【四季】アントニオ・ヴィヴァルディ part1
ピリオド嫌い。
アーヨなど初期のイ・ムジチのモダン演奏が好き。 昔のモダン演奏を浸るほど聴けば今度はピリオド楽器の鄙びた響きも
新鮮に聴けるという。人生その繰り返しやねん。 にしてもイムジチ9度目の「四季」録音がでたそうだが
ピリオド楽器でもないしアーヨの頃の雰囲気も
そこにはない現実だと思われ イ・ムジチってバロックの専門家でも何でもなくて、ただの室内合奏団でしかないんだよね…
ローマにウマいものは無しというが、音楽でもそうで、モダンでも他の団体の方がマシなのあるだろう。PHILIPSレーベルもこんなのに頼ってるから潰れたんだよ。 PHILIPSは家電の西の横綱とすれば
こなた東の横綱sonyとCDを共同開発したといわれて幾久しいが
クラシックレーベルとしてはアーチストも録音計画もデッカの後追いのような
感じが否めなかった。
ユニバーサル傘下になってクラシック録音縮小の運びとなり
当然のごとく音源はデッカレーベルと一緒くたにされちゃったという。
因みにPHILIPSの人気アーチストであったジョン・ウィリアムズも
もとをたどればデッカにバーナード・ハーマンがいて、
ドラティのハイドン交響曲全集を受けオペラ全集を、みたいな
それはそれで古き良き時代の流れではあるのだが イ・ムジチの「四季」はアーヨのモノラル盤こそが最高 monoなんてあるんや
というわけでイ・ムジチの「四季」はPHILIPSクラシック初の
ワールド・ヒット商品だったというね ピリオドでやたら速い演奏嫌い。
最近の「四季」、猛烈に速い演奏がよくあるけど、逆に不快だ。
昔はもっと遅かったらしい。 昔って初代イムジチの時代のことかぁぁ
ただピリオドいってもスピードは一様じゃない様々あるからな。 ヴィヴァルディは速い楽章はできるだけ速く演奏したほうが
快活でいいとは思うけどね
これだけは人によって好みのスピードがあるから
そういう演奏を探せばいいし、逆にフランス・バロックなどに鞍替えするって手もある。 時代のスピードについていけない老害は逝ってよし
ちんたらちんたら演奏してるとイライラしてくる
カラヤンの四季聴いて反吐がでそうになった、なんだあれ? 描写を第一と考えるか
純音楽的に捉えるか だな。
時代の流行りもある。
ピリオドか通常かもある。
アーヨもマリナー もパイヤール もカラヤンも、
アーノンクールもビオンティもカルミニョーラもイルジャルディーノも俺は好きだがね。
初めて聴いたのが、ラウテンバッハーがイエルクフェルバーと組んだやつだったが、なかなかいい演奏だった覚えがある。また手に入れたいよ。 時代の先行が単にスピード化であるという単純なイメージに
縛られてしまっている退化脳の気の毒なアホがいる
「老害」と書けば論破できると思っているのも愉快
頑張って生きるんだぞ〜wwww 社会通念上、半世紀上も昔の演奏に固執し最高とし、新しい解釈に耳を傾け楽しむ
受容力の欠如した老人を頑張って生きているとは言わない。 夏の第3楽章を超ハイスピードで演奏するのは
誰が最初?
ビオンティ?カルミニョーラ? 風速30m/s以上で強烈にやってほしいよね
>>244
標題音楽を純音楽的に捉える ってどう考えたっておかしくね? >>248
誰がいちばん速いかでなく、最初かならば
すべてがビオンディ旧盤に始まったことである。
アーノンクール盤は70年代当時のバロックヴァイオリンのテクが
彼に追っついてなかった
演奏・解釈を満足に表現しきれてなかったため、単なる異端な個性と見なされ
どのピリオド演奏(録音)も表現上はまだマリナーの域にあった 演奏という行為は常に「流行」に影響を受け、その「流行」を創る者は時代の寵児と呼ばれる。
しかしその寵児も、次々と押し寄せる「流行」に飲み込まれ、人々は飽き、すぐに単なる思い出になってしまう。
このように、諸行無常、盛者必衰の理は、演奏という行為にも当てはまるのだ。
だが、一方で「不易」の演奏と思われるものも存在することを忘れてはならない。古い様式、古い録音であっても、聴く人の心を打つ表現の演奏の記録である。
それはその演奏を聴く各個人の感性が決めるものであるけれど。
新しいものを追い続け、古いものを否定するのは音楽の本質を理解していないことのあらわれなのである。 イルジャルディーノの四季って、今聞いてみると全然過激でも何でもないよね。
むしろまったりとした、情緒的な趣すら感じる… ヴィヴァルディって激しい曲でもすごく美しいんだよね
良くない演奏っていうのは極端に速すぎるテンポだったり雑に演奏されすぎて、その美しさが損なわれてしまってることが問題だと思う イルジャルにしても昔のアーノンの四季に比べたら
演奏技術も録音技術も洗練されていて雑さや粗さは
実は皆無なんよ。ジャケットはピストルの弾がバイオリンを打ち抜いてるイラストが
過激さを助長してるけど。
速度も含めて聴く側の求める美にマッチするかどうかかと。
>>251のおっしゃる「流行」についても
9代目イムジチが初代アーヨとまったく同じ演奏解釈でやってたとしたら
それは保守層みたいな人達からは認められるってだけで
逆にその人たちは
新しい演奏から目を背けてる。あるいは美を感じない。
アタックの強さが気になる。それだけの話では >音楽の本質を理解していない人
ここもっともらしいが落とし穴だね。
音楽はエンジョイできるかできないかだけで
理解して聴くものじゃあない。演奏家なら話は別よ。 ぶっちゃけ昔の古楽をわかってない演奏家どもが
ロマンチックな流儀で演奏していただけというw 後にピリオドオケも振ることになるマッケラスは
古くからバロック音楽の録音があるし
ドラティやセルは現代オケ用に編曲されたヘンデルを演奏したりと
心得のある人達とそうでないやじ馬のような演奏家、
それにピリオド楽器を使っていても古楽の本質を理解できてない演奏家が
もうぐちゃぐちゃ混在だから後は聴く人がどれを選ぶかだけね。 >>257
そうなんだよね。
あなたはよくわかってる。 教会で演奏していたことを考えると、速いヴィヴァルディというのはあまり考えられない。
教会の残響を考えれば、バカ速いと音が混じって汚くなるし、何やっているかわかりにくくなるから。 なるほどね。
でも室内ソナタと教会ソナタあるように曲にもよるんでねえか?
さらにモツの頃までは楽器で腕を競わされたいう歴史もあって
坊ちゃん嬢ちゃんの発表会みたいによちよちやってたら
笑いもんになるか初めから招待試合に招待されないのでわ ノンビブラートの演奏にしたって、教会や石造りの部屋で演奏すりゃ、音はきれいだけど、
日本のデッドな部屋で演奏したら、子供の発表会みたいになる。
板の部屋、石の部屋、天井の高さ、それによって演奏方法を変えるものだよ。
イタリアやウィーンの教会や古い館に行ってみるといい。喋り声だけでも違いがわかる。
ヴィヴァルディを1500人の近代ホールで演奏すること自体が、ヴィヴァルディ本人には想定外だろう。 当時の規模が大きかったといわれるドレスデンにしても
1500人の聴衆をそこへ入れたかどうかだね。
例えばスカルラッティとヘンデルの試合も
前者はチェンバロ、後者はオルガンで勝利した いう内容からも
いろいろと思いめぐらせ思い当たる節もあると思う。 速弾きだったと言われるバッハの作品を速く演奏する人やバンドがいても
他の作曲家でも同様に速く弾いてるのかいえばそういう例もあまりないと思われ。
ヴィヴァルディがヴァイオリンの名手であったなら技巧にも長けていたはず 素晴らしい演奏で秋の第2楽章を聴くと、その標題とは裏腹に厳かな祈りの音楽のように聴こえてくるのが不思議
まるで教会のステンドグラスから射し込む光のよう 実は酔っ払いが眠りこけてるという。寒くなって気が付くんだあれは フルート協奏曲「夜」にずばり「眠り」という表題で同じ曲が含まれているが
ヴィヴァルディの眠りのモチーフなんだね
いつも元気なヴィヴァルディ作品中でホッとできる楽章やな 新企画 5人制7人制打線
演歌打線
1 RV 405 T
2 RV 387 U
3 RV 401 T
4 RV 562 T
5 RV 531 U
海の嵐打線
1 RV 128 U
2 RV 297 V
3 RV 253 T
4 RV 253 U
5 RV 196 U
6 RV 253 V
7 RV 549 V
子供の情景及び領分打線
1 RV 20 T
2 RV 425 T
3 RV 409 U
4 RV 452 T
5 RV 457 V
6 RV 65 T
7 RV 425 V 人いないから|д゚)裏・マイベスト 録音’90〜’22ver
春 オノフリ&イマジナリゥム
夏 ビオンディ(’91)
秋 ファソリス
冬 アマンディヌ・ベイエ
い〜じょっ! ヴィヴァルディは美しく面白いが優雅さにおいてモーツァルトは空前絶後だと驚愕するための打線
1 K. 285-1
2 RV 185-2
3 K. 299b Pantmime
4 RV 298-2
5 K. 334 Menuetto
6 RV 383a-3
7 K. 285-3 ヴェートーベンの大フーガを風雅に聴くための打線
1 RV519 Ⅲ
2 ヴァイオリン・ソナタ 第2番第1楽章
3 RV549 Ⅰ
4 大フーガ
5 RV265 Ⅰ 四季の秋の1楽章のスケールは皆さんデタッシェで弾いているのでしょうか?
一弓で弾いているのでしょうか? ヴィヴァルディは四季ばっかり有名で他があまり知られてなくて気の毒だ
せめて2つのトランペットのための協奏曲とスターバト・マーテルも広く知れ渡ってほしい rv425
rv532
マンドリン協奏曲 結構流れていると思う カンタータ Usignoletto bello『かわいいナイチンゲール』RV 796は美しい曲だなと思った
ttps://www.youtube.com/watch?v=WyGXjc-tmD0
ヴィヴァルディのソプラノのためのカンタータにはこのような名曲がまだまだたくさんあるんだと思う RV522の見やすい楽譜探してるけど
やっぱネットにある無料のやつはイマイチだな…
買ったほうが早いのかな >>277
聴いて分からないから聞いているんですが ヴィヴァルディの販売されている全集は聞きましたが、結局良いところ合わせたのが四季という印象でした。故郷のヴェネツィアの結論もその様で、ヴェネツィアでは同時に三ヶ所位で四季のコンサートばかりでした。でもヴィヴァルディの全集は気持ちが上がる曲ばかりなので、是非聞いてみてください。 ベルリン古楽アカデミーの四季初めて聴いたがなかなか面白いな。
特に春の第3楽章、はじめにバディガディを模したイントロを加えてなかなか効果的だが、、ビオンティがやり尽くした四季の演奏に何とか新しさを出したくて絞り出した苦悩さえ感じさせる。 イムジチを抱えていたPhilipsは1960年代にこれでもかこれでもかと
ヴィヴァルディの作品を毎月新譜として発売していたっけ クラシック倶楽部で観たイムジチは
著しく音程が怪しく新しみもなく
いくらLiveだからと言っても
昔日の面影もなく...... クラシック倶楽部で観たイムジチは
著しく音程が怪しく新しみもなく
いくらLiveだからと言っても
昔日の面影もなく...... クラシック倶楽部で観たイムジチは
著しく音程が怪しく新しみもなく
いくらLiveだからと言っても
昔日の面影もなく...... クラシック倶楽部で観たイムジチは
著しく音程が怪しく新しみもなく
いくらLiveだからと言っても
昔日の面影もなく...... >>189
お久しぶりです。
>・四季より夏と冬(甲乙付け難い)
楽章単位になっていませんでしたね。正確には
→四季より夏(3楽章)
→四季より冬(1楽章)
となります。
四季より冬1楽章は
上記、滝川クリステル似の少女と、大雪の所為で小海線が動かなくなり、雪に埋もれた清泉寮スィートで肩を寄せ合い、窓から外を見つめていた切なくも美しい思い出に重なる曲。
あれから40年ほど立つ。 >>296
RV580も1/3甲乙つけ難いになってましたね。3楽章です。
四季より1楽章、RV580より3楽章。
これが私のヴィヴァルディの楽章単まで絞った【BEST5】。
ちなみに、イ・ムジチの四季(アーヨ盤/カルミレッリ盤/ミケルッチ盤)、調和の霊感(ミケルッチ盤)、ヴィオラ・ダモーレ協奏曲(ヴィオラ・ダモーレ→マッシモ・パリス盤)は、
全て同一音源の
1. Vinyl(LPレコード)盤
1. CD盤
を所有。
静寂感、弦の生々しさ艶において
Vinyl(LPレコード)盤は数段優る。
・入力系機器
(1)Vinyl→Garrard Model301+ortofon RF297+ortofon SPUwoodA+
リニアテクノロジーHA14/2
(2)エソテリックGrandioso K1
・AMP&スピーカーシステム
(1)-1マランツ♯7(14000番台)+マッキントッシュMC275(KT88→GoldMonarch)+MonitorGold Autograph
(1)-2 Octave HP500SE+マッキントッシュMC2000(KT88は全てGoldLIONに変更)
(2)Cary CAD300SEI(300B→WE300B刻印/88)6SN7→RCA6SN7GTに変更)
+LSUHF3LZG8U
(スピーカーシステムは何れも1970製オリジナル) >>297
四季より1楽章、RV580より3楽章(×)
四季冬より1楽章、RV580より3楽章
(◯) >>297
(2)エソテリックGrandioso K1(×)
(2)CD→エソテリックGrandioso K1(◯) >>297(続き)
私が所有するクラシック音楽ソフト(Vinyl(LPレコード)/SACD/CD/DVD)
の50%はモーツァルト、20%がベートーヴェン、15%がブルックナー、15%がその他。
ヴィヴァルディはその他に入るが、例えば、ショパンはバラード1番(限るルービンシュタイン盤)/ノクターン20番嬰ハ短調(限るアリス・紗良・オット盤&ピリス盤)/ピアノ協奏曲1番(限るルービンシュタイン盤)の三曲あれば事足りる音楽であると申して差しつかえない事情と異なり、
ヴィヴァルディの音楽は私の人生の一時期とは切り離せない大切な音楽になっている。
反対に、「有ってもよいが無くても困らない」音楽の代表がチャイコフスキー。無論、録音が秀逸なDECCA盤のチョン・キョンファによるヴァイオリン協奏曲はVinyl(LPレコード)&SACDともに所有してはいるが、音楽の感銘となると、「クナッパーツブッシュによる花のワルツ」一曲に及ばない。 >>296
今日(12/17)は以下のシングル45回転レコードを
彼女たち
・中森明菜→少女A
・松本伊代→センチメンタルジャーニー
・本田美奈子→1986年のマリリン
・南沙織→純潔
・松田聖子→チェリーブラッサム
・山口百恵→ひと夏の経験
・石川さゆり→津軽海峡冬景色
・桜田淳子→しあわせ芝居
が、私の【1.5m前方に】placement するように
【LSU/HF/3LZG/8U】
をセッティングしてみた。思いつきに過ぎないのだが・・・
【MonitorGOLD+WE300B刻印
+GarrardModel301
+ortofonRF297
+ortofonSPUwoodA】が奏でたのは、なんと彼女たちの十代の少女特有の肌の香りであった。
私はこの40余年間、12歳〜18歳の少女たちを相手に仕事をしてきた。不遜な意味は毛頭なく(私にその趣味は無い)、されど、解るのだ。香りで思春期の少女でも。ローティーンか?ミドルティーンか?ハイティーンか?が。
それと同時に、まだ20代だった頃、その中の一人、滝川クリステル似の彼女14歳で出会い、15歳でお互いの気持を察し、彼女16歳の時に初めて雪に埋もれた清里清泉寮スィートで一夜を過ごし、翌朝降りしきる雪を肩をよせながら見つめていたあの日を。
その時頭の中で流れていた曲は
・ヴィヴァルディ四季冬1楽章と
・ヴィオラ・ダモーレ協奏曲ニ短調 RV 394 2楽章。
だから、ヴィヴァルディの音楽はこの時の思い出と切り離せては聴けない。
【MonitorGOLD+WE300刻印+ortofonSPUwoodA】
は、こんな時空を超えた所に私を誘う >>302
Autograph時代と異なり
「LSU/HF/3LZG/8U」「ターンベリーGR【LE】」ならば
夜7時〜9時にボリューム3時の爆音(こんな実験はAutograph→LSUHF3LZG8Uに変更後、昨日が初めて
(通常はCD→ボリューム10時/Vinyl→ボリューム1時で聞いている)で聞いても、家人から注意される事は無い程度の「18畳/天井高3.5m〜4.5m(Autographの音響特性と逆特性になっている)オーディオルームの防音levelである。 >なんと彼女たちの十代の少女特有の肌の香りであった。
>私はこの40余年間、12歳〜18歳の少女たちを相手に仕事をしてきた。不遜な意味は毛頭なく(私にその趣味は無い)、されど、解るのだ。香りで思春期の少女でも。ローティーンか?ミドルティーンか?ハイティーンか?が。
>それと同時に、まだ20代だった頃、その中の一人、滝川クリステル似の彼女14歳で出会い、15歳でお互いの気持を察し、彼女16歳の時に初めて雪に埋もれた清里清泉寮スィートで一夜を過ごし、翌朝降りしきる雪を肩をよせながら見つめていたあの日を。
キモすぎる 最近クレーメル&アバド&ロンドン響の四季を聞いた
ソネットの解釈という点ではカラヤンより良いと思った >>195
お久しぶりです。
所有ソフト(Vinyl/CD/HQCD/SACD)
の50%がモーツァルトである私ですが(ベートーヴェンが20%/ブルックナーが20%/その他が10%→ヴィヴァルディはブラームスやショパン他とともに此処に含まれる)
ヴィヴァルディの気品のある哀愁が、モーツァルトの「疾走する哀しみ」とは別な心の襞に触れ、いつ聴いても惹かれてしまう。
モーツァルトの最大の魅力のひとつである、ベートーヴェンには決して書けない「凶暴な美」こそ無いが、ヴィヴァルディには気品ある哀愁とともにドラマティックな切迫感をともなう美がある。
好きだなぁ、この音楽。 クラシック音楽は時代がさかのぼるほど演奏(者)に左右されるから
ようやっとヴィヴァルディやテレマンといった
全盛期までどちらかいうと凡庸扱いされていた音楽に
春が来たって昨今よね。 どーもどーも つ旦 知能が低い者は音を理解できない。
だから、後れる。
自然なこと。 確かに誰とは言わんけど退屈な演奏も多かったな
まあバロックはそういう風に演奏しましょうって時代だったんだろうけど