【93】ザロモン交響曲は魅力の宝庫【104】
ザロモン交響曲の名盤・珍盤・思い出の演奏など語りません?
ウィーンフィルのハイドンというと、自分にとっては、モントゥーの94、101と
クリップスの99、94がなにより強烈に思い浮かぶ。
551さんは、だれに指揮してもらいたいと思っているのだろう。 ロンドンフィルではなくウィーンフィルでやってほしかった
ということか >>553
自主制作の三枚組っていうとこれか
http://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/37/5/8/918.jpg
アーノンクールが93番と103番「太鼓連打」
ブーレーズが104番「ロンドン」
ヴェルザー=メストが98番と26番「ラメンタチオーネ」
メータが22番「哲学者」、ドホナーニが12番
という内容だったね
あとミュンヒンガーに96、100、104があったね
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/518lTLUHXkL._SY400_.jpg フェイのザロモン交が4枚組CDで出たけど
買った人いるかな デュトワがN響で85番振ってるけど、
ザロモン交響曲はレパートリーじゃないのかな そういやモントリオールシンフォニエッタとのパリ交響曲全曲録音はあるけどザロモン交響曲の録音は無いな デッカには先にショルティ・ロンドンフィルのデジタル録音があったし
指揮者を変えてまで再録音されないてのが20世紀における
ハイドンのシンフォニー集でしたから。 DGにはヨッフムの後にカラヤンあったけどカラヤンは特別扱いだからな〜 フェイの「ザロモン」交4枚組セット
やはり「時計」のみコンマスの指揮による録音だ
復帰は絶望的なのか
これとノリントン&チューリヒの「パリ」交集で
旧世代の演奏解釈録音からなんとか脱却できる
昔気質の指揮者はどうしても第二楽章やメヌエット楽章を
のどかにまったりやりたがるが
ちゃきチャキっとしたハイドン音楽には相応しくないんだな 俺もビーチャムのハイドンは好きだよ。パパハイドンというかムーミンパパというか大らかさがいい。(^O^) 大らかなんていうと聞こえがいいけど
デブをふくよかと呼ぶようなものか
物は言いようだよな(^O^)
ハイドンの場合、第二楽章がいつも緩徐楽章とは限らない
どちらかというと、なんかネタというかバラエティに富む ネタというかバラエティ、つまりは機知に富むということだよな。物は言いようだろ。
93番の第二楽章コーダのファゴット一発。思わず吹いた。当時の貴婦人なんか、嫌ねぇ、なんて言いながら聴いたんだろうか?(^O^) おまいいつもそのファゴット一発ネタばかりだな(^O^)
ザロモンスレだから仕方ないっちゃ仕方ないけど
「くま」あたりからやり出す
華々しくフィナーレ!と思ったら
また弱音ではじまるというイタズラ終止形は聴衆の拍手喝さいを
煽るものだけど、実際FMで放送されたホグウッドのライブで
聴衆は見事に騙されて拍手喝采していた。 あとV字だっけ の
静かな第二楽章でとつぜんラッパとティンパニが
大音量で鳴らしかますとか
非常識だよな(^O^) いっぽう悪ふざけた手紙が残されてるモツなどは
血統のいい、それこそ常識的な曲を書き
「音楽の冗談」を書けばただ村の楽士を馬鹿にするだけの曲で
音楽的なユーモアはそこにない(^O^) >>568
いやぁ、あれで笑わない奴はいるんだろうか?初めて93番をカンテッリのライブ(CD)で聴いた時はしばらく笑いが収まらなかった。ハイドンの交響曲にのめりこんだはそれがきっかけ。(^O^) >>570
ハイドンの60番はモーツァルトの音楽の冗談と非常に似ていると思うよ
あれはちょっと素人作曲家を馬鹿にしてる面を否定できない
初演以来大受けだったがハイドン自身は再演を嫌がったと言う 60番は「うつけもん」というジャン=フランソワ・ルニャールの戯曲による
劇付随音楽を交響曲に編んだもののようで
当時の劇付随音楽はこんにちのサウンドトラックみたいなもので
使い捨てとされ、そのほとんどは消失している。
「火事」なども交響曲に編まれてその存在をうかがい知る 成立経緯を考慮するとマイナスイメージにしかならないがこれを外しても交響曲「うかつ者」「火事」は傑作だと思うな 眉間に皺寄せて指揮したり
眉間に皺寄せて聴き入る音楽ではない
コープマンのようにニコニコしながら指揮したり
面白おかしく聴こうよ そこ総合スレといいながら交響曲の話題や
特に「アントニーニの「ハイドン2032」シリーズ」などは
ものすごい勢いでスルーされるスレ 2014年自宅での事故で脳挫傷を負い活動停止ってとこまでは知ってる 悲惨すぎる
恐らくモダン楽器でのハイ交全では
録音・演奏ともに一番優れたものになる予定だったのに… ファイの演奏はすごく良い演奏もあれば、いくらなんでもやり過ぎてて聴いてて怒りさえ湧く酷い演奏もあったから、一番優れた全集とは言い難いものになったと思うが… >やり過ぎてて聴いてて怒りさえ湧く酷い演奏
これってアーノンクールとか、次元は異なるがカラヤンなどが
まさにそういった演奏をしてくれたわけだが
こういった一癖ある演奏って
慣れてしまえば、もっと言って好きになってしまうと
所謂、可もなく不可もない安全運転の演奏CDを
売り払っている自分に気づくだろう。 アーノンクールは太鼓連打冒頭以外は意外と普通の演奏だなとしか思わんかった アーノンクールで酷い演奏と思ったのはブルックナーだけだな… HAYDN, J.: Symphonies Nos. 82-87, "Paris Symphonies" (Concentus Musicus Wien, Harnoncourt)
http://ml.naxos.jp/album/886444649681
85番の第1楽章前半のリピートは、冒頭アダージョからリピートするんだな これは新鮮だった アーノンクールが過激だと噂に聞いて、とりあえず俺の大好きな53番帝国と69番ラウドンを聴いてみたら古楽スタンダード寄りでスッキリしていてなんというか爽やかさを感じる演奏でちょっと肩透かしをくらった思い出。
これはこれでとても良い演奏だったけど過激では無かったね。 82番「熊」はすべてリピートするとかなりしつこいフィナーレがいい感じ。
後世のベトのしつこさを先にやってしまった感じ。
パリ交の場合、通常1CDだと2曲しか入らない
パリ6曲で2CDに収まってるのは最後の繰り返しはしてないはず。
パリで3枚組はいまのところハルノンとノリントンだけだと思う。
で82番「熊」に戻すと、ノリントンは全体的にものすごいスピードでやってる
それでも長いのに対して
ハルノンは溜めたりこれでもかというほど好きにやってる。
自分なりにその曲をつかんでいるのとそうでない曲の場合
刷り込み具合による感じ方は多分に個人差がある。 >>581
ファイの演奏はすごく良い演奏もあれば、いくらなんでもやり過ぎてて聴いてて
怒りさえ湧く酷い演奏もあったから、一番優れた全集とは言い難いものになったと思うが…
581さんにかなり似た感想を持った。
ファイの102番が入ったCDを聴いて、なかなか実力があり、演奏ごとに型にはまらず
意欲的な表現を行える指揮者だと感じ、他の演奏も楽しみになった。
そのようなときに、ファイが倒れたと知り衝撃を受けたが、なんと、ファイのCDが三分の一くらいに
値下げされて売り出された。こんな時になんで値下げを、と思ったものの、
不謹慎ながら安くなったことを喜んで買いあさり、(このとき年末だったので)、この年末年始は、
ファイの回復を念願しながらファイ三昧ですごそうと期待も膨らませた。
そう思って聴いていったところ………期待が大きかっただけに落胆もすごかった。
(581さんのように怒りが湧いたかどうか……、それに近かったかも知れない^^)
あまりに不自然な、それも、こなれていない不自然さが多い(自分は変わった演奏一般が嫌いなわけではない。
