モーツァルトの生涯(生い立ち・エピソード・伝記)
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モーツァルトの生涯、つまり生い立ちやエピソードなどについて語りましょう。
何歳の時何処を旅したとか、そこで誰と会って何したとか。
父レオポルトや母アンナ・マリアや姉ナンネルや妻コンスタンツェやハイドン兄弟やサリエリとの人間関係とか。
アロイジアに失恋したこととか。
モーツァルトの伝記みたいなものです。 クラ板の達は『ケチをつける/罵倒する/嫌悪する』ことが目的で書き込みしてますので、あー言えば上祐よろしく、何を言っても無駄なのですね。
お嬢弟子さんや私に対するイメージ(彼らの切ないほどの願望なのですが)がすでに固定観念として出来上がっておりますので……
その固定観念に反する言動は必ず屈折しデフォルメされて受け取られる。
現実のお嬢弟子さんや私が、その固定観念と異なる予感がするやいなや『全力で反撃を開始し出す』人達なのです。
固定観念と異なるのが余程の困るのでしょう。恐怖感すら抱いている節がある。
一昨年位までは此方もフィクションを交えて相手をしておりましたが、さすがに飽きまして、今は専ら………
『ピュアオーディオ@オープン2ちゃんねる/ヴォイス・オブ・ザ・シアター アルテック』
にて、ミレニアムさんと国際政治(主に軍事)やオーディオ談義をしております。
関連スレッドに「ピュアオーディオ@オープン2ちゃんねる/大英帝国の栄光タンノイその11」もあり、こちらは私の日記帳のような按配なのですが……
粘着「理屈と膏薬は何処にもつく」親父に付きまとわれ、現在は放置しております。 作曲家の生涯の中では一番おもしろいと思う。
俺一時期モーツァルトの生涯にハマったもん。 >>512
>>510
>>507
>>506「捏造コピペ阿呆」は放置と決めた。
したければすれば?いくら捏造コピペを書こうが、わたしは一切関知しない。頑張りたまえ。 俺は一時期ベートーヴェンの生涯にもハマったことがある。
でもモーツァルトの生涯のほうが面白かった。 葬儀にも出なかったな。
そればかりか、夫の死後17年間、一度も墓地に行かなかった。
再婚相手の夫から頼み込まれてようやく重い腰を上げて墓参りしたくらいだ。
再婚相手の夫の墓の上には立派な記念碑まで立ててやってるのにな。
その再婚相手の夫をどこに埋めたかというと、なんとモツの父親、レオポルトの墓なんだからすごいわな。
最後には自分もその墓に潜り込んじゃってる。
モツ家の墓を乗っ取っちゃった印象だわな。
よほどモツが嫌いだったとみえる。 前夫の告別式も埋葬も定期的なお墓参りもしっかりこなす人かな >>527
モーツアルトが遺した借金も返したし、
未完の曲も弟子使って仕上げたし
子供も二人育て上げたし、
なにか不足でも? >>534
ナンネルは気難しいおばちゃんだったみたいね
才能ある割にはオヤジに振り回されていまいち発揮できなかっし
結婚相手はオヤジの意向で年食ったヤモメのおっさんだったし、
天然痘で容貌崩れたしで、しかたないかもしれんが ナンネルの息子は音楽的才能は平凡だったが良識のある人で
モーツアルトがナンネルに宛てて書いた手紙を
ナンネルの死後ナンネルの息子がコンスタンツェに譲渡したことで
モーツアルトの生涯の研究が飛躍的に進んだのは忘れてはならない。 モーツァルトの死後ナンネルとコンスタンツェの関係が上手くいかなかったのが残念 >>539
モーツァルト自身も晩年はナンネルとは上手くいってなかった
レオポルドの遺産相続でモーツァルトが子供の頃王侯貴族から貰った記念品も含めてほとんどナンネルに持ってかれたのが原因 子どもの姉と弟が仲良くしてる姿って本当にかわいいと思う モーツァルトは「誰だって波瀾爆笑」というテレビ番組に出演して欲しい 誰でもできる確実稼げるガイダンス
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V8H 音楽の才能があった姉のナンネル・モーツァルトのことも忘れないでください >>520
コンスタンツェからしたらそれどころじゃない。
これから食っていけるか分からないから、
最優先はレクイエムを完成させてモーツァルト作ってことにして、
代金を予定通り受け取ること。
それまでは葬儀なんて大っぴらにできるわけがない。
この辺の事情を分からずにたたいてる人が多すぎる。 映画「アマデウス」では、まるでモーツァルト自身が経済観念がないかのように妻コンスタンツェがサリエリに訴えるシーンがあるが、事実は全く逆。
独身時代からコンスタンツェのギャンブル依存症は有名で、ウィーン滞在中、ザルツブルク大司教から解雇されたモーツァルトはヴェーバー家に転がり込むのだが、
ウィーンで活躍していた自分のヴァイオリンの弟子たちからの報告で、息子ウォルフガングが(アロイジアの義弟になるために)結婚したがっている妹コンスタンツェがカジノに入り浸っていることを握していた父レオポルトと姉ナンネルは、結婚に猛反対。
一日も早くヴェーバー家の下宿から出るように手紙を書き、モーツァルトは仕方なく引っ越したものの、結局結婚を強行。
父レオポルトの不安は的中し、モーツァルトは晩年、バーデン湯治中の妻のギャンブルの負けを支払うために、必死で作曲し、演奏会を開き、それでも足りない分はフリーメーソンの友人たちから大借金して、最終的に死んでしまった。
でも彼女のおかげで、モーツァルトはその才能を出し切って死んでくれたともいえるから、我々はむしろコンスタンツェのギャンブル依存症に感謝すべきなのかもw 晩年のモーツァルトの経済状況が逼迫し出したのが、フィガロハウス(1784.9〜1787.5)から市外に引っ越した時期から。
翌1788年から墺露同盟に基づき、オーストリアはトルコ戦争に宣戦布告して戦争が始まり、戦費調達のため通貨価値が下落し、物価が高騰し始めた頃。
ちなみにロシア貴族がウィーンに大勢いたのは、墺露同盟の賜物。モーツァルトもロシア貴族に対しては好感情を持っていただろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%BA%E9%9C%B2%E5%90%8C%E7%9B%9F_(1781%E5%B9%B4-1790%E5%B9%B4)
ドル箱であるオペラの注文、演奏会の会員が減ったのは、貴族たちは皇帝ヨーゼフ2世に従って戦地に出征しなくてはいけなかったからで、
自ずと子女のレッスンが収入のメインになってしまい、それに合わせて家賃の割安な市外に転出したのだ。
因みに皇帝ヨーゼフ2世はこの時戦地で受けた負傷により2年後の1790年2月に亡くなる。
後にモーツァルトとダ・ポンテは、コシ・ファン・トゥッテで王命により戦地に赴く貴族をグリエルモとフェランドで揶揄(からか)ったのだw ナンネルとミヒャエル・ハイドンはどういうわけで一緒の墓に入ったか知ってる人いる? モーツァルトの死因は何が正しいのでしょうか?
個人的には...「魔笛」で、キリスト教(夜の女王)がザラストロ(ゾロアスター教)に
屈するようなオチにしたことが原因でフリーメイソンに抹殺され、キリスト教徒と
して個人の墓に埋葬することすら許されなかったのでは...と想像してますが...?? >>558
ゾロアスターのドイツ語読みがツァラトゥストラ モーツァルトの歌劇「魔笛」に登場する「ザラストロ」はゾロアスターのこと 天才をつくり上げた旅と実戦の多さ
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
ttps://premium.toyokeizai.net/articles/-/21029
旅の効果は経営学の世界でも同様に認識されていることらしく、例えば先般対談させていただいた早稲田大学の入山章栄
教授は、筆者からの「創造性を左右する要因は何ですか」という質問に対して、「個人の創造性はその人の累積移動距離に
比例するのではないか」という極めて興味深い仮説を述べておられました。この指摘もまた、モーツァルトの創造性がその
「旅の多さ」によって引き出されたという仮説を補強する見解です。
モーツァルトはオーストリアのザルツブルクの出身ですが、幼少期よりイタリア、フランス、ドイツ、イギリスなどのヨーロッパ
各国を回り、それぞれの場所で当代一流と目される音楽理論家や演奏家に接してきました。吸収力の旺盛な若年期に海外の
多様な音楽に触れることが、その音楽家の創造性にとってどれだけ大きな肥やしになるかは想像にかたくありません。
モーツァルト自身もこのことをよく理解していたのでしょう。彼の残した膨大な量の手紙を読み直してみると、事あるごとに
「旅に出たい」と訴えていたことがわかります。モーツァルトに音楽を仕込んだ教育パパのレオポルトはザルツブルクの司教の
ご機嫌を取るために、できるだけ長い間ザルツブルクにとどまるよう息子を諭します。しかしモーツァルトは父に対して「自分の
音楽的才能は、度に出てさまざまな新しい音楽に触れることによってこそ花開くのに、ザルツブルクに閉じ込められていたら
このまましおれてしまう」と手紙で訴えています。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています