>>48

俺の曲うんぬんよりさ、貴方は矛盾しているよ
49では、「理解レベル」の差異を主張してるよね、どう考えても49では、
いろいろな聴き方という水平の差異でなく、レベルの高い低いという差異を問題にしていると思うのだが。
で、貴方は、自分が高いレベル、少なくとも理解のレベルでは高いところにいる、と(暗に)主張している。
で、その理解のレベルの高さを、どう証明する?
それは、俺が自分の曲をうpして、評価を得るより困難なことだよ
俺の曲を評価する貴方が、高い理解のレベルにいることは証明できず、ましてや
うpされえないベートーヴェンの曲を高いレベルで理解している、などとは絶対証明できないだろう
むしろ、田園という名曲を正当に評価しているからこそ、高いレベルにいるのだ、という権威主義だ
だから俺が、>>50の反論をしたんだよ、ベートーヴェンの高尚さは権威的なものであって、
実質的なものでない、と。
そもそも、理解のレベルとは受容性のレベルだから、その受容性の程度を、能動的に表現しようとしても無理だ。
表現するとしたら、音楽で表現することで、自分の音楽レベルの高さをアピールするか(それが俺にはできる)、
文章で、批評家のようにアピールするかだが、そのアピールは美学的に裏付けられたものでなければならない。
共通の土台たるアカデミックな基礎付けが伴わないと、理解レベルという共通尺度における程度の差異すら、証明できないだろう