【濱口竜介】悪は存在しない
最後だけはファンタジーと思って観ていいよ
鹿は神聖なもの、神の使いみたいなことが上のほうでも書かれてたけどそういうことだと思う
鹿が何かを訴えかけるようなアップがあった
あれは「鹿はどこか別の場所へ行けばいい」と言い放った高橋をやれと指令していたんだろう
主人公にもそれに応える下地の精神があったのは全編通して分かる 特に強い怒りの感情もないのに他人を羽交い締めにして首を絞めて落とすのか
殺し屋か何かなのか?w >>453
凄い解釈だな
神聖な鹿が巧に指示して高橋を殺させたのか! 巧を普通の人間と同じと捉えなければいい
彼が説明した鹿と同じで、普段は人間に害を加えたりはしないが何かのはずみで突然に害をなす野生動物みたいなものだと思えばいい
我々、高橋側の人類は近寄らん方が良いんだよ怪物だから巧は
ただ怪物であっても悪ではないというのが巧なんだわ カッとなって殺したとかだと前半の丁寧な人物描写と繋がらないじゃん
それこそ車の中で急にキレる高橋とかと一瞬だし、悪ではないとは言えなくなる
防衛本能と捉えれば、主人公の自然との共存みたいな哲学ともブレないし
守る対象が娘だったのか、生活そのものだったのかは時系列が曖昧でわかりづらくなってるけど
ところでこのラストちょっと相米慎二の『お引越し』と被る気がするな 奈良の鹿のイメージで”神聖な”って思う人が居るのかもしれないけど、日本中で増殖しすぎてる鹿に接してる地方の人間だと害獣でしかない
農作物を食い荒らすのは周知だと思うけれど鹿が人の生活圏に現れるとヤマビルやらダニやらも連れてくる
「自然破壊した人への罰だ」なんて思う人が居るかもしれないが山を放置したせいで動物の生活圏が広がっているのが事実
今作で気が付いたけど、この監督やたらタバコ吸わせるの好きだよね
お花畑ナチュラリストの変な映画 🤔あのスリーパーホールドになんの意味が込められていたのか。
そう考えると夜も眠れず、仕事も手につきません。 だよね。。。それ以外の部分の解釈はもうスレに出切ってる感じ。 >>456
どういう意味において?
自分は比較的>>457の認識に近いな >>460
作り手が田舎のこと自然のこと本当は知らないんだろというのは同意
川の水汲んできて蕎麦屋の営業なんて絶対許可下りない >>464
そうなのか
おれは東京出身だからそこはまったくわからなかったわ 監督が川崎出身だから田舎の描写が僕の考えた最強の田舎なんだよな
田舎者は自然を愛してるとは限らないわけで >そばを打つうえで、重要になるのが水です。戸狩の各宿では川の水を利用した水道水ではなく、
>裏山に湧き出ている湧水でそばを打ちます。臭みがなく、澄んでいて本当においしい水です。
>そばを打つ水も、茹でる湯もすべて湧水。これが田舎らしい贅沢だったりもします。
>おいしいそばを追求して、湧水を使う。その探究心こそが艶やかで引き締まった美味しいそばを提供できる秘密です。
ちょっとぐぐっただけだが湧き水はセーフで川は駄目みたいな基準あるん 上にも出てるけど川崎生まれなだけで父親の仕事の関係で地方も含めて転々としてたらしいよ
あと劇中でうどん屋が使ってるのも川じゃなくて湧き水じゃなかった?
実際モデルになったうどん屋も近くの湧き水使ってるって書いてたぞ 湧水(地下水)は雨水などが地面に浸透して、地層によって自然に濾過されあとで地表に出てきたばかりの水だから、川の水よりも清澄なんだと思う
川の水は湧水が流れを作って、それらがいくつか集まって大きな流れをなっているからそこまでですでに汚れを含んでいる。 自分の住んでるところは地下水利用が多いけど水質検査厳しいよ
知人が飲食店やることになった時もそれが一番ネックになってた
あと登山する人は谷川の水なんか飲まない
いくらきれいでおいしい水でも上流で動物の死骸沈んでるの良く見るから 鹿だって少ないうちは可愛らしい動物だったり神聖な生物かも知れんが
大量繁殖すれば害獣
バランスで善悪は揺れ動く >>471
自分の自治体は湧き水だと煮沸しようと許可おりないってのはわかったが
それ日本全国通じるルールなん 井戸水などを使って飲食店を経営することはべつに禁止されてはいない。
ただし年1回以上の保健所による水質検査にクリアすること、また殺菌装置・浄水装置が正常に作動しているかを定期的に点検して記録を残すことが義務づけられる >>473
地下水(井戸水・ポンプ湧水)は検査通れば許可下りる
それは全国どこでも
川の水や野良の湧き水は水質が安定しないのでおそらく100%許可下りない >>475
じゃ湧き水でやってるっていう店は許可おりてないってことで間違いないんだな 湧き水でコーヒーとか蕎麦とか言ってる店もあるけど大抵は井戸水だよ
湧き水も井戸水も同じ地下水だけど地表に流出した時点で湧き水と呼ばれる
ナントカ名水みたいな飲用許可された湧き水もあるけど流出した時点で川水と同じ汚染の可能性リスクがあるから、自己責任の飲用はOKでも保健所は営業使用の許可は出さない
同じ水なら井戸水使えば済むこと、汲む手間も省けるし安全だしインチキとも言われない 飲食店等の営業施設で井戸水、湧き水、山水等を飲用に適する水として使用する場合には
食品衛生法施行規則別表第17四 使用水等の管理に従って管理する必要があります。
特に、以下の内容については、あらためてご確認のうえ、引き続き適切な管理を実施してください。
1. 年1回以上水質検査を行い、成績書を1年間保存すること。
ただし、不慮の災害により水源等が汚染されたおそれがある場合はその都度検査すること。
2. 水質検査の結果、飲用に適する水でないことが明らかとなった場合は、直ちに使用を中止すること
飲食店での飲用ですらこの感じなのに加熱する蕎麦の出汁に使うのがありえないってどういう根拠? 「湧き水」といっても、エヴィアン水みたいに水源から直接採取すればいいんだよな
川に流れ出たものじゃなくて >>479
飲食の知人多いのよ
自分の町にも湧き水でコーヒー謳ってる店あるけど井戸水使ってる
湧き水じゃ絶対許可下りないって言ってたのを聞いたの映画観て真っ先に思い出したよ
法律上の可能性はあっても端から相手にされないって 監督のインタビューでラストシーンは巧の息の音だと言ってるね
夜の森を花を抱えて巧みが移動してるという事か
高橋はやっぱり巧によって殺されたのか >>483
そうなんだろうね
さすがに高橋を殺す必要性までは納得できないなあ >>482
>>480を見る限り、井戸水か湧き水かではなさそうだからその知人が適当なことを言ってそれを鵜呑みにしてここで吹聴しちゃったかな
そういうやついるよな まあ身の回りの実体験に基づく証言なんだから、あながちに否定することもないんじゃ 「水がもうない」ってなって「今日は人手がある」って行った先は川だったよね
ひょっとしてあれは湧き水に分類されるの?
まぁ、リアリティはそれほどいらないからいいちゃいいけど「リアリティに問題は無い!」ってマンセ―な人には「これはいい加減な作品ですよ」って認識して欲しい
飛びついて裸締めし始めた時はトムブラウンのみちお(奇人)の行動とダブって笑い声出しちゃったよ 川、しかも人里に近いあたりの水なんか絶対飲むもんじゃない
もちろん水質検査されてない川の水を飲用に使用するのは法律で禁止されてるし、たとえ水質検査で問題無いとされてても上流でいつ誰が何流してるか分かんないし、当然雨水も混じるし(雨水はほぼ飲用に適さない)きれいな水なら虫や魚が住んでる、金魚とか飼ってりゃ分かるけど魚は大量のフンをする
谷川の水がきれいだなんて都会のエセナチュラリストの幻想だよ オープニングの映像は花が見上げた木々と空だったから
エンディングで同じ映像に戻るということはあれも花の目線で
実は死んでなかったということか
濱口映画で煙草は他人同士の繋がりを象徴してる気がするから
少なくとも一緒に煙草吸ってるあたりまでは
巧も高橋たちと歩み寄ろうとしてたのかなと思われる
ただその結果として花の命を危険に晒すことになり
バランスが崩れることを察した巧が高橋を殺して花は助かる
この部分が単に鹿に近づこうとした高橋を制止したようにも見えるし
子を撃たれた親鹿が花の命を奪う代わりに高橋を生贄に差し出した
自然界との契約みたいな、神話的な解釈もできるのが面白いな >>480
>飲食店での飲用ですらこの感じ
どゆこと?それ読んで湧き水、山水の利用が比較的許可されやすいと読み取ったのなら甘いわ
井戸水は厳しいながらも許可されるけど川の水は無理よ保健所に電話してみるといい
あと、煮沸や濾過で無害化されるのは菌や微生物で毒素は残るからね >>490
自分の解釈は逆だな
開拓側の人間だけど環境も守りたい、大事なのはバランスなんです。って巧が言ってたけど、それが一番詭弁なんじゃないかと思った
野性の動物はバランスを取ろうなんて考えない。本能と自然の法則に従うのみ。あの瞬間、巧は野性の側に行ったんだと いつまでもうどん屋の水の考察してるやつしつこすぎwwwwww
そんな映画じゃないだろ 実際に湧き水使ってるうどん屋なんていくらでもあるんだし
映画内で湧き水汲んでた場所が衛生的にどうかなんて知ったこっちゃないわ
>>492
それまで映し出された思考が結末に至るって言ってるんだから、詭弁だったってことはないでしょ 些末な事だが、信州なのになぜ「そば屋」ではなくて「うどん屋」だったのかな?
単に監督の好みかな もしかしたらテーマはうどんだったのかも
アクは存在しないし >>495
監督が聞かれて答えている。
──長野は蕎麦処というイメージがありますが、うどん屋さんにしたのには理由があるのですか?
お借りした店がうどん屋さんだったからです。うどん屋でさすがに蕎麦を茹でるわけにはいかないということで、そのままうどん屋さんという設定にしました。調理の指導をしていただく上で、普通にうどんの方が都合が良かったですし。実際に人気のうどん屋なのですが、湧き水では作ってないです。湧き水でつくっているパン屋さんに出会って、それを合体させたイメージです。
ttps://fansvoice.jp/2024/05/03/evil-does-not-exist-hamaguchi-interview/ 北信(戸隠)や東信(小諸そば?)や南信(高遠そば)ならともかく諏訪のあたりに蕎麦というイメージが個人的にはないかな、、まあうどんより蕎麦文化圏ではあるけど >>500
すまないが東京出身なので、そのあたりは「全部信州イコールそば」のイメージなんだわ、細かな区別はつかない >>501
まあ、そうかもな
岩手全土でわんこそばじゃないだろうけど岩手いってうどん食べようとか喜多方いって味噌ラーメン食べようとかあんまり思わないもんな
最近諏訪近辺は映画おおいよね。ゴジラ、怪物。関東近いしやりやすいんだろうなあ すまん、スレ読んでないんだけど、最後意味がわからなかった
2つあって、
①巧はなぜ高橋を絞○したのか?
②花ちゃんはどうなったのか?
どういうこと? >>504
花ちゃんはどうなったのか?というより、花ちゃんに何があったのか?、かな 明確な答えがあるわけじゃないので他人の解釈が知りたけりゃスレを読めとしか そうか、明確な答えはなくて解釈がいろいろあるのか
どうもです そんなことより、花ちゃん役の西川玲ちゃんの幼いワレメをペロペロ👅したいぞ俺は まあ素直にみたら、高橋への静止ではなくて完全に殺意があるとしか思えない凶行だったことを踏まえると
あの時点でたくみは何かを失った=はなの死を悟った
鹿の映像やエピソード、銃声からして、手負いの鹿の暴走がはなの死になんらかの影響を及ぼしたのだろうと
手負いの鹿は悪じゃないし猟銃使いも悪じゃないし高橋もたくみにも悪はなかったとしても
何かは起こるという映画なんじゃないか ああ、高橋は死んでないんですね
最後バタッと倒れたから死んだのかと思ったw 自分も最初はそう思ったんだけど、花が死んでるんだったら高橋を殺す必要ないと思うんだよな
冒頭と最後の映像が対になっていることを踏まえると花は生きていて
高橋を殺す(=グランピング計画を中止させる)ことを交換条件に
花を生かしてもらって手打ちにしたのかなと 花(Hana)=『ミツバチのささやき』のアナ(Ana)だから死んではいないよ
半矢の鹿は花が視た幻視、『ミツバチ』のフランケンシュタインだね 高橋は死んだのか死んでないのか明確に描かれてるけど、巧が高橋に殺意を抱いた場面ははっきり描かれてる
車中での会話で高橋がグランピング場から排除された鹿はどっか適当なところに行くんじゃないですかね的なことを言った時巧は怒りを押し殺していた >>513
訂正
✕高橋は死んだのか死んでないのか明確に描かれてるけど、
↓
○高橋は死んだのか死んでないのか明確に描かれてないけど、 むしろはなの死くらいの喪失がない限りあの凶行にならないと思うがなあ >>512
それは濱口監督の独創性の人だね
本人の前でそれ言えるか? 鹿の姿は巧も高橋も見てるだろってツッコミはあるけど、花=アナっていうのは面白いね
あんまりオカルトっぽい方向に持っていきたくはないけど
あの場面だけ何か超現実的なことが起きているような演出ではあった >>516
あの鹿の水場=ミツバチの湖とかHana=Anaのアナグラムとか半矢の鹿=ミツバチの脱走兵=フランケンシュタインとか明らかに意識してるからねえ
まあ引用、とでも言えばいいのか >>517
ミツバチのフランケンシュタインの幻視は(おそらく)アナにしか視えてないはずだけど、あの鹿は巧と高橋に視えていたのかは宙吊りにされているような気がします 意識してないとは言わないが生死までなぞらえているという理解はむしろ狭くないか? 今ふと思ったんだけど巧はずっと田舎を潜在的に嫌ってたと考えるのはどうだろう
移住3世だから好んで田舎にいるわけじゃない
ただ出ていけるほどのお金もないし能力もない
田舎ではそれなりに存在が認められている
そんな中で都会から田舎の自然に憧れてやってくる人がいる
持つものだからこその欺瞞をそこに感じてしまう
そんな中嫌っていた田舎の自然が娘に牙を向いた
田舎への不満が爆発目の前にいる持つものへの怒りとして爆発してしまう 功って割と一貫して高橋やってやろうとしてたような気がすんだよな
黛をあえて外してちょっとずつ高橋にごほうびあげて、飼いならしてって油断させといて…みたいなのを狙ってるようなデレの置き方だったから
キレやすい若者たちを制止してみせたのも、ほんとは一番ヤバいやつにありがちなムーブ
あと功の極端な物忘れとか、花の母親らしき女性の写真とかも、ただのドジっ子もしくは北の国から風でいてそれとは全然違う暗い趣きがあった ただ、最後のショットが冒頭の花が(おそらく)見ていたショットと繋がるので、巧に抱き上げられて運ばれる花は生きてるんじゃないかなあ
花が(意識があれば)見上げている光景なんじゃないかと >>519
高橋に鹿が見えてないんだとしたら、あんなに焦って近づこうとはしない気もするけどな
車中の会話で確かに巧は不機嫌にはなっていたけど、殺意とまでは言えるかどうか
それで殺意を抱くなら、それこそメガネ青年レベルの人物像になってしまうような
わざわざ半矢の鹿を話をしてるぐらいだから、やはり子供の命が脅かされない限り
外敵とはいえ死に至らしめるようなことはしないんじゃないかな そうだとしたら花をたすけることより高橋抹殺を優先するのが奇妙
花がみているはずの光景と解釈することも可能
なんか監督取材してた人が直接「高橋への攻撃ははなを助けるための行動ですよね」みたいなこと聞いてて
なんでそうなるかなと
助けることが優先な状況ならあわふくまで襲う必要なかろうにと思ったが基本的理解力がない人がライターやってんのかな >>526
車中で高橋と黛に半矢の鹿について説明したからそれが「半矢の鹿が視えるキー」のようなものになって高橋にも視えた可能性はありますね
(実際に2人が鹿の死骸を発見するシーンもあります)
高橋は発言や態度からもかなり公平で誠実な人間として描かれてるのにあそこの会話でグランピング場から追いやられる鹿について無神経な発言をしたので「あれっ」とは思いました 高橋は最初はイヤな奴っぽい描かれ方だけど、徐々に黛と同じく公平な人間であることが明らかになっていく 高橋が公平で誠実な人間として描かれているとはw
いやはや >>529
自己レス
そこも「悪は存在しない」に繋がるのかなと >>530
いやあ、誠実でなければ社長に「こんな事業やめませんか」なんて言わんでしょ
かなり早い段階で村の人々に感情移入している 村側に感情移入して、「村に住みたい」的なことまで言い出してるからね
薪割りのシーンが象徴的だが、様々なシーンで巧の自然と共にある生活に憧憬の念を抱いていることが示唆されていて、他者に対する献身も持ち合わせているのが随所で描かれている
単純な悪役に黛との長尺の会話という “見せ場” は与えませんよ
君みたいな単純な人は「意味」が全く掴めてないようだが ああ
「村に住みたい」ってことをポジティブに捉えちゃう自分は単純じゃないんだね あと、「公平で誠実なキャラとして描かれているとは思えない」という指摘は必ずしも「単純な悪役」であるということを意味しない
悪意のすり替えのつもりかもしれないが
これはあのオマージュとかそういう分析に夢中になって悦にいる輩は、そもそも人の心を読み取れない傾向があるなとよく思う それは見てる我々と言われる村側の人にとっては「良義的」、あるいは「ご都合主義的」なんだけど、高橋の「善性」は否定できないんですよ
受け取る人にとっては「独善」にもなるということです
「単純な悪は存在しない」というこの映画の主題を象徴するのが高橋と言っていいでしょう 自分だけはわかっている
自分だけが正解
こういう人ってどうしようもない
コテハンつけてる辺りから承認欲求もダダ洩れだし まあ正直、高橋の善性なんていっちゃう人に映画語られたくないとしか 私は「賛意〈オマージュ〉」なんて言ってませんよ
私が言ったのは「引用」です
引用を否定したら映画なんて成立しないでしょ おっとよくある雑魚たちのコテハンヘイトの流れに成り下がってきたなw
退散、退散w 映画の数だけみて知識だけはあっても何も読み取れない
皮肉だね >>527
まあでも高橋絞殺(未遂?)の動機は誰がどう解釈してもある程度奇妙にはなっちゃうのよ
その場で物理的に守るというよりは、将来的な村の生活も含めて守るための行動というか
正しいかどうかはわからんけど、構図が繋がってるから花が生きていると考えるのは映画の解釈としては好きだけどな 黙ってROMに移るならともかく
>>541
>>542
みたいな事書かないと気が済まないクズと言い合いしてた人達
ご愁傷さまです >>538
いまどきコテハンでお察し
こういう奴が一番いらない
自分だけがわかっているなら不特定多数の掲示板来るなよな チョークスリーパーやで
死ぬわけない
ちゃんとプロレスの下地がある人なら何も引っかからない >>547
プロレスや柔道の絞め技で死人がでないのは、絞めているのが頸動脈だからだよ
頸動脈に圧迫を加えることで、脳へ行く血流を抑えて失神させる
しかしそんなコツを知らない素人は本気で気管を圧迫するから相手が本当に窒息して死ぬことはあり得る
巧が日ごろから格闘技をやっている人間なら死なせないだろうが本気で殺す気なら死んでるよ 善意とか無垢さってのは時に相手を傷つける鈍感さをはらんでる
本音と建前の使い分けができないことが、果たして正直さなのか
たった一回薪割りに成功しただけでもうすっかり管理人気分になることが素直さなのか
見るべきものを見ず、聞くべきことを聞かず、安易な感動に流される
そんな愚かさは可愛いらしく魅力的ではあるが、その無神経さはシビアな環境下だと命取りになる 無邪気かもしれないがあれを善というのはかなり違うと思う 悪は存在しないなら、結局悪の対極である善もまた存在しないってことではって思うけどね 高橋は軽率ではあるけど、自分も含めて大多数の都会人ってああいう部分あるからなあ
一応後輩のことを慮ったり、悪い奴ではないことはなんとなくわかる
逆に巧みたいなタイプのほうが現実味がなくて不気味なんだよな とはいえ公平で誠実な人間としてみるような人間が映画語るのは失笑 高橋を重層性のあるキャラに描いたせいで本来の対立構図が見えにくくなっているんだよな
それこそ作者にしてみればお決まりな「田舎vs都会」「自然vs人間」の対立構図を脱構築して「悪は存在しない」とかと言いたいのかもしれないが。
しかしそのせいで最後の巧による暴力がひとり浮いてしまって、異様なものに見えている。
高橋が周囲に殺意を抱かせるような露骨に嫌なキャラじゃなくても、上司に対して忠実な、ごく一般的な有能なサラリーマンであってもよかった
悪いのは資本主義経済にどっぷりと浸かって脳まで侵されている東京のビジネス界隈ということにしておけば三方丸く収めることができた気がする そういうわかりやすいストーリーにする気ないと思うが
むしろ安っぽくなるだけ
構図は曖昧で善も悪もないけどバカ男空気読めない高橋で問題ないが
たくみの人間性のついてもう少しつっこんでくれたほうがよかったと思う 高橋の重要性は、ほとんど唯一、棒ではない職業俳優を起用していることからもわかる 高橋役の人ってドライブマイカーで車両の運転を務めていたスタッフで過去に役者の経験もあったから今回起用された(運転しながら演技できる為) 蒸しかえしたい、さびしんぼさん
真面目に色々と考察するのアホらしいくらいいいかげん
宇多丸さんの「コマンド―オマージュ説」が結論でいいわ もし古典的な「対立関係」を主軸に描きたいのなら、緊張感が大切なんだよな
例えば「ヨーロッパ新世紀」なら村人たちによるネオナチまがいの暴動にまで発展するし、
同じように森の中で行われる「理想郷」での主人公殺害シーンは屈強な男が2人がかりで殺すシーンでなかなか迫力があった
「悪は存在しない」の場合、高橋というオトボケキャラが登場することで、この緊張感が弛緩してしまう。
双方ともに事情があって双方とも悪くない、みたいな流れになって、多くの観客は「これはコメディなのか?」と勘違いして
ラストはコメディらしく大団円を迎えるのかと予想したとたんに巧の凶行だからなw
このつるべ落とし、この意外性を監督は狙ったんだろうが、それにしては対立を描いた緊張パートも高橋のコミカルパートも
描写が中途半端な感じがして全体的にメリハリがない。いつもどおり俳優たちの演技が平坦で硬いんだよねw
けっきょく言いたいことがブレてしまって違和感しか観客には残らないことになっている 古典的な対立関係を主軸にしたいならという仮定がとんでもなくまとはずれ
意外性というか人生は裏切りに満ちているというベースにしても
はなの状態、生死、高橋の生死、鹿などがわかりにくいという批判はわかるが
緊張やコミカルさが中途半端でメリハリがないっていう指摘は同意できない >はなの状態、生死、高橋の生死、鹿などがわかりにくい
些末などうでもいい話だと思ってしまう
まして最後の鹿が花の幻視だとかw ハァ?という印象
いや、まあべつに同意してもらわなくてもいいよ 巧と高橋も目撃してるから花の幻視だとは思わないんだけど
捜索してた時はもう暗かったのに、見つけた時は明るかったじゃん?
「あれは翌朝じゃなくて、花の死体を見つけた巧が、もっと前に起こったことを想像してるんじゃないか」
みたいな意見は海外のフォーラムでもあったし、確かにあそこだけ幻想的なシーンにはなってるんだよな
ただ自分は花は生きている派だから、あそこで起きたことはそのまま受け取ってるけど まあいろいろな見方があるからね
「最初と最後で森の中を歩く視点は、花ではなく鹿の視点だ、人間ならばあのようにずっと上を向いたままでは森の中を歩けないから」と書いていた映画ライターもいたからね 描き方がどーのこーの、うどんの水がどーのこーの、メリハリがどーのこーの
バッカみたいw
面白けりゃいいし、好きならいいんだよ
モラル逸脱もないし、何ら責められるいわれはない
少し位はさ、「なるほどそういう見方もあるのか」と思わせるアンチコメ下さいよ 鹿は実際には見ていない過去の回想シーン
絞め殺そうとしたのはお前みたいな余所者=悪(実際は悪ではない)が人と自然のバランスを崩しに来るからこんな事になったんだと言う(見当違いな)怒り
花は死んだ、最後に高橋が死んだかどうかは観客に委ねる(たぶん死んでいない) でもオープニングの映像の後に花が上を向いているカットが出てきて
「ああ、これはこの女の子の見てた風景だったんだ」と思った記憶があるから
あれを鹿の視点とするのは、そのカット割を無視する行為のような
そこまで厳密に言うなら鹿だってずっと上を見ながら歩けないだろうし
やっぱりラストは父親に仰向けで抱えられてる花の視点なのかなと >>567
おれは花は死んだと思うから、ラストの視点はおかしくなるね 花が死んだのは鹿にやられた?
それとも鹿撃ちの流れ弾?
巧親子と鹿の親子があの場面で融合したように感じた >>570
「鹿は逃げる、ただし手負いの鹿だけは例外だ」と巧がわざわざ強調していたんだから、花は手負いの鹿にツノでつかれて殺されたと考えるのが自然だろう
立派なツノがある雄鹿だったし 最後の重要シーンまで立ち会ってるのが高橋なので高橋の重要性がわかる 高橋の重要性は人の愚かさという点であってそこが強調されてきたが
ラストでまたたくみは違い方向性で愚かな男ということが示されたと思った
はなが瀕死の重要ならたくみは高橋そっちのけではなに駆け寄らなければおかしいので
ラストの視点ははなをかかえたたくみの願望と思ってもいいのかもしれない 巧は花の事を心の底では疎ましく思ってたのだろうか(送り迎えに遅れたり、悪戯にシカトしたり)
最後のシーンで花と高橋に対する巧の心の中にあったものが全て吹き出したのかもしれない 高橋が人の愚かさとか軽薄さの象徴だとしたら、黛さんはあざとさや狡猾さの象徴だな
管理人の話を持って行った時、巧は「オレは暇人でもないし金に困ってもいない」と一蹴したのに黛さんは「色々教えて下さい」とか謙って言い寄って受け入れさせてる
高橋の「鹿はどこかよそへ行けばいい」発言が無かったら、巧は黛に篭絡されて都会人側に落ちていたかもしれない 高橋と黛はそういう対比的存在だと思う
黛はもうここを見限るし、高橋はずっとその場しのぎの安易なアイデアでごまかし続ける
黛が払うつけは多少の出血ですみ、高橋はそれではすまないということか なんか変な流れになってきたがタイトルが示唆してたり
濱口監督の実父のエピソードからも窺えるように
別にグランピング側の人間を愚かだとか狡猾な存在には描いてないと思うけどなあ
あの人たちはあの人たちで上からの澱みを引き受けてるだけだし どこが変な流れなのかわからん
黛は高橋より人の気持ちがわかるからどうすれば納得してもらえるかが高橋よりはうまいという程度の狡猾さはあると思う 人の気持ちがわかるからというより、黛って本来住民側キャラなのに無理やりグランピング側にしがみついてるだけって存在だから、ってのがあるんだと思う
そういう意味でもあの車内のやりとりは面白い
介護士やめて芸能事務所入って、嘘臭くて軽薄な仕事をうんざりしつつわかったつもりでこなして、そうやって全部わかってるムーブ必死でやってるけど呑み込みきれない
ペラペラながら愚直な高橋を理解はするけど、同じ側には絶対なれない大きな壁があるよね >>577
コンサルは明らかに滑稽で卑近なカスとして描いてる定期
まともな奴として描写したかったら少なくとも車の中からのリモートで見せないよ笑 いやー、自分は高橋&黛を愚かとか狡猾とか言って馬鹿にできるほど立派ではないかな
まあ確かにコンサルは滑稽に描かれてはいたけど、高橋黛だって住民からはそう見えてたわけで
誰が悪と言うよりは、そういう重層的な構造になってる気がするんだけど いやだから説明会の時点では高橋黛が悪に見えるけど、結局彼らも無理矢理仕事を押し付けられてる被害者でもあるわけで
映画の中ではそこで止まってるから観客にはコンサルがラスボスみたいに見えるけど
当然コンサルの後ろにももっと大きな力が働いてると想像することはできるし なんかみた映画違わないか?
そんな社会構造よりももっと人間性を描きたい監督だと思うが そもそも別に開発側が悪でにしてもあいつらは末端でしかないという構造がーとかいう話ではなくて
あいつらの末端ぽさはみたら誰でもわかるような大前提であって
ただその中でも、黛の人間性高橋の人間性がこう描かれていてみたいな話をしている時に、ずれたこといってるのはご自分では 人間性の話をすると、黛が仕事を進めるためだけに巧を懐柔しようとしているようには見えなかったな
高橋も別に気に入られたくて手伝ってるんじゃなくて、本気で花を心配してたと思うし フワっとしたものすべて陰謀にみえるという感想、それはそれで楽しいw >>587
黛は高橋の無能さをフォローするような言動がみられたが、仕事を進めるためじゃなければ何しにあの場にいたと?
高橋が、子どもが行方不明とか倒れていて心配していたとしてそれがなんの人間性を示しているようにみえるのか。まさか善良さとか? >>589
ていうかそもそも黛はこのプロジェクトの推進に執着なくない?
むしろ巧とか住民の心情を理解したいみたいな気持ちが強そうだけど
高橋も別に仕事辞めてもいいみたいなスタンスだったし とはいえ、高橋の至らなさを補う=仕事をすすめることに他ならなくないか?
で、結局何がいいたいんだ? ん?だから住人の理解が得られないならプロジェクト辞めても構わないってスタンスだよね黛は
それはあざとさや狡猾さとは違うんじゃないのって話 そういうスタンスでありながら、たいしてどうでもいい仕事に対してでも高橋をフォローできる能力をあざといや狡猾と表現することに別に違和感はないかな
必死でやりとげたいわけでもないどうでもいいプロジェクトに対してでも、空気を読んでフォローできる能力だと思うけど、熱意がないだけに狡猾な面は感じなくはないかな 黛のことめっちゃ嫌いなんだなw
要は高橋黛を見て「こういう愚かな奴らっているよな(俺は違うけど)」と思うか
「愚かだけど自分もこういうところあるよな」と思うかの違いというか
人物像としては明らかに巧よりも高橋黛のほうを深く掘り下げてるし
この二人側の心情に寄り添った演出だったと思うけどね 人をみる力が欠けていると、黛が嫌いだという発想になるのだと思う
自分を高く評価しすぎだよ 黛が狡猾なのは芸能業界がクズ人間ばっかりと言いながら、辞めたらと言われて「辞めませんよだって面白いじゃないですか」と言ってるあたりで表現されてると思う
一番下のポジションに居ながら他を全て下に見ているタイプ
でもあの車内の会話面白かったなあ、あそこだけ観たくて映画リピートしたくなる >>579
教えてくれてありがとう
すごい楽しそうw
なぜか濱ちゃん見ると笑ってしまう
ハッピーアワーでも笑ってしまった クライテリオンの企画であそこまで持って行った人濱口監督が初なのでは
カサヴェテスとかCUREは持ってるけど記念だからと言って袋に入れてるしw 巧のスケッチと事務所側の2人が巧の家に訪問したときの薪割りのシーンで「コトによっちゃお前ら殺す」に見えたんでラストは全く唐突に感じなかった
巧がスケジュールやうどん屋の会計を色々忘れてるとこ見るにグランピングのことで自分自身の「バランス」を壊してたんかな あんた暇そうだからグラマラスとキャンピングを合体させたグランピングとかいうチャラい施設の管理人になってくれってチャラいオッサンに言われたら殺意湧くだろうな でもぶっちゃけコンサルの「あの人が管理人になればいいんじゃない?」
みたいなアイデアは「あれ?悪くなくない?」と思っちゃったし、
打診された巧が「暇じゃないし、お金もあるんで」とか言って断った時は
「いや暇やろ…お金も絶対無いやろ…」と思ってしまったことは事実 >>602
そうやって人を都合よく物事に当てはめようとしてるのが間違い
世渡り上手な高橋とは対極にいる融通が利かない人だったわけだし >>599
少なくとも拓はグランピングが来る前から迎えは遅れてる >>599
グランピングの前から奥さんの事でおかしくなっててそこに追い討ちをかけたのがグランピングかもな 構図としては、まあ一部の人間には高橋や黛のほうを書きこんでて彼らを善良とみるむきもあるようだが
それなりにフラットにただし高橋は安っぽい普通の男として描いてると思うんだが
自然を守る人々と、都会の芸能事務所の人間っていう構図で見てしまうからなんとなくたくみに善性を見がちになる
そこを裏切らせることが、濱口はやりたかったんじゃないのか
自然の美化に対してもどこかシニカルな感じで 巧がグランピング反対派、村側の人間だと思われていたのに芸能事務所の人間受け入れて村人の怒りを買って悲劇が・・・みたいな話かと思ってたら斜め上いった 映画は前半のシーンを後半で反復するけど前半がバランスが取れていた状態、外部からの干渉により後半がバランスが崩壊した状態
小津安二郎の映画でもシーンの反復とズレを印象的に使ってるね >>607
なんか前半と後半矛盾してない?
それにそもそも善良って別に悪の対義語とか正義って意味じゃなくて
"善良な市民"みたいな普通の人たちって意味だと思うんだけど サルエルパンツのヤンキーみたいなのいるから反対派にも共感できないようになってる 二項対立ではなくキャラクターがそれぞれの論理で動き時に衝突する
ラストシーンも巧の中の論理に従って動いている >>611
そうそう。巧が言ってたみたいに全員余所者のくせに偉そうなのもいるしな
うどん屋だって観光客をあてにしなきゃいけないって意味ではグランピングと一緒だし >>610
高橋は明らかに善良じゃなくて愚かよりだろw >>615
明らかに⚪︎⚪︎なんて人はこの映画には基本いないんじゃないかな
強いて言えばコンサルぐらいで、こう見えるけど実はこう、って人がほとんどだと思う コンサルだって夜も管理人置く妥協案出してるじゃん
経費切り詰めるのは経営側として当然だし、芸能事務所社長も借金抱えてどうにかしようと頑張ってるんでしょ
つまり、悪は存在しない
でも人殺しはあかん そういう描写の為なんだろうけど車でリモート会議ってもううさん臭さしかないじゃん
悪として描いてるでしょ 高橋もコンサルも社長も、自然のことも他人のことにも興味ないくだらない人間だけど悪としては書いてないと思うが
ただあいつらは平気で山村やら環境に害をなすだろうなとは思った コンサルと芸能事務所社長の描写は監督の悪意がこもってたねw でも、監督自体は都会の人であっちのほうにシンパシーあると思うので
あっちを自虐的に描きつつ、田舎もけして善じゃないしっていうのをオチとして描いてるようにみえた
悪はなくても善もないみたいに 濱口って師匠の黒沢と違って楽観主義者で根本的に人間を信用してるというか面白がってるんだと思う >>623
>自然から見たら人間なんて全部同じだしね
ううーん、でも自然に対して敵対的で破壊しにくる人間と、自然と共生しようとしてくる人間ならば違うような気が どこら辺が田舎の人らしくないのか?
田舎を本当に知ってて言ってるのか?
自分がいたとこはとんでもないド田舎だったが公務員とサービス業の人が第一次産業の人より多かったよ >>625
正直わかる
だけどお前の中の田舎っぺってステレオタイプな方言とか使うタイプのやつだろ >>626
自然に対して敵対的かどうかなんてことすら、結局人間が勝手に判断してるだけだと思うけどな
この映画も最後は自然と共生してるはずだと思っていた側の花が自然によって命を奪われたわけだし 人間も自然の一部だしな
鹿が人を殺めるのが悪でないとしたら、人が人を殺めるのが悪という概念も揺らぐ >>630
今や人類は地球を5回は破壊できるだけの核兵器を持っているらしいからな
地球の表面が放射能で汚染されてしまえば、当然天然の動植物も生存できなくなる。
「自然に対して敵対的」というのは、そういうことを指しているんだよ なんかそこまでいくと極端だけどな
逆に地球温暖化を止めるためには人間の絶滅が一番手っ取り早いみたいな
この映画が言いたいのはまさしくそういう両極端に振れるんじゃなくてバランスが大事(でも結局そのバランスって誰が決めるんだろうね)ってことだと思ったけど 戦後入植が始まった新しめの田舎だもんね
田舎の人=農民みたいな感覚はもうそんなに無くなってきてるし、新幹線や高速道路が整備されてからは仕事先もそんな困らないからみんな生活に余裕あるだろうし
そうして便利になったのにあえて昔っぽい田舎暮らしに固執してるのは、訳アリで流れ着いた世捨て人とか偏屈な老人、意識高い系の移住者 逆に意見がまともすぎていなかっぽくなかった
というか都会でもあそこまでキレキレの意見次々出てくるかな
そういうところが創作っぽく感じてしまった >>634
巧はコミュ障で都会では生きていけなかった落伍者だったんだろうな
便利屋として頼りにされてるようでむしろそのポジションが最後の居場所だった >>636
巧は「開拓三世」だ、って自分で言ってなかった?
つまり祖父の代からあの土地には住んでいて、山での暮らしには慣れているという設定 巧はバランスとか言っていて、鹿猟師をバランス側に置いていたが
その鹿猟の結果、負傷した鹿に娘が襲われるという皮肉
「悪は存在しない」ってタイトルだけど、本当のテーマは(善も存在しない)だと思う >>637
そのへんよくわかんなかったけど、功はUターンかなと思ってた
花ちゃんの母親とどこでどう夫婦になって、どういう経緯で父子家庭になったかがわかんないのがいろんな憶測を呼ぶ
父子で暮らしはじめてそんなに経ってないのかなーと、なんとなく ひねくれた言い方と言われればそれまでだけど、田舎ほど排ガス出しまくってる自動車に生活依存してるのって皮肉だよね
水を汚すことにはあれだけグチグチ言うくせに自分たちが空気を汚してることには全く無自覚 浄化槽がダメなら昔ながらの汲み取り式にすりゃ良いのにね
今でも山小屋とかはそんなじゃないかな
グランピング民は水洗しか受け付けないだろうけど >>641
いや…浄化槽に溜めて定期的か満杯になったらバキュームカーに来て貰って汲み取るんだろ?
あそこ一帯に下水道は来てないだろ >>628
田舎育ちの人には分かると思う
会話にしろ服装にしろちょっとした仕草にしろなんか違う >>642
浄化槽は固形物は汲み取るけど水分は浄化・消毒して川に放流するんだよ
だから映画でも問題になってたんじゃないか
汲み取り式は全部汲み取るからトイレに多量の水は流せない(容量が限られる)けど環境には影響与えない この映画で出てくる浄化槽ってトイレ以外の排水も処理する浄化槽だよね?
>>641の言うように、トイレだけ汲み取り式にして、他の生活排水は垂れ流しって今からでも可能なの? >>645
生活排水の垂れ流しを禁止する明確な法律はない
単独浄化槽の新規設置禁止や河川汚染への注意義務だけなので、現状山小屋では垂れ流しが基本
水以外の飲料・食べ残しは流さない、洗剤は使わない等の努力はしているだろうけどそれでも汚染はあるだろうな
ましてやグランピング民にそんな節度求めるの無理
生活排水も一緒に処理する合併浄化槽は合理的な解決策で村人もそうしてる筈だけど、処理水を川に繋がる排水溝でなく谷川とかに放流しようとして揉めてたんだっけ? 俺は昨日、映画館で久しぶりにソイレント・グリーンを観たんだ
かつて子どもの頃に深夜のテレビ放送で観ただけのソイレント・グリーンを。
そして最後のセリフのラインを聞いた
「海は死滅した。プランクトンも死滅した。あれは人間なんだ。ソイレント・グリーンは人間でできている!」
“Ocean's dying, plankton's dying... it's people. Soylent Green is made out of people.”(唐突なネタばれ)
もはや50年以上も前から環境問題は映画の主題にされている。
あれくらい激烈なメッセージを込めて欲しかったな
なんかこの映画は生ぬるい ほんとに本編見てたら、環境の話じゃないのわかるよね普通 環境問題にまったく触れていないわけではないだろ
つまらないのはそういうところなんだよな 映画の中でも「合併浄化槽」って言ってたよね
環境省も1983年に制定された浄化槽法をこれまで何度も改正していっている
映画では合併浄化槽を設置する「位置」によって、住民が普段利用している湧き水が汚染されるかどうかが決まる、みたいなことを言っていた気がするけど
それはどこに設置しても変わらないのでは?と思ったな
「水は低いところへ流れる」という言葉どおり、汚染された水はいずれ川下へ向かうのだから、下流の住民はすべからく影響を受けるよね >>649
環境問題ってキーワードに反応してテンプレを返すだけの
昆虫のような評価軸を持ってるのが君ですね >環境問題ってキーワードに反応してテンプレを返すだけの
ハァ? 何を言っているのかさっぱり分かりません ラストに手負いの角のあるオスの鹿と子鹿が出てくるけど、これは巧と花を表してるんでしょうか。
普通、オスは子育てしないはずなので違和感があったんだよね。
映像にはこだわってるはずなのに、あえて作り物のようなオスの鹿、感情を表に出さない巧、自分のテリトリーに入ってくる高橋。
自分の住処を侵食された鹿(巧)はどこへ行くのか。 田舎民が自然を愛しているみたいな都会人(監督)の幻想が鼻についた
対するグランピングコンサルの都会人も描き方も浅いなぁと ああお前の解釈が浅いんだよ
こういう映画むいてない 「悪は存在しない」と映画のタイトルとして大上段に振りかぶられると失笑してしまう。
結局コレ、おもろいの?
娯楽性も無く、善/悪を相対化するような話なら観る価値無いと思うので。 >>657
あくまでも自分の主観だけど、面白いし娯楽性もある
善悪を安易に相対化しているような浅い描写ではない
観る価値があるか(あったか)どうかは、観る人それぞれだから、とりあえず観てみとしか言えない 個人的な意見だが、わりと浅いと思ったけどな
とくに田舎の人/都会の人という二項対立的な思考とか、環境問題についての認識とかも浅いと思った
それはこのスレでもすでに指摘されている そんな事書くと>>656様が真っ赤になって書き込み出すぞ
とりあえずガチンコファイトクラブの会長レベルに下手な人ばっかりでやらせるのはやめてほしいな
人権啓発映画みたいだったよ 要はバランスだよって言っておきながら最後のシーンに進むのが最高にキチってた 人権啓発映画w
半分ドキュメンタリーみたいなのを楽しむみたいなところあるだろ
金太郎みたいな映画ばっかもつまらんし
ハッピーアワーとかもあれでおもしいやん >>659
そりゃそうだ。
映画に登場する人物で自然を守ろうとしてる人なんて一人もいない。
守ってるのは自分の生活だけだから。 人間のズルさとか愚かさを描いた映画だよね
どいつもこいつもキレイ事を言いながら自分の都合の良い立ち位置を守ろうとしてるだけ
中でも巧が一番ズルくて愚か。どう見ても社会不適合なのに、自然に寄り添って生きる風を装ったりバランスだとか日和見発言してグランピング側となれ合ったりして最期は娘を危険に晒して破綻する >>658
>善悪を安易に相対化しているような浅い描写ではない
この返しがもうすでに"浅い"と言うか...。
オレの言うところの「善/悪を相対化するような話なら観る価値無い」ってのは
換言すれば「善/悪を止揚する何かが映画で語られてたのか?」て事。
「二項対立的な思考」で終わってたら>>659の言うように
「浅い」あるいは「チャラい」と謂う他ないわな。
繰り言になるが「善/悪を止揚する何かが映画で語られてたのか?」が
映画の中で明確になってなければ「悪は存在しない」というタイトルが
単なる客寄せの為の、幼稚あるいはチャラい"誘惑"にしかなってない。
まあオレは昆虫ではないので単純な刺激にフラフラ引き寄せられんのよね。
本も監督も、お初となると余計にね。 「善/悪を止揚する何かが映画で語られてたのか?」が
映画の中で明確になってなければ「悪は存在しない」というタイトルが
単なる客寄せの為の、幼稚あるいはチャラい"誘惑"にしかなってない。 途中送信してしまったが、上記の話、「善/悪を止揚する何かが」語られるべきだって思うのが、つまんない映画のみかただなと思う
権威主義的というか頭でっかちというか
悪は存在しないは、幼稚とは思わないがどっちかっというと挑発的色合いが強いんじゃないか
こういう主題ならここまで踏み込むべきだとか、ほんとつまらんね
どういう映画を至高と思ってるような人間がこういう語りするのかね >>672
その「挑発的色合いが強い」を評して「幼稚」あるいは「チャラい」と言ってるわけで。
「善/悪」を併記して相対化して融通無碍にし、後は観客に思考を丸投げって
イヤイヤw、勘弁して欲しいよねソレ。
ソレとオレは「至高」なんて言葉は使ってない。 挑発的色合いが強いかなとは解釈してるが、それを幼稚ともチャラいとも思わない
映画はこうあるべきだというところから離れているからこそ、ドキュメンタリーチックな素人多用とか
ハッピーアワーみたいな超絶長尺とかになるわけで
そもそもの出発点が音楽に映像をつけるというところのスタートで、映画とはこうあるべきだって価値観の老害とは相性悪いのだろうと思ってる
書いている内容が老害臭いから、どういう映画を至高だと思うような人間なのか興味あるだけ 「善悪の彼岸」を紐解くまでもなく善悪とは事象をそう見えるように
我々に強いてる"何か(基準)"が存在し云々...って話に今更付き合う気は無い。
悪も善も存在しない的な相対化でお茶濁すとかツマランわけ。
だからそんなツマラナイ映画じゃないよね?って問いかけてるんだが
どういった止揚が展開されてるか誰も言えないから「なんじゃそら」って感じ。
>>674
オマエみたいなツマラナイ君に付き合う気はない。 この映画がつまらないという一方で、俺が最高だと思う映画はこれらだと語れない人間に、これはつまらないという資格はないと思ってるので 面白かった
都会生活者側もこう見えて色々あるよってのはありがちだけど、
主人公も主人公で自然を舐めていた、自然から裏切られたって結末は斬新
善と悪っていう分かりやすい対立なんてないのが分かる ドライブ~のPがディズニー移籍してたけどディズニーで撮るなんてことはなかったか
NEOPAってどこだよ?と思ったらハッピアワーから関係ある会社なのか タクミが「心当たりはありすぎる」って言ってたが、ラストシーンの解釈がまんまこれなんだよなw
このラストシーンは“分からない”のではなく“何通りにも解釈できる”なのよ 普通に無茶苦茶なだけだろ
幼児が作って話す物語並みだわ >>681
ヴェネツィアの審査員は幼稚園児レベルってか!?w >>682
ショパコンやブザンソンのような新人の登竜門ならいざ知らず
賞という権威にすがるようになったら表現者は終わり
そういった"すがる輩"は観客を無視しがちだから始末に負えない 見てきた
娘が帽子を取ったシーンは妄想で行ったら死んでた
高橋を締めて森に入っていったのは現実で娘と自分も死のうとしたと判断した
ラスト以外は好きラストは何しようとしたかもう少し見せてくれたら嫌いではない
衝撃のラストって感想にしかならないよなって感想 ゲス極って居るよね正式には「ゲスの極み乙女」なわけだが、アレ
バンド名で釣ろうという志の低さを感じて無理なのねオレは
そういうエキセントリックさで釣ろうという、その志の低さをこの映画のタイトルに感じて
同様に無理なわけ
いや別に「善/悪」という二項対立を止揚する何かが
この映画の中で語られてるんならオレも沈黙するが
誰もその"善/悪の止揚"を語らんじゃんか
かつてピークで1億再生したゲス極MVも直近では9万再生な惨状
お手軽に釣ろうとするイロモノ連中の末路なんてそんなもんよ
で、自然に"善/悪"を語らせようというこの映画の思考自体も同様にイロモノよね 善悪の彼岸て…… ニーチェですかw
さすがにその方向性では考えてないと思う、この監督は >>687
オマエは嗤ってるようだが「善/悪」を論じるにニーチェ無視とか有り得るか?
そもそもソコを思考しないで「悪は存在しない」なんてタイトルを付けること自体が陳腐だろ
たとえば「凶悪」という映画が在った
でもアレの「悪」は法という明確な基準に照らして、なわけ
だがこの映画の「悪」はそういう明確な基準が無いわけじゃんか
じゃあオマエの言う悪(善)とは、そしてソコを止揚する高次な概念とは?という
疑問に答えるのは当然じゃないか? 「悪」について思考する際に、必ずニーチェ的な思考を経由しなければならないという理屈はないな
「止揚」という言葉遣いから見ても、ひと昔もふた昔も前の哲学や思想にかぶれた世代だと見える。
まさか今さらデカンショの時代でもあるまいに。
世の中に「悪」について書かれた書物はごまんとあるんだよ。
かりに哲学っぽいネタフリをするにしても、もっと広い視野で物事を見ないとダメだな。 >>678
ドライブマイカーのPって松江哲明の映画でプチ炎上してたよな 鹿に樹皮を食べられて木が枯れるのと、人間が木を伐採する。
前者は善で後者は悪なのか。
木の立場ならどちらも殺されるのに鹿なら善で人間は悪なのか?
人間の糞を川に流すのは悪で鹿の糞だったら善なのか?
浄化槽を設置して人間が勝手に決めた基準値以下に浄化した下水を垂れ流すのは善なのか。
増えすぎた鹿を狩って農産物や樹木を守るのは善なのか。 "悪は存在しない"か...
コメディならアリだったかもな >>688
この映画はつまらないと一刀両断するなら
自分にとって至高の映画とは何なのか
どのような映画ならつまらんくないと言えるのかという質問に答えるのは当然じゃないか? 映画観もせずにタイトルだけでいちゃもんつけにスレ来てる奴の相手なんかするだけ無駄さ 自分は頭が良いと思ってる人種は善と悪を語るならニーチェをーとかいい出すが滑稽なんだよ
もちろん哲学的な文脈で語るならそうだろう
ただ善と悪というのは広く一般に膾炙している概念であり、この人がいうようなものを描いていないとしてだからといってなんだというんだ
思い上がった映画ファンほど醜悪なものはないなと改めて実感した書き込みだった そう思うならお前も撮れるはずだから撮ってみなよ
ゴダールの手持ちカメラの映画見て自分も撮れるんじゃないかと錯覚させられる事態が起きたように
これは正しくゴダール的な映画なのかもしれないな 賞をとった監督だというバイアスを抜きにすると映画自体は戦慄怪奇ワールド コワすぎ!と似た立ち位置なんだよな こんなかっこいい映画をお前みたいなバカが撮れると勘違いするなよ 合わないとか終わり方がちょっとなみたいな感想はわかるが
バカにしすぎは、傲慢にみえるな
映画として新鮮で面白い
ただし、あまり好みじゃなかったというのが感想 >>704
ゴダールって何が評価されてるのか解らんのよね
出来るなら信仰心の強さではなく客観的に語ってくれないか? よくあるモキュメンタリーホラーと構造は同じなんだよな
それを丁寧に訳ありげに作り上げた感じ
映像はすごく綺麗だね ごめん詳しくないからそのドキュメンタリーホラーと構造が同じってどういうことか教えてくれ >>711
自分で調べてみれば?
てかその返しで親身にキチンと答える奴は居ないってw 説明する能力がないならそれはそれで構わないが
◯◯と構造が一緒とかいって、一定の評価のある作品をディスってみておいて
説明しないって、なかなか痛いやつだなあ 凄い作品だった。
あのラストをどう解釈するか、というよりは、解釈する過程こそが最高な作品なんだ思う。 自然と共生する仙人と思わせて、喫煙者だし、ディーゼル車を運転してるし、単なる田舎の世俗の人ですな。
都会から来た、勤め人と、基本的には変わらない世俗の人。
というか、見守るべき家族への目線は、都会暮らしの芸能マネージャーよりも粗いな。 ゴダールといや軽蔑はパンフレットで触れられてんだっけ? 先生が言った上の人間がどうのこうのっていうくだりは
まんま世の中全体のことに当てはまりますよね。 便利屋って言ってたけど主に何の仕事してんだろう?
水汲み以外に何かやってる説明あったっけ
実は親の遺産とか都会で働いてた時の貯金で暮らしてるとかなのかな
田舎にはそういうクズ多いんだよな >>718
区長と示し合わせて、グランピング場の土地を売った上で、担当者を抹殺するビジネスは儲かるかもね 濱口竜介はまたベネチアに出品する可能性あるらしい
2年連続で受賞したら快挙だな 3月のアジアフィルムアワード作品賞なのに欠席の理由は新作撮影らしい
この大きな賞を欠席するとはやはり急いでるからだと感じる
審査員長は黒沢清なのに アジアフィルムアワードは大きな賞か?
それに去年もドライブマイカーで作品賞取ってるから優先順位下がるのは当然だな >>721
そもそもカンヌ→ベルリン→ヴェネツィアで三作連続コンペ部門出品&受賞してるのがすでにレジェンド グランピング場に来る若者たちがルールを破って時間外に焚き火をするって話。
なるほど確かにその通りだと思う。そしてその対策の為に夜間の職員として雇われた、巧や高橋が酒に酔った若者たちと殴り合いの喧嘩に発展する事は必至である。 あの浄化槽のはなしは建設者も無茶は言っていなくて満員のときに5人分オーバーするってはなし
だけど満員にならない程度の集客しか見込んでない
しかし「満員になる可能性もあるよね」と住民はいう サントラ2曲だけ配信されてるね
メインテーマのストリングスの曲はイヤホンで聴いてみてほしい
最後音が消えた直後の残響音がきれい >>691
それはバレイショ(馬鈴薯)w
おまいさん、デカルト カント ショーペンハウエルのこと知っててわざと書いてるだろwww 逆に三大映画祭プラスオスカー全部で最高賞取ったやつっておるんか?
最高賞じゃなくてもこれら全てでなんらかの賞を取ってる監督なんてごくわずかだろ
日本だと黒澤以来だから快挙だと言われてる 大抵の監督は一つの映画祭と相性が良くてそこで何度も賞を取るか一度最高賞を取るって感じなのに
オールラウンドで高い評価を取り続ける監督が新人というのが異例中の異例 チャンイーモウが金獅子2 金熊 カンヌグランプリと残すところパルムドールだけだな
さすがにアカデミー賞は難しいけど アカデミー賞にはチャンイーモーはエントリーしないのでは 3大映画祭の最高賞制覇は
ロバート・アルトマン
ミケランジェロ・アントニオーニ
アンリ・ジョルジュ・クルーゾー >>733
是枝はカンヌ、北野はヴェネツィアと相性いいよね チャンイーモウってそれだけ取ってる割りにあまり話題にならないね
ウォンカーワイの方がよほど話題性を持ってる 濱口は三大映画祭どっかでは最高賞取りそうだよね
ドライブマイカーが星取り一位でスパイクリーがチタンをゴリ押ししなきゃ取ってたらしいが
あとはどの映画祭が最初にあげるかの段階にある気がする 黒澤
金獅子、銀獅子
パルム・ドール
オスカー
外国語映画賞×3
名誉賞×2
監督賞
ベルリン
監督賞
こう見るとベルリンだけ冷遇されてるな >>738
ウォンカーウェイってそんなに話題になったか?90年代のサブカルオシャレブームの時だけじゃない 濱口監督は、東京芸大大学院時代はあの黒沢清教授の教え子だったんだね
黒沢監督風のホラー映画は作っていないけど >>743
だね、この2人を教授に迎えるとは東京藝大は素晴らしいね
映画科の大学院生たちが羨ましい ウォンカーワイはリバイバル上映とかで未だに世界中で根強かったり
近年批評家からの再評価ブームがきてて批評家が選ぶベスト100みたいなので毎回上位に来てる 黒沢清はエドワード・ヤンからの影響が大きい
濱口監督も影響受けてると思う >>746
そうなのか、エドワード•ヤン監督作品をぜひ観なくては!
かなり長くて観るのを躊躇していたが「クーリンチェ少年殺人事件」から観るわ、サンクス ようやく見てきた。こういうので鑑賞後すぐに感想会とかしたいんだよなあ。
都区内でもサークルなんかでもない限り無理だから地方だとなおさら無理か
そんで案の定ラストで混乱してる。
あれ花ちゃんは死んでたんだよね?
生きてるならその場で起こすはずだし
それと花パパがシングルなのはすでに半身を失ってる半矢の手負いと解釈したがどうなんだろう
鹿の話は花パパの自分自身のこととして表現されてるっぽいのはなんとなくわかったが難しかったわ
人に慣れたから襲うようになるとか、居場所の話とか
あと芸能事務所の二人が銃声はじめて聞いたけどそれを認識できたのは
普段自己認知してないだけで他者から何かを奪うことは知らずに知っているの暗喩だよね この映画は冒頭が長い森のシーンだったが、「関心領域」の冒頭は真っ暗な画面がかなり長く続き困惑したよ 確かに関心領域のアレは一瞬機材トラブルかな? と思うぐらい長かったね >>752
そうなんだよ、機材トラブルかなと不安になったわ 冒頭のシーンが好きだったから石橋英子の演奏付きGIFTの上映会行くことにした 俺はこの作品の前にリオ・ブラボー見て、この作品の次に関心領域を見た
間に何か別のが入ってたかもしれないけど
まあ比べるのは酷だろ >>757
先にこっち見て良かったとは思った
テーマの重さが違うけどこっちはこっちで好きだけどね 関心領域こそどうでも良かったけどな
山なし落ちなしだったし。別にユダヤ人が何人殺されようがパレスチナ人が何人殺されようが知ったこっちゃないだろう。
そもそもヘスというかSSは軍人ではなく軍人のまねっこしてるだけの党員の政治将校なわけで
国家社会主義の実現を目指してるんだから国として指示というか命令があったからやっただけの話だろう。
仕事だからやりますたってだけでラストのえづくシーンなんかも完全に蛇足だったわ。
ただ、あー、これ基督教とか西洋人が好きそうな内容だよね~。わかるわかるよって感想しかなかった。
野生とか自然法則に悪は存在しないの方が映画として面白かったよ。 >>762
ん、なんでよ?
煽りでも露悪趣味でもなんでもなく誰もが目を瞑って生きてるわけでな
それをさも人が死んでるのに目を背けたり気にしないのは悪いことですって
子供みたいに正論を振りかざすほうが悪趣味だと俺は思うわ。
そもそも戦争中なんだから対外だろうと内国であろうと人が死ぬのは当然だろう。
これは煽りで言うけどそんなに戦争犯罪を憎むならユダヤ人もパレスチナ人も国際法で救ってみせろよw
そんな事できもしないんだから気に病むだけ損でしかないわ >>763自己レス
まあ歴史的背景や事実はともかく
関心領域は映画として単純に面白くなかったよ >>763自己レス
まあ歴史的背景や事実はともかく
関心領域は映画として単純に面白くなかったよ >>761
まさに俺の関心領域は狭いんだぜって話をされてもなあ 関心領域は面白い映画ではないだろ
山場も無いし退屈な映画
しかし深く考えさせられる映画
この作品も少しばかりそう言う傾向はあるよね 関心領域って出オチじゃね?
全く前情報入れずに見ればどういう映画なのか推理して見れる楽しさはあるだろうけど
すでにどういう映画なのかの触れ込みは出てる状態で見たら最初から言いたいことはわかってるからまじで退屈 >>762日本人としてって…
そんなんいちいち括るようなもんでもないだろ 自分も見終わった直後は
でっ?と思ったけど後からジワジワ来た
捉え方は人それぞれ
本題の悪は存在しないは最初このペースはしんどい寝てしまいそうと思ったけど最後まで引き込まれました
最後尾の二人席を早々に押さえておいてもうそんなに混んでないようだから隣に来る人いないだろうと思ってたらかなり空いているのに隣にオバサマが座られて何でもないシーンにすごーいとか呟いてて気になって仕方なかった >>761みたいな馬鹿がいるから、映画というオールドメディアがまだ必要とされているんだろうね 実際、関心領域は映画としてはダメダメだろう
日本のリベラル監督とその仲間たちが趣味で作ってるドキュメンタリー風の社会批判映画と何も変わらん
そういう映画を見に行く層はもうそういう問題提起は知ってて分かってるから
なので脚色されたヘス所長withファミリーを映像化されたところでふーんにしかならん
現在進行形で起こってる戦争もだが、いざ戦争が起きてる最中は戦時国際法なんてクソの役にも立たんわ それはさすがに「関心領域」という映画が作品として持っている価値を過小評価しすぎだろ
あれほど精巧にホロコーストの恐怖を直接的にではなく、遠回しに描こうとしている映画はないわけで、
観ていると驚嘆させられるようなギミックや入念に考え抜かれた演出意図がそこかしこに垣間見られて
ただ単なる出オチの作品ではないことが分かる。
あれは作り手の意図や入念な仕掛けを楽しむ作品であって大枠のギミックやストーリーを鑑賞するもんじゃないだろ >>773
そうかなあ?
例えばヘス所長や同僚やその家族達は収容者の一部を奴隷化して
所持品を略奪してる様子が関心領域では描かれてるけど
もうそれって事実か脚色かは別にしてタイトルに偽りありだよね。
関心がなければ労働力としても性的にも奴隷にしようとも思わないし腹も立てないし奴隷の所持品や遺品に関心も何一つないだろう。
それにそもそも収容者の労働力としての私物化や所持品の略奪はナチ党に対しての横領行為になるので
それだけでもこの事件がドイツの国家ぐるみの戦争犯罪ではなくヘスの私的な犯罪に落ちぶれてしまってんだよ。
俺個人としてはそれでいいのか?って思うね。
基本的にドイツは戦後処理として悪いのはナチ党であってドイツは悪くありませんというスタンスをずっと取り続けてるからそれはそれでいいんだろうけど
まあありふれたユダヤ資本の反ナチプロパガンダ映画くらいにしか俺は感じなかったけどな。
こんなんで涙を流すやつとかショックを受けるやつとかヘスのかーちゃん並みの弱メンタルなんだろうなって思うわ。スレチ >>773
だね
「関心領域」が理解できない人は、評論家の荻上チキさんがこの映画について、「オッペンハイマー」とも比較しながら良い論評をしているからぜひ読むと良いよ
https://bunshun.jp/articles/-/70671?page=1 >>774
人には無関心、物には関心があるってことだよ
あの妻は相当にヤバいが入念に聞き取りをした結果の事実らしい
イジメの傍観者にしろ悪は存在しないのコンサルタントにしろ自分の関心外の人にはただの一般人がどれだけでも悪意なんてなく残酷になるって話を書いてるんだよ
悪は存在しないというか「悪意」は特に存在しなくても凶悪犯罪は常に起こるとも言う >>770
いや、で?じゃなくて
最初からもろ出しだからつまらんって話をしてるんだけど 人間の関心の領域は限られてるよねって皮肉が作品全体のテーマなのはタイトル触れ込みでわかるし
実際見ればそれだけの映画なのがわかる
最後まで見なくても映画のテーマを理解できる作品は出オチだし退屈だ
言っているメッセージ自体が意義深いのは同意するが映画というのはあくまでも娯楽だつまらないものはつまらない おれは娯楽映画としては「悪は存在しない」は結末が不可解だったが、監督の意図通りいろいろと考えさせられたわ
「関心領域」の方がずっとわかりやすいし映画として表現が優れていると思ったよ
まあ映画の評価なんて千差万別だから仕方ないね キャンプ場のコンサルや事務所の社長に悪意はあるんじゃない?
だって多少の犠牲は仕方がないリスクは承知という考えに誰かの損失を勘案してるんだから
それに目をつむる行為自体が悪意、つまり自覚がある悪だと俺は思うけどね。
水が物理法則で高きから低きへ谷筋へ集まりながら汚れものを流したり
野生動物が人間を獲物としてナチュラルに食べるのとは違うわ そもそも悪は存在しないって人間に悪意はないという映画なの?
もしそうであるならばストーリーとして映画の作り方はイマイチな気がする
配慮に目をつむる無関心である仕事だから急いでいるから
ここでやり遂げないと変わりに俺が破滅するからなんてのは普通に自覚された悪だと思うけどね
サイコパスそのものだけど良かれと思って他者や周囲(の利益にもなると考えて。社会全体や自分も含めて)に働きかけるようなのが本当の「悪意がない。悪は存在しない」という状態では?
自覚して目をつむることは俺はちょっとそれ悪意だと思うよ。
所長が収容者とセクロスした後で入念にちんぽ拭いてたり
階段降りながらえづくようなのは関心が本当はあるってことの裏返しだと思う。
本当に無関心であれば虫けらの存在や感情なんて目に入らない。
俺が所長なら生産労働力以外の収容者は早く処分しないと収容して食わせるだけでドイツにとって損失と普通に考える。
ウコギのように誰それ構わず近づけば自動的にトゲで傷つけたり
冬眠明けのクマのようにたまたま弱い人がいたから食べただけですってのが悪意なき振る舞いだろう 関心領域と悪は存在しないって、そんなに並べて語ることある?
全然話題にのぼらないけど、関心領域だとほかげのほうが対照的な戦争の描き方して比較に向いてると思うけど
あえて並べて語るとしたら…
関心領域はリアルをたくみに利用しながら普遍的な物語にリーチしてて、悪は~もいまどきのキーワードを多用してるけど根底にあるのは人間生活における無垢と暴力の理不尽なリンク
何かを侵すのが悪ならそもそも人間が人間らしく生きること自体が悪なわけで、それを仕方ないと受容できるほど人間は寛容になれない >>780
悪意って言葉の意味はなんだろう?
自分たちのやりたいことのために誰かの存在や生きたいという意志を無視するのと何か積極的に嫌がらせをしようってのは違うよ
だからね
今の世界情勢を考えると反ユダヤを許さない的この映画に込められた思想や語り尽くされたホロコーストを今更みたいなとこがつまんないってのと実験映画的な関心領域の出来ってのは別なんだわ
なのにあなたはそれらを混同しててとにかく映画の評価を下げる言葉を探してるってこったよ 別に映画の評価を下げようとはしてないがね
映画の作りが悪かったり描き方がつたなければ不満を持つだけ
ただそれは発露した不満を可視化させようとする行為なのだから
評価を下げようとはしていないの言葉の裏腹だが俺自身に悪意はあると俺は考えるけどね
俺が言いたいのはそう言った悪意の有無や都合のいい関心の部分部分の切り抜きではなくて
本当に悪意がない真実こそ悪は存在しないとして語る意味があるのではないだろうかってことね
スレのレスでもあるように人間なんて矛盾の存在なのだから無自覚自覚関係なく悪意があるのは当然であるし
その大勢の中には弱メンタルで社会を受容できない半矢の人もいるだろう
でも俺含め大多数の人間は知らない人間、あえてここでは非人道的に虫けらという言葉を使うけど
目の届かないところで虫けらが死のうが生きようが不利益を得ようがどうでもよく
さらに一部の人はそれが自分や虫けらや社会自身にとって 全ての利益になると考えてる人までいる
そういうのこそ悪は存在しないというのではないだろうか?
というか社会はそれを知ってようが(悪は存在する)知らずにいようが(悪は存在しない)受容してるのであって
問題提起こそ寝てる子をあえて起こして社会に問題を起こそうとしてるようにしか感じられんね。
むしろ作り手に悪意あるだろって感じ。だからプロパガンダ映画だねって俺は思ったわけよ 自分が生きるために誰かが割を喰ってることに無自覚な人間に問題提起したところで意味なんかないんだよ。
だって彼らは野生動物と同じで人間からははるかにレベルの低い悪は存在しないんだから
だったら俺らもそんな獣の真似をして自分が生きるために誰かの命を犠牲にしてでも別に気にするまでのこともないだろう
だって大多数が獣並みであればそれが社会の基準なんだから考えるだけ無駄だわ
悪は存在しないってそういうことじゃない?
住民を丸め込んだりとか配慮してる素振りだけをするなんてのも相手を見てる行為そのものであって悪そのものだよ
人間に悪が存在しないのであれば虫けに一切の配慮なんてしないけどね。存在そのものを気にしないから 悪いが、そこで言葉を連ねているが、ただの開き直りだと思うわ スレチな内容をここで長文重ねて訴えられても意味無いよ
あなたはそう感じたのねハイハイとしか 映画ライターが「週刊文春CINEMA夏号」に以下を書いているが、おれも同感だ
『主人公が都会から来た男を殺すのではなく、スリーパーと呼ばれる締め技で「意識」を落とすのは、理性や言語の意識から不可解な「自然そのもの」の事象を切断するという意図があるようにも思えた。』 >>788
回りくどい文章だな
気を失わせて部外者を自然の摂理から排除したってことか? >>788
同感なのはわかったが自分の言葉で何をどう感じたのか聞きたい >>791
同感
俺も自分の言葉で何をどう感じたのか聞きたい 蛇の道リメイクのイベントでハマやんとキヨシ2人のトークショーやるやん >>779
濱口竜介が関心領域のような作ったら見たいな そういえば次作はフランスパリらしい
ベネチア狙ってるのかも 濱口監督、人間の嫌な部分撮るの得意だからサイコホラー映画に挑戦して欲しい そういえば濱口竜介アジア太平洋映画祭で欠席した理由映画撮影だったね しかし銀獅子って凄いな
哀れるものたち見たけど流石にあれには勝てんな 「鹿は人を襲わない。半矢でなければ」
「鹿たちはどこに住むんだ?」
の時点で実はマジ切れ状態で、子供はアイツが駆けたせいで襲われた
から締め上げた
悪でなくても無知が取り返しがつかない事態を生む
で、どうですか?
正直分からん 濱口は都会の人間だし、漠然と、自然は善、都会は悪っていう二元論への反発があった気がする
確かに一見そうみえるが、たくみにもずっと危うさはあり
彼らもそもそもよそ者で、純粋な自然に属する集団でもなんでもない
都会のやつらの滑稽さや必死さ、醜さも描きつつ
田舎のたくみのもつ凶暴性や半矢の動物がみせる攻撃性も示して
二元論なにそれバカじゃないのみたいな
あと、これはこういう物語でしたでくくれないのが映画じゃないのかっていう挑発でもあり 今年のアカデミー賞また監督賞ノミネートされてほしいな >>788
>『主人公が都会から来た男を殺すのではなく、スリーパーと呼ばれる締め技で「意識」を落とすのは、理性や言語の意識から不可解な「自然そのもの」の事象を切断するという意図があるようにも思えた。』
マジで? 真面目にそう思っているのか? 殺した殺してないっていうより、自分の言葉で語れよって思う
何が言いたいのか何を感じたのか 口をふさいで肩を押さえるくらいでいい物を裸締めって異常者しぎて笑ってしまった 施設を作った後の鹿に対する「どこか別の場所で」で、こいつらに話しても無駄だと思ったんでないの? 話して無駄だと思ったら普通の人はどうすんの?
>>788が何を言いたいかずっと気になってるので俺も同感って書いたやつ説明してくれ 巧はロシアのスペツナズ出身のサンボマスターか何かなのか? 後ろ締めなんて一番原始的な落とし方だから誰でもやるだろ
巧は世捨て人みたいなもんだから娘を失って自分もと思って邪魔なオッサンは眠っててもらおうと思ったんだろうな
息はあったみたいだけどあんなとこで行き倒れてたらオッサンも朝までに死ぬだろな >後ろ締めなんて一番原始的な落とし方だから誰でもやるだろ
いや、それはいくらなんでも無理があるだろ
首を締めるのと、意識を落とすことの区別すら分からない一般人はそんな発想にはならない
とっさに気絶させるんなら、鈍器や木材で打って気絶させるくらいだな 無理あるよなあ
どう考えてもあそこは突飛で誰でもやらん 分かり難い部分は表現上製作上の意図があったんではなく、単に話題性を高める為だったなんてことは無いよね
どうも花の最期と、首締めについては理解出来ない
まあ花については事実と想像の世界が交錯して、最後の森が流れる映像は死んだ花の目に映り込んでいく映像かなとは思うけど 濱口発言で、わからないといけないみたいな発想は貧しいとかいうのがあって
結構嫌なやつだなと思った 衝撃のラストって悪い意味で衝撃だと思う答えが作中にないんだもん
予想しようが何しようが答えはずっとわからないなら考えるだけ無駄な気がする
ラスト以外は好きだったからそれが残念
もうすこしヒントとかそうなのかなと思わせるのがあればよかったけどそうしたくなかったんだろうな こんな事があればば施設の建設は不可能になるだろうね
「しか」たないってね ミステリー小説で何の伏線もなく意外な人物が犯人だったみたいなもんだな >>816
>とっさに気絶させるんなら、鈍器や木材で打って気絶させるくらいだな
いや・・止めたほうが良いと思うよ気絶するぐらい鈍器や木材で殴ったら下手すりゃ死ぬぞ
巧は多分柔道の経験ぐらいあったんだよ 落とすための締め技とみるか、殺すための締め技とみるかで解釈は大きく変わってくるけど、あれは締めてる最中に別のことに意識が移って締めるのを止めたように見えたから、後者が有力と思う
夜の闇が濃くなるにつれて、功の獣性が増したというか理性の外にあるもの(強い不安、猜疑心)に乗っ取られていってるようには見えた
功たちジモティも芸能事務所も、自然とはうまく付き合えば仲良くやっていけるのではという考え方では共通してたのに、そんな安易さは夜の森の底しれぬ闇に跳ね返されたっていうか 花が危ないから静止のためって発想はちょっと締め方の本気っぷりで無理があると思う
あそこから狂気と殺意みないのってどうなん あ、ヘタすりゃ死ぬとか、静止のためだったって解釈してるやつのことな 下手すりゃ死ぬっていうのは鈍器や角材で殴って気絶させられると思ってる人への一般論ね
巧は殺すにしろ気絶させるにしろ、オッサンを排除出来れば良かったんだと思う
強い殺意なら首が折れるまで締めるだろうし 前半は「みんなそれぞれの立場で頑張ってる。悪なんて存在しないよ」
後半は「偏見や無理解があって、弱い立場に理不尽に皺寄せがいってるだろ。何が悪は存在しないだボケ!」 スレのレスでも誰か書いてたが
悪は存在しないというのは自然とか野生に悪は存在しないという意味ではないの? 何が言いたいかよくわからないのでもうちょっと説明してくれ これ、最後の絞め技を知らないと、巧が殺そうとしてるように見えて解釈が変わってくるな
落とすだけで殺意はないけど、放置すれば死ぬ可能性があることを自覚してやっている状態な訳だが キヨシがフランスでオフィシエ貰ったな
ハマやんも長年監督続けたらすぐに貰えそう >>832
殺そうとしてると解釈したんだが、じゃなんだと思ってんの?
