【松岡茉優・松坂桃李】蜜蜂と遠雷 2出場者目【森崎ウィン・鈴鹿央士】
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2019年10月4日全国公開予定
キャスト
栄伝亜夜:松岡茉優
高島明石:松坂桃李
マサル・C・レヴィ・アナトール:森崎ウィン
風間塵:鈴鹿央士
高島満智子:臼田あさ美
仁科雅美 : ブルゾンちえみ
ジェニファ・チャン:福島リラ
ピアノ調律師:眞島秀和
クロークの女性:片桐はいり
菱沼忠明:光石研
田久保寛:平田満
ナサニエル・シルヴァーバーグ:アンジェイ・ヒラ
嵯峨三枝子:斉藤由貴
小野寺昌幸:鹿賀丈史
参加ピアニスト
栄伝亜夜担当:河村尚子
高島明石担当:福間洸太朗
マサル・C・レヴィ・アナトール担当:金子三勇士
風間塵担当:藤田真央
スタッフ
監督・脚本・編集:石川慶
「春と修羅」作曲:藤倉大
【公式】
https://mitsubachi-enrai-movie.jp/sp/
【公式Twitter】
https://twitter.com/eiga_mitsubachi
【前スレ】
【松岡茉優】映画『蜜蜂と遠雷』【松坂桃李】【2019年10月4日
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/cinema/1563158005/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 見たけど、原作読んでないと人物の心情が全く理解できないし、そんなに褒められる映画とは思わなかったけどなあ。 理解できないのでなく
想像できないだけだろ
想像できた上で表現の良し悪しを言うならともかく >>692
想像できないですね。
想像できるだけの手がかりが映画の中で
描かれていないので。 傑作だって空気をつくるの難儀してんなw
出来る前に受賞作決めるからこういうことになるw 原作を読んでる友人が「原作と内容が違う。原作は天才をめぐる話なのに、映画はそうなってなかった」と言ってたんだよね。
で、原作読んでない俺が見に行ったのだが。
なんか全体が詰め込み風でバタバタしてて。
やはり4人の人物の上下巻の話を、2時間の映画にまとめるのは無理なんじゃないですか? 映画を見る限り、「松岡茉優はステージに上がれないトラウマがあったけど、お母さんの言葉を思い出して、再び立てるようになりました」みたいな話になってるんだけど、まさかそれだけの原作じゃないだろうし。 >>693
あなたは映像作品に対する感受性が鈍感なんでしょうね
感性が鋭敏な人間には、人物の心情が画面や音声からビンビン伝わるからね
そもそも説明的なセリフをできるだけ排除して映像と効果音で人物の心情を伝えている映画だし
話の内容も人物設定も小説とは部分的に違っているでしょう
映画の映像や効果音から人物の心情を直接、瞬時に読み取る能力は
本の長たらしい説明文を読んで頭の中で空想するのとはまた違った感受性が必要 作品は悪くないw
観客が悪いww
映画祭も良いwww >>698
要するに感受性が敏感な限られた、選ばれた観客だけが理解できる映画なんですねw
ちなみに私、この監督石川さんの前の映画「愚行録」は見ていて、それは大変芸術的に楽しめた程度の感性はらあるつもりですけど。 >>698
>説明的なセリフをできるだけ排除して映像と効果音で人物の心情を伝えている映画だし
本当に映像と効果音で人物の心情を伝える、という方針なら、それは効果が限定的でしようね。やはり脚本と演技で伝えるのが本筋です。
セリフで心情を説明しなくてもいいけど、だとしたらセリフ以外の演技で、それを示さないといけない。 感動できるような深みは感じないけど人物の心情は普通に想像できるだろ >>703
人物の心情を観客が想像できるように、巧妙に誘導していくのが脚本の務めなんだけどね。
たとえば松坂桃李が「日常の中の音楽」とか言ってたけど、まさにそれはセリフの説明だけで、彼の日常なんて全然描かれてないじゃん。
「俺はコンポーザーピアニストになりたい」と言う人も、言葉だけ。
砂丘に皆んなが集まってたのはなんなんだ?
とか、色々不明点もあるし。 >>702
栄伝亜夜役の松岡茉優はある程度、セリフではなく顔芸による表情で心情を表現しているから
うまい役者だと評価されているんでしょ
鈴鹿央士は風間塵そのものだという振る舞いで新人賞を取っているし >>705
松岡茉優は、「ら万引き家族」の時だって顔芸だけじゃないからさ。セリフと表情の組み合わせですよ。セリフだけで伝えるのではなく、表情だけで伝えるのでもない、組み合わせ。
「風間塵そのもの」ってのは、原作を読んでる人の感想でなないかな。こちらはそもそも「風間塵」と言う人間自体が映画を見ているだけではわからなかった。 >>706
「万引き家族」ね。
彼女にトラウマがあり、それをどう克服したかを顔芸だけで感じろっていうなら、それは無理ですねん。 >>706
原作を読んでる人たちが映画を見て風間塵そのものだと感じることができたんだから
原作を読んでいない人たちにも風間塵そのものを感じさせることができるでしょう
文章やセリフによる説明ではなく、見たままそのままなのでしょう
原作の説明文に呪縛されている人にはそれが感じ取れないのかもしれないけど >>708
「風間塵を感じる」ってのは、原作読んでない人間としては難しいです。映画で初見だと、風間塵という役名自体を覚えきれないしw
「風間塵を感じる」ではなくて、「天才らしさを感じさせる」ということなら、わからなくはないけどね。
天才という役柄なのは自明だから。 >>712
愚行録はポーランドの撮影監督を起用してて、映像的にはセンスを感じたよ。まあ今回も同じ人がやってるんだけど。 >>704
明石の日常映すのにかなり尺を使ってたじゃんw
自転車でこどもを保育園に送る
勤め先で接客する
古民家で家族と「春と修羅」について語らう
cadenzaの作曲に妻からアドバイスもらう
妻とこどもの鼻歌からcadenzaのヒントもらう
明石にとって生活とは家庭生活のことだから。 >>704
そうか?
家の状況とか家族とか見てセリフを聞けばだいたい日常は想像つくと思うが
松岡の日常はあまり想像つかんがそれは別にいいんだろうし >>714
明石の描写で彼の心情だけでなく映画の筋がはっきりしたよな
まあ見ようとしない人にはわからんのだろうが >>714
さっきネットの記事を見たら、監督自身が「明石の回想シーン、子供との会話の場面をもっと描きたかった」と言ってるけどね。 そもそも、原作本の「蜜蜂と遠雷」は構想から完成まで12年、取材11年、執筆7年で
文庫本でも上下二巻という内容量の多いものなのに
それを2時間くらいの映画に収めなくてはならないので、描けるシーンにも限界がある
登場人物の経歴書を長々と読み上げたり、説明セリフをたくさん語らせたりすれば
ある程度、説明することができるのかもしれないが
しかし、この映画では説明セリフを少なくして、見たまま、聞いたままの音楽で観客に感じ取らせるようにしているようだ
ツイッターなどで見た人たちの感想を読むと
「訳も分からないのに涙が出てきて鳥肌が立つ」という感想を書いている人が結構いるけど
そういった人たちは感受性の強い人たちなんだなと推測される
理屈を考えるな、感じ取れという映画なのかもしれない >>719
説明セリフを多くする必要はないけど、人物描写は足りなかったと思う。
2時間の映画に4人の人間を描くのだから、詰め込み気味になるのはわかるけど。
無理を承知でいえば、主役を1人か2人に絞り込んで、じっくりやってもらえたら
良かった。 >>720
小説では天才少年の風間塵が一番の主人公みたいだけど
映画では栄伝亜夜が主人公で、栄伝亜夜と高島明石に時間を多く割り当てていて
栄伝亜夜と高島明石がメインという感じだった
マサルと風間塵にはあまり時間を割り当てていなかった 言っとくけど、この作品(映画も小説も)の主人公は人じゃなくコンテストだからな >>722
あえて言うならば、この作品のテーマはコンテストではなくて「音楽」でしょ
「音楽」がテーマだし主人公なんでしょ
だから、コンテストの審査結果なんて作者にとってはどうでもいいんだよ 無用な決めつけをする人が感受性豊かとは思えんのだが。好き好きでいいがな。ピンとくるかどうかはその人次第。 世界、宇宙は音楽に満ち溢れている、宇宙は音楽そのものだ、というのは十年位前に奥泉光も手がけていたテーマですね。あっちは実写化不可能っぽいけど劇中音楽書かせるならやはり藤倉大っぽい。 >>722
それはどうでしょうか。映画は明らかに亜夜が主人公で、ドタキャンのトラウマからの
脱却をテーマにしていると思いますよ。塵やマサルは付け足し。
それに対して原作はコンテストに血道を上げる偏った音楽家やクラシックファンに
対して、もっと大きな、広い音楽が有るじゃないかとアピールしていますね。
原作の本選の最後の場面では、亜夜が演奏に向かう前で筆が止められているのは
なぜか、理解されませんでしたか。 >>725
>だから、コンテストの審査結果なんて作者にとってはどうでもいいんだよ
興行映画としてラストの審査結果は必要なのかもだけど
事実カミさん(原作既読)はグッと来たって言ってた
無いほうが良かったかな?と自分(原作未読)も思ったよ
最後まで観客を信じて委ねて欲しかった >>728
> ドタキャンのトラウマからの脱却をテーマにしている
それは違うんじゃないかなあ
そこはあくまで材料の一つでテーマと言うなら音楽愛とか天賦の才とかでは >>729
原作未読の俺は最後の審査結果見て「あーw」って感じになったね
劇中描写だと亜夜が一番になるのが自然だったと思えた
でもそれだとあざといというかいかにも過ぎて作為が強くなってしまうんで
ちょっと意外性を入れて調整してみましたってところかなという印象
この映画の場合は無い方が良かったね 亜夜が決勝で逃げて、戻ってくるところ、映像での心理描写はサッパリわからんかった。
でも、話の流れとして、戻ってくるだけは予想できたので、
出入口以外から侵入しようとするところに違和感を感じながら予定調和をみた。 >>732
あの場面のBGM風間塵が本選でリアルタイムで弾いて
いるバルトークの第2第3楽章というのがミソ
原作未読の人にはただのBGMとしか聞こえてないかも >>730
映画としての「主演」は亜夜役の松岡茉優さんですよ。当然、主演を追いかけている
映画だと思いますけどねー。 >>719
あまりに過剰、あまりに大量な比喩をそぎ落とせば原作本も文庫本1冊、映画でも
2時間枠に収まるんじゃね >>735
当然ちがうけど、この映画は亜夜のトラウマの克服を描いているよ。音楽に徹する
ならもっと演奏を聴かせたはずだね。一次予選の亜夜は赤いドレスでピアノの前に
座ったところで画面転換し、演奏はしていない。 松岡急に老けたな
つうか顔変わった
髪型のせいもあるけど片桐はいりみたいになってた 二次審査の時の背中が若くなくてなぁ
変に生々しかった >>741
あの、銀ラメのドレスから見える背中を見て、茉優ちゃんとやりたくなったか。 4人で海辺を散歩するシーン、走る松岡の後ろ姿がめちゃ婆臭かった >>743
あの時、カメラの方へ振り向いて、まんまるな白い顔を見せるシーンがあったけど、
あれが一番、茉優ちゃんらしいけどな。 ストーリーに不満のある人が多いようだけど、それは当然だと思う。
例えば、亜夜が母の死がトラウマになってピアノの表舞台から降りたが、なぜかコンク
ールに参加し、本選直前には会場から逃げ出そうとするが、本選の演奏がスピーカーか
ら流れているのを聞いて、突然音楽に目覚め、覚醒して本選で素晴らしい演奏をすると
か、いかにも漫画的で安易な展開だし、心境の変化が観ている人に理解できない強引な
展開だったからね。細かく突っ込めば、他人の本選の演奏を廊下のスピーカー聴いて影
響を受けて突然覚醒するシーンなんて、今までに会場で他の人の演奏聞いてないの?プ
ロの素晴らしい演奏を生で聴いたことないの?歴代の名演奏と言われる人のCDを聴いた
ことないの?なのにコンクール参加者レベルの演奏をしょぼいスピーカーで聴いていき
なり感銘を受けて覚醒するの?と突っ込みどころ満載だが、この映画はそういった細か
いことを気にして観る映画ではない。
美しい映像と素晴らしい演奏を堪能できれば、それで作品としては合格点だと思う。
松岡に対しても批判的な意見は多いが、他に松岡以上に亜夜にふさわしい女優を探すの
は難しいように思う。ちなみに彼女は多少はピアノの経験があるようで、全くの素人よ
りは、うまく演奏シーンを演じていたのではないかと思う。 本選の演奏はホワイエではスピーカーで流してるけど
会場外 駐車場では流れてないでしょ そうだったっけ?通路で流れていたような気がしたんだけど。
まあ、ドタキャンを決めて荷物をキャリーバッグに畳んで会場を後にしようとしていた
のに、駐車場で突然何かに目覚めて気が変わって覚醒したというのであれば、それこ
そデタラメなストーリーだと批判されても仕方がないと思う。
だから、そういうことは気にしないように心がけて映画を楽しもうと鑑賞したので、
それなりに楽しめた。 あれ原作では亜夜は風間塵の本選を実際袖で聞いている
そしてその演奏を通じ塵と会話する中で自分を見つめ
覚悟を定め自分の本選に向かうんだ
映画では母親との自分の音楽の原点を思い出してという
表現だったけどそれを呼び覚ましたのは風間塵やら
若き音楽家との出会い、刺激でありその象徴として
風間塵の本選の音楽がBGMとして使われててると思う
時空を超えた音楽家同士の対話と言うのか 原作の流れならそれなりに説明できるんだけどね。
映画では母の死がトラウマになったという設定なので、そのトラウマの克服が
上手く演出できていないのが批判されている。
まあ、その辺は気にしないで漫画的な流れとして観るのが正解だと思う。
映像や音響は美しかったけど、ストーリーは破綻している映画だと思った。
でも、そういうものとして鑑賞すれば、それなりに素晴らしい映画だったと
評価できる。 ちなみに、風間塵の役者が評価されているようだけど、風間は天才でヘラヘラ笑いながら
演奏するだけのキャラなので、別に評価に値しない役者だと個人的には思う。
ただ、別に悪くはないと思った。他の映画で活躍してほしい。 風間役は別に演技力評価されたとかじゃなくて、原作キャラを結構再現してた、あと新人にしては頑張ってた、てことじゃね? >>747
映画は映画で、原作は原作で筋が通っていたよ。
映画の方は、最初に土砂降りの雨、その雨の中を疾走してくる黒馬を描いている。それ
はまだ幼いころの亜夜にとって世界の音がすべて音楽に聞こえた原体験だった。そし
て、その中に大切なものが有ったことを亜夜はいつか忘れてしまっていた。
本選の直前、演奏を辞退して帰ろうとする亜夜は外が激しい雨であることに気づく。
その雨の音を聞いているうちに幼児体験がよみがえって、黒馬が疾走して来る。えっ、
それは自分の心の中に眠っていたもの(1シーン、古い物置のようなところに馬の模型が
取り残されて、忘れられている)、その黒馬が再び力強く、自分に向かって駆けてくる。
そして大事なことを思い出した。それは大好きな母の言葉だった。「あなたが世界の
音を鳴らすのよ」。
その母の思い出の言葉に勇気づけられて、亜夜は本選の演奏に向かったのです。
とまあ、こんなところですね。 >>750
それはどうでしょうか。ホフマン先生の直弟子だからへらへらではないですよ。まだ
ピアノも買ってもらえないのに度肝を抜くようなエネルギッシュな演奏をする天才。
しかもたった16歳。ホテルの喫茶店で亜夜に朝食をおごってもらいながら、自分の
身の上を悪びれずに話す、とても素直な少年。このスレの先の方でじゃれついてくる
子犬のように可愛い、と評が有ったが、その通りでしょう。
しかし、先生の指導に従って、世界の音を鳴らせるようなピアノ好きを探している、
大変な使命を背負った少年でも有ります。
この映画の続編を考えたら、亜夜の方が4つも年上だけど、亜夜と塵は結婚すること
になるのではないかな。 亜夜に惚れてるのはマーくんでしょ
でもコンサートピアニストとして必死に研鑽を積む時期に恋愛してる暇はないと思う。
練習とドサ回りの日々が始まるんだから 16歳でプロを目指すのに無音鍵盤っていう設定って最高にアホくさい 原作には色々事情が描かれてるのかもしれないが
天才なら指の感触だけで脳内でニュアンスが聞こえてる筈 マンガっぽい設定に見えなくもないけど
1980ショパコン優勝のダン・タイ・ソンは
ベトナム戦時下でピアノが弾けなくて
紙鍵盤を持ち歩いて練習してたエピソード
それが元ネタかな?と思ってたから
別に違和感は感じなかった 防空壕で練習してたとよく紹介されるな
一種のイメトレだろうな
実際に弾かないことには限界はあると思われ >>736
10月の初日公開すぐに映画見て今頃原作本を読んでみたが、確かにだらだら描写しててムラの多い本だった
恩田陸って独り善がりのナルシストなのかね
音楽は聴くものであって読み物じゃないわな そういえば「少女に何が起こったか」でも
薄汚えシンデレラことKYON^2が
紙の鍵盤で練習して「紙じゃ音が出なぁい」と嘆いてたな 原作での他キャラの関わるシーンを塵に当ててるのとか見て
塵役の役者を売りだしたいんだなあ、うぜぇ
という感想しかなかった 無音鍵盤とか、ようはピアノの代用品て原作の塵がらみで出てきたっけ? 茉優は選び放題なんかな
吉田大八監督の新作に出るっぽい 原作は面白かったけど映画はつまらなかった
今年のワースト作品 ゴミみたいな価値の賞獲ってもねえ
興行的には大こけしたし さすがにワーストって言う人はほとんど映画を観ていないってだけだろうね。
もっとひどい作品なんていくらでもある。
好みじゃないっていう部分とはまた別に、ストーリーが破綻していたりっていう映画も結構ある。 いくらけなしても金は戻らん
サンクコストなw
もっと鷹揚に構えたらどうだ
とはよく思う 原作が好きだったんなら映画アンチにっても不思議はない 原作がくどくど長ったらしい
というケースもままある >>768
へー、ゴミみたいなの?。あんたが?
興業はおよそ2か月、上映してたよ。映画がわからない人かな? このジャンルの音楽の教育を多少は受けていて、そもそも好きな自分にとってはプロコの2番と3番は決定的に違う曲。
原作を読んでいたからこの映画に感じたのは一言で言えば違和感。
そして奏が居ないことでそれが更に増幅されたというところですね。こう感じた人は他にも居ると思う。 >>775
確かにそうだけど、映画は映画、原作は原作として評価をしないと評価方法を間違って
しまうと思いますよ。
前の方のレスにも有るが、この映画の評価は、映画の評価能力と文学(原作)の評価能力
と音楽(クラシック、特にピアノ曲)の評価能力の3つを兼ね備えていなければ、まっと
うな評価は難しいと思いますね。どうでしょうか。 映画の評価能力って駄作を褒める詭弁に用いられるようなもの
そんなもの無いほうがマシな映画を見つけられるよ いや、音楽なんかさっぱりわからんという人にもわかりやすいリアクション担当が
邪魔にならないちょうどいいタイミングで挟み込まれたり
大屋根の裏に映り込む表情から窺い知れる演奏者の緊迫感とか
そういう演出でみせる努力をしてたじゃない
肝心なのはそこじゃないの? 努力して作ってることを評価するのが映画の見方なんですね
見方じゃなくてただの味方なんでしょ? 映画の見方は人それぞれだし
客には5歳の子供もいれば80歳の老人もいるよ
中には5歳児なみに幼稚で老人のように頑固で偏屈な人もいるみたいね それなりに満足した人
拘りに気付いてさらに感銘受けた人
気付かず通り過ぎちゃった人
気付いたけどそこには価値を感じない人 諸々
スレ読んでて原作の一節が思い浮かんだ
世界は音楽に溢れているけど
気付かずただ通り過ぎてしまう音楽も沢山ある
だったかな?映画も同じだね
ジェニファ・チャンのピアノは亜夜にとって
通り過ぎてしまう音楽だったけど
価値を見出す人もいるのでしょう ま、ホールでの音響を再現しようとして意図的に演出してるのに、
演奏と音がズレてると批判する奴がいるぐらいだしな。 この映画を見た後、ドラマのG線を見た。
方やピアノ会のトップ、もう一方はバイオリン
始めましたレベルで、全然違うようだけど
同じような雰囲気だよな。 >>775
たしかにプロコの2番と3番は決定的に違うけど、両方とも原作では演奏の場面はない。
つまり、小説でも映画でも2番だろうが3番だろうがどちらでも良かったのだと思う。
ただ、原作を読んでいて、かつプロコの2番と3番を知っている人からしたら、小説で
2番をイメージしてしまった人にはどうしても違和感があるのだと思う。
ちなみに、自分の推測だと作者は2番と3番はそんなに拘っていなかった可能性もあると
思う。
まず、天才少女と言われるからには、それなりの難曲を13歳当時の亜夜に演奏させる必
要がある。そしてピアノコンツェルトで難曲として有名なのはプロコフィエフの3番だけ
ど、さすがに13歳で3番だと無理があると読者に批判される可能性が高いので、次に難
曲だと言われているプロコ2番、ブラームス2番とその次に難曲だと言われているプロコ
3番辺りが候補に挙がったのだろうけど、モデルとしている浜松国際ピアノコンクールで
入賞者の演奏が多いプロコを選び、亜夜の天才少女ぶりを表現するために難易度が高いと
される2番を選んだだけのような気もする。2番でも13歳では無理があると思うけどw >>787を訂正
ピアノコンツェルトで難曲として有名なのはプロコフィエフの3番だけど、 ×
ピアノコンツェルトで難曲として有名なのはラフマニノフの3番だけど、 ○
ちなみのプロコン3番も難曲として有名です。 >>784
拘りとかは作品自体の力とは別軸だからね
別に何をどう評価しようが勝手だけど >>787
原作ではマサルに彼が何故三番なのかを説明させていて、それはコンテスタントのありようや、オケとの関係性とかなり繋がりのある文脈だったのでどちらでも良かったということはないと思います。原作では。映画はそこをすっ飛ばしているから違和感があるんですよ。 第74回(2019年)毎日映画コンクールの各賞のノミネートで「蜜蜂と遠雷」関連が8ノミネート
http://cinefil.tokyo/_ct/17326484
日本映画大賞、同優秀賞/「蜜蜂と遠雷」
女優主演賞/松岡茉優「蜜蜂と遠雷」
スポニチグランプリ新人賞(男性)/鈴鹿央士「蜜蜂と遠雷」
監督賞/石川慶「蜜蜂と遠雷」
撮影賞/ピオトル・ニエミイスキ「蜜蜂と遠雷」
美術賞/我妻弘之「蜜蜂と遠雷」
音楽賞/篠田大介「蜜蜂と遠雷」
録音賞/久連石由文「蜜蜂と遠雷」
<発表>2020年1月下旬の毎日新聞、スポーツニッポン新聞紙上 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています