シューベルト 交響曲第8番「未完成」ロ短調 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
確かに間違ってるけど言いたいところは分かるじゃん。
ここぞとばかりに上から目線の人も多すぎ いやむしろダンスでしょ
シューベルティアーデで踊りまくってたんだから(本人はもっぱら弾く方だったみたいだけど) >>307
亀レスで申し訳ないけど、
どこが
<確かに間違ってるけど>
なんでしょうか?
たぶん>>306に対するレスだと思うんですが・・・ そもそも>>296が何言ってるのか分からないから、そこから話が広がっても不毛。 >>313
確かに>>296は抽象的なことを言ってるね。
で、唐突で分かりにくい。
でも、それはシューベルトを愛する人なら
だれでもがぼんやりとは思っていることではないかな?
>>307も<言いたいところは分かるじゃん>
と言ってるように・・・
>>305や>>306は、まあ言ってみれば部外者の一般論だ。
話をまぜっかえしているだけだ。シューベルトヲタで
凝り固まるのもどうかとは思うので、そういうツッコミも
必要なのだろうけど、あっさり全てを認めたように
<確かに間違ってるけど>と言ってしまってはおしまいだ。
具体的にどこが間違っているかを指摘しないと話は続かない。
まあ、>>296がつかみどころがないと言ってしまえばそれまでだが・・・ 自分には>>296が何言ってるのか分からないから「言いたいところは分かるじゃん」と言われても分からん。 こりゃどうも失礼しました。
>>313や>>315は、>>307あるいは>>307に同意する人ではないんですね。 少なくとも>>296は何言ってるのか分からない。ちなみに>>298は自分のレス。 病気による中断が未完成になった理由である
というのも全く変だね。
本末転倒だ。 6/8拍子で一小節一歩だったら遅すぎて歩けんw
二歩の間違いだろうが、そんなとこ間違ったら分からずに書いてると見られても仕方ない 話戻して
第二楽章が遅く耽美的な演奏を聴きたいんだけど、
やっぱりジュリーニあたりなんかな? 耽美的って何を美しいと思うかの問題だと思うんだけど・・・ そうね、そこは大きな問題
だけど「美とは」とか言い出したらまた揉めて、曲の話がどっか行っちゃうんで、
レスする人が美しいと感じるものでいいです >>319
たぶん>>302のことを言ってるんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=w0IjjGBVF98
>>302は相当舌足らずだとは思うけど、
たぶんシューベルトを愛する人ならすぐに
理解してくれるだろうということで省略したんではないかな?
当然スケルツォ1小節が1歩ということだろう。
>>320
第2楽章、アンダンテ コン・モート
こちらは、8分音符が1歩である。
その1歩がどのくらいの速さかは好みによるとは思うが
>>320は、現代の演奏の多くが、最初のコントラバス
のpizzz.を「ゆったりした歩みのテンポ」からは逸脱して
いるのではないか、といういら立ちを表している
のではないだろうか? >>300
<細かい音符の反対なら(音価の)大きい音符で通じるかな>
音価の大きいか、あるいは小さいかという判断基準が
結局シュ−ベルトらしさを失わせる要因になってしまっている
んじゃないかな?要するに1歩の中にどれだけの音をつぎ込む
かということだ。
チェロの第2主題と、このアンダンテの33小節からの管楽器
のコラールは同質のものであると聴かせることが出来るかが
指揮者の腕前だと思う。 こんな古臭い交響曲なんかに討論する価値はないだろ
バカかよ、てめえらは >>28
ジャケットのバニーガールみたいな女のケツがエロくて何回か抜いたなア >>58
ベルクは名前自体未完成だからなあ....
え?シェーンベルクじゃなかった?
お後かよろしいようで パフ 緩徐な3拍子の曲を行進と捉えるのというのが全くの謎かつ無意味 >>302が基礎的な部分での間違いを含む
シューベルト好きかどうかでその間違いを理解できるか とか 許容できるか とは話が別 >>330
<>>302が基礎的な部分での間違いを含む>
どの個所が<基礎的>な間違いなのでしょうか?
まあ、文がみじか過ぎて、ある特定のことを述べているのに
それを限定していないという感じはあるけどね。 >>331
早く仕事探せ
塾講師はクビにでもなったか? >>335
まず>>302をちゃんと読みな
それから間違いを訂正して未完成は行進なんだと主張しないと誰も相手にしない
でなきゃ初心者スレみたいので尋ねてみたら
★クラシック初心者質問スレッド PART66★
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1515922234/ まず>>301 >>302 >>303をちゃんと読みな
なぜ答えられないんだろう?
ディベードの手法の一種かな? どこもかしこもマウントの取り合いだね
なんでおまえらそんなに自分が上だって誇示したいんだろう どこまで滑っていくのか面白く見てたのに
そういうなら君のような高邁な人格者が教えてさし上げたらいかが つまらないって言うことが高邁なのかw
おまえもマウント取りたいだけだろ >>339のどこにも つまらない って書いてないんですがね…
書いてないけど>>339が高邁な人格者だということは分かる 5ちゃんが廃れるわけだわな。
カーリングで、ハウスに石を置かずに
ガードばかりしてハウス手前が石だらけ
になってしまうような展開なのか・・・ 完成版ではなくて、スケルツォの完成部分(20小節)だけを1,2楽章に続けて演奏している録音はありますか? 提示部と再現部の同じところで、強弱やスラーその他が
微妙に違っている場合、忠実にその差を強調して再現
しようとするのは意味のあることなのかなあ? レコード時代の未完成は30pLPなら片面、25pLPは両面で発売されてた。 >>351
どいつもこいつも指揮しかしてないんだがな 3拍子が続くから作曲を続けるのを止めた、なんて説
誰が考えたのか知らないけど有り得ないよな。 1 机にしまったまま忘れた
2 三拍子が続くから
3 シューベルトの天才をもってしても1・2楽章に続く音楽が書けなかった
4 我が恋の終わらざるごとくこの曲も終わらざるべし 楽譜送ってるんだから少なくとも1は無いんじゃないの 1 は、その後見つけた時には書く気が失われた
とかいった後付けがあったんじゃあ?(笑)
4は、時系列に無理があるので、明白に却下。
単なる映画脚本家の妄想。 完成されたスケルツォとフィナーレが何処かにあるんだよ、まだ見つかってないだけ。 >>359
ごもっともな疑問で!
最近、音友のスコアを見てびっくりした。
昔のスコアにあったスケルツォのオーケストラ譜と
ピアノスケッチのうち、ピアノスケッチは印刷されているけど
スケルツォの1ページのオーケストラ譜が欠落しているのだ。
実は、第2楽章のあとで自筆譜は切り取られ、別々に保管されている。
残りは10ページあって、1ページだけスケルツォの続きが
書き込まれていて、残りの9ページは未記入の五線紙だ。
したがって、それが続きであって、これ以外のものは存在しない。 >>360
自筆譜の状態については
>>231
に詳しく書いてくれてるね。
第2楽章の最終頁と第3楽章の最初の頁は紙の表裏で切り離す事は出来ない。それで第3楽章の1頁目が1.2楽章と共に寄贈され、残りは別に残された。別の紙に第3楽章の冒頭から続きを書き始めるという事は有り得ると思うよ。
それが全く別のスケルツォだったとしたら、発見されても未完成の続きと判らないかも知れない。 わしはカラヤンのおどろおどろしい演奏が好き。
最初に勝ったLPレコードがこれで、ずっとこれを聴いてたから。
ワルター盤も持ってるけどピンとこない。ベーム盤は無難だけど
面白くない。 切り取った人はシューベルト自身だとの前提が
研究者の中にはあるようだけど、他人が切り取った
ということは考えられないのかな? >>364
ロザムンデへ転用する為にシューベルトが3.4楽章の返送を依頼したと言う説があるらしい。
ヒュッテンブルンナーだと言う事になるが、それならスケルツォの1頁目も必要な訳で、辻褄が合わない。
一旦全部返送されて、別の紙に1頁目を書き写したとしても、それなら全部再提出しただろう、矢張りしっくり来ない。
公開されている自筆譜では69頁が2楽章の最終頁で、70頁がスケルツォの1頁目になっている。
その後に続くスケッチだが、五線紙の段数が16から14に減っている。本当に同じ5線紙なんだろうか? そもそも、スコアの後の同じ紙にスケッチを書き込むのも不自然じゃないだろうか。
本来の72頁以降が別に有るのではないか? <五線紙の段数が16から14に減っている。>
金子本のスケルツォ第1、第2ページのコピーを見る限り
両方とも16段だ。たぶん上下を省略したコピーを見た人の
誤解ではないかな?
《こだわり派のための名曲徹底分析 交響曲の名曲・1》
金子建志著、音友1997
31ページと32ページ
ただ、2ページ目は16段のうち記譜されているのは6段だけ。
ほかの10段は未記入の五線のみ。
これはこの部分のオーケストレイションが薄いため。
とにかくランドンは切り取った切り口がぴったり合っていると
説明している。 >>366
ismlpに上がっている自筆譜では確かに段数が変わっている。金子本のランドンが見つけた物とはまた違う楽譜と言う事か。
ランドンが見つけたのは、6枚の2つ折の紙を綴じ合わせた三冊目の、切り取られた1枚目の紙の片割れで、71頁と72頁が表裏になった1枚と、4冊目に書かれたオーケストレーション仕掛けのスケルツォの断片と言う事だね。 と言う事は、切り取ったのがシューベルト自身の前提でいえば、切り取った時点ではのこりのオーケストレーションも続ける意志があったと言う事かな?
続ける積もりが無ければ切り取らずそのまま渡しただろうから。 >>367
<ismlpに上がっている自筆譜では確かに段数が変わっている。>
というのはネットで見れるの?
もしそうなら、見れるようなアドレスを示していただけないかな?
対照できるから。
<その後に続くスケッチだが、五線紙の段数が16から14に減っている。>
ひょっとしたら、これピアノスケッチのことを言ってるのでは?
金子本のランドンが見つけたのは「オーケストラスコア」だよ。
>>360で言ってるように、最近音友のスコアを見てびっくりした。
旧全集にあったスケルツォ1ページ目のスコアが欠落していて
スケルツォのピアノスケッチ全体だけが印刷されていた。 >>369
https://imslp.org/wiki/Symphony_No.8%2C_D.759_(Schubert%2C_Franz)
これを貼ればいいのかな?
駄目ならimslp で検索してね。
御指摘の通り、ピアノスケッチのようですね。
音友スコアとは違い、スケルツォ1頁めの後にスケッチを繋いであるようです。 >>370
ありがとう!
見てみたけど、ご指摘の自筆譜コピーにはたどり着けなかった。
しかし、
ピアノスケッチなら話は簡単。
ピアノスケッチ自体は、第1楽章の途中から第2楽章全部と
第3楽章の書かれたところまで現存している。
そのうちの第3楽章の現存する部分だけを掲載しているんだろうね。
ノートン版では、第1楽章の途中から最後まで(すなわちトリオの途中まで)
印刷譜として全部見ることが出来る。
それをスコアに続けて掲載しているから、混乱が起こるんだろうね。
スコアとピアノスケッチは別物だ。
そういう発想で、>>231近辺をじっくり読み直してごらん。
たぶん音友は版権などがあって面倒くさいからスケルツォ全部の
スコアをカットしてスケッチだけでお茶を濁しているんだろうね。
図書館ででも金子本を見てみると疑問は雲散霧消すると思うよ。 >>368
<切り取ったのがシューベルト自身の前提でいえば>
そこで疑問に思うのは「本当にシューベルトが切ったのか?」
という問題である。ランドンがヴィーン男声合唱団の書庫
で発見して半世紀もたつのに、こういうことを研究しよう
という学者や、研究成果が一般の音楽ファンにもたらされない
のは非常に奇妙なことだと思う。
何故なら、これが音楽史上最大の謎だとの認識は関係者の
間に共有されている事象だからである。 なぞの大きさは、客観的な演奏の度合いと謎の深さによる。
解決されない謎として、これより大きな謎は果たしてあるのだろうか?
例示していただきたい。 演奏の度合いってよく分からないけど、演奏頻度のこと言いたいの? >>371
図書館は思いつかなかった、アドバイスありがとう、早速図書館で金子本を見て来た。ランドンが見つけたスケルツォの10〜20小節目の筆跡は自筆譜最終頁の70頁の1〜9小節目のそれに一致する。
が、この頁で奇異なのは、クラリネットのパートで、
1〜9小節目は8段目にまとめて2本のパートが記載されていたのに、この頁からは8-9段に2段分けられて、19,20小節にそれぞれ二本づつ記載されている。クラリネットがいきなり増えるのはどうにもおかしい、書かれている音符も何かしら変だ。
金子本によると、この後の頁は白紙の9頁が続いているので、シューベルトはこの誤記は修正しにくいと考えて、この頁を切り取ったのではあるまいか。
そして全く別の五線紙に改めてスケルツォ以降を書き直した。ピアノスケッチでは殆ど出来上がっていたスケルツォを仕上げなかったとは考えにくい。
また、金子本でも指摘しているように、作曲する時は最終楽章迄スケッチしてからオーケストレーションするのが普通で、まだ終楽章のスケッチが無い段階で1、2楽章を仕上げるのは異例だと言う。とすると、終楽章のスケッチも存在していた可能性がある。
つまり、完成されたスケルツォとフィナーレが何処かに存在していた、しかし、それはまだ見つかっていない。
なんてのはどうだろう? 後世の者が色々と考えてみることが出来るのは「謎の作品」
の特権だ。いろいろと考えてみたらよい。
そして、いろんな証拠から、可能性の優劣をつけるのも
面白いことだ。
<19,20小節にそれぞれ二本づつ記載されている。クラリネットがいきなり増えるのはどうにもおかしい>
もう一度じっくり金子本を見るとよい。
34ページには分かり易い印刷譜も付けてくれている。 >>377
なるほど。
楽器が入れ替わっていた訳か。
段 p70 / p71
1 空 / 空
2 V / Vn
3 V / Vn
4 Viola / Va
5 Flaute / 空
6 / 空
7 Oboe / Ob
8 in A Clarinett / Fagotと記載
9 Fagot / Clarinettと記載
70頁では最上段を除く全ての段に楽器指定が記載されている、71頁では8、9段目にのみ楽器名が記載されていて、クラリネットとファゴットが入れ替わっている。
ランドンが発見した頁に書き始めた時、休符が続いていたclとfgは18小節からfgが、20小節からclが入ってくる。
これをシューベルトは先に入ってくるfgを、8段目に書き始めてしまい、20小節目でclを書き始めたところで、段が逆転した事に気づいて、左端に楽器指定を書き加えた様に見えるね。
これはスコアとしては非常に読みにくい。段の増減は有っても入れ替わりは見た事が無い。少なくとも「しまった、間違えた」と思っただろうね。
この書き損じが楽譜切断と未完成になった原因だと言うのも、有りかな? やっと同じ土俵に入ってきたわけだね(笑)
細かいことだが訂正:
段 p32
1 空
2 V / Vn I.
3 V / Vn II.
4 Viola / Va
5 Flauto I. / 空
6 Flauto II. / 空
7 Oboi / 2Ob
8 Fagotti /2Fg.誤記
9 in A Clarinetti /2Kl.誤記
小節線がそこで途切れているということは
このページは作曲途中だということだ。
<この書き損じが楽譜切断と未完成になった原因だと言うのも、有りかな? >
普通作曲家はこの程度のミスを発見した時、書き直さずに
紙を貼って訂正すると思うよ。楽な方を選ぶからねえ。 >>379
p32の8.9段目はclとfgの様だけど?
何箇所かの修正のうち61頁の修正は、2頁後のclを記載した後、塗り潰して修正している。ここでもclを定位置の9段目ではなく7段目に書いてしまっている。
紙を貼り付けると言う様なことはしていないし、全体が完成度の高い、清書された楽譜になっている。
グラーツ楽友協会へ検定するたに、完成度の高い楽譜にしたかったのかな。 今日は某オケの定演で、何度か演奏する機会はあったが、演奏会で改まって聴くのは初めてだったこの曲を聴いて来たんだが、本当に良く出来た曲だと思ったよ。
また、オーケストラがバランス良く鳴るし、第2楽章の木管が素晴らしい演奏をしていた。シューベルトのオーケストレーションは、演奏者に無理な要求をしていない。その上で音楽的インスピレーションに満ちている。 <p32の8.9段目はclとfgの様だけど? >
これは金子本の32ページ(スケルツォ2ページ目)の段ごとの楽器割り付けのこと。
自筆譜全体は未見。
<ここでもclを定位置の9段目ではなく7段目に書いてしまっている。 >
クラリネットの定位置は、8段目。
7段目に書くということは、このスケルツォの2ページ目のように
段を間違って書いたから?
あるいは、正規の8段目のクラリネットを間違って書いてしまったから、
それを斜線などで消して空いている7段目を使ったということ?
五線紙を替えるということは、楽想自体を変更した時になされることが多い。
スケルツォのミスのような簡単な修正の場合は、普通次の3種が多い。
@紙を貼る。
A元の音符をナイフなどで削り取って正しい音符を書く。
B間違った音符を斜線等で消して、正しい音符を上下の空白部分に書く。
<本当に良く出来た曲だと思ったよ。>
仰る通り! なぜ未完成になったんだろうねえ? >>382
金子本のp32の事ですか、私が書いた頁数はシューベルトの自筆譜の頁で、表紙を1頁にして70頁有り、ネットで公開されているもの。これにはランドンが見つけた10頁は含まれていない。
国際楽譜ライブラリープロジェクト(International Music Score Library Project、IMSLP)
Wikipediaからでも辿り着けるので試して見ると良いです。manuscriptが参照できます。
これを見ると、シューベルトが何箇所かクラリネットやホルンを記載する段を間違って修正している事がわかる。
修正は間違った箇所をペンで黒塗りしている。
金子本p31は自筆譜のp70で、左上角に70という数字が記載されている。
金子本p32はランドンが見つけたスケルツォの10から20小節で、18小節目からファゴットが、20小節目からクラリネットが入ってくる。
多分、シューベルトはクラリネットを先に書いたが間違って9段目に書いたのではないだろうか。
その後、ファゴットを書こうとして間違いに気づいた。そこでクラリネットの定位置の8段目に書いて、楽器指定を書き込んだ。
シューベルトはp61でもクラリネットの音を間違ってオーボエが記載される7段目に書いてしまい、オーボエのソロを8段目に書いている。
そして楽器指定を記載し、次の頁で再度楽器指定を記載することで元に戻している。
p71へオーケストレーションしている時に、この間違いに気づいたシューベルトは「まぁたやってしもたぁ、クソッタレ。今日はもうヤメやめ!」と言ったかどうかは別にして、一旦作業を中止する直接の原因になった様に見える。 >>383
何度か試してみたけど、どうもたどり着けない。
こちらのPCに問題があるのかも・・・
<多分、シューベルトはクラリネットを先に書いたが間違って9段目に書いたのではないだろうか。>
このフレーズはOb.をなぞっているだけなので、Fg.を
Ob.のすぐ下に間違って書いてしまって、Cl.を書くとき
になって間違いに気づき、楽器名を書いてFg.の下に
Cl.を音符を書いたんじゃあないかな?
とにかく間違いは間違いであるので、それはp61の
処理をしてしまえばしまいなので、それが作曲中断の
原因とは考えにくいのではないかな? なお、自筆譜p61というのは、金子本p38のコピー、
オーボエの副次主題の部分かな? 金子本の引用が何処の楽譜かは知らんが、まず自筆譜を見ればどうかな。金子本はまだネットも無く、誰でも自筆譜を見る事が出来なかった時代に書かれたものだからね。
印刷譜は校正者の主観が避けられないから、自筆譜が参照出来る時代についてこれて居ない。
まあ、金子氏が書いたのはレコード芸術と言う雑誌の原稿で、論文とは言えない物ではないかな。
録音に残された演奏解釈や、借り物の情報が多い様に思えた。
ランドンが発見した自筆譜のp71以降も、引用の仕方が五線紙全体のものではないため、「切り口が一致した」と言う事実のエビデンスとしては弱い。 金子本に引用されたランドンが発見した自筆譜が真正であり、クラリネットとファゴットのパートがシューベルト自身のものであるとすれば、この書き損じの後作曲を中断した事は確かであって、そしてシューベルトはそれを再開する事は無かった、と言うことか。
何処かに、このスケルツォよりもっと優れた、モーツァルトのk550のメヌエットの様な、第3楽章と、完成度の高いフィナーレが眠っている、と想像するのも、悪くないなと思ったんたけどね。 <金子本の引用が何処の楽譜かは知らんが、まず自筆譜を見ればどうかな。>
ネットを見れないから訊いているのだ。貸し出さなかったのか?コピーを取らなかったのか?
<金子本はまだネットも無く、誰でも自筆譜を見る事が出来なかった時代に書かれたものだからね。
印刷譜は校正者の主観が避けられないから、自筆譜が参照出来る時代についてこれて居ない。 >
仰る通り!金子本はその時代の著書である。だから金子氏は最新の自筆資料を
本の中にコピーとして掲載し、啓蒙したというわけだ。
彼の用いた自筆資料は金子本p8に掲載されているとおり、
カッツビッヒラー版(1977)である(勿論私は未見)。
ところがネットで現在公開されているのは、それ以前の状態
すなわち半世紀以前の状態のように思える。それは
今となっては、マスコミが切り取り報道するようなものなのだ。
要するに、ネットで現物を切り取って見れるということは
歴史映画を見てそれが本当だと認識してしまうのと
同じ効果があるということだ。
だから、金子本を手元で見れないのなら、お願いだから、
もう一度図書館で確認していただいて
<自筆譜p61というのは、金子本p38のコピー>?
これが同一のものなのかを確認していただけないでしょうか。 >>388
平日は仕事だから、そんな暇は無い。
土曜に気が向いたら行っても良いが、期待しないように。
言ってるのは第2楽章の197小節目辺りだ、ここは偶々オーボエのソロでクラリネットは休符のみ。勿論それは当然で、オーボエが A mollで第2主題を再現して、その後クラリネットが Adurで引き継ぐところだから。
もう一度よく見ると、ここに書いてある音符はin Cで A mollのメロディだったわ。
つまり、シューベルトはobのソロを二小節早く書き間違えてるんだ、だからそれを塗り潰し、一段下のクラリネットの段に書き込んでから、楽器の指定を書き込んだのだろう。
この曲でシューベルトはobとclの使い方はかなり苦しんでいたのかな。第一楽章冒頭も、両者のユニゾンと言う大胆なものだし。
ismlpで見ることができるのは下記。
出版社情報 Holograph manuscript, 1822
再版 Munich: Drei-Masken Verlag, 1923.
著作権 Public Domain
このp70と金子本は同じ物である事は間違いない。何故見る事が出来ないのか不思議、こちらはiPhoneで見てるんだけどね。
ひょっとして、英語が苦手でいらっしゃいますか? <ひょっとして、英語が苦手でいらっしゃいますか? >
確かに英語は苦手ですがね(笑い)
たぶんパソコンが問題だと思う。ソフトが入ってないか
現行化していないからだと思う。そちらの方が英語より
もっと苦手だからねえ・・・
<ここに書いてある音符はin Cで A mollのメロディだったわ。
つまり、シューベルトはobのソロを二小節早く書き間違えてるんだ、
だからそれを塗り潰し、一段下のクラリネットの段に書き込んでから、
楽器の指定を書き込んだのだろう。>
当然のことだが、同じ場所のことを言ってるのだと上記の詳しい説明
から分かった。ありがとう!
でも、金子本のコピーでは、塗りつぶした段の前にClar.となっているが
消したものに何故楽器指定が必要なのか?それも逆順で・・・
<Munich: Drei-Masken Verlag, 1923. >
このパブリックドメインの元ネタは1923年ということだが、
そのことも金子本p8に説明されているので、資料状態の全体像は
このページを読むとイメージできるのではないかな。 >>390
消したものに何故楽器指定が必要なのか?それも逆順で・・・
その次のp62には、元の順の、上にob,下にclの指定が書いてある。 この頁だけ上下を入れ替える事を指示したのだろう。 未完成の原因の様々な説は、ランドンの発見
以前の考察かどうかを吟味する必要がある。
勿論それ以降であっても、ランドンの発見を
知らない人の論は無視されるべきだろう。 >>393
今世紀に書かれたヒンリヒセンのシューベルト解説本を見ても
ランドン発見というスケルツォ断片の話など全く書かれていないね。 店頭で音友のスコアを見たら、昔あったスケルツォの
1ページだけのスコアが無くなっているね。 クリスタ・ランドンが発見したとある。
ハイドン研究のロビンスじゃなくて、その二番目の奥さんだったんたね。 未完成の作品をカウントするんなら、ロ短調は13番位になってしまう。だから番号無しで良いと思う。 >>403
《第9》つながりの発想やね。
《未完成》は《第9》の少し前に作曲されたんやけど
緩徐楽章を変奏曲で書くのはハイドン以来の
伝統的作曲法の一つや(《運命》ほか)。
《第9》では、お決まりのように「主部」が変奏される。
ところが《未完成》では「副次部」が変奏される。
それが新機軸やというわけや。 のだめでおなじみの《第7》の緩徐楽章も2つの副次部を持つ
変奏曲形式やが(主部で変奏)、《未完成》がその真逆を行ってる
ことがようわかるやろ。(主部でなく副次部で変奏) はあぁ?
べー7のアレグレットはカノンとフガートを応用した3部形式、未完成のアンダンテは展開部の無いソナタ形式でしょう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています