クラシック音楽に関する、笑えるけど、かなり恥ずかしい勘違い [無断転載禁止]©2ch.net
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クラシック音楽に関する、笑えるけどちょっと(かなり)恥ずかしい勘違いを書き込みましょう。
私は、
カラヤンのライバルだったレコード嫌いの幻の指揮者を、セ ル ジ ュ ・ チ ェ リ ゲ ダ ビ ッ チ
若くして名門アムステルダム・コンセルトヘボウ(当時)の首席に就任したオランダ人指揮者を、ベ ル ナ ル ド ・ ハ ン テ ィ ン ク
某放送局の、日本で最初に創設されたオーケストラを、 N H K 協 奏 楽 団(だって、まわりのクラ好きの友人は「Nきょう、Nきょう」と言ってるんだもん)
と、勘違いしていました。
クラシックを聴き始めた頃にエアチェックしたカセットテープに、若き日の私のたどたどしい字で「セルジュ・チェリゲダビッチ」「ベルナルド・ハンティンク」「NHK協奏楽団」書かれているのを見ると、情けなくなります。 >>26
8度、9度、10度…と歌ってみてやっとわかった。
だって、オクターブ高く(低く)奏するところに8と書くのと同じように、
2オクターブ高く(低く)奏するところに、16と書かないかい?書かないか。 16va と書く事は確かにあるし、100%間違いとは言えない。一方で15vaと書く慣習はない。
つまり音程の度数には「基数」の数え方と「序数」の数え方が無意識に混在しているからで、
三度(ドミ)と五度(ドソ)の差(ミソ)が三度になったりする。
サラセン帝国からアラビア数学が導入された時から未整理のままで残っている、一種の「シッポ」といえよう。 小学生のテストでシューベルトの生国をオーストラリアと書いた。
先生笑っていたが○にしてくれたよ。本当にラリアとおぼえていた >>164 >>サラセン帝国から〜
そうなんですか。どうもありがとうございました。 リヒャルト・シュトラウスよりヨハン・シュトラウスのほうが、芸術的に優れてると思ってた、高校生だった夏 まあ、どっこいどっこいだからな
ヨハンのほうが優れてるというのは確かに言い過ぎだ >>167
人それぞれだが、聴いてて楽しいという面では後者かもね ウェーベルンはリヒャルト嫌いでヨハン好きだったらしいぞ 「ぼくはヨハンよりもヨゼフの陰影と哀愁を愛する」・・・と、
大昔コーホーさんが書いていた。 >>167
一緒
リヒャルト誰それバッタもんとすら思っていた シューベルトをショーベルトのパチモンだと思ってた1820年の夏 バッハの「G線上のアリア」をメロディーは知っていたものの通俗名を知らなかった頃、
ラジオで流れたのを問い合わせ、オペレーターが「JSバッハの『第三の男』です」と言ったのを信じていた プルーストも、シュトラウスはリヒャルトのほうを評価していたみたいだ
http://i.imgur.com/4RgXOO7.jpg ふつはそうだろ、って話で。
この流れで普通の例を出すか? >>176
本当の話だよ
ちなみに20年ぐらい前のJ-WAVE
W第三の男Wの前にはヴィヴァルディの『四季』冬の第二楽章が流れてた オスカー・シュトラウス Straus だけはsが一つなのを知らずに、
中学生のころ、知ったかぶりで友達に「ミスプリ」だと吹聴してしまった。 世界3大straussといえば
Johan・Josef・Levi
他に誰か候補いるか? アルバンベルクで一続きの名字だと思っていた。
カール・アルバンベルク、みたいな そういえば昔見た本に「アルヴァンベルク」と書いてあったな >>186
ハハハ イキデキネーヨ
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ハライテ- ゲラゲラ
( ´∀`) < わははは ∧_∧ 〃´⌒ヽ モウ カンベン
. ( つ ⊂ ) \_______ (´∀` ,,)、 ( _ ;) シテクダサイ
.) ) ) ○ ∧_∧ ,, へ,, へ⊂), _(∨ ∨ )_ ∧_∧ ○,
(__)_) ⊂ ´⌒つ´∀`)つ (_(__)_丿 し ̄ ̄し ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
タッテ ラレネーヨ >>181
それ4人になってる
リーバイス
レビストロース モーツァルトって、フィガロとかジョバンニとかどうでもいいようなくだらない話をオペラにした、通俗音楽家だと思ってた >>193
今のクラシック音楽って、当時の通俗音楽の生き残りでしょ? 長い間サンクト・ペテルブルグをセント・ピーターズバーグと読んでいて、
いったいどこの町だと思っていた。 ピアノ三重奏 ピアノ3台
ピアノ四重奏 ピアノ4台
ピアノ五重奏 ピアノ5台
で演奏するのかと思っていた。 ブルックナーの聖地、サンクトフロリアンは
解説書ではほぼザンクトフロリアンと書かれている。
現地へ行って、間違いが分かった。 オーストリアはSを濁らないって
結構有名だと思うが ザルツブルク ⇒ サルツブァク
ヴァス・イスト・ダス (Was ist das?) ⇒ ワシュ・イシュ・ドシュ?
極めつけは ヴィーン ⇒ ヴェァン (Wean) ヴァントゥイユって実在する作曲家と思ってしまったこと プルーストによる精細で執拗なまでの音楽の記述は、ヴァントゥイユの「ソナタJや「七重奏」にモデルがないはずがないとの印象を与えずにはいない。
実際プルーストは、アントワーヌ・ボスコとジャク・ド ラクルテルに宛てた書簡に、モデルとなつた音楽について言及しているのである。
書簡によれば、ヴァントゥイユのソナタは、主にサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに由来し、しゃがれ声の冒頭はフランクのソナタであり、フォーレのバラードである。
「トレモロの震え」はワグナーの「ローエングリーンJのプレリュードである。
また、印象に残つている演奏は、ジャック=ティボーの奏するサン=サーンスのソナタであり、エネスコの演奏するフランクのソナタである。 プルーストは1903年にフイガロ紙に掲載された「エドモン・ド・ポリニャッ夫人のサロン」と
『失われた時を求めて』の「因われの女」の中で、フォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番に言及している。
また、フォーレの「バラード」をヴァントゥイユのソナタに「利用」した、と1915年のアンス・ビベスコ宛ての書簡で明かしている。
そして翌年、ガストン・プーレ弦楽四重奏団の演奏によリフォーレのピアノ四重奏曲を聴き、それをヴァントウイユの七重奏に利用したという。
また、プルーストはフォーレのピアノ五重奏曲にも興味を寄せ、オデオン座でのフォーレ・フェステイバルでこの曲を初めて聴き、ガストン・プーレ四重奏団と作曲家フォーレ自身を思い切つて自邸に招き、自分ひとりのために演奏を依頼している。
この曲もヴァントゥイユの七重奏のモデルになつたことは
「ここは、フォーレの弦楽四重奏曲第1番卜短調のカペーの弾くヴァオリン・パート」
とプルーストの残したノートにあることから明らかである。 >>204
あーそれは恥ずかしいな
そのレベルだと画家や作家も実在と創作の区別がつかなかっただろうねえ
女優やダンサーなんてさらにわからんかっただろうし同情を禁じえない
とりあえず長文連投自己満野郎は敷石に躓いて死ね そのレベルだと、
「アドリアン・レーヴァーキューンという作曲家が実在すると思っていた」というのも・・・ プルーストは金があったんだな、自分一人のためにゲンヨンとフォーレを呼ぶなんて、ワーグナーを一人で聴いたルードヴィヒ二世みたいだw 子供の頃、「乙女の祈り」がクラシックの最高峰名曲だと思ってた 子供なら別に恥ずかしくはあるまい
音楽聴いて喜べたっていう経験が大切。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています