バーニング 劇場版
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http://burning-movie.jp/
イ・チャンドン監督による2018年の韓国のミステリ・ドラマ映画。
『ポエトリー アグネスの詩(うた)』などのイ・チャンドン監督が、村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を大胆に翻案したミステリー。
小説家志望の主人公の周囲で起こる不可解な出来事を、現代社会に生きる若者の無力さや怒りを織り交ぜながら描く。
主演は『ベテラン』などのユ・アイン。ドラマシリーズ「ウォーキング・デッド」などのスティーヴン・ユァン、オーディションで選ばれたチョン・ジョンソらが共演する。 都内はTOHOシャンテのみだな
地方ではTOHO系中心の展開 スレなかったね
ありがとう
映画観たけど、ミステリーとかじゃなく、いつものイチャンドン節だった
良かったよ >>1乙
イ・チャンドンの映画には必ず登場する障碍者が見当たらなかった気がしたけど、
どこかにいたかな?
チョン・ジョンソ、いいなこの子。大人っぽい顔立ちなのに幼い顔も見せる。
新人とは思えないくらい演技が達者だ。声がかわいいのがちょっと意外。 オールドボーイといいこれといい韓国人は重要な原案を創作する能力がゼロなんやな 劇場版よりNHK版のがずっと村上春樹っぽいけど、
作品として完成されてて監督色が出てるのは劇場版だな
>>5
村上春樹のヒロイン象そのままって感じで可愛かったね(天真爛漫でメンヘラで儚げで魔性な感じ)
水曜日のカンパネラのコムアイに顔とか雰囲気似てる >>4
二作目はパク・シネと主演するけど結構楽しみ 原作読んでねーけど
クソみてーな原作がイ・チャンドンのおかげで傑作になったんやろ これ観ちゃうと、原作の「納屋を焼く」の女の子失踪の真相もジョンスの想像した通りだと
思えてきちゃうな。村上春樹にはそんなつもりは多分なかっただろうけど。 原作もちょっと不思議なテイストの短編だったけど、良い感じで膨らませて、換骨奪胎してたな
面白かった
「ビニールハウスを焼く」ということがまさか、「女殺し」のメタファーだったとは
ベンは「ダンスダンスダンス」の五反田君に似ているような気もする
自殺はしなかったけど、ジョンスを挑発して殺してもらったようなもんだもんね 詳しい説明サンクス
これで映画見に行くことに決めたわ 邦画だといろいろ説明しちゃうんだろうな って思いながら観ていたわ 最後の決行のちょっと前に女と寝てエロいこと
やってたのはなんなんだ? >>12
村上の原作と同じタイトルのフォークナーの短編では納屋を焼くのは主人公の父親なんだよね。
ジョンスは父親のせいで母親を失い、次にベンのせいでヘミを失う。
ジョンスのベン殺しにはちょっと父殺しが入っているのかもしれない。母親は後でひょっこり出てくるけど。 ベンは良心的な逃がし屋でカード破産したヘミを逃しただけなのに妄想癖の知的障害者ジョンスに逆恨みで殺されたのかと思ったぜ(笑) >>21
それはない
ベンは「ヘミと一緒にいるから出て来い」とジョンスを呼び出したでしょう?
「ベンがヘミを殺したこと」をジョンスは確信していたし、ベンはジョンスがそれを知っていることが分かっている
生きていることが退屈で倦んでいるベンはジョンスに殺されたかったんだよ >>19
大元のフォークナーは未読だ
読みたくなった
ありがとう ラストのことを言ってるならジョンスがベンを呼び出したんだが >>24
マジか
じゃあヘミが一緒だと言ったのは誰? テレビ版の終わり以降の劇場版独自部分は
ジョンスの妄想もしくは小説の中身と受け取ることもできる
ノーパソに向かっるところで終わってるのがヒントでもある 西森路代のイ・チャンドンインタビューが公開されてるね。
https://www.huffingtonpost.jp/2019/02/03/burning-film_a_23660418/
この中でイ・チャンドン自身がラストのアレについて「現実かどうかはわからない」と言ってるが、
そこはあまり本質的ではないと思う。ヘミの失踪の理由やラストのジョンスの行動を彼の想像や
小説だと受けとるのは映画の矮小化にしかならない。
主人公の経験が現実の出来事なのか小説なのかがあいまいにされている「笑う故郷」という
映画があったが、ああいうのが成立するのは現実であっても小説であっても本質的には何も
変わらないからで、「「バーニング」の場合、そういうわけにはいかない。この映画はジョンスが
自分が書きたいものを見つけて小説家として羽ばたくストーリーではない。
ジョンスの小説である可能性が100%排除されるという意味ではなく、観客がその可能性を
考慮する必要はないということ。 戦争犯罪国家の作家の原作を使用するとはなんたること 村上春樹作品特有のやれやれ僕は射精したが随所に散りばめられていてワロタ >>17
オナニーのおかず、想像、空想、パントマイムと同じで
この作品の根っこだと思った。 アフリカンダンスを踊り出してみんなが引いてたところは共感性羞恥でうわーってなったわ。しかも結構あのシーン長いし。 あと
前澤は剛力を殺したんじゃなくて
百万円をあげて外国に留学させた
、、、と思う
思いたい!
そうだったらいいのにな
そうじゃないからファンタ飲も そうそう
夢に投資する富豪だから外国で夢ある人を探してんだ
納屋を焼く=夢ある若者に投資
ないかw 夢ある若者に投資するお金持ちなんているのかよ
聞いたことないわ 原作であえてぼかしてある結末の決着をつけないでいられないのが韓国映画らしい
(善し悪しはともかく……おれが見た感じだといらない、というかない方がいいと思うけど)
火車でも同じようなことしてた >>10
アカデミー外国語映画賞ノミネ落選おめでとう そういえばベンの顔は馴染みがあると思ったらウォーキングデッド
ドラマ知らないけどゲームで毎日見てる顔だった 最後の
「あれ、ヘミいないの?一緒に会おうって言ったじゃん」
みたいな発言でベンのシロかクロかはっきりしない感じが
おかしなことになったよな。
え??その感じなのにぶっ刺しちゃうの?みたいな。 明らかに怪しいのに「彼女は消えてしまった」ですますのが日本
確たる証拠もないのに殺したと決めつけてぶっ刺すのが韓国
どちらにしてもやれやれだな 村上春樹も新訳を出していたカポーティの「ティファニーで朝食を」は、冒頭、ヒロインの
ホリー・ゴライトリーの消息を作家が知るところから始まる。サリー・トマト関係の
ごたごたで南米へ渡ったホリーがその後アフリカを訪れていたことがわかる。
「納屋を焼く」は「彼女」がアフリカから金持ちの青年を連れて帰国するところから始まる。
「彼女」がホリー・ゴライトリーの分身なのであれば、姿を消したとしても何も不審がる
必要はない。彼女はもともとそういう女なのだから。作家が彼女の行方を案じたのは、
青年から彼女が作家のことを信頼していたと聞いたことで彼女に無関心でいた自分を
少しばかり恥じたからに過ぎなかっただろう。
イ・チャンドンはご丁寧にヘミにネコを飼わせて、そのネコをジョンスに託しさえして
村上のパロディーを踏襲するが、ヘミはホリーとも「彼女」ともあまり似てはいない。 NHK 4K版は画像が明るく、劇場版とは別物だった。 井戸は何のメタファーで
どんな意味だったんですか?実際にあったんですか?
ヘミやジョンスの母は実際に井戸があったと言い
ヘミの家族や近所のおじさんは、ないと言っています。
ヘミは虚言癖があるように感じたのですが、実際に猫は居ました。 消える女たちにしか見えない井戸は男には見つけられない女たちの避難場所という隠喩じゃないかな 比喩なら
井戸に取り残されたヘミを助けたジョンス
リアルなら
枯れた井戸→(水のある)井戸なんてないと答える
枯れた井戸なら実際にあった
そこに落ちた
嘘なら
ヘミが嘘つき
おかあさんはいい加減 昔バーニングって同じタイトルで
13日の金曜日みたいなスラッシャー映画なかった?
ガキのいたずらで大火傷負ったオッサンが復讐惨殺劇するやつ
てっきりそれかと… 有ったよねバーニング
普通タイトル重なったら後続はサブタイトルつけるものだけれど…
納屋を焼くで良かった気がする 巨大鋏で人を襲う連続殺人鬼バンボロだっけ。
サランドラのジョギリ、バタリアンのオバンバと、テキトー東宝配給ならではのネーミング・センス。
バーニングという邦題だけはヒネってないのが逆に残念w そもそもヘミは本物のヘミ(ジョンスの幼馴染)なのだろうか
幼い頃とルックスは異なり(整形手術とヘミは主張)
井戸の思い出もブスと言われたエピソードもヘミの証言だけ
この映画は疑いだすと全てが疑わしく見える
監督の掌で踊らされまくった 終盤、ジョンスはヘミの部屋だったはずのアパートでパソコンのキーを叩いている。
ジョンスがパジュの実家に戻る前に住んでいた部屋は一度も出てこないから、
実はあそこはジョンスの部屋でヘミとの再会以下はジョンスの書いた小説という解釈も
成り立たないこともない。
そういう解釈はつまらないと思うけどね。 実際赤の他人の家(部屋)に居座るということはありえないし最初から自室だったというオチであっているのでは
現実と妄想と創作の境界が曖昧だけど 最も自明で表層的な読みはベンは人身売買業者(だから金持ち)ということなのだろうと思って観てたけどネット見たらシリアルキラー(少なくとも表層的には)という解釈が主流みたいで意外 作品は良いのに、都内の上映がシャンテのみなのがな…自分が見た時上映中ずっと天井から異音がしていたし… >>67
ビニール小屋は消えても誰も気にしない女の暗喩
ベンは2か月ごとにそんな女を探し手の内に入れ殺して臓器を売る
その女が身につけていたアクセサリーを戦利品としてコレクションする
あくまでもジョンスの推理で事実は全く分からないが 玉虫色の微妙なラインを突きそうで突かない感触を楽しむ作品で合ってんの?
原作未読で失礼極まりないが分かるんだが高尚過ぎる >>75
自分はわりと好きだったけどそれも分からんでもない
実際「ペダンチックなだけで何も言ってないよね」みたいな批判も見かけた >>71
たぶんジョンスは実母からのカネ無心電話だと思っている
しかしこれも事実は分からず
あの母親にはそんなデリカシーが無いように見える 父親があの家にいる時にも無言電話はあったのかな?
ジョンスが帰っているのを見計らってかかっていた?
母親は母親で誰かとよろしくやってそうだけど(息子と会ってるのにメッセージ見て嬉しそう)
そいつは金の工面はしてくれないのかな? ベン犯人説が有力っぽいけど、それだと途端に話が薄っぺらくなる気がするからジョンスの妄想説を推したい。
小説書くっていうわりに全然書いてるそぶりないし、ぼんやりした展望だけで何も実現できてない、不景気で先も見えない若者が成功者を目の前にしてどんどん拗らせていくっていう。
最後のシーンでベンが「ヘミはいないの?」って聞いてたのもその態度の軽さからも、表面的には事が起こってなくて、ジョンスの中だけで話が膨らんでたんじゃないかって気がする。 ベンがジョンスに異様に好意的なように感じるんだけど
ちゃんとフォークナー読んでるし
父親を憎み母親も恨んでそうなジョンスに自分と通じる暴力の欲動みたいなものをベンは感じていたのでは?
燃えるビニールハウスを見て微笑みを浮かべていた上半身裸の少年はベンかジョンスかどっちなんだろう
燃やされるのを待っていたのはベンも同じなのではないかと思えてきた >>82
ジョンスに殺される瞬間、ベンは嬉しそうな顔をしていたような
ジョンスとベンのラブストーリーというリーディングもありという感じ
ヘミは二人をつなぐ媒介 ベンは、ヘミを殺してるように思えないが、あの、ベンを殺してしまうってラストは陳腐に思えるな。
あと、ベンが付き合ってる女に化粧をしてるのもいらない。観客をミスリードさせてる。
むしろ、小説書き始めるところで終わったほうがすっきりするな。
イチャンドンの作品の中では、つまらない方だった。 生活に絶望している女たち=放置され朽ちて使う価値もないビニールハウス
っていう前提のもとなんだけど
ベンからしたら女たちをある意味この社会や生活から「解放」してやってるんだと思う
豊かな上流の生活を体験させて、死化粧を施してやるのがベンなりの恩恵で
無知で無価値な女たちはベンに運命を委ねる
だから殺しててもおかしくないし別の社会に売り飛ばしてるかもしれない
ベンがなぜか車で訪れていた湖の底に女たちが眠っているかもしれない
求めても手に入らないものばかりのジョンスがヘミに強く執着したからこそのあのラストと思う
好きな映画になった 村上春樹の小説には井戸がよく出てくる
ノモンハンの井戸の中で過ごした話とか >>87
>豊かな上流の生活を体験
上級国民たちはヘミのアフリカンダンスや免税品店店員の中国人客話を
興味深そうに聞くふりをしながら内心バカにしているし
ベンはこっそり欠伸をしてジョンスはそれに気づき共犯的な意識を共有する
ここらへんの残酷な描写はかなり巧いと感じた 尾行に使う車が独特すぎてバレバレだよね
ベンは知ってて泳がせたんだろうけど 最後に燃えてるのは、ビニールハウスだよ。
ベンは、殺されてないよ >>88
それは確かに対になるね
気がついてなかった ヘミの消息を辿ってバイト仲間の姉ちゃんと立ち話をしている時に
姉ちゃんの手首に例のピンクのスポーツウォッチが巻かれていたから、
「映画内ではプチプラ系の流行りもので案外女子はみんな持っているアイテムという設定なのかな、
この後何らかの形でジョンスが発見してもそれはミスリードかも」と思っていたら、
案の定発見されてた。
はたしてどうなんだろう。 ポルシェと軽トラの追いかけっこだけでこんなドキドキするとは
イチャンドンとんでもねえわ 幼馴染とは言っても一回エッチしただけでロクに知らない女を愛してると言っちゃってるのが物悲しい。
ジョンスってヘミのことを結局何も知れないままだし。 >>95
違うだろ。
ヘミが、同僚にプレゼントしたんじゃないのか?
って思わせる、監督の演出。 そう思わせておいて景品の超やっすいスポーツウォッチであそこの女の子はみんな持ってるんだろうな ヘミは腕時計をアフリカから帰国した時は着けてる
ジョンスの家にベンと来た時は着けてた?
あれが唯一ジョンスがヘミに渡したもので、ふたりの繋がり
あとは一回きりのセックスだけ
ベンが腕時計を戦利品として持ち去ったのではなく
姿を消す自分の形見としてヘミがベンに渡したものだったとしたら
ジョンスは気の毒だなあと思う 途中、コンテンポラリーダンスだかヨガっぽいような何かをやってるスタジオが出てくるシーンがあったけど、あれ何だったの?
スマホを見せて何かしてるようだったけど。 >>102
ヘミが最初に「パントマイムを習ってる」と言ってたから
近隣?のパントマイム教室に消息を尋ねに行った >>103
パントマイムだったのね。ありがとうございました。
見直したい部分が何ヶ所かあるわ。 原作ではパントマイム教室に彼女を探しに行くのは金持ち男の方。
だけど、ベンがジョンスにヘミは一文無しで友達もいないよと言うのは原作どおり。
つくづくかわいそうなジョンス。 >>61
> 幼い頃とルックスは異なり(整形手術とヘミは主張)
ヘミの姉だか妹だか見れば似ても似つかないから整形はしたんじゃないか >>61が言ってるのは
>>106が言うように、ヘミの家族とは似ても似つかないんだから
幼なじみとは別の女が「私はヘミだ」と主張していたかもしれないってことだよ
パントマイムのミカンみたいに、「幼なじみ」もいなかったかもという疑い 何が確かなのかがだんだんわからなくなっていくからね
解釈に任せられる範疇の話だから
真/偽の反転が「必要」かどうかは問題にはならないと思う。虚/実を感じるかどうかだけ 今日観てきた
極めて高い完成度の映画だと思う
すべてを理解できたとは到底言えないのに楽しめる(満足させられる)って凄いこと >>110 追記
こんな映画ばかりでも困るけどね
まあ正解は無いんでしょうな >>109
そういうサブテキストを仕込む理由がよく分からんのよな 「サブテキスト」の語義はよく知らないけど
ことさら仕込んでるというよりも
「ジョンスの小説とか妄想」と解釈したくなる要素があるように
観た人に様々な解釈を生起させるイメージやセリフがすごく豊かな作品だと思う
作り手の意図を意識しなくても観た方でいろいろ考えて楽しめる豊かさというか
自分は61みたいには疑わなかったけど
観た人がそれぞれ取る解釈からそれぞれに味わえる奥行きがこの映画の素晴らしさなのかと 解答がわかる楽しさより
問いかける楽しさと言ったらいいのかな
連レスで失礼 「真実」と「事実」の違いを考えさせられた
ジョンスが辿り着いた「真実」が「事実」とは限らない
そもそも「真実」とはなんなのだろう
普段は哲学しないのにこの映画を観てから哲学しちゃってる 化粧シーンだけど、リップに毒か睡眠薬が入っていて、、、ってことかなと思った
ポルシェごと燃やすのは五反田くんがマセラティごと海に沈んだのとかぶった
無言電話は闇的なものとの通路を暗喩してて、お母さんが出てからはもう闇側に行ってしまっているのでは。ダンスダンスダンス的な
猫は他人の前には絶対に姿を見せなかったはずなのにベンの部屋では隠れていないので、違う猫だと思う
帰ってこない女の子と猫も長い放尿も典型的なハルキ節
井戸は存在を気にしていない人には気づかれないことものの暗喩かも
ベンの丁寧な料理シーンがみたかったな
農村風景がきれいとの感想が多いけど、田舎者としては普通に見えた
女の子の裸も、女のわたしからみたら普通に見えた
対南放送も訳してほしかった >>90
あの店でヘミのダンスを見てるスノッブ達が、
ハルキスト(ノーベル賞発表の日にワインバー?に集まってた人々)
に見えてしょうがなかった。
思い過ごしか。 主人公の父親も火病のようだね。
韓国人特有の火病の原因のひとつが、
苦しい競争社会にさらされる庶民のルサンチマンを、
少数の世襲富裕層の存在が刺激し続けるから、
というメタファーなんだろうな。ビニールハウスを焼くというのは。
ところで、ヒロインが魅力的だね。
水川あさみを若くして、更に可愛くした感じ。
しかも、ちゃんと脱げるのがいい。胸だけしか見せてないのが残念だけど。
こういう娘こそ、日本語覚えて、日本の映画にも出て欲しい。 世界の映画人に多いが、この監督もきっと左翼なんだよ。
ベンが古いビニールハウスを焼くのは、
世襲富裕層の振る舞いがしばしば、庶民のルサンチマンに火をつけて、
火病が多かったり、暴動が起きそうになったりするメタファー。
ジョンスがポルシェと共にベンを燃やすのは、
暴力革命で財閥支配を打倒するメタファー。
着てる服を全部燃やすのは、奴隷服を燃やして、新しく再生するメタファー。
舞台が北との国境というのも意味深だ。
自由民主主義の俺なんか、容共左派政権下の彼の国の危うい気分をこの映画にかんじてしまう。 >>120
フィッシュマンの涙見ました?
監督作品ではないけれど、ロウソクデモを予見しているかのようなシーンがあったり、今の韓国を俯瞰して捉えていて面白かった 年末にNHKでTV版をやっていたんだよね
原作未読で何となく見ていたんだけど
圧迫感と不安感と不穏感がハンパ無かった
ストーリーは難解で良く解らなかったけど印象深くて覚えているよ >>122
宇多丸は、小説書き始める以降が小説内の出来事解釈だったな。
たしかに、ベンが化粧箱を取り出して女に化粧するってのは、それまで、ジョンス視点からでしかなかったのが、
でしかなかった流れが、ベン視点に変るんだよな。 ベンがコンタクトをつけるところからの場面は確かにジョンスが知り得ない視点だね
あのシーンだけは異質
切り替えスイッチなのかな 面白かった。愛知県だから上映館が複数あって助かった。
キーボードをたたくシーン以後は、ジョンスが書いた小説をベースにした劇中劇で、小説家になったことを暗示していると思う。
私の中の根拠は、『グレート・ギャツビー』で、主人公がどういう死に方をしたか。(2009年に韓国語の新訳が出て話題を呼んだとか)
妻をギャツビーに殺されたと勘違いした男が、ギャツビーを射殺した。
イ・チャンドン監督が村上春樹を解釈するにあたって、フィッツジェラルドやカポーティを参照したんだと思っている。 なんで愛知県は上映多かったんだろうか
韓国映画やってもガラガラが多いのに ヘミの部屋でキー叩くシーンの前後ってどういうシーンだったっけ? >>118
そもそも韓国映画ってめちゃめちゃ可愛いアイドル女優もガンガン脱いで、
「シーツ被ってのペッティング」とかじゃなくてちゃんとファックも普通に演じるじゃん
正直、そこが俺が韓国映画が好きな理由の一つだ! >>130
邦画が異常なんだよ
ブラしたままセックスする不自然さとかノイズでしかない 最近の日本の若いトップ女優級では、二階堂ふみが突出して度胸決めてるよな。
昔は、松坂慶子とか田中祐子とか樋口可南子とか、トップ級の綺麗どころがヌードを披露したのに。
コマーシャル依存が日本映画の幅を狭めてる。 オマンコにチンチンが入るとこまで丸写しになる時代が来るといいですね 群像劇である邦画さよなら歌舞伎町でイ・ウヌは脱ぎまくり
セックスシーンもがんがんあるのに歌でデビューを目指す前田敦子は全く無し
デビューのため有力者と寝るのだが肝心のシーンが無いため
積極的に枕する強か女なのかいやいや寝る純情娘か全く分からず
事務所ガー、だったんだろうな 村上春樹の小説を読んだ時に感じる食い足りなさをうまく補っていた様に感じた。
春樹的テーマをきちんと解釈再構成して「ヤレヤレ」した感じがしなかったw >>129
ヘミの部屋?で女(ヘミ?)にちんぽ擦って貰う妄想?
の後、パソコン叩く。
パソコン叩くショットを窓の外からずーっと引いていくショットで、町の全景。
次がベンの部屋だったと思う。 原作は読んでない
そんなに好きってわけじゃないけどトントン拍子にヤレちゃって彼女できたーって思ったものの、
そんなんだから向こうはすぐに他の男になびいてしまい、こっちはなんかモンモンとする
程度の差はあれどあるあるだわーw 井戸がない事を忘れる。
↓
猫が居ない事を忘れる。
↓
ヘミが居ない事を忘れる
↓
小説を書く 字幕でサン人となってるところ原語でブッシュマンと言ってる様に思えた。
ブッシュマンという表現に問題あるのか、単に字数の問題なのか。 ブッシュマンって蔑称だからね
映画の題名もコイサンマンに変わったし 元ハルキストだけど観てきたわ
原作は大学でレポート書くくらい読み込んだんだけど、すっかり忘れてた
とりあえず原作の主人公は金には困ってないしそんな女にも執着してないから乾いた感じが出るけど
今回は貧富の差をハッキリさせてたしめちゃくちゃヘミに惚れてるから陰鬱になってたな
韓国経済が追い詰められてるのを反映したんだろうけど結構見てて息苦しくなった 夜中家にかかってくる電話は、村上春樹的に解釈するとヘミからだよね
ヘミの無意識からというか 上の方でも言ってる人いるけど、これ太陽がいっぱいでしょ
ベンはゲイなんじゃないか
と思って色々読んでたら、そう断言してるレビューがあった
http://www.ele-king.net/review/film/006665/
ていうか韓国では大コケしたのね >>143
そうだとしたら何の電話なんだろう
助けを求めてるんだろうか
ヘミが裸で舞う鳥のマイムは解放を渇望してるのかとかベタなことを思ったりしたけど いや
太陽がいっぱいのリメイクとオリジナルとの関係性が似てるって話だと思う >>127
イ・チャンドンがロスジェネ世代の作家たちや「ティファニーで朝食を」を脚色に援用したことは
明らかだけど、ジョンスの「小説」の中身と映画のシナリオをダブらせる必要はないんじゃないかな。
彼が書いていたのは、前半同様に父親の関係の書類とかだったのかもしれない。
ラストにジョンスが文学賞を受賞するシーンとか書店にジョンスの本が平積みになっている
シーンがあるわけではない。
「ティファニーで朝食を」の作家ならホリーとの出会いを新作のモチーフにする流れに
不自然さはない。でもジョンスはどうかな? 作家のメタファーで言えば、仮託してるのは都市生活者としてのフィッツジェラルドよりもフォークナーの土着性だろうな >>130
それ、誤解だから。韓国だって商業映画のスター女優はそうそう脱いでいないよ。
近頃は映画で女優に出番が乏しくて、新人女優は露出演技を受け入れないと役を
もらえないような状況になっているだけ。
主演の多い有名女優を思い浮かべてごらんよ。キム・ハヌル、ハ・ジウォン、スエ、
キム・アジュン、イ・ナヨン、パク・ボヨン、チョン・ジヒョン、ハン・ヒョジュ、パク・シネ・・・
誰も脱いでいない。
ただ違うのは、パク・チャヌクやイ・チャンドンのような大物監督に起用されると
そのあとで仕事が続くこと。それもギャラのいい仕事がどんどん舞い込むようになる。
キム・オクビンやキム・テリなんかがそのケース。 >>150
濡れ場をやったせいでバッシングを受け何人の女優が自殺に追い込まれたことやら…(^_^;) >>151
枕の強要がらみの自殺は無名のタレントで露見していないものも多そうだけど、
映画の濡れ場バッシングが自殺の一因になっていたらしいのはイ・ウンジュくらいなのでは? >>145
まぁ至極普通に考えれば、自分のおかれたにっちもさっちもいかない状況と閉塞感からの救済だろうけど……
しかし韓国ってそんなに希望の無い国なのね
日本も絶望の国とか言われて久しいけど、映画なんかはまだまだ能天気だしそこまで切羽詰まってないもんな 少女時代のセンターの子の盗撮(?)物は
どう見ても本人で恐ろしい国だと思うと同時に
からんでる男が日本語を話しててなんか胸が痛かったなぁ 急速な経済成長と急激な減退。
IMFから救済を受けてからたかだか20年しかたっていない。
韓国は日本よりも矛盾が多い社会なんだろうな。
その分映画は面白いのが多いけど。 >>150
名前を挙げている女優はアイドル売りに誓い清純派ってイメージだな
そのせいか役の幅はそんなに広くなく、イメージが壊れない似たような役ばかりの印象
ドラマだと年齢に合わないような痛々しい作品もあるし ジョンスがリトルハンガーからグレートハンガーになる話だとして、リトル(ヘミを手に入れたい)からグレート(遺伝的破壊欲求)へと変わる
その起因がベンの告白で、それによってジョンスの中の欲望が燻る
後半はジョンスがビニールハウスを探しながら燃やす対象を探し、近くにあるから気づかない、時計、猫からビニールハウスのメタファに気づく
それがジョンスのグレート変貌の分岐点でベンを殺して燃やす
ベンにとってのビニールハウスは女性だけど、ジョンスにとってのそれは破壊欲求なのかなあ >>148
「私の中の根拠」と、ことわって書いたんだけどね。
そのうえであえて言うと。
「まるでギャツビイだね」というセリフは、原作小説と映画の両方にある。
また、ジョンスは小説の進捗状況を聞かれて、自分には現実世界が謎だと答えている。
彼にとっての謎は、ヘミやベンの事だけではなく、父と母のことも含まれている。
ここは同意するかな?
ジョンスは、「謎」について、ある種の解を見つけることで、小説を完成させることができた。
それは、ヘミを母に、自分を父に重ね合わせることだ。
父がコレクションしたナイフを持って、ギャツビイを殺しに行くのは、ジョンスが自らの中の父に気が付くメタファー。
(「メタファー」の意味はジョンス氏に聞いて!)
フォークナーの『Barn Burning(納屋を焼く)』が、プライドが高く怒りを秘めた父を息子の視点から書いた短編だということも、参考になるかな。
ベンが読んでいた短編集にも入っていたと思うよ。代表作だから。
韓国で増えているという高学歴就職浪人を風刺しつつ、救いも提示したと解釈したわけ。
まあこの書き込みは、私が書いた「小説」。
>>144
リンク先を読んでみた。
韓国でアメリカ以上に、メガチャーチ(巨大教会)が隆盛を誇っているとは知らなかった。
キリスト教徒が多いとは聞いたことがあったけど。
ヘミの旅行先が同じアフリカでも、キリスト教国に原作から変更されているというのは面白いね。 >>159
>ここは同意するかな?
>>19を書いたのは自分なので、半分同意と言うべきかな。
フォークナーの主人公やジョンスの父は、怒りを抑えられずに納屋に放火したり、出て行った妻の
身の回りの品を息子に燃やさせたりするが、ベンがビニールハウスを燃やすのは単純な怒りの
ためではないだろう。ジョンスがベンを彼の車ごと燃やすのも、彼の内なる父の怒りがそうさせた
のだとは限らないのじゃないかな。
聞きたいのは映画の解釈ではなくて(それは各自の自由でいい)、何であれ解釈をする結果、
残される問題についてどう考えるのかということなんだよね。
「キーボードをたたくシーン以後は、ジョンスが書いた小説をベースにした劇中劇」と解釈するのだとすると、
ヘミの失踪についてジョンスはそれ以上行動しないということになるのかな? >>157
リストにソン・イェジンやイム・スジョンを加えてもやはり結果は変わらない。
イメージがどうであれ、彼女たちが2000年代の韓国映画を支えてきた事実は
誰も否定できないし、個人の抱くイメージの話をする必要はないよ。
脱いでいるかいないかは0か1か同様明快に分けられることなのだから。
そもそもこの話題は、「そもそも韓国映画ってめちゃめちゃ可愛いアイドル女優もガンガン脱いで」から
始まっているわけで、メインストリームの映画の主演女優達が実際どうしているかってことでしょ。
チョン・ドヨンやムン・ソリなんかは日本で言ったら寺島しのぶとか尾野真千子みたいな
ポジションだし、キム・ヘスやキム・ミニが脱いだのは30代になってから。
日本は韓国に比べると女優の年齢が低いってこともある。リアル10代の広瀬すずとか
脱がせたらそれはそれでまずいっしょw 伏線回収をまったく知らない愚かな監督が映画を作っちゃったという不幸な作品。こんな
つまんない映画を最後まで観たことを褒めてほしい。 ちょっと前に見たけど素晴らしい作品だったな。特に前半三人ではっきりしない関係築いてるときの空気感が最高だった
後半はある程度観客に委ねてると思うからあんまり細かいところは気にならないんだけど、最後パンツまで脱いだのってなんでなんだろう?証拠隠滅ならパンツは別いいよね。自己嫌悪の暗示とか? 日本で置き換えて考えると
なかなか科捜研案件までにはならないが
科捜研レベルで検証されたら灰になった衣類で個人特定は可能
だから車内で燃やすなんてわざわざ証拠をおいてくる様な物
韓国でも科学捜査にそんなに差はないでしょう パンツ燃やして証拠隠滅する意味あんの?なんかの時に全裸見られたらもろ不審者なんだけど そもそもダンプに見られてるからドライブレコーダーで身元特定だわな、最近の流れなら(笑) 証拠隠滅とは思わなかった
人を殺したあとの放心状態ゆえの奇行かと よかった
俺が春樹に対して抱いていた不満点を全て解消し、補っているw あの主人公がベテランに出てたクズ御曹司だと最近知った。演技すごすぎ。 ユアインは韓国の若手ではナンバーワンでは
テレビだが時代劇の「六龍が飛ぶ」では純粋真っすぐな青年から
実権を握るためには兄弟も師匠も殺すイバンウォン、
「シカゴタイプライター」ではツンデレでちょっと三枚目の作家
どちらも良かった ちゃんと観ていればシリアルキラーをぶっ頃した、って話だということは分かるんだけど、
ヘミが落ちたという井戸については本当のところはどうなのか分からなかったな。
助け出したと言われてもピンとこないジョンスが本当のところを一番分かってなきゃいけないはずなんだが。
7歳ごろの記憶ってそんなに曖昧なものかね。 しかし女の部屋に上がり込んで、留守中にオナる気持ちは痛いほど分かる >>183
>シリアルキラーをぶっ頃した、って話
ベンがシリアルキラーだというのはジョンスの思い込み
後半はジョンスが書いた小説
上記の可能性もあるのでは >>185
可能性は排除しないけど、深読みが過ぎるんじゃないのかな。
女の化粧道具とアクセサリーの入った箱がトイレに仕舞ってある描写から次の女にベンが化粧してるところ、
これもジョンスの想像だとすると、そこだけ映画内に描写されるのは違和感がある。
ジョンスの想像の可能性を匂わす描写はせいぜいヘミの部屋でパソコンを打ってる描写くらいでしょ。
もともと説明的描写を排除した作風だから一つの結論に拘泥する必要もないんだけど。 >>165
証拠隠滅ならパンツは別いいけど靴は燃やすべきだったな
でも>>171と同じで証拠隠滅とは思わなかったよ 町山智浩の映画ムダ話116 イ・チャンドン監督『バーニング 劇場版』(2018年)。
これはミステリーではなく、ベンが言うようにメタファーだ。
村上春樹とフォークナーの2つの『納屋を焼く』をミックスし、アントニオーニ
の「失踪」というテーマを絡め、ビニールハウスや存在しない猫、「死刑台のエレベーター」の
音楽で描く「大いなる飢え」とは? 原作では納屋と彼女の類似性があったから
納屋を焼く=彼女を消す
とイメージできた
映画ではビニールハウスと彼女の類似性が無かったので
ビニールハウスを焼く=彼女を殺す
とイメージできなかった
どうして彼女を殺した??? 原作は読んでないけど
納屋っていうと古くて土着的な感じがして
ビニールハウスだと人工的でキラキラしててなんかはかない感じが
彼女に合ってるんで、割とすんなり受けとめたよ >>189
誰にも見向きもされないビニールハウスってベンが言うところ、ヘミが誰にも知られずに煙のように消えたいって言ってたでしょ。
なくなっても誰も気にしない存在として両方に共通項があるのは自明だろ。 ベンがジョンスを招いて料理をごちそうするシーンがあるけど、
なんでパスタ料理だったんだろう?
高級車に乗って高級マンションに住んでるのにパスタ料理ってちょっとね
もうすこしちゃんとしたフレンチとかイタリアンにすれば良いと思った
村上春樹の小説には良くパスタ料理が出てくるからオマージュなのかなぁ
それにしてもあのシーンでパスタ料理はねえ 完全にオマージュだと思う
井戸が出てきたり、相当読み込んでる
ベンなんて五反田くんかと思った。 村上春樹の小説に出てくるパスタ料理って
僕(主人公)が自分で作って自分で食べるイメージなんだよなあ ベンが言ってただろ、料理が好きなのは、神に捧げる生贄のように自分のために作るからだって だから人に振る舞う料理はもっとちゃんとした物にすると思う
お客さんにパスタじゃド庶民と変わらない それはベンがふたりをお客さんと思っているかどうか次第だろ ベン嫌いだったけど、フォークナーの本読んでるシーン辺りから印象が変わってきた。
この映画本当に面白いなぁ >>183
そもそもあの女がヘミなのかすら怪しいけどね。
仕草っていうのもジョンスの主観にすぎないし、この映画に関しては主人公も信用できない 誰も言わない正直な感想
イチャンドンの作品ってブランドが無かったらただの爆睡映画 >>201
それって単に良いところに気がつかない(=鈍感)なだけでしょ ポエトリーならまだしも、これで寝る人は睡眠障害じゃね? 誰も言わないって、他人に仮託するのみっともないな
自分がそうだって言えばいいのに この映画を楽しめない人は
アリータ、バトルエンジェルおすすめ 娯楽映画を見下して高尚なものを観た気になってる自分に酔ってるなら底が知れるな >>200
そういう指摘をする時には、ヘミじゃない女がヘミと名乗った動機や理由について自分なりの
推測なり考察なりを付け加えないと意味がないと思うけどな。 ぼんやりで悪いけど夜明け(?)後ろで鳥の群れが飛んでるシーンがめちゃめちゃかっこいい >>208
ヘミが名乗った動機はカードの借金返済のために、ジョンスの臓器売るため。
ジョンスの母も言ってたけど若ければ臓器で借金返済できるからね。
金に困ってるはずだから、猫も実際には飼ってない。
仮にベンの家の猫がボイルだとしても、ヘミの友人であるジョンスを招かないんじゃないかな。
だから、ヘミが消えたのはベンとは全く関係なく、借金とりに襲われたからじゃないかな、と。
あと、化粧棚は説明が難しいけど偶然なんじゃないかな。ヘミが行方不明の時、ジョンスが話を聞きに行った同僚もつけてたし。
僕はこう思ったよ。 あと、ラストが小説にしろ現実にしろ、ベンを殺めたジョンスは明確な悪なんじゃないかな、と思った。 >>210
君はヘミと名乗った女はヘミじゃないかもしれないと言うんだろ?
本物のヘミに借金があったことは彼女の家族が証言しているが、彼女はヘミじゃないんだろ?
もう少し考え整理してみたら? >>212
借金っていうのは僕の「思った」ことだね
だけどテレビのニュース(若者の失業率の増加、貿易赤字)やヘミの同僚の発言(「女は金がかかる」、「女のための国はない」)ヘミの住まいからして、少なくともヘミを含む韓国の女性たちに金銭の余裕がないことは確かじゃないかな?
借金があるから彼女はヘミだ、というのは断言できないと思うよ。
あと本作は●●●だから■■■っていう風に断言する語り、演出をしないことによって、何が正しいのかわからない矛盾だらけの状況の中から、自分は何を選び取るのか、それを考えるのが魅力なんじゃないかな?
だから僕はヘミじゃない「かも」しれないと発言したんだ。 >>213
>借金があるから彼女はヘミだ、というのは断言できないと思うよ。
そんなこと誰が言ってるんだ?
<彼女>は少なくともジョンスの素性を知っている。ベンを案内できるほどにジョンスの実家も知っている。
そういう人物が別人に成りすましてジョンスに接近した可能性があると主張するのなら、
<彼女>が何者で、どうしてそんなことをしたのか、推測くらいはするべきだろうと言ってるんだよ。
君が並べたことは<彼女>が本物のヘミであってもなんら差支えがないことばかりだろう? ベンって、想田監督に顔や表情が似てるなあ
とどうでもよいことを思った >>214
まず《彼女》が何者かについてなんだけど、それはわからないよ。だって劇中に出てくるのは基本的に3人だけ。他に類推できるような人物はいないからね。
だからわからない。でもジョンスの実家を知っていることは確かだから、ジョンスを知ってる人物であることは確かだね。
そして、どうしてそんなことをしたのか、については前に述べたじゃない。借金だよ。<彼女>が金銭に余裕がないことは明らかだからね。それに彼女は整形をしたらしいから、それの費用とかじゃないかな。
そして改めて言うけれど、本作は●●●だから■■■という風に断言できる語りではないんだよ。
だからこそ僕が並べたことは<彼女>が本物のヘミであってもなんら差し支えないし、偽物のヘミであったとしても差し支えないんだよ。
あと、ヘミから<彼女>に表現を変えてくれたんだね。嬉しいよ。 >>216
<彼女>が借金しているという情報はどこから?
<彼女>は安アパートで一人暮らししているから裕福とはいえないだろうが、
仕事もあるし、アフリカに旅行にも行っている。ジョンスが留守番している部屋に
借金取りが押し掛けたわけでもない。
断言できるとかできないとか、そんなことは関係ない。<彼女>がヘミでないとしたら
いったい何者で、そういう登場人物の存在が映画にどんな意味を与えるのか。
君が言っていることは、現時点では映画の理解に何ももたらさないただのノイズに過ぎない。
君のお母さんが実は君のお母さんではない可能性はある。DNA鑑定をすれば真相に
迫れるかもしれないが、鑑定結果が捏造される可能性もあるから確実とは言えない。
・・・なんて話をしてなんか意味あると思う?
君は赤ん坊の時に通りのごみ箱に捨てられていたのを<彼女>が不憫に思って拾って
育ててくれたのだ、とか、君を殺して君のお父さんの財産を独り占めしようと企てた女が
まずお母さんを始末して、それからお母さんそっくりに整形して君の家にもぐりこんだのだ、
とか、そういう秘密を示唆するようなサイドストーリーがあって初めて意味があるんだよ。 この映画はどうでも良かったが
オアシス再上映してくれるの本当嬉しいわ >>217
なるほど、君は形(事実)があってから初めて認識するベンのようなタイプの人間なんだね。
悲しいという感情があっても涙(形)がなければ物事を認めない人間(侮蔑する意味はないよ)と、僕のように映画で提示される形以外からも考えを広げる人間(僕が優れてる、という意味ではないよ)では話がこうも平行線をたどってしまうんだね。
あと、実の母親云々の例え話。
確かにサイドストーリー自体は提示されていないけど、それを想起させるような情報は双方(肯定であれ否定であれ)において存在しているよね。だからこそ本作は幅広い解釈の余地がある作品になってるんだよ。
そもそも君は例え話を意味がないように考えているようだけど、本当に意味がないことなのかな?
事実は一つだけでも真実は見る方向によって変わる。これはなにも本作に限った話ではないし、むしろ現実の世界で強く感じることなんじゃないかな。
少なくともこの世の中は白黒ハッキリつくような世界ではない、ということが分かっただけ僕には意味があるように感じ取れたよ。
そして、もう一度言うよ?
借金は僕の「思った」ことだね。 この映画でイ・チャンドン監督作品初めて見たんだけど、妙に心に残って面白い作品だった
この作品っぽいものを他にも見たいと思ったんだけど、あらすじだとペパーミントキャンディとかどうかなと思った、詳しい方のおすすめ聞きたい
村上春樹テイストによってこの作品の雰囲気が出てるのだとしたら、監督作品にこだわらず色々見てみたいです
似てると話題に上がる「太陽がいっぱい」も見てみる >>221
イ・チャンドン監督作品に外れなし
ペパーミントキャンディーはおすすめ
時計を逆さに巻くように今から過去に遡りなぜ最低男が出来上がったのか見せてくれる
知的障害者の純愛を描いたオアシスも傑作
テイストという意味で似ているのは今年最大の注目作ROMA/ローマ、
北野武史上一番難解で賛否両論のTAKESHIS' >>222
ありがとう!
昨日ちょうどソルギョングの別の作品を見て、凄い俳優さんだ…と思ったところだったので、その2作品見てみる
オンデマンドないみたいで、レンタルかなと調べてたら、今ちょうど4Kでやってるとは…
月末にしか行けなさそうなので上映が終わらないことを祈りつつ…
ローマ絶対見る、TAKESHIS'…昔チラ見で流してしまったのがもったいなかった、見直す!
おススメ色々嬉しいです、ありがとう >>219
過疎ってるからレスすることにするか。
あなたは考えを広げているんじゃくて妄想を逞しくしているだけでは?
悲しんでいる演技を求められた役者はシチュエーションに適した表現を試みるだろう。
涙を流すこともその一例だが、いつもそれが最適だとは限らない。だからといって、
形を与えないという選択はない。
>それを想起させるような情報は双方(肯定であれ否定であれ)において存在しているよね
いいや、そんなものはないね。ヘミに化けた女がジョンスの臓器を狙っているという君の妄想を
支持するような情報が映画のどこかにあるか?なにもない。
ヘミはジョンスと再会する前から職場でも通っていたパントマイム教室でもヘミと名乗っている。
ジョンスと再会したのは、たまたま彼が彼女の職場を訪れた時で、彼女が彼を訪ねてきた
わけではない。
世の中が白黒つけられないこととあなたの妄想とは何の関係もない。
あなたはただ現実をしっかり見て考えることを放棄して、自分の妄想に閉じこもっているだけだよ。 バーニングってあの1980年代の米ホラーじゃねぇのか?
あるキャンプ場で子供達に焼かれた復讐に剪定鋏で襲い掛かるアレとちがうのか? >>225
全然違う
日本タイトルは「バーニング」ではなく「納屋を焼く」で良かったと思う 納屋焼いてないじゃん
ビニールハウスを焼くデイいんじゃね あの短編をうまいこと映画化してたな
まさか殺人のメタファーとは
井戸といい春樹っぽさがよく出てた キーボードを叩く以降がジョンスの創作だとしても、
ベンをクルマごと焼き殺し、立ち去るのは陳腐な印象を持った。
ポルシェは実際に燃やしてなくて、ライターは中の人が受け取ったんだよなあ
なんてことを思いながら、背景の火を眺めていた。
イ・チャンドン作品ではオアシスという神がかり的にすごい作品があるから、
どうしてもそれを基準にしてしまうと、バーニングの評価は低くなるかな。 ユアインの顔が別人で「あのカワイイユアインはもう見れないの・・・???」っていう悲しみが込み上げてくる一方で、
「これほどまでにユアインを愛おしく感じる映画があった???」っていう愛おしさを感じる映画だった。
初めてかも、ユアインに「抱かれたいし、抱きたい。」と思ったのは。
ラストで晒すお尻はベロンベロンに舐めたくなった。
ユアインがゲイだと思うとなおさら。
あのお尻で使い込んでるのかも・・・と思うと・・・アタシ・・・!!!! 期待した内容と違った
思わせぶりでずーといくのはいいが最後までずーといくのはいくない
もっとはっきりした話が見たかった
おっぱいは気に入った 原作なんて思わせぶりどころか、彼女が消えただけでそのまま終わりだからな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています