ブルックナー交響曲第00番0番1番2番
あまり語られない、ブルックナーの初期の交響曲について語りましょう。 >>99
LIVEみたいな高揚感があるな。
あとロザムンデも ノイマンがブル1しか録音しなかったのは何故なんだろうな。 もともとブルックナーにあまり興味なくて
東独の「ごった煮全集」の一環として録音したからじゃないかな
1番 ノイマン
2番 コンヴィチュニー
3番 ザンデルリング
4/5/7〜9番 アーベントロート
6番 ボンガルツ
放送録音混じりで結果として全集になった感が強いけどね アシュケナージ/ベルリン・ドイツ響が00番だけ録音してるのも不思議だ。 ヘ短調交響曲までの内容なら演奏する気があったんだろうか 車板や楽器・音楽板で有名なゴキブリ先生(またの名をヤス)、
イチローバッシングに精を出すあまり、ブログ内でコメント記入者を脅迫!
これはいけませんね〜
こいつ、在日の高齢ニートです。
http://ameblo.jp/miumalovely/entry-11217864764.html
>3. Re:無題
>
>関西カープさん
>
>奈良県生駒市に住んでいるんですね(笑)
>どうせなら、番地も載せてみましょうか?
みんなでアメブロに報告だ!
http://helps.ameba.jp/inq/inquiry/vio
報告例:
http://sylphys.ddo.jp/upld2nd/pc3/src/1350203456297.jpg
>>108
ライトナーのライヴ盤が最高峰だ。一度聴け。
ショルティ?笑わせんなよwwwww >>110-111
だな。
モリッツ・ライトナーはまだハタチ前なのにたいしたもんよ。 全集の校訂者で分けるなら3人分、稿別に分けるなどするともう少し増える
(1872年稿…第1稿、1877年稿…第2稿として)
ハース版(旧全集、1938年)
第2稿に一部第1稿を引用して、変更された指示やカットされた箇所を復活させ、
改訂の結果音形が変わってそのままでは繋がらないのをアレンジして繋げた箇所もある、
いわばハースの理想版、今日に至るまで影響力は大きい
ノーヴァク版第2稿(以下の版は新全集、1965年)
ハースの行った折衷を修正して第2稿の形をとったと述べているものの、
なんだかんだでハースが復活させた第1稿の部分を残したまま印刷するなど、
全体的に中途半端な結果に
同修正版(1997年)
他の曲と同様に、既存の版にある誤植などに微修正が入った
既に下のキャラガンの校訂は暫定的に公表されていたが、まだ差し替えられなかった
キャラガン版第1稿(2005年)
ついに第1稿を第2稿とは別に出版するに至った
が、第1稿着手から第2稿完成までの間に生まれたヴァリアントの扱いに悩んだらしく、
中間楽章の順序など、校訂者の判断には議論の余地が残った
フィナーレのコーダについては、1873年(初演)稿と1876年(再演)稿での変更を紹介している
同第2稿(2007年)
第2稿も既存の版への修正ではなく全面的に作り直した
が、それでもなお、アンダンテ楽章では改訂でカットされた部分を印刷した
両端楽章のコーダについては、1892年の初版での変更を紹介している >>122
ご丁寧にありがとうございました。
「稿」としては
1.1872年稿
2.1873年初演稿
3.1876年再演稿
4.1877年稿
の4種類があり、1876年再演までは「第1稿がベース」の理解で良いのでしょうか?
中間楽章の扱いについてですが、「スケルツォ楽章が先(第2楽章)」はどの段階なのでしょうか?
ご教示頂ければ幸いです。 >>123
>の4種類があり
「稿」という語をどのように使うのかにもよるけど、年ごとの状態を追うなら、
初版に際して変更のあった1892年の状態は「5.」となるものと
>1876年再演までは「第1稿がベース」
全集では第2稿に至るまでの段階は第1稿の範疇としている(いわばVer.1.○の状態)
1873年の変更は全楽章に渡り小さいものではないとは思うけど、
校訂者としては、当初の音楽に近く独立した稿ではないとの判断
1876年はフィナーレの部分的な変更
そして、1877年はより包括的な全楽章の改訂で、新たな筆写スコアも作成された
(ヘルベック指揮による3回目の演奏が計画され、ヘルベックはブルックナーに改訂を薦めたらしい)
>「スケルツォ楽章が先(第2楽章)」はどの段階
1872年9月11日にスコアを書き上げた時点ではスケルツォ-アダージョの順だったらしい
それが10月の試演までに入れ替えられた www.hmv.co.jp/product/detail/5441283/
シモーネタソの0番 昨日今日と山形交響楽団で1番ウィーン稿やるのか
気づくのが遅かった 2番第1楽章のラスト2小節追加はロッシーニ的アッチェレランド演奏
のためのものだよね。 >>130の誰か聴いた人いるかな
>>131
「2小節」ってことは1872年稿から1877年稿の変更ではなくて、初版の変更か
初版だとpからffまでクレッシェンドしていくからロッシーニ風にやれそうではある
ただ、初版でもアッチェレランドとは書いてない
当時の人なら書いてなくても自然と加速したかもしれんけど >>131-132
2番第1楽章の休符追加ですが、アッチェレランドとは関係ないと思います。
むしろ最後の16-19小節間のテンポ設定でしょう。
1872年稿(およびハース版)では Tempo Io の指定があって、これで10小節前の
Langsamer を打ち消して、この楽章の基本テンポで終わりまでいくようになっています。
これが1877年稿(およびノヴァーク版)では、Sehr schnell の指定に変っていて、
楽章の基本テンポより速くする指示になっています。ほとんどの指揮者は、
ここの部分を2倍速いテンポで(4つ振りを2つ振りに変えて)演奏しますね。
それが1892年稿(および初版)では、77年稿の最後の3小節の部分に2小節分の休符が
追加されて、結果として1892年稿の最後5小節は1872年稿の終わり3小節と
ほとんど同じに聞こえるように改定されてます(厳密には音価が違いますが)。
つまり、この部分だけ1872年稿(とほぼ同じ形)に戻したんだと思います。 >>130
>>132
オペラシティ行って来ました。というのもS席3000円(本拠地山形だと4000円)だし、偶々休みになったので。
オケはホールが山形テルサよりも響くせいか、若しくはウィーン稿だったせいか金管がよく鳴ってまして前に山形でブル5聴いたよりも「爆音?」って感じでした。
私自身がリンツ稿位しかまともに聞いてないせいか本当にウィーン稿は「昔の素材を今新しく料理しました」みたいです、マイスタージンガーやブル8のフレーズが見え隠れしたりしてて。
もうヲタではないのでこのくらいしかレスできませんw以上チラシの裏ですた。 第1番自体の演奏機会が少ないなか、
ウィーン稿で実演を聴ける機会はさらに少ないだろうから、
東京へ聴きに行くべきだったかもしれないなあ >>128.>>135
ウィーン稿の日本初演って、今回の演奏がそれかもよ >>10
初めて聞いた
あとシャピラはノヴァ―ク版ではなくヒュナイス版を使用しているらしい
00番はハースが校訂していないので
ヒュナイス版が第一版になる
扱いは0番のヴェス版や9番のオーレル版や3番のエーザー版と同じ >>138 補足
《ヘ短調》1913年のヒナイス版はユニヴァーサル社から出版、
アンダンテのみ。当時他の楽章のスコアは出版されなかった。
(ピアノ編曲譜だけがゲレリヒ=アウワーの伝記に掲載されていた)
したがってシャピラはアンダンテだけをヒナイス版参照で演奏
したと思われる。その他の楽章はノーヴァク版。
《第九交響曲》オーレル版はハースと同列の第一次全集版。
戦後のノーヴァク版はオーレル版を原版としてそれを修正したもの。 第2番初版の録音はシェルヘンの放送音源が非正規では全曲出てるらしいけど、
↓のTahra盤はスケルツォ楽章だけで残念
一部が出たということはいずれ全部出るんだろうけどね
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4929573 マンデアルの全集の第2番に初版の引用があって、
第1楽章は最後が拡大されてるし、
フィナーレはコーダのトランペットとトロンボーンが違っていた
初出時から知られてたかもしれんけど、先日初めて聴いて得した気分に 『ブルックナー・アンノウン〜リカルド・ルナにより室内管弦楽用編曲および補筆完成された作品集』
http://www.hmv.co.jp/news/article/1312190058/
1869年の「交響曲変ロ長調」のスケッチと、
第1番の中間楽章初期稿「zu T/1」の編曲演奏を収録
既にMIDIでは聴くことができたけど、生楽器による演奏としては初録音
(こうなると2管編成の管弦楽で聴いてみたくなったが)
後者のうち、未完成のアダージョでは再現部の欠落を通常のリンツ稿を基に補足
差し替えられたスケルツォは、「ヘ短調」と第2番のスケルツォを繋ぐ存在という感じ 1と2は4番よりも名曲だと思うが0番は酷い作品だ。あれは世に出すべきではないね でも初期3曲の中でもっともブルックナーらしいという特徴がある。 00のスケルツォの拍がわからん、どうなってますのん? >>147
3/4拍子で、↓のような記譜
│休 タ タ│タラタ タ│タラタ 休│ >148
おー、ありがとうございます!
なるほど、心が晴天なり >>10
番号なしで習作と呼ばれることも
いずれも通称で正式なタイトルではないと思われる >>151
《交響曲ヘ短調》には副題は何もないよ。
副題のあるのは《第四交響曲》だけ。
全集版が《第三交響曲》に「ワーグナー」と副題をつけているのは
単に初版にワーグナーへの綺麗な献呈の辞が付けられているから。
ちなみに、《第三交響曲》のレーティッヒ版のタイトルには
《交響曲二短調》としか印刷されてないけど、何故だか分かる? 総合スレにも貼ったけど
今夜の「クラシック音楽館」で珍しくブル1の演奏がTV放送される
http://www4.nhk.or.jp/ongakukan/
11月23日(日)放送
小泉和裕指揮 九州交響楽団定期演奏会
インタビュー:小泉和裕(指揮)
1:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54(シューマン作曲)
2:交響曲 第1番 ハ短調(ブルックナー作曲)
管弦楽:九州交響楽団
指 揮:小泉和裕
ピアノ:アンドリュー・フォン・オーエン(1曲目)
収録:2014年9月24日 アクロス福岡シンフォニーホール
コンサート・プラス
「アンサンブル・ウィーン演奏会」から
歌劇「フィガロの結婚」序曲(モーツァルト)
喜歌劇「こうもり」序曲(ヨハン・シュトラウス)
演奏:アンサンブル・ウィーン
(2013年6月29日フィリアホールで収録) >>152
亀な横レスだけど
第2稿の自筆譜に「ワーグナー交響曲」と書いてあるので、
全集版で採用したことにはそれなりの理由があると言っても良いのでは
ただ、全集版のなかでも扱いは異なっていたりする
「V/3」は「ワーグナー交響曲」の表記なし
「V/1」は中表紙に「ワーグナー交響曲」の表記あり
「zu V/1」と「V/2」は中表紙と楽譜冒頭に「ワーグナー交響曲」の表記あり
「《交響曲二短調》としか印刷されてない」のは、
ブルックナーの交響曲中で最初かつ単発で出版されたから、とか? ブルックナー・コレクション
交響曲第00番 ヘ短調 「習作」 WAB 99
ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
ゲオルク・ティントナー (指揮)
http://ml.naxos.jp/work/3000518
この演奏いいなあ。 0100 宇野功芳 2015/10/15 11:52:55
─┼─┐─┼─ / ,. `゙''''‐、_\ | / /
│ │─┼─/| _,.イ,,.ィ' ─────‐‐‐‐‐ ● ← 独墺交響曲至上主義者
│ |ツ │ | | | イン /´⌒`ヽ // | \
{, リ) / ./ | \
__ /}从、 リ( / / |
,. ,. -‐===‐- `つ/ ,.イ ’^ソハノリ / ∵|:・. 宇野さんが、
〃〃〃〃 //ミノ__ /´ /∴・|∵’ ドビュッシーの
_____ ノ_/ / ヽミ、、 .∵.;|∵’:; バレエ音楽「遊戯」を
( 二二二ニ) ノΘ(__ ) ゙ 、∵.;|∵’, テニスラケットで
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .^^^' \ !  ̄フ ゙ 、 |∴ 指揮する 夢を見た。
/\/ ∧/
/ / ノ./
ノ/ ヘ__、
ヘ_'_,
ID:3Jy8c6gp(4)
0101 アンチ独墺交響曲至上主義者 2015/10/16 00:10:26
ノ⌒⌒⌒⌒ヽ
///ソノノ人((( \
( / ≡ ≡ \ ))
(/ ― / ― 9)
| 人_ノ宇野功芳氏が、ドビュッシーのバレエ音楽「遊戯」を
| (LLLL)エサ=ペッカ・サロネン氏と一緒に
\ ∵∴∵ノ /テニスラケットで指揮する夢を見た。 最近ヘ短調ばかり聴いている。
シャピラ、インバル、アシュケナージと何故かユダヤ人指揮者の名盤が多い 朝比奈盤(と言うかテープ)をCD化して保水
>ヘルゴラント ゲルマン人の行進、ドイツの歌、ヘルゴラント
のナショナリズム三部作をティーレマンが録音すれば受けるんでないの? ヴァントのリマスターされたソニーからの廉価ボックス聴いてみる価値ありですか?
録音が古いのが気にかかるがリマスターで改善されてるのかな。
版の選択は、妥当な選択なんでしょうか? >>169
リマスター後のは聴いてないから音質のことはわからん
使用版については
第1番はウィーン稿ブロシェ版(新全集版T/2)
第2番はハース版(旧全集版U)
第3番は第3稿ノーヴァク版(新全集版V/3)
第1番でのウィーン稿使用は少数派
その理由についてヴァントは最終稿を使う主義だと説明していた
ブルックナーは第9番作曲を中断してまで第1番の改訂に取り組んだのだ、と
第3番も引き合いに出しながら、
ブルックナーが望んだ結果の最終稿ではなく旧稿を使うのは厚顔無恥だ、とも >>169
一方で、第2番では第2稿に第1稿を混合したハース版を使用した
ヴァントは基本的にハース支持、反「改訂版」(を手掛けた弟子たち)、反ノーヴァクだった
ブルックナーにとって内心不本意な改訂は旧に復さなければならない…という感じで
最終稿主義と整合性が取れていたのだろうか
第3番については前述のとおり、第3稿をブルックナーの望んだ最終稿として使用した
ブルックナーは第3稿でようやく成功を収めた、大幅な短縮もブルックナーが望んだ、と
で、第3番にはハース版もないのでノーヴァク版V/3ということになる
もっとも、ヴァントは後年のNDR響との演奏でフィナーレの再現部とコーダを繋ぐ移行句をカットしていた
この部分は第3稿への改訂時にF.シャルクが書いたことがノーヴァク版の序文で述べられており
ここばかりは採用できない、と考えるようになったのかもしれない >>169
版の選択が妥当かどうかってのは
そもそも版の違いへのこだわりとか価値判断とかは人それぞれだろうから何とも
もし、この録音で初めて曲を聴いてこれで曲を覚えるまで聴き続けるっていう人なら
第1番についてはとりあえずリンツ稿使用の録音の方が無難だろう、と個人的には思うけれどね
まあ、せっかく安くなったことだし、聴いてみたいと思うならとりあえず聴いてみてはどうかと >>170様
レス、ありがとうございます。
版の問題がブルックナーはややこしくて、遠ざかっていました。
安くなったことですし、一度聴いてみたいと思います。
詳しいご説明、本当にありがとうございます。 >>170
ヴァージョンの問題に、ある一つの基準に基づく整合性を
求めようとすると破綻をきたすということですね。
その典型を示すのがヴァントの版選択。 第2番までのスレなのに第3番にまで触れていた…
スレの範疇を超えるけど
ヴァントの述べた最終稿云々はハース版で認められたかどうかが前提だったのかな、と思う
第1番についてハースはリンツ稿・ウィーン稿の両方を出版した
第3番はハース版が出版されなかったのでハースを抜きに考えるしかなかった
が、実現しなかったとはいえ第3番は第1稿での出版が戦災で中断するまで準備されていたわけで
第4番でも第2稿出版後に発見された第3稿が出版予定に加えられたとか
まあ、第3番第1稿については第2稿の自筆譜全体が手元になかったわけで
もし第2稿を入手していたら第2番などのような稿の混合が行われたのかもしれないし
あるいは「ワーグナーに献呈された稿」を出版するという政治的な事情もあったのかもしれない
第4番第3稿については出版にあたり弟子の関与の大きさを強調したのかもしれない
これらが出版されなかったことはヴァントの版選択にとって都合が良かったのかも ヌルテ
ドッペルヌルテ
のモノラル録音ってあるんだっけ? バレンボイムの1番リンツ稿@サントリー
いやもう素晴らしい。特に第2,3,4楽章文句なし、実演でこんないいの聴けるとは
印象的なメロディーが出てこないアダージョがフレージングとバランスとハーモニーの推移を注意深く極めると
これほど豊かな音楽が響いてくるのかと驚愕
第4楽章のとことん散らかった楽想もことごとくストンと入ってきて安心して音楽に浸れた。
バレンボイムとシュターツカペレベルリンおそるべし。明日の2番も行く。 今日の2番は昨日の1番と曲の捉え方は近かったにしろ
フレーズのつなぎや切り替えがスムーズじゃなく練り上げ不足
昨日と全く逆の印象で全然落ち着かず曲に浸れなかった
オケの優秀さで押し切ったがはっきり言って失敗じゃなかろうか Λ_Λ \\
( ・∀・) | | ガッ
と ) | |
Y /ノ 人
/ ) < >_Λ∩
_/し' //. V`Д´)/
(_フ彡 / ←>>177
_
ミ ∠_)
/
/ \\
ウイーン Γ/了 | |
ウイーン |.@| | | ガッガッ
| / | 人
|/ | < >_Λ∩
_/ | //.V`Д´)/ ←>>177
(_フ彡 / ヘ短調は名曲
メンデルスゾーンの交響曲程度には演奏される価値あり シャピラ/ロンドン交響楽団だけ持ってる。英EMI
ヨッフムの全集のオマケ あれは名盤
流石ロンドン響と唸らされる
是非ともCD化すべきだね バレンボイムの2番聴いたばっかでも今日は飯森&山響のブル2@山形テルサ
呆れるほど見事。オケ優秀ホール素晴らしすぎ。
1st10人コンパス4人、どんなに金管鳴ろうが木管のソノリティーは失われない。
各パートの音が階層をなして積み重なってく様が鮮やかに聴こえる。後ろで奏でる木管のちょっとしたモチーフも意味深い。
2番てこんなにいい曲だったかと思わずにいれない演奏 書き忘れた1877年稿キャラガン版だけど部分的にノヴァーク版から採ってるとのこと >>188
ちなみに3/16(土)16時〜酒田市民会館でもやるよ
ちと遠いけど >>189
駅前の「ル・ポトフー」ってまだある?
兼ねて行きたい >>191
ル・ポットフー食べログに出てたよ
こんなおしゃれな店が酒田にあるんだね
いいかもねブル2とフレンチ 晩飯高いからゆっくりランチ食ってちょうどいい時間だな 初期を聴いたら気に入ったという人は多い
もっと取り上げてほしい ヴィーンフィルはこのあたりの曲ほとんどやらないね
没後120年経っても相変わらずブルックナーには冷たいオケだよ 0番のパート譜がのこっているんだから、それをそのままやってくれたらいいのにね。 そうなのか、ヴィーンの連中はブル0なんて屁くらいに思ってるんだろうな ウィーンで0番って、最初の試演以外でやったことあるのかね?
1番はアバド、2番はシュタインの録音があるし
ムーティも来日公演でやってたが