【濱口竜介】悪は存在しない
特に強い怒りの感情もないのに他人を羽交い締めにして首を絞めて落とすのか
殺し屋か何かなのか?w >>453
凄い解釈だな
神聖な鹿が巧に指示して高橋を殺させたのか! 巧を普通の人間と同じと捉えなければいい
彼が説明した鹿と同じで、普段は人間に害を加えたりはしないが何かのはずみで突然に害をなす野生動物みたいなものだと思えばいい
我々、高橋側の人類は近寄らん方が良いんだよ怪物だから巧は
ただ怪物であっても悪ではないというのが巧なんだわ カッとなって殺したとかだと前半の丁寧な人物描写と繋がらないじゃん
それこそ車の中で急にキレる高橋とかと一瞬だし、悪ではないとは言えなくなる
防衛本能と捉えれば、主人公の自然との共存みたいな哲学ともブレないし
守る対象が娘だったのか、生活そのものだったのかは時系列が曖昧でわかりづらくなってるけど
ところでこのラストちょっと相米慎二の『お引越し』と被る気がするな 奈良の鹿のイメージで”神聖な”って思う人が居るのかもしれないけど、日本中で増殖しすぎてる鹿に接してる地方の人間だと害獣でしかない
農作物を食い荒らすのは周知だと思うけれど鹿が人の生活圏に現れるとヤマビルやらダニやらも連れてくる
「自然破壊した人への罰だ」なんて思う人が居るかもしれないが山を放置したせいで動物の生活圏が広がっているのが事実
今作で気が付いたけど、この監督やたらタバコ吸わせるの好きだよね
お花畑ナチュラリストの変な映画 🤔あのスリーパーホールドになんの意味が込められていたのか。
そう考えると夜も眠れず、仕事も手につきません。 だよね。。。それ以外の部分の解釈はもうスレに出切ってる感じ。 >>456
どういう意味において?
自分は比較的>>457の認識に近いな >>460
作り手が田舎のこと自然のこと本当は知らないんだろというのは同意
川の水汲んできて蕎麦屋の営業なんて絶対許可下りない >>464
そうなのか
おれは東京出身だからそこはまったくわからなかったわ 監督が川崎出身だから田舎の描写が僕の考えた最強の田舎なんだよな
田舎者は自然を愛してるとは限らないわけで >そばを打つうえで、重要になるのが水です。戸狩の各宿では川の水を利用した水道水ではなく、
>裏山に湧き出ている湧水でそばを打ちます。臭みがなく、澄んでいて本当においしい水です。
>そばを打つ水も、茹でる湯もすべて湧水。これが田舎らしい贅沢だったりもします。
>おいしいそばを追求して、湧水を使う。その探究心こそが艶やかで引き締まった美味しいそばを提供できる秘密です。
ちょっとぐぐっただけだが湧き水はセーフで川は駄目みたいな基準あるん 上にも出てるけど川崎生まれなだけで父親の仕事の関係で地方も含めて転々としてたらしいよ
あと劇中でうどん屋が使ってるのも川じゃなくて湧き水じゃなかった?
実際モデルになったうどん屋も近くの湧き水使ってるって書いてたぞ 湧水(地下水)は雨水などが地面に浸透して、地層によって自然に濾過されあとで地表に出てきたばかりの水だから、川の水よりも清澄なんだと思う
川の水は湧水が流れを作って、それらがいくつか集まって大きな流れをなっているからそこまでですでに汚れを含んでいる。 自分の住んでるところは地下水利用が多いけど水質検査厳しいよ
知人が飲食店やることになった時もそれが一番ネックになってた
あと登山する人は谷川の水なんか飲まない
いくらきれいでおいしい水でも上流で動物の死骸沈んでるの良く見るから 鹿だって少ないうちは可愛らしい動物だったり神聖な生物かも知れんが
大量繁殖すれば害獣
バランスで善悪は揺れ動く >>471
自分の自治体は湧き水だと煮沸しようと許可おりないってのはわかったが
それ日本全国通じるルールなん 井戸水などを使って飲食店を経営することはべつに禁止されてはいない。
ただし年1回以上の保健所による水質検査にクリアすること、また殺菌装置・浄水装置が正常に作動しているかを定期的に点検して記録を残すことが義務づけられる >>473
地下水(井戸水・ポンプ湧水)は検査通れば許可下りる
それは全国どこでも
川の水や野良の湧き水は水質が安定しないのでおそらく100%許可下りない >>475
じゃ湧き水でやってるっていう店は許可おりてないってことで間違いないんだな 湧き水でコーヒーとか蕎麦とか言ってる店もあるけど大抵は井戸水だよ
湧き水も井戸水も同じ地下水だけど地表に流出した時点で湧き水と呼ばれる
ナントカ名水みたいな飲用許可された湧き水もあるけど流出した時点で川水と同じ汚染の可能性リスクがあるから、自己責任の飲用はOKでも保健所は営業使用の許可は出さない
同じ水なら井戸水使えば済むこと、汲む手間も省けるし安全だしインチキとも言われない 飲食店等の営業施設で井戸水、湧き水、山水等を飲用に適する水として使用する場合には
食品衛生法施行規則別表第17四 使用水等の管理に従って管理する必要があります。
特に、以下の内容については、あらためてご確認のうえ、引き続き適切な管理を実施してください。
1. 年1回以上水質検査を行い、成績書を1年間保存すること。
ただし、不慮の災害により水源等が汚染されたおそれがある場合はその都度検査すること。
2. 水質検査の結果、飲用に適する水でないことが明らかとなった場合は、直ちに使用を中止すること
飲食店での飲用ですらこの感じなのに加熱する蕎麦の出汁に使うのがありえないってどういう根拠? 「湧き水」といっても、エヴィアン水みたいに水源から直接採取すればいいんだよな
川に流れ出たものじゃなくて >>479
飲食の知人多いのよ
自分の町にも湧き水でコーヒー謳ってる店あるけど井戸水使ってる
湧き水じゃ絶対許可下りないって言ってたのを聞いたの映画観て真っ先に思い出したよ
法律上の可能性はあっても端から相手にされないって 監督のインタビューでラストシーンは巧の息の音だと言ってるね
夜の森を花を抱えて巧みが移動してるという事か
高橋はやっぱり巧によって殺されたのか >>483
そうなんだろうね
さすがに高橋を殺す必要性までは納得できないなあ >>482
>>480を見る限り、井戸水か湧き水かではなさそうだからその知人が適当なことを言ってそれを鵜呑みにしてここで吹聴しちゃったかな
そういうやついるよな まあ身の回りの実体験に基づく証言なんだから、あながちに否定することもないんじゃ 「水がもうない」ってなって「今日は人手がある」って行った先は川だったよね
ひょっとしてあれは湧き水に分類されるの?
まぁ、リアリティはそれほどいらないからいいちゃいいけど「リアリティに問題は無い!」ってマンセ―な人には「これはいい加減な作品ですよ」って認識して欲しい
飛びついて裸締めし始めた時はトムブラウンのみちお(奇人)の行動とダブって笑い声出しちゃったよ 川、しかも人里に近いあたりの水なんか絶対飲むもんじゃない
もちろん水質検査されてない川の水を飲用に使用するのは法律で禁止されてるし、たとえ水質検査で問題無いとされてても上流でいつ誰が何流してるか分かんないし、当然雨水も混じるし(雨水はほぼ飲用に適さない)きれいな水なら虫や魚が住んでる、金魚とか飼ってりゃ分かるけど魚は大量のフンをする
谷川の水がきれいだなんて都会のエセナチュラリストの幻想だよ オープニングの映像は花が見上げた木々と空だったから
エンディングで同じ映像に戻るということはあれも花の目線で
実は死んでなかったということか
濱口映画で煙草は他人同士の繋がりを象徴してる気がするから
少なくとも一緒に煙草吸ってるあたりまでは
巧も高橋たちと歩み寄ろうとしてたのかなと思われる
ただその結果として花の命を危険に晒すことになり
バランスが崩れることを察した巧が高橋を殺して花は助かる
この部分が単に鹿に近づこうとした高橋を制止したようにも見えるし
子を撃たれた親鹿が花の命を奪う代わりに高橋を生贄に差し出した
自然界との契約みたいな、神話的な解釈もできるのが面白いな >>480
>飲食店での飲用ですらこの感じ
どゆこと?それ読んで湧き水、山水の利用が比較的許可されやすいと読み取ったのなら甘いわ
井戸水は厳しいながらも許可されるけど川の水は無理よ保健所に電話してみるといい
あと、煮沸や濾過で無害化されるのは菌や微生物で毒素は残るからね >>490
自分の解釈は逆だな
開拓側の人間だけど環境も守りたい、大事なのはバランスなんです。って巧が言ってたけど、それが一番詭弁なんじゃないかと思った
野性の動物はバランスを取ろうなんて考えない。本能と自然の法則に従うのみ。あの瞬間、巧は野性の側に行ったんだと いつまでもうどん屋の水の考察してるやつしつこすぎwwwwww
そんな映画じゃないだろ 実際に湧き水使ってるうどん屋なんていくらでもあるんだし
映画内で湧き水汲んでた場所が衛生的にどうかなんて知ったこっちゃないわ
>>492
それまで映し出された思考が結末に至るって言ってるんだから、詭弁だったってことはないでしょ 些末な事だが、信州なのになぜ「そば屋」ではなくて「うどん屋」だったのかな?
単に監督の好みかな もしかしたらテーマはうどんだったのかも
アクは存在しないし >>495
監督が聞かれて答えている。
──長野は蕎麦処というイメージがありますが、うどん屋さんにしたのには理由があるのですか?
お借りした店がうどん屋さんだったからです。うどん屋でさすがに蕎麦を茹でるわけにはいかないということで、そのままうどん屋さんという設定にしました。調理の指導をしていただく上で、普通にうどんの方が都合が良かったですし。実際に人気のうどん屋なのですが、湧き水では作ってないです。湧き水でつくっているパン屋さんに出会って、それを合体させたイメージです。
ttps://fansvoice.jp/2024/05/03/evil-does-not-exist-hamaguchi-interview/ 北信(戸隠)や東信(小諸そば?)や南信(高遠そば)ならともかく諏訪のあたりに蕎麦というイメージが個人的にはないかな、、まあうどんより蕎麦文化圏ではあるけど >>500
すまないが東京出身なので、そのあたりは「全部信州イコールそば」のイメージなんだわ、細かな区別はつかない >>501
まあ、そうかもな
岩手全土でわんこそばじゃないだろうけど岩手いってうどん食べようとか喜多方いって味噌ラーメン食べようとかあんまり思わないもんな
最近諏訪近辺は映画おおいよね。ゴジラ、怪物。関東近いしやりやすいんだろうなあ すまん、スレ読んでないんだけど、最後意味がわからなかった
2つあって、
①巧はなぜ高橋を絞○したのか?
②花ちゃんはどうなったのか?
どういうこと? >>504
花ちゃんはどうなったのか?というより、花ちゃんに何があったのか?、かな 明確な答えがあるわけじゃないので他人の解釈が知りたけりゃスレを読めとしか そうか、明確な答えはなくて解釈がいろいろあるのか
どうもです そんなことより、花ちゃん役の西川玲ちゃんの幼いワレメをペロペロ👅したいぞ俺は まあ素直にみたら、高橋への静止ではなくて完全に殺意があるとしか思えない凶行だったことを踏まえると
あの時点でたくみは何かを失った=はなの死を悟った
鹿の映像やエピソード、銃声からして、手負いの鹿の暴走がはなの死になんらかの影響を及ぼしたのだろうと
手負いの鹿は悪じゃないし猟銃使いも悪じゃないし高橋もたくみにも悪はなかったとしても
何かは起こるという映画なんじゃないか ああ、高橋は死んでないんですね
最後バタッと倒れたから死んだのかと思ったw 自分も最初はそう思ったんだけど、花が死んでるんだったら高橋を殺す必要ないと思うんだよな
冒頭と最後の映像が対になっていることを踏まえると花は生きていて
高橋を殺す(=グランピング計画を中止させる)ことを交換条件に
花を生かしてもらって手打ちにしたのかなと 花(Hana)=『ミツバチのささやき』のアナ(Ana)だから死んではいないよ
半矢の鹿は花が視た幻視、『ミツバチ』のフランケンシュタインだね 高橋は死んだのか死んでないのか明確に描かれてるけど、巧が高橋に殺意を抱いた場面ははっきり描かれてる
車中での会話で高橋がグランピング場から排除された鹿はどっか適当なところに行くんじゃないですかね的なことを言った時巧は怒りを押し殺していた >>513
訂正
✕高橋は死んだのか死んでないのか明確に描かれてるけど、
↓
○高橋は死んだのか死んでないのか明確に描かれてないけど、 むしろはなの死くらいの喪失がない限りあの凶行にならないと思うがなあ >>512
それは濱口監督の独創性の人だね
本人の前でそれ言えるか? 鹿の姿は巧も高橋も見てるだろってツッコミはあるけど、花=アナっていうのは面白いね
あんまりオカルトっぽい方向に持っていきたくはないけど
あの場面だけ何か超現実的なことが起きているような演出ではあった >>516
あの鹿の水場=ミツバチの湖とかHana=Anaのアナグラムとか半矢の鹿=ミツバチの脱走兵=フランケンシュタインとか明らかに意識してるからねえ
まあ引用、とでも言えばいいのか >>517
ミツバチのフランケンシュタインの幻視は(おそらく)アナにしか視えてないはずだけど、あの鹿は巧と高橋に視えていたのかは宙吊りにされているような気がします 意識してないとは言わないが生死までなぞらえているという理解はむしろ狭くないか? 今ふと思ったんだけど巧はずっと田舎を潜在的に嫌ってたと考えるのはどうだろう
移住3世だから好んで田舎にいるわけじゃない
ただ出ていけるほどのお金もないし能力もない
田舎ではそれなりに存在が認められている
そんな中で都会から田舎の自然に憧れてやってくる人がいる
持つものだからこその欺瞞をそこに感じてしまう
そんな中嫌っていた田舎の自然が娘に牙を向いた
田舎への不満が爆発目の前にいる持つものへの怒りとして爆発してしまう 功って割と一貫して高橋やってやろうとしてたような気がすんだよな
黛をあえて外してちょっとずつ高橋にごほうびあげて、飼いならしてって油断させといて…みたいなのを狙ってるようなデレの置き方だったから
キレやすい若者たちを制止してみせたのも、ほんとは一番ヤバいやつにありがちなムーブ
あと功の極端な物忘れとか、花の母親らしき女性の写真とかも、ただのドジっ子もしくは北の国から風でいてそれとは全然違う暗い趣きがあった ただ、最後のショットが冒頭の花が(おそらく)見ていたショットと繋がるので、巧に抱き上げられて運ばれる花は生きてるんじゃないかなあ
花が(意識があれば)見上げている光景なんじゃないかと >>519
高橋に鹿が見えてないんだとしたら、あんなに焦って近づこうとはしない気もするけどな
車中の会話で確かに巧は不機嫌にはなっていたけど、殺意とまでは言えるかどうか
それで殺意を抱くなら、それこそメガネ青年レベルの人物像になってしまうような
わざわざ半矢の鹿を話をしてるぐらいだから、やはり子供の命が脅かされない限り
外敵とはいえ死に至らしめるようなことはしないんじゃないかな そうだとしたら花をたすけることより高橋抹殺を優先するのが奇妙
花がみているはずの光景と解釈することも可能
なんか監督取材してた人が直接「高橋への攻撃ははなを助けるための行動ですよね」みたいなこと聞いてて
なんでそうなるかなと
助けることが優先な状況ならあわふくまで襲う必要なかろうにと思ったが基本的理解力がない人がライターやってんのかな >>526
車中で高橋と黛に半矢の鹿について説明したからそれが「半矢の鹿が視えるキー」のようなものになって高橋にも視えた可能性はありますね
(実際に2人が鹿の死骸を発見するシーンもあります)
高橋は発言や態度からもかなり公平で誠実な人間として描かれてるのにあそこの会話でグランピング場から追いやられる鹿について無神経な発言をしたので「あれっ」とは思いました 高橋は最初はイヤな奴っぽい描かれ方だけど、徐々に黛と同じく公平な人間であることが明らかになっていく 高橋が公平で誠実な人間として描かれているとはw
いやはや >>529
自己レス
そこも「悪は存在しない」に繋がるのかなと >>530
いやあ、誠実でなければ社長に「こんな事業やめませんか」なんて言わんでしょ
かなり早い段階で村の人々に感情移入している 村側に感情移入して、「村に住みたい」的なことまで言い出してるからね
薪割りのシーンが象徴的だが、様々なシーンで巧の自然と共にある生活に憧憬の念を抱いていることが示唆されていて、他者に対する献身も持ち合わせているのが随所で描かれている
単純な悪役に黛との長尺の会話という “見せ場” は与えませんよ
君みたいな単純な人は「意味」が全く掴めてないようだが ああ
「村に住みたい」ってことをポジティブに捉えちゃう自分は単純じゃないんだね あと、「公平で誠実なキャラとして描かれているとは思えない」という指摘は必ずしも「単純な悪役」であるということを意味しない
悪意のすり替えのつもりかもしれないが
これはあのオマージュとかそういう分析に夢中になって悦にいる輩は、そもそも人の心を読み取れない傾向があるなとよく思う それは見てる我々と言われる村側の人にとっては「良義的」、あるいは「ご都合主義的」なんだけど、高橋の「善性」は否定できないんですよ
受け取る人にとっては「独善」にもなるということです
「単純な悪は存在しない」というこの映画の主題を象徴するのが高橋と言っていいでしょう 自分だけはわかっている
自分だけが正解
こういう人ってどうしようもない
コテハンつけてる辺りから承認欲求もダダ洩れだし まあ正直、高橋の善性なんていっちゃう人に映画語られたくないとしか 私は「賛意〈オマージュ〉」なんて言ってませんよ
私が言ったのは「引用」です
引用を否定したら映画なんて成立しないでしょ おっとよくある雑魚たちのコテハンヘイトの流れに成り下がってきたなw
退散、退散w 映画の数だけみて知識だけはあっても何も読み取れない
皮肉だね >>527
まあでも高橋絞殺(未遂?)の動機は誰がどう解釈してもある程度奇妙にはなっちゃうのよ
その場で物理的に守るというよりは、将来的な村の生活も含めて守るための行動というか
正しいかどうかはわからんけど、構図が繋がってるから花が生きていると考えるのは映画の解釈としては好きだけどな 黙ってROMに移るならともかく
>>541
>>542
みたいな事書かないと気が済まないクズと言い合いしてた人達
ご愁傷さまです >>538
いまどきコテハンでお察し
こういう奴が一番いらない
自分だけがわかっているなら不特定多数の掲示板来るなよな チョークスリーパーやで
死ぬわけない
ちゃんとプロレスの下地がある人なら何も引っかからない >>547
プロレスや柔道の絞め技で死人がでないのは、絞めているのが頸動脈だからだよ
頸動脈に圧迫を加えることで、脳へ行く血流を抑えて失神させる
しかしそんなコツを知らない素人は本気で気管を圧迫するから相手が本当に窒息して死ぬことはあり得る
巧が日ごろから格闘技をやっている人間なら死なせないだろうが本気で殺す気なら死んでるよ 善意とか無垢さってのは時に相手を傷つける鈍感さをはらんでる
本音と建前の使い分けができないことが、果たして正直さなのか
たった一回薪割りに成功しただけでもうすっかり管理人気分になることが素直さなのか
見るべきものを見ず、聞くべきことを聞かず、安易な感動に流される
そんな愚かさは可愛いらしく魅力的ではあるが、その無神経さはシビアな環境下だと命取りになる 無邪気かもしれないがあれを善というのはかなり違うと思う 悪は存在しないなら、結局悪の対極である善もまた存在しないってことではって思うけどね 高橋は軽率ではあるけど、自分も含めて大多数の都会人ってああいう部分あるからなあ
一応後輩のことを慮ったり、悪い奴ではないことはなんとなくわかる
逆に巧みたいなタイプのほうが現実味がなくて不気味なんだよな とはいえ公平で誠実な人間としてみるような人間が映画語るのは失笑