恋人はアンバー-Dating Amber-
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原題 Dating Amber 製作年 2020年 製作国 アイルランド 配給 アスミック・エース 上映時間 92分 監督 デビッド・フレイン 製作 レイチェル・オケイン ジョン・ケビル 製作総指揮 ダーブラ・レーガン デビッド・フレイン ロリー・ダンガン ウィル・クラーク アンディ・メイソン マイク・ルナゴール 脚本 デビッド・フレイン 撮影 ルーリー・オブライエン 美術 エマ・ローニー 衣装 ジョアン・オクレリー 編集 ジョー・ソーヤー 音楽 ヒュー・ドラム スティーブン・レニックス キャスト フィン・オシェイ ローラ・ペティクルー シャロン・ホーガン バリー・ワード シモーヌ・カービー 『恋人はアンバー』11月3日公開決定!日本版予告編&ポスターが解禁! 差別や偏見に悩む高校生をユーモアを交えつつチャーミングに描いたアイルランド発の青春映画『Dating Amber』が、邦題を『恋人はアンバー』として11月3日(木・祝)に全国公開されることが決定し、日本版予告編とポスターが解禁されました。 舞台は、同性愛が違法でなくなってから2年後、1995年のアイルランド。同性愛者への差別や偏見が根強く残る田舎町で、自身がゲイであることを受け入れられない高校生・エディと、レズビアンであることを隠しているクラスメイトのアンバー。家族や同級生に悟られないように平穏に卒業を迎えるため、2人は“ニセモノの恋人”を演じることに。性格も趣味も全く違う二人でしたが、ぶつかり合いながらも、悩みや夢、秘密を打ち明けるうちに、唯一ありのままの自分をさらけ出せる、かけがえのない存在になっていきます。ところが、一緒に訪れた都会・ダブリンで特別な出会いを果たし、新しい世界に触れた二人は、“理想的”だったこの関係にも終わりが近づいていることに気づいてしまい──。 アイルランドで2020年に封切られたのを皮切りに、世界各国で公開・配信されている本作。海外メディアからは「友情が本当に愛らしい」(The Hollywood Reporter)、「先入観を打ち砕く感動!」(Slant Magazine)と高評価を受け、米映画批評サイトRotten Tomatoes で94%フレッシュを獲得。アイルランド版アカデミー賞と評される「アイリッシュ映画&テレビ賞」(第17回)で8部門ノミネート、2部門受賞の快挙を成し遂げました。 さらに、ニューヨーク最大のLGBTQ映画祭である「NewFest」(第32回)で特別賞を受賞。日本国内でも、「レインボー・リール東京」(第29回)、「映画祭TAMA CINEMA FORUM」(第31回)、「EUフィルムデーズ」(第20回)で上映され、各回満席に。 SNS上では「ひたすらキュート」「涙腺崩壊した」「青春映画の傑作!」といったコメントが溢れ、劇場公開が期待されていました。 9月9日(金)午前7時より、オリジナル待ち受け画像の特典が付いたムビチケオンラインが発売されます。 『恋人はアンバー』(原題:Dating Amber) 監督・脚本/デイヴィッド・フレイン 挿入歌/PULP「Mile End」、Brenda Lee「You Can Depend on Me」、U2「All I Want Is You」、GIRLPOOL「Cut Your Bangs」ほか 出演/フィン・オシェイ、ローラ・ペティクルー、シャロン・ホーガン、バリー・ワード、シモーヌ・カービー 2020年/アイルランド/92分/ビスタ/5.1ch 日本公開/2022年11月3日(木・祝)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開! 提供/Watcha Japan 配給/アスミック・エース 後援/アイルランド大使館 公式サイト © Atomic 80 Productions Limited/ Wrong Men North 2020, All rights reserved. 劇場情報 https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=DatingAmber 千葉 劇場名 TOHOシネマズ流山おおたかの森 東京 劇場名 TOHOシネマズ シャンテ TOHOシネマズ池袋 神奈川 劇場名 kino cinema 横浜みなとみらい 茨城 劇場名 TOHOシネマズひたちなか 栃木 劇場名 TOHOシネマズ宇都宮 『恋人はアンバー』 オリジナル特典付きムビチケ前売券(オンライン) 好評発売中! このたび、2022年9月9日(金)より、『恋人はアンバー』ムビチケ前売券(オンライン)の発売が決定いたしました! ムビチケオンライン限定でオリジナル特典【スマホ壁紙】が付いてきます。 ◆販売価格 ムビチケオンライン 一般 ¥1,500(税込) ◆販売ページ https://mvtk.jp/Film/074504 ◆販売期間 2022年9月9日(金)7:00~2022年11月2日(水)23:59まで ※上記の「デジタル映画鑑賞券」にはムビチケカードは付きませんのでご注意ください。 ※本作品ではムビチケ小人券の発売はございません。 ※舞台挨拶等、特別興行にはムビチケ前売券(オンライン)がご利用いただけない可能性がございます。あらかじめご了承ください。 - ※上映劇場が変更となる場合がありますので、鑑賞の前に必ず劇場にご確認ください。 『恋人はアンバー』新場面写真12点が解禁! 差別や偏見に悩む高校生をユーモアを交えつつチャーミングに描いたアイルランド発の青春映画『恋人はアンバー』の新場面写真12点が解禁されました。 舞台は、同性愛が違法でなくなってから2年後、1995年のアイルランド。同性愛者への差別や偏見が根強く残る田舎町で、自身がゲイであることを受け入れられない高校生・エディと、レズビアンであることを隠しているクラスメイトのアンバー。家族や同級生に悟られないように平穏に卒業を迎えるため、2人は“ニセモノの恋人”を演じることに。 到着した場面写真では、恋人のフリをしようと決意したものの最初はぎこちない二人が、多くの時間を共に過ごすうちに「ありのままの自分に出会えた」と心から思える関係を築くまでの展開が切り取られています。 卒業間近、授業をサボって都会のダブリンへ繰り出した二人は、ゲーセンで仲睦まじく写真を撮り、クラブで酔いしれ、開放的な時間を心から楽しみますが、後日再びダブリンを訪れた時に、ある事件が起きてしまい──。 アイルランドで2020年に封切られたのを皮切りに、世界各国で公開・配信されている本作。海外メディアからは「友情が本当に愛らしい」(The Hollywood Reporter)、「先入観を打ち砕く感動!」(Slant Magazine)と高評価を受け、米映画批評サイトRotten Tomatoes で94%フレッシュを獲得。アイルランド版アカデミー賞と評される「アイリッシュ映画&テレビ賞」(第17回)で8部門ノミネート、2部門受賞の快挙を成し遂げました。 さらに、ニューヨーク最大のLGBTQ映画祭である「NewFest」(第32回)で特別賞を受賞。日本国内でも、「レインボー・リール東京」(第29回)、「映画祭TAMA CINEMA FORUM」(第31回)、「EUフィルムデーズ」(第20回)で上映され、各回満席となる注目を集めました。 1995年のアイルランド、保守的な田舎町に住むパパは英雄的軍人、ママは主婦の典型的な家族の長男エディ。自分も軍人になるんだ!って言い聞かせているけれど、どこからどうみてもゲイ。そして優しいけれど弱い。 そしてみんなからエディが揶揄われているのを見て助け舟を出した1人で何でもできちゃうレズビアン女子アンバー。そんな二人がほんとキャラが男女逆転していてめちゃ面白いし、この時代まだまだ大っぴらに同性愛者と言えない環境に生きる生きづらさも感じられる内容でした。同性愛者の映画はいくつもあるけれど、高校生、思春期真っ只中の物はなかなか今まであまり無かったので良かったです。最後エディが自分をしっかり認識してアンバーにもゲイ!と言えて良かった! ベストショットは、エディの部屋で包容し合う兄弟を窓外アングルから収めたシーンだと思う。そのままカメラを下におろすと夫婦が喧嘩している様子。 この描写は皮肉たっぷりかつ、少し悲しくなるようなとても良いシーンだった。 恋愛映画。 自らがゲイであることを受容できない男子校生エディーと、自らがレズビアンであることを受容し前進しようとする女子高生アンバーの物語。周りから除け者扱いされる彼らは偽装カップルを演じることで、自分たちは異常ではないと主張する。 初めは偽りの関係でしかなかったが、次第に性を超えた特別な関係を構築する。 アンバーはアイルランドという田舎から早く脱出し、ロンドンへ飛び立つため貯金に邁進する。一方エディは父親の半強制的教育により意思とは違う地元軍隊に入隊するという選択しかない。 性のジレンマのみならず、2人の家庭環境、その後の人生が絡まり合うところがこの映画の醍醐味。 アンバー、強い子すぎる。 学生のあいだに親にカミングアウトできるの、すごいよ。 あと髪色めちゃくちゃかわいい、真似したい。前と後ろで違う色のメッシュ、ファンキーだなと思ってたら彼女はパンクが好きなのね。 性的マイノリティがここまで差別されるような環境に生きたことがないので、うぉん辛いねって気持ちになった。 同性愛者なだけで町中の噂になっちゃうのやばすぎる。 ていうか神父?牧師?もやばい。言いふらすなや。 エディが、このまま正式に付き合おうって言ったりしなかったら、2人はいい友人のままでいられたのかなあ。 どっちみち最後には仲直り?できたけど。 あそこまでしてあげれるほど、大事な存在ではあったんだもんね。 アンバーは男性を嫌悪するレベルで、エディは多分嫌悪ってほどでもない、みたいな多少の差はあったし、当然だけど、それぞれ事情は違うよねえ。 性的マイノリティについて、自分は当事者じゃないから下手なこと言えない。こういう映画見た時。 たぶんこの映画の評価は、アンバーを好きになれるかどうかにかかっているなと思った。 わたしは強い女の子が大好きだから、この映画良かったなあと思うけど、アンバーに魅力を感じない人は微妙に思うかもなって思った。 ゲイとレズビアンの2人が周りにその事実がバレないように偽造交際しながら自分の性を受け入れて成長していく物語。 アンバーがあるお店で出会った女性と関係が進んでいきカムアウトして前進していくのに対して、2人の関係が崩れて彼女が離れていってしまう不安とエディ自身の性的嗜好の認識とで揺れ動く様子が丁寧に描かれていてよかった。その過程を知れたことがとても学びになりました。様々な葛藤を乗り越えた2人の姿を見ているだけで目頭が熱くなった…🏳🏳🌈 愛してる、じゃないけど、自分が大切に貯めてきたお金を全て捧げるくらい大切な存在だったことが伝わってエディが一歩踏み出した時、思わず涙が…。 日本はジェンダーへの受け入れがまだかなり後進の国だと思っていて。こんな風に考えなくても気軽にカムアウトできる世の中にならないといけないなと。 人のために生きるんじゃない、自分のための自分の人生!!どうしても周りからの目を気にしちゃったり相手に合わせてしまったりするけど、自分を大切に生きていこう、と背中を押された気がしました!🔥 アンバーとっても素敵。優しくて強くて自由で迷いがなくて愛がある人。とっても好きステキ。 エディがダメダメに見えちゃうけど、きっとエディが普通だよ。アンバーがカッコ良すぎる。 途中から気の毒になるくらいボロボロになっちゃうけど、全部迷いのせいかな。時代もあるかな。 幸せになるって、きっととってもシンプルなんだろうな。素直に自分を認めて心のままに従うだけでいいんだろうな。 それには、勇気が付き物だけど。 怖いに決まってるってアンバーも言ってたしね。 あの2人はこの先も心で繋がっているんでしょうね。 エディのお母さんも素敵なお母さんでした。 まさか泣くなんて思わなかったです!かなり好きな映画!! 1995年、アイルランド。田舎町で暮らす高校生エディ(フィン・オシェイ)は少し年の離れた弟との関係も良好だが、軍隊のリーダーの父親と専業主婦の母親はいつも口論が絶えない。訓練場は家のすぐ近くにあり、いつも射撃訓練の弾が飛び交うこの街に生まれた少年の運命は最初から決まったレールを歩く。95年と言えばアイルランドの隣国のイギリスではブリット・ポップ旋風が巻き起こり、『トレインスポッティング』が生み落とされる一歩手前だが、信じられないことにアイルランドでは同性愛が違法でなくなってから2年しか経たないのだから恐れ入る。『ベルファスト』にも見られたように、国民の8割がキリスト教徒という保守的なアイルランドでは、迂闊にゲイとかレズをおいそれと公言できる時代ではない。だがそんな閉鎖的な学校生活に悲鳴を上げる若者が2人いる。童貞をからかわれ続けるエディは適当に見繕ったクラスメイトを誘惑し、涙ぐましい努力でABCのステップを試みるものの、どういうわけか勃たないのだ。身体は正直でも心が弾まぬ失意の恋のあと、自転車で疾走する彼の背中めがけて石が飛んで来る。その犯人はクラスメイトのアンバー(ローラ・ペティクルー)という小生意気な少女だった。 エディとアンバーのボーイ・ミーツ・ガールは互いに人に言えない秘密を持っている。少年少女は同性愛者なのだ。おいそれとカミング・アウトなど出来る空気にない当時の穏健な学生生活では、 互いがゲイやレズビアンであることをとにかく隠すより他ない。