★★☆☆サン=サーンス総合スレッド4☆☆★★
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>>667
動物の謝肉祭は彼があえて不真面目に取り組んだところがいい
結果として斬新な部分と、白鳥のようにきわめて情感に富んだ部分とが合わさって、
不思議な魅力を発揮しつつ分かり易さも充分で、これこそサン=サーンスの最高傑作だと思う あ、個人的には序奏とロンド・カプリチオーソも挙げたい
あの曲はメンデルスゾーンのコンチェルトに多くを負っているが、やはり今でもよく弾かれる代表作 >>666
代表作ではなく個人的なお気に入りです
ピアノ協奏曲5番を入れ忘れました
>>667
動物の謝肉祭には確かに驚嘆すべき技術とセンスの結晶ですが
何度も聴きたくなるかというと、僕はあまり
あんな曲よりピアノ四重奏曲の録音が増えるといい
サムソンとデリラはごめんなさい、バッカナールしか聴いたことなくて
>>668
前は好きでしたが終盤のうるささが気になって最近はあまり聴かなくなりました
はじめに作曲したという室内楽版を聴いてみたいです >>671
ピアノ協奏曲は5曲も作ったのにどれも皆一長一短だなあ
気軽に聴けて良いのかもしれないが、もっとこう真摯に取り組んでほしいな
まあ、サン=サーンスにそんなのを望むほうが間違ってるんだろうけど >>672
真摯ってどういうことでしょう。
5曲ともよくキャラクターが立って
それぞれ非常に丁寧な曲だと思いますが……
清々しく、閃きに満ち、嬉遊感に溢れ、
ただ深刻ではありませんけど……
>>673
親切!! >>674
たとえばベートーヴェンやブラームスのコンチェルトのようながっしりとした構築美もないし、
かといってショパンのコンチェルトのような深い情感にも乏しいと思われる
もちろんそういう曲があってもいいけど、5曲あってもちょっとなあという感覚 >>676
1番はまぁ習作でしょうけど、2番は溌剌、3番は地味、4番は古典的、5番は華麗、
それぞれユニークよ♪
あとは鑑賞者の感性ですわ ♪ >>678
作曲家本人は1番と3番がお気に入りだったそうな
2番は「J.S.バッハに始まり、オッフェンバックに終わる」
以上の形容を見たことがない
残る4番は名曲志向
5番は旅行記と言ったところか
>>676
サン=サーンスに深い情感はないが(そこが美点でもあるが)
即興性と構成感の両立においてかなり成功した作曲家だと思う
プロコも5曲書いてたね >>679
>>672
5曲のピアノ協奏曲が似たり寄ったりというのなら批判されてもいいが、
5曲のそれぞれが特色があるから、多すぎるとは思わない。
似たり寄ったりというのなら、ブルックナーの4番〜7番などはそれに当てはまりそう。
でも、それぞれ似ていても良い曲だよね。マンネリ作風だからいい。 >>681
霊感なんて鑑賞者によって変わる
十人十色の反応がある
私がアナタより上とか下とか、そんなこととは違う 音楽に自分勝手な情緒を盛り過ぎないように、適当に抑制するというのが、
サンサーンス流の美意識だった すぐに十人十色論持ち出すのは感心しない
文句いうやつの言い分もわかるじゃん
でもこういう視点もあるよというレスのほうがいい
そいつもこういうことかとわかる日が来るのかもしれんし >>684
サン=サーンスの音楽の行き方やり方は、頭ではわかるんだけど、
やはりいくら聞いても右から左へ抜けちゃうんだよなあ エジプト風は本当に素晴らしい旅行記だと思うけど
これもあかんの? サン=サーンスの音楽は女学生が喜ぶようなお菓子の包み紙と変わらないって教えただろ? >>687
「旅行記」ってことは、あれがサン=サーンスの見聞したエジプトだと認めるってことだよね
そうだとすれば、なんかこう皮相的な見聞録だなあと感じてしまう
エジプト風なんて呼び方しなければサラサラとして心地よい曲だと思うのに
ただ、あの曲、特に終楽章は弾きにくいことこの上ない
右手がつってしまう
リストの鬼火のような感じ エチュードだとトッカータってことにされてっからな。
そりゃ簡単じゃおもしろくないよ。
ただ鬼火とは違うなw >>690
そう、書いたあとに鬼火よりももっとあれに近い類の弾きにくい曲を思い出した
矢代秋雄のピアノ協奏曲の終楽章 >>691
矢代さんのピアノ協奏曲は素晴らしいのにどうして、演奏されないのか?
フランス音楽ファンなら共感すると思う 四番も結構難しい。
一小節だけなんだが、難所中の難所が四楽章、右手はオクターブ+3度で上向、左手もオクターブ+3度で下降、
自分が録音を聴いた限りで、インテンポで出来てるのは一人だけ。 >>692
日本人の協奏曲としてはむしろ破格に演奏されてると思うけど? 余師駄費出化逗が俗っぽいと貶していたのは有名だけど、交響曲の3番とかピアノ協奏曲の5番などどこが俗っぽいののか
さっぱりわからん。チャイコのピアノ協奏曲とか新世界のように口笛で簡単に吹けるような親しみやすいメロディーなんてほと
んどないと思うけど。 >>696
チャイコフスキーもサン=サーンスもどちらも俗っぽいと思う
言っておくが、親しみやすい旋律があることが俗っぽいってのはちゃんちゃらおかしい
バッハのマタイ受難曲のペテロの否認の後のアルトのアリアなんて、これ以上ないくらい人の心を打つ親しみやすい旋律だけど、
俗っぽいなんて微塵も感じないしね
むしろチャイコフスキーは旋律美で救われてる部分が多い
サン=サーンスだって、白鳥みたいな曲は親しみやすい旋律があるからこそ、普遍の価値があると思う 交響曲3番についていえば、シリアスな顔をしているだけに余計にその下の心の乏しさが見えてしまうといったら言いすぎかな >>697
「俗っぽい」のは曲の質を下げさせる理由にはならない。質の低下を招く因子なら、
ベトの「第5」「第9」もバッハやシューベルトの一部の曲も同様だ。
だから、サンサーンスの「第3」やPf協奏曲を俗っぽいを理由に貶めた吉田秀和の
鑑賞力は実に矛盾している。 >>699
いや、それは俗っぽいという意味を正しく理解していないと思う
俗っぽいといっても、例えばマーラーの交響曲によく現れるような、
意図的に聖なるものと俗なるものとを交替させる効果を狙ったものとか、
ショパンのマズルカの田舎踊りみたいな、
作曲家があえて意図して世俗の極みを演じているようなものはいささかも芸術的価値を貶めないが、
グノーやサン=サーンスのように、本人大真面目なのにその下に俗なる本質が見えてしまうような音楽のことを
価値が相対的に低いと吉田氏は言いたいのだろう >>700
吉田秀和の感想を忖度するのは意味がない。
彼はプッチーニ、チャイコフスキー、ショパンも同様の受け取りかたをしていた。 >>701
チャイコフスキーにはそれに近いことを言っていたが、
ショパンについては後年完全に考えを改めてますね >>701
意味が無いというが、矛盾してるとあなたが言うからそれに反論したまで >>696
日本人のエラい人は、宗教的な意味合いでエラいだけだから。
合理的な理由があることなんて言わないよ。 >>700
グノーやサンサーンスの宗教曲に「俗なる本質」を聞くいてしまう、へ〜,,,,
じゃぁ、聖なる本質とは、例えばどんな曲よ? >>700
グノーやサンサーンスの宗教曲に「俗なる本質」を聞くいてしまう、へ〜,,,,
じゃぁ、聖なる本質とは、例えばどんな曲よ? >>705
その時代だと例えばブルックナーの宗教曲だな 旋律は俗人には書けない閃きはあると思うよというか俗っぽくはないよね
白鳥のピアノのピロン♪も才能ある人のアイデアじゃん
そのセンスを深めるとか発展させるとか面白く組み合わせるとかはしなかったけど神経の閃きを音に出来てる時点でいいじゃんと思う
ピアノ協奏曲の5番みたいな充実した作品だってあるし 動物の謝肉祭いい
やっぱいいじゃんサンサーンス
聴き方の問題だわ
そりゃバッハやショパンは最高だけどね 俺のまわりだと、なぜかアカやキムチがサンサーンスが良いっていうんだよ。 まわりにクラシック聴いてる人少ないし
サン=サーンスが良いなんていう人一人もいないから
うらやましいわ >>711
まわりにクラシック好きが集まる環境でも、サン=サーンスが良いなんて人はまずいないな >>714
サン=サーンスはつまらないとか、わざわざ聞かないという人が多い 自分が好きな作曲家が良いよねなんて言って擦り寄ってくるやつは信用ならん サンサーンス至高の名曲は「クラリネットソナタ」だと思うが
誰からも同意を得たためしがない きっと同意してくれって誘ってるのが見え見えでキモいからだよ >>719
そうか
態度を改めるよ
レスありがとう >>718
たそがれの空気のような音楽ですね、クラリネットっていいなぁ、と感じますw トロンボーンとピアノのためのカヴァティーナも
フルートのピアノのためのオデレットも良い。 今日fmつけたらp協3番やってて、
あまりの中身のなさ加減に途中からでも
サンサーンスとわかったわ >>725
3番Pf協は作られた時からつまらない曲と評価されているし、実際に演奏されることは
ほとんどない。
FMが放送した理由はわからない 3番が一番好きな私はどうすれば・・涙
一般に評価の高い2番の方がスカスカって感じがしたけど(特に第1楽章) ドヴィエルがマジっぽく歌っててワロスwww > おれのしりをなめろ 美食家向きの音楽ですね
ベートーヴェンは腹を空かせた大食い向きです サン・サーンスの作品群は玉石混淆と言われるが、そういう点では
ベートヴェンも同じだ。
どんな作家も、ある程度そうだ。バッハ、モーツアルト、ブラームスやショパン、
ラヴェルなど石ころが少ない人もいるが、非常に少数だ。 ●三味線ブギ ( サン=サーンス、佐伯孝夫作詞 )
三味線ブギで
シャシャリコ シャンシャン
さあさ躍ろよ ブギウギ 浮き浮き
浮いた 浮いたよ
シャシャリコ シャンシャン
踊る阿呆に 躍らぬ阿呆だよ
同じ阿呆なら 躍らにゃ損だよ
さあさ 猫も杓子もブギウギ
ハチョイト ブギウギ ♪ ネトウヨって替え歌が好きだよね
おもしろいと思ってんのかね 三味線浮きで ペチャリコチャブチャブ
さあさ泳ごよ ウキウキ浮き浮き
浮きの泳ぎは ペチャリコ チャブチャブ >>739
パクリと言えば、今朝のFMで聴いたドボリザークの「第6シンフォニー」は一部が
ヒッチコックの「 北北西に進路をとれ 」のテーマ音楽にそっくりだ
ハリウッド映画は古今東西の名曲をパクリまくったんだ 動物の謝肉祭の水族館を書いたサンサーンスはやはり天才だと思う
思い出すだけでもめまいを感じるくらいメンヘラチック、もといファンタジックだ >>743
「動物の謝肉祭 」は天才的なパクリ音楽だ ∴∴
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/Happy / \
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( ヽ三o三O三8ニノ )
`ー――――――′ メルクルの交響詩集は
待ち望んだ決定盤となりうるだろうか。 「アルジェリア組曲」はいい曲ですね、このあたりから彼の晩年の
作風が始まる。自由な瞑想曲というか。 去年亡くなった方、
船村徹さん、84歳、「王将」吹けば飛ぶよな将棋の駒に・・・ 船村徹氏は5000曲も作曲、文化勲章を受章された。
「みだれ髪」、「兄弟船」、「矢切りの渡し」
「別れの一本杉」、「東京だよお母さん」、「王将」、
「ひばりの佐渡情話」、「どうせひろった恋だもの」、 気になる曲ちょろっと弾いたけど選択した音への信頼感がバッハやモーツァルトと同じくらいの域だわ
あんまり遊びが続かないのが難点かな、まあ小さなことだ >>選択した音への信頼感がバッハやモーツァルトと同じくらいの域だわ
どういう意味? どういう意味だろうな
バッハやモーツァルトは言いすぎかもだが大意は変わらない
ドビュッシーやラヴェルもきっとサンサーンスの譜面信頼しただろうなと序奏とロンド弾きながら思ったんだよな
なぜそう思ったかは自分でもわからんがわかったときはレスするかもしれないししないかもしれない 午後7:00 - 9:10(130分)
ベストオブクラシック -N響第1880回定期公演-
大林奈津子
【解説】遠山菜穂美
「3つの舞曲 作品6」 デュリュフレ作曲
(管弦楽)NHK交響楽団
(指揮)パーヴォ・ヤルヴィ
「バイオリン協奏曲第3番 ロ短調 作品61」サン・サーンス作曲
(管弦楽)NHK交響楽団
(バイオリン)樫本大進
(指揮)パーヴォ・ヤルヴィ
「レクイエム 作品48」 フォーレ作曲
(管弦楽)NHK交響楽団
(ソプラノ)市原愛
(バリトン)アンドレ・シュエン
(合唱)東京混声合唱団
(指揮)パーヴォ・ヤルヴィ
〜NHKホールから中継〜 >>759
デユルフレのレクイエムをやらないで(^ω^)、フォーレ。
選曲は悪くないな。サン・サーンスは春の兆しを感じさせる頃に合っている 「 オーボエソナタ 」、佳曲ですねぇ
牧歌的、そう、まさに。 そうそう、バスーンソナタ書いた後にドスーン(バスーン)と倒れて亡くなった 4、5才で作曲しだした人だから 普通の文を書くより楽譜を書くほうが
速かったかもしれない
85歳だろうが、もっと歳を取っていようが日記か手紙を書くように
楽譜を書いた。それが最後の曲になった、ということでしょう 実際は「レパートリーの少ない楽器のためにソナタを書く」という明確な意思で
作曲された一連のソナタだけどね。この後イングリッシュホルンも予定していた。
凄いのはいずれも楽器の特性が十全に発揮されていることで、あたかもそれらの専門家が
作ったかのように効果的な響きを出している。匠の技だよ。 フルートもオーボエもバスーンも、当時と構造が違ってるのに特性を発揮した響きねぇ
おまえそれがわかんの? >>767
そんなことを言い出したら、ベートーヴェン、ショパン、リストの時代の
ピアノと現代のものは構造が違っている。
彼らがピアノの特性を生かした曲を作った等とどうして言えるか、
という議論も出てくる
そうでしょう? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています