エリック・ドルフィー Eric Dolphy 2
やたらドルフィーに勝手な感情移入する人がいるけど。ひろゆき式に言うと
「それは貴方の主観でしょ?」
俺とか、ドルフィーの演奏聴いても、ああ、上手だなあ、とは感心はするが
そこまでで。あとはウクライナのなんとかとか、叫びとか哀しみとか、
何も来ないんだけど。むしろマイルスが「馬の鳴き声」と評した、という
のが思い起こされて、そこがまたピッタリなので困てしまうんだよねえ。
マイルス上手い(笑)上手すぎて、しかしそれ謂われると思い出すから
言わないでマイルス(笑)
やたら複雑な不協和音を使って、何をやろうとしてるのかよく分からない。
何やろうとした人なの。ただコルトレーンとの共演聴くと、コルトレーンの
ほうはまだ複雑じゃないからコントラストが浮かび上がって面白い。それは
あるけど。
ちなみにコルトレーン&ドルフィーのVillage Vanguardってあるけど。
先のコメントの人が聴いたら哀しみの極致なんだろうか?俺は全然哀しくは
ならず。
あれって一般的にはどうなの?哀しみの極致なの?コルトレーン&
ドルフィーのVillage Vanguardて哀しみの極致ではないですよねー(笑)
残念ながらジャズもほとんどの感想は「それは貴方の主観でしょ?」で
お仕舞なんですよねー(笑)ウクライナとか関係ない聴き方してる人が
ほとんど99%じゃないの?正直に言いましょうよ(笑)ウクライナ人のこと
いつも考えてるからそうなるんだって。 なんか胸ヤケしてゲップが出た(笑)『ラストデイト』聴いて涙したとかも
書いてる。俺も聴きましたけどあれは。涙は出ないんだよなどうしたって。
ドルフィーので涙が出たことない。悲しみもない。叫びなんだろうかこれは。
馬の鳴き声を再現したのだろうか。わからない。ただヒヒーンて言ってるのは
わかる。じゃ馬の鳴き声じゃないのそれは(笑)いやいやそこまでマイルス
みたいにひどいことは言えない。先のコメントの人とマイルスと対談させ
てみたい。「お前はいいヤツだがそれだけだ。」とか言うんだろうなたぶん。 追加すると。ドルフィーの演奏って、感情とか心とか、喜怒哀楽とか、
から別の表現なんじゃないかと思うんだよね。絵画で言うと抽象画。何を
言いたいのかひと目では見当つかない。そういうのを狙った演奏なようなね。
だとしたらあの分かりにくさはまあ分からないでもない。さっぱり分からな
いんだもの。それは聴き手が悪いんじゃなくて元々ドルフィーの狙ったところ
でしょう。聴き手が首を傾げても聴き手が悪いじゃない。
若死にとかで悲劇のヒーローみたいにまとめるのが簡単だから、そういう
言説が出回るんじゃないかって思えて苦笑するんですね。本人は何者か俺な
ぞさっぱり分からんし、いまだにナニコレ?て感じがある。
聴き手が何思っても勝手だし、ジャズって勝手な移入しやすい。だって
最初から何やってるのか分からない音源もあるしさ。ドルフィーのとか典型
でしょ。 どルフィが何をやってるのかわからないっていうのはもうだめだろうね。年齢的なものが大きいかもしれない。
君は悪い意味での大人なんじゃないかな。俺は子供の頃聞いてショックを受けたけど。
人間の本質、元型。それは深層意識下のイマージュであり、さらにその下部の集合的意識体。それは人種を超えて他人との原初的な様々な方向性との差異。
それを見ることであり、感得せざるを得ないもの。あるいは同一のもの。その逆理性。
聞き手がどう判断しようと勝手だろう、と。ならば演奏とはなにか。音のたれ流しになる。なってもいい。それはどうしても言わなくてはならない。
そこに神を見るからだ。いわゆる宗教ではなく自分の中の神。地下水脈のように世界とリンクするなにか、だ。
君は女性を外見で判断するだろう。いや全ての事を。それってAIと同じだと思わないか?要は出来事の、知識の、結果の足し算だ。そこに君の感情はあるのか?
足し算の山から有利なものを選別するだけの作業。それが生きていると言えることなのか。いわゆる既成概念。そこの世界にいることが人間、自分であり、他人にも認知されるものだと信じていること。
それが全てだろうか。表層的なことだけで判断する。選別作業従事者だと思う。
どルフィこそその扉を開けて示してくれたんだよ。もう何を言っても大人になってしまってだめだろうけど、平たく言えばそういうことだ。 ドルフィを批判するのはご自由にどうぞ。俺はドルフィを崇拝でも偶像化でもなくいいと思う。
それはもう変えられないものだから。5歳のある日、偶然ドルフィのレコードがありプレーヤーで遊んでいるうちだった。
突然、ものすごい哀しみや怒りの感情がおそってきてリピートしつづけた。5時間くらいぶっ続けで聞いてしまった。小学校へ行く前の年齢で決まってしまうものかもしれない。
それ以来、例えばマイルスだと商売人に見えるようになった。おひとつどうですかお客さん?。それを聞いたお客が、そんなにすごいんなら、中身はわからないがひとつくれ。そんな人たちがジャズファンだということも。
もう変わらないね。徐々に成長するとかいうものじゃないのかもしれない。成長ではないのかもしれない。
だから批判しようとするつもりはない。そう思うということを言ってるだけだ。 オナニーは良いんだけど。オナニーだって自覚した方が良いよ。「勝手な
夢みて、ああ、俺と同じ哀しみを抱いた音楽がある」とか。主観で決めつけて
そいで慰めて自慰して悦に入って(笑)勝手に泣いてる分には良いんだけど。
哀しみや怒りとあとなんだっけ。神ね。勝手にやってばいいでしょ。何
言ってるのってアクビしか出ないんよ。もったいぶって、何分かったような(笑)
ふざけてるように聞こえるのがどっちかというとアレは正解だと思うよ。
笑わせたかったって言われた方が納得する。聴いてて可笑しいんだもの。
なんかズレてる感じを故意に出そうとしてるみたいでさ。いや面白いよ
あんたは。アレ聴いて神だとか怒りだ。よっぽど不幸だったんだろうけど。
人は人。自分は自分なのでね。可哀そうにとは思うけど。あんまりそういう
体質には成りたくはないねえ(笑) ああのドルフィーの引きつったようなあの演奏。どこを聴かせたいのか
さっぱり見当つかないあのフレーズ。故意にあれを狙ったとしたらよほど
人を食うのが好きなコメディアンだろうな。
あれ聴いて怒りとか神とか言ってる輩をみて今頃爆笑してると思うけどね。
笑わせたかったのに泣かれて今頃顔しかめてふざけ方が足りなかったと後悔し
てるきっと。
変なフレーズ連発して呆気にとらせたかったのに「神をみたみた!」て
騒がれて迷惑してるぞきっと。おひとりでオナニーしてるのが癖なんだろうけど
他人は苦笑してるんだよ実は。 オナニーだと自覚している。俺もそう思うよ。じゃあ君のオナニーじゃないものとオナニー的なものとの違いは何だ。
ピカソ、ゴッホの絵画、一流ビジネスマン、伝統芸能、学術研究。これらはオナニーと違うのだろうか。俺は同じだと思う。
なぜならビジネスマンから芸術絵画を見た場合、何の役にも立たない。逆も言える。すべてはその人の立場だ。エリートビジネスマンとゴミ清掃員も同じく大事だ。
一流芸術はオナニーとも言えるし、芸術ともどっちとも言えるんだよ。ゴッホも地動説を唱えた学者も最初はオナニー、気狂いだと言われていた。
君にドルフィの素晴らしさは一生わからないかもしれないが、そのあまりに狭い視野、既存の体制、常識内だと自身を持つことが間違いだと気づいてほしいんだよ。
他人からコメディアンだ、苦笑ものだと言われて、それがどうした。それで自身、自信をなくすのだろうか。君は弱すぎるぞ。俺はなんとも思わない。むしろ歓迎だ。
それは自分の感じたことを優先するからだ。自分を大事に自分を生きてみろ。それだけだ。 ドルフィの凄さ。あらためて思うにまさにこのことだったと思う。馬の鳴き声と形容されオナニーだと言われるその無理解で孤立した状況。
コードから離れることリズムをも無視すること。すべてをフリーにしてしまっては深層意識下ではあまりに苛烈、苛酷な生への責めと超克を聞き手にも要求する激しすぎる行為であった。
ならばどこかに現在との引っ掛かりを最小限求めるならアイラー的フリーには行くことをためらう。その苛酷な自らへの責め。それはコルトレーンをも超えた音楽追求といえるものだ。
その闇へと突き進むしかない、あるいは孤立をもいとわない自己解体作業。そこに僕らはドルフィの凄さを今また感じるのだと思う。
それは人間が他を阻害し体制へと組み込む抑圧構造のなかでの抵抗と勇気を見る感動ともいえる。
芸術家であるほどオナニーだ、笑いモンだと罵られることの声すらもエネルギーにしたのだと今また気がついたところだ。 マイルスはあのファッションが現すように、これがセンス、これが先端だと言いたい、言われるだろうというそれは安全牌を打つに等しい行為だったといえる。
だから音楽をスタジオの若手、多様なジャンルのミュージシャンを動員し自らの責任の所在をあやふやにするという欺瞞とめくらまし戦略。その嘘で塗り固めた先端音楽というからくりをさらに固定化させるピエロ的欺瞞演奏。
それがマイルスだった。そしてレーベルの誇大広告と世界戦略的プロデュースによって大衆を無能な商品購買層へと水路づけた。
ことごとく大衆が無能化し自らの飼い主を求め彷徨う、なしくずし的右傾化を結果として導いたのではなかったか。このマイルスからすればドルフィは自己の戦略構想の極北に位置する敵であり、叩くべき存在だったのだと思う。
そうしたマイルスのこざかしい企みをも超越した真に音楽、心を追求したのがドルフィだった思う。 >>340
集合的無意識のことを「集合的意識体」と知ったかぶりして間違えてる時点で
お前が如何にインチキで無知な愚か者であるのか示している 今ドルフィを語ろうとするとき、最初の体験よりもより鮮明に過大にドルフィが私に語りかけて
くる。
断っておくが興味がない、わからないという方の意見は受け付けるが批判は意味がない、と言っ
ておく。聞かなければいいし、ドルフィ体質ではないということだ。
ドルフィは私にとって特別な存在だった。それは同時期のコルトレーン、アイラー、オーネット
などと明らかに違う地平にいた、そして全くの孤独だった。それは小学生くらいの私のドルフィ
体験の初めは、日本語を喋っていると感じたからだった。レジェンドでも数名しかいない、言葉
に聞こえるミュージシャンだった。それがその当時なにかはわからないが胸を締め付ける衝撃さ
を受けた。
今、比較すると、コルトレーンは偉大だが何かコードとフリーにまたがり振り返りながら
前進するようにみえた。しかしドルフィは自分の感性を突き詰めることにしか興味のないような
激烈なソロを行っていた。しかもそれはあくまでもリズム、キーの枠内に残りながら羽ばたこう
とする、飛び立とうとしても飛び立てない苛酷さに身を置く自らへの責め。激烈さにあるものだ
。かえりみれば60年前後の政治、社会状況。黒人としての明白なテーゼ。これらがないまぜに
なり音、言葉、叫びとして聞く者をその混沌に巻き込むかの勢いだったのだろうと思う。それが
あの切り裂くようなアルトといえる。パーカー後に自己の言語を獲得した稀有なミュージシャン
だろう。今ドルフィを聞くとあっという間に3時間が過ぎてしまった。ストーブのスイッチを今
入れようと思う。そしてあけましておめでとうございます。 THEうんこマン
人
ノ⌒ 丿
_/ ::(
/ :::::::\
( :::::::;;;;;;;)
\_―― ̄ ̄::::::::::\
ノ ̄ ::::::::::::::::::::::)
( ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;人
/ ̄――――― ̄ ̄::::::::\
( :::::::::::::::::::::::::::::::::)
\__::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
,,.ィ'''フ''''=、r'"~ ゛'''''", `ヽr''"`ヽ、
,r'"´ ノ" )=、 ̄ ̄,,..ィ'"´i ヽ、
( ノ ´ ̄ `Y"´ i
) __,,.. レ _,,,,、 j、、
r''ヽ. ,.ィ'''i" J ,,.ィ'"~ `'ヲ''ー-、ノ、 ヽ、
/ ,,.イ')'" 人 ,,l、 ノt ) `ヽヽ
/ / / `ゝ、 人 ,,イ jt、 ヽ i
f , ノ /、 `ー--;::-ニ"_,ゝ=---‐''" ノ ヽ、 ヽ t、、
)' f ノ ヽ、 r 、 f" `i´ ̄` Y `ヽ / ゝ-,ヲ''' )
. ( ,.ィ''ーr"~ ヽj ミi ! j' | / ,r" ft
ノ、,ノ ヽ, `i 、〉、.__,人,___,..イ、,i" j'' ( ,ノ j
( t、 l i ヽf Y ,j,. ,/ ) ,.イ´ ノ
fヽ ヽ、 l l ヽ、 .| ノ ,. / ,.イ '"ノ ノ
t i l、. t l 、j`ー‐‐'`ー="レ' j' // / ,/ ドルフィーの音を聞くと涙が溢れ出る。ドルフィーのマネごとをするサックス奏者がいるが、や
めたほうがいいだろう。何も感じないからだ。音が本物であるかどうかすべてを語っている。
コード、モードといったことを超えている音を聞いてほしい。音そのものなのだ。何をやってい
るのかわからないというバカがいる。あるいは分析しようとする者もいる。あまりに現代社会に
慣れすぎてしまっているからだ。頭で理解する、または理屈を言われなければわからない。
そうではなく一人の人間が何を言っている、訴えているのか巨大な意識、人類の意識みたいなも
のが激しく表現されていることに気が付かないのだろうか。普通の人間の感情だ。恐れ、怒り、
落胆、喜び。これらはドルフィーだけでなく日常生活あらゆる所で感じるものだ。平たく言えば
社会面のニュースを見て素通りするようではドルフィーを聞いてもむだだと思う。人としての
感情を取り戻せと言いたい。 ドルフィーをことばとして捉えるのか、激しい動線として捉えるのか。どちらでもよい。
いずれにしても、そこには共通して強い精神、屹立した人間像が見えてくる。
コードという枠から飛び出そうとし、しかし飛び立てないことの抵抗、虚しさ。でもいいし
現在地からのどこかへ行こうとする歩み、アメリカの偽善性、人種差別への怒りでもいい。
イーグルスのホテルカリフォルニアの歌詞のように、招かれた客のはずが囚われの身であった。
というジレンマにも似たもの。結局は聞き手の精神、弱いところへ刺さる音楽だとも言える。
そうした音楽にはテクニックや理論などはどこかへ行ってしまうものなんだと思う。 芸術は飾り物ではない、とピカソが言った。これは決して自己を擁護するためでなく人間はそこ
にしか生きる道がないからだ。自分の真摯な心。そこにしか帰る場所はない。そうしてみると
現在の音楽界はどうか。特にネットでは目立つことが音楽だといわんばかり。見られることの
快感に溺れた似非音楽家ばやり。音楽を通じて何をしたいのか、何ができるのか。そこに立ち
戻るべきだ。それを感じていない似非プロが多いのが残念だ。 テクニックでもエンタメでもいい。自分にしかできないこと。それをやるべきだしそれが芸術だ
。ドルフィーはそれをやった。つまり飾り物、なぐさめものでもない強い精神が聞く者への共感
をさそい、武力でなくして闘うことを教示したのではないのか。そこには音楽を超えた人間を
見る。 お前はなぐさめものになったことがあるのか。無いくせにわかった風な口をきくな。
死ぬ気で恥をさらし、笑われてみろ。いつも安全な位置にいようとするやつには何もつかむ
ことはできない。徹底的にバカにされろ。そして悔しがれ。基本はそこからだ。
わかったか、このバカ。 >>356
各所で徹底的にバカにされてるお前が言うと説得力あるな ドルフィーのあの音色には虐げられた、馬鹿にされた、黒人の歴史が
籠められている。その虐げられた黒人にとって、ジャズとは己の歴史への
反抗であり、まだ見ぬ未来への讃歌だったのだ。俺はドルフィーの演奏を
聴くと、まるで讃美歌のように聞こえてしまう。
マイルスの演奏を聴いてもそんな黒人の歴史への反抗は無い。きっと
マイルスは社会の中でどう売れるかばかりを考え、女を追いかけ、クスリ
に走ったのだ。俺の耳は誤魔化せないのだ。
マイルスの70年代以降の音は本質の現れだ。若者に迎合する本質だ。
ドルフィーの音とマイルスの音を比べれば一目瞭然だ。そんなことも
わからない人間がジャズを語る。これはあってはならない事態だ。耳を
澄ませ。そして本質を見ろ。俺には見える。ジャズの本質を知るとは
まさしくそれは虐げられた黒人たちの歴史を
本郷柚巴ちゃんてイイよね💘
田中美久ちゃんもイイよね🎵
あれ?スレ間違えた?!ややこしいなあ。どっちでもいいか。どうせ
ジャズファンとかいい加減だからさ🎵騙すには格好のターゲット。へへへ。 >>359
俺がいつ馬鹿にされるようなことをしたというのか。俺は一切馬鹿にされる
ようなことはしない。俺はジャズにおける革命と未来を語る、まさに
ジャズの申し子。俺の頭脳はジャズに向かって語り、ジャズに未来の方向
を指し示す。俺こそがジャズの申し子。そうbest kidなのだ!
こんな感じでいいか。
ああ、なんかムズムズする。溜まってる。最近抜いてないから。田中美久
ちゃんの水着って素敵だよね。イヤらしい。おっぱいが大きくなった
美久ちゃん。完璧抜ける。ああ抜きたい。シコシコしたい。もう立ってるし。
剥けてるし。ああ、我慢できん。美久ちゃん。おっきいね。おっぱい。
辛抱できん。💘美久ちゃん。イっていい?イっていい?イク💘 ドルフィーを黒人の歴史だけととらえるのは間違っています。そしてそれは讃美歌でもありませ
ん。マイルスは若者に迎合したのでもありません。何を本質だとしているのでしょうか。音楽は
未来を指し示すものでもありません。
あなたがシコシコすることと同じです。
よりクラシカルにより大衆化すること。その美に共感すること。それが音楽だとすること。それ
にアンチを唱えることです。社会のマイノリティはどこに居場所があるのか、なぜ生きづらいの
か。一般的な美に対し野獣派、理論に対し反理論。音楽の中でなく、それをどう捉えるのかと、
それであっても逃れられない、西洋理論、近代楽器の縛りからの開放。それを仕事として、生活
としてその場所でしか生きられない当たり前のこと。それは名誉、お金からも遠ざかること。
平たく言えば生き様を見せること。音楽をやることは芸術をひけらかすことではない。がそこに
生活を求めること。決してノスタルジーでも聖職者でもありません。マイルスも自分の居場所を
自分で作った。未来を誰かに指し示す必要はないんです。今、現在です。
あなたは自分の考えこそが正しいと思いたいために、他人を落とす発言をしています。そこにあ
なたの弱さ、愚かさがあります。だから何かの権威を常に求める行動をします。それはさらにあ
なたが弱くなろうとしている、逃げようとすることです。 オナニーをバカにするコメントだけど。それは間違いだよ。育った家庭環境に問題があると思う
。オナニーは誰でもすることだよ。罪悪感が強すぎるからそうなるんじゃないのか。
そして正しいものがあると信じていることがうかがえる。何かに認められること、権威があるこ
と。そこにすがりたい、と。人生は誰かに認められる、認定されるものではないよ。自分で作る
ことだ。だから今、現在しかない。未来に続くことを期待しちゃいけない。それこそ神の出現を
待ち望む、ゴドーが来ることを待ちながら。神の千年王国が来ることを信じる、狂信者のようだ
。マイルスを見てみろ、自分で王国を作り上げた。その力強さを見習え。レジェンドをバカにし
たところで、お前はただのオナニストだろ。