そこで2人が思い付いたのが「ビジネス・カップル」としての仮初めの恋だった。 キスまではしても、異性のカラダにまったく興味のない2人の恋はどうにも進展しない。だがそれで良いのだ。父親が自殺し、貧しいトレーラー・ハウスで母親と2人っきりで暮らすアンバーはオアシスが流行りを迎えてもなお、 Bikini Killのパンク・スピリットに熱狂する。対するエディは軍人の父親と保守的な家庭に生まれ育ったが、軍の上層部に務める父親の稼ぎは大きい。サブカルに夢中になる貧しい少女と、軍人のレールを敷かれた良いとこの少年の対比。奇々怪々な恋のさや当てから逃れることで生まれる 2人の共感は実に素敵で、青春時代を思い返しながら胸がキュンキュンする。親友ではなく、心友を持てた幸せは理想的な異性の恋人を見つけることよりも数倍幸せなことなのだが、若い2人は苦しみの只中に居て、そのことになかなか気付けない。 単純にLGBTQと言っても、それぞれの価値観や生い立ち、目標や社会との兼ね合いは人それぞれなのだと思わされる。アンバーのモットーは自分自身に正直にであり、 高校生の間だけ穏当にしていればあとは自由なのだ。彼女の思考は実にオープンであっけらかんとしている。それとは対照的に厳格な軍人の父に育てられた長男坊の エディはホモセクシュアルであることにひたすらカギをかけようとする。隠そう隠そうとして苦悩する。オープン・スタンスとクローズド・スタンスとのレイヤーの違いそのものが青春映画の未来に暗い影を落とす。ミリタリー・ グッズやファッションでイミテーションを施したエディがスケッチブックに書き殴った痛々しい男根のイメージは、主人公の母親ハンナ(シャロン・ホーガン) によりゴミ箱から救い出されるのだ。今作は青春群像劇でありながら、他者を認め合うことの愛おしさに溢れる。中盤以降、じわじわ涙腺が緩み続け、 ハンカチで涙を拭った。願わくば結びは、2人のルーム・シェアでも良かったのではないかと思わされる。茫然とするエディとアンバーの優しさに涙が止まらなくなる。初めてエディの家を訪ねたアンバーの無理し過ぎたファッションが目に焼き付いて離れない。90年代青春映画の新たなる金字塔の誕生だ。 エディとアンバー、全く性格の違う二人が、だんだんと歩み寄っていく様はとってもキュートでよかった!! 監督自身の経験がベースになっているらしい(どこまで本当なんだろう?気になる!) アイルランドは2015年に世界で初めて国民投票によって同性婚の自由を認めたらしい。その20年前はこの映画のような環境だったことが衝撃だけど、この映画の登場人物一人ひとりが歩み寄って学び合い、反省していったんだろうな~と思うと感慨深いものがある。(だからこそ、彼らを絶対悪として懲らしめたりしなかったのかな?) それにしてもアイルランドの映画はとっても良いな~、シング・ストリートとかもよかったし。 音楽が良いのは言わずもがな、村社会への反発から郊外→ダブリン→ロンドン とどんどん大都市に意識が向いていく感じはなんとなく日本で育った自分にも共感できるからなのかもしれない。 今年見た280本の中では「ロスバンド」「カモン カモン」「ベルファスト」「ハウス・オブ・グッチ」「ガガーリン」「チタン」あたりと並ぶ出来 ありそでなかった青春映画だね!素晴らしい! LGBTで生まれたことが可哀想っていう迷惑な同情心を否定して彼らはLGBTだからこそ生まれた友情に羨ましさを覚えるこの描写は最高だった なかなか上手い着地のしにくい物語だけど、じつに見事なエンディングだった! ホモフォビックな世間の目を逃れるため、異性カップルを演じる男性に恋するエディとレズビアンのアンバーの物語。偽装カップルから無二の親友へ、いつしか広がる自分を隠したいエディと自分らしく生きたいアンバーの心の溝。日を追うごとに感想が変わるけど、ビターな良作。 ◎ここから余談 ・ゲイのカモフラージュのために好きでもないクラスメイトの女性を利用したり、ゲイクラブの客や仲間を傷つけたり、唯一味方だったアンバーにも酷い言葉をぶつけたり、、仕方なさや間違いも含めて人間味と言いつつ男性目線が強いのが気になった。仕方ないとわかりつつ。 ・日本版ポスターの件その1。アンバーのレインボーカラーのサングラスが赤に塗りつぶされていたから日本の配給はクソみたいな意見があったけど、結局塗り替えたのはアメリカ版で日本はオリジナルに忠実だったという話。ソースを調べず感情で動く事例として残念だった、SNSあるあるだけど。色々怖い。 ・日本版ポスターの件その2。「男性に恋するエディ」という表記に「”ゲイのエディ”という言葉を避けた」と怒り浸透な人もいたけど映画を見ればわかるとおりセクシャリティに不安定なエディの性指向をカテゴライズしない、グラデーション豊かに表現した最良の判断だと思った。ちゃんと映画見て意見すべきだなー、、と。 ・(少しネタバレ)ラスト、アンバーがお金を渡すくだり。彼女もまた死別した父親のトラウマを抱えつつ、未来を夢見て貯金していたのに、エディの軍資金にしちゃうのが「男側に都合良すぎない?」と。仮にストーリーをそのままにアンバー視点で作品を構成したら、この展開にはならなかったかなー。。 『逃げるは恥だが役に立つ』や『彼女が好きなものは』に少し重なる部分もあるゲイとレズビアン高校生の偽装カップル青春映画。 舞台は1995年のアイルランドで、2年前に同性愛が違法でなくなってはいるが未だ差別は強い時代。この頃の同性愛がどれだけ嘲笑の対象なのかはこの主人公らと歳が近いので分かる。日本でもオカマとしてネタにするのは日常茶飯事だった。日本の場合は近年でも未だとんねるずのあれを復活させて面白がってましたが。そんな時代に自分のセクシャリティに悩んでいるエディとレズビアンをハッキリ自覚しているアンバーが高校卒業するまでの間付き合うフリをすることに。これは仮に同性愛者じゃなくても恋愛に関心を示さないと当時としては呪いのような"ホモ""レズ"の烙印を押される訳で、同性愛者の物語であるが同時に恋愛至上主義の価値観に疑問を呈してるとも受け取れる。 幸いなことに2人は割とウマが合って傍目には"普通の"人も羨む関係を偽装していくのだけれど、求めているものが根本的に違ってアンバーはセックスのできるパートナーが欲しい。その時点で男性のエディとは本当の関係にはなり得ない。ここは『彼女が好きなものは』の"勃つ好き"と"勃たない好き"を思い出させられる。アンバーがレズビアン女性のサラと出会ったことにより関係は終わりが近付く。ヤリ部屋でのサラとの情事を描いたことの意味。一方のエディにはセックスだけ省いた交際を続けたい気持ちがあったが、果たしてそれは本当の気持ちなのか。軍司令官の父を持つエディは強い男らしさを求められて必死に男らしさをアピールしてて、女性をパートナーにしようとしたのも社会に求められる自分の演出でしかなく感じられる。隠そうとしてはいてもある程度覚悟のできてたアンバーに対してエディは情けないと言えるが、そんな自分に対して嘘をつかなければいけないほど当時のマチズモの圧が強いことを知ってるので殊更責める気にもならない。 同性愛嫌悪とマチズモの田舎ヘルからは結局脱出するしかなかったのは、結局都会でないとマイノリティは生き辛い現実が突きつけられる。今なら多少マシとは言え。マジョリティのあからさまではない悪意や保身も印象的で、娘のカミングアウトを神父に告白して町中に伝えるアンバーの母や男らしくない弱い男には冷ややかなエディの父、教育熱心でも誤解は恐れる教師への苦々しい気持ち。散々レズビアン弄りをしておきながら卒業時には水に流してくれと言える同級生男は最悪。死んどけ!しかしこういう人間は特別珍しくない。取り分け学生時代などは。"普通の"人々の嫌らしさがひしひしと感じられる。ねぇ?普通の日本人様。その中で息子がゲイであることに勘づきながら「相談があったら何でも言って」と言うエディの母は良心。 イカれた世界で衝突しながらも「あんたは最高の彼氏」と言ってエディを送り出すアンバーは恋愛を超えた互いを想い合える関係を築いていて尊い。一応のジャンルとしては恋愛映画になると思うのだが、恋愛を必ずしも必要としていないことに救われる人はきっといる。この映画はただLGBTQを出しただけの多様性映画より広い視点を抱けている。煌めきと慈しみに満ちた色彩・光の豊かな映像とそれを彩るUKロックの高揚感が心地良く濃い92分。主演者ではサラが『ライフ・イズ・ストレンジ トゥルーカラーズ』の主人公アレックスにどこか似てたのが気になった。彼女もレズビアンだったしね。アンバーのロックなスタイルもお気に入りで演じたローラ・ペティクルーは気になる存在に。 感想難しい〜〜と悩んでたら見て4日経ってた。 作品としては(下品なところを除いて)見やすかったし、2人の物語にグッとくるものがあって良かった!!! 「なりたくない人」と、「本当の自分」が一緒だったら、とか、なんか、本当の自分と周りの目を気にする自分とで、その2つをどう擦り合わせていくかを考えさせられる映画だった。 最初の方は高校生があまりにも下品で見る映画間違えた〜って思ってしまったけど、後半につれてその過度な演出が、エディとアンバーの苦しさをより際立たせてるように感じたから納得できたし、ジェンダーの映画の中でもリアリティがあって良かった。美化されてない映画って好き。 生きている中で、生きやすさを求めると、どうしても“本当の自分“よりも“周りに馴染むための自分”でいないといけない気がする。でも本当は、周りに同調する必要なんて全くないし、ありのままの自分でいていい。でもそれができない、、。って映画を見てもがいている私に、エディが「そこに未来はない」って訴えてくれて。んーーーー、アンバーは救われたと思うけど、、、世間に自分の幅を決められていないか、本当の自分でいられているのか、考えるのは簡単だけど実際にそれが出来るかは別問題で、落とし所が難しい………って悩みまくった映画でした。 海外のLGBTQ+問題って日本とはまたちょっと違うって知らんかった。1990年代〜現代のアイルランドの歴史を学んでから観たら見え方変わるかな、、?またもう一度観てみたい。 上映館もっと増えますよーに!!! 自分に偽りなく生きて幸せを掴み取るということ。 90年代の閉鎖的な田舎町では同性愛者が許されることはなく、ゲイだというだけで冷ややかな扱いを受けていた。 男子高校生のエディは男性が好きで、女子高生のアンバーは女性が好き。 けれど思春期で性に対して興味がある同級生たちは異性に興味がなさそうなふたりをからかい悩んでいた。 エディはゲイではないということを証明するため、女の子にキスをするが胸を触らないなんておかしいと同級生たちにからかわれてしまう。 そんな姿を見ていたアンバーは、エディに同性愛者であることを告白し卒業までの間付き合っているふりをしようと提案する。 どこまでしたの?どうやったらモテるの?そんなことばかり考える同級生たちはエディとアンバーにとっては幼稚で相手もしたくない。 けれど卒業するまではクラスメイトとして付き合わなくてはいけないし、この小さな町で噂までたってしまうと収拾がつかなくなる。 エディとアンバーの偽カップルは可愛らしくて仲良しで観ていて癒される。 性別なんて関係ない、同性が好きという共通点で繋がり将来の夢を語ったり自分の未来を考える多感な時期と青春の描き方がキラキラしていてよかった。 けれどいいことばかりではなくて、エディが軍人の家系であることとアンバーの父親がいない理由等現実的な問題を絡めながら高校卒業まで描いていく。 隠したいけれど解放したい。 隠した方がうまくいってきっと幸せになれる。 言わなくていいこともある。 これはこれで幸せじゃあないか。 認めてもらえるわけがない。 解放的で強く凛々しいアンバーとは対照的で保守的で親の期待に応えて理想の自分になろうとするエディの気持ちの複雑な面がうまく表現されていて考え込んでしまう。 幸せの定義って何やろう? 他人が決めることではなく、幸せは自分で決めるものなのに一歩踏み出して新しい世界に飛び込むことが怖い。 決められた道を歩む方が安定していてきっとこれでいいと思えるのに、自分の心に素直になりたい。 同性愛者ということに対しての向き合い方が人生の分岐点と重なり選択の連続に考えさせられる。 いやーよかった! アイルランド好きだしLGBT題材のドラマや映画好きなのでこれは面白そう!と予告編見て珍しく映画館に行って観てきましたが2人の関係性がとても良い…! 自分たちの小さな町をでて都会に出た時のシーン、とてもワクワクしたしラストのシーンでは良すぎて泣いちゃいました。配信きたら間違いなくもう一度観るなこれは… セックスエデュケーションとかが好きな方は絶対しっくりくると思います。 アイルランドの風景も美しくてよかった。あのひんやりした空気が感じられてうわ〜〜!ってなりました。 映画館で見れて良かった! アンバーが本当に可愛くて好き。 まずは、こういうありそうでなかった主題の映画が公開されたことを喜ぶべきだと思う、本当にこういうのがあってほしかった、「クィアな連帯」はあるべきはずなのに、でもやっぱり出てこなかったからこそ、もし自分が映画を作るならこういう話にしようと思ってたものと全くドンピシャで(ていうか、去年自分が映像シナリオ演習で描いた脚本とほぼ一緒みたいな感じで)それだけで有り難かったな だからこそ、割と話の整合性には突っ込みたいところもあったり…軍隊に行くっていうエディーの選択は、私にとってはずっとゲイの彼にとって最良の選択だと思ってたので、嫌だっていうのが割と驚きだった 『戦メリ』に感化されすぎたのだろうか、でもゲイ×軍隊(などの男しかいない環境)って天国じゃないか?と思ってしまったので、まずそこにひとつ違和感 あと気になったのは、自分のことを「ゲイ」とカムアできないエディに対しての、自分らしく生きてレズビアンであることを最終的には隠さずに生きることを選択したアンバーを表象することは、クローゼットレズビアンという表象で女性の古典的なスタイルに寄り道してしまうことを防ぎたかったのかもしれないけど、結局この話の筋はどちらかと言うと「エディがゲイとカムアできる(自信を持って性自認を自分の中で隠さず、自分らしく生きていく)こと」なのであって、アンバーはそのための立役者みたいな感じなのかな、と思ったりもした それって、いいことなのかな やっぱりこの手の主題を描くにはまだまだ課題があると思う、90分で収めたのがすごいと思うし、逆にもっと尺割いてもよかったんじゃないかなとも そうだ、エディはいつも音楽を聴いているわけなんだけど、アンバーが何かエディに伝えたい時石を投げてて、エディの音は非物語世界の音から物語世界の音に変化してましたよね?多分 でも最後のシーンって音楽鳴らずに石がぶつかる音がしていたような気がするんですけど、音楽が頭に入ってきているか否かをスクリーンで伝えてくれていたのでしょうか、あれだろうか、音から伝わるエディの視点ショットみたいなそんなやつ でも廊下を歩きながらエディとアンバーが肩を組むところは、正にクィアな連帯で少し泣いてしまったし、男が女がじゃなくて、人間と人間の話を束の間でも観れたのが、とてもいい経験だと思った それだけでも、本当に価値があったと思う 今日は親友を連れて観に行きました 練習直後に「この後空いてる?私と映画見に行ってくれない?今から1時間半後」と唐突な誘いでよく乗ってくれたな…普通に申し訳なかったけどもしこの映画観るなら親友と観に行かないと意味ないって思ってたから、良かった 全然関係ないけど全国金賞おめでとう。 コメディとシリアスの配分が良い映画だった。コメディも程よく入れられていると、真面目なシーンが印象的になる。エディとアンバーの生きている時代は同性愛が違法ではなくなったものの、まだ浸透していない不安定なときで、そんな中精神的にも安定しない学生生活を送るのは大変。しかも世の中でよくないとされていることに対して自分がもしかしたらそうなのではないかと思う怖さ。子供の頃には自分のことすごく大事だけど、周りの人から見える自分を大事にするほうが優先されちゃう。そんな高校生の青さを思い出した。自分のことをしっかり理解してあげることって大事だなと思った。 恋人はアンバー、めちゃめちゃおもしろかった、何て良い映画なんだ……何て良い映画なんだ………アンバー好きすぎる、こういう映画だと想ってたけどとにかくめちゃくちゃ良すぎる、最後が好きすぎる涙がポロってさ…出てさ、爽やかでキラキラやのに最高に切ないラスト、大好きだ、さみしい、でも好きだ、あー。 最後のシーン、エディはアンバーから希望を受けとるのも凄く怖くて怖くてたまらなかったと思うけど、「もし受け取っても、どこに行けば良い?」という自分の問いかけに対する、アンバーの「どこでも!(anywhere !)」という返しで何かが一気に弾けた。全く違う場所にいるのに全く同じ表情をしている二人の顔が交互に写ってひたすら光に向かって行くような姿を観ていたら、気づいたら、涙をこぼしていた。こんなに自然に涙が流れたのは久しぶりだった。 2人は恋愛的なパートナーでは無かったけど、そんなものぶっ越えたような最高の親友で戦友で“恋人”でお互いに本当に愛し合っていた。わたしは未だに愛の定義を完全に理解できていない。だけど、自分以上に相手のことを思いやれる、相手のためなら自分の中の何かを手離せる、そんなアンバーの姿には究極の無償の愛を感じた。ララランドのセブがミアの背中を押したように、ワンスの"男"が"女"にピアノを送りつけて去ったように、アンバーもエディに最高の希望と勇気を手渡して立ち去る。みんな、失うものがあるのにそれを厭わない。そういう映画の中の、膨大な切なさとあたたかさで埋め尽くされるような別れのシーンに、私はいつも痺れて、泣いて、人間の美しさといとおしさを思い出すことができる。だから、また1つそういう映画に出会えて心から良かったと思う。 恋人はアンバー 作品の意図がストレートに伝わってきて分かりやすく、LGBTQ映画だけどコミカルな青春映画でもあり、最後まで楽しめました。 1995年、アイルランドの田舎町。ゲイであることを受け入れられずにいるエディと、レズビアンであることを隠している同級生のアンバーは、周囲にセクシャリティを悟られずに卒業するため、カップルを装うことに。 昨今のLGBTQ+青春ものとは様子が異なり、エディは断固としてゲイであることを否定し続けようとする。それだけ当時は、ゲイやレズビアンへの差別や偏見が根強いことがよく分かり、エディやアンバーの置かれた環境に胸が苦しくなる。 物語が進むに連れ、アンバーが自分のセクシャリティをオープンにしていくのに対し、殻から抜け出せずにいるエディ。そうした自己肯定感の差が、時として相手の心を傷つける言葉を口にしたり、二人の関係に影響を及ぼすところがリアルで切ない。 ラスト、二人の見せる表情が印象的。一体がどんな大人になったのか、観終わると想像力が膨らましてしまう。そして30年近く経った今、少しは生きやすい世界になったのか是非二人に聞いてみたい。 すごい勢いで進歩的になってた1995年のアイルランドがそんなに保守的か?って思ったけど首都ダブリンじゃなくて田舎だとまだあんなものかもな わざと周囲の高校生も田舎っぺくさい不細工なガキ達で揃えてたしな チー牛って家ではあんなエロ話とか平気でしないだろw 可哀想なの、同期入隊のゲイの子だな ひた隠して軍隊の中で生きていくのか・・・ しかも主人公のこと結構好きだっただろ でもアイルランド今だとゲイの首相がいるし欧州で最初に同性婚を認めるしで本当に180度変わるもんだな エディとアンバーの2人で一緒にいるシーンが素敵すぎて、もう2人でいいじゃん…って思ってしまった自分を悔やむ…。 同性が好きということを隠すために付き合ってる振りをするから、それで根本的に恋愛対象が変わるなら友人に隠したり周りの反応に怯えたりしないんだよなぁ…反省。 一緒に過ごしていたはずなのに、考え方が真逆なのも切なかったです。 それでも2人のシーンがやっぱり好き。 昨今の流れでLGBTQを扱う映画もずいぶんと観てきたが、本作もお手本のような作品だった。 カトリックが中心のアイルランドが舞台とあれば、もうその時点で「ストレート」でない人たちは生きづらい。その生きづらさを乗り越える手段として、エディとアンバーは世間体を保つために偽装カップルとなる…となれば、およそプロットは見えてくる。もう、近いうちに破綻することが見えているからだ。 