未だに古楽否定する老害なんなの? [転載禁止]©2ch.net
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古代ギリシャの音楽(マドリード・アトリウム・ムジカエ/パニアグア)
ANCIENT GREEK MUSIC (Madrid Atrium Musicae, Paniagua)
http://ml.naxos.jp/album/HMA1951015
レビュアー: ビー太郎 投稿日:2013/09/29
その昔、オーディオ評論家の長岡鉄男氏が絶賛していた、古代ギリシャの音楽がハルモニアムンディの登場にて、ナクソスで聞けるようになりました。
往時、オーディオ的興味で買い求めましたが、パニアグアのユーモラスなとぼけた味わいはクセになります。
本当に古代ギリシャでこういう曲がこういう風に演じられていたのか,などということはどうでも良くなるほどの面白さで久々に一気に聞いてしまいました。
録音も良くいろんな意味で名盤だと思います。 モダン楽器は伝統第一の保守的な考えに基づく
古楽器はつねに伝統に疑問を持ち改革・改善を行う その伝統とやらもフルベン、カラヤンあたりのものであってな
それがすべてではないと思うね
説得力がある演奏というより、レコードによって
感化され、見本にされてきたわけだが。
言ってみりゃ前世代がすり込まれてきたものというべきか 定番とされてる演奏ってぶっちゃけ今となっては疑問なものが多いよな
声のでかい老害評論家、リスナーがゴリ押しして定番化してるだけ 前レスでも出てるけど結局は演奏者の音楽造り・力量次第だろう。
やや古楽器否定派の俺もブリュッヘンのロ短調のCDは感動したし。
ただ20年前に東京でヤーコプスのロ短調を生で聴いた限りでは、
現代のコンサートホールの音響で古楽器を使うのはちぐはぐ感が否めんと感じた。
オケが明らかに下手くそだったほうが大きいかもしれんが。
ベルリンRIASの合唱が現代の声楽ベースの合唱を見事に聴かせてたんで
それとの落差が酷かったわ。 現代奏法では優れた才能をもった人が多く、名門音楽院大学を出た人や
コンクールで優勝した人しか表舞台にでられない。
有名になれない、有名オーケストラに入れない人が自己主張し、這い上
がる手段、というか道だったのが古楽だったというのでは?
その一番の成功者がアーノンクール。現代楽器のままで古楽奏法で演奏
させるから、現代オーケストラにも受け入れやすかった。
勝手な想像です。 何と比べて下手なのか
現代楽器とその奏法とならまったくのお門違いだぞ
楽器の構造やら奏法が違うんだからな
むしろ古楽器か現代楽器か違いが判らないような演奏だったら
むしろそれは古楽器を使用しているが現代楽器風な
折衷的な解釈・演奏であって上手・下手とは関係ないことのように思う。
RIASの合唱、現代の声楽ベースとの落差があったのなら
そうであって当たり前で、むしろそうでなくてはおかしいんよ。 ビブラート掛けまくりで強い音圧で攻めていくのが上手いんですよ。
モダンオタの連中にとっては。 >現代楽器のままで古楽奏法で演奏させるから、現代オーケストラにも受け入れやすかった。
今どきの子にはこう思われてるのか〜 トップオケの中でもいちばん穏やかそうなヘボーですら
そうとうな反発をくらったそうだね
そこはさすがプロ集団、よくぞあそこまで。
そこでノリントンとN響を思い起こすなら欧米と日本の一般とでは
ざっと30年ほどのギャップがあるということだな。
「受け入れやすかった」と思われるのも無理もない。 >>285 >>286
ありゃま。そうね?
じゃあ、アーノンクールはあの剥き出しの目(眼力)で従わせたのね 何度も言うがアーノンクールだのガーディナーだの語ってる時点でお前らの認識は古すぎるんだ
所詮ここはアジアだし仕方ないのかな、悲しいね >>282
アーノンクールってウィーン交響楽団だったような。
ビルスマは主席だな。
人前で立派な演奏をする力はモダンも古楽器でも変わらないよ。 >人前で立派な演奏をする力はモダンも古楽器でも変わらないよ。
まぁ指揮者となると特殊なお仕事 >>288
アーノンクールとガーディナーは演奏家ではないから、ピリオドもモダンも両方振らないと
暇が出来ちゃうんだよ。 ちょいまちよ、アーノンクールには無伴奏チェロ組全曲録音あるだろぐぁ。 >>290
アマンディーヌ・ベイエを差し置いてモニカ・ハゲットの話題で持ちきりだったら
問題あるけど
指揮者となると大家はなかなか出てこないからなあ
ハイドン交全曲録音のアントニーニには期待大だが。
あとガーディナーは古楽器を使ってはいるが
モダン指揮者でピリオドも振ったラトルや故マッケラスの足元にも及ばない
ただの雑魚だから。
アーノンと一緒に語るべからず。 古楽指揮者ではアレッサンドリーニがずば抜けてるな
ミンコフスキも好き >>294
あんたそれの録音年代を分かって言ってるのかよw >>296
お前は似非ファンだな
本当のファンはミンコフスキなんて言わない
マンコフスキだ 昔は音色が嫌いという人がややいたけど最近は少なくなったのかな サヴァールは指揮者としては故ブリュッヘンに遠く及ばない。
サヴァールはホプ・スミス、コープマンとの三つどもえの録音をもっと残して
欲しかったなあ…… 古楽のブランデンブルクでお勧めある?
個人的にはベルリン古楽が一番好きなんだけど >>302
初稿版ならとりあえずホグウッドかな
http://www.youtube.com/watch?v=h9tXarOeSkI&list=PLE9r9WaXCrG4KoiEdFEzjEV6YqvSXXGZR 逆に古楽器のブランデンブルグでお勧めできないCDは無いから安心して何でも聴きたまえ。 レオンハルト指揮のもいいんだがトランペットがな・・・ >>302
スイス・バロック・ソロイスツのナクソス盤もいいよ
2番のトランペットは名手エクルンドだから安心して聴ける モダン楽器のブランデンブルグなんて聴いた事がないから知らないんだけど、
モダンオケではガンバのパートは何で演奏してるの?チェロで代用してるとか? 古楽器もちあげる老害もどうかと思うがな
必死に新しいとかアピールする必要はない 冨田勲の「惑星」とか「展覧会の絵」とかと一緒で、
これまでとは違った響きを求める過程で、古楽に行き着いたんだろうな
古楽も冨田も忠実にオリジナルを再現してるわけではない、という点では一緒
古楽もエンタメの一環
たんに響きを楽しめばいいだけの話し >>315
これまでとは違った響きを求める過程で、古楽に行き着いた?
演奏者側がって事?それとも聴き手側が?
リアルタイムで変化の波を知らないですけど
古楽器の使用は当時の音色により近いものを再現してみたいという演奏者(表現者)の純粋な欲求から始まったと思ってた。
古楽器的な奏法や楽譜の解釈による古楽奏法はそれに付随(追随)したものかと。 作曲家の意図を探るという点ではなるべく楽譜に忠実に演奏するというのと同じくらい当然の流れ。
楽器地が違うんだからそもそも間違った奏法で演奏されていただけ。 そんなこと言ったら、演奏形態だって、当時と同じにしなきゃダメでしょ?
飯食ったり話し合ったりしてる、うるさい部屋のなかで演奏しなきゃダメなわけでしょ?
交響曲だって、途中でぶった切って、
ノリの良さそうな小品まぜて演奏しなきゃいけないわけでしょ?
そういうことやって、初めて「忠実に再現」になるわけでしょ?
音色ばっかり追求したって、現代の演奏会は当時のそれとは大きく異なってるから意味がない。
結局は、現代の演奏に新しい響きを追求したいだけでしょ?
現代の演奏で満足してたら、そんな欲求出てこないわけだし
いいとこ取りばかりしてしまうと、とてもじゃないけど当時の再現にはならない
しーんと静まり返ったところで、最高の音響ホールで、
音楽を集中して聞くなんていう聞き方自体が、現代的なんだから
楽器や奏法ばかり追求する姿勢は、まさに「現代的」な音楽観 >>319
落ち着いてw
そういう、0か全部かじゃないとダメって考え方は色々と損しちゃいそう。意味がないってのは極端すぎw
確かに大ホールだと古楽器が出す音色の魅力は半減しますよね。
でも欧州だと大きな箱での演奏以外にも教会だとかサロンだとかでの演奏も普通にあってると思うし
全部が全部静まり返った大ホールという訳ではない。セレナータだってあるし。
日本でも全く無い訳ではないでしょう?
飲食を伴ったりダンスを楽しんだり、そういう形態の演奏会がもっと増えるといいなとは思います。 だって、古楽追求してる人に、319で書いたような再現姿勢はないでしょ?
純粋に音楽的に音楽を追求してるだけでしょ?
まるでそれが真正な音楽であるかのような、そんな顔して弾いてるわけでしょ?
やかましかったり、音楽プログラムが無茶苦茶だったりする、
当時の演奏形態に、古楽の人たちは興味ないと思うよ
興味ないどころか、そんな聞き方は失礼だと怒り出しそうな雰囲気 >>321さんの周りはそういう方ばかりだったのですね。だとすると
これまで色々と嫌な思いされていらっしゃるのかもしれませんね。
私の場合は古楽器演奏や古楽奏法が必ずしも正しい演奏だと言っているわけではないですよ。
オペラを正しく再現なんてのもカストラートが居ない以上、無理な作品もあるわけですし。
ただ単純に音色やその響きを通して当時に想いを馳せたいという気持ちは強いです。
演奏者にも色々な人がいるとは思いますが
極力当時の形態を再現する試みをされてる演奏者もいるのではないでしょうか。
演奏中に笑い声があがったり、それを演奏者側が誘っていたり煽っていたり
果てはお客さんにも歌わせたり、そういう演奏会もあると思いますよ。 >>319
>そんなこと言ったら、演奏形態だって、当時と同じにしなきゃダメでしょ?
>音色ばっかり追求したって、現代の演奏会は当時のそれとは大きく異なってるから意味がない。
なぜこう思うのかちょっとよくわからないw
ピリオド楽器で大ホールで演奏するのが無茶というくらいの話。 古楽器の演奏が「忠実に再現」を目的または目指しているなんていうのは古楽器演奏に
親しんでない人の考えてる事だね。
古楽否定派の思考は「忠実に再現」が一人歩きしすぎなんだよ。 古楽はそもそも鄙びた音が好きだから好き
あと昔の演奏はビブラートかけすぎててキモイけど古楽はメリハリあるんで好き 古楽器は薄化粧で自然な音がする モダン楽器は厚化粧してヤボったい音がする >>309
でも現時点であのクルクル巻きのクラリーノ(?)で演奏してるのは
seon盤のそれしかないのでは・・・?
>>326
古楽器の鄙びた音であるゆえにMAKやイタリア勢のようなアタックの強いメリハリのある演奏も
可能なわけで、音量のあるモダン楽器でそれをすると
かなりエゲつない音になるということも
ファイのハイドン録音で証明されたってわけだ。
やはり流行を追うといよりは適材適所でなくてはあかんですな。
>>312
リコーダーパートをフルートでやることはあるけど
それを言うならチェンバロパートをモダンピアノでやってる録音を探す方が難しいでしょ
もっともチェンバロにはモダンチェンバロってのがあるんだけどな・・・。 >>315
>これまでとは違った響きを求める過程で、古楽に行き着いたんだろうな
これは完成された登山道をどんなファッションで登るかというような意見だよ
聴く側はそれで構わないが、演奏家でもガーディナーやミンコ、FBOなどが
いいとこどり、モダンの耳にも違和感なく要領よくやってるからね。
それまで少なからずの批判だとか誹謗を受けた
開拓者とでは同じピリオドといっても一様には語れないはず。
ここ2ちゃんはそれすべてひとまとめに語ろう、否定しちゃおうといった
野蛮なやつが多いところですよ。 >>322
歴史的な資料に書いてある
たとえばモーツァルトの手紙とか、当時のコンサートの演奏プログラムとか >>329
書いてあるんだから再現しようと思えば出来るだろ、って意味かな?
オペラに関して言えば、初演時の配役(歌手達の名前や声種)まで書いてあるものが現存してる訳だけど
カストラートという絶滅声種があるわけで、再現は無理という事。
近年ではカウンターテノールという代替声種による演奏でかなり近い事も出来るようになっているとは思うけど
そのカウンターテノール自身が「音色に関しては別物だと思う」と述べてる。本物面なんて決してしていないよ。
そういう演奏者達もいるって事を言いたかったのね、>>322では。わかって頂けるといいけど。 古楽って結局まともなことやっても相手にされない箸にも棒にもかからないような雑魚が
世間に注目されんがために新奇な演奏をする口実として古楽器をダシにしただけだけなんでしょ。 >>331の「まともなこと」というのが何なのかだが
ガーディナーはそう評てしかるべきと思う。
ロンドンの腕扱きピリオド奏者を集めて
速めのインテンポで演奏すれば誰だってあのくらいの演奏は可能だ ガーディナーのCDは評論家が誉めてるけど、バッハの管弦楽組曲は
あっさりしすぎて食い足りん。ロリン・マゼール指揮の方が好き。
ただ、ピリオドも聴くよ。
でも、ガーディナーは食いたりーん、食いたりーん 平気でモダン振る人は信用出来ない モダンの悪口を言ったことがない人は別として
ここでもガーディナーは論外 若い世代はモダンの悪口を言わないからいいよ >>330
それ、オペラの話しであって、器楽の古楽とは同一視できないよね?
まぁあくまでも古楽的なアプローチへの「試み」であって、忠実な再現なわけではないから、
別に器楽でもオペラでも、現代風の古楽ってことでいいと思うけど
けど、なぜか分からないけど、古楽の演奏見てると、
「昔はこうやって演奏していました=これが本来の正しい演奏」っていう雰囲気が、
ひしひしと伝わってくるんだよな、なぜなんだろ 「これが正しい演奏」という御題目のもと
新奇をてらって注目を集める浅はかな戦略 「これが正しい演奏」という御題目のもと
新奇をてらって注目を集める浅はかな戦略 >>336
ピリオド奏法がモダンの奏者にも普通に取り入れられてる時代にまだこんなこと感じている人がいるんだなぁとしか思わないw >>336さんは>>315、>>319、>>321、>>329さん?て事でいいのかな。
何故、声楽の古楽と器楽の古楽を同一視できない、って感じちゃうのかな。分けて考えるほうが不自然だと思うよw
歌手だって声の演奏者だし、声楽にだってオケあるんだし、そのオケは誰がやってるんだー?
>「昔はこうやって演奏していました=これが本来の正しい演奏」っていう雰囲気が、ひしひしと伝わってくる
ってのはやっぱり多くの演奏者が当時のスタイルに対して何かしらの強い思い入れがあって、やるからにはなりきってるからでは?
それを>>329さんが嫌味と感じてしまうのが何故なのかなー?って事だね。
せっかく古楽も聴く耳持ってらっしゃるみたいなんだから、そこのモヤモヤ取り除けたら一層楽しめそうなのにね。 >>334
マゼールの管弦楽組曲俺も好きだわ。とくに2番は超名演だと思う
管弦楽組曲はモダンの方が聞くこと多いけどブランデンブルクは古楽しか聞けない >管弦楽組曲はモダンの方が聞く
3番のエアが星の数ほどアレンジされてるからね つーか、ホグウッドやコープマンのように
昔の筆写譜を現代譜にトランスレーション、リアライズできなきゃ
現代譜になってるおなじみの曲ばかりが演奏・録音されるだけですぜ?
モダンの演奏家・指揮者でそこまでする人いるか?
ストコフスキーみたいに現代譜を自分なりにアレンジしたり
手を加える人は多いけどね。
ピリオド以前の頭は発掘とか洗い出すという作業は学者が
積極的にしてくれてるものと思ってるんだろうね。 モダンでやってる人はいくらでもいるわけだが 知らないだけだろ 日本のオケでロトのシエクルとかバーゼル室内管のように
モダン楽器と古楽器を持ち替えられる日が来るのは
あと30年くらい先の話だな
ちょうど鈴木兄弟のオケが70年代のプティットバンドのような存在やからね。 >>344
へーいくらでもいるのかい
そこまでやって楽器や奏法に無関心な人がねえ 久々に骨のあるオーボエ奏者が出てきた その名はシモーネ(シモネタ)トニ! 45 名無しの笛の踊り sage 2014/05/24(土) 20:43:45.58 ID:sB3SQ+e5
一番の悪はフルトヴェングラーやトスカニーニみたいな汚い録音ばっか聴いてる奴ら
日本ではこいつらが権力を持ってしまったため名曲名盤推薦本もこんなのばっか
クラシック初心者がこいつらの本を読んで汚い雑音にウンザリし
クラシックから遠ざかった 入り込むべきでない者を遠ざけただけだから別に偉くも何ともないだろそんなの Le Concert de la Loge Olympiqueって古楽ブログ知ってるやついる?
キモイけど色々良いCD教えてもらった 古楽はいろいろ発見がまだまだあるのが面白い もちろん古典派やロマン派もだけど
ヴィヴァルディの未発見オペラも古楽器でやってほしいなぁ 「囚われたアンドロメダ」ってオペラをぜひ復元してほしい >>357
知ってる
確か元は古楽スレのコテだったんだよね >>358
ヴィヴァルディの囚われたアンドロメダって何だろ
Andromeda liberataの事? >>357
あのサイトなんで消えたんだろ?管理人が忙しくなったから? 古楽器って録音で聴くと癖がある音が多いんだが
生で聴くと柔らかい自然な音がする
本当の古楽器の音はオーディオでは分からない モダン楽器も人の声も何だってオーディオでは分からないだろ。 ピアノみたいなデカくて重い楽器が一番オーディオじゃ伝わらない 古楽器の台頭はCDの普及と同時だったから
CDが忠実な音の再現だと勘違いした輩が多すぎた いや、ピアノやハープシコードなど単一楽器の録音は問題ないけど
オケやアンサンブルになると
途端にマイクセッティングが難しくなる。
クイケンのハイドン・ザロモン交(前期6曲)録音など
弦楽器を柔らかく録ろうとして
マイクを離しなすぎ補助マイクをほとんど使用してないのか
ティンパニの音などほとんど入っていないコシのないサウンドに
陥っている
演奏がいいだけにもったいない。
逆にホグウッドのモツ交などはマイクが近すぎる結果
ノンビブラートが強調されて
やけにメタリックなストリングスサウンドになってることは
皆さんお気づきのことだろう。 それを証拠に
優秀録音と評価されるastree、旧accentなど
トリオなど最小編成の録音ではないか そういえば、ホグウッドのブランデンブルクの日本語解説に録音風景のレポが載っているが
モツ全の時はマイクがたくさん並んでたのにブランデンブルクの録音ではマイクがたった二本だったそうだ バッハのハープシコード協奏曲だったら
各パート1人のほうが、より自然な響きで録れてる。
パーセルカルテットなどの録音を聴いてみてほしい。
つまり曲そのものもモダンオケのように
弦の人数が多くする必要性がない。 ガーディナー/ビルソンのモーツァルトピアノ協奏曲全集なんかは音の捉え方が素晴らしい。
人工的なバランス調整やスポット・マイクは用いられていないと、初出の全集国内盤のライナーに書いてある。 ガーディナーは基本モダンの室内管弦楽団的な根拠のない弦の人数やから
個人的にはピリオド楽器は使っていてもモダンな解釈の指揮者だと思う。
編成が大きくなればなるほど人工的なバランス調整やスポット・マイクは必要。 >根拠のない弦の人数やから
それ言ったらホグウッドもそうだね。
ハイドンの交響曲なんかは忠実な編成みたいだけど、かなり大きめな人数の録音が多いよ。ホグウッドは。
パーセルやペルゴレージやヴィヴァルディなんかで、第1ヴァイオリンだけで8人くらいとかデタラメだから。
もちろん忠実を謳ってないで、そういう演奏なら問題ないけど、作曲当時そんなデカイ演奏は一般的じゃないから。
バッハのチェンバロ協奏曲と同じようにと言えば分るかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています