【作曲家】巨匠間の仲不仲・尊敬軽蔑【演奏家】 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>1
スレ立て乙
ところで Partという英単語は何かの省略形ではないから
数字との間にピリオドはつけなくてもよかったりする
【例】
Part1 → Pt.1
Level2 → Lv.2
Numero3 → No.3
Volume4 → Vol.4 フルトヴェングラーとルドルフ・ゼルキンの関係は
どのようなものであったのか。
どちらもドイツ音楽の正統といわれた人物ではある。
2人のピアノコンチェルトを是非聞きたかった。
もっとも、ゼルキンはホロヴィッツと仲が良かったんで、
反フルトヴェングラーではあるのだろうが。。。 海外に逃れたユダヤ人でフルベン支持なんていたのか? >>7
>メニューイン
アメリカ人がどうやってドイツから亡命するんだよw 中村紘子はグレングールドに会った際に
握手を求めて手を差し出したが
Don't touch me!
と拒否された 6月に演奏会に来てたイラン人夫婦に握手を求めたら
旦那は握手したけど奥さんは拒否した。
イスラムの戒律かな? 中村紘子って欧米では日本ほど知られていないし
誰、この人?みたいな感じだったのでは(笑)
ある音楽小説によれば学生の頃のグールドが最も刺激を受けたのは
ピアニスト以外では指揮者のマルケヴィッチ。 >>14
資料によればグールドが一番尊敬していたのはストコフスキー。トスカニーニは尊敬はするが好きではないというスタンス。
まあ誰かの言う通りこの手のスレッドはスルーするべきだろう。 >>8
アメリカに亡命して不遇をかこっていたバルトークを助けたりしたね
それで恩を感じたバルトークはメニューインに曲を献呈。
ところで初来日したメニューイン、戦後間もないころだったから
反日感情を持っていたが、滞在中に考えが変わり親日家に。
晩年メニューイン・フェスティヴァル・オケと来日した際
「あの時は若くて無知だった。やはり実際に来ないとわからないものだ」と
インタビューで答えていた。 フルトヴェングラーってカラヤンの演奏を聴かずに一方的に嫌っていたのかと思ったら
手帳にちゃんと演奏の印象を記していたらしい(死後公表、ベルリン国立歌劇場でのワーグナーの作品、
即物的に過ぎるなどの批評。もともとフルトヴェングラーがカラヤンの名前を意識し始めたのはウィーンからの情報が原因らしいが)
カラヤンはベルリンに来てすぐにフィルハーモニーの地位に色気を出しているけど
一時ドレスデン・シュターツカペレの方に気持ちが傾きかけて
これは本人とナチスとの関係が悪化したために失敗に帰している。 >>19
ベルリンで一時自信喪失したから。
実際にドレスデンに行っていたら、演奏史はどうなっていたか。 岩城宏之と團伊玖磨。
ちなみに岩城は生前黛をヨイショしといて、黛が死んだら「武満は火星人だが黛は人間(つまり武満と比べりゃ凡人)」とか公然と言ったり
あまり素直な人というイメージはないなぁ 岩城は学生時代頻繁にいじめの標的になって
「いじめの風景」という回想記まで出しているね。
本人の性格にも原因はあったのではないか、とか勝手に思っていたり。 >「武満は火星人だが」
実物観たらそう思うよ
まさに火星人だった >>24
教科書に出てたら間違いなくいたずら書きされる系だよな 小澤のCDになった写真が2パターンはあるよね。
小澤と一緒に写ったジャケを見て宇宙人と思ったわ。 熱血タイガースファンだろ?武満
負けると創作意欲がわかないとか 武満「秋山のように現代音楽の関係者のくせに巨人ファンなんて
もってのほかだ」 宇野功芳が亡くなる直前に出した本を見たら
前スレの終わり頃にあったムラヴィンスキーの第九拒否の話が
ちゃんと載っていた。
第3楽章までと第4楽章とでは違う音楽だから
指揮しなかったのだろうと記述。
宇野自身は指揮していたけど同じ本の中で
つぎはぎが悪いとは思わないと書いているぐらいだから
抵抗はなかったのか。
あと有名どころではカルロス・クライバーや
クナッパーツブッシュも指揮を拒否したらしい。 >第3楽章までと第4楽章とでは違う音楽だから
>指揮しなかったのだろうと記述。
ブル9捏造完成版なら同意する 宇野は、恐らくフルトヴェングラーがケンプを尊敬しているのを知らずに
ケンプを酷評していたのだろう。
あとカラヤンがクナッパーツブッシュとわりと気が合ったというのも
理解できなかったのだろう。
カラヤンはクレンペラーとは合わなかったらしいが。 >>37
1951年バイロイト
カラヤンが楽屋のトイレの一つに「カラヤン専用!」と貼り紙したら、
クナが「シャイセ!!」と言って引っ剥がしたとか。
これも仲良きことの延長と考えれば実に微笑ましい クレンペラー自身はカラヤンを絶賛しているつもりなのに
カラヤン自身はそうとって居なかったのが面白いね チャイコフスキー「私は無条件でベートーヴェンを褒め称え、神に対するがごとくその前に跪きたいと思う。ベートーヴェンこそ最高だからだ」 組曲(全4曲)を作曲した動機が
ベートーヴェンの交響曲第1番を聞いて古典に目覚めた?からと
某文献に書いてあったな。
もっとも1曲はモーツァルトへの共感を示した作品だが。 フルトヴェングラーが愛したケンプ
宇野がこき下ろしたケンプ
どちらのケンプを採るかだな
俺は前者だが モーツァルトをもっと知って欲しいという願いもあったのかな。
以前、石井宏が書いていたけど(ロシアでは特に)モーツァルトというのは知られていなくて
二十世紀の初頭でもレニングラードで交響曲第三十九番が演奏された時は
聴衆ゲラゲラ(笑い)→「何だこの子供の音楽は」みたいな反応だったらしいし。 昔の大指揮者に関して大まかに言えば
トスカニーニ=マーラー、ヒンデミット、バルトークは全く指揮しなかった。
フルトヴェングラー=マーラー、ヒンデミット、バルトークを指揮した。
有名曲の中ではトスカニーニはムソルグスキー(ラヴェル編曲)の
展覧会の絵を好んでいたけどフルトヴェングラーは指揮せず。 ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽に関しては
フルトヴェングラーはそれだけのためにアメリカのオーケストラに呼ばれたりしたけど
トスカニーニは火の鳥とペトルーシュカの一部だけだからな。
火の鳥はわりと好んでいたようだしモソロフの鉄工場も指揮したりしているのだが。 フルヴェンのストラヴィンスキーって、どうなの?
あんまりいい出来だという想像ができないのだが。
録音は残ってるのかな? 現時点で発掘されているのは
妖精の口づけと三楽章の交響曲だけみたい。
宇野功芳が触れていたような気がするけど
批評の内容は覚えていない、ということは
大して良い演奏ではないらしい。 >>54
宇野は三楽章の交響曲を、「演奏がフルトヴェングラー風になっている」ことを指摘するだけで、
「だから悪い演奏だ」などと価値評価することを慎重に避けている。
妖精の口づけについては「フルトヴェングラーのファン以外には受け入れられないだろう」と、
暗に楽曲と演奏様式の不適合を指摘している。 フルヴェンにハルサイの変拍子は振れないんじゃないの?
カラヤンだって岩城宏之に「どうやって振るんだ?」と訊いたらしいし。 バルトークの管弦楽のための協奏曲に関して
トスカニーニがカンテルリに「教えてくれ」と頼んだという話もあったな。
コンサートでは結局一度も指揮しなかったが。 トスカニーニの耳にはバルトークやヒンデミットは無調音楽に聞こえたのかな。
マーラーは楽曲が気に入らなかった上に
メトロポリタンでの競合を嫌ったという話が何かに載っていた。
朝比奈隆が(マーラーの交響曲第一番は)
「演歌の交響曲版だから指揮する気にならない」と言ったらしいけど
トスカニーニも同じ次元の評価を下している(「ブラームス、チャイコフスキー、
レオンカバルロの影響の入り乱れたつまらない音楽」) >>59
マーラーもトスカニーニもメトでは不評。
トスカニーニは聴衆と怒鳴りあいをしたというエピソードあり。
ポストには恵まれなかったけど
ワインガルトナーやワルターの方が好評。
芸風が女性的なワインガルトナーや
ワルターの方が好評だったというのは少し面白い。 親子兄弟で同じオーケストラに所属したという話も聞かないな。
昔の宮廷楽団ではよくあったらしいが。ハイドンに関する記述で夫婦ものが入団した時にトラブルが起きたというのがあった気がする。
近現代でいえばNBC交響楽団のホルンのバーブ兄弟がわりと有名か。
録音はもちろん映像の記録もあり。リハーサルの録音でトスカニーニが罵声を浴びせているシーンもあった。 >>62
ウィーンフィルは、親兄弟の例、たくさんあるでしょ。
親子現役の例なら、クラリネットのオッテンザマーが有名。
弦なんかもっとありそうだな。 兄弟のサッカー選手と同じくらい珍しくないんじゃないの
子供の頃音楽の道に進むかサッカーを続けるか悩んだ人も多そうだし
ショルティがそうだったけど >>60
オペラハウス自体要らないかもな。
カール・ミュンヒンガーがシュツットガルト室内楽団を作ったのは
某放送交響楽団を指揮した時に楽員の嫌がらせで失敗したのが動機の一つらしいが
楽員の人気取りとか出来なかったのだろうな。顔からして堅物だったし。
ウィーン・フィルとは長年関係を続けて録音も多い。
モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲みたいに歴史的名盤のようにいわれているのもある。 >>68
>オペラハウス自体要らないかもな
意味不明。 ベスト3
人気者になった…テレマン
富をつかんだ…ロッシーニ
誰からも好かれた…ヨハン・シュトラウス
ヘンデルは死の直前がよくなかったので除外。
またバッハは生前は大物というわけではなかったのでこれも除外。
ワースト3
モーツァルト…大衆墓地に捨てられた。
シューマン…発狂死。
チャイコフスキー…自殺を強いられた(真偽不明)。
個人的には借金苦で自分の楽器を手放す羽目に陥った
ヴィエニャフスキを入れたいところだが。 >>グレングールドが中村紘子との握手を拒否
あんがい東洋人が嫌いだったのかもな。
遥か昔にはラフマニノフも日本の某有名音楽家との面会を拒否したとのこと。
1960年代は名匠が競って来日した時代でもあったな。
オーケストラの指揮者でいえば当時の名匠で日本に来なかったのは
ケンペ、バルビローリといった辺りか。まさか差別意識があったわけでもあるまいが。
(バルビローリは訪日の予定があったらしい)
マタチッチはN響と読売日響が争奪戦をして結局N響の方を指揮。
ドイツ・オーストリア系の大物指揮者はだいたいN響の方を指揮していたけど
レーグナーは読売日響に流れた部類だったな。 >>75
>あんがい東洋人が嫌いだったのかもな。
グールドは夏目漱石の草枕や勅使河原宏の映画の愛好家だからそれはないと思われ
あの拘りが強過ぎる性格ゆえに自分が心から認めた人間としか会わないってところだろう >>75
グールドと握手させてもらえる人なんて、ほとんど居なかったと思うけどな。
夏にコート着て手袋してっていう、ある種病気だったのに。 バルビローリ夫人のインタビュー読んだことあるけど
「『レコードを聴いてファンになった』というファンレターが日本から何通も来て夫はとても誇りにしていました。
訪日を楽しみにしていただけにその死は本当に残念でなりません」と話していた。 朝比奈隆がグールドと共演したとき、最初のリハーサルでグールドから握手を求められたが
少女のような細い冷たい手だったそうだ >>40
今さらだけど、クレンペラーは、カラヤンの奥さんしか誉めてなかったと思う。
「俺はルツェルンでカラヤンのベト9を聴いたが、あまりの酷さにスケルツォで逃げ出した」
って言ってる 「カラヤン、悪くないぞ。みんなが言うほど悪くないぞ」
とクレンペラーが言ったというのは都市伝説? >>82
「クレンペラーとの対話」でちゃんと褒めてるよ
カラヤンはあれだけ実力があるのに何であんなに観客を気にするのか?
カラヤン以降の世代はロクなのがいない。この間ザルツブルグで聞いた奴(恐らくケルテス)が次の帝王なんだろうけど酷い。
カラヤンの奥さんは良いね!!
ってね、 結局ケルテスはクレンペラーより先に死んでしまったんだよなあ… >>87
自分が読んだ限りではドボルザークの新世界より(ロンドン交響楽団との方)しか
褒めているのを読んだことがないのだが。自分が無知なだけか(笑)
ケルテスはモーツアルトやブラームスをたくさん録音していて本来なら突っ込みどころが多かったはずだが
宇野は大体スルーしていたな。 どうでもいいけど宇野が散々褒めてた新世界はウィーンフィルほうね
知らなかったとは言ってほしくないといえようw 本当はシルヴェストリの方が好きそうだね ただし録音が古くて過去の人って扱い ケルテスの拙演はスルーで
ペーター・マークやコリン・デイヴィスといった辺りには
執拗に絡んでいたな、宇野。
カラヤンやショルティは
もともと叩かれるためにいたようなものだが。 ま、日本語しか書けないやつがどんなに騒いでも当人の耳には
届かないと思ってたんだろうな。
ねっとであれこれ悪口書いてるヤツと同じだ。 ベートヴェンがウェーバーやロッシーニと合わなかったという話が面白かったね。いわゆる交響曲派と歌劇派の違いだろうが。
シューベルトは歌劇をたくさん書いているけど
友人知人の努力で劇場に持ち込まれる→劇場関係者「この部分を手直ししたら上演できます」→シューベルト「どこも直したくありません!」→上演を見合わされる
ていうことが多かったみたいだね。 ベートーヴェンはロッシーニを尊敬していて会いに行ったよね。
で、「君は君でいなさい」的な事をロッシーニに言われた、と。 >>93
ベートーヴェンはウェーバーともロッシーニとも関係は良好だったよ???
特にウェーバーは誘われて一緒に温泉入浴までしている。
>>94
ベートーヴェンとロッシーニは1度だけ会っている。
ロッシーニの方からウィーンのベートーヴェンを訪ねて行ったんだよ???
それでベートーヴェンは「あなたの『セヴィリアの理髪師』は素晴らしい。あなたに必要なのは『理髪師』をたくさん作ることです。」とアドヴァイスした。
後年、ワーグナーがロッシーニと直接会って聞き出した話だから間違いない。 会話帳に名前があったからといってベートーヴェンが悪口を言っていたとは限らないからね。 ブラームス「あいつの音楽、理屈っぽくて暗くて内向的で嫌いなんだよね」 歌劇派同士?でもグルックとヘンデルは不仲。
ヘンデルが一方的にグルックを見下していたというのが真相らしいが。
グルック派対ピッチーニ派の抗争というのもあった。 >>101
歳が30位違うよね
ワーグナーとブラームスよりも歳が離れている
大人げないなヘンデル ブラームスはフランクがワグネリアンであることを
嫌ったという説がある
周りの人達は二人に面会のチャンスを与えたらしいが
ブラームスが無視したらしい
頑固者め >>104
>ブラームスはフランクがワグネリアンであることを
>嫌ったという説がある
え? ブラームス本人はワーグナーは嫌ってないし
むしろ高く評価してたのでは
だから他の作曲家を嫌う理由にワグネリアンであるというのは
ちょっと無理があると思うけど >>104
ブルックナーとはレバー団子のスープ食ったのにな >>93
自分が以前触れた資料に載っていた話だが
シューベルトの歌劇ってオーケストレーションが重過ぎると言われたらしいな。
アンゼルム・ヒュッテンブレーンナーの証言によれば
シューベルトはロッシーニのオーケストレーションをほめていたというが
自分の創作には活かされなかったのだろうか。 メシアンはショスタコーヴィチを評価していなかったが、
ショスタコーヴィチはメシアンなんざ眼中になかった。評価する、しない以前の問題。 メシアンはショスタコーヴィチを評価していなかったが、
ショスタコーヴィチはメシアンなんざ眼中になかった。評価する、しない以前の問題。 俺も神様とか天国とか本気で信じてる奴は救いようのない馬鹿だと思うわ >>60
トスカニーニは元々オペラ指揮者だけど
メトに限らずオペラ指揮者としては毀誉褒貶があった。
レヴァインみたいに神聖視する人もいたけど
ニューヨーク・フィルやNBC響とのキャリアがなければ
とっくに忘れ去られていたかも。
>>75
運やタイミングもある。
昔のN響の常任指揮者で言えば
ロイブナーはウィーンの名物指揮者、
後任のシュヒターはカラヤンの子分で繋がりが乏しい。
(カラヤンはもちろんウィーンでも活躍したが
ウィーンの名物指揮者という印象は無い。
カラヤンはウィーンを嫌っていたとする文献もあった) まあスポーツ関連の掲示板にも
似たようなスレッドが立っているけど
「本当は仲か悪くない」とか「本当に仲が悪いのは他の奴」とか
「今は仲が悪くない」といった感じで
迷走しているからな。
今まで出てきた中で一番面白かったのは
岩城宏之と小沢征爾は初めは仲が良かったが
小沢がメジャー(ボストン交響楽団)の指揮者に着任してから
仲が悪くなったという話だった。 小沢征爾はボストンの前に
サンフランシスコで音楽監督を務めていたわけで
その時仲違いしていなければ
(もっと前のトロントはメジャーとは言いがたい)
おかしいわな。
岩城は元々
メジャーで地位を占めるほどの柄ではなかった。
あと小沢はボストンで長かったけど
後半はボロボロだった。
カラヤンがベルリン・フィルを去った時に
小沢が後任の候補の一人で、
結局後任には就かなかったが
実現していたら常勝将軍みたいに言われていた筈。
個人的には小沢指揮ベルリン・フィルのサウンドを
もっと聴きたかったな。 >>116
小沢はサンフランシスコ時代に誰と仲違いしてるしてないって?
小沢はベルリンフィルには行かなかったが、ウィーン国立歌劇場に
行ったじゃん。
まあ、評判はいいとは言えなかったけど。 岩城宏之は中山千夏と一緒になって政治家になろうとした時に(1983年)
人物としては終わっていたな。黛敏郎に批判されても結局何も答えられなかったし。
春の祭典を完璧に暗譜していたとか(小沢はフリだけ)
マリンバの演奏にかけては随一とか(打楽器演奏の道だけ歩んでいたら
日本を代表する存在になっていたという説もあった。小沢には楽器を物凄く上手に演奏したという話はない筈)
小沢以上の音楽性を示すエピソードもあるにはあったが。
ちなみに小沢はかつてボストン交響楽団の音楽監督だった
シャルル・ミュンシュのお気に入りだったから、ボストンに招かれたのはあらかじめ予定されていたと
言えなくもないな。岩城には往年の大指揮者に気に入られたというエピソードは遺憾ながら見当たらないな。
岩城の著書によれば、岩城はアメリカで相当売り込みを図った形跡があって、
小沢がボストンに行ったときに怒り狂ったというのは表に現れていない部分での
何か利害が対立する出来事が原因なのかな。これも岩城が書いていた話だが
1964年に本拠地を海外に移そうとしたらしい。つい情に絆されて日本での仕事を1つ入れたために
実現しなかったらしいのだが、この時非情になっていたら
あるいは小沢より先にメジャーになっていた可能性もなくはないな。
かつての盟友、山本直純が交通トラブル(実は夫人をかばおうとしていたらしいが)が原因で
シリアス路線に乗り損ねたエピソードを連想させるな。岩城は、ウィーン・フィルから指揮の依頼が来た時は
さすがに他の仕事をキャンセルしてまで駆け付けている。 >>118
小沢は人脈が凄いもの。カラヤンとバンスタの両方に気に入られてた
って。その上、ミュンシュとかもだろ?
岩城って、そういう人脈あったのか?
ベルリンは時々振ってたようだけど。
ウィーンフィルのは代演だったよね。
で、「全日本冷やし中華愛好会」の大会に出る予定をキャンセルしたので、
山下洋輔たちがカンカンに怒っていた。
「是非出たいと言うからわざわざ岩城の役も追加で用意したのに。
ウィーンフィルがそんなに有り難いのか!」って。
そりゃ有り難いよな。 フルトヴェングラーが「耳が遠くなった」「カラヤンに負けた」
「作曲家として認められなかった」ぐらいのことで
自殺したと知った時ははっきり言って下らない奴だと思ったw
ベートーヴェンみたいに「耳が遠くなっても作曲している」とふざけてみたら
良かったのにな。まあ、この人の演奏は大体「自分はケツの穴が小さい」と
言っているようなものだが(ワーグナーあたりが特にそう)。
ある説によれば(フルトヴェングラー研究家の間では
昔から知られていたのかもしれないが)亡くなる数ヶ月前に
ベルリン国立歌劇場で指揮をしていた頃に起きた某女性歌手の人事を巡るトラブル
(ゲッペルスが介入して一騒動あった。フルトヴェングラーが
どれくらい関与していたかは不明)を蒸し返されて
もともと心身共に弱っているところに追い討ちを掛けられて死に至ったらしいが。 >>121
フルトヴェングラーは、確か寒い日にコートを着ないで散歩に出て風邪を引き、
それをこじらせて肺炎になって死んだ。この出来事をベームは「フルトヴェン
グラーの死は自殺に近かった」という具合に解釈したらしい。宇野功芳の本で
そのようなことを読んだ記憶がある。でも当然自殺とは断定できないし、
ベームの発言も、実際ドイツ語でどのように言っていたのかは分からない。 カルロス・クライバー:「弾く音すべてが宝石だった」(リヒテルについて) 作曲者指揮のマラ6初演を聴いて指揮者を志したのがエーリッヒ・クライバー、
エーリッヒ指揮のベト5を聴いて指揮者を志したのがショルティ。 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
VY0TJ 山田真一という人の著書では
トスカニーニとフルトヴェングラーの仲が悪くなった本当の原因は
トスカニーニが自分の後任にフルトヴェングラーを推薦したのに
フルトヴェングラーが拒否してトスカニーニの顔を潰したからと、
これまでの定説とは少し違う説が唱えられていた。
(事情はいささか複雑で、アメリカで反ナチと思われていたフルトヴェングラー→
フルトヴェングラー自身もニューヨーク行きに意欲的→
フルトヴェングラーをアメリカに出したくないナチスの高官が
ベルリン国立歌劇場のポストに着任するという偽情報を流す→
フルトヴェングラーは本当はナチスと親密なのだという疑心暗鬼が生じた→
混乱を嫌ったフルトヴェングラーがニューヨーク行きを拒否した、
という経緯をたどった)
戦後シカゴ交響楽団がフルトヴェングラーを招こうとした時には
トスカニーニは反対せず。
ユダヤ系音楽家の反対運動により
(ユダヤ系でもメニューインやワルターは反対せず)潰れた。 フルヴェンが一番合わなかったのは
クナ辺りだろうな。
ナチスとの関係が悪化して
フルヴェンが指揮台に上がれなくなった時に
クナが代役を務めたという経緯もあるし。
その昔、宇野功芳が「クナは
ベートーヴェンの第9を指揮したことがない」
と書いていたが、本当は指揮歴あり。
あれには笑えた。 不仲って話じゃないけど。
シベリウス
「私とチャイコフスキーの間には多くの共通点がある、だが私のほうが硬派だ」 すごくおもしろい在宅ワーク儲かる方法
少しでも多くの方の役に立ちたいです
検索してみよう『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
M89 >>118
小澤の暗譜がフリだけってソースでもあるの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています