モーツァルト 交響曲第39番 Part2
モーツァルト後期三大交響曲のトップバッター第39番。
張り切っていってみよう!
前スレ
モーツァルト 交響曲第39番
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1237215082/l50 初めて会った時16歳だった「水原希子そのままのシロガネーゼ」、『i』さんが予備校を辞めて塾を立ち上げなければ、その出逢いは無かった。
私の人生でも唯一無二の思い出となったその後の5年間。
いきなり「モーツァルト レクイエム 怒りの日が聴きたい」と言い……
新宿/ディスクユニオンで一緒に探し、君は「これがいい」と鳥の羽が拡がるカラヤン盤を選んだ。
いつでも連絡は取れるが取らない。思い出を大切にしたいから。 クラ板の達は『ケチをつける/罵倒する/嫌悪する』ことが目的で書き込みしてますので、あー言えば上祐よろしく、何を言っても無駄なのですね。
お嬢弟子さんや私に対するイメージ(彼らの切ないほどの願望なのですが)がすでに固定観念として出来上がっておりますので……
その固定観念に反する言動は必ず屈折しデフォルメされて受け取られる。
現実のお嬢弟子さんや私が、その固定観念と異なる予感がするやいなや『全力で反撃を開始し出す』人達なのです。
固定観念と異なるのが余程の困るのでしょう。恐怖感すら抱いている節がある。
一昨年位までは此方もフィクションを交えて相手をしておりましたが、さすがに飽きまして、今は専ら………
『ピュアオーディオ@オープン2ちゃんねる/ヴォイス・オブ・ザ・シアター アルテック』
にて、ミレニアムさんと国際政治(主に軍事)やオーディオ談義をしております。
関連スレッドに「ピュアオーディオ@オープン2ちゃんねる/大英帝国の栄光タンノイその11」もあり、こちらは私の日記帳のような按配なのですが……
粘着「理屈と膏薬は何処にもつく」親父に付きまとわれ、現在は放置しております。 >>81
>>80
完全に無視されてますね。まあ、頑張りたまえ。
僕はハイドンの音楽もなかなか好きだ。形式の完備整頓、表現の清らかさという点では無類である。
併し、モーツァルトを聞いた後で、ハイドンを聞くと、個性の相違というものを感ずるより、何かしら大切なものが欠けた人間を感ずる。
外的な虚飾を平気で楽しんでいる空虚な人の良さと言ったものを感ずる。この感じはおそらく正当ではあるまい。
だが、モーツァルトが僕にそういう感じを目覚ますという事は、間違いない事で、彼の音楽にはハイドンの繊細ささえ外的に聞こえる程の驚くべき繊細さが確かにある。
心が耳と化して聞き入らねば、ついて行けぬようなニュアンスの細やかさがある。一と度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、もうモーツァルトを離れられぬ。 今日はこの数時間、ある曲を聴きながら亀頭を擦り続けている。 もう片方の手指に乳首にからめつつ……
『モーツァルト/ピアノ協奏曲23番k.488 2楽章(限る内田&テイト盤(420 187-2)/グード&オルフェウス室内盤(WPCS-10145))』
この曲はわたしにとって、モーツァルトの中でも(=この世に存在するすべての音楽の中でも)五本の指に入る大切な曲でなのであるが、その魅力の源泉は?となると答えに窮してしまう。
男娼の肛門の美しさやら、膣とは違うペニス締め付け、その官能的な溜息、喘ぎ声やら私の性的嗜好のあれやこれやの実相とか言ったイメージが浮かんでは消えたりするが、何のことはない、repeatを掛けたままマスターベーションの快感に数時間動けずにいる。
かつて「わたしが腹上死したらお経は要らない、この曲を流して欲しい」と頼み、今もその心境に変化は無いが、心境の源が変化しつつある事が少なからずわたしを驚かせている。
もっと沢山の男娼たちの肛門の中を私の精液で満たしたいのだ。
年齢を重ね、若かりし頃とは違った快楽に溺れる、そう言ってしまうと身も蓋もないが、7分余りの曲が数時間の自慰行為のBGMに堪え、尚聴きながら、亀頭の裏筋を刺戟し続けていたいと言うこの感情は何処からやって来るのか?自分でも整理出来ずにいる。 >>84
「誰でもモーツァルトの美しいメロディーを言うが、実は、メロディーは一と息で終わるほど短いのである。
或る短いメロディーが、作者の素晴らしい転調によって、魔術の様に引延ばされ、精妙な和音と混り合い、聴く者の耳を酔わせるのだ。そして、まさにそれ故に、それは肉声が歌う様に聞こえるのである。
モーツァルトの器楽主題は、ハイドンより短い。ベートーヴェンは短い主題を好んで使ったが、モーツァルトに比べれば余程長いのである。
言葉を変えれば、モーツァルトに比べて、まだまだメロディーを頼りにして書いているとも言えるのである」 >>85
「主題的器楽形式の完成者としてのハイドンにとっては、形式の必然の規約が主題の明確性を要求したのであるが、モーツァルトにあっては事情は寧ろ逆になっている。
捕らえたばかりの小鳥の、野性のままの言い様もなく不安定な美しい命を、籠の中でどういう具合に見事に生かすか、というところに、彼の全努力は集中されているように見える。
生まれた許りの不安定な主題は、不安に堪え切れず動こうとする、まるで己を明らかにしたいと希う心の動きに似ている。
だが、出来ない。それは本能的に転調する。若し、主題が明確になったら死んで了う。或る特定の観念なり感情なりと馴れ合って了うから。
これが、モーツァルトが守り通した作曲上の信条であるらしい」 ピアニストとしてのわたしですが、わたしは楽譜を見ることなどあり得ません。楽譜の「音符を一音一音目で追い掛ける」なんてことしていても、聴衆の魂にダイレクトに訴えかける音楽にならない。
指が完全に覚えてこそ「想いを指に伝えられる」んです。
小学5年生〜中学3年生の頃、バンド組んでエレキギターを弾いてたことありました(ダイヤモンドヘッドとかベートーヴェンの運命とか、中学の卒業お別れ会で体育館の壇上で演奏しました)が、楽譜なんか無かったですよ。
人から指使いだけ習い、あとはもう練習、練習、練習。
その後ですよ、自分の想いを指に伝えるのは。
ピアノはタッチ一つで想いが変化します。テンポはもう決定的に曲のイメージを支配します。
一音一音、音符を目で追い掛けながら…なんて、有り得ませんね。
もう一度申します、わたしは「中学のお別れ会で体育館の壇上」で演奏したんです。
どうせあなた達は、performance とは無縁の方々でししょ?わたしのレスを否定する、晶子さんのヴァイオリンに「どうのこうの言う」ことなど、百万年早い。
出直してらっしゃい。 >>88
「成り済まし」乙。
>>87
「誰も、モーツァルトの音楽の形式の均整を言うが、正直に彼の音を追うものは、彼の均整が、どんなに多くの均整を破って得られたものかに容易に気付く筈だ。
彼は、自由に大胆に限度を踏み越えては、素早く新しい均衡を作り出す。到る処で唐突な変化が起こるが、彼があわてているわけではない。
方々に思い切って切られた傷口が口を開けている。独特の治療法を発明するためだ。
彼は、決してハイドンのような音楽形式の完成者ではない。寧ろ最初の最大の形式破壊者である。
彼の音楽の極めて高級な意味での形式の完璧は、彼以降のいかなる音楽家にも影響を与えなかった、与え得なかった」 吉田秀和が、この曲を取り上げ、対比としてヨハン・シュトラウスをディスってる評論があったな >>94
「主題と変奏」という本に収められた「モーツァルトの変ホ長調交響曲」 この曲ってobがないから大体クラが後列の真ん中に位置取ると思うんだが
はじめて生オケで聴いたとき、トリオでアルペッジョやってる方が
一番奏者なのかと思い「ああ、トップはメロディーじゃなくて
難しい方のパートを吹くのか、なるほどね」と勝手に勘違いしてた。
唐突にスマンが。 第1楽章 展開部から再現部に戻るところ あの一瞬の静けさ。神?が
舞い降りた、と思った。 >>103,104
それって、2拍子で振るか、4拍子で振るかの違いだっけ? 第一楽章の展開部って
アッというまに終わっちゃうね 後期3大交響曲で一番好き
14歳の頃はムラヴィンスキーばかり聴いていた(宇野さんが薦めてたから。当時は
宇野さんの評論との関係はまだ幸福だった)
特にあのマッシヴに推進するメヌエットがかっこよかった
現在ではアーノンクールの解釈のほうが「正解」かなと思ってる
ムラヴィンスキーの音響に馴れた(というか刷り込み)耳には初めて聴いた時はびっくりしたけど エーリヒ・クライバー、ケルン放送響の演奏が良い
特に3楽章最高 >>94
39番序奏の後の主題の3つの音と
青きドナウの主題の3つの音の音形は
同じであるが、その後の3つの音
(レスポンス)が全く違う
これだけでモーツァルトとシュトラウスの
音楽的資質を現している
と言う様な内容であった
確かに命を削ってできた音楽と、お気楽な風に
聴こえる差はあるけどね
お気楽な音楽もあっても良いんじゃないの
レスポンスについては直純もブラームスの
第二コンチェルトのイントロの素晴らしさについて
何かに書いていたな
長々とつまらん話 ゴメソ いや第2楽章の和声はモーツァルトとしては他にあまり例を見ない先進性を持つ 第3楽章だけなら、どの演奏(CD)がベストだろうか?
なるべくデジタル録音のCDがいいなあ。 >>123
自分は39番はサー・コリン・デイヴィス シュターツカペレ・ドレスデンをよく聞いた。
モーツアルトは色々聞いたけれど自分はこのコンビが好み
東独時代のSKD、フィリップスの録音、そしてコリン・デイヴィス、ほろびしものはなつかしきかな ここまで読みました
ってあちこちに書いてるのもあんたかい? 最も速い演奏と考えられる快速テンポの39番教えてください 楽章によると思うなあ 第1楽章冒頭から快速なのが好みかな 古楽系は第1楽章冒頭のテンポを速めにするのが多い
付点リズムが取られているからバロックの序曲の延長と捉え付点を二重付点にするのもバロック流 モーツァルトの交響曲の緩徐楽章はハイドンのがラルゴ〜アレグレットと曲によって幅があるのと違い常にアンダンテ 39番の序奏は少しゆったりしたテンポの方が好きだな
時代遅れなのかもしれんが 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
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TBC3D お前らが大好きな第3楽章は俺も好きだよ。聴いててうれしくなるし。 第3楽章はそこまで特徴ある演奏ってないよねテンポに関してもちょっと速めかちょっと遅めぐらい
第1楽章の序奏ほどにはテンポに大きな開きはない アーノンクール/コンセルトヘボウは1984年でモダンオケでピリオドアプローチを採用した比較的時期が早めの演奏
http://www.youtube.com/watch?v=JSwRgoFbgOk >>142
> 第3楽章はそこまで特徴ある演奏ってないよね
カラヤン晩年のデジタル録音は重厚感がある。 やっぱセルだな
重過ぎず 軽過ぎず
早過ぎず・・・ CD買うなら、音質が良いデジタル録音のCDという気持ちは理解できるが…。 晩年のベーム/ベルリン・フィルの世紀音源出たのか? ピリオドアプローチでおすすめの演奏があれば教えてください。
最近のモーツアルトのシンフォニーのトレンドについていってないので
昔風はデイヴィスSKD、カラヤンBPOを好きで聞いてきました。
ベームは苦手でした ピリオドだけどピリオドアプローチじゃないコレギウムアウレウム ベームのモーツァルトは分厚くて重たくて苦手だったけど
39だけは許せた でもセルが最高だな
他のも随分聴いたけど なんで こんな演奏するのって感じ
古楽系はライヴは面白くてもCDは全然面白くないのばっか すごくおもしろい在宅ワーク儲かる方法
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5N0 アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団の第3楽章は早い アーノンクールはFMで聴いた太鼓連打やポストホルンが
面白かったので CDを買ったら即興的で面白かった所が
普通の演奏で全然違うツマラナイ演奏だった
それ以来俺に取っては鬼門演奏家になってしまった
そんな俺が満足しそうなお薦めってある? コンセルトヘボウやコンツェントゥスムジクス振ったのはオススメヨーロッパなんたらはイマイチ >>162
激しい演奏というか、速い演奏がキライなんだろうな。
晩年のクレンペラーみたいなスローな演奏が好きなんだろう。 >>166
クレンペラー晩年の映像は凄いぞ。
演奏中にたまに腕の動きが止まって
「このまま永眠するんじゃないか」
とビクビクさせられる。 俺は第3楽章のクラリネット独奏の部分がすこぶる好き >>171
あれはクラリネットがメロ担当で伴奏もクラリネットといういわばクラリネット二重奏
クラリネットのメロに対してフルートが合の手を入れる モーツァルトは、1777年から1778年に就職活動のためマンハイムを訪問した。
就職には失敗したものの、この楽派の影響を大きく受けた。
交響曲第31番「パリ」は、マンハイムのオーケストラの管楽器の編成に影響を
受けて作曲した交響曲である。
マンハイム楽派はクラシック音楽における「交響曲」の成立に数多くの貢献をした。
それまでの急・緩・急の3楽章からなる構成から4楽章形式に変更し、
その第3楽章としてメヌエット・トリオを付加した。
また、ソナタ形式、強弱法などにおいても、その後の「交響曲」に大きな影響を与えた。
クリスティアン・カンナビヒ (1731-1798) からは、クラリネットをはじめとする木管の扱いで影響を受けている
交響曲 変ロ長調
http://www.youtube.com/watch?v=Dgf-a5j6apY
交響曲 ニ長調
http://www.youtube.com/watch?v=EQTAANxbtjA 後者のニ長調今はじめて通して聴いたがこれ「狩り」の交響曲だよね 終楽章がカール・シュターミッツの「狩り」とほとんど同じ 31番は本当にいい曲だね
デカくて颯爽としていて
もー言う事無い!! >>173
そうそうこの部分。「天国ですか?」っていう感じ。 39番は3楽章のそこと、2楽章の後半
両立している曲だから嬉しい
第2楽章をホグウッドで
http://www.youtube.com/watch?v=jVIh_fmLsXA
後半だけというのはおかしいし前半あっての後半だと思うし モーツァルトの交響曲は少々特異で、第2楽章はほとんどAndante。
ハイドンやその他の同時代の作曲家で多く見られるAdagioやLargoを使わなかった