モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い 18
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モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い 17
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どうぞどうぞ好きなだけ
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>620
さっきから言ってあるがフランクのどれを聴けばいいの 序奏の再現ならシューマンの1番(一部分)とかシューベルトのD.944にもあったな >>617
ん?
K397の長調に変わってからのこと? モーツァルト聴くと一気にもやが晴れてシャキーンとなる >>623
移調も転調も意味が分かってないんだよね彼 だから フランクのどれを聴けばわかるの お前らみたいに暇じゃないんだよ しばらくオルガン曲や室内楽の話になったりはしてないんだが 都合の悪いことには「おとぼけ」・「自演」 もうそういうのには飽きました まああの有名曲を知らないのは分かりました
お引き取りください 今んとこ4曲ぐらい聴いたけど分からなかった
有名順で聴いてたはずだけどね そりゃあ、、フランクのあの曲が駄作だと論破されるのを嫌っててあえて曲名挙げるの避けてるに決まってる 君がどの曲をどう評価しようと知ったこっちゃないんだが 分からなきゃそれまででいいんじゃない
このスレで話す必要はないですよ 運命のスケルツォ反復はベーレンライターが取り入れたから今後は主流になるのかな?ブライトコップ版が主流だった頃は反復記号が印刷の時に抜けていたとかだったはず。
田園や7番のスケルツォの場合は反復記号ではなく、書き通しだから、演奏しないのは反復の省略ではなく改変と見做すべき。
いずれも、作曲家の意図が尊重されるべきと思う。 提示部はまだしも
終結した音楽がゾンビのように途中から繰り返されるのは御免被る >>636
「有名曲」というカテゴリを作って知ってる知らない人間で振り分けるのはある意味有意義だと思う
(フランクの有名曲が全般的に有名な曲であるかという問題はある)
別にそこを否定するつもりはないがそんな立場でクラシック音楽が生き残れるかという心配は残るわな どの版を採用し尚且つリピートの実行については演奏者に委ねられる
リピートの有無によって作品自体の価値は減ずることも増すことも無い
繰り返しをするようになって作品の価値が高まったという例は知らない
単なる不勉強との誹りは甘受する どう聴こうが好き好きだけど、モーツァルトやベートーヴェンが書いた反復が気に入らないとか言われても、何だかなぁ、、 繰り返しによって省略されてしまう部分が聞けたのは新鮮みもあった
必ずその部分が聞けなければ作品の価値を知ることができないと思ったこともない
ブレンデルのK.311が70年代後半に出たときにリピートが話題になったことはある
別に気に入らないとは書いていない
主流だろうが傍流だろうが演奏者によるわけでして
もう知ってるから繰り返しなんかいらないよとは思う mediocre cannot understand the great. 偉大な人って誰?
繰り返しを全てやりさえすれば良い
黙って聞けば良いってのは思考停止だろうよ
自分の理解できる範囲で理解するまでよ 普通に考えて、ある作曲家の演奏における繰り返しの正当性はここでの音楽愛好家のお話の範囲を超えるものです。
好き嫌いは語ることができるにしても。
この問題に詳しくて親切にも教えてくれるのなら、わかりやすく教えてください。判断の根拠などを含めてわかりやすく。
モーツアルトやベートヴェンの音楽の愛好家ですから興味を持って聴くでしょう
演奏と同じでプレゼンテーションのあり方は重要です 運命のスケルツォの繰り返しは勘違いだったわ、ベーレンはギュルケ版不採用。訂正します。
まあ、こんな話、少し調べりゃすぐ分かると思うけど。 >>590
クレンペラーのフィガロ、中古で注文しました。
楽しみにしております。
カザルス マルボロの演奏、懐かしいです
私の場合バッハの管弦楽組曲2番と3番の演奏は初めて聞いたのが父親の持っていた
カザルス&マルボロのLPで、いまだに私のデフォルトでありベストです
音楽に対する思いというか、ものすごい気迫ですね。 >>649
くれぐれも、フィガロの中で、私が一番好きな曲である
「コンテッサ・ペルドーノ」
には期待しないでください。
交響曲39番/ジュピターであれだけの名演奏を遺したトスカニーニが40番(k.55,0)では平凡なのと同じくらい平凡ですから。
ちなみに、交響曲39番の私のベスト盤は、この「トスカニーニ盤」(セカンドベストがサヴァリッシュ&チェコフィル盤)
40番/ジュピターは「カザルス&マルボロ盤(ジャケはLPと同じ有名なモーツァルトの横顔)が、私のベスト盤です。
ただ、ジュピター4楽章の開始直後をとっても耳が喜ぶ弾き方をしてくれているのが「アバド&ロンドン響」盤なんですよね。
これ、好きですねえ。まるでフィガロ序曲のようなんです。
前にも書きましたが、「コンテッサ・ペルドーノ」は、「SACD盤のAMADEUSサウンドトラック盤」が私のベスト盤です。リピートをかけて1時間聴いていることもしばしばです。
他方、クレンペラー盤のフィガロ序曲(他)は、録音の素晴らしさも手伝い、ゆったりとしたテンポで弦や木管楽器の魅力的な響き/ハーモニーを心ゆくまで堪能出来ると保証いたします。
ピリスのトルコマーチ同様、音楽美しさが際立ってくるんですね。 >>650
ピリスのトルコマーチ同様、音楽美しさが際立ってくるんですね(×)
ピリスのトルコマーチ同様、音楽の美しさが際立ってくるんですね(○) >>597
CDでさえ当初は時間が短くて(74分…今でもかな?)、空ヤンが第九が収まる
時間にしようぜ、と画策したらしい。
ライブだが、昔は4、5時間のてんこ盛りのプログラムが普通にあったらしいが、
最近はどうしても30〜40分+休憩+40〜50分という了解があって、
リピート省略せざるを得ないのでは。 実際にはカラヤンのその画策は
事実無根で噂にすぎないことだと、
付記しとおきますね。 田園の自筆譜はネットで見る事ができるので、スケルツォの繰り返しがどうなっているのか調べてみた。
ベートーヴェンはトリオが終わった個所にD:C:と記載していて、流通しているスコアの様に書き通したんじゃなかった。ところが、トリオに入った所の最初の8小節は2回目にフルートが加わるにも関わらず、やはり反復記号で記載している。
と言う事は、この曲での反復記号は単なる繰り返しではなく、ベートーヴェンの明確な演奏指示と見なすべき。
省略したらベートヴェンに叱られるかも。 カラヤンの第九とCD収録時間の話は都市伝説でしょ
Vphがアーノンクールで
モーツァルト39-41をフルリピートで演奏したライブほそんなに古い話ではないよな
ベートーヴェンのフルリピートももはや珍しくもなんともない
いわゆるロマン派以降は提示部リピートの曲はへっていくし
終結が2回もあるようなもんは無い ドホナーニがN響でチャイコフスキーの4〜6番をモーツァルトの39〜41と対にして演奏したとき
提示部は繰り返して多様な気はするが,他のリピートは全部やっていたかな 提示部繰り返しのない交響曲も普通に聴かれてるし
ブラームスもマラ1もシューマンもメンデルスゾーンも幻想(1,4楽章)も無いなら無いで何も言われないでしょ
ありでやることも増えたけども
古典派は楽譜通りです
あるんですやるんですって言われましても >>654
> CD-DAは最大99のトラックを納めることが可能であり、各トラックには最大99のインデックスを付与することが可能となっている。
これ見て思い出したのが、クラシックとは関係ないが、「トップをねらえ! 業務用BGM集」。
遊び心満載のCDで、99トラックをフルに使っており、そのトラック数を稼いでいるのが「名せりふ大行進」。
アニメ本編の中から選んだ4〜5秒のセリフが数多く並んでいるが、バラバラだと気にされないけど
その並べ方が憎くて、エロいセリフに聞こえてしまう。 提示部のリピートはまだいいけど、展開部+再現部のリピートは大抵蛇足に感じられる。 >>661
同意
モーツァルトK.551やベートーヴェンOP.57みたいのならまだしも 凡人の考えるリピートと
モーツァルトの考えたリピートは違うと思う 40番終楽章はバーンスタイン/VPOライブが刷り込みで展開部+再現部をリピートしてた
このパターンを守ってないと許せない、かつ、
展開部に入ったとたんテンポを落とすのも許せない むしろアップテンポで >>665はこう書くと4楽章は終始テンポが速いと思うかもしれないがそうではなくて
第2主題は提示部も再現部もゆったりと演奏している 38番「プラハ」第1楽章は10分30秒を切って欲しい
だからカラヤン盤
いきなり話の腰をブロークン 平常心に整えてくれるモーツァルトの音楽
明日もガンバロー モーツァルトやベートーヴェンに厳冬とか豪雪とかを氷河とか
イメージして作った曲ってあるのかな >>676
オルガン曲はバッハの音楽の中でももっとも暑苦しい
オルガン曲で涼しげなのはフランス近代以降じゃない >>679
で、君はいったい何を聴いて涼しかったんだい?モーツァルトっていってもいっぱいあるんだよ 木を見て森を見ずにならないように
モーツァルト全般をまんべんなく聴く
3年続けてそのあとは個々の曲に焦点を当てていく
そんな感じ モーツァルトが偉大なのは分かるが当時モーツァルトがどんな音楽環境だったか
周辺の数多くのマイナー作曲家も含めて聴かないとその偉大さが分からないと思う 自分勝手にここがモーツァルトの偉大なところだねと思ってたら他のマイナー作曲家に先を越されてたとかよくある >>686>>687
仕事じゃないんだし 統計とか取る意味ないよ
直感で選べば良い お真面目さんだなw >>689
直感で選ぶと独りよがりだと思われてないか気にならないか ならないならいいけど 平等・公平・均等 こんな言葉が好きそうだなw
あんたyoutubeさんだね 公平は公正に近い 英語ではフェア ルールに従って物事を進め私情を挟まないことをいう
平等はこれとは全く違い、人間は生まれながらに違いはないという考え 揚げ足取ったり理屈っぽい。
周囲から距離置かれてそうw フランクの代表作を聞いても何にも分からんヤツだから文字で屁理屈こねるだけだよ
ほっとけ モーツァルトを聴くと人は皆平等ではないと痛感する。
ベートーヴェンを聴くと人は皆兄弟かもしれないと思う。 モーツァルトの旋律は誰にでも書けそうで、やつてみると絶対にできないことにすぐ気付く モーツァルトの旋律は誰にでも書けそうで、やつてみると絶対にできないことにすぐ気付く[要出典] 周辺作曲家の曲を聴けばわかるがモーツァルトの旋律は陳腐なものが多いよ そして人々は無事シェーンベルク信仰へ帰依したのであった フランクなんてどうでもいい
フランクの話はフランクスレでやってね
あればだけど >>698
新ランバッハ交響曲、アデライード協奏曲などの実例をもってすれば、モーツァルトは簡単に真似できて、聴衆を簡単に騙す事ができるもの、というのが真実だろう。 >>709
新ランバッハ交響曲はレオポルト・モーツァルト作曲なので
ヴォルフガングの真似をして書いたとは考えにくい
当時の流行に基づいて当時の最高水準の音楽を書こうとしただけ モーツァルトのレベルに達しているのなら
もうそれはモーツァルトでいいと思う モーツァルトは写経じゃないけど色々な作曲家の楽譜を書き写すことで作曲の勉強をしたらしいというのが分かっている
このせいでモーツァルト作曲ではないものがモーツァルト作曲だと誤解されてたものも数多い モーツァルトだったら楽譜見れば頭に完コピできそうなのに >>711
重要なのは聴衆や演奏家でさえ、別人の作曲のものをモーツァルト作て勘違いしたという事実。
モーツァルトと他の作曲家との違いがわかると豪語している人は実際は分かっていないという事を認める謙虚さを持とう。 ブラームスが「我々はもうモーツァルトのような曲は作れない」と言ったのは
モーツァルトの曲があまりに陳腐すぎてブラームスの時代のプロの作曲家が作るようなものではない、
それだけ時代の流れは残酷だというような意味 モーツァルトは分かりやすい旋律を大量に繋げて
一つの長い旋律を作る感じ モーツァルトの影響力は計り知れないな
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