>>154
私はあなたが「虐殺器官」に言及したからそれを材料にして目的論的思考について説明しているのであって、
「虐殺器官」というアニメ映画が何を描いているのかを論じているのではない。

筋違いな質問には答えようがないから、私が議論の材料にしているのが映画のどのあたりにあるのかが
わかるようにしているだけだよ。

具体的には、「人類が干ばつやそれによる食糧不足を経験」が映画に表現されていることで、それが映画の
どの辺にあるかを書いている。その後の「(その)前から、あたかもそれを予見していたかのようであり」は、
私が提案した問題だ。

私は「虐殺器官」という映画の中で登場人物が語っていることだけを材料にして、その論理構成を
吟味したり、演繹的に推論可能なことの範囲を規定している。

人類がまだ食糧生産をコントロールできなかった時代に平和的に集団生活を営んでいた人類、
彼らが遭遇した旱魃による食糧危機、その状況に対して適応的に機能した虐殺の文法(を受け止めた虐殺器官)、
これらはすべて映画の中で言語学者が提示した仮説であって、私が創作したことは何も含まれていない。

私は、それに対して、「そうだとすると、この点はどう考えたら整合的に理解可能なのかな?」と
問いを立てている。


>しかもその辺りのやり取りは学習の結果を踏まえたという前提で為されてる。

それこそ、映画のどこに表現されているのかな?
登場人物の発言、言葉ではなくてもストーリーの展開で映像で描いている部分があるかな?

さあ、今度はあなたが答える番だよ。