ナラタージュ有村架純その4
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主役ができるような役者をチョイ役でつかう
社長ができる器の人を守衛に使っているようなもの
ちょっと違うみたいかな 才能に恵まれているのか 運に恵まれているのか 人に恵まれているのか
何だかわからないがとにかく恵まれている 夜自分のアパ-トに帰るときスト-カ-みたいなのにひつこく跡を付けられ
怖くなって小野くんに助けを求めた 喧嘩したばかりの小野くんがおかしなことを言うので
苛立った泉は衝動的に葉山先生の家に向かった なんとか葉山先生の家に着いたとき折りよく帰ってきた葉山先生はボロボロの泉を見てびっくり こんな夜遅く自転車は危ないからと躊躇するがそれなら歩いて帰るという泉に仕方なく貸す 映画では葉山先生が呼んでくれた富山ナンバ-のタクシ-で帰る泉 自転車で高校まで通勤していたことが分かって何か葉山先生が実在するように思えた 自転車のサドルにまたがる泉 自転車のペタルをこぐ葉山先生 なんかいいなあ でも自転車で向かい風は辛い 人生行きも帰りも向かい風 映画夏美のホタルは主人公河合夏美の人格を原作の小説と変えてしまっているが
ナラタージュの主人公工藤泉の人格は変わっていない もうひとりの主人公葉山先生は人格が変わるというほどではないが結構
おやっと思う違いがところどころにある 漫画にしろ小説にしろ原作がある脚本及び演出で一番やってはいけないことは主人公の人格を変えてしまうこと 主人公の人格を変えてしまうと原作と映画は似て非なるものになってしまう 映画化を承知した時点で原作者はどうなろうと覚悟をすれば済む 主人公のファンがいる
ファンにとって主人公の人格が変えられるということは殺されたと同じことなのだ 内田康史さんという方の
映画はこうして作られる---映画プロデュ-サ-の仕事という記事を読んだ だいたい思っていたことから大きく外れることはなく特に興味があった監督とプロデューサーの関係について
監督は作る人プロデューサーは売る人だがプロデューサーは両方できる方が望ましいといっている 意外だったのは撮影したフイルムを切り貼りして一本の映画に編集するという作業があり
当然監督がやるものと思っていたが必ずしもそうではないということ それが編集権なんだが監督がやるのかそのほかの例えばプロデューサーがやるのか
あらかじめ決めておかないと揉める場合があるとも言っている 編集によってはまったくべつな映画になってしまうので編集は大切な作業らしい
クランクアップから上映までかなり間が空いているのは特別な事情がある場合意外は手間のかかる作業だかららしい まず最初に企画立案という作業から始まるがナラタージュの場合
行定勲監督が脚本を持って小川真二プロデューサーを訪ねてきたところから始まった プロデューサーの目で脚本を読む プロデューサーの目と監督の目は違うんだ メジャーにしたほうがお金を集めやすいと思い松本潤の起用を行定勲氏に提案する お金を集めるのがプロデューサーとしてもっとも重要な仕事の一つ お金がなくては何も始まらない 監督はお金のことはあんまり考えない ただ作りたいだけ 松本潤を引っ張り出すための交渉は行定勲監督が行った
本来なら小川プロデューサーがやるべきところなのかな
この辺は曖昧でわからない 本来なら脚本がないところから原作を選び脚本を書かせそれを持って資金集めに奔走するのがプロデューサーの最初の仕事なんだ 原作から選択したり脚本が持ち込まれたりプロデューサーの能力が試されることばかりなんだ 有能なプロデューサーの手にかかれば何でもヒットするわけではない ナラタージュに続いてコンビを組んだ小川プロデューサーと行定勲監督の映画リバ-ズ・エッジは大コケ模様 小野くんは靴職人を諦めて長期未解決事件捜査班で事件を解決するらしい
DODAで転職との事 小野君が靴職人を目指していたのは映画だけ
泉に土下座させ靴を脱いでいけと強要する場面を強調したいための設定 泉が小野君と付き合った理由は原作を読んでもわからない
よくある成り行きとしか言いようがない 小野君が泉と付き合いたかったのは好きだからだがどこが好きなのかはわからない もちろん若い小野君だから泉とやりたかったのは確かだ 工藤泉の肉体的描写は今まで読んだ中には見当たらなかった 工藤泉の回想禄だから自分の思いなんかは随分くどいほど書かれているが
肉体について書かれていないのは当然といえば当然なのか 映画の泉は有村架純だから小野くんがやりたいと思うのは当然だ ナラタージュの有村は胸を盛っているという人がいるが紅白の揺れる胸は本物みたい まだ付き合う前小野くんが誘ってバッティングセンタ-に二人して行った 打球を勢いよく飛ばし終えた小野くんが見ていた泉に
「退屈じゃあなかった?」と聞くと
「自分でやるよりも、上手い人がなにかやるのを見ている方が好きなんだ」と言った なんか泉の性格をよく表しているセリフみたい
観察するのが好きなんだ
葉山先生の観察に飽きて小野君を観察する 泉のセリフは男みたいで
セリフが続くとどっちのセリフかわからなくなって読み返して確かめることがある 小説を読むときは飛び飛びに読む癖が有り
また戻ったりして行ったり来たりするのでなかなか前に進まない 付き合い始めてからまた飛ぶといきなり もう寝たくなかった という文字が見えびっくりした 男でも女でも相手と寝たくないと思うようになったらおしまいだ ただ二人ともそう思うようになれば円満に別れられるが
一方に強い執着心があればややこしくなる 葉山先生の観察に飽きてと書いたが飽きたのではなく疲れたのだ
わかろうとしたがわからないので疲れ小野君の体にもたれ休憩していたのだ 休憩時間が終わってベルが鳴り葉山先生の授業が再び始まった いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
時間がある方はみてもいいかもしれません
ネットで検索するといいかも『蒲原のロロムムセ』
FJ8WB 原作者が脚本も書くのがいちばんいいと思うけどどうなんだろう 脚本家は嫌がるだろうが映画化を許可するとき契約条項にいれたらいいのに 漫画家は文章は書けないかもしれないけど絵コンテに書けばいいじゃあない 架空の街にふっと現れたような少女をひとり迷わせるためなのか 特に高校生の泉はまつたく実体がない
葉山先生の幻想の中にだけ生きてるような工藤泉 小説では葉山先生との場面より小野君との場面のほうが多い しかも相当回やっている
なのに最後まで小野君を名前で呼ばなかった工藤泉は相当偏屈な女ではないのかな 小説では工藤泉の魅力が特に女としての魅力が伝わってこないんだよなあ 映画では有村架純だから
高校生から社会人まで文句なく男たちが泉に引かれる気持ちはわかるんだけど 観察好きで欠点をついて非難 寂しくなればそんなに好きでもない男と寝て紛らわせ
飽きたらさっさと別れ 疲れきった素振りで男をたぶらかす 何者の番宣で
一日だけ生まれ変われるとしたら何になりたいですかと聞かれ
有村架純になって男という男をたぶらかせたいと山田孝之が言っていた <<297は違法だと思いますからクリックしないでください 有村架純ファンの密かな願望
男をたぶらかす一面をかくし持っている女優有村架純 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています