葬送行進曲とレクイエム
暗い音楽の頂点に立つとはいえ 途中で一時的に妙に明るい雰囲気になることも多い 葬送行進曲とレクイエムについて 気ままに語りましょう。 マニアックな人しか来ない過疎スレになりそうなので 原則として (´∀`∩)↑age↑ で書き込んでも (´・ω・`) sage ↓ で書き込んでもOKということにしましょう。 やっぱりネタが尽きた感があるなぁ急に主張が陳腐になった。 間を置いてもこのレベルならもう駄目か。 こんなスレでのやり取りを待ってる読者が居るとは思わなかった。 たいした内容では無いが、とりあえずお待たせ。 >>132 でブルマー先生いわく >とにかく、第2部というのは、あのスケルツォでは >展開部という意味で別に問題はない。 これが本当かどうか調べるため、ブルックナーが使ったE.F.リヒターの楽式論を見てみた。 当人が使っていた教材だから一つの論拠にはなるだろう。原書名は Ernst Friedrich Richter, Die Grundzüge der Musikalischen Formen und ihre Analyse. 1852 この本のリヒターの用語では、ソナタ形式における各部分を示す用語はPeriodeであり、 「展開部」は Durchführungsperiode と表記されている。 よってブルックナーが手紙で書いたスケルツォの「第二部」2. Abteilung が 何処を指しているのかはハッキリした正解が無い。あれば示して欲しい。 >「死の行進」なのか「葬送行進」なのかどっちなんだ。 >>82-99 を読み返せば分かるはずなんだけどな。 誤訳を主張するブルマー大先生はTotentanzからの個人的連想を書いているだけで 「死の行進」の意味するところを再三の要請にも関わらず具体的に何も示していない。 議論はずっと止まったままだよ。 >聴き専弾き専のスレあたりでマウント取り合戦ばっかりやってるアホぼん そういうスレッドに興味ないし意味がわからない。 別の人物と取違えているなら君の妄想だ。 追記 リヒターの本ではスケルツォの主部を Hauptsatz トリオに関してTrio, Alternativo, zweiter selbstständiger Satzと書いている。 スケルツォ展開部も Durchführungsperiodeとなっている。 Abteilungは出てこないが、いずれにせよ「展開部」を指す言葉ではない。 >「死の行進」なのか「葬送行進」なのかどっちなんだ。 >>82-99 に加えて>>111-114 もね。これで流れは分かるはずだ。 <「死の行進」の意味するところを再三の要請にも関わらず具体的に何も示していない。> これは前にも説明したと思うが、主要動機のリズム形をブルックナーは「死」と表現した。 第1楽章末の「死の告知」とフィナーレの「死の行進」は対応しているわけだ。 もちろん、このリズム形はベートーヴェンの《第9》の主要動機のリズム形を そっくりそのまま引用したものだが、それを言うと剽窃などと揶揄されるだろう からブルックナーは避けたのだろう。 こういったことが解らない人にはわからないんだろうねえ・・・ だからいつまで経っても平行線というわけだ。 それより <第二部でその男は眠りかけますが、夢で彼は愛しい人を見付けられません。彼は悲しんでついに引き返します。> トリオのどこにそんなことを表現した部分があるのかね? そもそもフィナーレで、 「ドイツのミヒェルが彼の旅から帰ってくるとき、一切のものがすでに輝きのうちにあります。」 という説明と矛盾するのではないか?恋に破れた男に栄光が訪れるのか? まあ、大指揮者のヴァインガルトナーですら「アホなことを考えるおっさん」と 述べたくらいだから、君にブルックナーの思いが通じないのもやむを得ないことだがね。 『E.F.リヒターの楽式論』なんて超レアな本を持ち出すあたり、 君は大学で音楽学でもやっているんじゃあなかろうか? 全集版『ブルックナー書簡集』なんて基本文献を参照するのは いとも簡単なことなんだろうね。それなら <あるいは周囲の者が本人に忠告して書き換えさせたかもしれない。> なんて発想が起こり得るべくもないと思うんだが・・・ これは、ブルックナーがヴァインガルトナーに宛てた私信だよ。 とにかく、どちらかの記述が間違っているということだ。 貴君のような立場(私の想像だが)ならきっと解明できると思うから 期待して待ってるよ。 妄想力の豊かさには敬意を表するよ。 ことごとく外れているわけだがw >『E.F.リヒターの楽式論』なんて超レアな本を持ち出すあたり、 >君は大学で音楽学でもやっているんじゃあなかろうか? そんなご身分だったらブルマラ事典を図書館で探したりなんぞせずに済むんだがなあ。 リヒターの本は19世紀の楽式論で最もポピュラーなものだよ。amazonで買えるし。 これがその後の楽式論の基になった。 ブルマラ事典はどうか知らんが、ブルックナー研究書には普通に出てくるし伝記にも書いてあった気がする。 >これは前にも説明したと思うが、主要動機のリズム形をブルックナーは「死」と表現した。 >第1楽章末の「死の告知」とフィナーレの「死の行進」は対応しているわけだ。 これはブルマー大先生の画期的な新説だから、ブルックナー研究者の会に発表したらいいと思う。 そして認められればこんな落書き掲示板で馬鹿にされることもなくなるだろう。 あるいはブログを開設されてみてはどうかな? >君にブルックナーの思いが通じないのもやむを得ないことだがね。 そうだね。自分は遺された資料からしか判断が付かない。 ユリ・ゲラーも復活したことだし、ここはひとつ、 「ブルックナーの思いを伝える超能力者ブル・マー」として霊言集を出版するといい。 出たら買うよ。 ヒンリヒセンの《ブルックナー 交響曲》は どうかなと思う記述にしばしば出くわすが、 下記のあたりは割合正確ではないかな。 たぶんキツラー練習帳関連の文献を精査 しているからなのだろう。 <今日の音楽理論で用いられる「ソナタ形式」という用語は、 アドルフ・ベルンハルト・マルクスによって議論の俎上に のせられたものだが、ブルックナー自身はキツラーのもとでの 修業期間中、この用語をごくわずかな回数しか用いていない。 マルクスの作曲教本は管弦楽法を学ぶ基礎にしか用いられ なかったからである。これに対して、それまでに習得していた 形式論への導入には、マルクスではなくローベが用いられた。 実直な生徒だったブルックナーは、当時新しかったソナタ形式 ではなく、二部分の構成図式に由来する伝統的なソナタ形式 の理解を深めたのである。ソナタ形式は今日の用語法において、 提示部、展開部、再現部という三部分によって示されるが、 ローベはまだ「第一部」(提示部)と「第二部」(展開部と再現部) というまとめ方をしていた。ブルックナーは後年になると、形式に よって表徴される立体感をさらに強調したかったのか「部分Teil」 という用語よりも「区分Abteilung」という概念を好むようになったが、 それでもこの二部分の図式自体は、生涯を通じて彼の表現法 として残ったのだった。>p18〜19 また、次のような記述もある: <ブルックナーは、既に交響曲第一番から、 お決まりであった提示部の反復を放棄しているにも 拘わらず、提示部の終わり(彼の言葉遣いによれば 「第一区分の終わり」)を複縦線で際立たせる習慣を 生涯にわたって持ち続けた。耳で確かめることこそ できないが、複縦線は、ローベに基づいて勉強し、 ソナタ形式を二部分で捉えていたことを示す記号として、 ブルックナーの総譜で生涯可視化され続けたのである。>p19 論戦面白く拝見していたが、どうも「葬送行進」なのか「死の行進」 なのか決着がつかないまま中断してしまったようだね。 どちらの肩を持つわけでもないけど、ネタを1つ投入。 田代櫂氏が書いた「アントン・ブルックナー魂の山嶺」2005、春秋社 の272ページに、例の自作解説の部分の全訳が掲載されている のでここへ引用してみよう: 『第一楽章には主題のリズムに基づく、トランペットとホルンの楽節が ありますが、それは「死の告知」です。それは途切れがちながら しだいに強く、しまいには非常に強くなって姿を現わします。 終結部は「降伏」です。 スケルツォ。主要主題は「ドイツの野人ミッヒェル」と名づけられています。 第二部で野人は眠ります。彼は夢の中で自分の歌を見付けられず、 嘆きながら寝返りを打ちます。 終楽章。我が皇帝がそのころオルミュッツで、ロシアのツァーリの 訪問を受けた時の模様です。弦はコサックの騎行。金管は軍楽隊。 トランペットのファンファーレは、皇帝たちが出会う場面。 最後にすべての主題(おもしろく)、タンホイザー第二幕で王が登場 する場面のように、ドイツのミッヒェルが旅から帰ると、すべてが光輝 に包まれます。フィナーレでは葬送行進曲と変容が(金管で)奏されます。」 ちなみに、この本では続くページにも興味あることが述べられている: 『主要主題の下降音形が執拗に繰り返される結尾部を「死の時計」 と呼んだという。彼はこう語った。「言うならば、死の床に横たわる者 の正面に時計が掛かっている。彼が臨終を迎える時も、時計は正確 に時を刻むわけだ、ティク、タク、ティク、タク・・・と』 『ゲルマンの古代宗教が否定された後、主神ヴォータンにかわって、 ドイツ人の守護者となったのは、天の軍勢を率いる大天使ミカエル だった。このため中世には、ノルマンディー海岸のモン・サン・ミシェル 修道院へ、ドイツ人の巡礼が引きも切らなかった。フランス人は 彼らを「ドイツのミシェル(ミッヒェル)」と呼んだという。』 『死の行進』なんて言われると『バターン死の行進』を連想する >>156 また、八甲田山死の行進をも思い浮かべる。 210人中199人が死んだ事件だ。 こちらの小説名は、『八甲田山死の彷徨』らしいが、 悲惨な状況を描くのが主体だから『彷徨』なのだろうが、 最初の訓練目的からしたら彼らが向かう行軍には 『死』が待っていたということで 行進でも間違いではないのではないか。 芥川也寸志作曲の映画曲では「死の雪中行軍」になってるねw>八甲田山 >論戦面白く拝見していたが、どうも「葬送行進」なのか「死の行進」 >なのか決着がつかないまま中断してしまったようだね。 こんなあからさまな自演、初めて見たわ 「葬送行進曲」ならCD売れるが 「死の行進曲」ならCDが売れないから困る。 ベートーヴェンの「田園」も 「田んぼ」とか「過疎地」とか邦訳していたらCDは売れなかったと思う。 売れるとか売れないとかじゃなく、 このネットの片隅で約一名が誤訳と騒いでるだけだから 田代櫂氏と根岸一美氏の訳を比較してみよう。 どちらも全集版書簡集にも掲載されているブルックナー の同じ文面を訳したものである。 田代櫂訳2005年(>>154 をコピペ): 『第一楽章には主題のリズムに基づく、トランペットとホルンの楽節が ありますが、それは「死の告知」です。それは途切れがちながら しだいに強く、しまいには非常に強くなって姿を現わします。 終結部は「降伏」です。 スケルツォ。主要主題は「ドイツの野人ミッヒェル」と名づけられています。 第二部で野人は眠ります。彼は夢の中で自分の歌を見付けられず、 嘆きながら寝返りを打ちます。 終楽章。我が皇帝がその頃オルミュッツで、ロシアのツァーリの 訪問を受けた時の模様です。弦はコサックの騎行。金管は軍楽隊。 トランペットのファンファーレは、皇帝たちが出会う場面。 最後にすべての主題(おもしろく)、タンホイザー第二幕で王が登場 する場面のように、ドイツのミッヒェルが旅から帰ると、すべてが光輝 に包まれます。フィナーレでは葬送行進曲と変容が(金管で)奏されます。』 根岸一美訳1993年(ブルックナー・マーラー事典p281): 『第1楽章で、主題のリズムからなるトランペットとホルンの楽節は、 「死の告知」(Todesverkundigung)です。これは徐々に 散発的に強くなってゆき、ついに非常に強い音で現れます。 最後の部分は「あきらめ」(Ergebung)です。 スケルツォ。主要主題は、ドイツのミヒェルと名付けました。 第2の部分で、この男は眠ろうとします。そして夢の中で彼は自分の歌を 見付けることができません。ついにこの歌は、嘆きつつ自らを転回させます。 フィナーレ 。私たちの皇帝は、当時オルミュッツでツァールの 訪問を受けました。それゆえ弦はコサック兵の騎行を、金管は軍楽を、 トランペットは皇帝とツァールが会見するときのファンファーレを(描いています)。 最後にすべての主題、(滑稽ですが)、タンホイザーの第2幕で王が登場 するときのように、ドイツのミヒェルが彼の旅から帰ってくるとき、一切のものがすでに輝き のうちにあります。 フィナーレでは、死の行進もあり、それから(金管の)変容があります。』 (ウムラウトは省略) なぜ、こんなに訳が違うのだろう? 《魂の山嶺》巻末のプロフィールによると、田代櫂氏は ギタリストでドイツに永年留学しており、ドイツ語も堪能。 ヴァーグナーやルートヴィヒ二世の研究をしていて ブルックナーが王に《第七交響曲》を献呈したことから 彼の音楽に興味を持ちブルックナーを研究するように なったということだ。田代氏の鋭い感覚とあくなき二次資料 の蒐集力から生まれた《魂の山嶺》は、日本の多くの ブルックナーファンに多くの知識を与えることになった。それは 185名無しの笛の踊り2019/04/15(月) 22:54:43.73ID:bB9xp0bR これオススメなんだけど今は残念な中古価格だね。 アントン・ブルックナー―魂の山嶺 https://www.amazon.co.jp/dp/4393931777/ と推薦されているとおりである。 ただ、この本に書かれているたくさんの二次資料由来の記述は 解釈が様々だから置くとして、事実関係が複雑な版に係わる問題 については事実誤認が時たま見られるので注意を要する。 とはいえ、本人の手紙由来のこの訳の差はどこから生じたもの なのか?そのヒントは、 <主要主題は「ドイツの野人ミッヒェル」と名づけられています。> <主要主題は、ドイツのミヒェルと名付けました。> の差にある。原文をみてみると、 Scherzo: H[au]p[t]th[ema] :deutscher Michel genannt; <野人>という言葉は原文には存在しない。「ドイツのミッヒェル」と いう耳慣れない言葉を説明するために付加したのかも知れないが、 訳としてはいかがなものか・・・ ということで、巻末の参考文献を見てみると、いくつかのドイツ語文献 の後に、最初の日本語文献として: 『ブルックナー 聖なる野人』喜多尾道冬/仲間雄三訳、音楽之友社1989 が挙がっている。田代氏はこの本を大いに参考にしたということだろう。 そしてB・M事典は、参考文献には含まれていない。 そこで、この本を紐解くと、p125に手紙の後半部分 の訳が述べられている: <わがオーストリア皇帝がオルミュッツでロシア皇帝と 会見したときの様子を描いたものです。で、弦はコサック兵 の騎行、金管は軍隊行進曲、トランペットは両皇帝が 出会う儀式のファンファーレというわけです。最後は 「タンホイザー」の第二幕で国王があらわれたときに、 すべての主題が鳴りひびくのと同じように、ドイツの野人 が旅から帰ると、全ての主題は斉奏し、光りかがやきます。 フィナーレでは、葬送行進曲もひびき出て、そのあと (金管で)変容があらわれます。> 田代氏はこの文章とブルックナーの原文を勘案して ご自分の訳を書かれたのだと思う。 ここすげえな 専門家が高度な音楽理論を展開していてとてもついていけん 逃げる とりあえずミ「ッ」ヒェルと撥音を入れた理由が謎。そう聞こえたなら耳が悪いわ。 手紙文の少し前には、 <スケルツォ楽章のモティーフについては、彼は詳しく説明している。 彼はこれを「ドイツの野人」と名づけた。> というくだりがある。 この箇所のヴェルナー・ヴォルフの原著ドイツ語版をみると: <Ausfuhrlich hat er sich uber das Motiv des Scherzo ausgesprochen. Er nannte es den <Deutschen Michel>.> Werner Wolff "Anton Bruckner Genie und Einfalt"P119 となっており、<ミッヒェル>を<野人>と読み替えていることが分かる。 そして、この読み替えは、原著に何度か出て来るミッヒェル全てに 及んでいるのである。さらに、それはブルックナーの手紙の文言にまで 適用され、<ドイツの野人が旅から帰ると>といった訳文に なってしまったというわけである。 <ミッヒェル>=<野人>ならば、問題は無いのだが、 ミッヒェルとはドイツの守護神であり、野人とは何事にも束縛されない人 すなわち、ホームレスやサバイバルをやるような人といったイメージである。 なぜ、こんな全くイメージの違うものを訳語として採用したのかというと、 まあ私見ではあるが、当時の日本のブルックナーと彼の音楽に対する イメージが、そういった方向に傾いていたからだということなのだろう。 とにかく、この原著の副題Genie und Einfalt(直訳すると「天才と単純素朴」) を「聖なる野人」とねじ曲げているように、ミッヒェルをその野人に比定 したかったからではないだろうか。 >>167 高度な音楽理論はどこにもない 妄想を垂れ流してるだけだよ 「聖なる野人」の訳者は、ブルックナーの上部オーストリア訛りに 関西弁を充てたり、いろんな当時の日本での未成熟のブルックナー観 を過激に表現したりして、元々の学識深いヴォルフの著作をかなり ねじ曲げてしまった。被害者はヴォルフの方なのである。 そして、田代氏もまた、この「聖なる野人」の被害者であったというわけだ。 「葬送行進曲」もそういった誤解釈の中から生まれたものなのだろう。 もし、執筆の時点で、根岸訳に遭遇していたら、>>162 のような訳には ならなかったと思われる。 >>168 >>163 を見よ。 >ミッヒェルとはドイツの守護神であり、 また珍説をひねり出したか いつから「守護神」になったんだ? 冷たい戦い、 冷戦の時代 しかし今回は敵が見えない 孤独との戦い それが冷和の時代 オリンピックどころは無い、 レクイエムの時代がやってきたのだ 冷たい孤独の中、アヴェ・ヴォルム・カルパスで死を迎える >>172 ゲーテをギョエテと書く人もたまにいる。気にするな。 >>175 シューベルトはこれを書き上げてから数年しないうちに死んだんだっけ? https://www.youtube.com/watch?v=jbkJfvP4eFc ブルックナーのエクアーレ2曲 1曲目はブルックナーの大叔母であり名付け親 であったロザーリエ・マイアホーファの死を母親から 聞かされて作曲された。 <日本のブルックナーと彼の音楽に対する イメージが、 そういった方向に傾いていたからだということなのだろう。> >>169 で↑と述べたが、 『ブルックナー 聖なる野人』喜多尾道冬/仲間雄三訳、音楽之友社1989 以前に『ドイツのミヒェル』を『ドイツの野人』と訳した本を見つけた。 『音楽の手帳ブルックナー』青土社1981 この本の123ページには海老沢敏訳で、ハンスリックの《第八交響曲》評が 掲載されている。 また、この訳はN響の機関紙「フィルハーモニー」1975年11月号からの 転載であると記されている。 50年近く前から日本のファンや評論家の間ではそういうイメージが定着 していたということなのだろう。 ブルックナーの音楽の印象として『原初的』あるいは『根源的』といった 言葉があてはめられることがあるが、それが『野人』という言葉と符合する と考えられたのだろう。 そこでは ー<アイスキュロスのプロメテウス>に直接隣りあわしているのは <ドイツの野人>である。もし批評家がこんな悪態口を喋りでもしたら、 彼はたぶんブルックナー門下によって石で打ち殺されてしまうだろう。 しかし作曲家自身スケルツォに<ドイツの野人>という名をつけたのであり、 プログラムに印刷してあって読めるのだ。− と記されている。 『魂の山嶺』の著者は、p274で大天使ミカエルの説明をしている にもかかわらず、既成のイメージと妥協するために<ドイツの野人ミッヘル> と訳したのだろう。 >>188 ブルックナーは 「素晴らしい音楽を作ったロリコン」 というイメージ。 『魂の山嶺』には、ブルックナーその人に対して<野人>という 比喩がよく使われている。まあ、<ロリコン>というのと同じような 感じだ。これらは、ある一面当たっているような気がしないでもないが 結局のところ、当時の敵対的な人たちが声高に述べてきたことを 反映しているに過ぎない。それは『魂の山嶺』のような懇切な伝記を 読めばすぐに解ることだ。 彼の音楽とは一切かかわり合いのないことであると断言できる。 >>189 この演奏会評はブルックナー関係の論評によく引用される。 そこでは<ドイツのミヒェル>と訳されることが多いので、 そのように修正してみると: ー<アイスキュロスのプロメテウス>に直接隣りあわしているのは <ドイツのミヒェル>である。もし批評家がこんな悪態口を喋りでもしたら、 彼はたぶんブルックナー門下によって石で打ち殺されてしまうだろう。 しかし作曲家自身スケルツォに<ドイツのミヒェル>という名をつけたのであり、 プログラムに印刷してあって読めるのだ。− <作曲家自身スケルツォに<ドイツのミヒェル>という名をつけた> という事実を見る限り、少なくともブルックナー自身は、 これを<ドイツの野人>とは考えていなかったことは確かだ。 >>187 葬送行進曲にちなんで、同じ曲なのに演奏によって曲名が少し違うのはなぜ? 単独オーケストラ曲として見たら「葬送行進曲」 楽劇の一部として見たら「葬送音楽」 かな? エロイカやショパンは一応行進曲のように聴こえるけど ジークフリートの葬送行進曲は行進曲っぽくはない曲想だね。 >>197 > 女子のおおいオケ。 (・o ・)ほぉ! ブルックナーのレクイエムの話はしなくていいの? 若書きだからダメ? メンデルスゾーン op62 no3 YouTubeで見たサッチャーの実際の葬列が凄かったな 他の曲とのメドレーになってたけどあちらじゃそれが普通みたいだね 大喪の礼は盤渉調以外は哀の極の無限ループだが >>206 > 他の曲とのメドレーになってたけど ショパンとの交互ループだな >>205 ザイラーのピアノの話でも? サンクト・フロリアンに飾ってあったので見てきた! 交響曲中の葬送行進曲であれば、フランツ・シュミットの第4交響曲もなかなか良い。 マラ壱のグーチョヨキパー好きな人はおらんのか 死んだらあれ流してもらおう思ってるのに >>214 あれは音が急に高くなるので参列者がびっくりするだろ。 >>218 ブラームスはロリコンではなかったから、結婚しようと思えばできたと思う。 葬儀屋「請求額は220万円です」・・・独身息子(45歳)「母が人質に取られているような気持ちになった」 [439992976] https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1657678365/ 611 スナネコ(石川県) [JP] sage ▼ 2022/07/13(水) 12:57:28.28 ID:DhKQDvRI0 [3回目] 俺思うに葬儀でお坊さんとかいらんから 好きなアーティストよんでやればええのにな お坊さんのお経とか あれどう考えても現代だと歌だよね 658 ヨーロッパオオヤマネコ(埼玉県) [US] ▼ New! 2022/07/13(水) 13:09:29.77 ID:D29N27W50 [3回目] >611 本人が希望してもアニソンとか流されたら家族は嫌だろ お前らは望みそうだけど 大昔まだプロ野球が人気コンテンツだったころフジテレビに「プロ野球ニュース」という番組があった その日の試合を結構長めに伝えたり最後にその日のホームランを全部見せるコーナーがあったりして人気だった ある年にその番組の中のCM(なんのCMか忘れたが)で使われてた曲がマラ1の第三楽章 その年の巨人はBクラスをうろうろしていて優勝なんか望めない状態だった そんな時に「プロ野球ニュース」の中で「巨人」の「葬送行進曲」が流れるなんて絶対狙ってるだろと思った 秋のお彼岸にはやはりフォーレのレクイエムが ドハマりです。 クリヴィヌ/国立リヨン菅/同合唱団が心に沁みる フランスにも彼岸があったとは尻ませんでした ここは役に立つインターネッツですね ところで。 ベートーヴェン第7交響曲の第2楽章は葬送行進曲なのかどうかという議論があるみたいだが。 ベートーヴェン本人は葬送行進曲とは言っていないが…。 小澤氏指揮の葬送行進曲だと「英雄」2楽章があるが、サイトウキネン以外は入手困難? ディーリアスのレクイエムの演奏機会がもっとあっても良い read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる