アルノルト・シェーンベルク
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気付いてみれば、今年は12音技法誕生100周年じゃないか アルバンベルクQはなんでシェーンベルクやらなかったんだろう? アルバンベルク懐かしいな
たしかバルトークの全集良かった記憶がある。あとベートーヴェンの全集 mDGから出てるリットナーのピアノ作品集はなかなか アルバンベルクSQは、偉大な仕事をしたし演奏史的にとても重要なんだろうけど、
かなり好き嫌い別れるよね
俺は苦手
あとはやっぱ時代感じる うーむ、わざわざ編曲した意図がどうもよくわからんな… 何故この人のヴァイオリン協奏曲は弟子の作品ほどメジャーになれないのだろう >>114
つまらないから
というか、ベルクのVn協奏曲が傑作すぎるんだと思う
古今東西12音技法で書かれた曲の中では一番演奏頻度が高いんじゃないかな 俺もシェーンベルクの方が遥かに好きだけど、ベルクの方が評価されるのも分かるしベルクの方が分かりやすくポピュラリティーを獲得しやすいとも思う(これベルクへのディス?) 別にディスでもないと思う。ポピュラリティの有無は曲の属性の一つでしかなく
なくては駄目とかあったら駄目というものじゃないから。
ベルクの方が有名なのは、曲自体の分かりやすさの他に、マノンとの一件のような「お話」
がついてることも大きいんじゃないかな。 副題がある天使の思い出に、だっけ
傑作には違いないけど、そのエピソードも大きいんだろうね
ある意味、新ウィーン楽派のイメージにピッタリ合ってる気がしなくもないし… シェーンベルクと言えば、一番わかりやすい曲が作品4番の「清められた夜」。1977年に
ズビン・メータ二度目の来日を果たし読響を指揮したときに演奏していた。
このコンサート、子供の頃、隣人が楽しみにしていたんだけど行けなくなってとチケット
を譲られ行ってみた・・でも、コンサートにいっても自分には、当時この曲が理解が出来
なかった。ところが、他の観客もこの曲すらも聞いた事が無く、どこが終焉だか分らなか
った模様。初め2・3人が拍手をして、釣られて10人、20人・・やがて大拍手。
シェーンベルクは、当時そこまで日本では無名だった。でも、そのせいだろうか、FM
曲やTVでこの曲とは関係のないが12かい音楽を解説する番組が多くなった。まあ、
この日の炎症がTVで録画放映された点も屈辱だったんだろうけど。
多分、それがシェーンベルクの日本での始まりだろう。 日本でも現代音楽まで聴く人にとっては、1950〜60年代から普通に有名だったはずだけど
一般的には浄夜ですらそんなに遅かったんだね >>120>>121
実家に昔あった「世界大音楽全集」のような楽譜集のひとつに
「現代ピアノ曲集」なるものがあって、
昭和10年頃の出版なのになんとシェーンベルクの作品33aが掲載されていた
門馬直衛氏の解説にはこの曲が12音技法であることはどこにも記載されていない
まあ、当時門馬氏に限らず日本人で12音技法のことを知っていた人は国内では
おそらく一人もいなかった時代なんじゃないかな
しかしそれでも戦前にすでにシェーンベルクの最新の曲の楽譜が出版されていたのは
事実であって、手に取ってピアノで弾いてみた人も確実に何人かはいたはず 「浄夜」が1977年の時点でそれほど知られていなかったとはちょっと信じられない
それ以前に実家にはこの曲の収録された国内盤のLPレコードがあったしね
なによりまだ19世紀の音楽であって、
時代も技法もマーラーの音楽とほとんど何も変わらない
豊かな旋律とハーモニーがあり、悲しく始まりほのかに明るくなって盛り上がる、
典型的な後期ロマン派の音楽じゃないの ちょっと調べてみると「浄夜」の日本初演はシェーンベルクの作品としては
例外的に極めて早く、1936年すなわち昭和11年というまだ戦前の時代に
ローゼンシュトック指揮の新交響楽団で弦楽合奏版として初演されてる
それから40年以上も経った1977年までの間にこの曲が日本のクラシックファンの間に
あまり広まらなかったとはとても考えられない
1977年といえば、もうマーラーやブルックナーのブームも始まったころだろうし テレビやラジオはともかく、クラファンにとって1977年まで無名だったなんてことは流石に無いと思う
メシアンでさえその頃には知られてたよ メシアンどころかケージもライヒ(多分)も知られてたはず
まあそれはそうなんだけど、シェーンベルクの実作に触れる機会は確かに少なかった
それでもカラヤンの菅家楽曲集、ラサールの弦楽四重奏曲集などのLPは77年には
もう出てたんではないかな
77年当時で「浄夜」への反応がそういう状態だったのなら、それはその時の客種のせいだと思うw 70年代にはクラフトのシェーンベルク箱が色々出ていたのも知らん奴等が何か言ってる その頃諸井誠が音楽芸術誌に延々とベルク論を連載してたな
あれはしちめんどくさくて高校生の私には読む気が起きなかったが、
その後惜しいことをしたと思った 著作権期間が死後50年だったら、シェーンベルクも遥かに盛り上がれただろうね
愛好家も研究者も世を去り、今やクラシック自体が風前の灯 >>129
日本でシェーンベルクの著作権は50年で切れたんじゃなかった?
枢軸国からの亡命者ってウィーン条約の対象者だったっけ?
ちなみにベルクはきっちりと死後50年で著作権切れしてた
音友からクラリネットとピアノのための小品が出版されたし >>123 >>124
信じなくとも別に構わないけど、高いチケット代払って聞きに来る客でもそんなもんで
しょ。実際にレコードは殆ど出回ってなかったんだろうから。
マーラーなら2番・5番はグラモフォン等で普通にレコード店に並んでいたけど。 自分の当時の行きつけレコード店は、今は亡き目白堂。
どうでもいいけど、あそこは好きだった。 >>123
いや、だから、12音階とか関係のない音楽でも、当時は「浄められた夜」は知らない人
が多かったんだろうという事。そもそも、作品4番って何歳の時だか知ってますか。 >>123
いや、だから、12音階とか関係のない音楽でも、当時は「浄められた夜」は知らない人
が多かったんだろうという事。そもそも、作品4番って何歳の時だか知ってますか。 >>135
何歳の時?
既に20代になってたよね
しかもまだ19世紀で後期ロマン派の爛熟期
その時代の濃密な音楽
1977年は既にオレは高校生で親父の持ってた「浄夜」のLPも聴いていた
マーラーも聴くようなクラシックファンであれば、浄夜も知っていて当然だった
あなたがたまたま聴いた音楽会の印象が、当時の日本のクラシック界全体を
示していたと勝手に思わないで欲しい 浄夜のレコードも1977年なら国内盤で複数あったはずだと思うが
少なくともグラムフォンにカラヤン指揮で変奏曲とのカップリングはあった >>136 >>137
本来はどうでもいいけど。ちょっと、拘ると。まず、当時マーラー2番と5番は有名だっ
たよ。一般の高校の音楽単位を選択しても2番辺りは聞かされる程度に。5番は例の映画
がメチャクチャ著名だったし。
でも、シェーンベルクはなかった。世の中で音源は極めて少なかった。fmでも流され
ないほど。 >>139
だから、いくらあなたの記憶にあるあなたのまわりがそうであろうとも、
実際に日本のクラシック市場では複数の音源が出ていたことは事実
シェーンベルク一般ではなくて、あくまで「清められた夜」限定の話ね
何しろ早くも戦前に初演されて戦後も何度も演奏会でかけられていた
シェーンベルク唯一の曲なんだから
ちなみに「グレの歌」なんかは聴きたくてもどんな曲なのか
ほとんど知りようもなかったように記憶してる とあるサイトからの引用になるが、1977年以前に日本で親しまれていた「浄夜」の録音には、
以下のものが少なくともあるはず
いずれも指揮者もオケも一流中の一流で、
これらの演奏家のファンなら手を出していた人が相当多いと思われる
・ミトロプーロス/ニューヨーク・フィル/1958年
→古くから定評があり、今なお、特に日本の一部のファンに熱く支持されている演奏
・ブーレーズ /ニューヨーク・フィル/1973年
→以前から定評があって人気の盤
・カラヤン ベルリン・フィル/1973年
→この曲を多くの人に知らしめた功績のある演奏。
これで知った愛好 家は大変多いはず 日本盤レコードの発売年をチェック
このあたりはカタログにあって普通に手に入った
ブレンデル、ザイトリン、クーベリック:ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲(録音 1974年) 日本盤1972年
ブレーズ:モーゼとアロン(録音 1974) 日本盤1975年
ポリーニ:ピアノ作品集(録音 1974年) 日本盤1975年
カラヤン:新ヴィーン楽派集(録音 1973-74) 日本盤1976年
ブレーズ:浄夜(録音 1977?) 日本盤1977年
ブレーズ:月に憑かれたピエロ(録音 1977) 日本盤1978年
グールド:ピアノ曲集(録音 1968年) 日本盤1977年頃? 訂正 >>142
ブレンデル、ザイトリン、クーベリック:ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲(録音 1971年) 日本盤1972年 あとデカいところではクラフトのシェーンベルク全集も70年代のカタログにあったね。
その気になればコレクションを作ることは可能だった。 色々調べてみると、メータは1968年の初来日時にも読響を振ってて、
その時のプログラムにウェーベルンの「管弦楽のための6つの小品」がある
1977年に浄夜の経験がほとんど無かった聴衆が、それより9年前の
ウェーベルンのガリガリ無調の点描的音楽にどんな反応を示したんだろうね
実際には1960年代終わり頃は日本の現代音楽は今とは比べものにならないくらい活況を呈していて、
前衛的な作品があちこちで演奏されていた
その頂点にあるのが1970年の大阪万博であることは周知の事実
とはいえ現代音楽の聴衆と一般のクラシックファンとは相当に乖離していたとは思うが、
それでも新ウィーン学派の音楽はバルトークやストラヴィンスキーほどではないにせよ
普通に演奏会のプログラムには載っていた >>145
メータ初来日は1968年ではなく1969年でした >>131
アメリカ人だとしてウィーン条約の戦時加算を付加しても、
TPPで著作権期間が死後70年になるとっくに前には切れてたんじゃないの?
アメリカの戦時加算日数は3794日だから、シェーンベルクが没した1951年7月13日に
50年+10年半を足しても2012年には著作権切れしてたはず
一度切れた著作権は現行の70年になっても復活はしない
この復活しないというのを誤解してる人が結構いるみたい >>139
1977年までシェーンベルクが日本で認知されていなかったとは、かなり無理があると思う シェーンベルクをメインにした書籍は1977年以前にこれだけ刊行されているよ。
1953年『十二音の音楽 シェーンベルクとその技法』入野義郎著(早川書房)
1959年『シェーンベルク』シュトゥッケンシュミット著 吉田秀和訳(音楽之友社)
1965年『シェーンベルクとその楽派』ルネ・レイボヴィッツ著 入野義郎訳(音楽之友社)
1968年『和声法』シェーンベルク著 上田昭訳(音楽之友社)
1970年『シェーンベルク 永遠の音楽家9』ルネ・レイボヴィッツ 舩山隆訳(白水社)
1971年『作曲の基礎技法』シェーンベルク著 山県茂太郎 他訳(音楽之友社)
1973年『音楽の様式と思想』シェーンベルク著 上田昭訳(三一書房)
1974年『シェーンベルク評伝 保守的革命家』ヴィリー・ライヒ著 松原茂 他訳(音楽之友社)
シェーンベルクに大きく言及した書籍(柴田南雄、ブーレーズ等)や雑誌(音楽芸術、芸術新潮、美術手帖等)を含めると枚挙にいとまがないです。 >>149
139ほかここで「シェーンベルクは1977年までは認知されなかった」と言ってる人が
「認知されていない」としている対象は一般のクラシックファン(それこそ聴き専)なので、
こういった音楽啓蒙書を読む層とはかなり違うんじゃないかな
だからそれをもって傍証とはならない気がする
それより国内盤LPがどれだけ出ているとか、N響の定期でどれだけ演奏されたかという
データのほうが説得力がある。
そこで昔N響のホームページにあったはずの過去の演奏データベースを見ようとしたのだが、
どこにも見つからない
いつのまにか消されてるのか
何故そういう貴重なものを消すのだろうか もちろん国内盤LPと演奏会の数が一番参考になるでしょうね
ただ一般書籍の存在も、当時の作曲家の存在感をそれなりに補強するものかと思います
確かに一般層とは違うでしょうが、それこそシェーンベルクのレコードを買うようなリスナーにとっては、
情報を求めた場合に雑誌や書籍に頼るしかなかった時代でしょうし
60〜70年代のN響のプログラムは、武満徹の言葉を借りるなら、
「客層に媚を売る保守的なプログラム」だったそうなので(現代音楽の作曲家からすれば当然でしょうけど)
シェーンベルクがどれだけ演奏されたのか、別の角度でも興味はありますね しかしモーゼとアロンでも、グレの歌でもなく、
よりによって浄夜が1977年でクラシックファンにほとんど知られてなかったという認識の人がいるとは思わなかった
そんなはずもないよ
それに曲の終わりがわからないらしく、じゃなくて、静かな終わり方なので拍手が徐々に湧き上がったのを勝手に勘違いしたんだろう
ニ短調で静かに始まり後半はニ長調に転じて盛り上がった後でニ長調の主和音で静かに幕を閉じる
こんなわかりやすい終わり方するのにまだ先があるとか、あり得ないじゃん たとえばこの小澤/サイトウキネンのライブの最後を確認してもらいたい
これは1993年の松本での演奏
如何に聴衆も最後の余韻を大切にしてるかがわかる
https://youtu.be/2x4MwxRds2Q 貴方は若すぎる。一生懸命検索したのだろうけど、当時の実情が感じられない。
ズビンメータ指揮で読響が演奏をした現物を聞かなければ結果は出ないな。
私は自信があるけど。 >>154
1977年当時の貴兄は子供で、親戚にチケットを譲られて偶然行ったんじゃないんですか?
それが日本でのシェーンベルクの始まりだったとか、それまで無名だったとか…
申し訳無いけれども主観的過ぎて、説得力が無いないんですね
上にもあなたの意見を受けて、色々な人たちが調べてデータを書いてくれてるんだし 記憶を全く否定するわけではないが、たかが1回のコンサートで歴史が変わったとまでは考えにくい
それ以前から続いてきた受容史の1ページに過ぎないかな
自分にとって衝撃的な経験だったから、その後FMの十二音技法特集とかが目に入ってくるようになったというのも多分にあると思う よくわからないのが、シェーンベルクといっても浄夜ですよ
作曲者の名前もろくに知らずに聴いたとしたら、
それまでにロマン派の音楽を聴いていたなら
別に衝撃を受けるような作品じゃないと思うんですよね。
語法的にワーグナーやマーラーとちっともかわらない。
むしろ当時のR.シュトラウスのほうが先進的だったぐらいで。
思うに実はシェーンベルクという名前が先行して、
「とにかく難解な音楽」という先入観で浄夜を聴いて、
なんだか知らないけど「ああ、シェーンベルクを聴いた。難解だなあ」
と思い込んじゃったんじゃないのかな。 >>154
「貴方は若すぎる」とおっしゃるけれど、1977年というと私(>>152)は高校生です。
すでに「音楽芸術」という雑誌を定期購読し、ピアノで既にドビュッシーや
武満徹まで弾いていました。
シェーンベルクもいくつか楽譜を持っていましたし、浄夜の録音も聴いたことがあります。
まだ演奏会経験はN響に1回、先年亡くなったゲルバーのピアノ演奏会に1回
言っただけだけど、検索したのは当時の資料が手元にないし、
記憶の補強をしたかったからであって、当時の日本のクラシックの状況は
ある程度は知っているつもりですよ。 それからメータの来日公演でのこの曲の演奏がきっかけで、
FMなどで12音音楽を解説する番組が多くなったとも書いていますけど、
柴田南雄がラジオで12音音楽を解説していたのなんて、おそらくは
1960年よりも前ぐらいのはずです
その頃12音音楽から数年遅れてミュージックコンクレートやら
電子音楽やらが既に百花繚乱状態だったのですから 室内交響曲2番、盛り上がらないが気軽に聴ける。おやつタイム用 後期に作られたにしては他の後期作品っぽくないよね
というかあんまシェーンベルクって感じしなくて聴く必然性が俺とってはあまりない 1番と同時期に書きかけたまま放置
何十年か過ぎて完成させた曲です ワルシャワの生き残りはR.シュトラウスの「4つの最後の歌」と並んで
19世紀末から活躍したドイツ系老作曲家の最後の輝きとして特異な位置にある
この2人の歩んだ道と最後に到達した地点のなんと異なったことか
まさに戦争の世紀をしぶとく生き抜いた証だと思う 現代詩篇は未完だし、インパクト的にはとてもワルシャワの生き残りにはかなわない
でも良い曲だとは思う 「3つのピアノ曲 作品11」
シェーンベルク:作曲
(ピアノ)小林海都 ワルシャワの生き残りは最初は英語で冷静を装いながら話していたのに
途中でドイツ兵がドイツ語を発するあたりでこの世の終わりのような状況になって
最後にヘブライ語の祈りになるのが泣かせてくれる
シェーンベルク以外の人には絶対書けない作品 >>170
今またそのワルシャワの隣国で酷いことが現在進行形で行われてるんだよなあ
まさに今日聴くべき音楽 >>173
クリミア半島併合後にウクライナにネオナチがはびこりだしたのは事実だが、
今のウクライナ大統領はユダヤ系で民主的な選挙で選ばれたんだし、
ネオナチとは違うだろう 普通のウクライナ市民にとっては理不尽な暴力という他ないので同情するが、
ロシアが撃退されたらされたでロシア系や親露派に対する報復や民族浄化が避けられないだろうなと思うと何ともな。 ナチス政権の誕生によるドイツからの亡命によるゴタゴタがなければ、モーゼとアロンは完成していたのかなあ 第三幕は盛り上がる場面に乏しいからな
未完の余韻も悪くない >>181
いや、もろにシェーンベルクっぽいのでは?
ただ、初期のベルクに更に近い響きだね 「架空庭園の書」の一つ前だと思うと穏健な気はするが「地に平和を」の次だと思うとまあわかる シェーンベルクの晩年に中東戦争が始まったわけだが、シオニストとしての彼は、イスラエルによるパレスチナ人虐殺を支持したのだろうか? 生誕150年に合わせるように発生したパレスチナ虐殺
アラブ系作曲家に『ガザの生き残り』を委嘱しよう ヒーリング系もしくはドローンアンビエントで最強のリラックスを手に入れてください。
自然の波音も入っているので、さまざまな周波数の恩恵を得ることができます。
神経過敏でイライラしやすい人、なんらかの依存症にも少なからず効果が期待できます。
またナイアシン療法は大変有効です。全国のクリニックで取り入れられています。
自然な形でセロトニンが増えれば、ほとんどの神経症や精神疾患は良くなっていきます。
薬も確実に減っていきます。それと同時に高タンパクな食事が大変大事です。
そして適度な運動で最強です。
試してみてください。//youtu.be/e1IPKVrDUoM 若いシオニスト
「このクソ野郎!お前とお前の糞イエスは、俺のケツにキスしていいぞ?
消えろ、くたばれ、お前の母親もな。
俺たちはイエスを殺した それが俺たちの誇りだ。
ここは俺たちの土地だ、出て行け!ここは俺の土地だ、くたばれ
お前とパレスチナ人を殺してやる!このナチ野郎、クソ野郎!
ここは俺の土地だ、神がくれたんだ くたばれ、このナチめ!
好きなだけ仲間を呼べよ、殺してやるから!
この野郎 ここは俺の家だ。俺の土地だ 神がくれたんだ くたばれ」
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