2020年になってなぜドルフィを聞くのかが自分と音楽との関わりのなかで明確化しなければ
いけない。ジャズの属性と自らのアイデンティティの融合、破壊からの再組織化。そして願わくば
その開放。それは音楽が時代とともにあったし自らも現代に生きる者としてのあかしであり、自然湧出する
感情、抑圧への抵抗だ。その理論づけもなしにちょっと聞いてみたいなどと口が裂けてもいえない。
それはドルフイが苛烈なまでに自己闘争を成したことへの追悼である。アウトワードバウンドがいい。
などもってのほかだ。あの痛烈な叫び、今のウクライナ情勢に鑑み俺の胸に迫ってくる。
それは単にすごいとかいいとかで済む話じゃあないんだよ。張り裂けそうな人間の痛みが
お前らにはわからないのか。