実際、エディは世間体を気にし続けてアンバーとの「気楽な」関係の維持を欲するが、そのことがアンバーとの距離を遠ざける結果となる。 本作では、レズであるアンバーが自分の性的指向を受容し、ありのまま生きることを先に選択する。そのことにより、アイルランドの片田舎から脱出すること、すなわちどこか別の土地(ロンドン)に行けば全てが解決するのではないかという「安易な」手段を用いずに自分の居場所を確保することに成功する。 他方で、エディはなかなか自分がホモセクシュアルであることを認められない。そして男性性の象徴である軍への入隊にひた走る。 終盤、彼に向けて石が投げられる。アンバーが差し出したのは、彼女がかつてロンドン行きを目指して貯めていた軍資金であった。(それも、男女の営みの場所を提供することの対価として得た) エディは、ひっそりと彼女にだけ「ゲイである」ことを認める。彼はアンバーにも来て欲しいと願うが、アンバーは残る決断をする。なぜなら、彼女は別に逃げも隠れもしなくて良くなったからだ。 エディは、入隊のトラックに乗らずに電車に乗る。行き先はわからない。彼が自分自身を受け入れて、地元に戻る日は来るのか…。そんな余韻を残した終わりであった。 2人で撮ったプリクラは、かつて同じ境遇・心境にあった戦友同士の世間に対する必死の抵抗であり、互いがそれを手にして各々の人生を歩んでいくという終わりは、思わずエールを送りたくなる着地であった。 偽装恋愛関係を発端に “傾奇もの”たちが生み出す愛のかたち。 唯一の理解者をも苦しめ傷つけなければ 生きて行けない世界が歯がゆい。 面白くて、 どこか普遍的な学園生活に 懐かしさを感じながらも、 異性愛の自分にとっては 住みやすいコミュニティが 一方ではそうでなかったのではないかと 不安になる。 男性至上主義、 異性愛至上主義の世界のなかで 彼らに触れるにつれ 少しだけ変わる兆しも見られた。 少しずつ変わっていく世論は 彼ら彼女らの痛みの上に築かれた瘡蓋であるということも 心していかなければならない。 主人公の両親の関係は尺あればもう少し掘るべきだよな脚本的に 尺が短いから周りの人は全部はフォローしないで終わっちゃった 女の子と見に行こうと思うのですが、グろいシーンとかありますか? 画面にモロに映らないけど、手コキシーンとかあるのが少しアレかも しかしこの映画とネトフリのコメディのデリーガールズとか見るとアイリッシュ女子高生へのイメージがやたらに悪くなるな 最高最高最高 LGBTを当たり前に取り扱うポリコレを意識した作品が連立する昨今、こんなにも正面からその題材を取り扱う作品は逆に稀有。 今見たら誇張が過ぎるくらい、ゲイやレズビアンに攻撃的な登場人物も、1990年代半ばアイルランドの田舎町とかいう設定が説得力を持たせてる。 ゲイであることを自覚しながらそれを決して認めたくないエディと、レズビアン自覚しそれに向き合い続けているアンバーの対比がいい。終始アンバーがエディを導くような立ち位置にいるし、エディの頑なさにヤキモキするけど、あの田舎町で育ったらそりゃエディのが普通だよな。恋人の元に走り出すのも、絶望の最中にいる恋人を抱きしめるのもアンバーの役目で、そこに性差は必要ないっていうメッセージが響いた。 子供が同性愛者であることを知った親の反応もリアルで良い。今まで通りではいられず、腫れ物を触るように優しくなってしまうのは、悪いことではないけど正解でもない気がした。 母親にアウティングされたアンバーは除いて、自ら意志を持ってカミングアウトした時に悪いことは何も起こってないのが良い。現実はそう簡単ではないけど、LGBTに悩む全ての人へのエールみたいなのを感じた。 エディのアンバーに対する執着は、恋ではないけど紛れもなく愛。2人のデートシーンを散々見せた後に、アンバーとサラを出合わせるのが残酷だけど現実的。ラストシーンで無理にエディとスミスをくっ付けずに彼らの未来を提示させてもらえたのが良かった。 こんな良い映画に大学生で出会えてよかった。全てに人に見てほしい。 舞台の町ってNew Bridge(駅名で出ていた)だから実はそんなに田舎じゃないんだよね 首都ダブリンにも気軽に行けるというか、最近ではダブリンのベッドタウンになってるくらい >>54 まあでもあんたはこの作品の様なマイナー作品はスルーするニワカさんでしょ?w >>55 見たから巡回リストに入れてるけど、なに? >>56 巡回リストってwwwww気持ち悪すぎて吹いたw まぁその程度の返ししかできないってことは見てねえなw さすが大衆作品しか見ることのできない低脳w 同性愛者同士が織りなす深い友情と 同じ同性愛者だからこそお互いに芽生える愛が良い! 若さ故の下品な仕草だったり 若さ故の男女の悩みだったり ティーンエイジならではの感情の振り幅とか全部が青春で可愛い。 悪い子がひとりも出てこない。 クスっと笑えるポイントも多々ありで 最後までずっとほっこりムービー。 90年代のパンクとエレクトロ、テクノなサウンドも良き! この作品以外にも かつてゲイ役を演じたコリンファースしかりユアンマクレガーしかり、ニックロビンソンしかりティモシーシャラメしかり プライベートもだけどグザヴィエドランしかり 役柄だけでもしっかり可愛い。 ヒリヒリとキラキラとしていて、良い映画だった! 同性愛者についての話ではあるけど、それひっくるめて、自分の本当の心や本当の居場所がわからなくなっている若者が新しい一歩を踏み出すまでの物語に仕上がっていたので、普遍性があって見やすかった。自分を受け入れる青春映画として綺麗でいい映画。 あと、アイルランド訛りとアイルランドの風景がまた良きでした! 行ってみたい! 1995年、同性愛者への差別や偏見が残るアイルランドの田舎町。自分がゲイであることを認められない高校生・エディ(フィン・オシェイ)と、レズビアンであることを隠しているクラスメートのアンバー(ローラ・ペティクルー)は窮屈な日々を過ごしていた。二人は周囲にセクシュアリティを悟られずに卒業するため、期間限定でカップルを装うことにするーーー。 エディとアンバーが、本当の自分と自分の居場所を見つけるまでを描いている。 性格も全部真逆の2人の人生の交差具合が見事で、めっちゃ感心してしまった笑。 地元で周りに馴染もうと狭い視野で生きてきたエディと、地元を離れ外に飛び出したいアンバー。 何もかも正反対のはずなのに、2人でつるんでるうちに、自分を偽らなくていい相手となって次第に馴染んでいく。 最初は会話も触れ合うこともキスもぎこちなさMAXだったのに、だんだん自然と触れ合い、自然とキスをする。その過程がとても素敵だった。 自転車二人乗りのシーンは可愛い。あと、ポスターになってる部屋で話してるときも。あ、プリクラとかも!と、キラキラなシーンがあってホクホクした。 この2人の間には、信頼し合い、自分を偽らずにリラックスして一緒にいられるという深い友情があり、この友情は十分「愛」だと思う。 最初は、 地元を離れ、ロンドンなど、外の世界に飛び出したいアンバー。 それに対し、周りに馴染もうと、周りに期待されるように男らしく生きようと狭い視野で軍に入る準備をしていたエディ。 だけど、2人は学生生活の後半で。。 地元を離れて自由に暮らしてやるとお金を貯めていたアンバーは、大学生のレズビアンの女性と出逢い、自分を偽り隠すことなく、大学生の彼女の近くで自分らしく生きればいいと決心する。そして、母にカミングアウトし、自分は母のそばにいるから、本当の自分を受け入れてほしいと伝える。結果、母はアンバーを受け入れる。 が、まさかの神父が言いふらすっていうwえ、神父さんて相談内容は口外したらあかんの違うんw で、そのせいでアンバーはレズビアンと皆に噂され、近所の老夫婦に十字切られたりするんだけど、その表情はスッキリしてる。隠してるより、もうみんな知ってることとして堂々と生きればいいと覚悟ができたよう。 偽り隠すのではなく、自分を受け入れ、自信をもって生きる覚悟ができたというか。 それに対して、自分はゲイではない認めたくないと頑なに思っていたのが、男性とキスしたり、ドラァグクイーンを見たりすることで、揺らぎ始める。自分の居場所は男らしく軍に入ることだと思い込んできたのが、本当にそうなのか、いや、そういうふうに走っていけば…と苦しい心のままで進む。 そして、そのことを知っていたアンバーは、エディが入隊するところに突撃し、自分が貯めたお金を渡して、あなたが自由に飛び出すべきと促す。 現状に居場所を失っていたのは、アンバーではなく、エディだった。 そこで、エディが初めて自分がゲイだとアンバーだけにカミングアウトする。 このカミングアウトに、この一言のために、ここまでの時間を費やしたんだなぁと。。。うるうるした。 ようやく自分を受け入れ、ここではないどこかへ、本当の自分の居場所を見つけにエディは旅立つ。 2人でデートしたときのプリクラを半分ずつもって。。。 ぶっちゃけ、これ大丈夫なん?とは思う。 エディ、人が良さそうやから、どっかでお金盗まれたり巻き上げられたり騙されたりしそうやもん笑笑。 あと、エディを送り出した家族がめっちゃショック受けそうやん(ゲイであることにではなく、どこかに飛び出していって行方知れずになり、安全なのか大丈夫なのかと心配になる意味で)。 でも、こう2人が交差してエディが旅立つ意味は十分あるし、エディとアンバーに明るい未来があってほしいと心から願えた。 アンバーが最後に言った「私にとって最高の彼氏だったよ!」に泣きそうになりました。。 途中、アンバーが大学生の彼女ができたとき、これ以上エディとの関係は違うなと別れようとしたとき、エディがアンバーにウルウル目で「愛してる」というたのも印象的だったけど、この愛してるより「最高の彼氏だったよ」の方が「愛してる」みが強かった。 もちろん、あの時の愛してるも嘘ではないんだけどね。 エディは自分のセクシャリティをごまかし、うまくいけば隠して生きていけるかもしれないということからアンバーとの関係を心地よく感じていたのであって。その辺が2人を離してしまったのかな。そういう2人の違いで傷つけ合うところは切なかった。。 自身のセクシャリティの問題だけでなく、エディの家族の問題、アンバーの家族の問題もあり。 家族それぞれも悩みや問題を抱えていて、それも観てる人がわかるようなリアルさがあって良かった。 大人もみんな完璧じゃないとこがいいね。 エディの両親。 父親は典型的なマチズモというか。 軍人で、家庭を顧みず仕事に励む。 自分の考え一本で家庭をおざなりにするから母とぶつかる。 このお父さんも最初は、古風な男性的父親で嫌な感じに描くのかと思いきや、エディとキャンプ?に行く時に滑稽な感じを出したり、軍の試験は男なら絶対受かるべきだと言うてたのにエディを試験に送るときに「向いてない人もいるぞ」と言うたり。完全に偏った人に描かず、彼なりの愛嬌と彼なりの愛や成長みたいなのを描いていた。お父さん役の人、ハンサムだった! 母親は、エディの理解者。うっすらエディはゲイではないかと気づいている。部屋でノートを見つけた時に動揺するも、エディの気持ちを考え、最後、直接聞くのではなく、なんでも相談してということと、何があっても私はあなたの味方ですよという内容の言葉をかけるに留めた。ここが母の優しさ!て思っちゃった。カミングアウトは本人が自らの意思で行うときでいいと思うもんな。綺麗で優しい母。でも、アンバーの母に息子の文句言われた時、負けじとFワードで言い返してたの良かったw闘う時は闘いますよと笑。 父とぶつかっていたけど、反省した父と修復していこうと向き合う。 エディの弟、なかなかいいキャラだったな。エディの情報を家族にも流したりして、間を繋いでる。エディに期待してるようにも見える。そして、飄々としてるようで、両親が険悪になったときに心配し、離婚制度反対の活動をしたり。すりガラス越しに両親が仲を回復していこうと話してるのを密かに聞いてた姿が印象的だった。 アンバーの父親は、理由は明らかにしなかったけど、自殺してしまい、母は不安定に。 父はどうしてなんだろう。 でも、アンバーもアンバー母も彼のことを悪く言わないし、アンバーはこの街にいたら殺されるみたいなこと言うてたから、なんか外的要因であったのかな。 思春期真っ只中で性に関することしか興味ないみたいな周りの学生。 ゆえに、思春期下ネタ祭りでした。誰かと一緒に見るなら気をつけた方がいいのかな笑。まあ、取り上げ方はあくまで思春期真っ只中というような描写でなんやけど。 あと、こんなんいったら怒られるけど、みんな高校生に見えないし、主人公の2人が飛び抜けて美男美女というような学校やったな。。 私は、性的欲求が前に出てるような雰囲気は苦手なので、中学生のとき、そういうタイプの人苦手やったなというの思い出した笑。 や、相手のことが好きで、その先にそういうのがあるのはいいんだけど、相手が好きとかいうより性的欲求が何よりも先、みたいなの、引いてまうねんな〜。 見てて、エディたちとは違う面から居心地悪かった笑。 でも、みんな心根が腐ってる悪い奴というわけではなくて。憎めないようにコミカルさを出して描く。いじめっ子かと思ってた男の子も、完全悪でもなく、ほんのちょっとずつ成長してたし(後半、アンバーに対するエディの態度を嗜めたりした)、卒業のときはアンバーにもサインしてもらって過去は水に流そうぜ!とか無邪気な顔で言っちゃうという。 エディ役のフィン・オシェイ、好きだなぁ。。 どこかで観たことあるなと思ってたら、「ぼくたちのチーム」の!あれ2016年て書いてたけど、あの時も高校生やってたよね。。本人はいくつなんやろ…。。 イケメン!目が綺麗。。。 エディは自分が定まってないから、その心の揺れを表情や動きでよく表していた。 アンバー可愛くてカッコいい! ガニ股もいい笑。 エディの家に来る時、女性らしくしてきてと言われて、家にきた時のファッションみて笑ってしまった笑。めっちゃ女子女子した可愛らしい服着てるやんwて。 ヒリヒリしてキラキラした青春映画で、とても清々しかった! エディなんか可哀想…て思うことが多かったけど、最後は頑張れ〜って、ウルウルしました。 2人のその後が知りたくなる作品でした。 >>65 またキチガイ暴れてんのか?俺には見えてないが 最高にパワフルで下品なティーンの青春 そして、マイノリティの辛さをも同時に描く、少し切なく、爽快感のある作品でした! 映画で登場する高校生達のやり取りもめちゃくちゃ笑えましたし、カットや会話もテンポ良く楽しかったです。 向こうの下ネタは勢いがあって良いですねww アイルランドでは1980年代まで同性愛が違法だったらしく、また現在のカトリック人口が80パーセントを超えていることからしても、かなり同性愛に厳しい国だったみたいです。 そんな中でも、自分を貫きありのままで生きようとするアンバーと、自身が同性愛者である事実を受け入れられず葛藤するエディの対比が印象的でした。 アンバーはいつも一人だけど、エディは何やかんや人に囲まれているんですよね。 何かを犠牲にしないと生きていけないって感じがして辛かった。 ただ、二人は性格や行動は正反対のものの、一緒に居るときは笑顔が絶えず、お互いが安心できる存在だったんだなぁと思って心が温まりましたね。 そして、今作はやっぱりアンバーがあまりにも素晴らしすぎた。 心に傷を抱えていても自分を見失わず自暴自棄にならず、前を向いてズンズン進んでいく様子には勇気をもらえました。 そして、エディに対する優しさにも涙が出ました。 優しすぎるし可愛いし強いし、最強かよって感じでしたね。 その一方エディは少々どうなのよ、と一瞬思ってしまうようなシーンもありましたが、 彼の家庭で置かれている状況や、アイルランドの歴史を考えるとしょうが無いとことだったのかなと思いましたね。 二人の今後はどうなったんでしょうか。 幸せになって欲しいなぁと切に願うような終わり方も素晴らしかったです。 お休みの日に!午後から出掛けて気になってた映画を! よかった〜 青春。いいな この子たちほど直球な下ネタではなかったけど 好きだ嫌いだ付き合った付き合ってないって大っぴらにわいわい楽しめるのって学生の頃だけだよね わたしはガチであのみんなのいつもと違う空気が嫌いだった人間だったから思い出してクラッとしたけど いい思い出よね かわいいもんよあのスネ夫みたいな坊ちゃんも可愛く映るわ 正直に生きるって難しいけど 人生一度きりだもん 言いたいこと言お 胸張って過ごそうね アイルランドの田舎町の風景とアンバーのスタイルがとっても可愛かった🫶🏻 今は世界中で様々な愛の形が認められているけれど、30年前のアイルランドは同性愛が認められたばかりで、SNSもないから自分と同じような人と出会うこともなかなか出来ないし、田舎町の同性愛者は肩身の狭い思いをしていたんだなと実感。。。 好きなものを好きと言えない世界は息苦しそうだった。 最初はオドオドしっぱなしで、自分の恋愛対象もよく分かっていないようなエディがアンバーと過ごすことで確実に身も心も成長したと思うし、恋人関係じゃなくてもそれ以上の2人にしか分からない関係があったと思う。 学校で手厚い性教育をするなら、様々な愛の形についても教育しほしいー!と思った。 少し短めの映画だからあっという間に終わってしまった!その後の2人がとっても気になる、、、!! 保守的な地域のようだし、性教育も笑えるんだけど、高校生はセックスのことしか考えてないのか⁈おばさんモードにどっぷり入ってる女の子たち、女の子をセックス対象にしか見てない男の子たち。この辺の描き方はどうかと思うけど、まあその真逆にいるエディとアンバー。 危なっかしくて、頼もしくて、たまんない。こういうのはついつい母親目線で見てしまうので、ハラハラしまくる。 結局のところ、どう生きるかは自分の選択だろうけど、そりゃその時代にゲイやレズビアンだと自認することすら覚悟がいる。ましてやカミングアウトするなんてありえないと思うよね。 エディとアンバー、生き方は違うけど自分に正直に生きていってほしい。 主人公は自分でゲイの自覚がなんとなくある。 片や、同級生の女の子アンバーもゲイの自覚がある。 アイルランドでは、当時、同性の恋愛は禁止。 その上、カトリックだから、子供ができたら高校生だろうが必ず産んで結婚。 離婚は許されない。 アンバーのお母さんは10代で子供を産んで結婚。 その父は半年前に自殺。 詳しくはわからないけれど、雰囲気から察するに、このあたりで悩んだのではないだろうか。 周りには、ゲイじゃないかと言われて2人が付き合うこととなる。 でも嘘はばれる。 主人公は、入隊しないで、どこに行ったのか。 そして何をして生きていったのだろう。 このあと、アイルランドはこのあとすぐ同性愛も認められ、今は同性婚も認められている。 中絶、離婚も認めれている。 彼らの時代まで人はカトリックに支配されていた。 今は、日本より進んでいるのかもしれない 入りが猛烈に好き! 音楽聴いたまま、射撃場に突っ込んでいくエディ。止めに入る兵隊がファニー。笑 クラスメイトの下品さに引くけど、 中学のとき、わたしのポッキーが出入りするキーホルダーをいじりながら、まじエロいなこれ、とか言ってた同級生男子いたな、、、とか思い出した。 アンバーがエディの背を押すシーン、 いいよ! なけなしの情をささげてくれる友情、、、 そういうものの存在が眩しい。 ずっと2人は友達なんだと思う。 今時、みんなこんなに直接的な態度を示すのだろうか‥? この2人の関係性はとても素敵だし、羨ましい このまま、理解ある人に救われながら、表では本当の自分を隠して生きる。 たしかにこれはこのままでいいと思ってしまうのはわかる 誰か1人に理解されていれば安心だから 理由にできる だけど、アンバーの存在は、それでいいの?って言ってくる 自分を抑えて生きなければならないこの状況が世界がおかしいんじゃないの?って 未来ある未来へ進む最後 孤独、怖さとアンバー(アンバーとのプリクラ)と一緒に進んでいくのがいいなあとおもった 素晴らしい作品でした。 性のことについては悩んでいる人も多いだろうし、そのような人がどのように自分と向き合っているのかが少し分かりました。 また、そのような性について悩んでる人だけではなく、セックスレスの多い時代で、セックスを通して人と愛情のコミニケーションしていくことは大切なんだなーと改めて感じました。 いろいろな気づきがあるこの作品に出会えて良かったです。多くの人に是非観てもらいたい! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる