モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い 18
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モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い 17
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どうぞどうぞ好きなだけ
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>766
何が究極の選択だよw究極の浅薄だろ
○○曲に絞るとかいう発送自体がどうしようもなく浅すぎる いかにもウノコウホウが挙げているようなディスクばかりといえよう。 「ピアノの森」というアニメを見始めた
俺みたいな凡人には、自分で聴き方とか見い出せないから、アニメで取り上げられる曲の弾き方、聴き方、ストーリーとか、アニメで方向づけされると、より曲を楽しめるようになるわ >>767
>>768
私の日記にレスは不要。
私は私の事情で書いているのである。
視覚化する事。
これでよい。 >>766
(4)は「アニー・フィッシャー盤」も「女がこの曲(無論3楽章の事である)を弾くとこうなるか」と感じさせてくれた点で貴重な音源ではある。
女のベートーヴェンとなれば
モニターGoldとその録音の相性が抜群(演奏者の呼吸音が絶えず聞こえ、至近距離で何度となく聴いたドルフィンは生音そのものだが
ピアノにはやや難があった)熱情はあたかも自宅のオーディオルームで私の為に弾いてくれている錯覚に陥るが如しの「小林愛実の熱情」はその棄てがたい1枚なのだ。
ピアノはモニターRed、弦はモニターGold、その認識を改めさせた1枚でもある。
そんな小林愛実の熱情も、ウェストミンスターロイヤルでは愚鈍な金盥、ドルフィンに至ってはまるで鼻をつまんだような音、生音にはほど遠い。
火事で焼失してしまったコーン紙とエンクロージャー用の木材、ハーマン傘下になり辞めた職人
TANNOYもあれで終わったんです。
ストラド同様、最先端技術で作ったスピーカー、それはそれは耳に心地よい音で鳴るモノも幾つかあるが人工音のそれは免れない。
他方、オリジナルエンクのモニターRed、モニターGoldは楽器の音で鳴る。
50年以上前のスピーカーであるから、当時の音を聞かせる個体に出会う確率はきわめて低い、まさに「運」としか言い様が無い。 >>773
アニー・フィッシャー/小林愛実に関する私の意見は
ベートーヴェンピアノソナタスレッド(277/279/287)にも書いた。
あくまで日記の類であるからレスは不要である。
人間の思考や感情は文章にしてみて初めて確認出来る。確かにそうだと。
これを私は「観念の視覚化」と命名している。
私の二十歳前後からの習慣でもあり信条でもある。
重ねて言う、レスは不要。 >>774
モーツァルトの名を冠した幾つかのスレッドにも、私の観念の視覚化はあるが?、書いた動機は全て同じである。
モーツァルトの生涯/モーツァルト効果
この手のスレッドには全く興味は無いので、そこには私の日記は無い。
スレチになるが、シベリウスヴァイオリン協奏曲スレッドには気持ちよく書けた。
日記とはかくも、心の整理に有効なのである。 >>777
文体を見ればお分かりでしょ?
昔話「ラファ(エロ)」
その後「ナノフレア」
<ミレニアム>さんが登場してからは「G-LZ」と名乗った
者ですが。トリップ文字がその証。
荒らす意図は全くありませんので、どうぞスルーしてください。
クレンペラーのフィガロについてレスしてきた心が健全なにはレスいたしますが、その他は此方も一切無視(興味ありませんので)致しますのでご安心を。
このスレッド
モーツァルト交響曲25番/40番/後期6大交響曲
モーツァルトピアノ協奏曲/ピアノ協奏曲20番
モーツァルトのピアノソナタ
辺りと
シベリウスヴァイオリン協奏曲
(私が書き込みしてからはダンマリになってしまった)
辺りが、私が思考や感情を視覚化しているスレッドです。
ピュアAU は、Autographはおろか現行のウェストミンスター(ロイヤル)、カンタベリー#15、キングダム#15(1年間Autographの隣に並べていた#12)、RHRスペシャルリミテッド
等のユーザーすらおらず、玩具でしかないようなスピーカーの話に花を咲かせている始末。
「あーあ」、思考も感情もありゃあしません。
さてさて、夏期講習会真っ盛り、午後一から、90分×5コマ連続の仕事の支度に取りかかります。 >>778
クレンペラーのフィガロについてレスしてきた心が健全なにはレスいたしますが(×)
クレンペラーのフィガロについてレスしてきた心が健全な(方/かた)にはレスいたしますが(○) 荒らす意図がないなら常にトリップつけて
恒久にNGしたい >>780
専ブラに Sdbf- をNGnameに登録すれば無問題 モーツァルトや演歌が
なんとなく懐かしく聴きやすくなるのは
脳の老化なのかも >>784
俺はモーツァルトの方が芸術作品としてはよほど優れていると思うけどなぁ。
ベトは音楽を芸術と自称した時点で、芸術じゃないだろと。そういう下衆な魂に芸術は宿らない。
ガキの頃はベトもよろこんで聴いてたが、今ではまったく聴かない。なんか騙されているような気になってくる。そんなんで感動するかバーカって思っちゃう。
モーツァルトはダメ。心が丸裸にされる。芸術って悲しいなぁと、涙ぐんでしまう。 >>786
そうは思いませんが。
なんですかバーカって?
そんな人が芸術云々とはねぇ。 >>787
なんか大袈裟で芝居がかってるんだよベトは。
芸術するぞ芸術するぞ!みたいな。
それがダサすぎて聴けなくなった。 >>787
ここのモーツアルトフリークは排他的な人が多い気がします
ハイハイ、と返しておけば良いと思います >>788
でも、例えばベトのどんな曲?
とあなたに聞いても答えられないのがいつものあなた。もしあなたが大人なら、もう少し成長したらいいと思いますがね。 皇帝と23番を聞いたら分かる
オーケストレーションから全然違う
ピアノテクニックの発表会と、協奏曲の違いがはっきり分かる
冒頭だけでもね すべての曲がモツと同じようにあらねばならないと思い込んでる狂信者じゃん… >>778
おっと、「モーツァルト総合」スレッド」を忘れておりました。私の日記を書いているスレッド。念の為。
NG登録するのであればそちらもどうぞ。
お互いに生理的に好かない人間が遭遇しても疲れるだけですから。
リアル生活でも私はその手の人(男女限らず偶然にもO型の人が90%)を遠慮している模様。
細君と職場の美人やり手のアラサーの女性に共通しているのがこのO型気質。突然前触れも無くイラつき噛みついてくる。ドタキャンもその症例の典型。合理性を信条とするAB型の私は、時に敵意すら憶える。
細君は仕方ありませんが、他人は切って捨てます。さらばと。
以上述べたモーツァルトを冠したスレッド、シベリウスヴァイオリン協奏曲スレッド(諏訪晶子スレッドにもよく日記を書いておりましたが、スレッド落ちたようですね。理由は察しがつきます)にしか私のか日記はまずありませんので
NG登録なんぞという小心者の操作をせずとも、上記のスレッドに来なければいいんですよ。
簡単な事です。 >>793
>>792はむしろ逆だと思うけどね
ものの見方が一歩通行では話にならないということは同意 ベトは大量殺戮の20世紀に好まれた血なまぐさい音楽という気がする。
モーツァルトの絶対的平和主義や神秘性とはまったくの別物。
ベトを好むのも血の気の多い奴らが多い。まさにナチスドイツ的音楽 そういう事を言っているモーツァルト支持者が攻撃的。 >>796
さあ、今日もベートーヴェンを演奏するよ!
いまソナタ31番練習してんだ。今時ナチス?
ばかか。 >>798
おまえ、ネオナチ知らないの?
世界が平和だと本気で思ってるバカか? モーツァルト離れできなかったぜ
やっぱモーツァルト最高 >>799
あんたは平和じゃないんだろうが
俺はモーツァルトも、ベートーヴェンも
ショパンなど奏でて平和だと感じてるよ。
今時ナチスww >>799
あんたの血の気の多さはベト向きじゃんw
他人を馬鹿という人間にモツを語って欲しくないなあ。 【皇室】秋篠宮妃“紀子さま”と“美智子さま”の『異常性』〔心理学悪用編:小室眞子さま〕★2
ICU大学時代、山守さんも小室さんも同じスキー部員だったとの話。
そのスキー部に眞子様もいた事実。
少ない人数のスキー部内で男を、とっかえひっかえの眞子様。
しかも小室さんに乗り換えた後、山守さんも居るスキー部で活動継続。
小室さんに騙されたとかいう風潮は、あまりにもおかしい。
2012年の留学中に英国で知り合ったアジア人や日本人とも関係を持って・・・(以下略)
詳細は、以下のスレッドでどうぞ!!
〔2chのスレッド〕:https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532735877/
〔記事元〕:http://www.laf.im/yahoo_co_jp-news-20180703 モーツァルトは悪魔の音楽なんだけどな
心が洗われるとか言ってるやつは聞けてないよ >>807
音楽そのものが退廃的なものでしょ。
そんなものが与える感動など偽者だと分かってるよ。
クラオタはそこが分かってないからキモい 音楽は退廃ではない
退廃的な音楽はあるかもだけどなナチス君 何なんでしょうね
このひねくれ。退廃的と言いながら
モーツァルトいいよねだってさ。
そしてクラヲタキモいときた〜 何を聴いても底が知れて詰まらなくなっていた
そんな時に再会したのがモーツァルトだった 昔、モーツァルトに興味が無かった頃
クーベリックの交響曲第40番&第41番 を持っていた
ガツンとした刺激がなくて、心をつかまれなかったが
今はちょうど良い具合に聴ける ベートヴェンも聴くけど感情的なところが
たまにウザイね 良い意味で ピアノ協20グルダアバドを今聴いている
いい 実にいい ん〜ヘェヴァンヌ
最初に聴いたのは数十年前のゼルキンアバドだった
もちろんその時もさほど感動はしなかったな
次は21だ 21番の2楽章は時間を超越して響くね
233年前って天明の大飢饉のころw 昔は20番以降よく聴いたけど
今は17〜19がモーツァルトらしさ
素朴で無邪気さを感じるね。 中古でベートーヴェン
ベームの最晩年の第九を買って聴いてみた。
ここでよく使われていた 感情的だの血生臭いとかとはまったく無縁。演奏する人にもよって
大きく違うんだから、いかにここで述べられているベト評が偏見に基づいていることか。ただベト好きにはあの第九はふわっと感じるだろな。 >>808
同感ですね。
前にも書きましたが、モーツァルトを聴きたくなるのは
(1)日々の充実感ではまだ足りぬ。
心が澄み渡っている時
「私は神の言葉が知りたい(宇宙を成り立たせている物理法則の事かと)。世間のあれやこれやには興味が無い(アルバート・アインシュタイン)」
そんな心の状態でしょうか?
>>814
「k. 136 2楽章」「k.545 2楽章」「フィガロ コンテッサ・ペルドーノ」「魔笛 ザラストロ:この聖なる殿堂には」等(他にも多々ありますが)」を、そのような時、心が求めますね。リピートをかけ1時間ほども聞き続けております
>>818
ピアノ協奏曲21番は(特に2楽章)は映画音楽で毒された所為か、私は苦手で1度聴いたきり(グルダだったか?)。特に3楽章も退屈。一度しか聴いてないので何とも言えないが
昔々、k.491をハスキル&マルケヴィッチ(LP)盤で聴き、余りの陰鬱さでうん十年敬遠していたのだが 、SACD清水和音盤を聴き、その透明なオーケストラのハーモニー、清水和音の1楽章カデンツァの見事さに息を飲んだ経緯があり
(それ以来この曲は、私のモーツァルトベスト盤20入りした)一概には言えないが、まだ聴く気になれずにいる、21番。
>>816
前後が逆になったが、「よい意味で」には同意。
良きにつけ悪しきにつけ、ベートーヴェンは音楽が寄り添ってくれる
私とて生身の人間、ベートーヴェンを求める時はある
「ベートーヴェン作品は神の言葉を人間の言葉に引きずり下ろした」
私はそう思っている
「モーツァルトがダ・ヴィンチなら、ベートーヴェンはミケランジェロ」
私の中では19歳の頃からそう感じている。
日記ですから、レスは不要です モーツァルトは太陽
ベートヴェンは月
JSバッハは宇宙
あくまでイメージね、そう思って聞いてる。 絶対に押すなよ
絶対に押すなよとは、「押せ」という意味で頻繁に用いられる言葉である。
概要
元々は熱湯コマーシャルにてダチョウ倶楽部上島が、「押すなよ!絶対に押すなよ!」と言った後に押され、
熱湯の中に落とされてしまうというネタである。
上島曰く「押すなよ!」と言っているときは「準備中」であるためまだ押してはならず、
「絶対に押すなよ!」と言ったら「準備完了=押してもいいよ」、という意味だから、
「絶対に押すなよ!」と言ってから押されるのがお約束となっている。
現在においては「○○するな」という言葉が「○○しろ」という意味として、お笑い業界のみならず広く認識されている。 >>826
>>827
>>828
マタイ受難曲なんかは別でしょうが(クレンペラー盤を長いこと所有していたが、キリスト教徒ではない私には結局増長な音楽だと悟り処分した)
私の場合、バッハの音楽は
「清貧、堅実、愛情に満ちた家庭」
そんな人の生活ぶりが降りて来る。
やはり2人の妻に20人?の子供を産ませた(しかも確りとした教育もしている。これは大変な事である)男の音楽である。
「無伴奏ヴァイオリンパルティータ(ジグとシャコンヌ)」
「G線上のアリア」
「2人のヴァイオリンの為の協奏曲」
バッハはこの3曲があれば十分かもしれぬ。
無論、至近距離で聴くストラドの生音とモニターGoldの再生音の比較が主目的である。
G線に関してはほぼ100%満足している。 たまにはそこそこのオーディオシステムで音楽を聴いてみたい >>824
成る程、それで同じ位の大きさに見える訳か、そこまでは考えてなかったw 小物なのに天賦の才を与えられた
というギャップがいいのさ 小物なのに天才なのはモーツァルト、ロッシーニ、マーラーだな
全員悪魔の音楽書いてるわ 嘘つきで詐欺師で浮気香具師だけど魔音楽書くドイツの方はいかがですか? >>831
この「そこそこ」と言うのが曲者でして
一旦音に拘り出すと、音楽を聴いているんだか、音を聞いているんだか
と言う葛藤状態に陥るんですよ。
音楽会には三桁回数は出向いてますが、音楽に感動したのはほんの数回、あとは音を聞いていた。
ストラドの単独弦の音と、ヴァイオリン群のユニゾンの『弱音』の「あのえもいわれぬ心地よい音」を。
悪いことは言いません、総額で百万円前後のシステムでおさめる事が賢明です。 >>840
でもとても優しい所もある
DV気質というかなんというか ベト好きな人はクラシック音楽に対しでリスペクトがあり、他の作曲家の曲も聴くし、それぞれの良さを認める事ができる。
要するにベートーヴェンだけを特別扱いしないし、知ったかぶりもしない、精神的に大人な印象。 >>836
神に愛されたモーツァルト
神と戦ったベートーヴェン
神の声を書いたJSバッハ
神をネタにしたワーグナー
で良いかな? >>850
バッハの子沢山は神の声かなw
なかなかバッハの人柄を表すエピソードってないよね 究極この世にはモーツァルトの音楽と
そうじゃないものの2種類しかない
そんな気がした夏の夜 ハイドン総合スレッド13 [無断転載禁止]©2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1456015977/762
762 名前:名無しの笛の踊り[] 投稿日:2018/07/28(土) 22:31:07.52 ID:spBoJf/w
最近ハイドンにハマってんだけど、もっと早くにハイドンの魅力に気付きたかった。
クラシックは最初モーツァルトから入って、一通り聴いたらもう古典派はいいやと思ってバッハとかほかの時代に移ったんだけど、久しぶりに古典派聴くかとハイドン聴いてたらハマってしまった。
ハイドンって有名なわりに現代では地味な扱いなのは、古典派はモーツァルト聴いとけばもういいやみたいな、モーツァルト止まりみたいな感覚の人多いよな。
言いたいこと伝わるかわからんが、「どーせ同じ古典派の似たような曲いっぱい書いたただけでしょ?ならモーツァルトだけ聴いとけばよくね?」的に思われてるみたいな。 個人的に思うハイドンの典型的な交響曲 モーツァルトには絶対に書けない
交響曲第67番 ヘ長調
http://www.youtube.com/watch?v=D_LipGflMm4 ハイドンほど優雅な曲を書く人は他にロッシーニくらいしかしらないな
涙も感動もないのに聞いていて本当に良い気分になれる
かといってテレマンみたいな出来のいい通俗というわけでもない キラリと光る瞬間はあるにはあるけど
ハイドンは力不足 ハイドンの交響曲は演奏によって印象も変わるのよね
最近はアダージョなどのテンポの緩やかな楽章をちゃんと緩やかに演奏しない録音が多い
フィッシャーの全集が一番いい 曲によってムラはあるけどおおむね緩やかな楽章は緩やかに演奏してる モーツァルトの交響曲の緩徐楽章ではアダージョは無くてアンダンテ
アンダンテはアダージョとは全く性格が違う まあ演奏の速さの目安なんだけどアンダンテはアレグレットに近い アダージョとは明確に違う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています