例えば、映画や映像というものを見たことのない未開の地の人間には
映画という娯楽自体が理解出来ないだろうとされている
だって、映画を見たことがない人間にとってはまず「カットが切り替わる」というのが不自然だから
『さっきまでの映ってた男はどこ行ったんだ??』という違和感を乗り越えられない
だから映画の最初期にはそもそもカットというものがなかった

それが段階的に色んな技法が発明されて先進国の間で共通認識(ラング)になっていった
初期の映画では場面が切り替わるさいにはディゾルブ(前後のカットの画が重なりながらじわ〜っと変わるアレ)が基本的に使用されている
これは、初期の映画では何の前触れもなく映像が切り替わる「カットつなぎ」がある種不自然だったからとされている
しかし現代の映画ではもはやカットつなぎこそが当たり前になってる
ディゾルブやワイプは特定の印象を与えるイレギュラー的なカット、という位置づけになってる

君が言ってる「解釈の自由」ってのはこういう前提、法則すら無視した無茶苦茶なもの
『ミルドレッドが窓辺の虫を助けたからなんなんだ?だからって優しさの表現んとは限らない
 だって彼女は快楽的怒りの権化だから。その根拠は、自分は自分の王様だから』
こんな物言いが通用するわけがない。映画の表現史、ひいては文化がそれを許さない

どっかでくだらん浅知恵を埋め込まれたんだろうが、これ以上ひん曲がらないうちに少しは表現史を勉強したほうがいい
映画は素人が無茶苦茶に解釈していいほど自由な表現媒体ではない