シューベルト 交響曲第8番「未完成」ロ短調 [転載禁止]©2ch.net
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>>371 図書館は思いつかなかった、アドバイスありがとう、早速図書館で金子本を見て来た。ランドンが見つけたスケルツォの10〜20小節目の筆跡は自筆譜最終頁の70頁の1〜9小節目のそれに一致する。 が、この頁で奇異なのは、クラリネットのパートで、 1〜9小節目は8段目にまとめて2本のパートが記載されていたのに、この頁からは8-9段に2段分けられて、19,20小節にそれぞれ二本づつ記載されている。クラリネットがいきなり増えるのはどうにもおかしい、書かれている音符も何かしら変だ。 金子本によると、この後の頁は白紙の9頁が続いているので、シューベルトはこの誤記は修正しにくいと考えて、この頁を切り取ったのではあるまいか。 そして全く別の五線紙に改めてスケルツォ以降を書き直した。ピアノスケッチでは殆ど出来上がっていたスケルツォを仕上げなかったとは考えにくい。 また、金子本でも指摘しているように、作曲する時は最終楽章迄スケッチしてからオーケストレーションするのが普通で、まだ終楽章のスケッチが無い段階で1、2楽章を仕上げるのは異例だと言う。とすると、終楽章のスケッチも存在していた可能性がある。 つまり、完成されたスケルツォとフィナーレが何処かに存在していた、しかし、それはまだ見つかっていない。 なんてのはどうだろう? 後世の者が色々と考えてみることが出来るのは「謎の作品」 の特権だ。いろいろと考えてみたらよい。 そして、いろんな証拠から、可能性の優劣をつけるのも 面白いことだ。 <19,20小節にそれぞれ二本づつ記載されている。クラリネットがいきなり増えるのはどうにもおかしい> もう一度じっくり金子本を見るとよい。 34ページには分かり易い印刷譜も付けてくれている。 >>377 なるほど。 楽器が入れ替わっていた訳か。 段 p70 / p71 1 空 / 空 2 V / Vn 3 V / Vn 4 Viola / Va 5 Flaute / 空 6 / 空 7 Oboe / Ob 8 in A Clarinett / Fagotと記載 9 Fagot / Clarinettと記載 70頁では最上段を除く全ての段に楽器指定が記載されている、71頁では8、9段目にのみ楽器名が記載されていて、クラリネットとファゴットが入れ替わっている。 ランドンが発見した頁に書き始めた時、休符が続いていたclとfgは18小節からfgが、20小節からclが入ってくる。 これをシューベルトは先に入ってくるfgを、8段目に書き始めてしまい、20小節目でclを書き始めたところで、段が逆転した事に気づいて、左端に楽器指定を書き加えた様に見えるね。 これはスコアとしては非常に読みにくい。段の増減は有っても入れ替わりは見た事が無い。少なくとも「しまった、間違えた」と思っただろうね。 この書き損じが楽譜切断と未完成になった原因だと言うのも、有りかな? やっと同じ土俵に入ってきたわけだね(笑) 細かいことだが訂正: 段 p32 1 空 2 V / Vn I. 3 V / Vn II. 4 Viola / Va 5 Flauto I. / 空 6 Flauto II. / 空 7 Oboi / 2Ob 8 Fagotti /2Fg.誤記 9 in A Clarinetti /2Kl.誤記 小節線がそこで途切れているということは このページは作曲途中だということだ。 <この書き損じが楽譜切断と未完成になった原因だと言うのも、有りかな? > 普通作曲家はこの程度のミスを発見した時、書き直さずに 紙を貼って訂正すると思うよ。楽な方を選ぶからねえ。 >>379 p32の8.9段目はclとfgの様だけど? 何箇所かの修正のうち61頁の修正は、2頁後のclを記載した後、塗り潰して修正している。ここでもclを定位置の9段目ではなく7段目に書いてしまっている。 紙を貼り付けると言う様なことはしていないし、全体が完成度の高い、清書された楽譜になっている。 グラーツ楽友協会へ検定するたに、完成度の高い楽譜にしたかったのかな。 今日は某オケの定演で、何度か演奏する機会はあったが、演奏会で改まって聴くのは初めてだったこの曲を聴いて来たんだが、本当に良く出来た曲だと思ったよ。 また、オーケストラがバランス良く鳴るし、第2楽章の木管が素晴らしい演奏をしていた。シューベルトのオーケストレーションは、演奏者に無理な要求をしていない。その上で音楽的インスピレーションに満ちている。 <p32の8.9段目はclとfgの様だけど? > これは金子本の32ページ(スケルツォ2ページ目)の段ごとの楽器割り付けのこと。 自筆譜全体は未見。 <ここでもclを定位置の9段目ではなく7段目に書いてしまっている。 > クラリネットの定位置は、8段目。 7段目に書くということは、このスケルツォの2ページ目のように 段を間違って書いたから? あるいは、正規の8段目のクラリネットを間違って書いてしまったから、 それを斜線などで消して空いている7段目を使ったということ? 五線紙を替えるということは、楽想自体を変更した時になされることが多い。 スケルツォのミスのような簡単な修正の場合は、普通次の3種が多い。 @紙を貼る。 A元の音符をナイフなどで削り取って正しい音符を書く。 B間違った音符を斜線等で消して、正しい音符を上下の空白部分に書く。 <本当に良く出来た曲だと思ったよ。> 仰る通り! なぜ未完成になったんだろうねえ? >>382 金子本のp32の事ですか、私が書いた頁数はシューベルトの自筆譜の頁で、表紙を1頁にして70頁有り、ネットで公開されているもの。これにはランドンが見つけた10頁は含まれていない。 国際楽譜ライブラリープロジェクト(International Music Score Library Project、IMSLP) Wikipediaからでも辿り着けるので試して見ると良いです。manuscriptが参照できます。 これを見ると、シューベルトが何箇所かクラリネットやホルンを記載する段を間違って修正している事がわかる。 修正は間違った箇所をペンで黒塗りしている。 金子本p31は自筆譜のp70で、左上角に70という数字が記載されている。 金子本p32はランドンが見つけたスケルツォの10から20小節で、18小節目からファゴットが、20小節目からクラリネットが入ってくる。 多分、シューベルトはクラリネットを先に書いたが間違って9段目に書いたのではないだろうか。 その後、ファゴットを書こうとして間違いに気づいた。そこでクラリネットの定位置の8段目に書いて、楽器指定を書き込んだ。 シューベルトはp61でもクラリネットの音を間違ってオーボエが記載される7段目に書いてしまい、オーボエのソロを8段目に書いている。 そして楽器指定を記載し、次の頁で再度楽器指定を記載することで元に戻している。 p71へオーケストレーションしている時に、この間違いに気づいたシューベルトは「まぁたやってしもたぁ、クソッタレ。今日はもうヤメやめ!」と言ったかどうかは別にして、一旦作業を中止する直接の原因になった様に見える。 >>383 何度か試してみたけど、どうもたどり着けない。 こちらのPCに問題があるのかも・・・ <多分、シューベルトはクラリネットを先に書いたが間違って9段目に書いたのではないだろうか。> このフレーズはOb.をなぞっているだけなので、Fg.を Ob.のすぐ下に間違って書いてしまって、Cl.を書くとき になって間違いに気づき、楽器名を書いてFg.の下に Cl.を音符を書いたんじゃあないかな? とにかく間違いは間違いであるので、それはp61の 処理をしてしまえばしまいなので、それが作曲中断の 原因とは考えにくいのではないかな? なお、自筆譜p61というのは、金子本p38のコピー、 オーボエの副次主題の部分かな? 金子本の引用が何処の楽譜かは知らんが、まず自筆譜を見ればどうかな。金子本はまだネットも無く、誰でも自筆譜を見る事が出来なかった時代に書かれたものだからね。 印刷譜は校正者の主観が避けられないから、自筆譜が参照出来る時代についてこれて居ない。 まあ、金子氏が書いたのはレコード芸術と言う雑誌の原稿で、論文とは言えない物ではないかな。 録音に残された演奏解釈や、借り物の情報が多い様に思えた。 ランドンが発見した自筆譜のp71以降も、引用の仕方が五線紙全体のものではないため、「切り口が一致した」と言う事実のエビデンスとしては弱い。 金子本に引用されたランドンが発見した自筆譜が真正であり、クラリネットとファゴットのパートがシューベルト自身のものであるとすれば、この書き損じの後作曲を中断した事は確かであって、そしてシューベルトはそれを再開する事は無かった、と言うことか。 何処かに、このスケルツォよりもっと優れた、モーツァルトのk550のメヌエットの様な、第3楽章と、完成度の高いフィナーレが眠っている、と想像するのも、悪くないなと思ったんたけどね。 <金子本の引用が何処の楽譜かは知らんが、まず自筆譜を見ればどうかな。> ネットを見れないから訊いているのだ。貸し出さなかったのか?コピーを取らなかったのか? <金子本はまだネットも無く、誰でも自筆譜を見る事が出来なかった時代に書かれたものだからね。 印刷譜は校正者の主観が避けられないから、自筆譜が参照出来る時代についてこれて居ない。 > 仰る通り!金子本はその時代の著書である。だから金子氏は最新の自筆資料を 本の中にコピーとして掲載し、啓蒙したというわけだ。 彼の用いた自筆資料は金子本p8に掲載されているとおり、 カッツビッヒラー版(1977)である(勿論私は未見)。 ところがネットで現在公開されているのは、それ以前の状態 すなわち半世紀以前の状態のように思える。それは 今となっては、マスコミが切り取り報道するようなものなのだ。 要するに、ネットで現物を切り取って見れるということは 歴史映画を見てそれが本当だと認識してしまうのと 同じ効果があるということだ。 だから、金子本を手元で見れないのなら、お願いだから、 もう一度図書館で確認していただいて <自筆譜p61というのは、金子本p38のコピー>? これが同一のものなのかを確認していただけないでしょうか。 >>388 平日は仕事だから、そんな暇は無い。 土曜に気が向いたら行っても良いが、期待しないように。 言ってるのは第2楽章の197小節目辺りだ、ここは偶々オーボエのソロでクラリネットは休符のみ。勿論それは当然で、オーボエが A mollで第2主題を再現して、その後クラリネットが Adurで引き継ぐところだから。 もう一度よく見ると、ここに書いてある音符はin Cで A mollのメロディだったわ。 つまり、シューベルトはobのソロを二小節早く書き間違えてるんだ、だからそれを塗り潰し、一段下のクラリネットの段に書き込んでから、楽器の指定を書き込んだのだろう。 この曲でシューベルトはobとclの使い方はかなり苦しんでいたのかな。第一楽章冒頭も、両者のユニゾンと言う大胆なものだし。 ismlpで見ることができるのは下記。 出版社情報 Holograph manuscript, 1822 再版 Munich: Drei-Masken Verlag, 1923. 著作権 Public Domain このp70と金子本は同じ物である事は間違いない。何故見る事が出来ないのか不思議、こちらはiPhoneで見てるんだけどね。 ひょっとして、英語が苦手でいらっしゃいますか? <ひょっとして、英語が苦手でいらっしゃいますか? > 確かに英語は苦手ですがね(笑い) たぶんパソコンが問題だと思う。ソフトが入ってないか 現行化していないからだと思う。そちらの方が英語より もっと苦手だからねえ・・・ <ここに書いてある音符はin Cで A mollのメロディだったわ。 つまり、シューベルトはobのソロを二小節早く書き間違えてるんだ、 だからそれを塗り潰し、一段下のクラリネットの段に書き込んでから、 楽器の指定を書き込んだのだろう。> 当然のことだが、同じ場所のことを言ってるのだと上記の詳しい説明 から分かった。ありがとう! でも、金子本のコピーでは、塗りつぶした段の前にClar.となっているが 消したものに何故楽器指定が必要なのか?それも逆順で・・・ <Munich: Drei-Masken Verlag, 1923. > このパブリックドメインの元ネタは1923年ということだが、 そのことも金子本p8に説明されているので、資料状態の全体像は このページを読むとイメージできるのではないかな。 >>390 消したものに何故楽器指定が必要なのか?それも逆順で・・・ その次のp62には、元の順の、上にob,下にclの指定が書いてある。 この頁だけ上下を入れ替える事を指示したのだろう。 未完成の原因の様々な説は、ランドンの発見 以前の考察かどうかを吟味する必要がある。 勿論それ以降であっても、ランドンの発見を 知らない人の論は無視されるべきだろう。 >>393 今世紀に書かれたヒンリヒセンのシューベルト解説本を見ても ランドン発見というスケルツォ断片の話など全く書かれていないね。 店頭で音友のスコアを見たら、昔あったスケルツォの 1ページだけのスコアが無くなっているね。 クリスタ・ランドンが発見したとある。 ハイドン研究のロビンスじゃなくて、その二番目の奥さんだったんたね。 未完成の作品をカウントするんなら、ロ短調は13番位になってしまう。だから番号無しで良いと思う。 >>403 《第9》つながりの発想やね。 《未完成》は《第9》の少し前に作曲されたんやけど 緩徐楽章を変奏曲で書くのはハイドン以来の 伝統的作曲法の一つや(《運命》ほか)。 《第9》では、お決まりのように「主部」が変奏される。 ところが《未完成》では「副次部」が変奏される。 それが新機軸やというわけや。 のだめでおなじみの《第7》の緩徐楽章も2つの副次部を持つ 変奏曲形式やが(主部で変奏)、《未完成》がその真逆を行ってる ことがようわかるやろ。(主部でなく副次部で変奏) はあぁ? べー7のアレグレットはカノンとフガートを応用した3部形式、未完成のアンダンテは展開部の無いソナタ形式でしょう。 どーでもいい疑問だけど昔は失われた交響曲が一曲あるってことで7番が欠番 8番が未完成でグレイトが9番だったんだよね? んでどうやら失われたと思われていた曲がグレイトと同一らしいということになって一番ずつ繰り上がったと だけどそれならグレイトが7番で未完成が8番ってことにはならんの? んとドーデモイイ疑問ですんませんが知ってる人がいたら教えてくださいm(_ _)m >>408 「8番が未完成でグレイトが9番だった」時期に第7番を割り当てられたのは 「失われた交響曲」(「グムンデン・ガスタイン交響曲」)ではなく、 スケッチ段階までは出来上がっているとされた未完成交響曲ホ長調 (オケで演奏するにはどの楽章も補筆を要するという点で「未完成」とは事情が異なる) …ということだったはず >>409 そーなんですか? まったくの初耳です だったらなんだって繰り上がりが起きちゃったんでしょうか? その失われたのとは関係なしなんですか? そのもっと前はグレートが7番目だから7番で未完成が8番だったよ。 なんでも9番にしようとしている時期があったんだと思うよ、新世界も5番だったし。 《大ハ長調》は元7番。6番の《小ハ長調》と区別するため 《大ハ長調》のあだ名が付けられた。 《未完成》はその後知られるようになったので8番。 9番好みの時代に《未完成》より後に作られたので 《大ハ長調》は9番と呼ばれるようになった。 シューベルトに未完成交響曲はたくさんあるので 《ロ短調》だけを番号付けて呼ぶのは変だという話があるが、 他の未完成交響曲はほぼ演奏されないので 現在のような番号付けになったんだろう。 メンデルスゾーンの5番が5番のままなのはなんでだろな? たぶん、シューマンやメンデルスゾーンのファンや学者は そんなくだらん番号論争なんかには拘りたくないからじゃあ? カラヤンのDG1964盤、とてもいいな EMIのほうは人工的で厚化粧で苦手だったから カラヤンの未完成交響楽は敬遠していたんだけど もっと早く聴けばよかった 明智光秀のことのほとんどが謎のように、《未完成》の理由もみな謎にされてしまったんだろうね。 >>415 あれは日本からの要請で運命と裏表にしたいからと 依頼したんだよね モーツァルトを1番崇拝して居たショパン、チャイコフスキー、ビゼー、 ドボルザーク、マーラー、 より! ベートーベン1番崇拝して居たシューベルト、シューマン! メンツ見ただけでモーツァルト派よりベートーベン派の方が偉大だと判るはずだが? > モーツァルトを1番崇拝して居たショパン、チャイコフスキー、ビゼー、 > ドボルザーク、マーラー、 > より! > > ベートーベン1番崇拝して居たシューベルト、シューマン! > > メンツ見ただけでモーツァルト派よりベートーベン派の方が偉大だと判るはずだが? > > この糖質スコア自慢野郎とやらがベートーベンやらハイドンやらバッハに、それほど自信をもてて無かった事が解る。悔しいんだろな。 > モーツァルト貶しの直後に理解者だとか > モーツァルト判らん自分を確定するの怖れて予防線はってるつもりか?チグハグで弱腰なんだよな。頭悪過ぎで産まれて。 > 哀しい奴だよ。 > > > > > > > > > > > > ↓ > > > > > > > > > > > > >>386 > > > > > > > > > > > > > モーツァルトって頭悪かったのか?あまり知性を感じないけど > > > > > > > > >>>389 天才グレングールドがモーツァルトは発展性がないって > > > > > > > > > > > > > > > > >392 グールドを否定する奴は必ずグールドの作曲家 > > > > > > > > > としての能力を引き合いにだす。 > > > > > > > > > おきまりパターンw グールドは実はモーツァルトの物凄い理解者だよ。あの弾き方でわからない? > > > > > > > > > モーツァルトも平均律のチューニングが > > > > > > > > > 大嫌いだったのは知ってるよね?まあ、平均律とかとんでもない日本語だけど会話について来れるかな?w 自分で音を理解できない奴隷には無理だよw > > > > > > > > > > > > > > > > >393 所詮映画アマデウスみて洗脳されてる奴隷ばっかなんだよな。自分の考えなど何一つなし。モーツァルトは実にくだらない曲が多い。 フジコへミングの7つのヴェールの踊り 宇野功芳はフジコへミングに舞を所望する。 フジコへミングはそれに応じようとしないが、宇野功芳が褒美は何でもほしいものを与える、と持ちかけたため、 フジコへミングは裸身に7枚の薄いヴェールを身につけて踊り始める。 官能的な舞が進むにつれ、ヴェールを一枚ずつ脱ぎ捨ててゆくフジコへミング。 宇野功芳は激しく興奮し、やがて舞を終えたフジコへミングに何が欲しいかと尋ねる。 フジコへミングの答えは、銀の大皿に載せた辻井伸行の生首。 さすがに狼狽した宇野功芳は代わりのものとして宝石等ではどうか、と提案するものの、フジコへミングは頑として合意しない。 騒々しい大音響が響き、首切り役人が銀の大皿に乗せた辻井伸行の生首を持って現れる。 フジコへミングは狂喜してそれを掴むと、お前は私にくちづけさせてはくれなかった、だから今こうして私が・・・ と歌った後、恍惚として辻井伸行の生首にくちづけする。 そのさまに慄然とした宇野功芳はフジコへミングを殺せと兵士たちに命じ、フジコへミングは白目をむいてその場で死ぬ。 Klemperer Schubert - Symphony No.8 "Unvollendete" (1968) VPO https://www.youtube.com/watch?v=cNb84sqnZmA > この糖質スコア自慢野郎とやらは、誰にも何とも思われない阿呆で、同じ何の創造力も無いゴミ阿呆グレルグレールドを引き合いに出してモーツァルト批判。 > まぁ、かなり頭悪いんだろけどなぁ‥って感じだが、モーツァルト判らん確定を怖れて予防線の様なもんを張ってチグハグで弱腰。この辺が哀しみが伝わって来て笑えるよな! > > > > > > ↓ > > > > > > > あはは、ばかじゃねえかw > > > > > > > 君はグールドの音は死んでも理解できないし > > > > > > > とにかく必要ないからきかなくてよいよ。 > > > > > > > グールドは作曲家ではないしあんなものはお遊び。 > > > > > > > しかしグールドは作曲家の精神、曲の構造、何を表現しているか、人間の恥のようなものにも過剰に敏感であり、特にモーツァルトに関してはシアトリカルな部分が耐えられないと言っていた。俺にはよくわかるなあ、グールドの気持ちが。 > > > > > > > 俺も魔笛のあの有名なメロディとか大袈裟でくだらないと思うし、恥ずかしい。 > > > > > > > おそらくすぐ感情的になり逆上する人間だろモーツァルトは。 > > > > > > > 俺はモーツァルトの曲は全オペラ含めほとんど聴いているが > > > > > > > つまらない曲は大量にある。しかし > > > > > > > モーツァルトはバッハの次に好きだし > > > > > > > モーツァルトのかわいい曲は好きだけど、 > > > > > > > グールドは幼稚な人間ではなかったからね。 > > > > > > > ハイドンありきだろ、モーツァルトはあまりにも > > > > > > > 過大評価だよ。 > > > > > > > ただ他の作曲家ではありえないほど凄いメロディを持っているのは > > > > > > > 凄いと思うよ。羊かいのアリアとかミサ。ピアノ協奏曲とか交響曲は飽きてしまったな、単純すぎて、あんなメロディにうっとりしてた20代前半の若き自分が懐かしいw > > > > > > > メロディは所詮飽きる。 まだまだ古典派が主流だったあの当時弱冠25歳でこんな曲書いたって モーツァルトメンデルスゾーンどころじゃない規格外の天才だよな マジで神かなんかだったんじゃないのか > 糖質スコア自慢野郎はモーツァルト判らんくて悔しいのバレバレ! > ↓ > > > > あはは、ばかじゃねえかw > > > > > > > > > > 君はグールドの音は死んでも理解できないし > > > > > > > > > > とにかく必要ないからきかなくてよいよ。 > > > > > > > > > > グールドは作曲家ではないしあんなものはお遊び。 > > しかしグールドは作曲家の精神、曲の構造、何を表現しているか、人間の恥のようなものにも過剰に敏感であり、特にモーツァルトに関してはシアトリカルな部分が耐えられないと言っていた。俺にはよくわかるなあ、グールドの気持ちが。 > > > > > > > > > > 俺も魔笛のあの有名なメロディとか大袈裟でくだらないと思うし、恥ずかしい。 > > > > > > > > > > おそらくすぐ感情的になり逆上する人間だろモーツァルトは。 > > > > > > > > > > 俺はモーツァルトの曲は全オペラ含めほとんど聴いているが > > > > > > > > > > つまらない曲は大量にある。しかし > > > > > > > > > > モーツァルトはバッハの次に好きだし > > > > > > > > > > モーツァルトのかわいい曲は好きだけど、 > > > > > > > > > > グールドは幼稚な人間ではなかったからね。 > > > > > > > > > > ハイドンありきだろ、モーツァルトはあまりにも > > > > > > 過大評価だ> > ただ他の作曲家ではありえないほど凄いメロディを持っているのは > > > > > > > > > > 凄いと思うよ。羊かいのアリアとかミサ。ピアノ協奏曲とか交響曲は飽きてしまったな、単純すぎて、あんなメロディにうっとりしてた20代前半の若き自分が懐かしいw > > > > > メロディは所詮飽きる。 シューベルトのスレで質問スレはないんですね。 ここが最適か知らんけど。 鱒で出てくる魚はブラウントラウトでしたっけ? ブルックでしたっけ? >>431 シューベルトスレあるよ シューベルト総合 3 ↑ これ 未完成の補筆完成版聞きたいな 今ではCD化されてないものも多いから珍品に近い扱いだ 演奏会などでも補筆完成版を積極的に取り上げてほしいものですな 全集を買う予定ですが、お勧めを教えください。 ムーティー/VPO ケルテス/VPO ジンマン/トーンハレ ヴァント/南西ドイツ アーノンクール/コンセルトヘボウ ベーム/BPO あたりを候補にしてます。 よろしくお願いいたします。 アーノンクール/ヨーロッパ室内管 今年リリースされた全集ライブ 「交響曲第7番 ロ短調 D.759 「未完成」」 シューベルト:作曲 (管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、(指揮)ヘルベルト・ブロムシュテット (25分37秒) 近衛秀麿の録音は再現部の聴かせ方が独特で他では得られない感動がある ひたすら美しいと思う未完成、教えてください 演奏・録音ともに耽美的という言葉がぴったりくるような 今のところクリップスVPOがいい感じだけど、やはり音は古い 同じVPOでもケルテスのは結構アクセント強くて、これは合わない Cクライバーのもちょっと方向が違う 実は定番ワルターは聴いてないのでこれから購入予定、よさそうだけど音は期待できない 今世紀入ってからのがいいけど、HIPモダンだとまた違うかなぁと思う 無いものねだりっぽいけど、よろしくお願いします >>444 バンスタ/コンセルトへボウの盤なんかどうかしらん? 往年の熱量が薄れ晩年の枯れた境地が聞けて案外心地いいかもよ >>446 バーンスタインって、耽美的という言葉からかなり遠い印象あるな >>450 そもそも未完成自体が別に耽美的な作品じゃないから それを最も「ひたすら美しく」演奏した録音を探している、 ということだな、>>444 は 曲をあるがままに演奏したものではなくて >>437 ベームはよろしくない 無難に感じるのはムーティ >>437 VPOがシューベルト全集を託すことを認めたのは いまもってケルテスとムーティだけだっけ でもケルテスは持ってるけど、 どうしてもVPOじゃなきゃならんほどの特質はなかった コリン・デイヴィスも持ってるけど、初期のこじんまりとした曲も 大交響曲然と大がかりに鳴らすので、これもまたイメージと違った。 一番好きなのはブロムシュテットSKDかな メニューインとかはまあ温和な演奏やね マリナーのPHILIPSに入れた全集聞きたいなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる