず試しに物置に火をつけたらしい
火をつけるって簡単に言うけどライタ-やマッチだけでは付かないよ ちなみに美雪さんが仕事をやめたとき家のロ-ンは美雪さんの実家が
これからは葉山先生の給料だけで生活していかなければならないからと言って一括して返済していた 土地の名義は従来通りだろうが家の名義が誰になっているかは知らない 家の名義が美雪さんなら燃やすのはもったいなくて物置に火をつけたのかもしれない あの家今どうなってるのかな 土地と建物の名義が違うと売りにくいんじゃあない ホントのところ土地が誰の名義かわからないが
姑が嫁に強い態度を取れたのは土地は自分のものという裏付けがあったからだと思う 根本的には性格だとは思うけど しかしすごいよねえ 物置の次は姑ごと家を燃やそうって思っていたというのは
でもそれくらい痛めつけられていたっていうことでもある もともと姑と暮らすことを嫌がっていた美雪さんを説得して
一緒に暮らすことにしたのは葉山先生なんだから責任感じて当然で自分から離婚なんか言いだせないよね 母子家庭で母親が苦労しているを見てきた息子が一緒に暮らしたいと思うことを非難できないけど
それでもそのあたりのことを丁寧に詳しく話せば泉は納得して葉山先生との距離を適度にとれたと思う スケベ心があって別れたなんて言いながら泉を抱かないのが葉山先生のずるいとこ だから小川プロデューサーは葉山先生役に松本潤をと閃いた? そんなことはない
メジャーな作品にしたくて松本潤を引っ張り込んだんだよ間違えないで ドラマや映画のなかのご都合主義と許容範囲についてあれこれ時間つぶしに思い巡らしている ナラタージュのご都合主義が目に付くのは架空の街についてなんだろうな 思うに社会科準備室も架空なんだ
架空だから他の先生が入ってこないのは当然なんだ 高校時代の泉がどこに誰と住んでいるのか分からない 一人かも知れないが
原作では両親と三人でマンション暮らし このスレッドは1000を超えました。
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