時間としては短い作品で、後半のピッチの上がり方と云うか、まとまりの無さは、もしかしたら、制作サイドも、当初の、このユニークなアイディアのテーマに、ストーリーや内容が追いつかなかったのかなんて考えてしまった。

12時間進んで、3日若返る。

もしかしたら、アインシュタインの相対性理論がヒントなのかななんて考えたりした。
光の速度で進めば、時間はゆっくり進むと云うやつだ。
これを少しいじった感じかなんて思ったのだ。

(以下ネタバレ)

だが、途中で、もしかしたら、この地下室のアナは、女性のヴァギナのメタファーなのかなんて考えたりもした。

日本で人工ペニスにしたアランの友人の男が現れたからだ。

(ちょっとの間。下世話になります。申し訳ありません。)

出し入れするピストン運動をしたら、時間はあっという間に経つような気がするけれども、快楽というか達成感というか、それは確かに若返った感覚にもなる。
ただ、でも、それは相手のことが大好きな場合だ。

しかし、これはあっけなく違うなあと云うことになる。

それは、人工ペニスがあっけなく壊れることもそうだが、地下室の穴に頻繁に出入りするのは妻のマリーの方だからだ。

当初は若さを追求することが目的で、夫アランにも一緒に若返ろうと提案するが、それは拒絶される。

きっとアランは、その結果として性交渉を求められても、実はマリーのことを昔ほど好きじゃないから嫌なのではないのかと…😁

そして、マリーは若さを取り戻した結果、セックスとは異なる承認欲求に目覚め、しかし、若い時にさほど注目されていなかったことからも分かるように、結局、世間から期待したほど注目されることもなく、自己崩壊が始まってしまうのだ。

結果的に思うのは、人間の際限のない欲求に対する怖さと、年齢相応の、もし若返るとしても、それは普段の運動や食事、様々な価値観や興味、ストレスの軽減とか、文化的生活なんかを見直した結果としての若返りであるべきなのだと云うことだろう。

サミュエル・ウルマンの「青春の詩」を思い出した。