絞め技を知らないとのところ、中途半端すぎて意図伝わってないから説明よろしく おれは>>830と同じ解釈
自然や野生だけなら悪は存在せず、人間が手を加えることによって悪が発生する
なので巧たちは可能な限り、自然と共生してるし、それを脅かす存在には厳しい >>833
黒沢清はフランスではレジェンド扱いらしいね >>836
そういう安易な自然の美化、濱口は好まないと思うがなあ 北野武は過大評価されてるよね
確かにその男〜とソナチネは凄かったけど 本人のスター性によって評価がプラスになってる気がする 評価高すぎだよね
映画評論家ってなぜかホモセクシュアルの人が多い
北野作品はなぜかゲイに人気がある
ってことで映画評論家に評価が高いってことにならないかい? 28日から18歳以下ワンコインキャンペーン
https://news.yahoo.co.jp/articles/d0edbc2fe71f9a451b556ced09807a4eaefb2d2a
第80回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)を受賞した濱口竜介監督の最新作「悪は存在しない」(公開中)の“高校生(18歳)以下ワンコイン(500円)キャンペーン”の実施が決定。6月28日より該当劇場でスタートする(終了未定)。 濱口監督とは東京藝術大学大学院で同期修了の瀬田なつき監督の「違国日記」を観たが、こちらもとても良い映画だった GIFT抽象的な映像を期待したら映画のストーリーのなぞる構成で登場人物の説明やセリフまで字幕で出していて驚いた
やっぱり濱口監督は言葉の人なんだな 主演の人の初監督作「義父、養父」を見てきたが、当たり前だけどまったく本作とは関係なかった
でも映画館での紹介の仕方が「あの『悪は存在しない』主演大美賀均の初監督作!」と
書いてあって嫌でも連想させるもので見てしまった
内容はううーん… wowowで「親密さ」やってたので観てみたけど2時間で寝落ち
最後まで観てみたいけど配信無いな、来月の再放送待とう
いきなりチョークスリーパーがまた見れた
好きなんだな、濱口監督 >>806
そうかねぇ
自分は都会派の人間が自然と人間の善悪二元論を作品で振りかざして最後自然を汚す者を亡き者にしようとしたと思えて
なんだこれ随分な駄作だなと思ったけどね
その解釈が間違ってる映画になってたか?
自分はなってなかったと思うがねぇ
「ドライブ・マイ・カー」は傑作だと自分も今でも思ってるが
みんな濱口監督を権威化してまともな批評が出来なくなってるんじゃないかな …とりあえず説明会のシーンちゃんと見直してみたら、そういう映画じゃないことはわかるはずなんだけど
あんなにバカ丁寧に都会VS田舎の話じゃないと説明してたのに 芸能事務所の社長とコンサルをもっと普通に描いていればな自然と人間の善悪二元論の映画の印象とならなかったはずなんだがな
その2人を悪く描いたために対立する側の巧たちの善の部分が際立ってしまった
説明会のシーンや濱口監督がインタビューなどでいくらバランスや自然と人間とは二つに分けられないという話を建前的にしても
深層の無意識で自然と人間の善悪二元論が表現されてしまった作品となった感想かね
芸能事務所社長もコンサルもなるほどそれはそれで納得感ある立場だね悪とは言えない描写だねとなっていたなら最後の巧の行動も善とも悪とも取れない映画にはなってたと思う
片方を分かりやすく悪に描いてしまえば対立側は対照的に善の方に傾いてしまい善悪の境が際立ってしまうからね
間に入っていた高橋や黛もそこまで深刻な挟まれた苦悩もなくどちらかというと現実的に折り合いを持とうとしている人間で
その現実的に折り合いを持とうとしている立場の人間すらも巧の車の中の表情や最後の行動で否定してしまったのがなこの映画の善悪二元論の印象に拍車を掛けたかね つくづく思うのは、巧は鹿の通り道の話を娘にしといて
なぜ手負いの鹿には近づくなと言い聞かせておかなかったのだろうか
学校からの帰り道が鹿の通り道と被ってることは明白なのに
あの自然で生きる子なら、手負いの鹿に近づくなは必須の情報でしょう
巧は娘に言ったつもりになって忘れてたのか
自分は最後のシーンでさすがに娘は手負いの鹿の危険さを知ってるはずだから
動かないと思っていたら、帽子を取って近づいていくからびっくりした
それとも言い聞かされてたが、子供の好奇心でわかっていても思わず近づいたか? 放課後に子供たちと遊ばず、一人じゃ危ないのに親を待てずに歩いて帰る子だから
親の言いつけを守らず危険な行動しちゃうのもありっちゃありだな >>864
むしろそれが人間性の危うさでは?
善悪二元論、自然と都会の対立構造において自然を上位にみるという世界観にみえて
ところどころ危うさをはさみ、最後に揺らがすって構図なのに
冒頭二行でその構図を全否定してるのがすごいなと思う
社長もコンサルもよくある薄っぺらい嫌悪されやすい存在だけど明白な悪じゃない
高橋も流されやすいつまらん人間だけど悪ってほどでもない
でも彼らは自然に悪をおかす可能性は十分ある
そして田舎、自然側に属するたくみがもっとも凶暴な人間、鹿も手負いなら人に危害をあたえる存在っていう混沌感がこの作品の魅力なのでは 作品の魅力というか、自分もこの世界に居る限り
自然との共生をどうやって自分もしていくのか
考えろよって言ってるので
傍観者的視点で楽しむものでもない気がする >>789
イオンシネマの確認してきたけどタイトルの下に書かれる英題のところが配給会社のInclineになってて苦笑
そのうちEvil~に直るんだろうか >>866
あの危なっかしさを、親も学童も、誰も深刻にとらえてなかった迂闊さ、安易な計画でグランピング施設持ち込もうとしてからのゴタゴタ、ある意味すごくバランスがとれててそこをまとめて全部引き摺り込む森の闇
無垢さや無防備と表裏をなす無責任、無謀
しみじみ怖い監督だよはまぐちぇは 女の子が一人で山の中帰るシーンで月ヶ瀬の事件を思い出した
もしかすると変態があの子を狙いつける展開の伏線か?とも思ったが
運良くあの地域には変態がいなかった模様
巧も、娘が変態より鹿にやられた方が納得はするだろう GIFTでは娘の迎えに遅れて探すのも一つのルーティーンとして巧は愛しているといったような内容の説明の字幕が出ていた 探して見つけてふたりで話しながら歩くことが楽しいというのは伝わってきたけど
ルーティーンにしてしまうから悲劇が起きる >>870
児童文学もそうだけど何かを考えさせようとしてるとか
この作品からもそういうメッセージこめてるとか
そういう思考回路のほうが安易で安っぽいと思うけどね
その手の人種はやたら自信満々に外れたことを言いがちだから閉口する どっちが安っぽいとかいちいち比較して
優劣つけるあなたの思考がまずおかしいのでは? うんそれでもいいけど
考えさせようとしているとかいうのを堂々と言っちゃう人は苦手 それは自分の問題では?
比較して優劣や、この人の意見は悪い俺は正しいといちいち決めつけないと生きていけない人なんだね やっぱり話が通じないw
自分の意見は見てめてほしいけど他者の意見は許さない
承認欲求強いくせに他者へは厳しいってw
おもしろい人だね 意見は自由だと思うけど
個人的には、
「自然との共生をどうやって自分もしていくのか
考えろよって言ってるので 」
とかいう意見をドヤ顔で言ってるのは滑稽だなって思っただけ
それを否定されてカッときてるのはこれ書いた人じゃないのかな
横の人がむきになってるのはそれはそれで面白いw
こんなの個人的意見の言い合いで、人の意見に対してそれは違う自分はこう思うっていうことを否定したら
この場成立しないよ
うんあなたの意見も素晴らしいとかわかるわかるっていう仲良しごっこならTwitterでやってろって話 相手を滑稽だとか、安っぽいとか言うと
自分が上の立場で勝ったような気がして満足な人
相手に対して優劣つけて自分が優であるとして満足する人
それを言われると図星のようで悔しい気がする変な人 滑稽だと思うけど、別にそれで自分が満たされるとかはないよw
相手が自己満足のため発言してると思い込みたい変な人↑ ここまでしつこく続けるということは、いわゆる「勝ち」にこだわってるんだろうよ この映画の主役は自然
ここまで自然を美しく主役として映しておいて
この自然はただの映画の舞台であって、この映像を「美しいね」という感想で終わらせてくれて結構です
とは思えないなあ
この映像を見て美しいと感じたなら、自然というものについて少しはおまえも責任背負えよ
ただ、「美しいね」と無責任に感想言ってんじゃねえよ
という鬼気迫るものを感じた >>885
その言葉が自分自身に当てはまるかもしれないって考えられる知性があるといいんだけどね 優劣にそこまでこだわってるのは変だと思うので
それを指摘すると、指摘した相手を知性がないとか
相手を下にして勝とうと必死なんだよね
必死なの変じゃね?とこっちはずっと言ってる
勝つとかじゃなくて、勝手に勝とうとしてる人に
それ変ですよって伝えてる いろんなもんからいろんなもんを勝手に受信する人はこの世に結構いる
創作物は完成しちゃったら作り手の元を離れ、見るものの感性に委ねられるものなのだから、自分がいくら妄言と判断したとしても全否定は野暮ってもんだ
そんなの現国のテストだけにしようぜ
ワイは好きだぜ、応援するぜ!アクロバティック解釈 自然のことをちったあおまえも考えろよ!という感想は
自然vs人間でも田舎vs都会でも水引町vs芸能事務所という単純な対立の話ではないし、もっと自然を大切にしようぜという安易なメッセージ映画でもない
おまえ、今まで深く物事捉えたことなくて傍観者のつもりだったろ?っていう暴力的なものを
突きつけられた感じがあったね
石橋英子の作業場が長野でそこから生まれた映画
あの辺に実際に行ったことがあるが、本当にきれいな水と森がある静かな場所
それに対してただきれいだとそれ以上深く考えなかったことを、おまえは深く考えない人間だと恥をかかされた気がしたよ たぶんただの娯楽映画として楽しんだ人とは感想が違うね 見る側に、無責任な傍観者であることを本人に突きつけて自覚させる映画
関心領域と同じ種類の映画だと思う 何故巧は高橋を襲ったか
あの場で巧は高橋なんざより花を信頼してるから
あの場で高橋がアクションを起こすことが許せなかったから
との本人の解釈 シネマシティにいた人が何か書き込むだろうと思ってたよ 関心領域は見る前から内容が分かってるのがあるし最後の場面でもわかりやすく見る者に「深く考えない傍観者」を自覚させるけど
悪は存在しないはまったくそういう映画だと予想してなくて油断してるときに突然突きつけてくる
そのせいで悪は存在しないの方がインパクト強かった
「これは、君の話になる」
「観る者誰もが無関係でいられない、心を揺さぶる物語」
予想外だったのはこのコピーを事前に見てなかったのもあるかも 「これは、君の話になる」
「観る者誰もが無関係でいられない、心を揺さぶる物語」
そんなコピーあったんだ、初めて知ったわ
自分がそもそも田舎暮らしのせいか、そのコピー全然刺さらないな
都会の人が考えて作った茶番劇に見えた 終わりのない現実や、はかりかねる人間、混沌とした世界を
すっきりまとめて結末つけて、これはこういう物語だってすることをこの監督は否定していると思う
どう解釈してもいいと突き放しているわけでもなく、ただこれはこういう物語だという消費への拒否というか