岩城宏之は中山千夏と一緒になって政治家になろうとした時に(1983年)
人物としては終わっていたな。黛敏郎に批判されても結局何も答えられなかったし。
春の祭典を完璧に暗譜していたとか(小沢はフリだけ)
マリンバの演奏にかけては随一とか(打楽器演奏の道だけ歩んでいたら
日本を代表する存在になっていたという説もあった。小沢には楽器を物凄く上手に演奏したという話はない筈)
小沢以上の音楽性を示すエピソードもあるにはあったが。

ちなみに小沢はかつてボストン交響楽団の音楽監督だった
シャルル・ミュンシュのお気に入りだったから、ボストンに招かれたのはあらかじめ予定されていたと
言えなくもないな。岩城には往年の大指揮者に気に入られたというエピソードは遺憾ながら見当たらないな。
岩城の著書によれば、岩城はアメリカで相当売り込みを図った形跡があって、
小沢がボストンに行ったときに怒り狂ったというのは表に現れていない部分での
何か利害が対立する出来事が原因なのかな。これも岩城が書いていた話だが
1964年に本拠地を海外に移そうとしたらしい。つい情に絆されて日本での仕事を1つ入れたために
実現しなかったらしいのだが、この時非情になっていたら
あるいは小沢より先にメジャーになっていた可能性もなくはないな。
かつての盟友、山本直純が交通トラブル(実は夫人をかばおうとしていたらしいが)が原因で
シリアス路線に乗り損ねたエピソードを連想させるな。岩城は、ウィーン・フィルから指揮の依頼が来た時は
さすがに他の仕事をキャンセルしてまで駆け付けている。