モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い 18
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モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い 17
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どうぞどうぞ好きなだけ
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 大バッハの前には、モーツァルトもベートーヴェンも霞んでしまうといえよう。 なんたってバッハなんだから凄くないわけない
という思い込みはないだろうか? >>496
近くの図書館では、他の作曲家に比べてモーツァルト関連の書籍が一番多い(笑)。
音楽家の映画では「アマデウス」が最も有名でサントラ売り上げもクラシックで最多。
ヨーロッパ旅行客のモーツァルト関連の観光収入は、おそらく他のどんな作曲家よりも多い。
異論は認める チェロ組曲とか平均律クラヴィーアとか大ミサ聞いてバッハは名前だけとか言えるやつ居たらある意味凄いわ モーツァルトはどれもこれも曲想が似ているため
晩年には、すでに飽きられていた
モーツァルトが、たまに前座でしか演奏されない事実を直視して >>501
コンサートに出掛けるのはイベントだから、大規模演奏が好まれるんだろうな。その方がお得感があるだろうし。
モーツァルトが好きな自分なんかは、スーパー銭湯に行くような感覚で聴いてる。
お風呂に浸かってリフレッシュして、美味しいものと生ビール飲んだら幸せになれるやん。
モーツァルトの音楽を聴く幸せって、そういうもんだと思うんだよな。 モーツァルトは生きる為の音楽
ベートーヴェンは生きる事を考える音楽
ブルックナー、マーラーは死ぬ為の音楽
だな。 >>499
あなたの近くの図書館を基準にしてもねー
書籍多いのが人気なの?
サントラ売上、何枚?
観光収入はおそらくかぁ。
所詮そんなところよのぅ ブルックナーとマーラーを同じ土俵で語っている
ちゃんと聞いてない証拠だな
ブルックナーは真実の音楽
マーラーは虚飾と頽廃の音楽 ブルックナーの音楽には深みがある…そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。 ブルックナーもマーラーも巨大な構造物に圧倒されるけど
張子の虎というか騙されているような気もする おんなじように聞こえるかもしれないけど
ブルックナーは一生懸命真面目に音楽に取り組んだんだ
ワーグナーを訪ねて行ったりしてね、だから音に嘘はない
マーラーは完全にいいとこどりの受け狙い、8番なんか恥ずかしくて最後まで聞けない ブルックナーを感じられない人がクラシックを語っても仕方ない
まあモーツァルトを理解できない奴にブルックナーを理解することははじめから無理だけど
マーラーとブルははっきり言って全く似てないし >>512
マーラーは小澤征爾、クラウディオ・アバド、古くはレナード・バーンスタインといった
世界的成功をおさめた指揮者たちがライフワークとして取り組んできた作曲家だよ。 >>514
指揮者を神格化した結果
正しいと信じる典型的信者 マーラーとブルが似てるって言い始めるやつは聞く耳ないんですと言っているのと同じ 退屈しないと言う事ではマーラーが、
イライラしないと言う事ではブルックナーが優れているな。 >>518
信者が自分を見失っているという
典型的な例があらわれてますね >>514はある程度事実かなと
神格化とはそういうことではないでしょう でもその指揮者がどんな人物でどんな趣向でそれがそいつにとってどういう価値を持つのか全く把握してない
ネームバリューに漠然と権威を感じて並べた結果でしょ 私の場合に限った事ですが、その日の心の状態で選ぶ作曲家が決まります。
心が澄んでいる時/上機嫌の時/耳がハーモニーに酔いたい時→モーツァルト
心が充実している時/慰めを必要としている時→ベートーヴェン
感情の喜怒哀楽を超えて大自然の摂理の如きものに包まれたい時→ブルックナー
あとはバッハ、ブラームス、ショパンの数曲があれば私は十分です。
マーラーは交響曲9番だけは20代の頃たまに聞きましたが、30代になり、私には不要な音楽になりました。 >小澤征爾、クラウディオ・アバド、古くはレナード・バーンスタインといった
>世界的成功をおさめた指揮者
事実といえるでしょうな
>ライフワークとして取り組んできた
事実といえるでしょうな マラは指揮者でも嫌ってる人いるでしょ
一曲も振らないのも珍しくない >>525
いえません
でも、ベートーヴェンなら言えるかも マーラーにとってブルックナーは、ベートーヴェンにとってのモーツァルトの様な存在だったのだろう。 マーラーなんて、ケレンだよ
だから、山師バースタインがやると、ハマったように聞こえる >あとはバッハ、ブラームス、ショパンの数曲があれば私は十分です。
おっと、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(諏訪内晶子SACD Hb洋盤限定(Sl盤はドルフィンの生音に比してやや薫りを欠く))が抜けておりましたね。これは外せない。
モーツァルトが聴けるか?聴けないか?
私の場合、どうやらそれがその日の前頭前野の活性の度合の指標らしい。理由は定かでは無い。 稲垣吾郎が、舞台でベートーヴェンやるね。
特番で22日には、第九が出来るまでやるし。
モーツァルトが古く感じるなぁ マーラーならブーレーズとウィーンフィルの組み合わせがいい エリート 社会の中で優秀とされ指導的な役割を持つ人間や集団のこと。
????? 語源的には、選ばれし人のこと
他人の為に、進んで自らを犠牲にしていく人のこと言う >>540
でも、あんたどうせシャッフルモーツァルト
しかわからない人なんだから俗っほさは
ダントツ!心配しないでいいんだよ 人生余裕〜の人はモーツァルト
人生色々〜の人はベートーヴェン >>547
524ですが……
自分の人生に照らして、そんな気もしないでもない。
余裕は経済的な余裕ではなく、精神的な余裕ですが。 >>536
モーツァルトが聴けるか?聴けないか?
私の場合、どうやらそれがその日の前頭前野の活性の度合の指標らしい。理由は定かでは無い。
>>548
この、「定かではない」
その理由の一端は、『精神的な余裕』にあるのやもしれぬ。
「心が澄み、併せて前頭前野が活性化している状態」
断定は出来ぬが。
この心の状態は、
ベートーヴェン/エロイカ(朝比奈&大フィルDVC-5528)をやたら聴きたくなる「達成感で心が充実している時」とも異なるし、
まして、「今日はモーツァルトは無理だな、メニューイン&フルトヴェングラーのベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲2楽章で癒やされたい」心の状態とはまるで違う。
547さんのレスは名言かもしれない。 >>549
今日は灼熱の東京だが、エアコンの効いた部屋で風にそよぐ木々を眺めながら上機嫌である。午後からの仕事に備えて…
『k.450 3楽章(インマゼール盤CCS-1791)』
をリピートをかけて、かれこれ1時間聴いている。
まさに上機嫌のモーツァルト!
何時間聴いていても飽きる事は無い。
残念だが、この曲の1〜2楽章は鑑賞に値しない。 フィガロの結婚の第3幕第2場の
スザンナと伯爵の他愛ない掛け合いが好きだ。
モーツアルトの極上の音楽のおかげで
男女の馬鹿馬鹿しいやりとりが生き生きと愉悦満ちたものとして胸を打つ。
フィガロにもっと有名な場面は他にあるだろうけれど
私はここをおいてない ベートーヴェンの英雄一楽章は、カラヤン指揮の70年代録音や100周年記念演奏以外、楽譜を順にたどってるだけの演奏に思えるな
カラヤン以外は、曲全体を最初から最後まで把握した上での強弱の付け方じゃなくて、その場その場で音を鳴らしているだけのような
カラヤン以外の演奏をそんなに聴いたことがあるわけじゃないけど
ちなみに、ブルックナーやマーラーは、曲は長いが、その場その場でたとっていけば、全体として音楽になるような ブルックナーやマーラーを指揮していると、そういうベートーヴェンの指揮の仕方を忘れちゃうんじゃないか?
カラヤンはブルックナーもよく指揮しているが、さすがというか >>551
フィガロとなれば、私は……
『コンテッサ・ペルドーノ』
これ1曲で十分、それほど好きですねえ。
あと1曲となれば、「風によせる」ですか……
もう1曲となれば、「カヴァテーナ :落としてしまった………どうしよう」
。
クレンペラー盤(TOCE-7332〜34)が愛聴盤です。 モーツァルトの交響曲は
カラヤンとベームあればそれでいい モツはベームよりレヴァインのが上
カラヤンなんか話にならない どれが上かなんて何を求めてるのかとか
どんな聴き方をするかによって変わるだろ
とくに交響曲って色んな聴き方があるだろうし >>558
まさしく、正論!!
さあ、カラヤンの39番を聴くかな レヴァインのモーツァルト交響曲全集は全曲リピート有り リピート演奏するとつまらなくなって仕方なく省略するのは指揮者の力量不足だから論外 レヴァインねー
少年暴行してたころかな
そのモーツァルトをやってた頃は リピートも楽譜通り一辺倒ではなく、装飾音や微妙な表情の変化などがあればいいのだが、コピペしているようなリピートはつまらなくなる。 モーツァルトの意図はなんなのだろう モーツァルトがレヴァイン/ウィンを聴いたら
うなずくのだろうか、鼻で笑うのだろうか リピートは、レコード、テープ、CD等がなかった時代は演奏を聴く以外に曲を聴く機会がなくて聴衆に曲を覚えてもらえないから、リピートして曲を印象付けるためのものらしい
リヒャルト・シュトラウスがブラームスの交響曲を何度も指揮して、ある時リピートがなかったことを記者が訪ねたら、そろそろ聴衆も曲を覚えただろうから、と語ったとか 単なる楽譜にあるから演奏するなどと言うのは意味はない
そしてレヴァインは退屈に感じさせるリピートでますます評価を下げVPO初の全集を無価値にした愚物 私はモーツアルトの交響曲なら全体の時間も短いしリピートしてくれた方がたっぷり音楽に浸れて良い。
シューベルトのピアノソナタなんかはむしろリピート有りを好む。情緒連綿たる音楽に溺れれるからね モーツァルトはリピートのせいで退屈だと思ってるやつらは所詮その程度で聴いてるんだろうけどな >>573
リピートのせいでモーツァルトが退屈なのではない
日本語は苦手? リピートはなくても良いって書いてあるんだろ
日本語は苦手? レヴァイン聴いたけどリピートは自然でイヤではなかった
むしろベートーヴェンとかシューベルトのリピートの方が
またかよってなるな >>576
それはあっても良いと言う意味になるのでは???
日本語苦手か? そもそも退屈の文字をどっから持ってきたんだねw
日本語は苦手? >>579
不利になってそもそも論出してきて馬鹿なの?
具体的にレス飛ばしたわけじゃないのに反応したってことは自分が言われたって思ったんじゃないの?
それならその反応自体が退屈ってワードの根拠じゃん
日本語以前に馬鹿か? すいませんリピートってなんですか
だいたい1番2番があったとして意図的にそれらを繰り返すんですか >>584
楽譜にリピート記号が書いてあるんだよ 楽譜見たことないのか 演奏解釈として反復を省略するのは有りだろうけど、反復を否定するのは音楽自体を否定するのと同じだよ。 >>554
あと3〜4曲、お気に入りの曲を挙げると……
◆最初の小二重唱(フィガロ&スザンナ)
◆カヴァティーナ:愛の神よ、安らぎを与えたまえ
◆レチタティーヴォとアリア:スザンナは遅いのね 何処へ行ったの、あの頃の喜びと嬉しさは
◆フィナーレ:やっと恥知らず共が居なくなった
特に最後の「やっと恥知らず〜」のヴァイオリンによる伴奏の調べは素敵です。
LP時代はジュリーニ盤が愛聴盤でしたが、CD時代になり、クレンペラー盤の録音が頗る良いんですね。
エーリッヒ・クライバー盤も所有しておりますが、クレンペラー盤がダントツに素晴らしい。
ベートーヴェンと異なりモーツァルトはやはり録音にこだわります(唯一の例外は、カザルス&マルボロのk.550/ジュピター。両曲とも私のベスト盤)。
序曲をゆったりとしたテンポで聴けるのも、
『ピリスのトルコマーチ』
『パウムガルトナー&カメラータ・アカデミカ盤のk.550 1楽章』
同様、曲の美しさを心ゆくまで堪能出来ます。 >>590
>エーリッヒ・クライバー盤も所有しておりますが、クレンペラー盤がダントツに素晴らしい。 (△)
エーリッヒ・クライバー盤も所有しておりますが、録音はクレンペラー盤がダントツに素晴らしい。(○) >>591
色々教えていただいてありがとうございます。
好きなオペラですがあまり耳に残っていない部分もあるので聞き直してみます
私はアバド・ウィーンフィル盤を好んでおります。
シルヴィア・マクネアーの歌うスザンナが可愛くて好きで、
お馬鹿なやりとりがすこぶる楽しい。
スイトナー SKDと旧東独の歌手を含めたのドイツ語盤も好きです >>592
>◆フィナーレ:やっと恥知らず共が居なくなった
このヴァイオリンによる伴奏
モーツァルトのメロディーは「ほんの一息で過ぎ去る」
その典型でしょう。
突然短調に変化し、一瞬で過ぎ去る。
まさに「心を耳と化して聴かねば」聞き過ごしてしまうでしょう。
言い過ぎかもしれませんが……
私は、この数小節と、魔笛の「パパゲーノがパパゲーナを探し続け、見つからず、首を吊ろうとする場面」だけでも残れば、あとが灰になってもモーツァルトをさして失ったとは思いません。 >>554
ちなみに、「コンテッサ・ペルドーノ」は、クレンペラー盤は冴えません。
これは
『AMADEUSサウンドトラック盤/SACD 2WAMSA-1791-6』
がベスト盤です。
モニターGoldで聴くと、5列目中央で聴いているかの錯覚に陥ります。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています