ブルックナー 交響曲第3番ニ短調『ワーグナー』 [転載禁止]©2ch.net
アントン・ブルックナーが尊敬するリヒャルト・ワーグナーに献呈したことで有名な初期交響曲の傑作、
交響曲第3番 ニ短調『ワーグナー』 WAB103の魅力について語り合いましょう。 ハイティンク&ウィーンフィルかな
ブルックナーがこのオケで初演した1877年稿を使っているのが良い おれは、マタチッチ/フィルハーモニア管(BBC)だな 宇野先生が人類の至宝と絶賛したクナウィーンフィル以外有り得ない ブルックナーは第3稿と同じくらいの長さになるようにカットして指揮したらしい。 3.4.7は「ブルックナーのムード音楽」スレにまとめたら? >>10
相変わらずポーコーさんは大袈裟やなw
まあそれで飯食ってる人だからしょうがないけど ザンデルリンク裏青(2001)
ティントナー(ナクソス)
朝比奈(峡谷)
のりんとん(旧録)
マタチッチ(GNP裏青)
シューリヒト(恵美)
ヨッフム(どれすでん)
あたりが好き >>13
クナならORFEOのバイエルン国立歌劇場盤のほうが好みだわ 二稿の山登りのようなフィナーレと三稿の平坦なフィナーレどっちが好み? 子供の頃から1889年稿で焼き付いているからな……
初期稿などと比べて批判が多いが、これはこれで要点がコンパクトにまとめられていると思う カラヤン指揮ベルリン・フィル
真摯なブルクネリアンには怒られるだろうけどww 実際に演奏する人ならともかく、聴くだけの人が楽譜の内容にこだわらなければならない理由ってあるの? >>15
俺もそれに一票。最後のこの世の終わりのような遅い終わり方が好き。
ただし、曲としてはそれほどいいものだとは思わない。 暇な時は1873
普段時は1877
多忙時は1889 第1稿 1873年 ノヴァーク版V/1 小節数 1:746 2:278 3:152+116 4:764 計:2056
第2稿 1877年 エーザー版 小節数 1:650 2:251 3:160+116 4:638 計:1815
第2稿 1877年 ノヴァーク版V/2 小節数 1:652 2:251 3:160+116+41 4:638 計:1858
第3稿 1889年 改訂版 小節数 1:651 2:222 3:160+116 4:495 計:1644
第3稿 1889年 ノヴァーク版V/3 小節数 1:651 2:222 3:160+116 4:495 計:1644
3楽章はスケルツォ+トリオ+コーダ
金子建志氏の著作からだがよく演奏されるノヴァーク版V/3は初稿から2割ほども短縮されていて
献呈の経緯から「ワーグナー交響曲」と呼ぶのは妥当だがそれに叶うのは初稿だけだろう、とあるね
オレも第3稿で耳が出来上がっちゃってインバルの全集盤もあるけどほとんど聴かないな まあ他の番号はまだしも3番は版によって結構違うから無視できないわな 今世紀に入ってからの第1稿を使用した録音の増加は興味深い
その一方で第2稿の使用は広がっていないのかな
バレンボイムの来日公演は貴重な機会になるかもしれない
自分の場合、既に各稿・各版が出揃っていた時期にブルを聴き始めたせいか
録音の数に応じて聴く頻度が違う程度で、どれでも「そういうものだ」という程度で聴いている
>>28
作曲家自身にとっては改訂しようが「ワーグナー交響曲」であることに変わりはないのだろうな
(少なくとも第2稿の自筆譜冒頭に「Wagner-Sinfonie」と書いている) 三番ほどブルックナーが手間暇かけた作品は他にないとノヴァークが序文に書いてるね ヴァントの「ワーグナー」ってどうなの?あんまり熱心にはやってなかった印象があるけど ケルンも北ドイツもいいよ
硬質な響きがヴァントと合ってる気がする ヴァントはほんと過大評価
響きは渋いテンポはトロい
かと思えばここぞという聞き所でやたらテンポあげて台無しにする
わざとつまらなくやってるとしか思えない 日本のクラオタって中級者向けのマラブルで止まってる連中が本当に多いよな
こんな単独スレがそこそそ伸びてるなんて情けないね >そこそそ伸びてる
ちゃんと日本語が書けるようになってから出直しておいでww >>38
Berky氏によると
部分録音ならコンラート/ウィーン響が1928年(スケルツォ楽章のみ)
全曲録音だとE.ヨッフム/ハンブルク国立管が1944年 2 人中、0人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 スクロヴァチェフスキはとんでもない爺さんである, 2015/7/20
投稿者 新・野火止林太郎
レビュー対象商品: ブルックナー:交響曲 第3番 ニ短調 (CD)
万邦のブルックナー・ファンよ、スクロヴァチェフスキの第3交響曲新盤を聴け! オケはロンドン・フィル。2015年の録音である。新機軸が次々と繰り出され、ほとんど絶句の連続で
ある。このジジイ、92歳である! 基本テンポはいつもと変わらぬ快速であり、新機軸ではさらにアップテンポする。スゴい演奏とはこれを言う。外演指揮者では最もたくさん聴いたスクロ
ヴァが、相変わらず超元気で飛ばしまくっていることに歓びは一入である!!
http://www.amazon.co.jp/review/R10BWESN37NG07/ref=cm_cr_rdp_perm >>40
ジャケ裏の
ブル3アダージョは母の想い出に書かれたって初耳
それはそうと何年稿か書いてないなこれ >>41
1872年10月15日にアンダンテ主題を亡母への想いのなかで書き
その翌日にミステリオーソ主題を着想した
…と晩年に若い友人に語ったらしい
ただし、楽譜上からはそのことは確認できないとか パーヴォ・ヤルヴィN響就任記念
Bruckner: 3. Sinfonie (Fassung 1889) ? hr-Sinfonieorchester ? Paavo Jarvi
https://www.youtube.com/watch?v=kY4l2Xx3crs バレンボイムとシュターツカペレベルリンの3番すごかった。
素朴さとは無縁の饒舌な演奏、でも深く美しくて震えた。 だいたい何回も書き直しするとか、ほんとに自信ないんじゃないの?曲はどうころんでもよいように書かれてるきがするし決断できないタイプ? 書き上げた時はそれで完成したと納得していたんだろうけどね
生来の気質とそれが病気(当時でいうところのノイローゼ)の域に達していたことも含めて
その時々の作曲家の内面と周囲の状況が複雑に関係した結果なんじゃないかと思う 初演を引き受けたヘルベックがブルックナー書き直せとしつこく要求したのだよ
意見を言うならまず史実を調べるように それなら初版が1番ということだろうけど
今回のバレンボイムのは初版なの? ブルックナーは「おっしゃる通り訂正いたします」とか手紙書くからなw さすがは60の時に10代に求婚するだけのことはあるな。 >>58
ズビン・メータが来日時、「私の知り合いには
演奏会で何回かやっただけですぐに全集を作るのが
いますが、私にはそんな芸当は無理です」みたいな
インタビュー記事を読んで、たぶんインバルの事
だろうなと思った。 >>50
<初演を引き受けたヘルベックがブルックナー書き直せとしつこく要求したのだよ
意見を言うならまず史実を調べるように>
↑これ史実? ブルックナーデビューして間もないのだが、
0番、1番、3番 はまだよくわからない どの曲もすぐに受けれられた人ってそう多くないんじゃないかな 最近、マルテの2楽章を聴いてみた。
1稿の形式で3稿を演奏するのかと思ったら、
4つの版を繋ぎ合わせて演奏していたね。
だから演奏時間27分!
マルテって欲張り! >>43
主題がシューベルトの子守歌に似ているということは時々言われるね >>67
たしかにCDはそのように作られている。フィナーレの
前に、静かなアダージョ終止が欲しかったようだ。
しかし、第3交響曲には、そのような順序は存在しない。
だからCD聴くときにわざわざ入れ替えるのが非常に
面倒くさい。
資料が存在する第二交響曲のキャラガンの第1稿すら
間違いだと思う。第1稿完成時には現行楽章順だった
のだから。 マルテ版は第8番に近付けることを狙ったのかなと思う
Preiser盤で楽章順を入れ替えたのもその一環かと
自分の理想版を作成して、聖フローリアンで演奏して、CD化してしまう
オーストリアの音楽家とはいえ、それはそれで凄いことではあるな 確かにその通りだね。たいした実行力だ。
第三における「Ideale Fassung」(理想稿)という発想は、
半世紀前にはよく話題に上ったが、全集版の出版によって
誰も唱えなくなってしまった。そうした中で、あのマルテ盤が
出たわけで、あのようなハチャメチャなことをするのなら、
楽章順詮索など無意味でたいしたことはないという考え
もあるのだろうけど、逆にハチャメチャであるからこそ、
楽章順は変えるべきでは無かったのではないだろうか。
とにかく、0番以降、ベートーヴェンの第9を金科玉条
としたブルックナーにとって、楽章順は悩ましいことで
あったに違いない。だからこそ、その決定はないがしろ
にされるべきではないと思う。
第7の入れ替えCDは聴いたことあるけど、資料の
存在する第8(オーケストレイションを始めた
時の順序はアダージョ→スケルツォ)の入れ替え
演奏は聴いたことないねえ・・・
まあ、誰もやらんだろうけど(笑い) ☆ 日本の核武装は早急に必須です。☆
総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 ニ短調でD-A-Dと動くところで
「第九」を連想しやすいのは第3番だろうな 第1楽章展開部の主要主題のトゥッティを初めて耳にした我が母が
「『第九』みたい」とウケていたのを思い出す >>76
全集版によるとスラーはアダージョ2で外れた模様 ところが、レーティヒ改訂版(1890)では、
形を変えてスラーが復活している。 >>79
バーキーのディスコグラフィーによると、ノーヴァクのIII/3
ということになってるけど、なにか問題あるの?
それより、マルテのごちゃ混ぜ版での扱いが興味ある。 ショルティ盤って何版使ってるの?
聞き慣れた最終稿と違うとこがチラホラ 自己解決 ノヴァーク第二稿だった。マタチッチ/フィルハーモニアと同じか スケルツォにコーダある第2稿→ノヴァーク版
スケルツォにコーダない第2稿→エーザー版 エーザー版とレーティッヒ初版はどの程度違うのだろうか?
これが40年来の謎。
少なくとも、エーザー版にたくさんあるカッコは初版には無いよね。 >>87
横レスだけどそれはレーティヒ版でも初版ではなく第2版では レーティヒはブルックナーの生前に第3番について2つの版を出版した
第2稿による第3番の初演が大失敗に終わった際に
レーティヒがブルックナーに出版を持ちかけて世に出たのが「初版」
ただし、初演後に追加作曲されたスケルツォのコーダは初版に採用されなかった
その後、ブルックナーは出版済の第3番を再改訂した
そうして第3稿が成立し、レーティヒの出版譜も「第2版」となった
ただし、「第2版」にはブルックナーの残した改訂作業の結果と食い違う箇所があった
その後は専ら「第2版」が第3番の出版譜として流通していったので
版問題でいうところの「改訂版」といえば第3番においてはこの「第2版」を指す >>87
ありがとう。
ここにあるパブリックドメインの第1稿と第2稿はどんな楽譜なんでしょうね?
見た人いたら教えてください。
なお、第1ページが見れるレーティッヒ版は音と言葉社のコピー版と同じ
第2版ですね。まあ、ノーヴァクIII/3と比較してみるのも面白い。
一部で初版に戻っているところが何個所かあるのが不思議。 ヘルベック急逝で危うく消えかけた初演はゲレーリヒ大臣(ブルックナーの伝記を書いた弟子のパパ)の後押しがあって実現したわけだが
レーティヒ版の費用は誰も援助しなかったんだろうか? 第2稿と第3稿は全然違う。
ここで問題としているのは、第2稿の中での小さな相違。
エーザーは校訂者だから、編集上で初版にいろいろ手を加えている。
どの程度手を入れたのかを知りたいということだ。
ちなみに
http://imslp.org/wiki/Symphony_No.3_in_D_minor,_WAB_103_(Bruckner,_Anton)
で提示されている第1稿、第2稿のスコアは、よく見ると、マニュスクリプト(手書き筆写譜)
やホログラフ・マニュスクリプト(自筆譜)とあるので、印刷譜ではないようだね。 また、スコア・サーチのページの一覧表ではスコアの表紙が見れるが、
最初のオイレンブルクの黄色い表紙のIII/2,III/3はノーヴァク版のコピー。
続く、カルマスのたくさんの表紙は、パート譜のようだね。
ここで言う、3rd versionとはエーザー版のことで、5th versionというのは
第2版のこと。
なぜそういう言い方をするのかというと、それはグリーゲルの分類法に
拠るからでしょう。彼は5つのヴァージョンに分けている。
ヴァージョン1:1873年大晦日完成の初稿(ヴァーグナー献呈譜)
ヴァージョン2:1874〜5年ヴィーンフィルに提出した一部修正稿
ヴァージョン3:1877年第2稿(含む初演形、初版、エーザー版)
ヴァージョン4:1889年第3稿
ヴァージョン5:1890年第2版
しかし、ヴァージョン2やヴァージョン3は1つの形に確定出来ないし、
ヴァージョン4とヴァージョン5は寸法(小節数)は同じである。
こういった観点から、従来通り3つの稿に分けて、細かい違いは
(相当違うのだが)、3つの稿のヴァリアントと理解するのが
最善だと思う。
なお、グリーゲルの言うヴァージョン2は、内藤とシャラーが演奏している。 >>98
2分音符、4分音符、8分音符、16分音符の精緻な織物。 初版譜は第3稿への改訂作業に使用されたそうなので
(第2稿の第3楽章までの自筆譜が当時ブルックナーのもとになかったから)
第2稿の自筆譜と初版の間の相違の有無も気になるところ