【心臓】プロコフィエフ総合Соч.4【op.100】 [無断転載禁止]©2ch.net
弦楽四重奏ならパヴェル・ハースQがおすすめ。
youtubeで聴いたのがきっかけ。
かなり上手いし、何かクラシック好きでない人にも惹きつける演奏。生き生きしていると言うか、 セコいって言われるかもしれないけど、今は新曲はYOUTUBEでしか聴かないな
昔はCDかってたけど。
プロコフィエフの弦楽四重奏もきいてみるよ。 昨日で没後69年か
ところでBISから出てるリットンの交響曲全集気になってるんだけど買った人いる? >>605
サブスク(林檎or尼)で自分の耳で確かめる
もう他人の耳をあてにする時代は終わった 確かにサブスク出てから他人の評判気にするよりは
自分で聞いてみるのが主流になった。 >>605
買ったよ。
プロコフィエフは「シンデレラ」が好きだっただけだから
他の曲はどんなもんなんだろうと思ってね
だから演奏の善し悪しはわからないけど
録音がクリアで楽器の分離が良いかな
他の演奏にお気に入りがある人がどう思うかわわからない
僕のイメージするプロコフィエフらしさはあるけど リットン、けっこうエゴイスティックな演奏するイメージだけど、プロコフィエフは悪くないな。 やっぱりプロコフィエフ好きならピアノ曲だけじゃなくて
交響曲も室内楽も全部押さえておきたいね。
天才だからどの分野でも良い曲書いてる ヴァイオリンソナタ1番は名曲
大粛清の影響もあると言われるが、当局は何を考えて賞を与えたんだろう >>611
亀だがサンクス
俺もいくつか聴いてみたけど分離は確かにいいね。色彩感がある
演奏自体は要所で少し早くなるけど全体としては中庸って感じであまり印象に残らなかった Vn協奏曲第1番聴くか
音コンで日下さんが優勝した時に聴いてこれ名曲と思った 大好きなプロコの中でもバイオリン協奏曲1番は別格に好き
自分が変態だからか?
Vソナタ1番は時代も違うし曲調もちょっと陰鬱な感じだけど
自分の中ではなぜか2曲のイメージがわりと重なる
ソナタの第3楽章の変態的な美しさのせいかな 音階練習つながりでは?
協奏曲第1番は最近むしろ2番より評価が高いんじゃないかな。P協の2番・3番と同じ。
独奏パートが凝ってると思ったら、シマノフスキの親友のコハンスキと交流があったらしい。 なるほど音階練習かー
V協1番の第1楽章の展開部でハープとかの伴奏だけで
ジャズのメカニカルトレーニングみたいに
バイオリンが16分音符をくねくね弾きまくっていくところが妙に好きなんだよね
自分の感覚の変な部分を刺激されるというか
クセになる味わい プロコフィエフが転ばないで頭打たなかったら
まだまだ沢山かけたのに いやプロコは転倒して脳震盪で結局全快しなかったんだろ
ラヴェルは自動車事故(頭打ったかどうかは知らないが)
事故といえばフランクは馬車、ショーソンは自転車絡みの事故が命取りになった
リストもたしか階段から転落してからあかんくなったんじゃなかったか 最後の8年間を慢性疾患に悩まされていたってことだし転倒しなくてもそんなに長くなかったのかもしれんよ 交響曲6番辺りからは事故の後遺症に悩まされながら作ってたんだっけ
6番の第1楽章とかちょっと病的かも 最後の創作リストで完成できたのはピアノソナタ5番改訂番号135のみ >>629
ピアノソナタ五番改訂版はいい作品だな
初版と共にあまり弾かれない曲だけど >>631
両版とも過激には行かない不思議な作品ですよね。
初版の最後が忽然と消えてしまうようで好きです。 初版Op.38は複雑過ぎた。それで晩年に簡素化の方向で細かい音符まで書き直して成功。 グロテスクな曲多いよね
ロミオとジュリエットも、ニーノ・ロータの有名なほうを先に知ってしまうと
こっちのロミオとジュリエットがバケモノみたいに感じる
シンデレラもそう。プロコフィエフの抒情を理解するには少し美意識を変えないといけない グロテスクさは持ち味でもあるが自分でも持て余してるみたいな時があるな
ロメジュリあたりはうまくコントロールできてるが
晩年は抑え込みすぎて不完全燃焼みたいになってる 戦争と平和なんかはリリカルな表現も熟達して、映画的なグランドオペラになっているとおもー >>637
批判後の作品(改作除く)はチェロソナタ、石の花、冬のかがり火、交響曲第7番あたり
まあ怯えてる感は否めないな >>638
今でもちょっと反対しただけで連行されるような国だからね。
批判で有名なジダーノフさんもピアノを弾く人だったらしい。 ルーシの文化人は帝政ロシア時代から厳しい検閲と戦ってきたのじゃ
ドストエフスキーもトルストイもお上の顔色を伺いつつ名文を綴った
おそロシア ソンツォフカってウクライナ語だとどう発音するんでしょうか? >>638
戦後は激しいVnソナタ第1番と交響曲第6番を発表しているが、無伴奏VnソナタとPfソナタ第9番も同時期
名誉を手にした上に転倒事故があって、すでに隠居を考え始めていたと取れなくもない
晩年に名誉回復に汲々としていたのも確かだけど ピアノソナタNo.7なんてここの人には耳タコだろうけど、
最近の演奏の中では出色だと思う
Alexander Gadjiev - Live at Wigmore Hall
https://youtu.be/VLPRp96EG2Q?t=2020 ウクライナにプロコフィエフ空港ってあったけど親ロ派に占拠されて破壊されちゃったよね >>644
19世紀にウクライナ人なんて認識はないよ あの辺は帝政ロシアだったり独立国だったりソ連だったりするからな
現ウクライナ地域の生まれということならオイストラフとかリヒテルとか
著名な音楽家がいっぱいいるね ユダヤ人が多いけどね
ミルシテインがオデッサ
エルマンが田舎 昔ウクライナあたりはモスクワなんかど田舎の頃からキーウ公国の首都でキリスト教的にも重要な土地だったんだっけ?
併合と独立を繰り返して何が何だかわからなくなるあの辺り
旧ユーゴ諸国ほどじゃないけど ● プロコフィエフ:歌劇『炎の天使』全曲
レナータ:アウシュリネ・ストゥンディーテ(ソプラノ)
ルプレヒト:ボー・スコウフス(バリトン)
宿屋の女将&修道院長:ナターシャ・ペトリンスキー(メゾ・ソプラノ)
異端審問官:アレクセイ・チホミロフ(バス)
女占い師:エレーナ・ザレンバ(メゾ・ソプラノ)
ネッテスゲイムのアグリッパ&メフィストフェレス:ニコライ・シューコフ(テノール)
ファウスト&マティアス:マルクス・ブッター(バス)
ヤコブ・グロック&医者:アンドルー・オーウェンス(テノール)
居酒屋の主人&使用人:クリスティアン・ヨハンネソン(バリトン)
アルノルト・シェーンベルク合唱団
ウィーン放送交響楽団
コンスタンティン・トリンクス(指揮)
演出:アンドレア・ブレート
収録時期:2021年3月
収録場所:アン・デア・ウィーン劇場
映像監督:ティツィアーノ・マンチーニ
収録時間:124分
ロシア語上演
字幕:日・独・英・韓
https://www.hmv.co.jp/product/detail/12667659 プロコのPコン好きだけど4番だけは理解できない
2番5番なんか神がかってるけど4番はどういう意図なんだろう というかウクライナ人、しかもドンバスの人だったのかここ数ヶ月プロコばっかり聴いてたのもなんのか縁だろうか
ドネツク州の州都(ドネツク)から東に数十キロのとこで生まれたらしいからプロコの故郷はギリギリでロシア軍に飲まれてないっぽいな
ピアニストだとホロヴィッツもウクライナだっけホロヴィッツはあんまりプロコひかなかったな >>647
プロコは20世紀の人だぞ1891生まれだが
シェフチェンコ死後30年して生まれてるんだからウクライナ人っていう意識は当然存在した
まあドンバスではその意識は希薄だっただろうけど >>652
左手だけで演奏できることが最重要な特殊な曲だしな あとリヒテルもウクライナなのか
リヒテルはプロコ弾くけどホロヴィッツはプロコあんまひかないのは冷戦でロシアに戻っちゃったからっていうのがあるのかな
アメリカの客のウケも悪いだろうし
>>655
そのヴィトゲンシュタイン兄からも拒絶されてるわけだし謎すぎる ヴィトゲンシュタインは左手のための作品を色んな作曲家に委嘱したのはいいけど、プロコフィエフとヒンデミットの作品は1度も演奏しなかったり、有名なラヴェルの作品はピアノパート勝手に改変しまくったうえに音楽性が無い曲だと非難しちゃったりするなかなか失礼な演奏家だったな
プロコフィエフのはラップが1956年に初演してくれたが、ヒンデミットのなんてずっと封印されて2004年にフライシャーによってやっと初演されたという酷い扱い
なお、ブリテンとコルンゴルトの作品はとても気に入ったそうな プロコって明らかに天才なのに
アメリカ亡命からのソ連帰還っていう態度のせいで明らかに政治的にコウモリ扱いされて損してるよな
同時代のピアニストも断片的にしか録音してないのもアメリカ亡命してる時代はソ連のピアニストは弾けないしソ連帰ったあと西側のピアニストは弾きにくい
もっと金のかかる政治性のあるオーケストラなら尚更で
しかもスターリンと同日死ぬっていう
おれはプロコのそういうアメリカのもとでは帝政ロシアでは貴族やブルジョア向けに実験的なの作ったり、アメリカではウケやすい軽やかなか感じでやったり、スターリンの下ではシンデレラとかロミジュリとか正統派のなかに遊び心いれたりそういう融通無碍なところが面白いんだけどな >>657
ヴィトゲンシュタインは自分のテクニックが曲に及ばないのを誤魔化すために酷評してた臭い
仮に本当に自分が理解できなかったor好みに合わなかったのだとしても作ってもらっておいてあの態度は無いわクズ過ぎる まあただヴィトゲンシュタインが委嘱したお陰でラヴェルやプロコの作品が増えたって側面もあるかも >>652
終楽章があまりに短くあっけないことを除けば特に理解し難いなんてこともないと思う
特に2楽章は美しいし3楽章もいつもの愛嬌あるプロコ節で楽しい
ヴィトゲンシュタインのコメントで先入観を持ってしまっているということはない? 好みの問題として「何番だけはNG」みたいなのはよくあるんじゃね
自分はシューベルトのピアノソナタでは17番(D850)だけはどうも馴染めないし
チャイコフスキーの交響曲では3番だけつまんない トラーゼ亡くなったのか
ここに書くのは適当ではないかも知れないが
自分にとってはプロコを弾く人のイメージだったので 「バイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 作品19」
プロコフィエフ:作曲
(管弦楽)兵庫芸術文化センター管弦楽団、(バイオリン)服部 百音、(指揮)井上 道義 プロコフィエフまめちしき@
同業者就中同胞の作曲家をあまり評価しなかったプロコフィエフだが
何故かプッチーニだけは管弦楽法やメロディを斬新でそれでいてキャッチーであると
こちらが引くほど熱心に褒めたたえている
理由は極めて単純
プッチーニが異国のオペラの専門家で
プロコフィエフ自身の領域(交響曲、協奏曲、ピアノ独奏曲、室内楽)をおかさない作曲家であったから >>666
作品番号付きのオペラ8曲書いてるし
パリに不満を持った一因はオペラでの成功を求めた(けどそういう時代じゃなかった)からって読んだことある
賭博者と修道院の婚約は傑作だよね 戦争と平和ってここだとどういう評価なん?
某wikiだとプロコのオペラの代表作とされてるみたいだけどやたら台詞が多くて音楽にプロコ節があまり感じられない >>668
「ここ」の評価なんてものがあるかどうか知らないけど、好きだよ >>668
大作だし本人も思い入れあったから代表作なんだろうけど最高傑作ではないと思う
場ごとに雰囲気が変わって据わりが悪いかも
歌が少ない初稿っていうのも聴いてみたい プロコ好きはワグナーとかブルックナーとかマーラーとかみたいに重厚で複雑な構成のものが好きなんじゃなく
プロコの異常な楽想の豊富さと豊かすぎる発想が好きなんじゃないかね
洒脱で変幻自在だけどロシア特有の緊張感もあってどんな楽想もイケるっていう 俺はマーラーもプロコも好きだけどな
もっともプロコで好きな曲はあまり多くないけど マーラーは楽想豊かだからたしかにブルックナーやワグナーとは違うな
プロコを積分してついでにウィーンの瀟洒な感じを足すとマーラーになる 重厚な構成、巧みな変奏よりも
無限に出てくるアイデアをそのまま楽譜に書いちゃうのがプロコだな
マーラーはワグナーの影響が強すぎる時代に生まれたからワグナーに近づくために重厚な構成にこだわったけど
才能はプロコとおなじで発想が無限にでてくるって感じだな、時代が違うだけで近いものがある
プロコの時代はもっとカジュアルな協奏曲とかでも評価されたから交響曲至上主義に巻き込まれないですんだ
19世紀後半の音楽家はワグナーの影響が強すぎて交響曲がだめなた音楽家じゃないって感じで気の毒だ 単なる個人の好み、偏見として軽く読み流してほしいが
自分はワーグナーはともかくブルックナーとマーラーがとにかく苦手
特にブルックナーは某指揮者の演奏の謹厳で鈍重いや重厚なイメージと一体化して
自分の中では真面目一徹な堅物の学級委員キャラになってしまった
マーラーもブルックナーも人気なんだからその理由が絶対あるはずと思ってて
苦手意識を克服しようと聴くたびに跳ね返されて気分がどんよりしてしまう
魅力がわからないというのは我ながらほんとに損してると思うな マーラーはインバルとか聞かないで逆にカラヤンとかであえて聞くと悪くない
まあユダヤ人マーラーとマーラーを禁止しようとしたナチのシンパだったカラヤンだから誰もカラヤンのマーラーを勧めないが(あと単純にアンチカラヤンが多いのもある)
カラヤンのマーラーはカラヤンのワグナーっぽさを強調してて面白い
ナチス以前はワグネリアンのユダヤ人がいて、ワグネリアンの一人とりしてマーラーを演奏すると全く違って見えてくる
まあマーラーは単純なワグネリアンじゃないけど カラヤンのマラ6なんてオペラみたいだよね
プロコの話に戻すとカラヤンのプロコ5も好き
スネアが効いてて痛快
プロコの交響曲だと1と5しか相手にしなかったけど6や7も聴いてみたかった 交響曲第2番や第3番を振らない指揮者なんてどうでもいい prestomusicだと、プロコフィエフの6番、2番、3番は盤の数はあまり変わらないね
4番は改訂も改訂前もこれらより少ない
足したら2, 3, 6番と同じくらいの数だけど、ダブってるのもあるだろうから……
7番はちょっと多い 7は以前はもっと人気があった気がする
プレヴィンやテンシュテットやアシュケナージも7は振ってる 若い頃はレーガーとスクリャービンが好きだったっていうから意外とロマンティック
そういう要素の残滓がある若い頃と全開の帰国後が人気で、
時代の最先端と張り合ってたフランス時代は人気ないね フランス時代の後期(1930年代)の作風は機知とか風刺とかが後退して
よりシリアスな方向に向かっているので、これがそのまま続いたらどうなって
いたかと時々思う。
まあ踏み迷ってるようなところもあるので、それほど期待できないかもしれんがw
フランスに留まっていれば万年野党だがロシアに帰れば与党トップの可能性あり
と踏んだのが帰国の大きな要因じゃなかろうか 交響曲が有名過ぎるから
ブルックナーは初心者向けの作曲家のように日本のクラオタからは考えられているが
実際はラテン語やドイツ語やオルガンや対位法や和声etc.ヨーロッパの音楽言語に通じていないと理解できない
日本人とは遠いところにあるヨーロッパ文化の極北だからな
その点ロシア音楽は実に分かりやすくて初心者向け ブルックナーを初心者向けなんて思ったこともない。
そんなこと思ってるクラオタって実在するのか? 曲の長さの時点でブルックナーが初心者向け作曲家と思われてるわけねーだろ >>686
三つのオレンジ、P協3、Vn協2が有名で間がすっぽり抜けてるんだよね
交響曲の2、3番、SQ1あたりは一定数ファンがいるけど
ゲルギエフが「ドニエプルの岸辺で」の力演を録音してくれるのを待ってたんだがもう難しいだろうな ブルックナーを初心者が聴けばクラシック自体嫌いになる可能性もある。
一発でハマったのなら元々クラシックの感性があったのだろう。
プロコは「ヘブライの主題による序曲」こそ初心者に聴いて貰いたい。 そもそも論として21世紀の人間に交響曲は長すぎるのよ
あんまりにも当たり前すぎてだれも言わないけど2時間ちかく集中力保つってもう21世紀人には辛いもんがある
1時間が何かの限界になってる気がする ベートーベンの第9だけは人気あるのは
比較的短いのと、最後に合唱で一気に変わるからで
やっぱりオーケストラだけで2時間の集中力が持つのは座禅で2時間とかと同じ技術だよもはや
どんな仕事してても1時間以内に電話やメールや呼び鈴でかならず集中を区切られる生活してるのに2時間集中しろって無理だよ
もちろん座禅と同じで練習すればできるけど 「深夜ヘッドホン」以外に解決策はないね
ところで何でプロコスレにブルの話が割り込むんだ? >>687が何の脈絡も無く持ち込んんできた話題
しかも皆からも突っ込まれているようにブルックナーが初心者向けなんて聞いたことない そもそも交響曲が長くなった歴史って人間の快感的なものじゃなくて興行的なものだろう 交響曲は長くても45~50分位にまとめてほしい
それ以上だと大抵冗長な部分を含んでいることが多い気がする
この点プロコフィエフは合格 交響曲第6番、第一楽章が迫力ある演奏は誰でしょう?暴力的なの聞きたい アッカルドのソナタの新譜、SACDの方聴いてるけど酷いノイズ入ってるな...