ベイヌムの急死でオランダ人縛りの不文律のためにまだ国際的な活躍もしていない30そこそこの若造のハイティンクをシェフにしたけれど
後見人のヨッフムが付いてるような状態で舐めるなって方が無理な話だからな
ドキュメンタリーでハイティンク自身がコンセルトヘボウ時代の仕事は失敗だったって素直に認めていたけど
専制君主的に振る舞うのではなく楽団に穏健な提案をして妥協点を探るという後年のハイティンクの仕事ぶりはその失敗から生まれて
それがカラヤン後のカリスマ不在の時流にあっていたから国際的な成功を納めたということがよくわかる