未だに古楽否定する老害なんなの? [転載禁止]©2ch.net
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つまり
アーノンクールが振るへボー、ウィーンフィル、ベルリンフィルは飽きちゃうというんだねw 結局、古楽の受容も一回りして、古楽肯定してた層が偏愛から偏執化して今や老害化しているわけだね。 そして古楽と古楽器の用語を使い分けられない馬鹿が今なお大量生産されている現在。 >>701
以前に、確かアンドラーシュ・シフが、モダンで食えないやつが古楽器に逃げているだけ、と言っていたな。
後、記憶が曖昧なので表現は不正確だが、時代を超えた大作曲家を同時代の凡百の作曲家と同じに演奏してるだけ、みたいな ピアノの話だね。
オワゾにたった1枚フォルテピアノ録音を残した野次馬のとんでもなく上から目線の評だね。
確かにフォルテピアノ奏者として華々しくデビューしたメルヴィン・タンを例にすると
そういうクラシック界の風潮もあってかモダンピアノに転向して
それ以降、消えてしまったような人もいれば
バドゥラ・スコダのような大御所でフォルテピアノをコレクションして
分け隔てなく演奏・録音してる人もいる。
いずれにしても古楽器だけでやってくには選曲だって時代が限定されるわけで
とりわけ古楽と古楽器の用語を使い分けられない馬鹿が住む国では
テクニックがあったところで古楽器だけじゃとても食ってはいけないよ。
古楽器先進国の英国ですらモダンと古楽器を両立というか
どちらにも対応できなきゃ食ってけないのに。 結局、古楽好きな奴もモダンを否定しているよな
卵を割ってヒヨコが最初に見た者を親と思い込む
刷り込みに一生左右されてるヒヨコ並みなんだよな ただ俺にはどうしても古楽器の「当時の音」に対する
モダン楽器エリートの言い逃れ・言い訳にしか聞こえない。
そういうエリートに限ってサティ〜ジョン・ケージの系譜、
現代音楽を演奏しない狭レパさんは
古い曲には古楽器が自分のレパートリーに食い込んでくる
新しい曲を委嘱したり献呈されもしない。 レオンハルトが「ピリオド演奏の成果は選択肢を増やしたこと」と発言してもう15年経つのに、このスレは時代遅れな考えの人が多いんですね。 って?あれ?古楽の人っていつの間に古楽器への拘りを捨てたんすか?もしかして日和ったんですかぁ〜?w 古楽の人にはもともとモダン楽器で演奏する人たちもたくさんいますが。 たしかロナルド・ブラウティハムも元々モダン・ピアノの人 フォルテピアノもあんまりフォルテピアノに聞こえない >時代を超えた大作曲家を同時代の凡百の作曲家
といった感覚の人間がピリオド楽器のもつ味や良さに気づけるわけがないよ ピリオド楽器は中古楽器と違うよ
クラシックカーを新車や中古車と比較したりせんだろ
管楽器だと中古楽器でも20世紀初頭くらいのものならヴィンテージ
ピリオド楽器だが。 >モダンで食えないやつが古楽器に逃げているだけ
といった発言も80年代のちょとしたブームに警鐘を鳴らす意味でいったのだろ。
それを2017にもなって真に受けるやつもいるもんかね
飽きのこないという昔の録音ばかり聴いて30年以上遅れてるんだから仕方がないか >>715
そうだな。時々キムチでも食いたくなる感覚に近い。 >>722
んだな。最近は古楽で食えなくなってるのがモダンに流れてるw しかし古楽ブームの始め頃は古楽はモダンから離れて独自展開するのかと思いきや、
最近はむしろモダンに擦り寄ろうとしているのが何ともキモい。 >>725みたいなのが用語の区別ができない馬鹿の典型。 古楽器()
古楽()
どっちでもええわw
どっちもあれだw ルネサンスもバロックも古典派もロマン派も現代も全部アレw あぁ.
ガット弦張るとか張らないとか言ってた時期が懐かしいw 「古楽なんですぅw」みたいな予防線張って
新たな表現模索するのってダセえよな。 54名無しの笛の踊り2017/08/24(木) 18:07:22.04ID:EQaMEiNA
古楽系の指揮者のシューマン全集でいいと思ったことない
ヘレヴェッヘ、ガ―ディナー、ダウスゴ―
やっぱりロマン派の申し子としてはバンスタやシノーポリが正解だと思う ダウスゴ―は古楽器の指揮やってるの?
そもそもヘレヴェッヘ、ガ―ディナーは
バッハカンタータ以外は聴くに値しない。
ピリオドのマン交でいいのはノリントンLCPの3,4番(この2曲しか録音しなかった)と
グッドマン・ハノーヴァバンドだけです。
あとはクリヴィヌに期待だな。
因みに3番はジュリーニ(DG)もいい。
昔の指揮者にありがちだった勝手にパートを付け足したりしているところは
モダン楽器の面目躍如。ロス・フィルの弦がちょっと荒いのが難だが。 ピリオドの影響もあって勝手に楽譜をいじったりせず
楽譜通り。それも原典版、筆写譜なんてやってる今のモダン楽器サイドにこそ
へたれと言われる原因がある。ピリオド・サイドを悪く言う資格なし。
だからいつになっても大昔の録音が選ばれるなんて
情けないすりこみにもほどがある。 >そもそもヘレヴェッヘ、ガ―ディナーは
>バッハカンタータ以外は聴くに値しない。
へぇ、驚いた。普通にバッハ以降の時代の方が良い演奏多いのに。 ヘレヴェッヘのエリアとパウロ、ガーディナーの楽園とペリはバッハより数倍良いよ。 声楽曲は良しとしても
交響曲、協奏曲の類はつまらなすぎる。
彼らのような古楽器を使う事以外は全てにおいて手抜きな演奏が
ピリオド嫌いの人達の誤解を招いているとしか思えない。
ガーディナーは繰り返しで一回目の録音を編集して使っていたりして
(すべての録音でなのか知らんが)いいかげんにやってる。 一回目の録音というのはわかりにくい表現かな
繰り返し部分は同じ録音を編集でつなげて
繰り返してるようにしている
余計わからんか ヘレヴェッヘとガーディナーは元々声楽(とその指揮)が専門だから声楽に偏るのは当然 むしろ交響曲、協奏曲は無理にやらんでもいいキガス。
二人とも指揮者としての真価が問われるハイドン交響曲を避けているのは賢い証拠。
ミンコフスキはライブ演奏でしかもそれが盤になってしまい
見事にアホを露呈してしまった。
Phiの葉っぱのオブジェみたいなジャケデザインが芸術的に良すぎる一方で
ガーディナーのどこの誰かわからん顔ジャケは怖すぎる。 そういえば、ガーディナーだっけ?
録音のリテイクしても、前と同じテンポで振れないってエンジニアに馬鹿にされてたのは? >>737
>そもそもヘレヴェッヘ、ガ―ディナーは
>バッハカンタータ以外は聴くに値しない。
>声楽曲は良しとしても
みんなどっちなんだとw しかし、古楽器演奏と言えばガーディナーとヘレヴェッヘしか出て来ないのはモダンヲタの痛い所w モダンヲタと言っても昔の指揮者の演奏だけが好きで、最近のモダン楽器の演奏、録音には興味がなかったりするんだよね。 >>733
そもそもバッハ(J.S)は自作、他作問わず楽譜通りに演奏したのかな?
作曲家が奏者に楽譜通りに演奏する事を強いるのって案外後期ロマン派かブルマラあたりからじゃなかろうか? >>745
ハイドンも若いころの作品は修飾音を控えめに書いていたが年取るにつれて修飾音を増やしていった
これは未熟な演奏者が増えたために自分勝手な装飾音を入れるのを嫌ったためとされる
当時の批評家も「ハイドンは楽譜通りに演奏すべきだ」と言っている まぁ>>733はいくらなんでも無知すぎて相手する気にもならないレベル。
1回はシュタイアーのトルコ行進曲でも聴いてずっこけてみると良い。 当時の「〜すべきだ」を真に受けてその通りに演奏するのもいいが
当時の「〜すべきだ」は希望でしかない
C.P.E.バッハの「交響曲には鍵盤楽器を参加させるべきだ」は、
裏を返せば、交響曲に鍵盤楽器を参加させる習慣が廃れかけていたことを示す バロックから古典派初期にかけては特にバス声部について楽譜通りなんてう思考は意味がさっぱり分からない。
例えばモーツァルトの初期の交響曲やセレナードやディヴェルティメントなどの曲なんかでも低音部の指定の無い曲ばかり。
コントラバスなのかチェロなのか、それともその両方なのか、あるいはファゴットも伴うのか、など、いちいち自筆譜には記載していないのが当時の習慣。 ハイドン : 交響曲第56番 ハ長調 Hob.I:56 〜第2楽章 : アダージョ
http://www.youtube.com/watch?v=eDB4_lvGbPw#t=10m34s
10分34秒あたり〜
56番は1774年頃の曲とされるが、ファゴットのソロが印象的な緩徐楽章 >>750
その動画をここに貼るのは何の意味がある? こういう曲の場合は第1・3・4楽章の低声部も(自筆譜に書いてあるかどうか知らんが)当然ファゴットが参加したはずという曲ですね >>747
一般に「ピリオド」とか「ピリオドアプローチ」とかひとまとめに言ってる人間が
シュタイア―のトルコマーチとかアーノンクールやノリントンのハイドン演奏を想定して
言ってるわけなかろ?
HMVやアマゾンなどのレビューを読めばその辺は理解できると思う。
せいぜい少なめのビブラートでハイテンポといったガーディナー風のものを指しているだけでは? >>753
なるほど、そういう理解度なのか。まともなスレにならないわけだ。 >>752
その年代のハイドンはファゴットに独立したパートを与えているのでは?
疾風怒濤期まではまだバッソの一楽器にすぎなかったが。
ベトの頃にもなると明確にパートを振り分けているはずだが
昔の指揮者は転調部のファゴットにホルンをかぶせたり
バスパートにバストロンボーンをかぶせたりしてたんだよね。
さすがに今の指揮者でそうやる人は少ないってだけのお話。 通奏低音としてのファゴットとオブリガードとしてのファゴットを混同しないでね。
当たり前ですがオブリガードパートとしてのファゴットパートはバロック音楽からありますよ。 ベト、シューマンの交響曲の場合
指揮者でもあったマーラーの編曲版が残っていたり
指揮者が楽譜に
ストコフスキーの編曲まではいかない程度に
手を加えることは
20世紀の流儀みたいなものとしてあったのだが…
ピリオドとそれは無関係な話であるのか
あるいはダート&マリナーの演奏をピリオドの黎明と見るべきか
少なくとも古楽器の使用はもう少し後の話になろう。 >>757
ピリオド云々以前の当時の演奏を再現したいか、作曲家の意図を再現したいかの目的意識の問題じゃないの。 ああっ
いつ頃だったかタワーが復刻したはずのハノヴァ―バンドのシューマン交全が
ヒットせずもう廃盤?
売り切れなのかぜんぜん売れずに破棄したのか知れないが
ピリシューがイイと思った事ないやつに聴いてほしかったんだが… ()の意味をたまに聞いて納得するけど毎回覚えられないので未だに意味が分からない。 ストコフスキーは晩年になるほどオーソドックスになっていったからな、あと10年(契約期間いっぱい)まで生きてたら、
史上初のピリオドっていうか原典準拠な指揮者になってたりw 作曲家の意図()を再現というか
ザロモンの場合、シンフォニー編成をご家庭でもという本来の編曲もあり
ストコのチャイ5などはくどい部分を3、4小節くらいかっ飛ばしワープしちゃうとか
幻想交響曲では、ある意味指示通りに鐘の部分でピアノの補強を入れたりと
その時代、そのスパンもっと言って瞬間で違うものが生まれて然るべきだからね。
当時のオケ人数を考慮したり、戴冠式を想定した選曲だったりと
あるにはあるが、ピリオド演奏のすべてがそういう凝ったものとは限らないし
古楽器バブルの時代ならともかく、堅実的には
だいたいのピリオドオケは自分のオケの人数を基準に演奏してる。
MAKなどはトリオソナタ編成からスタートして人数を増やしてレパを広げていったし
あるいは、モダン楽器も古楽器もどっちも演奏できるぜといったオケもある今日この頃…。 >>757
指揮者や演奏者の編曲再現は「この時代は演奏者が自由に楽譜に手を加えていたんですよ〜」の再現程度の意図じゃないの。
この手の試みは別にピリオドでもモダンでもやってることで、所謂クラシック界全体が作曲家の意図を尊重して楽譜に忠実に演奏するのが大勢なのは変わらない。 例えば通奏低音なんて楽器指定していない曲も多いんだから、楽譜に忠実の意味が分からない。 バロック頃までの音楽とベト以降とでは状況は違うよ。
作曲家の性格でも違ってくると思うし。
作曲家が楽譜に懇切丁寧に強弱記号や速度記号などを書き込んだ楽譜の場合
これはその通りに演奏しなきゃまずいだろう。
マーラーなどは楽章の間で休憩を入れろとか。立ち上がって吹けとかこまごまとね。
逆に古典派以前というのは楽譜に情報量が少なすぎで
微妙なアーテキュレーションを加えてはいけないもの などと思うことは
間違いだよね。そのバランス。
それはやりすぎだろと思うか物足りないと思うか。 何分休憩とかベルアップとか、
そんな指定は守る必要ないと思う
hrやclのベルアップは見てて恥ずかしくなる ハイドン、モーツァルトあたりの交響曲なんかだと、楽譜に忠実な演奏と当時の習慣に忠実な演奏では多少違いが出るね。
例えばティンパニーパートなんかは当時の作曲家は省略する事もあり、当時の演奏家はトランペットが2本以上鳴るときは
自動的にティンパニを入れるという習慣があったそうだ。
なのでハイドンやモーツァルトの交響曲では同じ曲の古楽器演奏でもティンパニを使用している演奏と使用していない演奏がある場合がある。
ティンパニの使用有無に関しては作曲家が後でティンパニーパートを追加したため2種類の版があるという場合もあるけど。 >>765
即興を前提にしているかしていないかくらいの知恵はあっても良いんじゃないの。
時代によって「楽譜に忠実」の意味合いが違うのは当然かと。 >作曲家の意図を尊重
するという考え方は、急な転調ができなかった当時のホルンをネガティブにとらえ
バルブホルンならこのように転調できますよってな具合がモダン。
ピリオドは当時の楽器では「くぐもった音になるための調をあえて選んで作曲したのでは」
(らららクラシック有田氏の意より)というポジティブシンキングなのがピリオド。
現在はチューバで代りに奏するところを譜面の指定通り
わざわざオフィクレードをこさえて演奏するのがピリオド。
当時の特に管楽器だな。それを現在の楽器より劣ったものととらえるか
当時の音や音程を楽しめるか。の違いかと >>767
これは実演の話ではないが
「マラ2」でド頭に歌曲を入れて第一楽章でディスクチェンジするように構成された
シノポリ盤は当時のレコ芸評論家をうならせていたよ。
長い曲や楽章の場合、曲の途中で盤をひっくり返さないといけない
アナログレコードの時代はそういう演出は考えられなかったから。 なので>作曲家の意図を尊重
といっても「本当はこうしたかった」という作曲家本人の
明確な記述が残されているものでなければ、
演奏者の勝手な判断がまかり通ってしまうわけで、
当然、読みが浅い深いといった個人差も出てくる。
まあそこが面白いのだが。 >>771の話がこの話題とどう関係しているのかよく分かりませんw >>771はピリオドの話とは関係ないが
>そんな指定は守る必要ないと思う
というのは、>>767の主観であり
マーラーの意図するものではない。 今はモダン楽器や現代編曲の肩身が狭い
レパードのバロックオペラ編曲いいのになー そうか、現代のフルオケでブランデンブルグ協奏曲とかもう聞けないんだな 古桶のブランデンブルグ協奏曲なんておまへんやろ 往生しまっせ あぁまさか、カラヤン/BPOのブランデンブルグ協奏曲全曲が最後か? >>779
ちょいまち。
その曲は管弦楽組曲と違って古桶編成でやるには
というか出来る曲ではないと思うが
編曲してやってるのかカラヤン?
モダン楽器の録音ならいくらでもあるけど。
ブリテンはじめデジタル録音でもレッジャーとか・・・ ゲーベルがモダン楽器の連中と再録音したという新盤もだが・・・ 閑話休題
そういえば大編成言うたらブルマラと思い込んでたら、最近ブルックナーの編成って案外小さい事に気がついた。 定義というか、古典派やロマン派の頃のオケ編成が
今のオケの基本になってるんだから
弦のプルトが多いだけをフルオケとは呼ばない
管の人数がめちゃ必要だった野外用の「王宮の花火」の編成をフルオケと呼ばんように。
ヴィヴァルディだってピゼンデルのザクセン宮廷楽団のために
それ用の編成で作曲していて
ましてブ協なんて6曲それぞれが異なるインティメートな室内曲を…
やるとしてもせいぜい1番から3番までだろう。
4番から6番はそんな大々的な音響は無意味。音楽的に。 ところでカラヤンはちゃんとモダンのピアノで
5番のチェンバロソロをやっているんだろうね?
ガンバパートはどうしてんやろ…
大人数の弦でたっぷりやるなら
コレッリとかヘンデルのコンチェルトグロッソ系の曲だろう。 >>786
2〜6番がSpotifyにあるから聴いてみれば?
シャッフル再生で良ければタダ聴きできるよ ある意味、カラヤン編といってもいい音楽だ。
カラヤン流の美的感覚は曲によっては逆撫でする。
そこまでやるなら徹底してピアノかエレピでやった方が
もっとムード出るぞ。ムードもりあげ楽団じゃないけれど。 お好みではないだろうが、この辺がいいだろう。
クレンペラー、カラヤンのバッハは今となっては後期ロマン派のフィルターが厚すぎて
21世紀にこのタイプを探すのは難しいかもしれない。
お好みではないだろうが、この辺から慣れ親しんでほしい。
つhttps://www.youtube.com/watch?v=DrO1BwrOyok >>519
ゴルトベルクに手をつけだした。
アルトノイの玩具を抜け出そうともがき始めたのか? レオンハルトのコンサートで携帯を切らず
本番中に鳴らして会場全員から顰蹙買ったやつの逆怨みだろう。 誰でもできる確実稼げるガイダンス
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QTV 古楽器やってる人に限って「安倍政権を倒しましょう!」って言い寄って来るんだけど、何か思想的な共通点とかつながりがあるの? >>797
古楽器というかピリオドって漠然とした伝統のようなものを重視するいわゆるモダンなものを嫌う傾向が強い 違う見方をすればモダンと言われてる人にも伝統のようなものを重視する人もいるし、
ピリオドと言われてる人にも伝統のようなものとかそもそも考えない人もいる。
実際どっちが多いのかはよく分からない。 何も考えずに伝統を尊重するのがモダンでしょ 何をいまさら 古楽は,、古い時代の音楽に関して伝統に反する新しい知見があればどんどん取り入れるという特徴がある 保守派ってのは100年変わらず19世紀ドイツ音楽ばっかり弾いたり聴いたりしてるやつのことだよw 「伝統」それすなわち19世紀ドイツ音楽のことだからな
ワーグナー以降に想定された楽器であったり音楽感なんで
勘違いすんな そもそもスレタイの「古楽」の意味が間違って認識されてる時点で最初から終わってるスレ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています