【指揮者】ピエール・ブーレーズ Part2 [転載禁止]©2ch.net
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指環は、CDとDVDがあるが?
企画がバーゲンだから、リマスターは期待薄 70年バロイトのパルジファル、SACDで発売されたら即買う 最新リマスターが必ずしも良いとはいえない
ってのが昨今のトレンドだからなあ
初期盤持ってるならそれは大事にしといた方がいい >>363の臨終間際の回心エピソードから思い出すのはストラヴィンスキーの最期。
死の床にあって見舞いに来た知人から「レコードでも聴きますか?ブーレーズは?」と訊かれたストラヴィンスキーは、
唇をブルルルル、と震わせて不平を表し、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏曲を望んだという。
冷たい美の結晶のような音楽を理想とし、ブーレーズに自らの後継者を見ていたストラヴィンスキーも、
死の間際にそんなものは何の慰めにもならないことを悟り、温かい血の通ったベートーヴェンを望んだのかもしれない。
ストラヴィンスキーの「夜鳴きウグイスの歌」も、生身のウグイスを忘れて機械仕掛けの鳥の歌に夢中になった皇帝が、
重い病気になり、機械鳥も壊れ、みんなに見捨てられて寝ている時に再び訪れたウグイスの歌で生き返る物語。
音楽があれば他には何も必要なく、宗教など歯牙にもかけなかったブーレーズ
(『パルジファル』の音楽の奥深さに対して、台本に登場する天国だの天使だののなんと退屈なことか)。
しかし体を壊して指揮もできなくなった晩年のブーレーズは、音楽が自分を見捨てたことを悟ったのだろう。
機械仕掛けの鳥や廷臣たちから見放された中国の皇帝のように。
ちなみに、晩年のブーレーズは神経生物学者との対話で「創造的想像力を持った機械など不可能です」と、
機械への不信感を語る一方、自宅の外でさえずる鳥の歌によく耳を傾けて過ごしていることを匂わせている。
神経生物学者は、衰えたブーレーズにしきりに音楽と神経生物学の連携を説き、科学が主導する普遍的な芸術というアイディアを
売り込もうとしているが、ブーレーズは最後に「一致は一時的なもので、不調和こそ根源的です」と一蹴している。
青年期に宗教と決別し、共産主義にも嫌悪しか感じず、科学者の驕りも許せず、温かい家庭も拒絶したブーレーズが最後に辿り着いたのが
幼少期の環境や師のメシアンを思わせる鳥たちの歌でありカトリックへの回心だったというのは、やや予定調和に過ぎるが、感慨深いものがある。 ちなみにブーレーズの「創造的想像力」は、日本の井筒俊彦などと並び20世紀最大のイスラム学者だった
アンリ・コルバンがイスラム神秘主義(スーフィズム)の内的体験のダイナミズムを描写する時によく使っていた言葉。
コルバンは、ブーレーズが参加していたシュザンヌ・テズナのサロンのメンバーだった。
https://1000ya.isis.ne.jp/0474.html
しかしこのサロンのメンバーの豪華さ、本当にすごい。
モラヴィア、グレアム・グリーン、シュペルヴィエル、サン゠ジョン・ペルス、アンドレ・マッソン、イヨネスコ、
エミール・シオラン、ルネ・シャール、ニコラ・ド・スタール、ジョン・ケージ。
ブーレーズは当時ポール・クローデールやアンドレ・ジッド、ルネ・シャールとも親しく交流していた。
今こんなメンバーが一堂に会するなんてとても考えられない。
ブーレーズも、コレージュ・ド・フランスの教授になった時、かつてのテズナ夫人のサロンのようなコミュニティを
復活させたいと望んでいたが結局果たせなかった、と後に語っている。
やっぱりヨーロッパ文化というものは衰退していっているのだなあ。 ブーレーズのマーラー「復活」って聞きやすいね
角がないしゴツゴツしてないなめらかな演奏 シェーンベルク編BWV552、 CSOじゃない演奏出ないかな
CSO自主製作盤は演奏も音質もイマイチ
いいところでティンパニがチューニングしている音を拾っていたり興醒め ブーレーズとシカゴ響は定期公演のマラ1を聴いたけど金管がキンキン響いて耳障りだったな
シカゴのオーケストラホールは何回も行ってるからホールの音響のせいではないと思うけど 質問があります。
ブーレーズは2016年に亡くなりましたが、何年まで指揮活動していたのでしょうか?
確認出来たのは2011年のマーラーやベルクですが。 雅楽よりも能楽よりも文楽が好きだったというのが意外
初めて日本に来た時、昼夜通しで観てたとか ストラヴィンスキーはそれらよりも
たまたま通りがかったちんどん屋さんにより興味を示したというのがいかにもなエピソードだね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています