モーツァルトとハイドンはどっちが凄い
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ハイドンのような創意工夫もない
ベトのような苦労の痕跡もない
完璧なる上っ面音楽それがモツ。 モーツァルト自身は新しい音楽だと評されたかったようだが実際には自分が新しいと感じた音楽を取り入れて洗練させただけ 古式ゆかしく作曲するという発想自体がもう少し後の時代の産物だからね
モツの音楽は洗練された彼の美学みたいなものかもな。
ハイドンはその曲が音楽が解る貴族用なのか一般聴衆用か
かなり意識して書き分けるオーダーメードな音楽だと思う。 それ故にパリ〜ザロモン交響曲だけでハイドンを語るなということです >>207
別にウンコが好きだからって精神性が低い訳じゃないぞw
って、精神性とはなんのことかよくわからんが モーツァルトファンに向いてるハイドンの交響曲はまずは疾風怒濤期(≒40番台)だろうね ハイドンの48番とモーツァルトの41番との間には類似している点がある ちなみにハイドンの48番の楽器編成だが
いちばんよく見られるのがティンパニ有・トランペット無だが
異版で、ティンパニ無トランペット無、ティンパニ有トランペット有での演奏もある
トランペット有が採用される理由はホルンパートが高すぎるため >>169
CPEバッハの鍵盤曲をピアノで弾いたのを聴いてみたけど、確かにハイドンっぽい音楽がある。なるほどハイドンのルーツがここだと言われて納得できる。
他はラモーっぽい曲もあったり彼の音楽はバロックと古典の過渡期の音楽だと感じたよ。
しかし、曲数が多すぎだな。鍵盤作品だけで、CD33枚って… CPEバッハは左利きだったので鍵盤以外の楽器はまともに弾けなかったらしい 伝聞には尾ひれがつくものだがな
千住真理子は左利き
(フレンチ)ホルンは左手で操作
左利きが鍵盤で右手のパートを弾くのは大変だと思わないかい聞き専君
コテつけてくれないかな君 てか、バイオリンは左手の方が微細な動きすると思うが
左利きは不利なのか? >>221
CD33枚?
BISのシュパーニのソロキーボード・ミュージックが
現在36巻めまで来ている そろそろ完結? >>218
48「マリアテレジア」
いちばんよくみられる??
異版でなく、ヨーゼフ・エルスラーの筆写譜1769では
トランペットとティンパニのパートは欠けていて
1770のキットゼー城の祝祭行事の際に補充したと考えられている
ホグウッドはこの時期の交響曲はすべて追加されたものと考え
ラッパと太鼓なしで演奏している。
この当時ラッパと太鼓はセットで
モツのセレナータノットゥルノのような
「ティンパニ有・トランペット無」の方が珍しいのではないか?? >>218
48「マリアテレジア」
いちばんよくみられる??
異版でなく、ヨーゼフ・エルスラーの筆写譜1769では
トランペットとティンパニのパートは欠けていて
1770のキットゼー城の祝祭行事の際に補充したと考えられている
ホグウッドはこの時期の交響曲はすべて追加されたものと考え
ラッパと太鼓なしで演奏している。
この当時ラッパと太鼓はセットで
モツのセレナータノットゥルノのような
「ティンパニ有・トランペット無」の方が珍しいのではないか?? >>218
48「マリアテレジア」
いちばんよくみられる??
異版でなく、ヨーゼフ・エルスラーの筆写譜1769では
トランペットとティンパニのパートは欠けていて
1770のキットゼー城の祝祭行事の際に補充したと考えられている
ホグウッドはこの時期の交響曲はすべて追加されたものと考え
ラッパと太鼓なしで演奏している。
この当時ラッパと太鼓はセットで
モツのセレナータノットゥルノのような
「ティンパニ有・トランペット無」の方が珍しいのではないか?? >>218
48「マリアテレジア」
いちばんよくみられる??
異版でなく、ヨーゼフ・エルスラーの筆写譜1769では
トランペットとティンパニのパートは欠けていて
1770のキットゼー城の祝祭行事の際に補充したと考えられている
ホグウッドはこの時期の交響曲はすべて追加されたものと考え
ラッパと太鼓なしで演奏している。
この当時ラッパと太鼓はセットで
モツのセレナータノットゥルノのような
「ティンパニ有・トランペット無」の方が珍しいのではないか?? ラッパと太鼓セットの件や
低音にチェンバロを加える
などのバロック的なこれまでの常識は
地域により通用しない。 >>216
つ「プフィツナー:ドイツ精神について」
モツはウンコ好きとかスカトロ趣味というよりは
ただ単に幼稚だった? ぷふっ >>220
いや根性ないやつに「ド根性・作曲家・ハイドン」の交響曲は演奏できないよ。
古い録音だとトスカニーニの「ホルン信号」みたいな感じでお願いしたい。 >>226
間違えてた。BISではなくヘンスラーの全集。
CD26枚だった。膨大なことには変わりないが。 ヘンスラーはモダン楽器とピリオド楽器の両方を使って
(なぜどちらかに統一せんのか)の新録音で…
大バッハとCPEバッハの全集を作ったことになるのかな
次は誰だ?
実はファイのハイドン交全もメモリアルイヤーに完成する予定が
延びに延びて、さらにファイの大怪我で大変なことになってまったな…
(それでもスカルラッティのソナタよりはぜんぜん少ないよ) >>233
モーツァルトの手紙のウンコ話は有名だけど、あの時代はけっこうあんな下品な事を書いてる人多かったって話もあるね。
パリの都会でさえ糞尿を窓から道中に捨てるくらいの時代だしウンコとか今より下品て感覚薄かったんじゃね? >>238
食事とウンコが同列なのな
ルイ13世、ルイ14世のウンコの話も記録に残ってる
ウンコしながら謁見したとかの話も
二人とも腸が弱くて健康面の見地から記録に残したってのもあるだろうが 衛生は非常に悪そうな時代なのに
楽しそうに生牡蠣とか食らってる絵画(ターフェルムジークによく使われる)
あるよね。
ろくな治療薬もなく平均寿命が今の半分くらい?
のんびりしてたようで案外せわしなかった世だったのかもなあ >>240
ていうか、モーツァルト自身も変な感染症で死んでるからな
あれ今なら抗生物質投与して安静にしとけば治る病気だろ そんな不衛生で平均寿命が短かった時代を考えればハイドンは長生きしたよな。
今の世の中なら元気な60なんていっぱいいるけど、その当時に60ではるばるロンドン渡って大活躍するとかタフすぎ。
馬車と帆船乗り継いで20日くらいかけてとか、若いやつでもキツいわ。 >>181
ショパンは作風からして古典、バロックの影響が顕著に現れてる。
例えばポロネーズなんかはバッハやクープランも多数残してるし..,。
ベートーベンやブラームス、マーラーらは晩年の後期作品にその傾向が現れているのに
ショパンはすでに若いうちから古典に目を向けていた
若くして胸を病んで夭逝したとはいえ..,。 >>242
ハイドンの渡英のきっかけは他ならぬ尊敬するヘンデルの影響によるものだった。
「天地創造」に代表されるオラトリオに進出したのもまさにその最たるものだし。
ヘンデル同様英国へ帰化することも考えたものの、結局断念した。
ウィーンに帰国後の1809年5月31日、ナポレオンが進軍する最中で大砲の砲撃の中に77歳で死去した。
国葬に準ずる形で葬儀が営まれたという。
ナポレオンや大陸軍の将兵らも偉大な大作曲家に弔意を表したと伝えられている。
ナポレオンもエスリンクの戦役で盟友ランヌ元帥らを失うなどその軍績に陰りが表れはじめた頃だった。 四季もヤーコプス盤で聴くとかなり面白い。
ハイドンの声楽曲は決してモーツァルトに引けを取らない。 モダン楽器演奏……モーツァルト>ハイドン
古楽器演奏……ハイドン>モーツァルト
のように聞こえる。
ハイドンの魅力はやはり古楽器演奏。
日本ではなかなか定着しないけど。 大学生の頃は聞いてたけど就職していろいろ聞いてるうちにハイドンの曲のしゃらくささに耐えられなくなってきたな
それ以降聞いてない >>246
モーツァルトに限らず
初期ロマン派ぐらいまでは
今さらモダンで聴く事はないけどな。
慣れない人はしょうが無いと思うけど。 >>246
単純にハイドンは古楽器演奏が定着してきた最近になって聴き始めただけなんじゃないの?
一方、モーツァルトはレコード時代からモダン楽器演奏に親しんできていて刷り込まれてるんでよ。 モダン楽器演奏というより弦楽器の人数が大勢だと
ハイドンの初期・中期の交響曲は演奏に向いてないのでしょう。
速いパッセージでずれやすい、
(今日的な)シンフォニックな大音量の必要がない、
シンプルな管とのバランスなどの理由からです。
パリ以降の交響曲なら当時のオケも現在の室内管規模であり
モツ同様にモダンオーケストラによる録音もそれなりにあるわけだが…
なによりハイドンの1768年の手紙には
「私は六人のヴィオローネと三人のチェロで演奏されるよりも
チェロとファゴットとヴィオローネ各一人ずつの
三人で演奏されるバスの方が好きです。
なぜなら(重い編成では)、あるパッセージが明瞭に
聴こえてこないからです」と述べている
ジェームズ・ウェブスター(平野昭・訳) >>248
かなり特殊だぞ、それ?
オールベートーヴェンソナタプログラムのコンサートでも
楽器がフォルテピアノじゃないと行かないのか? >>251
なので、滅多に聴きに行かないよね。
それ以降になればだいたい楽しめるんだけど。 まあでもロト&シエクルのハルサイなんて生で聴いてみたかったな
ヨーロッパでも100人以上のニケのヘンデル王宮花火や
20世紀初頭ものなどは、まだまだ珍しいんとちゃうか? >>253
音楽は基本的にライブで聴くもの
CDなんてのは疑似体験 >>255
そうだけど、その曲で1回でも
いいと思える演奏を聴ければそれでいいや。 ピリオドの実演は聴いた時はないが、録音でいうなら
ハイドンであっても音色としてはモダンの方がいいよ。
アンサンブルなら聴けるが、ソロになった時にピリオドの音は貧相で巷で言われているよりも表情に乏しい。
ピリオドの弦楽四重奏とかモノトーンな音色、リズムの緩さなどで観賞のために聴くのが辛い。
ただ、音色的にはモダンであっても昔の大編成、ビブラートたっぷりは好みではなく、最近のピリオド奏法を取り入れたものの方がすっきり聴ける。 ハイドン・・・電脳少女シロ
モーツァルト・・・月ノ美兎 スレチであんまり関係ないかも知れんけど、CDショップにあるクラシックの演奏家って、故人が圧倒的に多いのだろうね。聴きに行く事が出来る人は余り無いのかなぁとか思って。 >>257
>アンサンブルなら聴けるが、ソロになった時にピリオドの音は貧相で巷で言われているよりも表情に乏しい。
>ピリオドの弦楽四重奏とかモノトーンな音色、リズムの緩さなどで観賞のために聴くのが辛い。
それはあなた個人の感想であって、私はそうは感じない。
室内楽もピリオドの方が好きだし。
さすがにチェンバロと小編成オーケストラという編成のチェンバロ協奏曲のコンサートでは、録音とは違いチェンバロの音は貧弱に聴こえたが。
>>257は単純に古楽器ヴァイオリンが嫌いなだけなのだろう。 >>257
古典調律に慣れちゃうと
モダンのソリストの3度の音程がどうしても我慢できないんだよね。いくらなんでも高すぎる。
でも後期ロマンくらいになると気にならなくなるから不思議。 そいつは不幸だわ
古典派の名手の演奏が気持ち悪く聴こえるんだろ >>262
257だが、ピリオドのヴァイオリンの音が嫌いというよりもチェロも嫌いなので、ピリオド弦楽器が嫌いなのかもしれない。
シューマンの時代楽器による室内楽を聴いても、どうしても音自体に魅力を感じない。
ただ自分がちっともいいと思えない、フェステティチ四重奏団のハイドンカルテットが最高と言っている人がいるのも知っているし、 その意見は尊重するつもり。
---------------
間違えて途中で送信してしまった。 >>262を書き込んでおいて何だけど、ピリオド好みとモダン好みの人同士でオレはピリオドが好き、モダンが好き
なんて話し合っていても何の生産性もない事だと思うから辞めませんか?
こういうのって続けると感情的になって他人の趣味や愛好にケチを付ける醜い事態になる恐れがあるから。 ハイドンは贋作のオンパレードだけど
モーツァルトで贋作説って噂は聞かないな >>268
かつて交響曲第37番とされたものはミヒャエル・ハイドンの作品。 >>264
極個人的な楽しみ方だけど、
名手の演奏が聴きたいわけじゃないからね。
ルネサンスから現代まで全て素晴らしい演奏する人がいるとも思ってないし。
いいと思える演奏ならなんだっていいわけよ。 フェステティチってあまりピリオド奏法を意識してないよね
ザロモンQ、クイケンQや新しい団体のロンドンハイドンQなら
ピリオド楽器で奏法も意識して演奏してるが・・・
モザイクQはその中間くらいって雰囲気。 >>268
ケッヘル第6版で「KV Anh」ってあるのが贋作または疑わしいとされている モーツァルトでは偽作の疑いがかけられている管楽器のための協奏交響曲が好きだ。
ハイドンの作品3もそうだが、偽作というだけて、ピリオド演奏の録音がまったくないというのは非常に残念。
どちらもどこかで古楽器で録音してくれないかな。 パート譜は真作で伴奏は他人の作曲らしい
という
いわく付きの名作だが
この曲はモダン楽器の名盤もわりと多いけど
ハイドンのフェルトパルティなんてブラームスが主題にした
有名な曲が偽作だったおかげで
他の真作すら録音が少ない。ピリオドになるとさらに少ないね。
かつては偽作だけを集めた企画もあったけど
そういった企画はどんどんやるべき。
録音のように後に残すものを作る場合、
演奏の質もだが企画力も重視されるべき。 先日モーツァルトのピアノソナタ全集で、Martino Tirimoってピアニストの全集を聴いたのだが、初めてモーツァルトのピアノソナタって結構いいなと思える演奏に出会えた。
有名な内田光子やピリスの演奏を聴いても、いいと思わなかったのだが、これは何度も聴き込んでみようと思う。
どこが違うと言われると難しいのだが、マルティーノ?の演奏は初期のベートーヴェンのように演奏していると感じる。たがら7番以降は特にベートーヴェンのつながりを感じさせる。
(念の為書いておくが、ベートーヴェンの初期も傑作)
今までのモーツァルトの演奏に感じた、1音1音はっきりと弾くような弾き方がどうも自分にはよく思えなかったようだ。
ハイドンのソナタも、最近は色々な演奏が出ていて、それぞれ独自の魅力がある。モーツァルトも正しい、正しくないというよりも音楽に魅力があるかどうかを求めたい。 ルイジ・ボッケリーニ - Luigi Boccherini (1743-1805)
交響曲第17番 ハ短調 Op. 41 G. 519
Symphony No. 17 in C Minor, Op. 41, G. 519
交響曲第18番 ニ長調 Op. 42 G. 520
Symphony No. 18 in D Major, Op. 42, G. 520
交響曲第19番 ニ長調 Op. 43 G. 521
Symphony No. 19 in D Major, Op. 43, G. 521
交響曲第20番 ニ短調 Op. 45 G. 522
Symphony No. 20 in D Minor, Op. 45, G. 522
新ベルリン室内管弦楽団 - New Berlin Chamber Orchestra
ミヒャエル・エルクスレーベン - Michael Erxleben (指揮)
http://www.youtube.com/watch?v=hwrfzCsJF4w ボッケリーニの交響曲はやや上品なきらいがある
ボッケリーニの真骨頂はやはり室内楽 「ボッケリーニのメヌエット」は偽作じゃないんか
なんか「ハイドンのセレナーデ」のおかげで
その一曲だけがアンコールピース的な
一人歩きしてるような曲ってなんか偽作の香りが ボッケリーニの弦楽五重奏、ブリリアントで出ている選集10巻まで聴いたけど、全体的にクオリティが高い。(唯一、7〜8巻辺りの三曲だけの作品は少し落ちると思った)
ハイドンの弦楽四重奏と同じように、金字塔として扱われないのが不思議なレベル。 モーツァルトのケッヘル番号はたびたび改訂によってコロコロ変わるので目が離せないけど
ハイドンのホーボーケン番号は実に単純明快で分かりやすいよね。
たとえば、交響曲第55番「校長先生」なら
交響曲はhob-1
あとは第何番、55番とそのままリンクして
hob-1=55とすぐわかる。 ホーボーケン番号はモーツァルトのケッヘル番号とバッハのBWVの間を取って考案された
ケッヘル番号とBWVを同じように考える人が多くて混乱する人が多かったんで
ケッヘル番号は基本的に曲種によらず作曲順だが、BWVは下から3桁以上が曲種別の大分類、下2桁がほぼ作曲順 BWVは、1900年に完結した旧バッハ全集用の研究を基本資料としつつ、それからの50年間に発見された新曲を組み込んだもの
1950年から始められた新バッハ全集の編纂作業の途上で判明した、作品の成立年代や真贋鑑定、さらには分類の見直しなどの最新の研究結果が反映されていないのはやむを得ない ハイドンのホーボーケン番号についてあえて言うなら
交響曲はたまたま問題ないが
弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタになるとホーボーケン番号と通例の番号がずれているため混乱するという問題が
ピアノ・ソナタ第62番 変ホ長調 Hob.XVI:52 (第52番) など ピアノソナタについてはホーボーケンを基準にしたほうがいい そういった混乱はないけど
作曲年代はかなりあやしいものがあるやん交響曲は
目立つのは40番と72番はわりと初期の作品で
30番台にもかなり初期作が混じっている。
番号順収録のCD全集をそのまま番号順で聴いてる人の中には
多作も手伝ってつかみどころがなく思っていそう… 37番が実質1番なんだっけ
65番は茶目っ気があって好きだけど疾風怒濤期より前なんだよね #65は自筆譜消失のため正確な作曲年はよくわからないらしい
ランドンは1772-73と推定しているが
ウェブスターは疾風怒濤・初期より少し前のc.1765-68としているね
そういったところもおもしろ過ぎるぜハイドン。 65番は好きなところが色々あるけど第1楽章の第1主題をあえて明確にしない所が好き
経験積んだプロの作曲家があえてこういう習作っぽい出だしにしてるのは色々考えてのことだろうと
展開部が好きなのよ デレク・ソロモンズ指揮レストロ・アルモニコ
http://www.youtube.com/watch?v=SeayOyYCAJQ
この曲に限らないが、ハイドンの交響曲はホルンに絶対の信頼を置いて作られてると感じる >>292
モーツアルトのクラリネット協奏曲もそういう動機だな 昔の音楽はほとんどそうやん
大バッハの超高音ラッパなんて
命がけの高音パッセージを吹く奏者がいたらこそで
大戦後しばらくはそんな技巧はピストンがついたモダンラッパでも
モーリスアンドレとジョンウィルブラハムくらいしか吹けなかった 65番の特徴としては他には、
第2楽章におけるヴァイオリンの執拗な同音反復、
第3楽章における奇妙な複前打音とヘミオラの多用。
第4楽章でも引き続き奇妙な複前打音が多用されている。 第4楽章展開部のヴァイオリンパートの楽譜見ると
8分音符を細かに分割した複前打音は32分音符や64分音符のオンパレード。
実際の演奏ではちょっとごまかして前倒しするしかなくて
楽譜に忠実にやろうとPC入力などしてしまうとそれはそれで味気ないというか そういやモーツァルトって、クレメンティとかサリエリとか同時代の音楽家を扱き下ろしてる手紙とか残ってるけど、ハイドンの事を悪く評してるのは残ってないよな?
いくら親友だったとしてもモーツァルトの場合は少しは毒づいてそうなイメージだけど >>298
ハイドンは無条件に認めてたんだよ
彼にしか見えないものがあったのだろう
逆に言えばモーツアルトは嫉妬とか敵意とかでなく
純粋に音楽的観点からこき下ろすべき相手はこき下ろしてた、ということになるが モツって目上の音楽家にはニャンゴロこびへつらって
自分と年齢の近いライバルにはめちゃ手厳しいよな >>300
この時代に媚び諂うべきなのは雇い主に対してであって
同じ雇い人に過ぎない目上の音楽家ではないが
モーツアルトは少なくともコロレド大司教に対しては無礼だったよな ハイドンは逆に
モツ、クラウス、ドゥシークら子世代の才能に
惜しみなく賛辞を送ってそこから学ぼうとさえする姿勢を感じる。
青年期に辺境の地でいかに外界からの音楽的刺激が少なかったか
うかがい知ることができるね。 >>302
ベートーヴェンとハイドンは気が合わなかったんだっけ?
師弟関係ではあるけど ある作曲家がハイドンの曲について「俺ならこんな風に書かないのに」と揶揄した時にモーツァルトが
「私だってそうです。けれども、それがどうしてかお分かりになりますか?
あなたや私にはこんな素晴らしい考えは思いつかないからです。」
と返したという話
また、ある作曲家がハイドンの四重奏曲の批判をした時にモーツァルトが
「私たち二人がいっしょになったところで、一人のハイドンには遠く及びませんよ。」
と返したという話
昔これらの話を読んだ時はある作曲家の名前がコジェルフと書かれていたように記憶してたが今記事探しても見つからないんで違ったかもしれない >>302
ハイドンはパパモツに対して、息子さんは私が知る限り最高の音楽家だと褒めてるね。
子世代のモーツァルトらから影響を受けてるだけでなく、孫世代のベートーヴェンから影響を受けてると指摘されてる作品もあるのを考えればハイドンって、良いものは良いときっちり認めて柔軟に取り込む器があったんだろうね。
>>303
交流のあった人達の評だとハイドンの性格は、誰とでも親しくなれるような社交的で人柄の良い頼れるおじさんって印象みたいだし、そんな人でもベートーヴェンみたいな癇癪持ちで気難しいタイプと打ち解けるのは難しかったんだろうね。
あと、せっかく弟子入りしたのにハイドンが多忙でまともに教わる事が出来なかった事を苛立ってたと思う。 ガキ時分の旅巡業で各地の音楽を吸収しただろうモツも
さすがに辺境地のハイドンには逢ってなかったわけで
これが双方にとって良い結果になったといゑやふ
ベトはせっかちで思慮深くないキャラなので
勢い余って自分から離れていったんだと思うが
礼儀で作品2の3つのピアノ・ソナタを献呈してるだけエライと思うよ。 ハイドンの弟がレオポルド・モーツアルトの同僚だけど、
これはたんなる偶然なのだろうか? ザルツブルクつながりやね。
音楽家として兄ヨーゼフより先に出世して
順風満帆だったようだが
父モツと弟ハイドンそしてロンドンのバッハは
ヴォルフガングの陰に隠されてしまって
演奏・録音の機会になかなか恵まれないね。
かろうじてロンドンのバッハはハノーヴァーバンドによる
まとまった録音があるけれど。 >>300
べつに年齢や地位関係なく良い物は良い、悪い物は悪いと言うだけの忖度しない人間なんでしょ。
だから出世するタイプではないんだろうが。
逆に同じ年生まれのトーマス・リンリーなんかは高く評価している。
ウィキより抜粋
↓
モーツァルトは後年、友人のテノール歌手マイケル・ケリーに次のように語っている。
「リンリーは真の天才だった。もし生きていれば、音楽界の最大の誉れの一人になっていただろうに。」 ベートーヴェンはハイドンの死後に「偉大な作曲家」と敬意を表してるよ
なんたって、交響曲や弦楽四重奏曲といったそれまでマイナーだった曲種を切り開いた先達だからね 交響曲と弦楽四重奏曲が無かったら、ベートーヴェンもここまで有名になってない ラファさんってうっすらとヒントを残してレスするあたり天才かと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています