【チェンバロ】ハープシコードの魅力【クラヴサン】 [無断転載禁止]©2ch.net
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ラジオ等でも聴ける機会が少ないけど、ピアノと違った魅力があって良いですよね
ハープシコードの魅力が語れる場があったらと思い立てました ハープシコードはヘンデルよりも前の作曲家の演奏のみが対象かな
モーツァルトが生まれた頃にはフォルテピアノとかでしょうから
演奏される曲自体が少ないし、今後も細っていく運命でしょうか
お気に入りは
J.S.バッハゴルトベルク変奏曲 演奏:セリーヌ・セリーヌ・フリッシュ
G.F.ヘンデル 鍵盤組曲 演奏:ソフィー・イェーツ >>7
ティンバロン「いえす、さあ」
いや、おまえは呼んでない。
冗談はともかく、弦楽合奏をやっててハープシコードが欲しいと何度思ったことか。
残念ながらこの地域には現物が一つもないらしい。かといって電子ピアノのじゃなあ。 モダンも、プレイエルでプーランクとか、ヴァルヒャの弾いたアマーとか、
音色が魅力的なのがあるにはあるんだけどね。 モダン・チェンバロはキンキンというかシャンシャン、リンリンいうのが耳障りやわ
ランパルが好きで彼が演奏するバッハのフルート・ソナタを味わいたいのに
ヴェイロン=ラクロワのモダン・チェンバロの音色が邪魔なんだよな >>6
いや、ハイドンもモーツァルトもチェンバロ的書法のソナタを書いてますよ。初期になりますが。 チェンバロ協奏曲なのに、他の楽器よりも音量が小さい録音が多いのは
元々音を大きく鳴らす様に作られて無いからなのか? スキップ・ゼンペのラモーいいわ
邪道なんだろうけど >>19
そもそもオケをバックにして演奏するような楽器ではなかったからね
バッハのコンチェルトももとはバイオリンや管楽器のために書かれたものを
チェンバロ用に編曲したのが始まりだったような
シャンドス・シャコンヌレーベルの各パートひとりづつの演奏で
ちょうどいい、か、それでもまだ控え目な響だ。
バロック初期は金管はおろかオーボエすら室内楽では用いられなかったそうです。 >>20
邪道?
ズキッブ・ゼンぺええやん。すげーやん。
スカあラっティしか聴いてないけど… >>22
レスありがとうございます
色々為になります レガール/リーガルもいいよな
音がぜぃぜぃいってるやつ
クラブサンもクラヴィコードもCDいっぱい出てるけど
レガールのソロCDなんか存在してないのでは
テレフンケンのLPで1枚あったけど ベルダーは癖あり
リズムを乱してヨタること多し
それが計算されたアゴーギクではな、感情的に焦れたものなので俺は嫌 チェンバロってピアニストになり損ねた人の救済楽器でしょ? ジャック・デュフリのクラブサン集(エリザベート・ジョワイエ演奏)が凄く良かったんだが
エリザベート・ジョワイエってご存知の方いますか? >>40
弾き馬鹿になりたいなぁ〜。
普通の人は持ってないから
チェンバロ自前。
憧れます。 チェンバロの一般家庭での普及率ってどの程度なのかね。 鍵盤が軽いといわれているけど実際に弾くと確かに鍵盤は軽いけどジャックが弦を弾く瞬間にカチッって結構な抵抗がある 軽いというより「押下」がモダンピアノに比べてはるかに浅いんだよね
それでいてカチッ、プチッという感じの手ごたえがある。 ピアノより簡単そうだな
ピアノが弾ければチェンバロも弾けそう そんなことはない
ってよく言われるけど多分実際そうだと思う
逆は無理 >>32
ピアノが弾けない人が始めるよりは早く上達すると思うけど
それなりに訓練が必要 ピアノ弾きが苦戦するのはクラヴィコードかな
チェンバロはピアノと同じく押せば音が出るけどクラヴィコードは適切なタッチでないとブツッってなって音にならない
ピアノに不慣れな人の方がきれいに音が出せたりする不思議な楽器 クラヴィコードは鍵盤の先に突起がついていて
その突起がダイレクトに弦を下から打ち上げる構造だから
鍵を押し下げたままだと弦に突起部がくっついたままの状態。 ピアノと比べてチェンバロやクラビコードの魅力が何なのかさっぱりわからん。 >>52
リュートやウードのスレでアコギと比べて魅力がさっぱりわからんとほざくようなもの。 アコギと比べてリュートやウードの魅力が何なのかさっぱりわからん。 ヴァイオリンやチェロと比べてヴィオールの魅力がさっぱりわからんとほざくようなもの。 芭蕉や蕪村と比べて一茶の魅力がさっぱりわからんとほざくようなもの。 ピアノとチェンバロは発音のしくみが違うから比較対象になりません
クラヴィコードは弦を叩くという点で同じだが、しくみは違うので
そうさなフルートとリコーダーくらいの違いになるかな
あえて魅力というなら、クラヴィコードは音が極めて小さく繊細である。
大オーケストラと対等にコンチェルトするなんてありえない私的な楽器なのです。 妙にクラヴィコード押しの奴がいるのが気になる。
八王子の人かしら。 録音技術の濫用で邪道だろうけど、
本来は小音量であるハープシコードの類を
大音量で聴くと電子音みたいで気持ちが良い。
ソレールのファンダンゴ好きだな。
ファリャの協奏曲とか。 >>60
ファリャの協奏曲は普通はモダンチェンバロ使うんじゃないの? お前さんはもしかして
カスピ海でヨーグルト食ってる村の出身か?
享年90で若いのかw >>43
電子ピアノでもいいけど,
本物がいいなぁ。 本物のチェンバロの一般家庭での普及率ってどの程度なのかね。 >>67
ハーモニウムなら昭和の半ばくらいまで幼稚園や小学校に普及していたが
あえて趣味で好きで持ってる使ってるものは一般に普及すると言わないのでは…。
たとえばCDやDVDが普及した後にLPやカセット、LDが普及するということはないようなもので。 ある程度じゃダメ。モダンピアノじゃないんだから曲によって変えるの。
KORGのクロマティックチューナーなら
ミーントーン、ヴェルクマイスター III、キルンベルガー IIIくらい大丈夫さ。 曲によって変えてたら調律の変わり目が気持ち悪くてかなわん。 >>68
その古臭さが
たまらなく魅力的なんでしょうね。 ピアノは音の強弱で音楽を表現するけど
二弾鍵盤のチェンバロはレジストレーションという弦の選択などで音色を変えられるので
一気呵成にガーッと弾き切っちゃう奏者だと
指さばきはすごいかもしれないが音色が単調になってしまっているということがある。
このようにピアニストの視点で弾いたり聴いたりすると面白くない楽器ではある。
例えばオルガンも弾くコープマンはフレーズごとの音の選択がまったくもって
多彩で表情豊か。時折、説得力のある音で語ってくる感じは素晴らしい。 >>77
その説明だと1段鍵盤のチェンバロは絶望するしかなくなってしまうな。 曲がもともとその楽器用に作曲されているわけだから
音域や音色がナローであっても
絶望したり張り合ったりするというのは間違いでしょう
逆に一段チェンバロのための曲を二段の鍵盤で派手に演奏したら
悪趣味なだけ。 >>79
そうではなく、どんな音楽も強弱を要求するという話。
鍵盤の段数とは関係なくチェンバロで強弱を表現する方法は何かってこと。 チェンバロ界隈には強弱っていう言葉を変なふうに使う馬鹿が時々いるよね。
本来の意味で使え。 ピアノは腕力で勝負、
チェンバロは音を重ねたり、トリルなどの装飾音を入れたり
どう見ても聴いてもハープシコードの方が上品で繊細。
リスト以降ピアノはもはやスポーツとか格闘技だよねw 物理的に強弱を付け難いチェンバロでどうすれば強弱があるように表現できるかを考えたりしないのかね。
演奏する上で考えていると思うのだが。 >>85
それはピアニストとしての思考では
もともとチェンバロのために作曲された楽譜には
ffとかppの指定ははなから存在してないはず チェンバロはピアノと違って強弱がつけられないよ!
→モダンチェンバロならつけられるよ!
…論外。
→ 全くつけられないわけではないよ、ほんの少しはつけられるよ!
…打鍵の速度によって有意な強弱を生み出せないという意味なので、反論になっていない。
→ ストップ(レジスター)で変えられるよ!
…同上。それに、ピアノにもストップに相当するものがある。
→ 代わりに発音のタイミングをずらしたり、装飾音を工夫したりして「強弱」を作るよ!
…それは「強弱」ではない。特定の音を目立たせることを勝手に「強弱」と呼ぶな。それはこの文脈においては意味のすり替えでもある。Gravicembalo col piano e forte における piano e forte の意味で使ってるのが分からないのか?
装飾音の工夫はピアノでもオルガンでも他の楽器でも普通にできるしやっている。チェンバロの専売特許なわけがないよな?
あと発音のタイミングずらすなボケ、ちゃんと弾け
→そうだよ、でもそれがなにか?チェンバロの魅力は音色と歴史性にあるからそれでいんだよ!
…同感です。
チェンバロでピアノのように「強弱」をつけようっていう考え方自体がピアノ音楽に毒されていて、チェンバロ全盛期の音楽ときちんと向かい合っていないよね。
おまけにいうとピアノの音量と音色は手で操作する部分では鍵盤がハンマーに与える初速にのみ依存するので、腕力はそんなに関係ない。もし腕力が大事なのならピアニストの腕はムキムキになるし、ホロヴィッツ爺さんはか弱い音しか出せない。 チェンバロのレッスンで先生が楽譜にクレッシェンドやディミヌエンドを書き込んだりするけど、あれはどう解釈すればいいんだ? チェンバロだろうがピアノだろうが楽譜にない指示を付け足す教師は音楽家として失格 >>89
ピアノは顔芸が大袈裟だよな
古楽器系はそこまでやらない。 チェンバロ講師やチェンバリストはほぼ全員ピアノからの転向だと思うけど、なぜピアノ講師やピアニストにならずにチェンバロを選んだのだろうか。
それだけチェンバロに魅せられたってことなのかね。 >>93
音楽では?
ショパンやリスト好きがチェンバロに用はないだろ >>94
やっぱりそこかな。
カベソン、トラバーチ、フレスコバルディ、ストラーチェ、ロッシ、ピッキ、ダングルベール、シャンボニェール、ルイ・クープラン、フローベルガー、その辺りに魅せられたのかもね。 ひょっとして1段鍵盤のチェンバロにこだわる いやなんでもない イタリアンかフレミッシュの一段鍵盤が欲しいけど、うちにあるのは後期フレンチ・ダブルなので弾きたい曲にマッチしない。 一段鍵盤のシンプルな響きは
わびさび文化の日本人にこそ向いてるかもね 個人的なチラシ裏になってしまうけど
これまでの古楽・古楽器界はモダン楽器に慣れた耳にも受け入れられるように
追い付け追い越せみたいな雰囲気もあったように感じるが
今後はどんどんシンプルかつ素朴な本来の味に気がついてほしいものだ 言いたいことはわかるけど17世紀イタリアの鍵盤音楽がシンプルで素朴だなんてとても思えないんだが。 シンプルなのは楽器の音そのものであって
17世紀イタリアの鍵盤音楽がシンプルで素朴とは言ってないぞ#
そこは楽器の選択間違いによる誤解も多分にあるのではないかと思うけどな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています