バッハのあとに続くものって誰?
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サティみたいに自分以外のもの全部糞くらいのほうがまだマシなレベル >>7
晩年のウェーベルンとかバッハの精神を受け継いでると思うよ
ブーレーズのバッハ論くらい読んでおこうぜ ウェーベルン(笑)片腹痛いわ
権威をかさに着るやつらしい JSBは存命中からすでに「時代遅れ」と見做されていたので, 賢い音楽家は皆まねなんかしなかった. 没後50年もしないうちにバッハの曲を演奏するサロンだったり編曲する、感銘を受ける作曲家が居たわけだけれど >>15
つまり没後50年くらいはオタク専用だったってことだよね
だめじゃんw
Forkelの伝記が出たのが1802年
FMBの蘇演が1829年
それまではオタク専用w バッハがオタク専用なのは言うまでもないだろ
健常者はハイドンやモーツァルトで喜んどけばいいw
ベートーヴェンも晩年オタク気質出てきてバッハに被れてピアノソナタ30以降はまごうことなき傑作になってるな >>17
モーツァルトがオタクならお前はなんなんだ? >>19
典型的な「バカの論法」だな
かわいそうだがたぶん死ぬまで治らない 論法でもなんでもなく
モーツアルトがバッハに感銘受けたり編曲したことは事実なんだけど たしかにスレタイのあとに続くの意味がぼやけているし、
スレ主もその程度のぼやけた知識しか持ち合わせていないということだろうね
はっきりとした知識を持ち合わせた人がいなければスレは終わるしクラ板なんてそんなもんよね >>21
MozartがBachを知ったのは周知の通りvan Swietenのサロンだが,
まあオタク同好会だなw
ちなみにMozartのHändelの編曲はまったく「今風」だし,
Bachを編曲した形跡はない. {平均律の「編曲」はおそらく偽作)
当時は失われたつつあった対位法にはオタクとして感銘を受けただろうが,
精神を受け継いだのはむしろBachの末の息子とかHaydnのだろう.
そしてオタクサロンの外では, 教会の合唱隊を除きBachなんて誰も知らなかった. こんなスレでオタクだの言う奴が一番オタくさいんだが…。
旅が好きで社交的だったモーツァルトにオタクというよりどう考えても陽キャラ。
あとヘンデル自体バッハと違い当時から「今風」の作風で全体を通してモーツァルトと同じような単純な和声の作品が多い。(なんで今ヘンデルの話出てきたのかよくわからないけど。元々バッハとヘンデルでは様式に差がある。というよりあの時代でバッハは異端。)
スレタイの話をするならバッハの精神とは何?という話に。まぁなんとでも語れるよね精神性とかいうと。
具体的な話では属9やセカンダリーの多用は後で時代が追いついたよね 笛のテレマン、同期のSLヴァイス、モーツァルト、リスト…と
ここらへんはバッハを含め楽器のヴィルトゥオーゾ バッハは演奏家としてではない「楽器のビルトゥオーゾ」でもあった。つまり楽器法の巨匠だった。そして演奏のビルトゥオーゾのために作曲した。
ヘンデルは楽器法というよりは管弦楽法に秀でていた。楽器の可能性をとことん引き出すというよりは、その音色の組み合わせ方、楽曲中での使い方によって予想もしなかったような魅力を作る。 ヘンデルはテレマンの楽譜を応用、学んでるでしょ
そこに天性のメロディメーカーときて功を奏したと思われる
まさに「調子のよい」世渡り上手。
よって本当の「音楽の母」はテレマンかも >>27
要するにMozartのココロがBachとは程遠いところにあったということは
肯定してるわけだなw
そしてオタク以外は誰もBachなんか相手にしていなかった.
ところで, オタクが「陽性」でないって主張するのなら, それは偏見というものだw
あとお前さん「オタク」をdisってるだろww >>27ではないが…
既に>>14さんも言ってるように
現に息子たちは古典派音楽へと突入してゆくわけだ。
JSバッハは20世紀の音楽家たちやおまいらがリスペクトし過ぎなだけ。 聞き専にバッハが先取りしていた事なんか分かるわけないか…。
せいぜい対位法がすごいぐらいの認識だもんな。 先取りというよりは
アルススブティリオールや12音技法のように
そこでいったん止まって、庶民でもわかりやすい
古典派のような音楽になったてだけなんじゃねーの 音楽家をあいまいな精神上で比べるとしたらバッハとはプロコフィエフが繋がっているように思う
以前直感的に感じた共通項は、二人の鍵盤楽曲を他の作曲家のものと比較して得た
響きやメロディのためでなく純粋に鍵盤楽器を打鍵する指の快楽を望む音楽を書いてるのは、バッハとプロコフィエフ
この二人は鍵盤に対するアプローチに関して、異色さの傾向が似ているように思った >>42
カンタータ6番だけ聴けた
これトーマス教会なのか >>40
>先取りというよりは
>アルススブティリオールや12音技法のように
>そこでいったん止まって、庶民でもわかりやすい
>古典派のような音楽になったてだけなんじゃねーの
日本語としてもいまいちなにを言いたいのか分からないんだけれど
その2つが古典派のように庶民に分かりやすくなった例は?
というかそれを先取りというんでは? >>44
音楽史の「既定路線」があるわけじゃないんだから,
「先取り」なんていう後知恵の言い方に意味はない.
それを以って何らかの価値があるように言うのは,
頭が悪い人たちがしばしば陥る錯誤.
事実は, やや後代の(オタクw)作曲家が「影響を受けた」か,
たまたま時代の趣味が合ったか. >>45
それはあなたがなんの知恵ないからわからないだけ >>44
それらのあとには続かず
それらをよそによりシンプルな音楽が派生する
つまり後戻りするということだろうか
「先取り」というとらえ方は後から見た場合の結果論にすぎない。
のではないかな? バッハの精神を息子たちが受け継いでやがて古典派へという音楽史に
なんか不満がある人は
20世紀に書れた「バッハ論」に
かぶれているだけだと思うが? 今に生きて音楽史も音楽そのものも俯瞰して見てるんだから当たり前でしょ
さっきからなにを言っている?
スノッブやってても誤魔化しだけが上手くなるだけでしょ、それでいいのか C.P.E. バッハ:鍵盤独奏曲全集 シュパーニ
いつ頃完結するのかな
大バッハよりおもろいよね。 >>49
何言ってるんだか解らないんだけどw
>今に生きて音楽史も音楽そのものも俯瞰して見てるんだから当たり前でしょ
何が「当たり前」なの?
(もしかしてまたバカに当たっちゃったのか?) 俺以外バッハ弾いたりアナリーゼしてるやついないだろうしな C.P.E. バッハがなぜスルーされてるのか。聴いてないのか知らんのか?
彼は父の他にハンブルクでテレマン成分が入った音楽で
そのCPEの楽譜とバロックの頃の対位法の本で作曲を独学したという
ハイドン。
そのハイドンに師事したベートーヴェンが交響曲第8で終わっていれば
また違う流れにもなったのだろうが
第9で歌うという彼の理想だったモーツァルト成分が
混じり込んで・・・ なんですわ。 自国の言語も不自由な人間が修辞にも優れるバッハの音楽をアリナーゼしてもこんなもんですよね
ハイドン成分とかモーツァルト成分とかアリナーゼで一切使われない単語連発というのも臭すぎ
知ったかぶるのももう少し頑張ってくれんと張り合い無いわ JSバッハばかり聴いてると理屈ぽくなりやがてうつ病になるように思うが
それをアナリーゼしてほしい 聞き専ならではの症状については聞き専の方で解決してねん アナリーゼって日本語で言えばただの分析だろ
そんな偉そうに言うもんでもない アナリストっていうとアナルのスペシャリストみたいだよな いまさら掘り下げつくされたJSバッハもない
どうせアナるならゼレンカやCPEにしとけや 聞き専は自分で掘ったことがないのでそこになにがあるか一生わからない バッハは聞くより弾く人に中毒性がある気がする
弾き始めるとやめられないのがバッハ的 後世の後知恵視点で見たって, 当時当人たちがどう思って活動したかなんてわからないでしょ. バカはそこを間違える.
>>56
次男より長男のほうが父親成分が濃いね. いちおうまだ教会音楽家だったし.
>>57
「影響」とか言えばいいんじゃない? 聞き専とってはなんでも後知恵
自分で楽譜読めないから Bachは時代遅れって言われる事多いけど
宇宙や神様を描こうとした人が多い時代に
結果的に個人的な匂いのする音楽を書いたのは
逆に新しかったんじゃない?
85年後のベートーヴェンに繋がったんじゃぁ・・・ モンテヴェルディーはいい響きだなと感じる時があるがBachは意外に
ない。Bachは和音の移り変わりに陶酔させる力がある。
宗教洗脳の麻薬のような作用。 生前のバッハは作曲家としての評価がそれほど高くなかったと聞いたが本当なのかな
ライプツィヒの音楽監督だったぐらいだし分かる人には認められてたんじゃないかな >>72
へぇー
あんた通奏低音読めるんだ。
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9NZ >>72
>>73
私はオルガン弾くんだがw
>>79
本当. Leipzig市はTelemannに断られて, 「二流の人でも仕方がない」と言ってBachと契約した. 新ウィーン楽派の三人、特にシェーンベルクとウェーベルンへの影響は大きいでしょう バッハの影響でデタラメ書きましたってか?
笑わせんな
ゲソヲソ板から出て来んな >>79
ライプツィヒ時代のパルティータと
ザクセン時代のゴールドベルクでは
演奏感が全然違う。
ライプツィヒ時代はクラブサン
ザクセン時代は2段鍵盤のチェンバロを
使用していたと推察される。
何故ならパルティータには小節を跨ぐ持続音
そしてゴールドベルクには両手の交差及びに
同一音を右手及び左手で同時に弾くように
書かれた箇所が目立つからであり
これらは各鍵盤楽器の特性と合致する。
これはいいとしてザクセンの領主だった
ザクセン・ヴァイマール公はこの土地を離れると
言い出したバッハを城内に幽閉した事がある。
バッハは自分の仕事に理解を示さない役人と
殴り合いの喧嘩をした事もある。
実質後世にバッハの作品群の真の価値を発掘したのは
メンデルスゾーンと言われている。 >>74
バロック時代だよ?
ルネサンスと間違ってない? バッハに続くものはエマニュエルバッハでいいと思う。 エマニュエルバッハはまさにバロックと古典派の中間にいてる感じ
末っ子バッハになると完全に古典派音楽 バッハから古典派って何か全然違うよな
楽器がチェンバロからピアノフォルテにとって変わられるようになったからか?
モーツァルトやベートーベンの作品にはバッハのかけらも感じられない >>94
そりゃ、モノフォニーだからだ。
モーツァルトも、ハ短調ミサ曲は面影がある。
レクイエムは全然だが。
ニマジ前奏曲とかブラームス4の4楽章とかは、バッハの臭いがする。 バッハの完璧なポリフォニーに馴染んでしまうと、他の音楽がスカスカに思えてしまう。
同時代の作曲家ですら、弱々しく感じる。
モノフォニーを聴くときは、頭の中で対旋律を作っている自分がいる。
プロコフィエフ(曲は忘れた)はその作業が不要で、楽だ。 モンテベルディからラフマニノフまで和声的には大して変わらない。
歴史の中にいる人にとっては大きな変化であっても、外から眺めると実に微々たるもの。
19世紀末からの50年で大きく和声はそれまでの300年以上に変化して、そこで頭打ち。和声というもの自体が終わった。 >チェンバロからピアノフォルテにとって変わられるようになったからか?
それまで得られなかった音の強弱を音の数で表していたんだとすれば
あながち無関係ではないだろうね。鍵盤曲なら
大バッハと古典派も終わる頃のモツとの比較ではなく
バッハの先達ラインケンやフローベルガー、Bux、
そして大バッハの長男や次男の作品も聴いてみるべきだ。 ルネサンスからロマン派まで和声が変わらないとか
和声が終わったとか
多分自身が和声のことわからなち外から眺めるだけの人だからこその発言なんだろうけど バッハの曲ってピアノじゃつまらないよな
ショパンみたくまるでオーケストラのような濃密なピアノと違って、
バッハのはスッカスカ
チェンバロじゃないと良さが出ないんだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています