クラ板で語る現代音楽 Part3 [転載禁止]©2ch.net
>>360
評論家の後ろ盾がないと生き残れないから? 必要以上に持て囃されるとそのぶん消費も速いしな
流行り過ぎたスタイルは後で古臭く感じやすくなる 既に結構長いし、10年では消えないだろ。
ゾンビ化して久しい業界だし、飽きるも何も…
歌は歌っぽかったな。アリアはさすがに無かったがw
歌詞の載せ方はあんな適当でいいのかと思ったが、
英語の現音オペラなんて聞いたことないから、あれで普通なのかな?
きちんと載せたら現音的には逆にダメ? >>358
思い返してみると原作にもあるユーモア要素も音楽化してたかな >>363
>>366だと言葉から歌を作り出す事自体が絶対悪みたいに書かれてたけど
自分はむしろ「あえてこうする」事を肯定的にとらえたがな。
しかし官僚よりも官僚的な文章で
こんな文章書く人が監修するオペラってどうなるのか不安になってきた。 言葉からの「歌」は理解しがたい「海」との対比としての意味合いや未知の存在を理解しようとしてもがく人間の性としての意味もあるのだろう、多分w >>358-359
現代作曲家のオペラってプレトークにアフタートークに分厚いプログラムで説明てんこもりな公演多いけど
プログラムも最小限で作品だけで勝負するってのは潔いとオモタ 来年マックス・リヒター連続日本初演
まぁ、日本の評論はメタクソに叩くと思われるが
「天下のグラモフォン様の後ろ盾が目に見えぬか」
といわれて歯の浮いたような絶賛になる悪寒も。
秋吉台以降の現代音楽批評って恐怖と金勘定でど
うにでもできるからなぁ。 >>317
気持ち悪いえーと、曲?しかないじゃん。
無理矢理演奏させられてぶち切れてた人を間近で何人も見た。 テレビ入って無かったから指揮者がボロクソに酷評してたよ。一緒にいた若手は滅茶誉められてて聴衆みんな分かるから拍手喝采だった。 敏夫ちゃんの恩師とマブダチなのでそのことを話したら爆笑してた。出来の悪いのほど可愛いんだと、いつも気にしてる。
で、その事を敏夫に話したら、ふーん、あ、そうと言われた。それ聞いて本気で死ねと思った。 ごめん間違った。敏夫でなく俊夫。敏夫ごめん。俊夫もむごい。改名すればいいのに。 >平田オリザさんから大晦日に届いたメールにこう書いてあった。
「私は大学の卒業生たちには、『日本は滅びつつあるが、今回の
滅びに関しては、できる限り他国に迷惑をかけずに滅んで欲しい』
と毎年伝えています。来年一年が、少しでも豊かな後退戦になる
ように祈るばかりです」
//blog.tatsuru.com/2015/01/01_1016.php
Toshio Hosokawa 2015.12.10
皆さん、自民党に投票して、もっともっとたくさん原発を創り、稼働させ、
そしてまた震災を体験したり、戦争をしたりして、この国を滅ぼしましょう。
日本人がこの地上からいなくなったら,人類はもう少し長くこの美しい地球
に生息できるかもしれないし、地球上の様々な動物や植物も喜ぶでしょう。
うちのトトや動物たち、森の大きな木やお花たちにも選挙権があれば,
絶対に今の政権には怒っていますよ。 写真はふてくされているトト。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10152941905278447 >>376
バロックオペラのダカーポアリアみたいな歌詞の繰り返しにちょっと引いたが
ベンジャミンのオペラもそんな感じだよな 音楽ドラマ「THE鍵KEY」谷崎潤一郎×フランチェスカ・レロイ
劇場でなく一軒の邸宅の四つの部屋で同時進行していく物語を
観客が部屋を移動しつつ見聞きしていく趣向らしい。
すでに全席完売のようだが
観に行く奇特な人がいたらレポヨロシコ >>371
音楽の友6月号に「二人静」カラー超絶賛記事 >>370
リヒター受け入れる程日本のゲソ界は成熟してないということか
いつまでも秋吉台のまま 1人が保守してんのか
現代音楽好きだったけど歳のせいか聴くと疲れるようになってしまったよ
モツベトハイドンバッハに逆戻り
最後に買ったのもリームエディションの6だし 有象無象いろいろ聴いて思うようになった
シュトックハウゼンは偉かったと シュトックハウゼンはたぶん遺族が権利握ってて音源が一般に流通しないのが痛いな
まあ流通したらしたで化けの皮はがれると思うけど >>386
自分も逆戻りってほどではないがゲソ聴く頻度はたしかに減ったなあ
もともとゲソっても1970年代以降のはあんまり聴いてないけど
今も一昨日マーラー、昨日シュトックハウゼン、今日ショパン、みたいな聴き方してる 2019年6月9日[日]15:00 東京オペラシティ コンサートホール
「2019年度武満徹作曲賞本選演奏会」東京フィルハーモニー交響楽団
全席自由 1000円
3人が中国の作曲家
しばらく聞いていないので、日曜だし行きたいな、まさか寝ちゃわないよな
譜面審査があるらしいが、最近の曲は読める譜面を使うものなのか 中国三人、マヌリのパチモンだったら目も当てられない >>388
20世紀後半〜21世紀初頭の範囲ではクセナキス、ブーレーズ、シュトックハウゼンが
三巨頭だと思ってる
(ケージは俺よくわからん) 俺的には三巨頭はリーム、アデス、バートウィッスル、かな アデスだけやたら格が低いような
俺は現役なら、リーム、ルジツカ、チェルハ
見事にドイツばっか
期待はヴィトマンとフィリップ・ヘフティ Aphex Twinとかを現代音楽家として捉える視点も持たないとな 中国でマックス・リヒター>>370の「sleep」か 英国で秋にバートウィッスルの「オルフェウスの仮面」再演だけど
あれがどう舞台で表現されるのかいまだに想像できないw 英国ってPMD氏んだからバートウィスルやフィニッシーあたりが再重鎮な感じか あ、フィニッシー入れてファーニホゥ忘れてたw
まだ生きてんのか >>403
>中国でマックス・リヒター>>370の「sleep」か
万里の長城の”foot”でやるらしいが
10月の万里の長城で野外? サントリーホールサマーフェスティバルで
ジョージ・ベンジャミンのリトゥン・オン・スキンを聞いてきたが、
結局ベンジャミンの良さは今回も分からずじまいだった。
誰か説明してほしい。 ウンコリのやるものはそもそも音楽でもないプロパガンダ騒音 >>415
こんなモノが堂々と出てきたら、今後日本はマズいとこに追い込まれるだろ
愛知トリエンナーレと違って上演禁止にするわけにもいかないし
欧米で話題になったらエライ事だぞ >>417
シンポジウムで新国の監督に打診してたけど? まあアベノセイダーズは>>417みたいな心配しないだろう、
てかむしろそこを狙ってるんだろうからな… >>417
http://www.a-cordes.com/20140721watanabeyawara
幕切れでホロコースト犠牲者らの「彼らを決して許さない」という声をストレートに舞台から語らせるこの作品を、
ドイツの主要劇場のひとつたるフランクフルト歌劇場がどう処理するのか、大いに注目される。
例えば、ウンスク・チンが韓国人女性の視点から従軍慰安婦をテーマとするオペラを作曲したとして、
その作品を日本の新国立劇場が上演出来るだろうか。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp 韓国人が使う「道徳的優位性」は、劣位とみなした敵対者への人権侵害を正当化する
言葉でしかない。差別主義者の韓国人にふさわしい言葉だ。
韓国で儒教はマウンティングの道具になり下がった。 再開された「表現の不自由展」
事前に教育プログラムとかなぜか現代音楽のコンサートを思い出したw
まあ似て非なるものなのだが なんか多様式が当たり前になって、現代音楽は詰まらなくなったよ
Widmannの声楽付き大規模管弦楽作品Arche、
エトヴェシュの新作ハレルヤなんかもそうだけど
ハレルヤだからヘンデルをそのまま使う、とか安易すぎる
エトヴェシュはまだまだもっととんがって貰いたいんだけどなあ・・・ >>424
カタカナとアルファベットをごちゃ混ぜに使って書く人の発言は信用ならない ルトスワフスキのチェーンのスコアを見たけど、いわゆる「管理された偶然性」のためか
ものすごく抽象的に書かれてる。
各奏者はもちろん、指揮者にすごい負担がかかりそう。
聴いてる方はただのぐちゃぐちゃにしか聞こえないけど。 偶然が「管理」されたら、もう偶然とは言えないような気がw
こういう作品が2度目の演奏(生でも録音でも)では、初演とそっくりなのを何度も聴いた樣な気がw
気のせいかw 偶然は本当に全く管理しないのなら全ての値が等しい確率で出力されて
それはランダム音楽として詰まらないものだが、
例えばこの音が出やすくする、このフレーズは出にくくする、
と確率に非対称的な確率テーブルを定義してやれば
それは厳密な意味で管理された偶然性だろう
というか今の現代音楽作曲家が全くプリミティブなランダムを用いることは到底あり得ない
なんらかの仕方、あるいはイデーで管理することで、そのランダムネスを個性豊かなものにしている 考え方としてはホワイトノイズの扱い方も一緒
湯浅の「ホワイトノイズのためのイコン」も、それまでの西洋的な正弦波の加算という音作りに対して、
プリミティブな一様なホワイトノイズの減算、つまりある周波数帯で削ったりあるいはブーストしたりすることで個性的な音色の発生の手段とした
最も湯浅は電子音楽を自力では作れなかったという話だが・・・ >>430
普通に現代音楽の場面で「管理された偶然性」というと、五線譜で書かれた断片の組合せに任意性を持たせるという意味で使われることが多い気がする
この単位となる楽譜の部分が図形だったり、文章その他による演奏の指示であるものが偶然性の音楽といわれていて、
その場合「管理された」とはあまり言わないのかな
つまり、実際にはなにがしかのパラメータが管理されてるからこそ作曲行為なのであって、当然全ての作曲行為は多かれ少なかれ管理された偶然性の範囲にあると言える
例外はテープ音楽くらいしかない >>431
湯浅さんは電子音楽をグラフで作曲するんですよね
彼が不思議なのは、電子音楽以外の普通の演奏家による音楽もグラフで作曲するらしいこと >>432
それはせいぜいルトスワフスキ、およびその技法レベルの作曲家しか
当たらないな
ようするに未だにピアノに向かってごりごり楽譜書いてる奴
今の前衛ってMAX/MSPか、もっとできる奴はテキストベースのプログラミングで
パラメータ管理等やってて、それを数値として出力して
伝統楽器使う場合は楽譜ソフト
電子音楽ならその数値でシンセのパラメータ設定するとか
そういうのが普通だから >>434
その今の前衛を、「管理された偶然性」とは言わないのでは?
管理された偶然性というテクニカルタームは、ルトスワフスキおよびそれに影響された人達にしか使わない気がする >>435
「管理された偶然性」ってルトスワフスキのテクニカタームでもなんでもなく、
ブーレーズが言い出したことなんだがな
ブーレーズは1960年代からバリバリコンピュータで作曲してたから、ルトスワフスキとそのフォロワーに適切なテクニカルターム、という意見には
まったく賛同できない
>>436
MAX/MSPが基本だろ
Ableton Liveて・・・まあ俺もライブの時にはリズムマシーンとしてのみ使ってるけど シュトックハウゼン初期作品のいくつかも
管理された偶然性を採り入れてるよな ブーレーズはPli selon pliの不確定部分を確定記譜に書き直したって聞いたけど
「管理された偶然性」は意味なかったと思ったのかな
他の作品(Structures IIとか)はどうしたのか知らんけど ケージが偉大な思想家だったのは単なる東洋思想かぶれでも神秘主義者でもなく
東洋思想の研究家そのものだったからなのだが
ブーレーズのそれに対する応答は、西洋的概念体系への包摂という、
応答としては極めて西洋的にスタンダードな反応と言わざるを得ない
まー最終的にどっちが音楽的に面白いかっつったら主観的にはブーレーズなんだけど
ここはクラ板だからね
あと日本の作曲家って、和要素、邦要素入れると詰まらんよね、
古くは黛、今は細川、望月なんか、ずっと潮流としてはあるけど、
ローカル性の西洋メソッドへの混合という意味ではもっとずっと前に卒業してもよかった >>442
>あと日本の作曲家って、和要素、邦要素入れると詰まらんよね、
逆に問うけど、あなたの考える和要素の無い日本作曲家って誰を想定してますか?
更にあなたの評価する日本作曲家とは、たとえば誰? 単なる好みで言えば、近藤譲、西村朗、高橋悠治、池田亮司、小杉武久、あとはクラシックかは微妙だけどGAP(曽我、多田、佐藤)とか、タージマハル旅行団(小杉リーダーだが)とか
近藤は和要素あるな
でもそれ以上に独自性がある
西村の東洋神秘主義の濫用はギャグレベルで、逆に新鮮に響く >>444
なるほど、ありがとう
その中では西村さんはわりと好みだけど、オレは武満、伊福部かなあ ラッヘンマンはオワコン?
まぁ自分は初めて聞いた時から「嫌い」だった。 ラッヘンマン、そういや最近名前聞かないな、
ドイツといや、リームと弟子のヴィトマン。
まあマッチ売りの少女でやりたい事やり尽くしただろ。
他にも何枚かもってるけど、全然記憶にないわ。
彼のコンセプトって、特殊奏法の追及だから、ベリオで終わった仕事と言えばそれまでなんだよな。
ベリオは、記憶に残る、強烈なインパクトだったけど(有名なシンフォニアやセクエンツァ以外の作品でもね) 先週末のゴンチチのFM番組で近藤譲がかかった
1年くらい前にも別の近藤作品がかかったが、これは事件と呼べよう 選曲の人がそういうの好きなんだろう
選曲はゴンチチの二人+湯浅さんと渡辺さんの週替りだっけ?
良く変な曲かかるから聴き逃せないw >>452
教えてくれてありがとう
変なポップスから現代音楽までかかるから面白いよね デスプラ「サイレンス」
細川俊夫らしき人が評論家らしき数人引き連れてたから
これから出る雑誌で出る批評は絶賛と予想。能オペラだし。 しかし
ヨーロッパの作曲家が能を意識すると雅楽もセットで取り込むというのはどーゆーことなんだろうな ネタ切れ状態だろ
日本人がインド音楽を取り入れるようなもの そうじゃなくて、能と雅楽は関係ねえ!ってことじゃないの