極端な表情付けでも、クナの94番などは、番外として聴き応えがあり楽しんでいる)。
表面上制限された形式の中で、かえって、多彩・多様で、深い、時に激しい、
あるいはロマン派にも負けないような内容を表現するハイドンの格調を
まったく壊しているとしか思えないものが多くあった。
演奏にひたれない、味わいのないものに多く行き当たった。
覚えているところでは、44番の不自然な緩急など、この曲をまったく味わえなくしている。
その他も含めて、ほとんど、鑑賞のローテーションに入れられなかった。
現時点では、一番優れた全集になるにはほど遠いと思える。
とはいえ、ファイは実力や、様々な演奏を行なえる巾なり柔軟さや意欲があり、
ハイドンへの熱意がある。復帰すれば、20年後、30年後にすばらしい円熟を聴かせてくれるに違いない。
なんとしても再起して欲しいと念願している。 アーノンクールのハイドンの魅力は、極端な「溜め」と、時折出てくるびっくりするほど遅いテンポ 不自然な緩急や溜めなんて聴く側の慣れもあると思う
確かにファイは発展途上な指揮者だったとは思うが
アルノン、ブリュッヘン、ホグウッド、ソロモンス
どれも全集が叶わなかった今
現行のハイドン交全のなかでは
もっとも聴きごたえがあり問題提起している。
往年のドラティや保守的な演奏群のナクソス、
そしてフィッシャーのなかのどれかを優れた全集として
選ぶことのほうが俺には抵抗があるなあ。 >なんというか爽やかさを感じる演奏で
俺には他のピリオドよりは大仰に感じる。
メンバークレジットがなく弦の人数が何人か不明だが
おそらく大勢で録音の音作りも関係していると思うが
30「アレルヤ」を含めて良い演奏ではあると思う。 >>591
名前を挙げてもらえないD.R.デイヴィスw
まあ全く存在価値の無い糞みたいな全集だったしなw D.R.デイヴィスが晩年のバーンスタインとかブリュッヘンのように
ライヴでないと調子が乗らないタイプの指揮者かといえば
そういった次元ではなくて
単にソニークラシカルが全曲チクルスに便乗したか
スポンサーであったかの他力本願盤だからね。
コンサートをしてさらにスタジオ録音する徹底ぶりの
Haydn2032とは雲泥の差だよ。いや泥以下。 それにしても
ソロモンスやグッドマン&ハノーヴァーバンド
そしてホグウッドのザロモン編室内楽版の軍隊・ロンドンを
プロデュースしたマーティン・コンプトン氏は何処に… ピリオドオケでの完成しなかった全集録音はグッドマン/ハノーヴァーバンドが一番好きだったよ俺は トニーフォークナーによる録音がまたいいんだよね。
ハイドンの公共曲はこうでないと。
ブル・マラ同様の音作りでは良さが伝わらん
とても良い演奏でも録音でだいなしになってるものが多すぎる。 D.R.デイヴィス全集の演奏の「遅さ」について
オケが慣れていないため、第一楽章は遅くせざるをえないが、
慣れてきた後のほうの楽章では普通の速さに近づいてくる、
といったような意味の解説を読んだことがある。
これが事実なのか、単なる憶測なのか覚えていないが、
聞いた印象からすると納得がいく。
あの遅さは、何らかの表現意図からのものとは到底思えず、
もたついているとしか見えない(後期の曲では際立っている)。
事実とすれば、こんなものを全集として売り出すのはひどい話だ。
ハイドンの交響曲に、これから少し資金や時間をかけてじっくり取り組みたいと
全集を求める人はいると思うが、
そうした人が、D.R.デイヴィスの全集を買う可能性を考えると憂鬱になる。
ハイドン交響曲に途中からうんざりして離れてしまう余地が充分ありそうだ。
にもかかわらず、かつて、この全集を礼賛しているコメントをいくつか見た。
そのひとつは、たしかベームのチャイコを取り上げて(違っていたらごめん)、
あの遅い演奏も慣れれば聞ける、同じように遅い演奏と批判されている
D.R.デイヴィスの演奏も慣れていけば聞ける、などと書いていた。
何で無理やり慣れなければならないのか、と、
なりふり構わない屁理屈の擁護にあきれたのだが。
いずれにしても、初心者が買わないよう願うほかはない。 ベームのチャイコは名演だよ。
逆にマーラーやチャイコのような曲は遅くやる方がたいへんな
緊張と持久力・スタミナを要する。
ウイーンとハンガリーの奏者を集めたフィッシャー盤なんかも
一部の曲でバイオリンの縦線がズレているね。
ハイドンの弦は腕利きの奏者を極力少人数でやったほうがいい。
というかハイドンは当時のクライアント(オケ)に向けて
作曲してたわけで
20世紀タイプの管弦楽団に対して作曲したわけではない。
ハイドンは作曲対象がない作曲をすごく嫌ったという記述を
ウェブスター(ホグウッド盤)は強調している。 モツやベトが現在もクラシック曲として人気あるのは
前者の旋律美、後者の革新性にあると思うのだが
ハイドンのメカニカルな発明(ハイドンは発明家であるとはブリュッヘンの弁)を
リアライズしていくのはこれからなんだと思う。 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
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TUSXK Haydn2032のスタートから
18'000 CDs and LPs 売り上げたそうだ。
やはりこれからなんだよハイドン演奏は HAYDN 2032もうVol. 6 ですね
これで#79-81が早期に揃うことになる。
ホグウッドと関係のあったバーゼル室内管でというのも
意味深じゃありませんか
バーゼル室内管は中期・後期の曲で起用かなと勝手に思っていたが
ピリオド楽器使用だが弦の人数や作曲年代はさほど重要視されない。
Echo Klassik、Gramophone Awards、Diapason d’Orと
各誌の評価も上々のようですな。 アントニーニさんか
途中で企画がおじゃんにならなければいいけど 年2回のコンサート&録音の20年計画も4年が経ちました…
途中レーベルの経営不振でおじゃんになりかけたフィッシャーの全集も
スタートは80年代、
チクルスライブを録りためただけのラッセルデービスのでも10年かかっている
アーノンクールとソニーもモツの初期交響曲集なんか録音してる暇があったら
パリとロンドンの間の5曲は録音しといて欲しかったよ
というよりは、パリからロンドンまでをワンセットに考えてほしい。
V字とかオックスフォードという有名曲があるのになぜか
このスレのようにパリ、ロンドンとくくって録音するとどうもいけない。
アントニニのように作曲時期でなくテーマ別で割り振るというのは
本当に新しい試み。 バルトークの「ルーマニア民俗舞曲」をこのチクルスに
プラスしてくるあたり、通り一遍の全集とはわけが違うし、
このくらい深読みしないと客も離れてしまうことだろう。 アーノンクールも一貫したレーベルでモーツァルトの交響曲全集残せばよかったのにね クイケンも
パリから92までがヴァージン・ヴェリタス(現ワーナー/エラート)、
ロンドンセットはdhm(現ソニー)とレーベルをまたいでの録音でしたが
プロデューサーはどちらもニコラス・パーカー氏でした。 なんだかんだで88〜92番の録音もわりと多いしやっぱり不遇なのはパリセット直前だった えらいこっちゃあ
outhere musicがナクソス傘下になったらしく
これまでマーキュリーという国内会社がやっていた
割高だったが
昔ながらの懇切丁寧な日本語解説と帯を付けた
国内流通仕様がvol.5でストップしてる
うーむ、ナクソスもナクソスジャパン配給になってからは
帯がせこくなってしまって、今は帯すらついてるのか知らんが
これからどうなるかな
Alphaやリチェルカール・レーベルの新譜が
軒並みアー写ジャケになったのは
やはり経営が変わったせいかな
困った困った。くだらない顔ジャケだとフィジカルで買う意味がない。
見よ、50〜70年代のクラシックレコードカバーのすばらしきデザインを LPのジャケットはそれなりの大きさだったから見栄えもしたけど
CDは小さすぎてデザインに凝ってもあまりアピールしないんだよな… だからといって、おざなりでいいということはない。
CDも90年代まではすばらしいジャケが多かったもの。
DTPでやるようになってからまったくダメだね。 ま、デザインに凝ってみても好みがあるから
アー写ジャケが無難というところだろうね。
ECMみたいにジャケにもプロデューサーの好みが出て
それに客がついてくればいいだけのこと。
が、実際HAYDN 2032の凝りまくったカバーデザインにはひきまくってる俺… すごくおもしろい在宅ワーク儲かる方法
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ZQG 暑さ吹き飛ばすようなファイの演奏に耳が慣れたら
アントニーニはかなりおとなしい演奏。
グッドマンどころかホグウッドくらいの安全運転だった なるほどファイ嫌いにはアントニーニはオススメということだな かのヴィヴァルディ録音から
彼らのハイドンなんて疑わしい
といった声も出たアントニーニ&イルジャルだが
弦の人数を増やしたバーゼル室内管による80、81などは
まるでホグウッド全集の補てんを意識したような演奏だ。
いっぽうファイのハイドンも聴くほどに
なかなか筋の通った演奏だと感じ入る。
モダン仕様ナチュラルラッパの音がちょっとキツめに
張り出してくるのが残念だが
これまで録音の多かったザロモンセットも
Vn両翼配置の録音は少なかっただけに貴重なものとなった。
総評として単なるこけおどしな演奏ではないと言い切りたい。
いずれにしても、「初めて全曲合わせてみたけどどーよ?」と言いたげな
だらだらしまりのないラッセルデーヴィスの付け焼刃全集など
録音史上の黒歴史であるとしかいいようがない。
他の録音、演奏で一刻も早く「汚名返上」してほしい。 D.R.デイヴィスはブルックナーはわりとまともだったし近代〜現代音楽で結構良い録音あるし
不慣れそうなハイドンの全集に何故手を出したたのか謎なぐらい ライブコンサートだとその場の雰囲気や臨場感でカバーできるところも
全集録音で残すとなれば周到な準備が必要。
ハイドンの古典派交響曲なんて簡単に演奏できると甘く見積もった
レーベル側・プロデューサーの誤算といっていいだろう。 結局はモダンオーケストラの演奏に落ち着く
変なことやってないから D.R.デイヴィスもファイもモダンオケだが
随分と違うものよ アーノンクールの古典派交響曲(モーツァルト)の録音はじめ
はコンセルトヘボーという名門オケだったが
近年ヨーロッパではモダン楽器・ピリオド楽器両刀使いの
オケが出てきた。
音楽、曲へ対するアプローチというよりは
コンサートや企画により
適宜、使い分けされるような時代になってきたという。 マリナー/アカデミー室内は、忘れられてしまったか…
まあ名前付だけだけど アーノンクールはたしかに一貫性に欠けると言われても仕方がない
パリ交響曲は、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスというピリオドオケ、
ザロモン交響曲は、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(のちに、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と改称)
というモダンオケ 蛇足だが、コンセルトヘボウはマーラーが指揮したこともある名門オケ まあ名門オケではあるが当時は落ち目だったため救世主として現れたのがアーノンクール
名門モダンオケでもここまでピリオド奏法に徹することができるんだなあと話題を呼んだ アーノンクール最晩年ランランとのモーツァルトの後でウィーンフィルのコンマス
までがピリオド絶賛するくらいだからね
アーノンクール自身、90年代にベルリンフィルとブラームス全集やブルックナー交響曲集
をピリオドで録音した際、カラヤンのオケを自分が振り彼の得意だった曲を録音するとは
思ってみなかったと笑いながら語っていたのが印象に残っている
彼のぶれない徹底したカリスマ性は好き嫌いはあれ超一流だったってことだな 実際レコーディングではホグウッド&シュレーダーAAMのモツ交全曲が
先に世界的ヒットになってたからね
コンツェントゥスでモツ交響曲をやっても後出しになって
インパクトに欠ける
「四季」や「水上」ほどの話題にはならないと見込んだのでしょう
そこで名門オケでやってみるべと。今じゃどこのモダンオケでもやるような
スタイルに
>>626
ボザール(philips)のトリオboxを何度も出すくらいなら
マリナーのネームシンホニーシリーズ(philips)の方も
もう一回くらい再販してもいいと思うけどね
全部でなく10枚か5枚くらいの小出しにして
売り切ったら第2弾で。みたいな。
マリナーは一連のネームシンホニー録音の後にネームなしの102かなにか
1枚デジタル録音してるこれも(philips) >>632
中学の時、ハイドンの交響曲はマリナーで啓蒙されたから思い入れ深いわ。 LPは1枚づつ(2曲づつ)リリースされたシリーズ録音だったけど
CDでパリセットがDUOシリーズで出てたっけ。
ネームシリーズの後もなんとはなしに出してたんだな
ドラティやフィッシャーよりよほどいいのに
これも全曲録音には至らなかった 確かその29ネームシンフォニーBOXのうち2曲は
レパード指揮ECOの録音が含まれてたので
ならばサーコリン&ヘボーのまとまった録音もまぜたら
ちょっとしたフィリップス・ハイドン・シンフォニーアンソロジーが
できちゃうやんね >>635
横にそれるが、レパードは1日48時間にして楽譜の校訂作業を行っていたらしい そんな寝不足だったのにご健在のようだね つごい
>>636
ザロ交なんもなし
目新しいものではショーヴァンのパリ交(バラ出し)、
ベイエのコンチェルト
コンソメ・カルテットはなぜかメンデルスゾンとカップリング。 おっとファイ不在全集の続編が出るみたいだね63 38 37 9 ファイの「驚愕」めちゃくちゃええやん
と思ったら全曲シリーズの第一弾だったんやね
なんで大怪我なんかしてんねん orz さげおめことよろ人いない・・・
ファイのハイドン演奏は
それまでイムジチの「四季」やパイヤールの「カノン」のような
バロック演奏が主流だった世界に
アーノンクールの「四季」やMAKの演奏(旧録音:1980)が
なぐり込んできたような感覚かな メルツェンドルファーの全集、いい演奏の曲も少なくないが
20番台のいくつかや最後の103・104など
木管が不自然に前に出ているのが何曲かある。
録音ミスか?指揮者の解釈か? 普通に考えられるのは
何曲か録音してちょっと木管が
うるさすぎじゃね?
ということでマイクを離したのでは 全曲通じてそれが意図的なバランスだとしたら
稀に見る革新的な全集になったろうが
そんなわけもなく... ザロモンセットはVn対向配置でないとstereo録音の意味がなくmono同然。 今さら全集が見つかるなんてね
他にも全集録音してる指揮者いるんじゃない 聴いた感じしごくフツーなベルギーの古楽器オケとバート・ヴァン・ラインの#101
https://www.youtube.com/watch?v=ktyCiVA4vfM
フーガリベラから80、81のCD発売されるようなので記念の柿古! いや〜ファンレイン恐るべし!
かつて鬼門とさえ囁かれた#80・81、ピアノ協#11に
歴史的な名演の登場というしかあるまい。
ファイのようなアグレッシブさは皆無だがこれまで培われたピリオド演奏の
良いところが自然な形で実を結んでる感じ。
各楽器の分離は誇張されないが名手ポンセールの(ゲスト?)参加も花を添えてる