クラシックで「大嫌い!」って曲ある?
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俺はマラ5のアダージェットかな
あれだけはリッピングするときに除外するし、
CDで聴くときも必ず飛ばすレベルで嫌い バルトークの曲は全部嫌いだ。
バカトークじゃないか?
あの不協和音はバルトークが基地外だからだ。
こいつの音楽だけは全然好きになれない。 >>61
こういう音楽分かってない人だけが聞く雑音
それがブルックナ〜 ブル7とかブル8の緩徐楽章聴いても
雑音と思うのかしらん? おそらく理解できないものを雑音と表記しているのだろう
長い時間はジッとしてられない子供みたいなチャチい脳の持ち主だと
海馬のメモリーがすぐにオーバーフローしちゃうからエラーになるんだよ シュトラウスのワルツが空虚な雑音なら
ゲソなんか戯言だらけの雑音 ウィンナワルツをディスってるやつって
自分を大きく見せようとして必死すぎる ウィンナワルツは人間を機械化する
気晴らしにいい時もあるだろうが絶賛はできない 答:
キチガイ視点(自分は頭良いと思ってて上から目線)
での一発芸(出落ち、稀にしょーもない落ちで口ぽかーん)
受けない奴には「今日の客はアホ」の逆ギレ ↑
こういう奴って何が起るか判らない科学の実験とか苦手そう
一から十まで説明されないと何も判らない、できない奴 良さがわからん曲
ってのは沢山あるが
大っ嫌い!
ってのは
案外無いな >>79
同じく
ノイズ系も「不快な快感」みたいなのがあって好きだし 魔王
小学生の頃に芝居付で聞いて
今でもたまに夢に出てくる(泣) チャイコ交響曲、悲愴とか
バレエ組曲なんかはまあいいと思うけど交響曲作るほどの才能ないと思う >>86
チャイコフスキーはゆるゆるな感じだけど、悲愴にだけは脱帽する
あれは傑作と認めざるを得ない 悲愴にダメ出しとか中二病っぽいが
ブル4にはやや同意する
通俗名曲扱いされるわりには退屈で聴いてられん >>90
ブルックナーで退屈とはほめ言葉に他ならないからね チャイ子の交響曲4番ええよ
オペラはきついな、イオランタはいいけどあれもオペラじゃない何かとして楽しんでる Rシュトラウスの器楽曲全般
オペラや歌曲はいいのに楽器だけだと何かダメ >>83
魔王は私が中学時代に授業で鑑賞して
クラス中不評でしたな(私も嫌い)
詩を書いたゲーテにも不評だったとか >>98
一般に評価高いものを敢えてけなすのは高二というらしい ミサ曲とかレクイエム、受難曲、
ああいったキリスト教丸出しの曲は大嫌いだ。
どうしても好きになれん。 >>104
歌詞なんて無視して割り切ればいいのに
当時の人だっていちいち歌詞の意味なんて考えてないでしょ >>104
ということはロ短調ミサもマタイ受難曲も、モーツァルトのレクイエムも良さがわからないということですか
それはうらやましい
というのも、人生にまだまだそれらの宝の山に気付く機会を残していらっしゃるからです
きっといつの日にか、忽然とそれらの曲の素晴らしさに気付かれる日が来ることでしょう >>106
あら素敵
こういうレスが出来る人に俺もなりたい >>111
シェヘラザードだけはなかなか良いと思うが、あとの曲は同感 北欧の音楽。なんか出てきそうな雰囲気が怖い。友人が聴いてみなとペッテションの交響曲第七番を寄こしたので聴いた。始めから10分も経たないうちに、こんな曲聴いてられるか! >>106
モツレクはワルターのLPあるけど
A面しか聴かなかった。
ラクリモーザまで。
あとは弟子の付け加えだから
一度も聞いた事がなかった。
だからK626なんて作品番号がふってあるのは
おかしいと思うんだ。
モツにとっては未完成の作品にすぎない。
一昨年に西本智実指揮でモツの戴冠式ミサやってたけど
眠いだけやったわ。 自分は以前平均律が退屈で、こんなのが鍵盤楽曲の旧約聖書って呼ばれてるのかぁ・・って不思議だったけど、今では全クラシック曲の中でも一番好きな位好きになった。
オルガン曲も、オルガンの音自体全然受け付けなくてむしろ嫌いだったんだけど、最近突然好きになって、バッハは勿論スウェーリンクやブクステフーデなんかも毎日聴くようになった。
いつか歌物と、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に感動出来る日が来ればいいなぁ。 オルガンだったらレーガーだな
俺もオルガンの音色って嫌いな方だけど、
レーガーは曲の凄さがそれを凌いでる
もちろんバッハも
ブクステフーデは全集買ったけど一回も聴いてないや 私はモーツアルトのピアノソナタは苦手です。
大嫌いまではいかないけれど進んで聞かない
加えて曲によって出来不出来の差もかなり有る気もするんだが
どうなんだろう ショスタコーヴィッチのチェロ協奏曲第1番第1楽章
何故か気持ち悪い
第2楽章も結構気持ち悪い >>121
わかります。
モーツァルトのピアノ協奏曲は大好きなんですが、自分もピアノソナタはちょっと物足りないというか、今ひとつピンときません。
逆にベートーヴェンはピアノソナタは大好きなんですが、ピアノ協奏曲はどうもピアノが余計な気がしてあまり好きになれません。 バッハのブランデンブルクの3番
弾いた時の辛い思い出
スレをざっと見たけど、こういうレス無いな
本番で失敗してトラウマってわりとあると思うが >>124
それなら俺はブラームスのハンガリー舞曲第5番だわ
30年経ってるのに、未だに小学生の時の嫌な思い出が残ってる よし、認知療法と思って、辛い思い出を自分は悪くないのに、と脚色して書こうず。 >>125
そういうのが「大嫌い」というのはある
でも聴いてて入ってこないのは、「よくわからない」から「大嫌い」まではいかんな
そもそもわからない時点でちゃんと聴けてないから、「嫌い」とまで断言できない 最近聴いたメシアンのオルガン曲(曲名わからん)が怖い夢に出てきてヤバかった >>123
同意!好みが全く同じだ。ただ、モーツァルトを弁護するけど、ピアノソナタは教材用に作曲したものがほとんど。ベートーヴェンのように己の作品を世に問うものではなかった。けれど、16番なんかモーツァルトしか書けない曲であるのも事実。16番以外はいらね。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲は無くてもいい。( ^ω^ ) >>128
メシアンはデタラメなんかじゃないよ
常に秩序を重んじている ブラームスの作品は殆ど好きなのに、
ピアノソナタだけは何度聞いてもだめだ
1番の楽譜を見て「生まれながらの天才を発見したよ!」と褒め称えたシューマンは流石だと思う >>132
全く同感
ブラームスのピアノソナタは若書きの習作の域を出ていない。
力任せにピアノを叩くばかり。
それからシューマンが流石というのも完全に同意。
シューマンはその評論活動で、無名の作曲家の卵を「天才だ!」と持ち上げたことが2度あり、
それがシューマンの評論活動の最初と最後にあたる。
そのもう一人が誰あろうショパンで、これまた習作の作品2の変奏曲の楽譜を見て熱狂したというのだから恐れ入る。
シューマンの本物を見抜く鑑識眼は只者ではない。 >>121 >>123 >>130
同じく、ピアノソナタは、ベートーヴェンの方がモーツァルトより断然聴いていて面白い。
ただし、ピアノ協奏曲については、モーツァルトもベートーヴェンもどちらも貴重。
今まであまり見向きもしなかったモーツァルトのピアノ協奏曲第11番、昨年からなぜか急に大ファンになった。 モーツァルトは食べるためとはいえ、機会音楽みたいな曲しか残していない。ベートーヴェンみたいに自分の才能の最後の一滴まで絞り尽くすような作曲をしていたらどんな傑作ができたか、ふと思う。 >>135
そんなことはないぞ
メシアンの曲は綿密にシステマティックに書かれている >>137
古典ロマン派を得た出涸らしの中
システマティックな構築を主張されても
聴く方は苦痛
ジャズでも聴いてた方がマシ
例えばドナ・リー等はトーナルセンターが
希薄だが聴く者を快楽へと導く >>123
後半同意
基本モーツアルトあまり好きじゃないんだけど、子の習い事の関係で、誰もが言うモーツァルトピアノソナタの恐ろしさはよくわかった >>138
基本現代音楽に向かない耳なのは分かった
クセナキスやファーニホゥ聴いたら失神でもするんじゃないか
両者とも近代以前の作曲家とは比べ物にないくらい緻密なシステムで
書かれているんだけどね >>140
>>137だけど、クセナキスのシステムと称するものはかなり怪しいと思ってる
メシアンのシステムは聴覚上明瞭だが、クセナキスのは結局のところカオティックな響きを創出するためのこじつけに近い 聴覚上明瞭なのかどうかがシステマティックかどうかの基準なのか?
それなら、あなたは現代音楽の聴き手としては138と程度の上でしかかわらんな
メシアンには聴覚上秩序を聴きとれて、クセナキスはそうでないというのだから
逆に、例えばコンピュータの一様ランダムの出力する音と、
クセナキスの音楽を聴き比べて、後者の方がカオティックだと感じたのなら、
それはクセナキスが予め構築されたシステムによって、単調でないカオティックな音響を
創造することに成功した、ということだ >>142
言って置くが、クセナキスの作品自体は好きなものもある
ただ、あんな確率論とか持ち出さなくても創作は可能だと考えるということ
リゲティはあんなイカサマ的な理論持ち出さずに素晴らしい音響を表出してるしね >>142
つまり、クセナキスも実際には最終的には自分の感性によって音群を操作してるくせに
素人を煙に巻く為かどうか知らないが、必要以上に複雑な理論を持ち出してるに違いないと自分は思ってるということ ゲソって結局聴衆置き去りの
「こんな理論とか音響効果考えたオレ頭いいだろ」合戦じゃない。
内輪で勝手にやってろ、としか言いようがない。 現代音楽の成果は映画で使われていると思うけど、それらも嫌いって人は少ないと思うな。 その頭いいだろの響きを聴衆が楽しめるかどうか、ってことじゃね?
普段クナとかブルとか言ってるおっさんが「ペルセポリスすげー」って言ってたり、
年齢関係なくその響きを楽しめる聴衆もいれば、ただの雑音の固まりにしか聴こえない聴衆もいるわけで
みんなが>>145みたいに楽しめないわけじゃないので、聴衆置き去りなわけでもない 映画音楽も普通の人が観るようなのは現音使われてないわな UFO とか 宇宙人が出てくる映画には特に沢山使われている気が…
普通の人が観るの定義があれだと思うよ。
むしろロマン派位までのクラシックをそのままかける機会は減ってると思う。 >>152
2001年は普通の人が見るような映画かいな?
マーティン・スコセッシなんか「シャッター・アイランド」でペンデレツキの3番使ったりしてるし、このあいだのホドロフスキーの新作にも
忘れたけど現音使われてたな。
気が付いてないだけで結構使われてるんじゃね。 >>153
え?
あれ、日本でもずいぶん流行ったのでは? 映画音楽のゲソは殆んど状況説明とか
心理描写の効果音じゃん。
まあそれいったら映画音楽自体がそうだが。
武満の初期の映画観たことあるがどれも
お化け屋敷のBGMみたいな安っぽい感じだったぞ >>155
武満の劇伴はそんなんばっかじゃないじゃん。
この間早坂暁の追悼でやってた「夢千代日記」久々に見たら、やっぱり武満でなければ書けない音楽でシビれた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています