マーラー交響曲第6番イ短調 「悲劇的」
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ないので立てました。
ハンマーを何回叩くとか、スケルツォとアンダンテの順番の問題とか
何かと話題が多い作品です。
あ
れ
ほ
ど
単
曲
ス
レ
は
立
て
る
な
と
言
っ
て
お
い
た
の
に
馬
鹿
で
す
か
?
マ
ジ
迷
惑 アバドのBlu-rayはなかなか良いんだが、アンダンテ→スケルツォなのがいただけない >>6
おまえ未だにそんなこと言ってんのか?頭固すぎるんじゃねーの?
ベト5だってそういう曲の展開するだろ。 最近はアンダンテ→スケルツォが多いが、
パッパーノとサロネンの新譜はスケルツォ→アンダンテだった あ
れ
ほ
ど
単
曲
ス
レ
は
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る
な
と
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お
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馬
鹿
で
す
か
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マ
ジ
迷
惑 >>10
正直な話、アンダンテ→スケルツォの順のほうが良いね。
第1楽章とスケルツォの冒頭が似ているから、続けて聴くと落ち着かないわ(´・ω・`)。
待ってました
これは1乙と言わざるをえないといえよう!
テンシュテット4種をその日の気分で聴いてます!
NYPのライヴは録音が残念すぎるけど‥ セーゲルスタムとかタバコフとかスヴェトラーノフとか
寒い地域の方々が得意な印象。
マーラーの中でも特にね。 >>13
スケルツォ→アンダンテの方がフィナーレの嵐の前の静けさみたいで私はスワリがいい
>>17
同意!!
ブル8の楽章構成と同じで、マーラー自身は意識していたのではないかと思う アンダンテ→スケルツォの順番は、マーラーが決めたとしたら最大の失敗だ。
ブル8がアダージョ→スケルツオで演奏されたら?
ベートーヴェンの第九も同じ。著しく感動が削がれる。
調性的にも、イ短調の激しい和音で1楽章が終わったら、いきなり5度下の変ロ長調に
行くのは感覚的におかしい。スケルツォの終わりの二の音から変ロ長調に移行するのが
どう考えても全体の構成がまとまる。
国際マーラー協会は何考えているのだ? >>19
>ブル8がアダージョ→スケルツオで演奏されたら?
何言ってるの(´・ω・`)?
ブル8なんか全然関係無いよ。
この曲の楽章の演奏順の話と何の関係があるの? てか、どっちも座り悪いよね、個人的にはスケルツォ先がいいけど、
やっぱり主題が似通ってしまう、という面が出てしまう。
バランスの悪い交響曲なのかなー
マーラーも散々迷ったらしいし 古典的な形式に拘ったのだと思う。
只、緩徐楽章とスケルツォの位置関係には迷いはあったと推測出来ます。
古典派の作曲家だと緩徐楽章からスケルツォの流れが主流だった、
ロマン派になってからは、スケルツォが先になる傾向が増えて行った。
(ブル8.9はその例でしょう。)
ブル8を例えに出して、困惑させてしまって申し訳なかったが
先輩作曲家の作品(内容とは別)に触発は受けていると思う、あくまでも個人的感想。
確かにベートーヴェンの9番、ブルックナーの8番・9番の楽章構成を、お手本にした楽章構成になっていると思います。
マーラーの1番、4番も第2楽章がスケルツォ(又はレントラー)で第3楽章が緩徐楽章。
5番も主題的に関連性の深い第1・2楽章をワンセットにして考えると、同じ構成。
第7番も第2・3楽章を 行進曲+スケルツォでセットにすると、同じ構成。
だから、第6番は第2楽章にスケルツォを置くべきだと思います。 第1楽章の推進力だけ焦点当てればレニーの旧盤がお気に入り
フィナーレで陶酔しすぎてズッコけちゃうのが残念至極 長大な終楽章がある曲は、(それだけで一つの楽曲になるような)
やはり、その前に緩徐楽章があった方がまとまりが良いような感じ。
短い終楽章の曲は、テンポの早い楽章を前に置く事で良い緊張感を持続できるが、
長大な終楽章の前にテンポの早い楽章が来ると、終楽章に集中が持続できない。
個人的意見だが。 全集を編纂する協会としては、芸術的な価値判断がどうであれ、
資料から判定されるマーラーの試行錯誤の結末を無視できないわけだ
もっとも、作曲家の死亡で試行錯誤もそこでストップしたわけで、
仮に延命していたら試行錯誤を続けた可能性は否定できない
アンダンテ→スケルツォという決定は「最終」というより「最新」という方が表現としては穏当かな >>29
>アンダンテ→スケルツォという決定は「最終」というより「最新」という方が表現としては穏当かな
その通りだと思います。
けど、アンダンテ→スケルツォの形で実演で聴いたのは
イヴァン・フィッシャー/日フィルの時だけなので、四半世紀前の話です。
あまり、ピンと来なかったな... >>29
アホか?頭おかしいのか?
過去の作曲家なんてみんな死亡してるだろ。全て「最終」ではないのかよ?ばーかばーか >>31
>>29の表現が適切かどうかを争うつもりはないけど、
「変更してきたけどこれで終わり、以後もう変えることはない」としてそのまま固まったものと、
変更しているうちに死んじゃって、結果的にその変更が最後に残されたというものの、
微妙な違いを別の言葉で表現しようとしてみた、この点を理解していただければありがたい
(「ファイナル」と「ラスト」の違いというか、「完結」と「途絶」の違いというか…) >>29>>32
言いたいことは伝わってるよ
俺の気持ちは、
建前:協会の採択は採択として、演奏する側に選択の余地があるなら、その分ウチらの聴く楽しみも増えるということでいいんじゃないかなぁ
本音:CD限定の話になるけど、どうしても違和感があればトラッキングの順番換えて聞くし(それでいいのか?) >>31
>過去の作曲家なんてみんな死亡してるだろ。全て「最終」ではないのかよ?
それは違うと思う、亡くなってから何十年も経って「実はこうでした」と言う
話は結構あるでしょうから... 「悲劇的」と言えばマーラーの名刺のように思う人いるけど、シューベルトさんのことも忘れないであげてください 初めまして。私こういう悲劇的な者です
∧_∧ =つ□≡つ□ =つ□≡つ□
( ・ω・)=つ□≡つ□ =つ□≡つ□
(っ ≡つ□=つ□≡つ□ =つ□≡つ□
/ )=つ□≡つ□ =つ□≡つ□
( / ̄∪ マラ6マラ6マラ6マラ6マラ6マラ6マラ6マラ6マラ6 地震、津波、原発事故の3回のハンマーで、日本も倒れるのか?
そもそも、今年の12月22日が世界の終わりという噂もあるし。
01.09.11 同時多発テロ 第1ハンマー
11.03.11 東日本大震災 第2ハンマー 数字をたすと
12.12.22 世界の終わり 第3ハンマー
でもマーラーは3回目のハンマーは削除した。
よって世界は救われる。
2001.09.11+2011.03.11=4012.12.22だろ そういえば、バーンスタイン/イスラエル・フィル85年の伝説のマラ9ライヴ、
今もこの時のNHKホールの半券大事にしてるんだけど、もともと「悲劇的」をやるはずだったんだよね。
差し替えられたマラ9で感動の涙を流してきたんだけど、もし予定通りに「悲劇的」やってたらどんなだったかな〜w でも、マラ9って曲で得してて、コンサートで取り上げるのってズルいよねw
本当にマラ6やってたらどうなってたことやら もし本当にって・・準備不足のマラ6が聴けただけじゃね? 俺、アホだからマラ9で感動でない。
やはり劇的な「復活」や「悲劇的」の方が聴いていてゾクゾクする。生で聴いて。
第九は終楽章に音圧がないので面白くない。 >>52
おっ。俺が密かに思っていたことだ。
終楽章の冒頭は好きなんだが、だんだん退屈になる。
実演で2回聴いたけど、「面白くない」というのは共感できる。
なんて書いたら通ぶったオヤジが湧いて出てくるのが楽しみww 否定意見を書かせまいとけん制するおまえがオヤジだと思うわ
通ぶってるのもおまえ >実演で2回聴いたけど
↑
1番強調したいのはここです はいはい、マラ6スレなんでマラ9関係は余所でやっとくれ >>55
>>56
待ってました。高卒(中卒)の反応ww とりあえず、スケルツォ⇒アンダンテが一番しっくりくる。 思考が停止してる馬鹿は書き込むなよ
アンケートスレじゃねーんだよ スケルツォ⇒アンダンテでハンマーは3回だったらこの曲は超完璧。 >>65
オーケストレーションは、現行版で良いのか? NMLで、ギュンター・ヘルビッヒ指揮台湾国家交響楽団の演奏が聴けるようになった。
ヘルビッヒの6番ではザールブリュッケン放送響盤があったけど、台湾のオケの
演奏は、もしかするとそれ以上かもしれない。 この時間に酒飲みながら聴く6番てやっぱりいいな。
テンシュテットlive。 この曲のCDは
1、バーンスタイン/VPO
2、ハイティンク/BPO
3、テンシュテット/LSO
の三つがあれば満足。 >>71
あなたにとってはその程度の曲ってことだね >>72
くだらなすぎるツッコミ
自分と同じ趣味じゃなきゃ満足できない狭量さ >>73
くだらなすぎるツッコミ
自分と同じ趣味じゃなきゃ満足できない狭量さ たかが3つの録音で満足できるなんて所詮たいした曲じゃないんだな 4つの楽章で純粋な交響曲と言う意味ではマ−ラ−は6番しか作っていない。
当初1番は「花の章」と言う余分なものが付いていたが、余計なものだと思い
後日削除した。楽章を5つ、6つと増やしたり、独唱や合唱を付けたりと
余分なものが多い。オ-ケストラのみで4つの楽章と言うと1番と6番だけ。
1番は第二楽章が葬送行進曲と言うのは青年期の悩みを現してはいるが、完成度
から言えば6番がダントツである。
6番がマ-ラ-の最高傑作である。 >>79
4つの楽章で純粋な交響曲なら9番だってあるじゃん >>79
「4つの楽章で古典的な形式で書かれた交響曲」だったら、マ−ラ−は6番しか作っていない。
になるんじゃない? テンシュテットはなぜかスタジオ録音が一番燃焼度も完成度も高い。
良いリマスタで再発売しないだろうか?
噂のベルリンフィルライヴがテスタメントから今年中に発売されるようだから
それを待つとしよう。 宇野功芳先生もよく書いていたではないか。
「○○さえあればほかはいらない」と。 >>83
第6と第8は例外的に録音のよさが際立つな。
マーラーの交響曲はもはや従来の意味でのものではなく同じテーマが各楽章に分散している
「連作交響詩」というべきでしょう 本人が交響曲と呼んだのなら、少なくともそれは交響曲だわな
外野がごちゃごちゃ何を言おうとも
べきもくそもあるかいな スコアを持ってない
調性を聞き分けれない
和声も知らない
そもそも交響曲がなんであるかさえ無知 外野がマ−ラ−を聞いて育てているから今日まで曲があるのだ
作曲者だって外野に聞いてもらいたいから作ったのだろう
外野、大いに語るべし そとのと言われちゃ、しゃないわ。
おおいだれか
そとのトンカチ持ってきてくれ そうそう、外野こそ大いに語るべし!ですわな
でも本人が交響曲だと言ってたら、あるいは思ってたら、
そら交響曲やっちゅうことでっせ なんだよ。お前さん、大きな声出しちゃって、さぁ
おお、お前か。そとのトンカチでそこのトウヘンボクの頭をちょいと撫でてやって
おくれでないかい。ええ!
やだよ、お前さん。そんな事したら怪我しちゃうよ。
へっ!何てったって石頭だ。トンカチで撫でたくらいで怪我なんてしねいよ。
こっちとら江戸前だね。文化ってものがあらあな。
最近テレビだって関西弁ばっかしだ。
江戸前にゃ蕎麦ってものがあるんでい。うどんなんざぁくってられっか。
江戸前にゃ江戸前の文化ってものがあるんでぃ。
大体、絹ごし豆腐を受け入れた公方様の時代が問題だあねぇ。
あんな歯ごたえの無い豆腐が何でえ!べらぼう目!
そのうち関西弁でマ−ラ−を歌いだすんと思うとゾットするぜぃ
ショルティの「悲劇的」をはじめて聴いたときの衝撃は忘れられないね
桶からこんな音が出るのか!?と心底驚き、感動した
強烈きわまりない剛毅な音響芸術
20年以上、数多の演奏を聴いてきたけど、
あれを上回る経験はないな。いまだにマイベストです ショルティのハンマ−ね。ありゃ最高だね。
やだよ、お前さん。トンカチでなくハンマ−でありんすよ。
てへぇ!
やっちまったなぁ
めんぼくねぇ!
どうせなら、ハンマ−でやっておくんなさいましな
おいおい
おめえも、すげえこと言うなぁ
さすが、俺の女房だ。
大体最近江戸前の野郎までうちの嫁がと言いやがる
嫁と言うのは差別用語だぜ。てめえの生まれ育った家族のところに来たのが嫁だ。
惚れた女に嫁と言うのは江戸っ子の恥だ。
せめて、カカアとか妻とか細とか女房とか。あんだろう。
おい!そこの関西人!てめえの惚れた女を嫁と言っちゃいかん。恥をしろい
30分ぐらいあるのに何故か夢中になって聴き入ってしまう4楽章。
オッサンになったせいなのかやたらはまる。 >>99
いやいや オッサンは関係ないでしょ(^_^;)
今まで?と思ってても急にはまったり、はあるよね。
でもいろんな曲や演奏を数多く聴いて体験を積み重ねるほどに
自分の中での許容範囲が広くなってきて懐が深くなってくるよね。
自分の理想の演奏じゃなくても素直にすんなり受け入れることができて
優しくなっていろんなことが理解できるというか。 おいらはオッサンになったら正直マーラーは厳しいわ。
マーラーは個人的感情の音楽だと思う。つまり惚れた腫れた。
オッサンになると個人的感情などどいでもいい。
大自然を感じる音楽に傾倒してゆく。
オッサンでマラ6第4楽章にのめり込める>>99の精神的若さに嫉妬。 俺は逆に若い時はマーラーの音楽は苦手だったわ。
大学の時に友人が俺の家に交響曲第5番のレコード(当時)を何枚も持ちこんで
第1楽章と2楽章のみを延々と聞かせてくれたおかげで、その時は鬱状態になりそうに
なったよ。テンシュテットとメータとバーンスタインの旧盤と、あと2枚くらいあったけど
忘れた。
40歳を越してからマーラーを聞くようになったな。一気に全集を…というわけではなく、
バラでぽつぽつ買っているんだけど、交響曲では1・2・5・6・9・大地しか聴いてない。
5・6・9は聞いてすぐ好きになったし、違う演奏者での複数買いをやっているけど、
1・2はつまんなくてなあ。両方ともハイティンク/BPO盤なんだけど、それがいけないの
かなあ。特に2番は終楽章の合唱部分以外はイラネと思った。
大地はクレンペラーを聞いて、他はもう聞かなくていいやと思ったからそれ一枚しか
持ってない。逆に9番はこれがあれば他はイラネという決定盤はまだ見つけてない。 マラ6の第4楽章だろうが大自然を感じる音楽だろうが、結局はそれを鑑賞したことで生じる個人的感情が重要なのであって、こんなやり取りじゃまったくわからんな 9番ははかなくなってきえていくという感じだな
その点6番はフィーナ^レという形式でなき物語チックな悲劇で幕を閉じている感じがいいあ 77年カラヤン/BPOザルツライヴとセル/クリーヴランドライヴを比較すると
驚くほどアプローチが似ている気が…
9番も一回目バルビローリ、二回目バンスタパクリ疑惑がありますが、
思い過ごしでしょうか? レコード聴くことはあっただろうから影響はされたかもしれないけど
それをパクりというのは早計だと思うけど
ちなみに俺はそこに出てきた演奏特に似てないと思う この曲はアマチュアオケが最近良く演奏するようになったが、崩壊しそうなスリリング感が楽しめてよい バルビローリ最高!
2楽章スケルツオ 3楽章アンダンテならバルビローリ盤が最強だったのに・・惜しい! >>121
EMI盤はCDによってはその順番になってるものがあるよ
指揮者の意図を無視した行為ではあるけどね バルビローリの演奏はユニークで確かに素晴らしいのだが、
ハンマーがしょぼいというかバスドラムの音にしか聞こえない
のが残念 バルビローリのマラ6ってなんであんなに遅いの?
クレンペラーっぽくやってみたとか? >>122
EMIの国内初期盤だね。最近までHMVあたりで新品で入手できたw
しかもあれ、2枚組なんだよな。74分以上は入らない規格のCDだったから。 あ・・・ごめん、
>しかもあれ、2枚組なんだよな。74分以上は入らない規格のCDだったから。
これ、同時期のマーラー5番のことだったわ。
なんかダメなんで>>125のカキコは全て取り消します・・・ >>124
クレンペラーがマラ6を振るとああゆう感じかな?
超スローテンポで開始。しかしアルマの主題は超高速で駆け抜ける。みたいな。 ショルティが最高!
「悲劇的」などどこ吹く風
疾風怒濤、抱腹絶倒、爽快の極み
シカゴ饗のパワーは凄い 水星交響楽団のを聞いてきたけどよかった。
団員が曲に共感しきってる感じが伝わった。 >>128
そんなショルティが振った晩年の5番ライブがすごい。
ドンジャカを期待した自分がアホだった。
静謐で懐深き演奏に泣いた。
ダイアナ妃のためにヴェルディのレクイエムを演奏する予定が、二人のための追悼になったとか... >>127
>超スローテンポで開始。しかしアルマの主題は超高速で駆け抜ける。みたいな。
まさにそう演奏しそうだねw >>130
あの演奏は、1970年や1990年のとは全く違うね。
もちろんオケが違うけど。
なんというかショルティの辞世の句。確かに泣ける。 ここ見てるといろいろ欲しくなってやばいわ。
2枚組だと飲み過ぎで金欠な俺にはやばい。
でも飲み過ぎて金欠な時ほど聴きたくなる曲でもある。 ヤング女史の「悲劇的」良い。
アンダンテが3楽章なら100点。
よって今後100点を取るディスクは現れないだろう。 西本智美も摩羅やるぜ
2番と5番をを聞いた。
背筋がピンとして、刺繍の入った燕尾服がかっこよかった。
勿論、演奏は最高。 ギーレンの80年代のベルリン放送だったか
あのCDどう? 全集の解釈と違い、この時代の演奏がギーレンらしくて良い。 セルなんてとぼけた2流盤を推してる奴がいて驚いた。
周回遅れの走者をトップと勘違いするみたいなもんか?
4周くらい遅れてるぞw >>148
「で、」君って本当に自分の見解を書かないんだね。
面白かったんであげ。 連投スマソ。
カラヤンの1977年ザルツブルクライヴを聴いてたら、入院中の伯母の訃報がきた。
まいった。
個人的な話でごめん。 ピアノデュオ版(http://www.hmv.co.jp/product/detail/896849)
を初めて聴いてるけどこれはいい。
壮大なピアノソナタになってる。 >>153
そうそう。
迫力は確かに欠けるけど、あまりこの曲聴き込んでない自分には
面白い発見がいくつもあって、原曲聴き直してふむふむと納得してました
ホントにこの曲がお好きな方には嫌悪感まみれになるかもしれませんが… ハイティンク、シカゴ響の悲劇的がテンポ遅すぎて駄目だわ。
お陰でシノーポリの悲劇的が普通に聴けるようになったわ。 >>158
なら、バルビローリ&ニュー・フィルハーモニアOを推薦してあげよう。 以前はこんな難しい曲演奏できるオケなんて世界に数えるほどしかないだろう、と思ってたけど、
今ではどこも当たり前に上演してるもんな。技術の進歩はすごいもんだ。
だいぶ前の録音だが、レヴァイン&ロンドン交響楽団の演奏が颯爽としていて一番気に入っている。
ロンドン響の実力はすごい。ドイツ系みたいに重くならず、アメオケほど明るくなりすぎないのもいい。
もちろん他にもいい演奏はたくさんある。 >>163
以前
というのは具体的に何年代あたり? 仮定が理解できないバカ
↓
167 名無しの笛の踊り [] 2013/01/20(日) 11:08:34.31 ID:C4jSJJ+Q Be:
誰もお前に金なんてやらないと思うぞ 何度聞いてもラインスドルフはダメだわ(orfeo) 山田一雄/新響の音源が欲しい。
天吊り録音でもいいから ハイティンクの悲劇的が聞く度に良くなる、良くなる、良くなるわ ハイティンクのマラ6ならフランス国立との奴が好きだな ハイチンコなマラをアウフヘーベンして優秀なものだけオレにくれんぺら DGのウィーン・フィル音源叩き売りボックス「wiener Philharmoniker Symphony Edition」を
買ったけど、これに収録されてるブーレーズのマラ6が、さりげなく通達並びにされてた。
確か、単売初出盤は第2楽章スケルツォだったはずなのに… >>178
バルビローリの時とは逆か?
ルツェルン祝祭アカデミーOのライブは
スケルツォ→アンダンテの順番だったな 自分はDG盤と来日公演しか聴いてないんだけどスケルツォ→アンダンテだったし
>>179のルツェルン2010年盤でもそうならその後に解釈を変えたとか?
バルビローリ盤の入れ替えは死後だったけどブーレーズは死んでないから
もし解釈を変えたんじゃないのならDGが許可なしに勝手に入れ替えたということか >>180
バルビローリは、TESTAMENTのBPO&NPOのライブ盤が
アンダンテ→スケルツォの演奏順だった
ブーレーズ/VPOの定期演奏会がFM放送された時
(DG録音と同時期)
スケルツォ→アンダンテの順だったので
御推測の通り、DGが勝手に遣った可能性が大 ファーバーマン/LSO盤(米VOX)聞いてるがなかなかいいな。
もっとも知名度の低いマーラー全集だろうけど。 >>182
ハンマー3発入りね。
しかもピストルみたいな音がするやつ >>183
おいおい、>>182は完全なかまってちゃんなんだから
まともに相手するなよ セルは聴いたことないが、同じクリーヴランドを振ったドホナーニは非常にいい。
極めてクリアーな演奏で「悲劇的」というイメージではない。 1、テンシュテットの91年ライブ
2、バーンスタイン/VPO
3、ハイティンク/BPO
この三つがあればとりあえず満足。ハンマーは三回あった方がいいなあ…。 >>191
ハンマー3発がよいのなら、ショルティ/CSOやセーゲルスタム/デンマーク国立放送響あたり
を聴いてみては?後者のCDは入手困難かもしれないけど、Youtubeにアップされている。 最初に聴いたのがクーベリック/バイエルンだった。
終楽章27分弱とかなり早いが、とても情熱的で爽快感があっていい。
やたらと遅くされるのはちょっと疲れるかな・・せめて30分以内にしてほしいと個人的には思う。 >>194
別のスレで使った名前が使われちゃったんだな。失礼した。193 ブーレーズ/VPO盤、金管も打楽器も気合入りまくりだな!
しかも全体が暗い。サイコー!! 昔、リゲインのCMで使われたソースだったな。
あの録音はトロンボーンが生々しい。 色んなバージョン聴いたけどショルティ/CSOしか聴かなくなった。
なんか疲れるのはもういいや。 パッパーノ指揮ローマ聖チェチェーリア音楽院管弦楽団のCD買ってみたけど、いい演奏だな。
小細工なく正面から取り組んだ力演で、重量感もスケール感も申し分ない。
ライブ録音の編集のようでオケには時に粗さも見られるが、全体に技術レベルも高いと思う。 13日、兵庫芸文センターにて、アルミンク指揮同センターオケで聴く。
関西のプロオケによる演奏は、2007年1月、佐渡=同センターオケ以来、なんと6年9ヶ月ぶり。
テンポはやや遅めだが、緩急の差は小さい。粘らず・煽らず。
第1楽章、提示部リピートなし。第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテの順。
第4楽章、ハンマー2回、1回目しょぼい、2回目も迫力なし。
アルミンクは控えめな指揮者なのか?
前回の佐渡は、派手に3発も鳴らした。(それも3発目は、773小節目という快挙!) アルミ君のマーラーなど聴くほうが悪い。
伝説のマラ7の駄演を知らなかったとは言ってほしくない。 >>196
一枚のCDに収まって、第一楽章提示部の繰返しもしているわりには、速い印象がないんだよな。
スケルツォ→アンダンテの順番なのも個人的には○ アンダンテを先にやるのはどうも馴染めない。
こちらの先入観がしっかりできてしまっていて、どんな根拠があろうと感覚が受け付けない。
前衛作曲家でもあるブーレーズがそういう順番でやってくれているのは心強いな。 >>203
同意
「悲劇的」は大曲だ。一回のコンサートで他の曲を演奏しないような大交響曲は
ベートーヴェンの第九のような順番でなくてはいけない。
ブル8然り・・・・・
古典派交響曲の順番では消化不良。 自分の若い頃(20〜30年前)、この曲をコンサートでまともにやれる日本のオーケストラはなかったと思う。
外来含め、実演に期待できず、アバドの演奏をエアチェック(死語)して何度も聴いたものだ。
今は、日本のオーケストラのライブで、良い演奏が聴ける。その点はいい時代だ。
と、都響を聴いて思いました。 シノーポリ/フィルハーモニア、ベルティーニ/ケルン放響が23年前に全曲やってるし
29年前に来たバーンスタイン/イスラエルフィルもチケ売りだしたときはマーラー6番のはずだった。
(私もそのつもりで買ったのでよく覚えてる。結局9番に変更になったのはご承知の通り。)
国内オケはまだしも外来オケに期待できないということはなかったはず。 国内だとインバル/日フィルと、ベルティーニ/都響が印章深い 渡辺暁雄/都響もあったぜい
あと、みんな忘れちゃったのかな カラヤン/ベルリン・フィルin普門館 >>209
あれ、もうひとつのプロも凄いよな。
ベトSQ14番とフランチェスカダリミニでしょ? >>213
そっちもシンフォニックダンスとブラ1に変更になったけどね。 ティルソン・トーマスとロンドン響がサントリーホールでやったことがある。
何年だったか忘れたけど1990年代後半くらいかと。
かなり早めのテンポでシャープで颯爽としていて、見事な演奏だったがやや違和感があったのを覚えている。
最後の一撃は、指揮者はまったく棒を振らず目だけでオケに合図していた。 >>208
'74 or 75のギーレン/N響もなかなかだった
'75にはウィーン芸術週間でやってたマゼール/ベルリンRSO.をAirCheck
ジュリーニ/VSOもCheckしてたぜ → 裏青になってる >>210
インバルは82年、ベルティーニは81年
>>212
渡辺暁雄は77年、カラヤンは79年
>>216
ブーレーズ・フェストの一環
>>217
ギーレンは75年(プロオケの日本初演)
ジュリーニはマラ9でしょ
1989年11月19日インバル/HRが国内で聴いたものではベストだと想う
次の週に、バルシャイ/読響もあった ずっとROMってたけど勉強になるわ。まじで。
ええスレや。
79年方南町のは聴いた。三楽章でハプニングがあったが素晴らしい出来だった。
プロによる初演が75年とは驚き。プリングスハイム以降誰もやらなかったんだ!
当時のラジオ放送ではカラヤンのザルツブルクとコンドラシン南西ドイツが印象に残る。 ほんと日本ではマーラーは敬遠されていたんだな。
技術的にってのもあるが、とにかく保守的で、冒険的なプロを組むってのができなかったんだな。 >>210
インバルのときは前座がモーツァルトのフルート協奏曲ト長調。
(ソロ=グルフェナウアー)。当初はイベールの協奏曲だったのに何らかの原因で差し替えられた >>219
カラヤンの演奏って、柴田南雄が本でヘルデングロッケンがテープ音源で
天井のスピーカーから流れて来たって書いていたよな
>>220
6.7番の頻度は、相当低かった
9番がプログラムに載る事体、事件でした
だから、79年の外来オケによる6番のプロは奇蹟
85年のIPOを幻にしてしまったのは、某日本人ファンの罪
>>221
6月3日で雨ザーザーでした >>219
連投でスマソ
プリングスハイム以降やっていなかった
因にN響は、75年ギーレン以降は86年の若杉までなかった 群響と神奈川フィルも聴き比べするつもりだったけどもういいや…
やはりインバルは神だった アンダンテは第二楽章がマーラーの意思なんだとよ
あまり第三楽章に拘ってる奴もどうかと思うわ
曲が変わるわけじゃないし、どっちだっていいだろ
でもどうせならマーラーが作ったように聴きたいし演奏して欲しいわ 名古屋フィルって、結構6番演奏しているんだよね。
生意気な インバルよりベルティーニの解釈が良かった。ハンマー打ち込みで死に絶えていく感が明瞭で全体の見通しもよくて
インバルは最終楽章が終わってもまだ生命力が残ってる感じ
都響のハンマー小ぶりだからもっとドカンとなるものに替えて欲しい 都響でハンマーと言えば、86年の道義だな
83年の東響で使った、道義特製のハンマー(丸太に柄を突っ込んだ)を使っていたな シェルヘンやショルティの超高速マーラーばかり聴いてたから
先日のインバル(横浜)は新鮮だった。
だがあのフライングブラボーは許さんぞ〜!! フライングブラボーはちゃんと開演前にアナウウンスで注意したほうがいいかも。
まあそんなことしなければ抑制できないとなると、これもまたレベルの低い話ではあるが・・ >>232
開演前にアナウンスと係員の案内があって
「本日は録音を行いますので拍手や歓声は指揮者が降り終わってから...」と繰り返してたんだけど、
ラスト数分前に「ザッ、ザッ、ザッ」って第一楽章のイントロみたいな足音たてて帰る客がいるわ
フライングブラボーがあるわで、えっえっ???と驚いてる間にコンサートが終了。
特に、ブラブラに関しては指揮棒どころか余韻が鳴り止む前だったから何事かと思った。 >>234
せっかくの演奏会も、そういう輩がいると台無しだな。
似たような経験があるから分かるよ。 >>233
おまえが勝手に暗い曲だと勘違いしてるだけでしょうに
マーラーが幸せだった時期に書いたアルマへの愛を込めた曲ですよ? みかけほど暗い曲ではないというのは同感だな。全体に男性的で力強い音楽だと思う。
最後の音が消えても暗く絶望的な気分にはなったことはなく、逆にいつも勇気をもらっているよ。 フルトヴェングラーで聴いてみたかったなあ
さぞデモーニッシュなセカイになっただろう トスカニーニが振ったらさぞ快速テンポの引き締まった演奏になりそうだな。
アルマの主題やアンダンテの歌わせ方は聴かせどころになるだろう。 犬で注文していたズヴェーデン/ダラス響のCDが届いた
演奏は上手いと思いますが何だか全体的に音が薄いかな
ただ4楽章のハンマーはズシンときます シャイーの新録は名演ですよ
アンダンテが第三楽章の演奏は聴く価値無いんじゃないかと思う程
説得力があるわ シャイー?
音が汚い、リズム感が悪い
ヘボーをヘボにした、罪人の事ですか? どうしたらここまでつまらない人間になれるのだろうな・・ シャイー/ゲヴァントハウスのやつはCDも出てるのか?
Blu-rayが出たら買うつもり
俺は結構シャイー好きだよ Blu-rayもうでたのか
発売予定が11/20になってたけど早まったのかな
CDもそのうち纏めて出て欲しい シャイーとゲヴァントハウスはなかなか相性よさそうな感じがする。
CD出たらぜひ購入したいな。 マラ8のblu-rayは最初紙ジャケだったけどマラ6は通常の青いプラケースだった
スケルツォの冒頭の突き進むようなスピード感がかなりいい感じだった >>259
本当に凄い演奏を聴いていない人に言われたくないな 凄い演奏を聴いたからといって別にその人間が凄いわけでも凄くなるわけでもないのに
この人は何を勘違いしているんだろう? ハンマーだと思ったら、杵と臼だった。っていう話ですね。 どうせシャイーを馬鹿にしてトスカニーニとかクライバーとか言い出す嘲笑レベルの痛い人だろ
プロの演奏家は当たり前だがそんなアホな話はしないんだがな
ハイティンクやアバドやラトルクラスのVIPが
シャイーのマーラー演奏に対する否定意見を述べるならともかく
その辺の素人楽団の音楽監督すらさせてもらえないようなレベルの人が何を偉そうにって話だわ クラオタ暦長くて6番大好きなオサーンですが、9番だけ意味が分からないんです。
誰かアドバイスください。 >>266
馴染めないのであれば無理しなくていいと思うが、せめて終楽章だけでも再トライしてみては?
ブルックナーと並ぶ交響曲緩徐楽章の名作のひとつだし。中間部で聴かれる木管群のメロディーは、日本の民謡にも
通じる雰囲気があり、すごく懐かしい気分になる。そのあと一転してクライマックスに昇りつめてゆくあたりが最大の
聴きどころかな・・・と思う。
適当に推薦盤。ジュリーニ&シカゴ,ノイマン&ゲヴァントハウス,ワルター&コロンビア。かなり異論ありそうだな・・ ありがとう。
わかった、終楽章を3回くらい聴いてみようと思う。
推奨盤持ってないので、取りあえず好きなクーベリックの東京ライヴ。 聴きやすいのは第二楽章じゃね?
名曲なのは第一楽章じゃね? >>269
クーベリックの東京ライヴ
それがあれば十分だよ
>>270
ロンド・ブルレスケだな むかしは1,2,5が好きだったけど最近は9を聴くことが多いな >>272
いまさっきクーベリック東京ライブ4楽章だけ聴いた。
なるほど、ふかーく盛り上がっていく感じなんだな。
ちょっとだけ親しんだかな。 東京ライブのクーベリックの9番は当初日比谷公会堂で演奏されるはずだった。
だが会場の狭さと音響の悪さに、ここでは充分なマーラーが演奏できないと判断した指揮者のたっての要望で、
東京文化会館の曲目(ベト7他)とそっくり交換して演奏されることになった。当時の夕刊に大きく載っていた。
それもあってか非常に心のこもった白熱した演奏になっていると思う。 うんうん、それ知ってる。
でもその白熱ってのが6番みたいな曲だったら分かりやすいと思うんだけど、
9番は難しいよね。少なくとも俺には。
さっき聴いて気付いたんだが、録音がやや薄味になってるかも。
ミュンヘンでのライブ録音に比べて。 クーベリックの演奏はは白熱しても粘らず大げさにもならない、もっとひたむきな情熱といった感じかな。
9番のような曲では今ひとつメリハリが不足しているように感じられるのかも。
バーンスタイン&ベルリン・フィルなんか聴いてると、同じ曲とは思えないくらい雄弁でダイナミック。
正直やりすぎの感がなくもないが凄い演奏なのは間違いない。スレチ続きで済まない。
>>271
ありがと。 マーラーでクーベリックが好きな人は少ないかもなぁ。 >>268
パブリックドメインの音源集めたサイトで、ワルターの9番聴いてみた。
こりゃ良いわ。4楽章はブラームスの室内楽のつもりで聴けばいいんだな。
クーベリックの日本ライブは、録音がサランラップかけたみたいで
それがオレと相性よくなかった事に気づいた。 3番の第1楽章を初めて聴いたときはクラシック音楽に聴こえなかったな。 バルビローリのマラ6のSACDシングルプレーヤーディスク買った。
何故か2楽章にスケルツオ、3楽章にアンダンテ。
順番としはこちらの方が好きだけど、これはアカンだろう。
バルビローリ盤がこの順番で出たディスクはこれが初めて。
日本のレコード会社には本当に怒れる! >>288
情弱、初めてじゃない
大元のEMIが、スケルツオ→アンダンテの物を出して、その後ひっくり返したのも出した
実演は、HUNT.TESTAMENTで出ていた通りアンダンテ→スケルツオの順番だった “シングルプレーヤーディスク”や日本語の怪しさにも突っ込むべきだろうか 実演が折角アンダンテ→スケルツオだったのにひっくり返してるのか
それはダメだなw
逆ならともかく >>291
レコーディングは、どの順番で録ったかは解らんが、
LPになった時には、スケルツォ→アンダンテの形で出ていた
CD化の段階で色々あったと思われる、EMIのCDは2種類ある ああ、ライブ録音じゃないのか
最近の録音のそれについて指揮者が演奏順序は
テンポ設定に影響するなんて語ってるから
両方存在するのはそもそも変だな
バルビローリの意思とか残ってないの? >>293
録音は同じ、CDで出たものが2種類(スタジオ収録)
それで、ライブ録音が >>289 が言っているもので
HUNTとTESTAMENTレーベルで出ていた
66年のBPOと69年のNPO それがアンダンテ→スケルツォで演奏されていた
少なくとも実演はそう言う事だよ
EMIの録音について(楽章の反転)バルビローリが、了承していたかは解らん なるほど
ありがとう
一昔前もアンダンテ→スケルツォがあったのですね マラスレで柴田南雄の本の事が話題になっていたので
久々に開いてみたら、6番に関して面白い記述があったよ
プリングスハイムが東京音楽学校のオケで日本初演した時には
アンダンテ→スケルツォの順番で演奏された...
と言う事は、何時頃からスケルツォ→アンダンテで普及したのか? マーラーもアンダンテ→スケルツォで作曲してるからな
誰だよ?マーラーが最後まで順序を迷ったとかデマを広めたのは
そもそもマーラーみたいな天才作曲家が順序を迷って作曲するわけないだろ
いい加減にアンダンテが第三楽章の方がしっくりくるとか言ってるじじいも目を覚ませ
単に自分自身が最初に聴きこんだものに愛着が出てるだけだろ
超名曲のベト5だって第二楽章がアンダンテだろうに何を否定したいんだか だから、後からそういわれても最初に馴染んだ先入観からは抜け出せないんだよ。
平凡な人間ってのはそういうもんなの。悪かったな。 アンダンテ-スケルツォで岩感があるってのは、1楽章の後すぐにアンダンテを聴きはじめるからだ。
1楽章が終わったらトイレにでも行って一息入れると、アンダンテ-スケルツォ-フィナーレの流れが実に纏まりが良いことが分かるよ。 >>297
作曲の順番は関係ない
>誰だよ?マーラーが最後まで順序を迷ったとかデマを広めたのは
>そもそもマーラーみたいな天才作曲家が順序を迷って作曲するわけないだろ
研究者でさえ見解が別れているし、デマと断定してしまうのは危険
只、アンダンテ→スケルツォが最終稿と言う結論を出しているのは楽譜を出している出版社だから
その思惑も十分有り得る、現に6番以外もクリティカル・エディションが出回っていて
5番.3楽章のHrソロを指揮者隣で吹かせるとか、1番.3楽章のCbソロをユニゾンで弾かせるとか?
真実がどうなのか? 疑問視する声が上がっているから、6番に関しても鵜呑みしない方が良い >>295
バルビローリのCD番号が、出て来たから書いておく
7243 5 69252 29(スケルツォ→アンダンテ)
7243 5 69349 2 4(アンダンテ→スケルツォ)
共にEMIな バルビローリのはスケルツォ→アンダンテの方が古いんでしょ? >>303
そう、先に出回ったのはスケルツォ→アンダンテの方 となると作曲者の意図はどうあれ、バルビのマラ6はスケルツォ→アンダンテで出すべきだよな。
PC取り込んで逆にしちゃえばいいんだが。 作曲者の意図とか、そう言う問題じゃなくて...
バルビローリは実際、アンダンテ→スケルツォで演奏していたにも関わらず
LPやCDで最初に出回ったものが、スケルツォ→アンダンテに差し替えられていた
レコード会社の勝手にやった事で、だから後になってアンダンテ→スケルツォのものが出て来た訳 結局作曲者の意図より指揮者の判断で決めることだし、我々も自分の好みで聴くしかない。
まあ、多少違和感あってもどっちの順番でなければ絶対ダメというほどじゃないし。
ブルックナーの7番をスケルツォ先行した演奏がどっかであったような・・ >>308
コリン・デイヴィス/BRのORFEO盤 この曲の録音で、ラッツの協会版が出版される1963年以前のものって
アドラー、ミトプー、シェルヘン、フリプセ、ロスバウトだけ?
この中でS−Aの順番で演奏していたことが確かなものってある? >>310
連投ですまん、此処を見る限り
http://gustavmahler.net.free.fr/symph6.html
ベイヌム、ドラティも1963年までのものになる
S-Aは、シェルヘン.フリプセ、ロスバウト、ドラティ
アドラーは手元にないので解らん
ミトプー/WDRは手元にあるが直ぐには出て来ないので、出て来たら報告する 更に連投ですまんな
ミトプーは1955年のNYPOはA-Sなのに、1959年のWDRはS-Aだった >>311
どうもありがとう。ということは、協会がお墨付きを与えたからS−Aが
増えたというわけではなく、それ以前から両方あって、S−Aの方が
多かったということかな。ワルターとかクレンペラーの録音か、
せめてどちらを先に演奏してたかという記録でもあればよかったのにね。 そうだ、柴田南雄の本の中にウェーベルンが演奏したと言う話があったな
ウェーベルンがどちらで振ったのか、そちらの方が興味ないかい? すごく興味ある。
ちなみにウェーベルンを尊敬するブーレーズはS−Aで演奏しているんだよね。 当時のウェーベルンは現在の指揮者のように、自分の好みとか
芸術的信念とか学術的な考えに従って楽章順を選ぶ立場では
なかったはずだから、当時の習慣に従ってやってたはずだよね。
そして、その「当時の習慣」というのは、作曲者自身の意図に近い可能性が高い。
そういう意味では興味があるけど、それは別に当時の他の指揮者でも変らない気がする。 作曲者自身の意図なのかな
出版社がS-Aに勝手に変更してるんでしょ?
マーラーの曲に対してはやたらネガティヴな評価をメディアで
されてたみたいだし、作曲者の意思なんて軽んじられてそう >>315
そのブーレーズのDG盤、別なセット物で出された物が
何とA-Sに差し替えられていた...
マラ全で出たものがどうなっているか?
購入した人レポ宜しく
>>317
>出版社がS-Aに勝手に変更してるんでしょ?
その頃の出版社が勝手にやった話とは思えないな
マーラーは、出版後も実演を踏まえた上で楽譜を手直しをしているから
寧ろ、今になって>>301 がレスした内容の事が何故出て来ているんだ?
6番だけに限らず、出版社が今遣っている事の方が作曲者自身の意図とは
関係ないと思うよ おまえはシャイーのBDは買ってるのか?
ちょっと情報が古くないか? なぜ6番だけが楽章順が問題になるのか?
よく考えたら古典的4楽章制で書かれているのはこれ1曲だけだった。
1番4番は第3・4楽章が切れ目ないし、9番は緩叙楽章がフィナーレだし。 カラヤンはS-Aで演奏した。
カラヤンかクラシック音楽界の帝王。
よってS-Aが正しい。 >>319
シャイーは評価していないから、持ってはいない
そのディスクのライナーノートに何か新情報でも載っているのか? バーンスタインはS−Aで演奏した。
バーンスタインはマーラー演奏の最高権威。
よってS−Aが正しい。 ブーレーズのサントリー公演では
スケルツォ→アンダンテの順だったな。 ラトルのバーミンガム盤はアンダンテ→スケルツォ
新校訂版が出る前で当時、この組み合わせは少なかったよ >>326
アンダンテ→スケルツォは、レークナー/ベルリン放送が先に出ていた
新校訂版はハンマー・ストロークは幾つだった? 楽譜命の高関さんは「アンダンテ→スケルツォ」で演奏するべき、と述べ
パッパーノは「スケルツォ→アンダンテ」の方が自然だ、と述べている。
昨年聞いた佐渡&日本フィルは師匠バーンスタインに倣ってか
「スケルツォ→アンダンテ」だった。 >>328
おれもそれ行った(みなとみらい)。
佐渡さん特製ハンマーを聞きたくて。
3回叩いたね。
あそこも2回の人もいれば3回の人もいて
指揮者によって違う。 高関先生がそう言ったのか!
俺、合唱で先生に振ってもらってからファンだから、
何か考え方変えたほうがいいかな・・ >>330
未だに実際に書かれていていないもので、演奏している人っているんだね >>331
考え方を変えるよりも先に資料を読んだら? 沼尻先生は「スケルツォ→アンダンテ」が調性的に正しいとおっしゃっている。
(名古屋フィルの定期に出た時の解説文より)
よって私は沼尻先生を支持する。 >調性的に正しいと
マーラーが聞いたら呆れるだろうな シャイー/ゲヴァントハウスのBlu-rayはどこに売ってるんでしょうか?
犬でも棟でも発売日が延び延びになってるし タワレコやHMVが延期ならどこにも売ってないのでは? >>340
ありがとうございます
尼にありました
ポイントもってないからチェックしてなかったです なんだかんだでテンシュテットのEMIセッションに回帰する。
あれはスゴイ >>343
激しく同意
テンシュテットのニューヨークフィルライヴ発売希望。
音源はどこかに必ずある。 >>344
それは、MEMORIESで出ていた物だろう
裏青でもあったよ クラシック初心者だけどバーンスタイン、テンシュテットと聴いてみて
いつも第二楽章の最初で違和感を感じてた
バルビローリのアンダンテ、スケルツォの順番のを聴いてみて
違和感なく全編聴き通せた そんな程度のことで違和感を感じて聴き通せないんなら
もうこの先クラシックはあんまり楽しめなさそうだね えーっと、マーラー本人は結局、どの順番で演奏しろと指定していたんだっけ? >>350
おそらく自分の中でも最終的な結論を出せずに逝ってしまったのではないかな?
ちなみに個人的には二楽章がスケルツォのほうが断然違和感がない
>>349
ここは句読点のないカキコミが多いからどちらとも取れる文章になってるからねw 僕はスケルツオ→アンダンテのほうが良いと思っています。古典的な短い曲の場合は確かに
緩徐楽章→スケルツオの方がまとまりは良いのですが、大曲、しかもシリアスな曲の場合には、
スケルツオ→緩徐楽章のほうが迫真性が増すような気がします。
例えばベートーベンの「第九」、ブルックナーの「第8」、ショスタコーヴィチの「第5」などです。
マーラーの第6番の場合も、静かなアンダンテから終楽章へ移らないと、どうもしっくりと来ません。 しっくりくるとか違和感があるとかはもういいだろ
全員一回は表明しなきゃいけない決まりかそれだけでスレ埋まるぞ 作曲者が決められないまま逝き、学者も結論出せないのなら
ブルックナーの版違いみたいに、演奏者と聞く側が「こっちが好きです!」というだけの話 >>354
いyた、学者は一応結論出してるだろ。
マーラーが生前S-Aで演奏した形跡はないからA-Sが正解だって。
もちろんそれを好むか好まないかは個人の自由だけど。 学者はあくまで学者、自称評論家とさして変わらん
本人じゃないからね、ま結局好き勝手言ってるだけの事だから 本人の明確な証言や記録でないと、とどのつまりは何の根拠にもならんのよね
外野がこれが正解と言い切ることは無理難題なのよ 「個々で解釈すれば良い」と思うのは全く同意なんだが
(さんざん既出だけど)過去の音源を「これが正解」的に順番入れ替えるのはホント止めて欲しい
それが成り立つならブルックナーの稿違い版だって「間違い」だから売っちゃいけない事になる 順番入れ替えで気に入らないCDは終楽章のハンマーで叩き割ってもらう。 叩き割るなんてもったいないからブックオフに引き取ってもらって。 >>297
>超名曲のベト5だって第二楽章がアンダンテだろうに何を否定したいんだか
あれは第三楽章がアタッカで終楽章に流れ込むし… 1996年5月、ウィーン楽友協会で聴いたアバドとベルリン・フィルの6番が忘れられない。 楽章の順番が気にくわないのなら、iTunesとかで自分で入れ替えれば良いじゃんw >>355
>マーラーが生前S-Aで演奏した形跡はないからA-Sが正解だって。
どう言う、文献を読んでそう言う話になった?
マーラーが、生前S-Aで演奏した記録はあるよ
どちらが正解とかと言う話じゃない、マーラー自身が結論を出してはいないから >>366
協会の出した見解のページ(今は消えてる)にそう書いてあったんだよ。
キャプランの書いた記事
http://www.nytimes.com/2003/12/14/arts/music/14KAPL.html
英語で読むのが面倒なら神崎さんがまとめてくれてる。
http://www.kanzaki.com/music/cahier/mahler6satz-order
要は、ウィーン初演でマーラーがS−Aに戻したというのは、
アルマの証言だけが唯一の根拠で、他の証拠が何もないから疑わしい
というのが協会のクビクの考えみたいだね。
あなたの言う「生前S-Aで演奏した記録」ていうのはどれのこと?
このウィーン初演?それとも何か別の記録? うるさいやつだなあ
どっちにしろ本人の証言じゃないんでしょーが
不毛で意味のない、おそらく永遠に正解の出ない話題 >>368
>うるさいやつだなあ
これは
>あなたの言う「生前S-Aで演奏した記録」ていうのはどれのこと?
>このウィーン初演?それとも何か別の記録?
これに対するあなたなりの答えということでOK? >>370
そうか、それは失礼。
俺は別に自分の意見を言ったんじゃなくて、
マーラー協会の見解はこうだということを報告したまでだよ。
永遠に正解が出ないということはほぼ同意。
ほぼ、というのは、まあマーラーの手紙でも出てこないとは限らないからね。
不毛で意味がないというのは反対。
楽章の順序は作品のあり方にもかかわってくるんだから
マーラーがどう考えてたかということは、
この曲に関心のある人なら知りたいと思うんだけど違うかな? 結論なんか出ないまま、こうしてみんなで互いの思うところをぶちまけるのがいいのだ。
でも、万一動かしようのない答えがみつかったとしても、それに反対していた人たちが
愚かだということには全然ならないよ。音楽は勝ち負けを競うものじゃないからね。 入れ替えるの入替えないの、っていう話でになる時点で
しかもどちらの形も相応の支持者がいる時点で(SA>ASみたいだけど)
順序は曲の価値や作品のあり方には実のところは影響ないんだよ、要するに枝葉末節ってこと
まあ創作者本人は自己陶酔型芸術家で深い思い入れがあるからいろいろ推敲もするだろうが
それがいったん広く世に問われた芸術作品のありようってものよ どっちでもいいということと枝葉末節かどうかは別の話でしょ。
楽曲の構成に大いに影響のある話だし、結論など出す必要はないが、そこに至るまでの過程には大いに興味がある。
だから結論が出なくてもあれこれ主張を展開するのは無駄な議論とは思わないな。(まあループになったりで、程度問題ではあるが) 作曲者にとって重要なことだったからこそ迷ったってことじゃないか? 実は、偏執教的な精神を病んだ作曲者以外にはわりとどうでもいいってことなのよ なんでこんな>>368カスみたいなレスしてる奴が
>>370で「おまえ落ち着けよ」とか言ってるんだろ・・w
>>366
>マーラーが、生前S-Aで演奏した記録はあるよ
>どちらが正解とかと言う話じゃない、マーラー自身が結論を出してはいないから
SAで演奏した記録云々より「マーラーが結論を出していない」ことの根拠が欲しいわ
10番の途中まで作曲したマーラーが6番の演奏順を決めてなかったなんて考えられないんだが… >>379
逆に結論を出したと言う根拠は...と言う話になるから止めとけ
>マーラーが6番の演奏順を決めてなかったなんて考えられないんだが…
それは、第三者がそう思うレベルの話だろ?
出版後も手を入れている作品も他にあるから、こうだと言う事は言えまい 別に「結論を出した!」なんて言ってない
「マーラー自身が結論を出してはいないから」なんて断言するなら根拠を知りたいだけ
本人がレスする前に横から遮るな
何で「逆に結論を出したと言う根拠は...と言う話になる」と思うんだよw
馬鹿は質問に答えずに質問に質問で返すのが常套手段だからか?
あ、おまえが本人かw 演奏しては手を入れて、をあたりまえのようにやっていたマーラーだからこそ、
楽章順を決めかねていてもさもありなん、と思われているわけでな。 マーラー自身が悩むぐらいなら結局はどっちでもいいんだよ、大勢に影響ない問題だ。
もし必然性があるというのなら、普通は(作曲者は)なんら悩まずに順序が決まるから。
だからこの議論は枝葉末節を暇な趣味人が空想で論じてるだけの不毛で無意味な問題だな。 マーラー自身が結論を出してはいないから ← で?これのソースはあんの?ないの? 結局好みだしね。ストコフスキは悲愴の3・4楽章を交換したりしてる 100%疑う余地のない答えのことを結論というなら、
そういう意味では結論は出ていないし、今後も結論は出ないだろうね。
協会の「A-Sが正しい」という見解だって、結論じゃなくて
「現在の資料から判断するとこれが有力」ということだし。
将来S-Aを支持する資料が出てくれば当然ひっくり返る。
もちろんそのことは、あたかもA-SとS-Aが同等の妥当性が
あることを意味するわけじゃないけどね。 いちいち「オレはS-Aしか認めん、どう聴いてもそれが自然」とかほざく奴がアホということが事実というだけだな もちろん「協会がA-Sが正しいと言ってるんだからA-Sしか認めん」とほざく奴も
もしいればアホだけど、そういう人はあまり見ないね。
優勢な側はわざわざ自分の意見を主張しないからかな? 「協会が正しい」...そんなに協会の見解を過信するのもね? ある指揮者から聞いたことなんだが、S−Aだと、一楽章から二楽章に以降する際に
リズムの処理が難しいらしい。同じようなテンポで二楽章に突入すると、同じような
曲想になってしまうため、A−Sの方がずっと演奏し易いと言っていた、
マーラーが決めた云々ではなく、演奏者の都合でA−Sになっている気がした。 マーラー本人がどうしたっていうんじゃなくて、論者や演奏者がその都度ちゃんと理屈で説明できればよいだけのこと。
だから好みの問題であると同時に、好みだけでは弱い。
俺は、アンダンテの終止和音を引きずって四楽章が開始しているように感じる。(Es: I→+IV) 協会が正しい正しくないじゃなくて、協会の挙げている根拠
(マーラーは生前S-Aで演奏したという記録はない)が本当かどうかだよね。 マーラーは生前S-Aで演奏したという記録はないという話が本当だとすると
以前の録音は圧倒的にS-Aが多かったと思うんだが、生前のマーラーと親交のあった世代でもS-Aが多いのはどういう理由なんだろ?
誰も本人から直に聞いていないのか。 ってか、そのまえにマーラーがA-Sで演奏したという記録は逆にあるということなの? 指揮者の都合論は初めて聞いたわw
協会は指揮者に優しい組織なんだな 考えてみると、S−Aが主流になったのも協会版、
それをA−Sに戻そうとしてるのも協会なんだな。 A-Sは全体の構成が不安定で不自然に感じる
S-Aならきわめて自然に聴き通せて安定感を感じる
最初のインスピレーションがやっぱり一番大事かな コーヒー飲みながらS−Aで聴いてる。ノイマン/チェコ・フィルなかなかいい。 A-Sの筆頭はシェルヘンだよね
聞いてるほうにとっても後半きつい そりゃあ、短調の重いスケルツォに続き、短調の壮絶なフィナーレと続く訳だから 作曲家の意志を間接的に知ろうとするなら、ラッツの協会版が出る
1967年以前の録音がどうなってるか調べればいいと思うんだけど
A−SとS−Aどっちが多いの? A−Sで一番衝撃を受けたのはミトロプーロス・NYフィルだな。
なんというか青白く燃え上がるような凄みのある演奏だ。オケも上手いし。 長年S-Aで刷り込まれたからA-Sには違和感を感じてしまう しつこいよ
そういう頭の固い奴のS-A違和感主張はウザいだけ >>418
そんな言い方しないでも
気分を害したらすまんかった
もう来ねえよ むしろ長年刷り込まれたからと素直に認めてることに好感を持ったけどな。 >>418
あんたのものの言い方もほぼ同じレベルなんだから相当ウザイと感じられてるかもよ 言っている中身じゃなく態度に対して味方する馬鹿って多いよね
日本人は特にそう >>422-423
あなたがたもまったくの同類だしね >>425,>>427
ウザイよ
気に入らなければスルーしてレスコメしなければいいだろが そもそもは>>418のコミュ障的なカキコミが悪いんだよな・。。。
>>425や>>428はそれに便乗してただ面白がって煽るだけの最低な輩だということを自覚すべし しつこいよ、面白くないから
マーラー自身は作曲時の最初のインスピレーションでスケルツォ−アンダンテと構想したのなら
それがこの曲の本来のあるべき姿だろう
単なる演奏効果としてS-AとA-Sのどっちが当時の聴衆に受けるかで悩んでただけというのが真相ではないか
作曲者本人じゃない協会や外の人間がいかにもこれが正解みたいにあれこれ勝手に語るのはどうなのかな
いわゆるこういう類の論争はブルックナーの様々な版の存在の問題とある部分で似たような印象を受ける 補足
単なる趣味人が個人の嗜好や思いの範囲で好き好きに語るのはあくまでも自由だ
ただし他人の思いを偉そうにけなしたり汚い言葉で罵るのは趣味の世界としてはルール違反だよ >>435
>マーラー自身は作曲時の最初のインスピレーションでスケルツォ−アンダンテと構想したのなら
それがこの曲の本来のあるべき姿だろう
>単なる演奏効果としてS-AとA-Sのどっちが当時の聴衆に受けるかで悩んでただけというのが真相ではないか
何だよその理屈w べつに理屈でもなんでもないよw
マーラー自身の悩みには大した意味がない、っていうことだよ
それを、さも重大事のようにA-Sだああだこうだと言ってるのがそもそもおかしいのでは、という問題提起 >>438
なるほど。どっちでもいいなら今主流になりつつあるA-Sでも
別にかまわないよね。
流れにさおさす必要性も、反論する必要もないよね。 最低でも演奏家、出来れば指揮者でもないのに自分の思想を世に問うなんておこがましいよね
それ以外だと研究家とかなら論文を発表するって方法もある
作曲家は少しちがう気がする 研究家の発表が正しかったとして、そのとおりに演奏しなくてはいけないなんて義務もない。
スコアを無視してテンポやデューナミクを自己流に演奏する人はいっぱいいるよ。
研究者と違って、演奏家や我々聴者は自分の主観で判断して選択できる権利をもつ。
それが音楽の楽しいところいうか、都合よく曖昧なところでもあるんではないかな。 まあ、「最初のインスピレーション」が「あるべき姿」なら
1番はブダペスト稿で演奏すべきだし、大地の歌はピアノ版で演奏すべきだし、
3番の最後には天上の生活をくっつけて演奏すべきということかね?
要はS-Aを支持するための無理矢理な理屈にすぎない。
演奏家がどちらを演奏しようと自由、聴く側がどちらで聴こうと自由ということには
異論はないけど、こういう妙な理由でどちらかを支持するのはどうかと思う。 6番は古典的4楽章制というトラウマがマーラーにあったんではないか? 恐山のイタコにマーラーを呼び出してもらって尋ねてみたい 中の人が喋るんだから問題なくね?ホントに呼んでこれるならw 多分マーラーの霊を呼び出しても「分からん」と言うよ
S-A、A-Sで色んな演奏を聞いて貰って、それでやっと決められるぐらい それぐらい微妙な問題 いや微妙でも何でもない
どうせ今後はA-Sに収束するしS-Aは指揮者の恣意的な編曲ということ
その方が好きという人がいるのは別に構わないが >>452
まあ新しい証拠でもそういうことになるだろうね。
S-A派はせいぜい「結論の出ない問題」「個人の自由」と主張して、
時間稼ぎすることぐらいしかできない。
個人的には両方あっていいと思うんだが。 一番いいのはマーラー自身の言葉で
「SとAはどちらの順番で演奏しても構わない」っていう書見がみつかることだな。 マーラーの交響曲作品ではS-Aの順で構成されているのがほとんどだから
むしろA-Sであることは彼の作品としてはかなり異端というか不自然な構成なんだよ
自身がいつまでも悩んでたというのは本来の自分のスタイルと異なるからなんだろうな
ブルックナーの版問題も然りだけど、部外者の協会とやらが勝手に決めるのも相当不遜かなと思う 初めてこの曲きいたんだがいきなり軍歌とかあんま好きじゃないわ >>456
マーラーの交響曲でS−Aというと14579か。ほとんどとまで言えるかな。
2番3番の2楽章は3拍子だからスケルツォじゃなくて緩徐楽章でしょう。
巨人も花の章付きならA−Sだし。
後半は確かにS−Aが多いね。まあ大地の歌を交響曲扱いすれば、とか
8番の2部をアダージョ・スケルツォ・フィナーレと見なせば、とかいうことは
あるけど、さすがに無理矢理すぎるか。
「部外者の協会とやらが勝手に決めるのは不遜」という言い方は違和感あるなあ。
A−Sで振ってる指揮者たちは、別に協会の権威に無条件に従ってるわけじゃなくて、
協会の提示した根拠(マーラーがA−SをS−Aに戻したという形跡はない、
つまり別にいつまでも悩んでたわけじゃないということ)が説得力があると判断したから
A−Sで演奏してるんだと思う。実際、同じ協会版でも、1番の3楽章冒頭をコントラバス
全員でっていうのは、従ってる指揮者は少ないし。 今日金聖響の指揮神奈川フィルの聞いてきたけど、A→Sの順、ハンマー2回
この順番がしっくりくる演奏で全体の出来ももの凄くよくインバル以上に感動させられた
そこまで期待していなかったのでもうけた気分 おまえら、楽章順についてはその辺にしとけ
6番程度の曲で熱くなっても仕方ないだろ じゃ、協会版の終楽章のヴァイオリン三小節オクターブ上げについて >>463
あなたがそうだからといってスレ全体に広げないでほしい マゼールVPOの82年盤を初めて聞いたが明るくて屈託が無くて拍子抜けした
これはこれで決して悪くはないんだけれども… >>469
いらっしゃいませ、まいど。6番ですね。
マゼールより更に屈託のないショルティの『健康的』などいかがでしょうか。
朝の通勤で聴けば、嫌な上司との闘争にもますます力が入りますよ。
技術者のあなた様にはセルの理路整然とした『古典的』などもよろしいかと。
あ、それは店主の『絶望的』ですからまだ若いあなた様にはお薦めできませんね。
ミトプーの『破壊的』、シェルヘンの『崩壊的』などを聞いてはいけませぬ。
健康的でお若いあなた様にはラトルの『楽天的』などがお似合いかと存じますが。
あ、カラヤンの『美麗的』ですか、毎度ありがとうございました。 >>472
こういう許や鈴木みたいな文章読んで、石丸やタワレコにCD買いに行った頃が懐かしいな
90年代からずっと景気が下がる一方なのも良く分かる こういうアホをやる余裕も無くなった
マーラーの6番?そらもうミトロプーロス/NYPよ ミトロプーロス/NYフィルの6番ってオケの自主制作盤でしょ?
タワレコでも売ってなかったし(新宿)、もう入手は困難かなあ。 >>474
いらっしゃいませ。ミトプーNYは品切れですが、まあそう固執しないでもよろしいかと。
代替品ですがミトプーがWDRを振った『古便的』がございますよ。中古なら数百円でございます。
ええ有名なグレートコンダクターズオブ20世紀の二枚組でございます。
これがまた故バーンスタイン様以上にアゴーギク自由自在、まさにフルベン様が指揮されたマラ6のようでして。
え?遅いものですか?バルビやシャイーの『クレソ的』はいかがですか?
それも嫌だとおっしゃるお客様にはブー様やツェンダーの『教科書的』をお薦めいたします。
あ?アバドのシカゴですか。また渋い選択を。毎度ありがとうございました。 >>476
お褒めの言葉、まことにありがとうございます。
実は当方、『悲劇的』ソムリエ検定落第しておりまして、恥ずかしながら。
今年こそはと決意を固め朝に夕なに『刺激的』な演奏を追い求めております。
今後もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。 テンシュテットのライブが大好きです
シェルヘン(ターラ)は頭おかしくなりそうなんで一回聴いてお蔵入り >>474
なんだっけ、ヒストリカルを安い値段で出してたレーベル(なんて言ったけな?)、あそこから出てるじゃん。
オレそのCD持ってるよ、自主制作なんて高いもの買わなくても大丈夫だよ。
>>475
んじゃ、ドホナーニ&クリーヴランドは何的なのかな?
ファーバーマン&LSOは?
上二つ結構好きなんだけど、同調者がいなくてねえ。
そう言えば、コンドラシン&WDRSOのCDってFMで放送された超絶快速・迫力爆発の演奏とは違う日なんだってねえ、少々残念。 雑誌で、というかレコード芸術で絶賛されてるけど
インパル都響のはどう? >>479
コンドラシン/SWFね、日だけじゃなく収録場が違う >>479様いらっしゃいませ。あらご冗談を。お客様のような『通』の方には逆にご指導を頂きたく存じます。
さてドホナーニ盤は録音も素晴らしく実は初出の二枚組時代から当方も大好きな演奏でございます。
余談ではございますが余白のウェーベルンも大変素晴らしい演奏でございました。
セルの衣鉢を継ぐ指揮者らしく実に生真面目、まさに『模範的』と呼べる演奏かと存じます。
ワンポイントマイクで録音したかのような響きはまるでセヴァランスホール平土間中央で聴いてるかのごとく。
ああ懐かしゅうございます。
残念ながらファーバーマン盤は聴いたことが御座いませんので、言及のしようが御座いません。
逆にご指導お願いいたします。
コンドラシンFM放送盤は只今テープを聞き直しておりますので。後程。 FM放送と言えば、70年代半ば?だと思ったけど、アバド&LSOが良かったような記憶があるんだな。
この放送で、この曲の虜になったというか・・・エアチェックしとけばよかったなあ。 このスレ住人の皆様の見識の高さのみならず造詣の深さにはあらためて頭の下がる思いです。
さてコンドラシンの報告ですが演奏は南西ドイツ放送響、コブレンツのラインモーゼルホールライヴでした。
スケルツォ‐アンダンテ順でタイムは16:20‐11:45‐12分程度‐24:45とにかく全体的に速いのが特徴です。
1楽章提示部リピートありませんが4分程ですので繰返しても21分〜22分台かと。
参考ですが同時期のカラヤンのライヴが16:40(リピート無)です。こちらも速いですね。
驚くべきは終楽章の速さですがスコアを見ながら聴いていて全く違和感はありません。
むしろ即物的にスコアを忠実に再現しようという、かなり強い意思が感じられます。
嘘と思われるでしょうが南西ドイツ放送響の本当に巧いこと、巧いこと。ロスバウトは偉大でした。
CDが存在するなら『悲劇的』スコアを勉強される方には推薦したく存じます。
まさに『トスカニーニ的』!
失礼しました。 この曲ってラトルがVPOとBPOの混成オケで演奏したよね
結局、CDにすらならなかったし、企画自体も黒歴史というか続かなかったね 混成オケなんてたいして魅力ないよ。誰がそんな企画考えたんだか。
続かなかったのは幸いだね。 >>488
ピッチが合わず、お互いに譲ろうとしなかったから
ラトルが間に入って調整するのが大変だったって言ってたね
そういえば、アンサンブル・ウィーン・ベルリンって室内楽
ユニットあったけど今でも活動してるのかな >>487
「トスカニーニ的」と言われたのは、ベルティーニだよ
しかし、コンドラシンとベルティーニは似ているか? と問われたら...
1981.1.18のコブレンツ・ライブは青盤で出ていた 確かにベルティーニの音楽はベタベタ・ヨレヨレのカンタービレはないね。
インテンポのアポロン的カンタービレが中心。
だから音楽が強靭だ。筋金入りっちゅうかね。 >>487
要は、ザッハリッヒ(sachlich)!! まもなくマーラーの交響曲の82年から85年の秘蔵エアチェックテープがまもなくアップされてます
第1番はアバド/ロンドン交響楽団(1982の来日公演
第5番はマゼール/ウィーンフィル/1983年4月の来日公演実況live
第6番はシノーポリ/シュトットガルト放送交響楽団/85年
第7番はマゼール/ウィーンフィル(1984年)
第9番はカラヤン/ベルリン・フィル(82年録音を2種類)
若杉宏/ケルン放送交響楽団(1982年)
ブログ「寸草春暉」
http://blog.goo.ne.jp/tgcy2801
お見逃しなく。 >>367
校訂者ラインハルト・クビックは信用出来る人なのか?
ドナルド・ミッチェル.アンリ・デュ・ラ・グランジュと言った研究者達の見解は? >>496
ミッチェルは知らんけどドラグランジュは例の分厚い本のAppendixに
結構詳しく書いてあるらしい。俺はその巻持ってないけど。
クビックが信用できるかについては何とも言えないけど、
誰が言ってるから信用できるとか信用できないじゃなく、
その結論に至った経緯が妥当かどうかを判断するしかないと思う。
ちゃんと論拠は書いてあるわけだしね。 マーラー本人の作風からしてS-Aが最終的に正解なのは疑うべくもない真実だよね >>498
私も個人的には慣れ親しんだSA順が好きです。
しかし先日、神奈川フィルの演奏会(2010ペータース版)に足を運びAS順を聴いてみて興味が湧きました。
キャプランの小論(2003NYTIMES)によるとラッツの主張(SA順)は非常に怪しいらしい。
ラッツの協力者で後継者でもあるクビックもラッツに懐疑的に転向したらしい。
ペータースは2003年にAS順に変更したとのこと。
決定的な史料が発見されればおもしろいんですがね。まあ色々聴けて楽しいですわ。 作曲者本人以外の関係ないやつが研究と称して勝手にこうだと決めることに何の意味があんだよ
決めつけるほうもほうだが、それを盲信して受け売りで偉そうに語るやつもどうかしてるぜ、権威主義もここに極まれり
決めつけるんじゃなく、こういう考えもあるけどお好きに的な程度の話ならあんまり害はないけどな
クラファンには一見自己主張が強そうなイメージもあるが
実際には権威やブランドに頼りきりの、自分のないやつが多すぎる気がするな
まるでシーソーのように皆がいっせいに右に傾いたり左に傾いたり、ご苦労さんなこった本当に 右え習えで、殆どが新事実とやらに飛び付く
一歩も二歩も退いて、判断して欲しい
新校訂者は、他人とは違う事を遣りたがる
ブルックナーの例を見れば解るでしょう? >>501
おまえこそ勝手に何を言ってんだか
「こういう考えもあるけどお好きに的な程度の話ならあんまり害はない」
笑わせるなw
こんなカスみたいな主張をする奴は見たことないわ
おまえは何かを調べてもいつもそんな主張をしてるのかよwww なんで盲信するとか飛びつくとかそういう風にしか思えないの?
判断の根拠が出てるんだからそれの是非がどうかって話じゃん。 >>503
何必死になってんだよゴミみたいなド素人がwww
笑わせるなw
>>504
判断することそのものがどうかって話じゃん。 マーラーが最後まで迷っていたのなら、
勝手にこうだと決めつけるのは確かによくないし、不遜だよね。
ただ、クビックの主張してるのは、最初に変更一度しただけで、
そのあとは結局A-Sで決定してたということ。
マーラーが決めちゃってたものを、後の人が「いや、迷ってたに違いない」
と決めつけるのも同じように不遜だと思う。
要は、問題は「最後まで迷っていた」か「最初だけ迷ってた」か。
「最後まで迷っていた」根拠はアルマの回想。
「最初だけ迷ってた」根拠はクビクの書いてる通り。
これらをどう評価するかという話になる。 アルマの回想もクビックの主張も、両方信じないし評価もしない あのーちょっと伺いますが、SAかASかどちらに決めなければ演奏したり聴いたりしてはいけないんですか?
聴く方はともかく、演奏する方は当然なにがしかの「見識」で採用してると思いますが、それも素人がよって
たかって「真贋」を決めつけなければならないんですか? 新校訂版が出版された事と、演奏する事は切り離して考えた方が好いと思うよ
演奏家に「見識」があるかどうか等、第三者じゃあ解りません
一方の版に、偏ってしまう事が無い事を望んではいるが
どうも、そう言う流れじゃない様だ
それと、オーケストレーションの違う初稿で演奏されても良い筈なのだが
生誕.没後の記念イヤーに誰も遣らなかったな... >>509
508だけど、オレは「演奏家に「見識」があるかどうか等」とは言ってませんよ!変な言いがかりはつけないでね!
又「新校訂版が出版された事と、演奏する事は切り離して」云々についても何も言ってませんよ! >>508
決めずに聞いてもいいよ。
素人が真贋を決めつけなくてもいいよ。
これで満足?
SAかASかという問題に興味がある人はその話をすればいい。
興味がない人はしなくていい。それだけ。 >>501
>決めつけるんじゃなく、こういう考えもあるけどお好きに的な程度の話ならあんまり害はないけどな
ワロタ
害しか無いわ 自分の側が形勢不利だと見ると、議論すること自体意味がないみたいな方向に
持って行く人っているよね。領土問題でもそうだけど。
そういう人にとっては、議論を蒸し返した>>496が恨めしいだろうね。
まあ、そういう人がもしいればの話だけどw なんか面白い新譜でないかねえ。
ハンマー5発叩くとか。 真実はいつもひとつ=名探偵コナン
ではなくて、この曲の場合は真実は2つ。 楽章順は4−A−1−Sで。
最後まで迷ってたんならこうなってた可能性だってあるわけじゃん。 フィナーレ練習番号[113]直前4拍めのティンパニー
なぜ「D音」なのか解からない
どう考えても「E音」が妥当でしょ
ちゃんと「E音」に直してる指揮者もいる >>521
起承転結の起と結は、動かし様がないんだな >>521
あのフィナーレから次の楽章が来たらがっかりしそうだよ 野球の投手起用の逆方程式みたいなもんだな。
最初にクローザーが投げて次がセットアッパー、最後に先発がロングリリーフして
締めくくるという。実際にそんなゲームやらかした監督がいるのかどうかはしらんが。 >>526
昔仰木監督が中継ぎの佐藤秀を先発させたことがあったな。 >>527
仰木監督はトリッキーな采配をする人だからな
オールスターでイチローを投手にしてみたり
その時のバッターだった松井は野村監督に交代されて、高津が打席にたったんだっけ? >>526-528
野球に例えている段階で、終わっているよ ハイティンク、フランス国立オケのライブ2001がすごく良かった。
すべてのフレーズが生きている。音もすごくきれいだ。
弦がフランス的で細めなのはあるが、それも生かされているようだ。
マーラーはバッハ・ベートーベン・ブラームスとは並べられないと思っていたが、
そんなことはない、ブラームスの先にマーラーが必然的にあったんだと思うようになった。 ブラームスはマーラーに引き継ごうとは思っていなかっただろうが
マーラーは先達を十分に研究し得た うん、そういうことなんだろう。
でもそういうドイツ音楽の伝統からはみ出したような印象を与える演奏が多かった。
その点ハイティンクの6番は伝統を感じるし、退屈なマーラーでもない。
それどころか、何度聴き返してもワクワクするような音楽だ。 ハイティンクはプロムスのCSOとの演奏も忘れがたい
ハンマーの女性奏者カッコイイ それの方が先に聴いた。
でも断然National France Orch.との方が良いと思ったが・・
この2つは音楽の構成のコンセプトは似ていても具が違う。音色そのものに意味がある。 >>522
ラッパ以外は全員ミ(E)!
ラッパがE音上の属七を形成。
ティンパニは第7音の強調では?
ンなことねえか・・・・ >>522
大発見か?聴いていて気がついたなら凄い耳だ。スコア見て確かに普通ならEだな、と思う!
面白そうなので、自分なりに暫く考えてた。そもそも終楽章の太鼓にE指定が無いんじゃね?
最初はそう考えたがEはバンバン使ってる。
そこで>>535氏の意見が大変面白かったわけで。なるほどと思った。確かにEGisHDE。
でも次のAで解決するんだから1stラッパのGisが正解としたいんだが。ま太鼓には任せないわな。でDか。
>>522>>535お二人には感謝します。楽しめた〜
報告までに、ブーレーズ版がDを思いきり叩いてる。ショルティもD。
セルが微妙でEっぽい。手元にあったものだけで失礼。間違いかもしれないので各自ご確認を御願いします。 連投スマソ
追記
テンシュテットの91ライヴはEを使ってるようですね。
まじ今まで知らなかったわ。注意して聴くと違うんだね。
絶対音感持ってるひと裏山。 凄いどうでもいい
木を見て森を見ずって感じ
今時、絶対音感かよ
平均律の絶対音感とかアホかw 作曲・初演当時、ペダルティンパには一般的だったのかな >>541
ペダルのが普及したのは興味津々だよね!
ちなみにティンパニのEは練習番号112の三つ前でも、『かなり効果的に』使ってるよね。
これは聴いていて誰もがわかる。
練習番号113の前、バンスタのウィーンもDぽいね。
分かりにくいだけに面白いやな。
個人的にはミスプリでもいいと思うがffつけてるから校正に厳しかったマラ氏が、、と思うが。 アマオケでこの曲はさすがに無茶かね
俺はコントラバスなんでそれほど難度は変わらないんだけど >>542
この間から頼んでるんだけど、お願いだから日本語で書いて。 >>543
昔、東大オケが早川正昭指揮で東京文化会館でやったことがある。1970年代中頃だったかな。
いい演奏だったよ。金管も大健闘で、アマチュアという先入観なしでも充分鑑賞できるレベルだった。
その前年はマーラー5番もやってたし。
アマオケにはマーラーは無理という概念を取っ払った立派な功績だと思う。 N響がプロとしての日本初演を行ったのが74年
40年前の話を潤色されてもな
最後まで通ったってだけだろ
アマプロの話は荒れるからあとはアマオケスレでやってくれ アマオケの話はやめて、ヴェーベルン指揮の演奏が
いったいどんな演奏だったかっていう話題をしようぜ! >>547
確かオケは労働者組合?とかの海女ちゃんじゃなかったかな?
海女オケの話は嫌なんだろ?
矛盾してまっせ。
もしくは国外の海女話は許すのかい? じゃあアマオケの話はやめて、2003年のブーレーズとか
2004年のルイージが振った6番の話をしようぜ! 60年代にA-Sでやってたバルビは凄いね
逆にしてた東芝EMIはクソだけど 「巨大で深い交響曲は3楽章はアンダンテ(又はアダージョ)」という理論もわかるが、
マラ6に関してはどっちもありだと思う。
2楽章をアンダンテにした方が、急ー緩ー急ー緩と全体がまとまる気もする。
(4楽章はアレグロで急だが、少なくとも序奏はゆったりした主題から入る) あの巨大なフィナーレの前に重いスケルツォが来るともたれるんだな スケルツォとフィナーレを続けて指揮すると体力が持たないと
大植英次が言ってた。 極めて現実的な理由だな。でもそれでいいんじゃない。
今までに出た理由の中では一番説得力ある。 もとはS→A派だったが今はA→S以外受け付けない
CDでもトラック入れ替えて聴く 関係ないが、コリンデイヴィスがブル七のASを入れ替えなかったっけ? ORFEO盤の事か?
ttp://www.orfeo-international.de/pages/cd_c208891b.html >>558
オレもA-Sがしっくりくる
S-Aの演奏は聴く気がしなくなった オレは断然S-Aがしっくりくる
音楽としても曲全体の構成としてもそれがもっとも自然な流れで座りもいいと感じるし
作曲者の最初のインスピレーションが正しいことを身をもって感じられる良い事例だとも思う
生でやられると避けられないが自宅ではA-Sでは聴く気がしない
感性でなく頭で音楽を聴く人には協会ご推薦のA-Sがいいのかもな 終楽章に最大の力点が置かれている曲の場合は、緩叙楽章をその前にもってくるほうが聴きやすいと思う。
ベトの9番がいい例だよ。
ブルックナーが7番をAS、8番をSAとしたのもそのほうが全体のバランスがとれると感じたからだろう。
ただ、敢えてその逆をゆくというやり方も一理あると思うから、ASを否定はしないけど。 マーラーの音楽をブルックナーの延長線上に置いたら見えるものも見えなくなる
マーラーは感性だけじゃ理解できない理性を要求される
しっくりくるかどうかだけの単純な感性だけで聴くような人間にはS-Aいいだろうなw >>564
こういうのを持論に都合の良い曲解、揚げ足取り、って世間ではいうんだよな
頭で聴くというのは先入観や知識、薀蓄が過度に先走った形で聴くって意味だろ
ここでは理性が必要とかは関係ないし、そもそもクラでは大概どんな曲でも感性と同時に理性も必要 >>563が>>564よりも感性も知性も感じさせる件 お前等、CDは聴く曲の順番をプラグラムで変えられるの知らないの?
勝手に好きな順番にして聴けよ
いつまでもループしてんじゃねえよチンカス共が 曲自体のバランスならもちろんS-Aが良いのはマーラーだって理解していただろう
だがそれだけでは満足しなかったマーラーの現代的な理性をしっくり来るというだけの
聴き手の安い感性で正しいと言うことはできない
バランス重視のSAよりも不安定なASがよりマーラーの意図に近いといえる マーラーが初演で行ったと言われるA-Sでも
以前の協会の見解に沿ってS-Aでも構わんよ
S-Aを採用している連中にお前が説教たれて反省させたら褒めてやらんでもない
お前の感性が安くないことを期待する
S-Aが良いという理解、満足しなかったという理性が現代的であるいうことを
ここでしっかりと論述してくれてから行動してくれると有り難いが、まあ
どーでもいい 作曲者自身が答えを出せなかった問題を何故お前等如きゴキブリが答えられるんだ?
身の程を知れ 出せなかったも言い過ぎだし思考停止
一応A→Sという形を示したのだから
作曲者が出せなかったとしたら
学者であろうとゴキブリであろうと作曲家であろうと演奏家であろうと
考えてみてもよいだろうよ おい、そこの無知の上に馬鹿野郎
頑張って勝手に考えろよw
でもここは、お前の日記帳じゃないんだぜ? 無知が無知を笑う不毛
どこに日記がある?ゆとり君w
誰がなんと言おうと考えるヤツは考えるし、思考できないヤツは煽るだけだしw >>562
>感性でなく頭で音楽を聴く人には協会ご推薦のA-Sがいいのかもな
うわぁ・・ 今どきドヤ顔で
>お前の日記帳じゃないんだぜ
だってよ
日記帳どころか便所のカベだぜ、単発蝿 所詮こんな奴等が「順番がああだこうだ」言ってるんだぜ?
アホらしい
日記帳は古くて便所の落書きは目新しいかいボケが >>581
君の煽りだけが邪魔なんだが、曲の話ができないんだったら出てってくれないか ハンマー5回も叩くようなクライマックスが繰り返されたらさすがに辟易する。 >>594
ハンマーが消えただけで楽想は今のものと同じでしょう マーラーはこの曲だけが名曲で、あとは個性的な駄曲なんじゃないか? 因みにアリナミンVで使ってるけどな
アリナミンVも「ちちんぶいぶい」でタコ7に始まって
これまでクラシック多いようだが 最近聴き始めたんですが、第一楽章序盤で
「ふーろ、めーし、ねーるー」
と歌詞つけて歌うのがマイブームです。 この曲って全然悲劇的じゃないんだろ
超ハッピーエンドだと思うわ。このタイトルは作者によるアイロニーともとれる。 心臓病で若い奥さんが浮気性なオレ可哀そう!って曲なんだから悲劇的なのは確かだろ。余所から見れば喜劇的でもある。 心臓病はともかく、浮気の件も娘の病死も第6の作曲時期よりは後。
あと、「悲劇的」のタイトルも当初そう呼ばれてたってだけで、最終稿では削除されてるはず >>445
めんどくせーから大川髢@に「霊言」ってのをやってもらったらどうだろうw ハンマーの数がイクラの、楽章順がどうだの、たまたまテメーが知った知識とやらを「本物」視し他の意見の
潰しあいはどうした??こうした例、最近の実例じゃまだまだいっぱいある。マラ1の3楽章コンバスのソロや
シュトラウスの最後の4っつの歌の順序など必ずケンカが起こった。要するにテメーが偶々知った浅薄な知識
への下らぬこだわりを持つ2chバカ共を脇で冷やかに観察する楽しみを奪わないでほしいww マーラーは、自作をちゃんと指揮できたん?テンポを知りたい 日本人有名指揮者で、マーラー6番を指揮してないのは誰ですか? >>609
人の知識を浅薄云々というより、その浅薄な文章力なんとかしたら?
たぶん自分で読み返しても恥ずかしく思わない知性なんだろうな。 釣です。
だいたい612氏はそんなことを知ってどうしようというんだね? 西本(智実)マエストロのマーラー演奏会に行きたいw
最近つまらんから言う >>618
大丈夫なのか?
幾つか難易度の高い場所ではしっかり振らないとアンサンブルが崩壊までいかなくてもボロボロになっちゃうよ 西本は5番ならやってるんじゃないか。そのうち6番も手がけるだろう。 うん、よかったよね
やっぱり6番はライヴ感があって好きだなあ
普段もライヴ盤ばかり聴いてる マーラーとトスカニーニは、どちらが指揮が上手だったんですか? マーラーは落ち込むタイプ、トスカニーニは怒り狂うタイプ マーラーにはクレンペラーやワルターのような優れた弟子がいた。
トスカニイには弟子いたのかな。 5管編成に打楽器がたくさんあれば吹奏楽ぽく聴こえるのも仕方ないのか? 吹奏を連想してしまうヤツって克服不能なハンディを背負ってる感じで哀れだよな
また、それを書かずにはおれないという堪え性の無さよwwww 吹奏という言葉に脊髄反射的に否定レスを書き込むお前もたいがいだけどなW 管の数が多いからってイコール吹奏楽っぽいとは思わないね。
マーラーが作ったのは「4管編成のオ−ケストラの響き」を必要とする音楽だ。
そこではちゃんと手段と目的の一致した音楽が鳴り響いている。
クラヲタ吹奏ヲタどちらからも愛される曲だとすればそれは素晴らしいことだと思うね。 >>633
グレの歌は吹奏楽っぽくは聴こえないよねえ。
交響曲であれば、フランツ・シュミットの2番なんかどう聴いても吹奏楽じゃないな。 マーラーの曲はすべてが暗い
気が落ち込むものばかり
自らすすんで聞く気にもなれん 無理して聞かなくてもよいと思いますが
聞きたくない作曲家や作品のスレを巡回するのって時間の無駄じゃありませんか? アンチマーラーとかアンチショスタコっているよね。
それだけ作曲家が個性的ってことだと思うけどね。 天才指揮者とは? マーラー6番で名演は必須ですか? マーラーは天才指揮者だったんですか? ウィーン国立歌劇場の黄金期と言われているのが
マーラーが監督していた頃の事だよ
しかも、30代でね マラ6で名演を聴かせてこそ真の名指揮者といえよう。
マーラーはまさしく天才指揮者だった。数々の超絶名演思い出すだけでも鳥肌がたつ。 4楽章で、ベタな青春っぽい盛り上がりが何度も何度もあの不吉なリズムで頓挫させられるさまが好き なんの臆面もなくあれを曲にできるなんて、ものすごいナルシストなんだろうな。 ナルシストっていうのはね。頭の中のフィードバック回路が発達しているわけだから、
相乗的に凄いエネルギー出して偉大な業績を挙げることができる。音楽家に限らず、歴史に名を残すような人物は、
いずれもこのフィードバック効果を上手に利用して成功している。
参考にするべきだな。 できの悪い奴がナルシストだと、ホント気持ち悪いが。 マーラーのボーイングは 変 。だからオーケストラ楽員に嫌われていたんじゃないか。天才の宿命? 天才指揮者は、スーパーポジティブ???マーラーはどうだったんですか?カラヤンは内気だったそうですが 内面はみんなスーパーポジティヴだと思うよ。けど。見た目は人それぞれ。
一人閉じこもってムラムラ燃えるタイプと社交的で人との交流を通じてエネルギー蓄えるタイプと。
バンスタは後者かな? あの自信家のカラヤンが内気なわけないだろ。だいたい内気な指揮者なんているのかね。 カラヤン先生は内気でね。指揮棒なんてどうでもいいみたいなことを言うんですよ---半年間、禅問答みたいなことをやられた カラヤンクラスになるとね。馬鹿揃いのパーティーなんか下らなくて出たくないんだよ。 君達知ってるか?ハイレベルな人物になるとな、やたらなパーティーなんかに出ると、
必ず小声で思いっきり嫌味を言う嫉妬深い人物がいるもんだ。凡人ではない。
凡人は手が届かない人には案外礼儀正しいんだよ。
問題は、そこそこできる奴なんだけど、こいつには敵わないっていうクラス。
例えばクレンペラー見てみ。客席から「カラヤン、皆が言うほど悪くないぞ」なんて嫌味こいた。
別に指揮者じゃなくても、パーティーってそんなもん。
みんなが聴こえないところで、とても嫌な思いさせられているんだよ。
出る気もなくなるってもんさ。 コロンブスでさえ、凱旋パーティーの席で、
「西に行きゃ誰だって何か見つける」って嫌味言われたらしい。
どこの国でもいつの自体にもカスみたいな奴はいるんだな。 弦楽の存在が希薄
tpばっかり聞こえる
女にマーラー聞かせるとこんなこと言うのだが ブラ2聴いてて、4楽章から悲劇的なイントロ入ってくるとイヤ過ぎるかも。 >しかも、30代でね
それで、高血圧になり、心臓を悪くした?心臓肥大症だった? 作曲家の悪意は、例えばワルキューレ第3幕のチェロパートとかは、どう解くんですか??? >>670の「女」
英語なら
my female friend(s) クラシックはマーラーとベルクしか聴かない
マーラーはテンシュテット、バーンスタイン、ブーレーズを繰り返し、ね
あと、中島みゆき >>678
極論すればマーラー指揮者はその3人で充分だよ。 バーンスタインが振るとどんな曲でも熱血音楽になってるだけなんだよな
大袈裟にディフォルメ化することなんてアホでも出来るっつーの バンスタのイメージな
あくまでイメージw
聞かなくても書けるってやつさ ガチホモの汗が飛び散って来て「オェー」ってなるのが糞ヤンキーの演奏
これが正常な感覚 ガチホモじゃなくてバイセクシャルだけどな
ホモだの何だの人格的障害をいちいち気にしてられっかての
人格者様の>>689にはクラ板での落書きは似合いませんよ 女好きな指揮者なら汗どころか精液まで飛んでくるんじゃねーの>>689 バーンスタインは20世紀を代表する指揮者のひとりだ。
熱血なのは確かだが演奏全体のバランス感覚も非常によい。 今でもこんなこと本気で考えてるやつっているんだな
佐渡とバーンスタインが同じに見えるんだろうなw >>696
お前はマイケル・ティルソン・トーマスを忘れてる
最低だ 誰かをガチホモ呼ばわりしたくてたまらなかったんだろう
色情狂がよ>>685
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 煽りにミスったマトモな耳もない女狂いが発狂するスレ ちょっとしたミスと妄想を窘められてファビョってる低能>>701 面白いと思っているならかなりものんだな
いい歳こいた人格者の親父がなにを書いてるんだ全く >>710
決まったなカッコイイ
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>710
すごーくかっこいい自己紹介ありがとうね!
これでいい? >>710
子どもっぽい煽りばかりしつこくやってるからだ
低能なんだからネットばかりやってちゃダメだぞ >>710
人間のクズだという自覚があるようで何より何より
これ以上はあり得ない自己批判
なかなか潔くてよい
中身が厨房レベルのお下品さだが、お前にはぴったりだな ゴシップ記事やら評論家の文章に簡単に踊らされる低属性だろ、ほっとけ
クラの実態や今どきの性意識も理解できずにホモホモ騒ぐ幼児性
さぞかし立派な人格者と思いきやなんとも哀れなレス乞食よ 第1・2・4楽章全部似てるしょうもない曲だ
どこが完成度高いの 全楽章とっちらかったような7番よりまとまりの良さでは分があるんじゃねえの
7番も7番で面白いが 6番は「なんて可哀想なオレ」感が鼻について音楽の出来以前にイマイチ好きになれん・・・
と思っていたが、自分が可哀想な目に遭ってからは親近感が湧いた。 6番は絶対音楽だから「なんて可哀想なオレ」感なんかないよ
お前がそう勝手に感じただけ
マーラーのせいにしないでね 6番に限らずマーラーでは喜怒哀楽の表現が大げさといったら悪いが非常にはっきりとしていて雄弁だ。
そのへんの表現方法がブラームスやブルックナーとは全然違うので、そこに魅かれる人と反発する人と
聴き手の好みが分かれるのは仕方がない。
まず、こういう音楽を作った人もいるんだということが認識できればリスナーとしては充分だと思う。 ハンマーで英雄が倒れる設定なんですよ
本当に自分が倒れたらイヤだから一撃減らしたんですよ 演奏が崩壊すると喜劇的だが
大音量を目指せばだれにも気づかれることなく
演奏終了 来日オケがやるのは久しぶりだな。ロスの底力をみせてくれ。 サロネン&フィルハーモニアのCDの第四楽章でハッキリ音飛びするんだけど
他に持ってる人いたら確認してもらえませんでしょうか?
トラック4の以下の時間で音飛びする(表記は分:秒)
・13:10頃
・13:20〜13:33の間に何度も
・14:15頃
・16:10頃
・18:01頃 >742
聴いてみたけど、俺のはいずれも音飛びはなかったよ。
SIGNUMのCDは過去2回ほど音飛びするものに当たって1回は我慢したが、一回は返品した。
ひょっとすると盤質に問題があるものが多いのかもね。 >>743
サンクス
あ〜あ、買ってから半年以上たってるし、もう返品はきかないよな
ショックだ
これだから未聴を崩すのは嫌なんだよ(本末転倒) Signumは盤質最悪!
俺はコレもマラ9も、CDプレーヤーなら何とか再生できたがリッピングで上記の問題が多発して
結局2枚とも処分してしまった。両方とも演奏は悪くなかっただけに悔しい。 >>744
欠陥CDを聴かずにずっとキープしてたと思うと確かに胸糞悪いなw 経年劣化などの個体の問題でなければ
相性問題は依然としてあるよん 一応サロネンの名誉のために言っておくと
フィルハーモニアとの9番(これより2ヶ月前の演奏)よりは
音が厚く、正当な演奏で悪くはなかった。
9番の録音は特徴が無く、かといって純粋にレベルが高いわけでもない
期待はずれな演奏だったから、6番は言い意味で裏切られた。 古いCDプレーヤーだとCDの規格(収録時間)の限界に挑戦したディスクで音飛びするね CDプレーヤー捨てて5年ぐらいになる。
マーラーだけで100枚超える状況でいちいち円盤とっかえる気にならない。 30年前に買ったカセットデッキがご臨終。
学生時代にFMからエアチェックしたテープが聴けないのも寂しいので9000円でラジカセを購入した。 テープ自体は使えるの?
伸びたり音が劣化したりカビが生えたりとか >>758
けっこうまともに鳴ってくれるよ。
ただ管楽器のロングトーンがフラッタータンキングやってるように聴こえるwww >>761
まともじゃないじゃんw
ピアノとか気持ち悪くて聞けないわそれw マーラーの交響曲は長いのでカセットで録音するのは難しかったな。 そうだな。8番なんてどうやって録音する?
結局おれはマーラーのためにクイックリバースのデッキを買ったっけな 2番の第5楽章が途中でぶった切れて盤面が別れたLPも存在したが 今となっては懐かしい話だ。
大体LPレコードのことを知ってる人もかなり少なくなっているんじゃないか。
俺んちにはまだ500枚くらいあって今でもときどき聴いているが。 スレ違いだが、変なところで切れているといえば
クレンペラーNPOの復活のARKADIA盤。
何故か4楽章の途中でDisc1と2を入れ替えるように要求している
CD時代にもなって、SP紛いの曲中Disc替えをやらされるとは思わなかった 4楽章じゃなくて、5楽章の途中だった>disc入れ替え
5楽章だけで40分もかけているからDisc分ける羽目になる >>770
復活演奏時間の最長と最短の両記録を持つといわれるクレンペラーの最長の方の録音か
トラック分けがそんなことになってたとは… >>764
カセットの時代はまだマーラーに目覚めていなかったからなぁ。
ベートーベンとかばかり聴いてた。
でも当時マーラーを聴いてたとしてカセット2個以上使ったと思う。
さらに遡って俺が消防・厨房の頃メタルテープが1本1000円とか
した時代だと・・悩んだだろうな。
ただカセットは音質的には3ヘッド、リバースなしので録音するのが
音質は良かった。
ウォークマンやカーステレオで聴くにも録音機の性能が物をいうと・・。
ナ○ミチの某機種とかは貧乏人の俺には無縁だったがw いろいろ聞いたが結局ハイティンク/BPOに落ち着いた。
ときどきバーンスタイン/VPOとテンシュテットライブ。 最近は大編成の大曲をやるオケも減ったよなぁ
ぜんぶ不景気が悪いんや そもそも自前で4管編成の曲をやれるオケがほとんどない。
N響だってホルン5人しかいないし。アマオケのほうが元気あるのかな。 >>779
自分で金を出すというのは大きな強みだよ。 >>774
今シーズンという事なら来年3月に京都市交響楽団がやるな
行きたいけど既に仕事が入ってしまってる おまえは不景気なのかよ
可哀想に
それともバブルみたいな異常な状態を好景気だと認識しちゃってんの?
基準が無茶苦茶なだけだな
老害乙だわ >>220
> ほんと日本ではマーラーは敬遠されていたんだな。
敬遠されていた理由はなんだろ?
「わかりにくい」とか、暗いとか? 昔は長かったから敬遠されただけじゃないの
今じゃマーラーもブルックナーも普通に定番化したけど >>208辺りからの流れで>>220が出てきてるみたいだから30年ぐらい前の話だね
>>222によると悲劇的と夜の歌は
特に少なかったらしい >>794
30年前に普通に演奏してたアマってどこよ… N響が74or75年にギーレンの指揮で行ったのがプロ初演 敬遠というか一昔前はベートーヴェンとか古典ばかりだっただけだろ 1970年代に東大オケが5番6番と2年続けて定演に取り上げ、世間を驚かせた。 世間は驚かんかった
演奏レベルが高ければ驚いたかもしれんが
ワセオケがムジークフェラインで第6をやったな80年代
始まってすぐのラッパのソロで最高音をダサく外していたけど >>796
新響
>>797
ギーレンは75年だ
因に外来オケの初は、79年のカラヤン/BPO ギーレンN響の演奏はFMで聴いた。
早めのテンポできりりと引き締まった好演でギーレンの実力に恐れ入った記憶がある。
N響も珍しく集中力120%で気合が入っていた。金管がもう少し上手ければね。ホルンとか露骨に外してたし。 下手さ加減を確認する為に、
「N響 ザ・レジェンド」にリクエストするか N響って今も昔も金管が下手だよなぁ
下手糞が下手糞に禅譲する徒弟制でも出来てるんだろうか いや、それでもあのときの6番はN響のイメージをかなり覆した演奏だったよ。
まあだいぶ昔の話なんで、今聴き直したらどういう感想になるかはわからんが・・
ただ、指揮者によって変わるもんだなあと思ったのは確かだ。 ギーレン/N響
振りかぶってハンマーを撃ち下ろしているのをみてびっくりした
曲だけテープに入れてもらって知ってたけど他は何にも知らないで見ていた中1 マーラーによるとハンマーは音よりも視覚効果の為に使ったらしいから
どんな立派な音が出ていても、
見た目が派手に叩き落としていないといかんのよね オケの演奏にはっきりと視覚効果を求めたのはマーラーが最初なのかな。 もうサンプリングでいいじゃん
発泡スチロールのハンマー振り下ろすマネだけして >>811
そら、中にはそういう指揮者もいるだろう
1番のコーダでホルンをちゃんと立たせる指揮者もいれば
誰も立たせない指揮者もいるし
金管を全員立たせる指揮者もいる 作曲者の指示だとしてもそれを実行することに大して意味あるとは思えないが。 ハンマーで実際に英雄に攻撃を喰らわせて最後の一撃の後はぶっ倒れた英雄が立ち上がれなくなるとこまで視覚的演出するのはどうだろうか? >>817
タイガー・ジェット・シンが新宿伊勢丹の前で猪木夫妻を襲撃したのを思いだした。 【コバケン】大神田敏郎先生を語るスレ【バカンダ】
331 :名無しの笛の踊り :sage :2011/08/22(月) 11:07:38.31 ID:mf4JfETm
>コイツが皆さんコバケンをよろしくなんて言うからCDも売れないのだと云えよう。
百害有って一利無し! 旧EMIのテンシュテットの91年ライブのCDを聴いて、
素晴らしいと思った。
83年のスタジオ録音も聴いても、やはり素晴らしかった。
ブルオタの自分には甲乙つけがたい。
マラオタにはこの2枚、結構違いがあるものなのか。。。 >>822
> マラオタにはこの2枚、結構違いがあるものなのか。。。
デジタル録音とそうでない録音なら、微妙な違いは感じる。
デジタル録音をいやがる人はいるが、俺は好きだなー。 >>822
基本的な解釈には大きな違いはないけれど、
ライブのほうがより熱くて、緊迫感とのめりこみ感がある。
一期一会の、今この瞬間だけ、という感じが伝わってくる。
個人的にはライブ盤のほうがテンシュテットの長所がストレートに伝わる
と感じてるので、ライブ盤のほうが好き。
(そういう点では、クーベリックも同じようなタイプ。) んでいつになったらテンシュテット/BPOのマラ6は出て来るんだ
もしかして残ってないのか >>825
お前まだ持って無いのかよw
もう何十年経ってると思うんだ?
余りにもクズ過ぎるwww >>823
>>824
レスありがとうございました。
テンシュテットがカラヤン後のBPO常任だったら、
面白かったですね。
もちろん賛否両論あるんでしょうけど テンシュテットは癌で倒れなかったら間違いなくロンドンフィルのあとベルリンに着任していたよ。
残念としかいいようがない。 >>828
ほんと
テンシュテットが早逝しなければどこまで伝説的で巨大な存在になっていたか
残念で仕方がない どっちにせよ泥酔してゲロって喉に詰まらせて死んでただろうな ドイツ語圏のオケとはことごとく揉めてるからそう上手くはいかなかったと思うけどなあ…才能は別として
西ドイツの評論家筋からの受けも悪かったらしいし そうなの?マーラーのスペシャリストっていうのはドイツでは評価されないのかな。 マーラーは所詮ユダヤ
敬虔なカトリックのブルックナーの足元にも及ばない。 んー、ブルックナーの凄さもわかるが、清濁ないまぜの世界観のマーラーに比べれば井底の蛙だろう。 マーラーとブルックナーの優劣を比較する必要ないしどちらも好きだ おれがブルックナーを聴かないのはマフィア顔のせいだと思っている テンシュテットは当時の西独では酔っぱらい扱い
テンポが気まぐれでマーラーがメインというのは受けなかった
ロンドンで神様扱いはクレンペラーも同じだけどそれで良かったんじゃないの 新しく出たハーディングとバイエルン放送響のはどうですかね >>840
ライブ録音という点がひっかかる。
長丁場の楽曲の場合、やっぱりスタジオ録音のほうが安全運転。 >>222
>>794
>>802
まともな職歴ゼロ、
コミュ障でも勤まるようなクソバイト(例えばメイト)しか出来ず
母親や叔父に食わせてもらう程度のクズでも
ハンブルクなんかに行ってザンデルリンク聞けるのだから
日本はほんとにいい国ですね(笑)
茨城から九州に逃亡したのを機に
大神田俊郎先生に粘着するのはやめたのかね?(笑) >>840 アンダンテ→スケルツォの順。新日フィル公演でも同じ。
ハーディングらしいというか、破綻や極度の感情移入がない演奏と
思います。指揮者か曲のファンなら買うべき。 ハーディングの買ったよ
録音は良いしオケも上手いと思うが滑らかすぎるかな ナクソス・ミュージックライブラリーのマーラーの交響曲第6番のページ。
交響曲第6番 イ短調 「悲劇的」 - Symphony No. 6 in A Minor, "Tragic"
http://ml.naxos.jp/opus/134917
この中ではテンシュテットとハイティンクを聴きました。
どちらも良かったです。
これからそれ以外にも聴きたいと思います。 マーラー作品ではトップは交響曲第9番と6番でしょう。 >>844
ライブ盤だと、聴衆のノイズも気になるんですがこのハーディング盤はどうなんですかね?
特に6番のような終わり方をする曲だと、フライング気味の拍手とブラボーは耳障りだし。 0100 宇野功芳 2015/10/15 11:52:55
─┼─┐─┼─ / ,. `゙''''‐、_\ | / /
│ │─┼─/| _,.イ,,.ィ' ─────‐‐‐‐‐ ● ← 独墺交響曲至上主義者
│ |ツ │ | | | イン /´⌒`ヽ // | \
{, リ) / ./ | \
__ /}从、 リ( / / |
,. ,. -‐===‐- `つ/ ,.イ ’^ソハノリ / ∵|:・. 宇野さんが、
〃〃〃〃 //ミノ__ /´ /∴・|∵’ ドビュッシーの
_____ ノ_/ / ヽミ、、 .∵.;|∵’:; バレエ音楽「遊戯」を
( 二二二ニ) ノΘ(__ ) ゙ 、∵.;|∵’, テニスラケットで
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .^^^' \ !  ̄フ ゙ 、 |∴ 指揮する 夢を見た。
/\/ ∧/
/ / ノ./
ノ/ ヘ__、
ヘ_'_,
ID:3Jy8c6gp(4)
0101 アンチ独墺交響曲至上主義者 2015/10/16 00:10:26
ノ⌒⌒⌒⌒ヽ
///ソノノ人((( \
( / ≡ ≡ \ ))
(/ ― / ― 9)
| 人_ノ宇野功芳氏が、ドビュッシーのバレエ音楽「遊戯」を
| (LLLL)エサ=ペッカ・サロネン氏と一緒に
\ ∵∴∵ノ /テニスラケットで指揮する夢を見た。 >>222
>>794
>>804
茨城から九州に逃亡したのを機に
大神田俊郎先生に粘着するのはやめたのかね?(笑)
残念ながら証拠は押さえていますがね(笑) アシュケナージ/シドニー響が名演だった
EXTONで全曲出すって話はポシャったみたいだが
シドニー響自主制作で全集が出てる
レビューを見ると他の番号はイマイチみたいな話 >>469
> マゼールVPOの82年盤を初めて聞いたが明るくて屈託が無くて拍子抜けした
「心持ち明るい感じのマーラーを聞きたい」
という、わがままな人もいるからな。
ブラックコーヒーがいやなら、最初から砂糖たっぷりココアでも飲めばいいのにな。 ショルテイのハンマーは4楽章の何分くらいのあたりだい? 聴いてもそれがショルティのハンマーなのか判らないだろ 激しく今更どうでもいい話だけども、昨年秋のテロ一週前にパリで聴いたら、ハンマー三回叩いてた。なおチョン・ミュンフンは叩いてなかった。 ヤマカズ
日フィルのライブ
自画自賛しているが・・ カラヤンが録音しなかったマーラー交響曲第3番について。
第5楽章の歌詞について。こんな歌詞なので知ってほしい。
第5楽章
〈3人の天使がうたい〉(「子供の不思議な角笛」から)
女声・少年合唱、アルト・ソロ
(ビム・バム!) 3人の天使が美しい歌をうたい、
その声は幸いにみちて天上にひびき、
天使たちは楽しげに歓呼した。
「ペテロの罪は晴れた!」と。
主イエスは食卓につかれ
12人の弟子たちと共に晩餐をおとりになったが、
主イエスは言われた「お前はどうしてここにいるのか!
私がお前を視つめると、お前は私のために泣いている」
「心ひろき神よ、私は泣いてはいけないのでしょうか?
私は十誡をふみにじってしまったのです。
私は去り、はげしく泣きたいのです、
どうか来て、私をお憐れみ下さい!」
以下、省略。
日本語訳を一部抜粋した。興味ある人は音楽評論家から
全部入手してほしい。これはバーンスタインの新盤のライナーノートより。
輸入盤しか所持していないがこれはある大学のときの友人の日本盤の拡大コピーを
後生大事に所持していた。 この曲だけ良さが分からぬ
あまりに棘棘ギスギスし過ぎ カラヤンに余命を与えれば、マーラーの交響曲第1番「巨人」や第2番「復活」
や第3番はありえた。バーンスタインのグラモフォンの録音がウィーン・フィルハーモニー
管弦楽団を同曲で採用していないことでよくわかる。第1番はACO。第2番はNYP。
第3番はNYP。何れもカラヤンはVPOで録音の予定だった可能性が大。
第8番「千人の交響曲」も謎でよくわからない。バーンスタインは既存録音の
VPOで発売だった。第7番もバーンスタインはNYP。VPOではない。これもいろいろ
ないか。今、アーノンクールのベートーヴェンの4番と5番を聴きながら書き込みしている。 カラヤンに余命を与えれば、マーラーの交響曲第1番「巨人」や第2番「復活」
や第3番はありえた。バーンスタインのグラモフォンの録音がウィーン・フィルハーモニー
管弦楽団を同曲で採用していないことでよくわかる。第1番はACO。第2番はNYP。
第3番はNYP。何れもカラヤンはVPOで録音の予定だった可能性が大。
第8番「千人の交響曲」も謎でよくわからない。バーンスタインは既存録音の
VPOで発売だった。第7番もバーンスタインはNYP。VPOではない。これもいろいろ
ないか。今、アーノンクールのベートーヴェンの4番と5番を聴きながら書き込みしている。 来月、首都圏の音大生徒たちのオケがミューザと東京芸術劇場で6番やるね。
ミューザ川崎のHPではまだチケット発売中となってるから買ってみようかな。2000円。 >>879
そんなの関係ないな
バーンスタインがVPOで録音した曲のほうがカラヤンも得意そうな気がする
今はマーラーの6番のバーンスタイン・VPOを聴いた後でカラヤン・VPOの
チャイコフスキー5番を聴いているところだ
カラヤンの晩年のVPO、だとブル8のフィナーレは傑作だな >>884
聴き行ってくるぜ
安いからミューザでこんないい席は初めてだ ミューザ行ってきた
ハンマーは痛恨だったかもしれないけどすばらしかった
パーヴォよりいっぱい感動できたやっぱ高関さんは確かだ 音大オケかなり良かった
というかマーラー6番なんて初めての人ばかりのオケかと思うと恐るべき出来
パーヴォヤルヴィN響より感動したのも同意
でも明日はもっと良くなりそうな気する
1楽章とか弦のテンポが走り気味前掛かりな気したが明日は余裕もちつつもっと熱く弾けると思われ
管はみな相当のレベルでクラトップのねえちゃんのポジティブな音楽づくりはしびれた
ベルアップがしっかり音響的な効果をもって響いてたのも久しぶりに聴いた
ハンマー1発目は後ろズレ2発目は先ズレだったか? 1回目少し遅れたから2回目は少し早目にしたんだろ。まあたいして気にはならなかったが。
学生たちはほんと一生懸命に演奏する。こちらにも気持ちが伝わってくる。hrとtpが上手かったので安心して聴けた。
S席2000円は超お買い得。 ミューザで楽しんできました。タメやコクとか言わずに疾り抜けるマーラーも爽やかで良かったです。ホルン隊、打楽器隊お疲れさん。 録画していたN響の6番やっと視聴させてもらった。
立派な演奏だったと思う。さきの学生オケといい日本の楽団はここ20年くらいで大きく進歩したんじゃないだろか。 876名無しの笛の踊り2017/05/27(土) 11:41:11.73ID:IVpBGsaR
人は他人を罵倒するとき、自分が言われたら一番嫌な言葉を無意識に選ぶらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています