モ、モ、モダン楽器でバッハwwwwwwww [無断転載禁止]©2ch.net
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にゃにゃあっ?
ぷ、ぷにぷにをとおりこしてもはやすらいむなのにゃ…
もっとやせるのにゃ!きょうからえさをへらすにゃ! 別にいいんじゃない。
ロリン・マゼールの演奏なんかいいと思うけど。
ちょっと策が多いけど、ネヴィル・マリナーの演奏もいい。
パイヤールもいいし、カール・ミュンヒンガーの演奏もいい。
逆に、評価の高いガーディナーの演奏はあんまり好きではない。 >>4
ガーディナーって、評価高くないと思うの。
少なくとも古楽器演奏界では。 最近評価高いのってマクリーシュとかミンコフスキとか? 「皆川君、キミはけしからん。バッハをチェンバロで弾けとは何事ですか。
あんな不完全な楽器はバッハの音楽を殺すだけです。
バッハはピアノで弾くべきです」 一番大切なのは演奏家の才能だからな
いくら完璧にバッハの時代の楽器を復元しても
凡才が弾いたらつまらない演奏しか生まれない。
考古学よりまず天才を確保しないと 正直せいぜい楽譜を研究しただけのクレソやフルヴェンより、時代考証を経た
現代の古楽器指揮者の方が緻密で好き
ヘレヴェッヘのロ短聴いた後、クレソのロ短聴くと雑すぎて唖然とする >>12
知らない言語は流暢に話せない。
才能だけではクリア出来ないよ。 凡人が演奏しても凡演にしかならん
モダンオケの絞りかすが古楽に流れるからな。
どう頑張っても質は下がる。丁寧だが退屈な演奏
考古学的な正しさで取り繕うしかない 楽譜なんて台本なんだからどう演じるかは演者次第なんだよ
バッハの時代だって平気で楽器編成変えて弾いてるだろ
今の奏者が自分の表現に相応しい楽器を選んで何が悪い
こういう話題が出るといつも思うんだよ
なんでバッハはモダンがだめでハイドンやモーツァルトはモダンが許されるんだ?
それともここのスレ主は他の作曲家のモダン楽器演奏も笑っちゃうのか? >>18
これ
なんか楽譜も読めない聞き専がアホなこと言ってるけど 古楽演奏の一部でピッチが下がってるのが生理的に受け付けられない
四季の出だしが聴感上EsDurになってるとかもう別の曲過ぎて 面白きゃどっちでもいい
古楽派はあくまでも推測の上に成り立たせているだけど刺激的でいいわい
(コレギウムアウレウム除く−ヘンデルオルガン協奏曲だけは好き)
中途半端なマリナー(Argo-Philips)もおk
マリナー入れ知恵してたというサーストン・ダートのブランデンブルクも聞いてみればオーソドックスなモダンタイプ
ただし同時期の極太楷書リヒターとはかなり違って軽快ではある
レオンハルトも聞くし、最近出たリリングのも楽しげでいいではないか >>16
逆に知識だけあっても才能がなければ
意味を読み解けない 一度慎ましく静謐な古楽と古楽器系指揮者の端正な音楽を聴くと、
もう昔のとりあえず低音ブイブイ言わせてスローテンポでスケール感と巨匠感だしましたよ、
なんてものは子供だましに過ぎないことが分かったよ そりゃブランデンブルクの5番やゴルトベルクなんかは作曲者が二段付きの鍵盤チェンバロでときちんと指定してるんだからモダンで演奏するのが間違ってるわな 間違いを主張するのは嘘くさい
原理主義者ほどこの世に要らんものはない
設定が予測推測(あるいは架空)であるものほど必死にしがみつくのは宗教と同じ 予測であるからと言ってそれを否定するのはどうかな
歴史学とか考古学とか全否定?
あるいは物理だって経験仮説に過ぎない
間違いを主張するのはいいことだよ、日本の学会なんてどこも癒着やごますりで
論争なんてあったもんじゃない
しかも古楽系の人たちは、学者でありながら同時に芸術家なんだから、
己のスタイルを貫いてもらわないと困るわな
当然別の主張をしてる指揮者とかには反発すべきだし、そうじゃないと逆に
信用できないね 古学研究−演奏の否定なんかされていないと思うが馬鹿なのか? カレーがインド発祥だからといって
インドの文化や歴史を知りたいとは思わんな 楽器の使用選択について「間違い」というのは存在しない
「取り違え」はあるかも知れないが >古楽系の人たちは、学者でありながら同時に芸術家なんだから、
>己のスタイルを貫いてもらわないと困るわな
>当然別の主張をしてる指揮者とかには反発すべきだし、そうじゃないと逆に信用できない
仮定の上に仮定を重ねて行動や思考を縛っていくのが原理主義者 >>24
それは間違いないね。
>>18
いくら何でもその認識は古すぎではないかと。 復元された古楽器はモダン=現代楽器だということに誰も気づかない ていうか、古楽器演奏を親しんでいる人で当時の再現とか考古学なんかを意識して聴いているなんていないと思うよ。
大抵、古楽器演奏を親しんでいない人に限って当時の再現、考古学云々言うんだよね。
古楽器演奏が好きな人は単純に芸術表現としてモダンよりも遥かに優れているから好き好んで聴いているだけだよ。 口笛で吹いたり鼻歌なんかも時代考証的にアウトですか? 楽しむ分には構わないけど本物のバッハは口笛や鼻唄じゃないことは理解しよう
バッハは最高級の芸術だからね
と古楽厨なら言うね バッハをピアノで弾く俺の参考教材は、ネット上から簡単に拾えるDTM屋たちのmidiファイル。 >>39
古楽に親しんでる人ならバッハが最高なんて言わないと思うよ >>37
演奏する立場からいえば
>モダンよりはるかに優れている
ではなくて選択肢の一つだよ。
まあ古楽器は弾きにくいから敬遠されがちだけどね。 でもピッチ下がるから合唱独唱は歌いやすいんでしょ? 古楽器つか擦弦楽器については、フギャーフギャー切れ味の悪い音が苦手。
何か音楽を鑑賞するという気分になれない。
雰囲気鑑賞って感じ。
たとえば初めてドイツに旅行に行った人あたりがさ
「おーい、駅前の観光案内所で面白いツァー見つけた。XX城の広間で食事
しながら生演奏演奏聴かせてもらえるって。参加してみね?」
ぐらいの使い道ぐらいしか思い浮かばない。 >>48
ピッチが下がって歌いやすいって言ってるような歌手見たことないよ
アマチュアの話なら知らんけど
もちろん古楽器が弾きにくいのはピッチの問題じゃないし いや合唱団までバッハの時代のレベルに合わせないと真の古楽とはいえん!
バッハが市参事会に苦情を訴えたぐらいのレベルのなwww 古楽演奏は考古学ではないよ
だって当時の演奏マニュアルが残ってるもん
ある程度再現可能だよ
補えないのは奏者の「独自のセンス」だけ このスレをみて、パッサカリアとフーガ、レスピーギ編曲を思い出した(ーー;)
あれはあれで凄いと思うがな。 古楽演奏家とは昔の楽器(を正確に複製したとメーカーが称する現代製の楽器)を使って(作曲者が存命の頃の音と響きを現代人が勝手に想像を巡らせた奏法で)新しがって音楽をやっている連中。 民族楽器を珍しがるのと大差ないやね。
まあ当時の楽器なんて鍵盤楽器一つとっても音色も調律も千差万別。
正確に再現しようとしても徒労に終わるだけ。 アンチ古楽器の人達の頭の中は「古楽器演奏は当時の再現」が独り歩きしてしまってるんだよね。 モダンにはモダンの、古楽器には古楽器の良さがある、でいいじゃない
俺は最初こそ古楽器受け付けなかったけど、今は半々だ
モダンでマタイ全部聴くと疲れるし >>57
そういう奏者がいるんだからそう思われても仕方がないよ。
バッハのこの曲はこの楽器を想定している、などとね。
>>58
そうか・・・
なんだかダイヤル式電話に戻るような煩わしさを感じるんだよな。
古楽器の欠点を改良したのがモダン楽器なわけだし。 でもラッパなんかはクロマチックで演奏でけないという制限があったから
あんな馬鹿気た殺人的高音域を吹かされることになったわけで
それがある意味、華々しくも祝典的な曲になったってことも
お忘れなぐ。 そうそう、
誰の演奏だったか、モノラルの頃の録音だが
(もちろんモダンのラッパで)ブランデンブルクの2番を
高音域はオクターブ下げて
下げると低くなりすぎる部分はそのままで吹いてる演奏が
ゆーちゅーぶにあったよ。
モダン楽器といってもこういう不完全な時代を経て
今に至ってるんだよ。 バッハの時代を無視した改良だから、ややこしくなってるんだな >古楽器の欠点を改良したのがモダン楽器なわけだし。
そうだな
クラシック音楽の欠点を改良したのが現代音楽だしな >古楽器の欠点を改良したのがモダン楽器なわけだし。
ならば、バッハを演奏する上で、モダン楽器が古楽器よりも優れている点て何ですか? まあモダン楽器である電子ピアノやシンセは
機能的にはバッハの時代の楽器より優れてるなあ。
オルガンより多くの音色使えるし、調律の必要ないし、
手が足りない声部は自動演奏させればいいし、
ドラムを入れてリズム的な刺激とメリハリもつけれる。
さらにスピーカーで大音量だーーー!
まあ後だしじゃんけんだからな。前のものが後のものより
平均的に落ちるのは必然のこと。 つまり古楽器演奏家が使ってる楽器もメーカーが
わざとらしく性能を劣化させたある意味超モダン楽器ということだな
ならこのスレは終了だな
全員モダン楽器でバッハを演奏してるんだからW 例えるなら、一眼レフカメラよりコンデジカメラの方が上と言っているようなものだな。
モダン派の連中は。 わざと性能を落としたデジカメを使ってるのが
古楽派なW 古楽の連中が使ってるのもモダン楽器の改造版なんだから何と比べて優れてるのか問われても意味ないだろ。
このスレタイ自体が無意味なんだよ 音律や調律に苦心して
弦ではピッチの安定しない古楽器には
音痴を誤魔化すテクニックが満載。
互いにフォローし合う合奏ならイケるけど、
無伴奏ソロになるとちょっと聴くに耐えない。 >>70
フィルムの一眼レフとデジタルミラーレス一眼のほうがしっくり来る 一眼レフ風味のデジカメで撮影して
一眼レフに近いこっちが本物の写真だと主張してるのが古楽の演奏家だよ 古楽演奏家や古楽指揮者の多くは当時の再現を目指しているわけではないと言っているけどな。
確かに中には本物とか再現云々言う人もいるけど、アンチ古楽器に限ってそういう人の
意見しか耳に入らないんだよね。 それは知ってるが
一応スレタイの煽りに乗ってるんだよW 古楽器のことよく知らないのですが
古楽器演奏の目的は当時の演奏の再現と
言ってた(る)古楽器奏者とは誰のことでしょうか。 >当時の再現を目指しているわけではないと言っている
モダン楽器もそうなのだが敢えてオリジナル(っぽい)楽器を使う意味って何? 演奏家の自己満足
アーノンクールなんかは
さっさと開き直ってたよ
古楽なんて音楽はないとね アンチ古楽が毎度引き出すアーノンクールw
実のところCMWすら聴いてないだろ でもアーノンクールの言うことに明確な反論は
1つもしないんだねえW アーノンクールは最晩年まで古楽器オケの指揮をしていたけどな。 モダン楽器は響きが汚い
CMWやCM90、後名前忘れたけどヘレヴェッヘのオケとかに慣れた耳では
VPOとかBPO、ACOのホワイトノイズを多分に含んだ音は聞くに堪えないと言えようw また、アーノンクールが言いたかった事は古楽器演奏は当時の再現音楽、考古学演奏なんかではない。
という事でしょ。
なにか彼が古楽器演奏を否定していたと誤解している人がいるようだが。 そうアーノンクールはあくまでその方が面白くて刺激的だからやってただけで正しさなんてどうでもよかったんだよ
したがってスレタイは
か、か、か、改造モダン楽器以外のモダン楽器でバッハwWWWW
が的確だな
古楽演奏もあくまでモダンの演奏スタイルの派生形で所詮はモダン演奏だと言うことだよ >>87
モダン楽器ってひとくくりにするけど
同じ楽器でも製作者によって著しく音色が違うから
古楽器でも千差万別なのは耳の肥えた人ならわかってると思うけど
上でも書いたけど今はそれぞれが演奏者の選択肢なんだよ
自己満足ってのは…まあいい得て妙www 古楽器に憧れる人は蚕の糸や蜘蛛の糸で弦を作れば最高の音がするとか
古代ローマの製法でワイン作れば最高の味と品質になるとかある種の
ロマンを求めてるんだろ。
ロマンを求めることをオレは否定しないよw
そういうのないと世界は少しつまらなくなるかもしれんからねw だから、いろんなアプローチはあっていい
ピアノでバッハ弾こうが、モダオケでヘンデル弾こうが
むしろ作曲当時は楽器も進歩しつつあったんだから、もしかしたらバッハも、モダンピアノの音色こそ望んでたのかもしれないしね
似たようなのだと、戦後しばらく経っても、ヤマハやカワイの楽器を
欧州のソリストはなかなか認めようともしなかった、ウィーンとかは特に
でも今や、VPOですらかなりのソリストはヤマハのを常に使うようになってるしね >>88
でもその割には初期の頃
「こうやらないと作曲者の意図を再現できない」
みたいなこと盛んに言ってましたけどね モダンピアノがバッハの時代に普及されていたら、平均律とか作曲する必要もないし、
その「たら」「れば」かなりの矛盾を含んでいるね。 そうなんだよ、全ての調を巡る意味がいまいち分からない 古楽器による演奏のねらいがハッキリと分からない
××ではない、ってのはあるけど 例えば
浜松楽器博物館のシリーズCDなどでも聴けるけど
レストアされた当時の楽器に近い音色と音量のコピー楽器であれば
現代のオケで使ってる楽器の音色と音量より
当時の響きに近いわなw それに、レコード、CDとか録音された演奏だけだと
響きはともかく音量は聴く人の好みや環境で変わっちゃうからなあ
チェンバロをピアノくらいの音で聴いていたとしたら
うるさく感じると思うなあ。 まあはっきり言ってバロック時代のどの作曲家が
どの時代にどの楽器使ってたかなんて特定できる例は少ないから、
当時の響きを再現するなんてのは実に胡散臭い話。
珍しい楽器使って売りにしようってのが本音だろう。
楽器云々よりも、指示の少ない当時の楽譜をどのように弾くかという
暗黙の了解の部分が受け継がれていないことの方がはるかに大きい問題。
従ってどう弾いてもバロック風の現代解釈にならざるを得ない。
これはピリオドで弾こうがモダンで弾こうが関係ない問題。 そういえばアーノンクールはフリードリヒ大王のフルートを手に入れたらしい。
これで音楽の捧げものを吹けば音色だけはまさに本物だよね >>102
当時の事を文献などで何も勉強しない
わかろうともしない奴に限って
そういういい加減な事をもっともらしい口調で言ってのける・・・
所詮モダン楽器は古典派、バロックやそれ以前の音楽用として
造られてないことは明らかなのに・・・
奏法などは演奏者によってはかなり差もあって、
いいかげんなのもあるけど
そういうのは聴く側で選べばいいだけのこと。
モダン、ピリオドともに良いものもあれば悪いものもあるわけで
ピリオド楽器を使ったからと頭ごなしに胡散臭いと言うのは
言いがかりだ。
それならモダン楽器を使ったものでどれだけ
まともな演奏があるというのか・・・
逆に一握りの録音だろう。
テレマンやハイドンの初期作品などは録音すらあまりされなかったという史実。 結句
モダンのコンサートピアノにとってのバッハ、スカルラッティ、モツは
前座の指慣らし音楽。
バイオリンならせいぜいバッハの無伴奏くらいしか
相手にされないじゃない
バロック周辺の音楽を当時の楽器を使って真剣にやってる演奏家に失礼な話だ そもそもモダン楽器が古楽器よりも優れている点なんてあるのか?
音が大きい事が優れているんですか?
ビブラートを大きく効かせられる事が優れているんですか? あらゆる時代の音楽を一本でそつなくこなせるというだけの
ご都合が良い代物で
時代もレパートリ―も限定されてしまい
曲によって何本も持たなくてはいけないという
ご苦労なピリオド楽器の奏者達へ
>>102は謝罪してほしいくらいだ。 楽器の音色もそうだけど古楽出身と普通の指揮者では曲の解釈が根本から異なるからな >指示の少ない当時の楽譜をどのように弾くかという
そこは出版譜つまり使用楽譜の校訂者、研究家にたよってる部分も大きいはず。
ピリオドで弾こうがモダンで弾こうが関係ないと思ってる人は
指揮者や演奏家のインスピレーションだけが頼りだと勝手にそう思ってるだけで
それはコンポジションされた音楽でなく、
バロックなどのアドリブやインプロヴァイゼーション的な部分のみを
誇大解釈しちゃってるという危険な落とし穴でもある。 >>111
管楽器は木管も金管も古楽器の方がまろやかな音だと思う。
モダンの管はピーピーいってるだけで
音に余裕がなぐ余程上手でないとハーモニーに欠ける感じがする。 ドゥルーズがアリストテレスを深く研究したように
クラシックの演奏家はバッハ以前を深く研究しなければならない
古楽を勉強して、初めて古典派やロマン派にまでレパートリーを拡張することが
許されるのだ ピアノの平均律じゃないけど
モダンの演奏はどの演奏もテンポ設定以外は
それほど大きな差はなく、いや大きな差を出したくても出せない
演奏がほとんどで、それを良しと教育されてしまった頭に
十人十色なピリオド演奏の良し悪しはわからないんだろうな。
それにあまり聴かない人、縁のない人は
ピリオドと言えばアーノンクールみたいな演奏と勘違いしてる事が、
そもそもの間違い。
確かにアーノンクールの四季などは雑で汚い音がするわな なるほど、古楽器嫌いはアーノンクールをちょこっと聴いてあーだこーだ言ってたわけか
腑に落ちたわ >>106
古楽器演奏経験もある鍵盤奏者ですが何か?
書棚いっぱいにある和洋文献を全部読み終えてますが?
>所詮モダン楽器は古典派、バロックやそれ以前の音楽用として
>造られてないことは明らかなのに・・・
古い音楽をその時代の楽器で弾くという行為はすでにバロック時代にも行われていますが?
>ピリオド楽器を使ったからと頭ごなしに胡散臭いと言うのは
当時の響きを再現するというのが胡散臭いと言っているのですよ。
ことバッハのチェンバロについていえば現存するものは一つもないという事実。
逆に上で述べたとおり当時から楽器に対するこだわりはなかったわけで、
そういう意味では楽器と音楽作品の時代が逆転さえしなければ何を使っても問題ない。
>テレマンやハイドンの初期作品などは録音すらあまりされなかったという史実。
それは楽器の問題ではなく無名だっただけですが? >>107
それこそモダン楽器が古い音楽を演奏して余りある力量を持っている何よりの証ではないですか。 >>112
あなたが自分で楽譜を読んで演奏したことがない証拠ですな。
わかりやすい例でいえば序曲、あれは楽譜どおりに弾いたらお話にならない。
そういう部分が数少ない文献を頼りに読み解かれている状態なのですよ。
楽譜の校訂者や研究者が必ずしも演奏家でないために余計な混乱を招いている。
古楽を演奏した経験のあるものならだれでもぶつかる問題なわけで、
演奏経験のないあなたのような方には理解できないでしょうな。 >>115
リヒターとカラヤンを大差ないと言われればそれまでですがね。 モダン楽器は音の抜けが良く、輪郭がくっきり
声部の分離もくっきり、明瞭 古楽器演奏家だって確信をもってやってるわけじゃないむしろ研究すればするほど確信が揺らぐ世界なのに
なぜか聴き専だけは自信満々なんだよなW
踊らされてる ことここ頭のお堅い日本でピリオドを選択してバロック周辺の音楽だけで
食っていくのは難しいというのはよくわかるな。
そんなの日本と海外でのピリオド情勢を見ればわかるだろうに。
古楽器のために作曲されてる現代作品すらある時代になった。
>>117
実際にトランペットなどはごく最近まで課題だったわけで問題大あり。
当時ナチュラルを満足に演奏できる人がいりゃ
モーリスアンドレとモダン楽器を選んだりはしなかったはずだよ
ブリュッヘンやレオンハルト達。
モダン楽器で安全運転の演奏されても何のスリルも発見もねえつう
時代になったってことでいいんじゃないか? >モダン楽器が古い音楽を演奏して余りある
力量を持つ必要がないと思ってる人がピリオド楽器を選んでるってことだよ。
もちろんモダン楽器にない魅力は計り知れないが
そういった機微を感じ取れない
さも万能で正当性のモダン楽器が良いと思ってる人に
わざわざ苦労や問題の多いピリオド楽器を勧めても時間の無駄だわな。
もとからネタスレの暇つぶしだけど・・・。 ピリオド楽器の個性に酔いしれる感性があるなら
モダン楽器の千差万別の個性もわかってもらいたいものだ
そしてそれを使う奏者の技量もな モダン楽器は基本的にコンクールで勝負!みたいな
技術、技量と表現力とやらに行き着く
汗と涙と感動の格闘技的なものに近いよな
はたまた英才教育の延長線か?
管弦楽器になると話が複雑になるので鍵盤に絞れば
ウーリツァーやローズピアノといったエレピ、
昭和の幼稚園や小学校の備品だった足踏みリードオルガンに代表されるハーモニウム
そして故富田勲やYMOが使ったアナログシンセなどは
デジタルシンセで代用できる時代になった。ピアノだってスペース、住環境と相談して
DX7で代用できる時代に。
でもなぜかしら
黒鏡面仕上げの鉄骨入り現代ピアノは
チェンバロ、フォルテピアノの代用品ということにはならない。
どの楽器にも淘汰された楽器の魅力に惹かれるファンは
少数ながらいるってだけでおk? 個人的には
アラウのやわらかい音や
タローの技術とレパートリの複雑怪奇さには
古楽器にない個性があると思ってるけどな! >>129
いや皆バッハやモツモダンピアノで弾いてるやん
用語羅列したいだけか? >>131
だから誰もモダンでバッハやったらいかん
とは言ってないやろー。スレタイは釣りだし
いやスラトキンのN響バッハが放映された時に立ったネタスレだろ。
被害妄想なやつをからかっているだけでは?
もう一度いっておくけど
モダンでもピリオドでも良いものは良いし
悪いものは悪い。それに尽きる。あとは個人の好み。 あと
テレマンやハイドン初期の作品を
>楽器の問題ではなく無名だっただけですが
と考えるほうが問題発言。
モダンはレパートリーが無限大だから
そこらへんの作品に取り組む必要がないが
ピリオドは時代が限定されてしまうから
曲を発掘しなければいけないという…。
それも楽しみのうちなんだけど万人向けとはいかない。 タローはラモーやクープラン、現代のカーゲルなんてやってのける人だけど
バッハについてはメジャーレーベルの「売れる」選曲って感じがしてならない。
奇才にはもっと知られてない曲をやらせるべき
売れなきゃダメなのはわかるけど、それだと同じ有名曲ばかりが
はびこってしまうだけなんだよな >>134
テレマンもハイドンも演奏して広めたのはモダン奏者ではないですか。
あなたが本当に史実を知っているのか怪しくなってきましたなぁ。 いや新しいマーケットを開拓しただけでも価値があると思うぞ
たとえそれが擬古モダン楽器で弾いたでっち上げた演奏でも
金を生んだもの勝ちだからね ヴィヴァルディの四季といったらイムジチ、
パっヘルベルのカノンといったらパイアールの二乗
という時代もありますたよめぇぇぇ >>133
>黒鏡面仕上げの鉄骨入り現代ピアノは
>チェンバロ、フォルテピアノの代用品ということにはならない。
いやなるだろって言う モダン楽器のバッハは下らないバラエティー番組中のBGMとして使われていると非常にマッチすね。
一方、古楽器のバッハは大自然の風景や歴史的な建築物や美術など芸術作品の映像のBGMとしてとても相性が良い。 米朝師匠の「味の招待席」オープニングのオーボエ・ダモーレ協奏曲は
モダン楽器だろうけど誰の演奏だったんだろ? 性能の劣った改造モダンのしなびた音は確かに古臭い建物や風景にはベストマッチだな
モダンは今を生きる世界の音だからね しなびた→鄙びた?
改造モダンって言ってるけんど
それって諏訪内さんとかが使ってる
ストラディヴァリとかのことだろ?。いわゆるモダン楽器。
ピリオドで使われてる楽器は
コピー楽器とかレプリカといって当時の仕様になってる楽器だけど。
ちょっと何を言いたいんだかわがんねんだが・・・
ブックレットにクレジットされてるのを見ると
当時モノとしてはリュートなど撥弦楽器の現存率は極めて低いが
ガンバは結構オリジナルが使われているね。 古楽では西洋の楽器ではないが
古琴(ジェット・リー主演、英雄で使われてる楽器)
や古箏(日本でいう琴に当る)、中国琵琶(バチは使わない、10本の
指を全て使う)辺りが広まって欲しい。
エンターテイメント的な技術的な要求も現在でも十分満たされるし、
それは霸王卸甲(チゴイネルワイゼンとか幻想即興曲みたいなもの)
を聞けばはっきり分かる。
楽器の特徴ある魅力もまったく独創的で素晴らしい。 ラウッテン・カンパニーの『マルコ・ポーロの歩んだ道』には
ピパは使われてないよね・・・ つうかテレビに合うとか合わないとかどうでもよすぎる >>146
ストラディバリは改造ピリオドだろ
18世紀に作られたんだから オレのような昔の音楽に浅い人間には昔の楽器の魅力なんて
大して分からんのよ。それこそ曲のリメイク(温故知新)でも
してもらわんと。fisherman's song of the east china sea
のように。 ヤマハのサイレントギターをアンプにつないでバッハを演奏しています いやそうじゃなくて、昔の楽器で今風に演奏って意味。
例えば尺八の藤原道三みたいに。 録音が残ってない以上
こういう音だったはず
という推測で演奏するしかないからね
楽器メーカーが作った学者のお墨付きのピリオド楽器で
深夜通販と同じだな
医学博士お墨付きの水素水W 古楽器演奏に関しては
演奏しない聴き専の学者の意見もまかり通ってるだろW ピアノでバッハ弾いたあとチェンバロやオルガンで弾くとすごい楽だなって クラヴィコードでバッハ弾いたあとピアノで弾くとすごい楽だなって >>159
クラヴィコード弾いてからピアノ弾くとタッチがすごい良くなるよね。
クラヴィコード難しいわ。繊細すぎ。 当時の演奏を再現したものが、インぐウェイマルムスティーンのバッハですよね >>161
良くなるというかすごい気を遣うようになる
ピアノが弾きやすく作られてるというのがよくわかるよ
そのぶん細かなニュアンスは表現できないが >>164
機構が単純ですからダイレクトに指の動きが伝わるんです。
クラヴィコードが好きな人はそこが好きなんですよ。私もですが。 録音が残ってないけど
録音が残ってないけど
当時の記譜、楽譜や楽器は残っています。
おうよ、それだけあれば。それだけあれば
過去の演奏のマネをするだけがクラシック演奏じゃないのデスが クラヴィコード、前にネット通販でさがしたら自分で組み立てるキット
20万円ってのがあった。
けっきょく鍵盤数が少なすぎてやめたけど。
最低でも、本当に最低の最低でも、61は欲しい。 >>168
低音で使う音数が少なければ調律して使う音だけ詰め込む
(ショートオクターブみたいにしてしまう)という手もありますが、
バッハではかなり厳しいでしょうね…
でもまあ当然ながら鍵盤が多いほど調律が大変です。
安い中古が出ることもありますが、慣れるまでは調律の苦労に覚悟が必要です。 >>169
アドバイス感謝です。
調律の苦労に関しては、いまひとつイメージ出来ているようないないような。
大雑把な想像で、49鍵でも61鍵でも使用頻度の高い音域は一緒だから
調律の手間はさほど変わらないんじゃないかと軽く考えたりもしていま
したが、楽器の構造というか躯体の強度や弦張りの強さも分からないので、
全体として曖昧模糊状態です。
すぐに買わなきゃというわけでもないのでしばらく考えてみます。 レイモン・レパードはモダン楽器使用だが
学者肌の指揮者だからね
時代がもう少し後ならピリオド楽器を使用していたかもな
現在のピリオド楽器使用モダン解釈の指揮者達より
よほど素晴らしい。 つまり素晴らしければ
楽器は関係ないわけだよ
モダン楽器で古楽の成果を取り入れた演奏がいまの最良のスタイルなわけ
ピリオド楽器は単なる参考程度のもの
楽譜は残っていても
やはり当時の響きは再現出来ないからね。 ことさらにバロック期には楽器の開発・淘汰が激しかったから再現なんて無理だよね。
今日のピリオド楽器の使用には時代錯誤が蔓延している。
「ある時期に使われていたであろう楽器に似たもの」による演奏でしかない。 まあ、例え現在の古楽器が当時の再現としてデタラメであっても、古楽器演奏を
聴くことを選択するけどな。
何も古楽器、ピリオド楽器による演奏を聴く理由は作曲当時の響きを聴きたいのが
第1の理由ではない。
演奏そのものが優れているからにほかならない。 演奏そのものの芸術性が高いからピリオド楽器による演奏を聴くわけです。 それってようするに芸術性が高ければピリオドでもモダンでもいいってことだね。 そして芸術的かどうか判断するのは精神性が高いからなんだろ?W
それでも学者のお墨付きのバッハの音だからで聴いてるアホよりましだが 古楽器でラフマニノフでもショパンでもいいから弾いて欲しい
そしたら評価する。 >>181
無理だったらラフマニノフやショパンの時代はどうやって演奏していたんだよw なんかやたら「当時の再現」は無理と訴えてる人
ならばモダン楽器ならよしというのも
音に関しては開き直ってるというか
棚に上げちゃってるだけのように見えるが・・・
それって排気量が大きい外車とかで日本の裏路地を走ってるようなもの
なんじゃねーのかい >>184
古楽器いうからチェンバロでしょ?物理的にも音楽的にも無理 なんでチェンバロでショパン弾くんだよ。
馬鹿かお前は。 あ、やばい。
オレ釣りに引っかかったかな?
釣りだよね?
まさか>>186は素の無知で言ってるんじゃないよねw >>185
タイプライターの代わりにパソコン使っちゃだめか? >>190
逆なんだな。
パソコンの時代に
あえてワープロ、タイプライター、手書きを選ぶという
表現方法の違い >>184
ラフマニノフがピアニストとして活躍してたのは明治〜昭和やで? 1892年製エラールで
デュカス、バルトーク、ルーセル、ファリャ、ストラヴィンスキー
を弾いてるCDを買いましたが何か 恐らくここのモダンバカはロマン派の古楽器演奏はバロックヴァイオリンで演奏していると思ってるんだろうなw >>191
表現手法の違いであれば「モダン楽器でバッハ」を嘲笑することもなかろう
やりたい人はやればいいし聞きたい人は聞けばいい それはスレ主のただの釣りだから
気にするこたあない。
私はスレ主ではないしな。 スレ主とはいえないわな。
単なる立て逃げの>>1が多いんだよ2ちゃんは・・・ どちらかというと、復元した古楽器はモダン楽器とかいってる
どうかしちゃってる人の意見は参考にしちゃダメだ。
万年筆やボールペンは受け入れるが
現代に作られた羽ペンは当時使われていたものではないから眉唾だ
と言ってるようなもんだからな。
使ってる人も現代の人であって18世紀の人ではないといってるような
もんだから逝っちゃってる。 モダンチェンバロとかみんなごっちゃにしてるんじゃないか?
今日の復元楽器は当時の雰囲気を味わうには十分な代物だと思うが。 このゲームで最強の国作ろうずwwwwwwwww
http://www.pandora.nu/nyaa/cgi-bin/bj/index.cgi
国に所属して内省したり外交したり軍事行ったり戦争したり修業したり討伐したりして
強くなったり国統一したり絵を描いたりカジノしたり商売したりアイテムコンプリートするゲーム 100年程度前のマーラー時代のウィーンフィルのヴィブラートの掛け方で論争が起きるくらいなんだぜ。400年も前の音の再現が楽器を再現すれば出来るようになるなんて楽天的過ぎるだろW羽ペンと音楽をいっしょくたにするような幼稚さじゃ仕方ないか チェンバロで世界で一つだけの花を演奏する。
おおーすげー
チェンバロでブランデンブルク5番をソロる。
フーンなんかパチパチやってんなー。まあーいいんじゃない。鼻ほじほじ。
これが私の古楽器の評価ですね。 モダンチェンバロでのショパンなら確かランドフスカの録音があったな
クラヴィコードによるショパンならyoutubeにいくつかある >>203
だからぁ
現代の楽器と奏法でバロックや古典派の曲をやりましょう
って演奏家はもはやいないのが現状。
いいかげん「音の再現」とかいわないでくれるかなあ
もともと音楽が絵画や彫刻などと違う
再現芸術なんだぜ?
その表現方法や切り口が違うってだけの話。
じゃああなたはどんな演奏なら満足なんですかって話。 リュート曲をギターで演奏したり
ガンバやハイドンのバリトン曲をチェロで代用?
ならええんか?ええのかええのんか >>208
全く問題ない。この辺はもっと中国の人を見習うべきだ。
彼等はいいと思ったものは楽器の指定などこだわらずに弾いているよう
に思う。私はそれがとても気に入っている。 ヴァイスの曲をギターで?
ハイドンのバリトンをチェロで?
やる人はいなくはないが
ほとんどの人はそこまでしてやらない。
レパートリーとして取り上げてくれるのは
ピリオド楽器奏者くらいでモダン楽器奏者なんて
相手にもしないだろってこと。 アルベジョーネの曲をチェロで弾いたっていいじゃないか 例えばストコフスキーのバッハ然り
フォッサがハイドンの弦楽曲をギターデュオに編曲
といった行為も現代楽器の人達は
逆にやらなくなってるじゃないか。
やる曲がいくらでもある時代だからね。 やり方しだいだとおもいますよ。
例えばアメージンググレースなんて冷静に聞くと
かなりつまらん曲だけど白い巨塔で使われたりして
それなりに名曲扱いされてる。 しかし。曲の継承って意味での古楽はそこまで否定はできないわな。
が現代でのその楽器のパワーを見せて欲しいのも事実(自分としては)
こんな風に。
ttps://www.youtube.com/watch?v=XB_j1jJGDYw バロックやクラシックの編曲なんて今でも結構行われてるぞ。
コマーシャルなんかでもちょくちょく耳にするし。 話題が違うけど ヨハン・クリスチャン・バッハって凄くいい作曲家だね
ピアノ協奏曲聴いたけど モーツァルトが憧れた理由がなんとなく分かる
ttp://www.youtube.com/watch?v=PLD8AC67BC69671B74 4月にスラットキン・N響のバルビローリ、ストコフスキーなど編のバッハを聴いて、10年に1度くらいなら珍しくて
いいなと思った
下手でないオケの実演に限るが 原曲をモダン楽器で弾くのと編曲をモダン楽器で弾くのとは
意味合いも姿勢も趣も全く違うからなあ
そもそもバッハ作品ではなく編曲者の仕事として扱われるし
ただ年寄りの厚化粧を思わせるような編曲はやめてもらいたい 結局は多少なりモダン用にトランスレートされているはず。
どうせやるなら厚化粧にしなけりゃ意味がない
というよりは、演奏でけん思うけどな。
例えば音が長く伸びるグランドピアノで演奏するとき
トリルという装飾を入れる必然性も時代とともになくなってきた
わけで。
豪快なサウンドが出る楽器でわざわざちまちま息を殺して
速いパッセージを弾いても大変なだけと思うけどなあ
まあ、どちらにもそれなりの良さはあるけどね。
どっちは良くてどっちはダメということはまずありえない。 カザルスの管組第二を初めて聴いた時、ピアノがハープに聞こえたわ。
そのくらいメランコリック >>224
>例えば音が長く伸びるグランドピアノで演奏するとき
>トリルという装飾を入れる必然性も時代とともになくなってきた
それはちょっと違う
チェンバロのトリルの方がピアノよりうるさいだろ?
それでもあえてトリルをつけているってのは
音の維持だけが目的ではなく「こぶし」みたいなもんだから
旋律の一部として省いてはならないものを見極めなければ
バッハが一部の鍵盤曲に記号ではなく音符の装飾音を書き込んだのは
当時ですら省いてもらいたくないものまで省かれることがあったから 演奏会場が室内からコンサートホールにかわったんだから
豪快なサウンドで早いパッセージを弾いても問題なし。 逆にcpeバッハとかもモダンの楽器でやれや。
モダン、モダンと叫んでいても演奏・録音されるのは
いつまでたってもバッハ、モーツァルトの有名曲ばかり
同じ曲ばかり。 >>228
ヘンスラーからピアノで鍵盤作品全集でてるよ ヘンスラーからはリリングだっけかモダン楽器演奏のカンタタ全も出てるでしょう。
そういう事を言ってるわけじゃないんだよね・・・。 いやだからcpeバッハの鍵盤作品全集がピアノ演奏で出てるんだけど
どういうこと? わかっててからかってるんか
他には全集でなくてもあまり出てないでしょ
レパートリーとしてる人はあまりいてないでしょってこと。
あるかないかなんて訊いてないやん
やる人は時代が限定されるピリオドの人くらいでそっって事。
モダンは他にやる曲はいくらでもあるゆえに
ベト以前の古典派レパートリーといえば
せいぜいモツ、バッハどまりなんでないの。
それなのに古楽器になんくせつけてくるのってどうなのよ ちなみにヘンスラーのJSバッハ全集は
モダン楽器と古楽器をチャンポンにして録音してる
レヴィンはフォルテピアノではなくあえてモダンのピアノ
そうかと思えばピノックのチェンバロあり
こだわりがないのか、それともあえて
ココにいるような堅物どもに挑戦しているか ヘンスラーのcpeバッハ全集も
古楽器とモダン楽器まぜてる。
たぶん先に古楽器で録音が多く出てる曲は
あえてモダンでやる傾向にあるように見える。 cpeバッハはモダンでも取り上げられる機会が多い方でしょ
グールドはともかく古くはシフラの演奏もあるし
ペトロフとかヒューイットもなんか弾いてなかった?
古典派で言ったらライヒャやフンメルあたりといい勝負でないかい?
有名どこのヘンデル、ラモーやクープランなんかもモダン演奏はしばしばある
自分の受けた印象だけでものをいうのはいかんな モツや大バッハの録音量や演奏機会と比べての発言か?
かろうじてあるような状況だろ
ピリオドどうこう言ってる筋合いじゃねえっての そもそもエマニュエルバッハの知名度が大バッハやモツより低いのが原因でしょ? キース・ジャレットのゴルトベルクの録音はチェンバロだけど
グールドのピアノの録音よりはるかに退屈に感じる
使用する楽器が演奏に資するならなんでもいい
今の時代にどれだけ説得力をもって昔の曲を聴衆に聴かすかが大事だと思う >>236
録音量や演奏機会を比べたらピリオドだって同じことだしww ジャレットのバッハなど聴くほうが悪い
知らなかったとは言ってほしくない 自分は知ってるつもりなんだろうなww
キースがハープシコードを弾いたことの意味も分からんくせにwww >>237
その知名度ってモダン楽器における一般の音楽ファン
もしくは普通のクラシックファンの知名度なのだ。
ピリオド楽器やバロック音楽のファンであれば
テレマンもバッハ一族もクープラン一族も
モツもハイドンもその他の作曲家も
知名度というか、みんな知っていて
さらに知られてないような作曲家の曲を聴いたりしてるわけです。
好き嫌いはあるだろうけど・・・ 発掘されて評価が上がる作曲家もいないわけじゃないけど
cpeバッハ含め淘汰された作曲家は好き嫌い以前の問題だ
一時的に演奏される機会があってもやがてまた演奏されなくなる
それはピリオドでもモダンでも同じこと >cpeバッハ含め淘汰された作曲家
モダン中心に聴いている人の意見はこうなっちゃうんだねw >>244
ピリオドでもモダンでも同じだといってるんだが
何でそういう斜め上からの的外れなレスを返すかな
お前なんか古楽の演奏史もろくに知らんじゃないか
ちなみにうちの書斎のCD棚はピリオドとモダンが6:4だ
知識も足りなければ洞察力もないようだな ピリオドしか聞いてないから古典派以降にも忘れ去られた音楽家が無数にいることなんか知らないんだろ。
その作品が発掘されたり当時の楽器で演奏されたりなんてのもね。 ピリオドを使うかは今の聴衆に聴きやすくするかどうかの問題だと思う
ピアノで面白く聴かせられるのなら、それでいい
歌は本当に微妙で時代による
リヒターでいいならそれでいい
100年前に今と同じ歌唱だったとは全く思えないし、バッハ時代はまた分からない >>250
正確には室内で耳をそばだてて聞いていた楽器をコンサートホールに持ち込んだために聞くに堪えない音を出さざるを得なくなり改良された。 いやいや、あはは。
サントリーやカザルスホールで聴いた限りでも
別にピリオドもモダンもどちらも充分にいい音だがね
聴いてないやつほど妄想でいいかげんな事を言ってのける
ネットって危険だなあ…
青箪笥スピーカで昔の録音を大音量で聴いてるんだろうか
なにがええのか悪いのか判断もできへんのやなあ
しょせんポンコツチンピラ評論家のいうがままってやつ? おまえ18世紀の一般的なコンサートの楽器編成知ってんの? 自分が最近聞いたコンサートで楽器の発達史にケチつけるとかウケるwww 発達史・・・
コンサートホールに楽器を合わせたわけではなく
音楽に合わせて改良されていったのでは?
ワーグナーやマーラーが要求した音量を
古典派以前の音楽にも必要なのかどうか?
ベートーヴェンならまだしも、それ以前の音楽にはほとんど不要かと。 >>1
エマーソンSQのフーガの技法、Marco Angius指揮によるシェルヘン編のフーガの技法が
聴けないなんてかわいそう。。 >>258
AKBが聴けないなんてかわいそうと言っているのと変わらないレベルwww エマーソンとAKBが同じとか可哀想を通り越して病院を勧めるレベルだな >>242
クープランを一族と言うなら
モツ、ハイドンもモツ親子、ハイドン兄弟と言ってくれ
ピリオド好きならな そういや日本人の多くは学校でリコーダーという改良ピリオド楽器を習うよな。
みんなピリオド経験者なんだぜ?ある意味スゲーよな。 クラブ活動ではもっぱらバッハをやってた
なぜか小フーガではない無名のフーガを半年近く練習したなあ
ラーミーシーミードーシドラーって主題の曲だけど作品番号がわからん 教師が古楽の専門家なわけじゃないし子供にもわかりやすい曲って考えると童謡とかになっちゃうよね。 私はグリーンスリーブスをやったことがあるけどこれはある意味正解。 俺は確か「コンドルは飛んでいく」を吹いた覚えがある お前らのリコーダー体験をしゃべるスレじゃないんだよボケ! >>263
運指にバロック式とジャーマン式とがあるって
まさに子供時代のその時に、はじめてバロックという言葉に
ふれると思うのだが
プラスチックの黒茶色は紫檀や黒檀を表現しており
クリーム色は象牙なことまでは気づいてない教師もいるはず でも今は鍵盤ハーモニカを用いてるようだから
ジェネレーション的にどうなんでしょうね >>271
リコーダーはバロック式が利口だあって教師が言ってた 小学生のころ、リコーダー吹いてて先端からヨダレをだらだら垂らすやついたよな シラネーヨ。
以前は教育テレビで「ふえはうたう」という学校放送があったが
うえすぎこうどう先生、よしざわみのる先生が講師
生徒はなぜか、故・はせさん治さんや
忍たまの関俊彦さんといった声優さんが起用されていた まだリコーダーなんて前世紀的な教育やってんのか
小学生でDTMやソフトウェアシンセの使い方くらい教えた方がよっぽどいいし、
たぶん子供的にもそっちの方が楽しい 音楽が歌を基本として呼吸と直結してるのを教えるのにリコーダーほど適した楽器はないよ
安いし携帯性も高い DTMとか楽器ひけんやつがやってもゴミしかつくれん コードさえ弾ければ十分です
もしかしてまだピアノに向かって作曲してるとか考えてちゃってる人? >>284
DAWぐらい使うけどさ
楽器弾けなきゃどっかで壁にぶち当たる
ピコピコミュージックつくって遊ぶぐらいなら楽器ろくに弾けなくても事足りるだろうけどね
クラシックや教育的にはNGっしょ 証拠も上げずに俺は楽器弾けるアピール
恥ずかしいデスネw
壁に頭を打ち付けて
死んでクダサイ こんな話するたびにいちいち証拠あげていったらキリがない
まぁ嫉妬するぐらいなら頑張って楽器やれば >>286
DAW初心者だね
ソフトウェアシンセを充分に使いこなすためにはヴァイオリンのプロになるくらいの鍛錬を必要とする 単に聴きたいルネサンス〜バロックのマイナー作曲家をモダンのオケや演奏家が取り上げてくれないだけなんだな >>294
音楽的なセンスが、アコースティック楽器のソリストレベルで
要求されることは否定しない。が、ソリストの場合はそれに加えて
テクニカルな(肉体を楽器の一部として完璧に動かす)能力も完璧。
だから、クラシックの(音楽のジャンルに限らず?)ヴィルトゥオーソは
格別な尊敬を集める訳で・・・ いやソフトウェアシンセの音作りは相当奥が深いぞ。
ヴァイオリンは音色が決まってるけど、ソフトウェアシンセは0から音色を
作るわけだからな(プリセット使わないんなら)。
ヴァイオリンのテクニカルな物理的運動は確かにないけど、
諸々の膨大なパラメータを操る知能が必要だね。 >>298
ヴァイオリン独奏者よりは指揮者の仕事に近いかもね。 お前らってなんでモツやベトやショパンをモダンピアノで弾くのは文句言わないの?
アルペジョーネソナタを現代セロで弾くのは文句言わないのに
なんでバロック以前になると突然ピリオド主張しだすん?
むしろポリフォニーのような構造の強い音楽は楽器に左右されない音楽の最たるものじゃないのか ↑頭おかしいの?
死ぬの?低学歴なの
音楽の話ですみません ∩_
〈〈〈 ヽ
〈⊃ }
∩___∩ | |
| ノ ヽ ! !
/ ● ● | /
| ( _●_) ミ/ <こいつ池沼
彡、 |∪| /
/ __ ヽノ /
(___) / >>302
バッハでモダンの金管だとプァーンって響きすぎると気になる >>305
奏者の頭の血管が切れるんじゃないかも心配。
特にブラ2のF管ピッコロトランペットとか・・・ やっぱり、18世紀オーケストラやエンシェントにマーラーやストラヴィンスキーをやってもらいたい。 それならガロのソナタ集やモンザのハープシコード曲集がCDで出てるので
それぞれ買った方がいい。
でもパストレッラや終曲などの歌曲は録音あるのかな?
>>306
ブランデン2のピッコロtpはまだいいけど
N響がやった管弦楽組曲とかラッパが張り切りすぎて
うるせーのなんの
いうなれば室内楽を除いたその頃の楽器のために書かれていない
中編成になるとバランスがおかしくなるのは当然のなりゆきで
もともとモダン焼っきの管楽器などは
でけえ音が出せるグランドピアノやら
大人数の弦楽器群に対応するべく造りが堅牢でそつなく出来ているので
楽器本来の個性やしわがれたようなノイズ成分は除去されピッチは補正され
規格化されたような無個性なトーンになってしまってることが多分にある
多分にと書いたのは、ちょっと前の時代までは大勢のオケの中で吹いていても
これは誰それの音だろうとか音や節回しに
個性があったんだけどね。それは楽器の問題だけではないということだが
そういった実力ある管楽器奏者は次第にソリストになってしまい
オーケストラにとどまってはいない。
なので古い録音などをいまだに聴くという行為は
それすなわちその当時の音、それもピリオドなわけよ。べらぼーめ。 その頃の楽器のために書かれていないX
その頃の楽器のために書かれた〇 ピアノのバッハもいいじゃん、で済ませられないんだ
なんてちっぽけな心の持ち主だろう >>312
モダンピアノは表現力の幅が半端でなく広いから、
奏者に抑制心がちゃんとあれば古楽器研究の成果をも取り入れた
演奏がちゃんと出来るし、近年はそういう名演が多くなってる。
ブラ2のペットは・・・モダンのラッパよりは一周回って高音用のサックスで
吹くのもありかな、って気はするな。サックスの方が音量の調節が利く。 >>313
上位互換楽器で弾かなきゃならないって制約があるんだろうね
モダン編曲とわりきってしまえばなんでもいれていいってなりそうだが クラリーノ奏法を簡単に吹けるようにした楽器がクラリネットだという説もあるけど
クラリネットやらピアノを入れてブランデン協をやるほうがもの珍しいというか
確かに編曲とわりきった演奏ならソロでもアンサンブルでも
サックスやマリンバのバッハもいいね!という時代に入ったわけだが
かつてEMIやDGに録音があった
3台、4台のクラヴィ―ア協奏曲のピアノとオーケストラでの演奏は
どうも時代的に禁欲的というか抑制しながら弾いてるだけで、
ピアノの本領発揮、という感じではないんだよな。
つまりチェンバロをピアノで代用してるだけでピアノでやる効果は
ほとんどないように聴こえる
これは使用楽器どうこうより演奏する姿勢に問題ありで
逆に今ならもっと自由にやれるのではないか。
それでこその古楽器研究の成果ではないかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています