モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い 19
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前スレ
モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い 18
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>484
あなた、本気でそんな小学校みたいな事を書いてる?だとしたら、わたしの書いた事は永遠に理解不能でしょう。可哀想に。
もう一度書きましょうか?
「ベートーヴェンにとっては、聞こえる音なんて詰まんないですよ。聞こえないんです。音は聞こえないんです、あの人には。
あの人はぜーんぶ精神で音を聴いているんです。
こーゆー世界って言うのは恐ろしい事ですよ、僕らには分からないですよ。
僕はね、アインシュタインを読んでいて、ヴェルディを論じてる、あんなメロディストはないですよ、しかし、あれほどメロディ−を嫌った人は無いと。
ベートーヴェンと同じ事でしてね、聞こえてくる音ってものはねえ、神経質なればどうしようもないものです。どうしようも無いものになるもんです。
しかしねえ、音楽ってものはねえ、ああそんなものじゃあありません、そんなものじゃあありませんよ。
音楽ってものはねえ、音なんてえつまらねーモノものじゃあ無いんですよ。
だから、聞こえてくる音楽の裏のほうに本当の音楽はあるんです。そう言うものが無ければ音楽は聴けません、そりゃあもう絶対に聴けません」
リヒテルの弟子?
リヒテルなんてピアニストには全く関心は無いし、CDも一枚も所有してませんよ。
別を当たってくださいな。 なりすましだったんだな
だらだらした長文に品がないと思ってた >>491
今日はCT.撮影の為、仕事は空けました。
☔が続き、蒸し暑いのやら、半袖では寒いのやら変な天気ですねえ。
本日(9/27)の予報では、日曜日(9/30)の深夜には台風24号(チャーミー)が東京に最接近するとか。
早く絹雲たなびく秋の空気に包まれたいものです。
こんな天気ですから、モーツァルトの音楽の中で、わたしが一番ご機嫌な時に掛ける曲
「ピアノ協奏曲15番(k.450)3楽章」
をリピートを掛けてかれこれ小一時間聴いております。
k.482 3楽章と曲想は似ておりますが、音楽としてはk.482 3楽章のほうが上(モーツァルトに聞いても即座にそう答えると断言します)ですが、ご機嫌さだけをとれば、k.450でしょう。
この曲に限り、わたしはフォルテピアノ使用のインマゼール盤を好みます。
ノリントンやインマゼールはピリオド奏法との事だが、この曲に限り、愉悦感がピッタリです。
ノットやヤーヴォは現代を代表する指揮者だが、彼等はピリオド奏法ではないですねえ。
ヤーヴォは諏訪内さんのシベリウスの実演を聴きましたが、現代奏法でしたし、
ノットもEテレで放送されたブルックナー交響曲9番は現代奏法だった。
現代指揮者にも色々といるんですねえ。
ベーム、カラヤン、マタチッチ、スィトナー、サヴァリッシュ(所謂マエストロと呼ばれる指揮者で実演を聴いたのはこの辺り)無きあと
指揮者で聴きに行く演奏会、無くなりましたね。
今は専ら、「至近距離で聴くドルフィン、デュランティ、レカミエ→ヨアヒムのほうが良かった(10インチモニターGoldはこれらを生音さながらに再生する)です。
五嶋みどり女史の「エクス・フーベルマン(こちらはグァルネリ/SACD:Encore トラック1がモニターGoldが奏でる最高の耳のご馳走)」が揃えばもう十分です。 >>493
本人からして品格はないがな
らしい言葉を並べても上滑りしてるだけだし >>500
では、ラファエロは仕舞い。
コテはその都度変えましょう。トリップ無しで。
ご苦労さまです。 ポケラジの荒らし
空疎な空想
とかいいんじゃないすか >>502
今日はCT.撮影の為、仕事は空けました。
☔が続き、蒸し暑いのやら、半袖では寒いのやら変な天気ですねえ。
本日(9/27)の予報では、日曜日(9/30)の深夜には台風24号(チャーミー)が東京に最接近するとか。
早く絹雲たなびく秋の空気に包まれたいものです。
こんな天気ですから、モーツァルトの音楽の中で、わたしが一番ご機嫌な時に掛ける曲
「ピアノ協奏曲15番(k.450)3楽章」
をリピートを掛けてかれこれ小一時間聴いております。
k.482 3楽章と曲想は似ておりますが、音楽としてはk.482 3楽章のほうが上(モーツァルトに聞いても即座にそう答えると断言します)ですが、ご機嫌さだけをとれば、k.450でしょう。
この曲に限り、わたしはフォルテピアノ使用のインマゼール盤を好みます。
ノリントンやインマゼールはピリオド奏法との事だが、この曲に限り、愉悦感がピッタリです。
ノットやヤーヴォは現代を代表する指揮者だが、彼等はピリオド奏法ではないですねえ。
ヤーヴォは諏訪内さんのシベリウスの実演を聴きましたが、現代奏法でしたし、
ノットもEテレで放送されたブルックナー交響曲9番は現代奏法だった。
現代指揮者にも色々といるんですねえ。
ベーム、カラヤン、マタチッチ、スィトナー、サヴァリッシュ(所謂マエストロと呼ばれる指揮者で実演を聴いたのはこの辺り)無きあと
指揮者で聴きに行く演奏会、無くなりましたね。
今は専ら、「至近距離で聴くドルフィン、デュランティ、レカミエ→ヨアヒムのほうが良かった(10インチモニターGoldはこれらを生音さながらに再生する)です。
五嶋みどり女史の「エクス・フーベルマン(こちらはグァルネリ/SACD:Encore トラック1がモニターGoldが奏でる最高の耳のご馳走)」が揃えばもう十分です。
右下のIDは如何ともし難いようですね。
別にどうでもよいけど。 >>504
右下のIDも同じになったら
驚いて差し上げます。 >>506
右下のID
違いますねえ。
さあ、どうしましょう? >>507
あなた、本気でそんな小学校みたいな事を書いてる?だとしたら、わたしの書いた事は永遠に理解不能でしょう。可哀想に。
もう一度書きましょうか?
「ベートーヴェンにとっては、聞こえる音なんて詰まんないですよ。聞こえないんです。音は聞こえないんです、あの人には。
あの人はぜーんぶ精神で音を聴いているんです。
こーゆー世界って言うのは恐ろしい事ですよ、僕らには分からないですよ。
僕はね、アインシュタインを読んでいて、ヴェルディを論じてる、あんなメロディストはないですよ、しかし、あれほどメロディ−を嫌った人は無いと。
ベートーヴェンと同じ事でしてね、聞こえてくる音ってものはねえ、神経質なればどうしようもないものです。どうしようも無いものになるもんです。
しかしねえ、音楽ってものはねえ、ああそんなものじゃあありません、そんなものじゃあありませんよ。
音楽ってものはねえ、音なんてえつまらねーモノものじゃあ無いんですよ。
だから、聞こえてくる音楽の裏のほうに本当の音楽はあるんです。そう言うものが無ければ音楽は聴けません、そりゃあもう絶対に聴けません」
これが効いた?
右下のID、どうしましょう? 効いた効いた
笑いが止まらん
クソ耳の言い訳にベートーヴェンもってくるというベタなこじつけにな >ベートーヴェンにとっては、聞こえる音なんて詰まんないですよ。聞こえないんです。音は聞こえないんです、あの人には。
あの人はぜーんぶ精神で音を聴いているんです。
ベートーヴェンは怒り狂うだろうと断言できます >>510
>効いた効いた 笑いが止まらん
いつかは止まるでしょ?止まらなかったら死んじゃいますよ(笑)
現在活躍中のアーティストに限れば
私はストラドの音をこよなく愛する者でして
(1)ドルフィンの諏訪内晶子
(2)ガット弦に拘るデュランティの千住真理子
(3)レカミエの庄司紗矢香(ヨアヒムのほうが私の好みには合ってました)
ですかね。
諏訪内さんとは2000年以降楽屋に入れる、真理子さんとは彼女が小学6年生の頃からの知り合いです。
ここ10年間ほどでの1つのエピソードとして
2006年八ヶ岳高原音楽堂にてデュランティのお披露目公演に招かれたのですが、まだまだ手探り状態でした。
翌朝の朝食を共にし、「10年後にはデュランティ本来のまだ秘められた音を出しす」と約束し、2016年7月16日(土曜日)の演奏会に招かれた訳です。
なんと「真理子さんが恋をした勝負曲であるヴィターリのシャコンヌ」をプログラムに入れてきた。
キララホールの中央席は16/17席なのですが、ヴァイオリニストとの至近距離(2mほど)になる最前列A列14番で聴きました。
私がG線の音を好む為、プログラムの1曲目にバッハのG線上のアリアを置いてくれました。ガット弦のしなやかで深い音に聞き惚れ、ヴィターリのシャコンヌを聴き、「10年後の約束を果たしたね」 と、彼女にそう言いました。
諏訪内さん&エンリコのモーツァルトk.305/フランクのヴァイオリンソナタも
2016年4月14日(木曜日)に、同じキララホール最前列A列14番で聴きました。楽章の間にアイコンタクトを取るだけで演奏中は100%目を閉じ、心を耳と化してドルフィンの音を堪能いたしました。
キララホールは東京のかなり西部にあるのですが、大変音が良く(収容人数700名にしては天井も高く、内部は凹凸のある石作り)、私が出向くホールは1時間で行ける範囲と言う原則にも合致してます。
右下のID、これは無理なようですね。 ロッシーニ弦楽のためのソナタ
モーツァルトっぽくていいな ストラドだろうとグァルネリだろうと音だけで聞き分けることは専門家(当のヴァイオリニストも含む)にもほぼ不可能らしい
全くかわらないってことはそりゃないだろうけどある程度以上の楽器を一流の奏者が弾けば奏者の個性に埋もれてしまうほどの違いしかない
だったらなんだってウン千万から億までの大枚はたかにゃならんのかってことになるけどまさにその大枚はたかないと手に入らない希少な楽器という事実が重要なんだと思う
こーゆー言い方があんまり過ぎるというなら金というのを名前と言い換えてもいい
ストラドがいい音を出すのではなくストラドはいい音を出すとされているからその楽器に自分が相応しいという自信が持てる奏者であれば本当にいい音を出す >>511
お前さんには こう言う文章↓は書けない。
経験そのものもないから。
わたくしが、モーツァルトの次に愛している(ベートーヴェンは「愛している」と言う表現は相応しくなく、「尊敬し感謝している」と呼びたいです。
無論ソフトの数もモーツァルト7割/ベートーヴェン2割/1割がブルックナー、ブラームス、ショパン、シベリウス、バッハその他)のがヴィヴァルディだと言うのがヴィヴァルディだと言うのも
ヴィヴァルディもまた、モーツァルトの音楽の本質である(とわたくしが思っている)コンチェルタントな音楽であるからかも知れない。
特に愛してやまないのが
『ヴィオラ・ダモーレ協奏曲』
『ラ・チェトラ』
その中でもRV397を、ついでRV394を殊更愛しております。
ヴィヴァルディにはモーツァルトとは全く異なる哀愁と気品があり、RV394 2楽章を聴いていると
若かりし頃、雪に閉じ込められ、清里、清泉寮、スィートルームにて、16歳の滝川クリステル似の少女と一夜を過ごした(罪な関係は持ちませんでした)思い出が蘇ります。
翌朝、2人で肩を寄せて、窓からじっと見つめた雪景色、脳裏に流れてきたのが四季の冬1楽章。
ショパンから2曲選べと言われたら
ノクターン20番嬰ハ短調
バラード1番
とすれば、ヴィヴァルディから2曲選べと言われたら
ヴィオラ・ダモーレ協奏曲より
RV397(特に1楽章)
RV394(特に2楽章)
そうなるでしょう。 ヴィヴァルディのラ・チェトラOp.9はもはや古典派音楽ともいえるところが意味魅力だけれど
やや形式ばったところが難点
ラ・ストラヴァガンツァOp.4のような自由で攻めた音楽ではない
個人の感想です カラヤンええやん
イエスキリスト教会でのセッションも買おうかと思っている
後期交響曲 ×意味魅力
○ある意味魅力
ちゃんと推敲して書き込みしなきゃ ショパンやビバルディは聞かんな
もう卒業した
わしのレベルでは、プロコくらいまでかな カラヤンの演奏は、モーツァルトにしろベートーヴェンにしろ、よく聴くと、楽譜に極めて忠実な演奏をしている事が分かる。特にベルリンフィルとの演奏で顕著になるカラヤン特有の官能的な音から受ける印象とは異なり、原点のスコアを尊重している。 >>516
トリップは真似られても、右下↘のIDは真似出来ないようですね。
昨夜は珍しく0時前に寝入って了った所為か、わたしは10代の頃から睡眠時間は5〜6時間で十分でしたので、目覚め、寝室のベランダに出てみたら、オリオン座とシリウスが目に飛び込んできた。
空が澄み渡り久し振りの星空、今日(9/28)は待ちに待った今年2回目の秋晴れが期待出来そう。
ヴィヴァルディは ヴィオラ・ダモーレ協奏曲の2曲
ラ・チェトラから数曲
四季の夏〜冬
と
調和の霊感から2曲(RV522/RV580)
があれば、わたしは十分です。
調和の霊感ではRV580の1楽章(3楽章も素敵だが)には抗しがたい魅力があり、10代に初めてこの曲を聴いた時の衝撃は、それは新鮮なものがあった。
無論LP時代だが、記憶ではシェリング盤を愛聴していたように思う。
まだ、少女時代の細君にこの曲の雰囲気があったので、9歳も年下であるので、その時は気付かなかったが、もしかしたら、わたしよりも素性は上品なのかも知れない >>523
やはり今年二度目の秋晴れになりましたね。この空の蒼、少年の頃から好きだった。
中2〜高2にかけて、毎年夏休み、奥多摩の鷹巣山(標高1750m程、頂上に木は無く360度の展望が開ける)に双眼鏡/望遠鏡を持参し登ったものだ。
目的は、新月前後の1週間程避難小屋に滞在し、天の河を見ること。その素晴らしさは筆舌に尽くしがたく、10年ほど前に立山室堂で天の河を見たが薄らとと見えるだけで、鷹巣山で見た天の河の鮮やかさには到底及ばなかった。
一頻り、ヴィヴァルディを聴き 、この30分間、これも久しぶりに
「ピリスのショパン ノクターン20番嬰ハ短調」 を聴き続けている。
ベスト盤は「アリス・紗良・オット盤」だが、その前まではピリス盤がベスト盤であった。
ピリス盤を改めて聴くと
ピアノが打楽器である事をしみじみ感じさせられる。
モニターGoldならではの、これは発見であり、なればこそ、ドルフィンの悪魔的な艶、デュランティのガット弦のG線の感触が再生されるのだ。
1年間ほど所有していた「ハーベスSHL5/7ES3」では到底この発見は出来なかった。
それ以外のスピーカーで食指が動いたスピーカーに「ソナス クレモナ」があったが、人工音丸出しのB&W802Diaよりは余程雰囲気はモニターGoldに近いが、やはり楽器の音ではなく、それはスピーカーの音であった。
この曲も弾きたいのだが、最後のアルペジオが私には無理だと諦めている。 >>525
目を通すつもりなら99%引きで読むべし
スルー力検定だから普通は読まない
気になって仕方ないならスレは放棄して別に建てるのが吉で
既にそうした方が良さそうに思われるが
ここで400レス以上隔離できる
相手するなら徹底的に叩くこと >>527
典型的な自己愛性人格障害者の戯れ言だからねぇ >>527
>相手するなら徹底的に叩くこと
やはり、それが目的ではないですか。
わたしは「事実をありのままに」に書いているにすぎません。
「長すぎる」「スレチになる傾向が多い」
この2点については認めます。
>相手するなら徹底的に叩くこと
まるで不良少年かパワハラ上司の発想そのものですね。
おお怖 顔が。 >>530
わたしは、「事実をありのままに」
「意見/見解は思った通りに」に書いているにすぎません。
いずれにしろ、このスレッドに書き込みを開始した動機である、皆さんが必死にスルーしていた『文字荒らし』は去ったようですから、ミッションは果たせたかと。
また出て来たら、別のコテで、迫り来る台風24号チャーミーの如く、掻き回しに参ります。
それまで暫し退出いたします。 >>528
パーソナリティ障害と言わせることを含めてすべて織り込み済みの荒らし
半端な相手の仕方ではかえって喜ばせるだけ
徹底というのはそういう意味で おばちゃんの楽しみは、書き込みくらいなんだから
許してやってよ ロッシーニの弦楽のためのソナタに はまってしまった 「僕はハイドンの音楽もなかなか好きだ。形式の完備整頓、表現の清らかさという点では無類である。
併し、モーツァルトを聞いた後で、ハイドンを聞くと、個性の相違というものを感ずるより、何かしら大切なものが欠けた人間を感ずる。
外的な虚飾を平気で楽しんでいる空虚な人の良さと言ったものを感ずる。この感じはおそらく正当ではあるまい。
だが、モーツァルトが僕にそういう感じを目覚ますという事は、間違いない事で、彼の音楽にはハイドンの繊細ささえ外的に聞こえる程の驚くべき繊細さが確かにある。
心が耳と化して聞き入らねば、ついて行けぬようなニュアンスの細やかさがある。一と度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、もうモーツァルトを離れられぬ」
(小林秀雄)
 ̄"`''-,__, --‐‐-.. "やっぱ、モーツアルト最高" ,
/ 、゙ヽ、 ‐-'´ ヽ‐- / / ヽ
,/´ .., ヽ,,l_)' zェェェァ' ;rfァt ヽ ,ト/ / ヽ
/ ヽ,r' ,l′ _,,, . __,, ,l゙.-〈__r,'、 ヽ_
_.l ヽ」 ,l .イてソ` l イにj`,/ ゙‐ヽ、_,, /l
,l l| −'´ll ,l rソi" ヽ じ'' f゙l .,//゙l //\
l`l| l|ヽ v'⌒ヽ .,ノ j/ |l // }
l \ l| ,l l_U> r‐--‐ァ ,l |,l // l
/ '\ l|`l ゝ_,´ ゙ヽ__r′ .,.' ___l ヽ // |
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| ヽl | ,| .ヽ \ //ヽ ,| ,l
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l ,l ヽ \// l \ / 「誰でもモーツァルトの美しいメロディーを言うが、実は、メロディーは一と息で終わるほど短いのである。
或る短いメロディーが、作者の素晴らしい転調によって、魔術の様に引延ばされ、精妙な和音と混り合い、聴く者の耳を酔わせるのだ。そして、まさにそれ故に、それは肉声が歌う様に聞こえるのである。
モーツァルトの器楽主題は、ハイドンより短い。ベートーヴェンは短い主題を好んで使ったが、モーツァルトに比べれば余程長いのである。
言葉を変えれば、モーツァルトに比べて、まだまだメロディーを頼りにして書いているとも言えるのである」
(小林秀雄)
 ̄"`''-,__, --‐‐-.. "やっぱ、モーツアルト最高" ,
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l ,l ヽ \// l \ / 「主題的器楽形式の完成者としてのハイドンにとっては、形式の必然の規約が主題の明確性を要求したのであるが、モーツァルトにあっては事情は寧ろ逆になっている。
捕らえたばかりの小鳥の、野性のままの言い様もなく不安定な美しい命を、籠の中でどういう具合に見事に生かすか、というところに、彼の全努力は集中されているように見える。
生まれた許りの不安定な主題は、不安に堪え切れず動こうとする、まるで己を明らかにしたいと希う心の動きに似ている。
だが、出来ない。それは本能的に転調する。若し、主題が明確になったら死んで了う。或る特定の観念なり感情なりと馴れ合って了うから。
これが、モーツァルトが守り通した作曲上の信条であるらしい」
(小林秀雄)
 ̄"`''-,__, --‐‐-.. "やっぱ、モーツアルト最高" ,
/ 、゙ヽ、 ‐-'´ ヽ‐- / / ヽ
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l ,l ヽ \// l \ / 小林秀雄のコピペや受け売り延々とレスして悦に入ってた人。
彼がモーツァルトやベートーヴェンを語るのは、逆上がりもできない運痴が内村航平の鉄棒の演技を語るより、もっと圧倒的な分不相応。
ある意味面白い。 小林秀雄の文章は、音楽評論では無く文学作品として評価されているもので、モーツァルトの音楽の本質とは掛け離れた、主観的なもの。
聞き専クラオタの知ったか評論に通じるものがある、これを引用するなど、お笑いとしか言い様が無いねw 2ちゃんに、他人の文章を引用するだけなのは、意味がない・・・と思う
感じ方は、人それぞれだと思うけど、多くの人が感動するということは
人間共通の感情に訴える響きがあるんだろうね・・・・・・当たり前か
しかし、それがどんどん変わっていくのも、仕方がない事実ではある 何か意味がありそうだけど何も言っていないが
理解したふりをすると偉そうに見える文章を書くと
自分を偉そうに見せたがる馬鹿が沢山釣れる、
ということを実証してみせた偉大なる釣り師が小林秀雄先生
ノーベル文学賞を与えても良いと思う 小林秀雄の半分は、はったりかも、俺の理解力不足かも、小林も理解していないのかも、小林の筆力不足かも、と言うモヤモヤで成り立っているが、残り半分は大変分かりやすく滅多に無い無い名文だろう。俺にとってのモオツァルトもまたそんな感じ。 司馬遼太郎は歴史学者では無いし、ロマンロランは音楽家でも演奏家でも無い、小林秀雄もまた然り。
だからと言って作品の価値が減じる物では無い、寧ろそれにも関わらず多くの読者を惹きつけた、その文才は凄いんだろう。
俺はあんまり好きでは無い、何故ならモーツァルトの音楽に無用の先入観を植え付けてしまうから。 モーツアルトの秘密教えちゃうよ
旋律のひとくさりの数を数えるんだ。例えば1小節単位とか2はく単位
とかで。そうすると
5 4 3 2 2 とか
7 6 5 6 とか
そんな不規則な感じだけど、全部足すと8の倍数になっていて
全体としては座りが良いが、常に長さが揺れている。面白いことに
不安定なままほっとかれてることもある。
クラリネット協奏曲やらピアノ協奏曲、後半の交響曲の
そこかしこにある。
ベートーベンにこういうのはない。チャイコフスキーは
この秘密に気づいてた見たい。ビバルディもやってるが
徹底的ではない。モーツァルトがフーガが書けなかったのは
たぶんこれが原因。定旋律があったら、長さを自由に変えられない。
これの効果は、おそらくだけど、旋律がドラマなんだとすると
それが段々短くなっていくことで、時間が濃密になるというか
緊迫感が増すというか、走馬灯というか、そういうことだと思う あとジュピターの一楽章の第二主題の最後の爆発ね
あれ、ロケット発車ーーーって感じじゃん。
あれって、頭のファンファーレの所でさっさと属調への
転調を匂わせといて、延々しないのでイライライライラ
させてるのが効いてると思うね。
で属長に移ったあと、主調に戻って、で一気にぞくちょうに
進むことで、ロケット発射ーーーっていう。
ベートーベンには、こういうのが少ないな。真面目すぎるんやろか モーツァルトの不規則楽節は、交響曲25番の第二主題ん
とこ作曲してるときに、たまたま気がついた見たいよ。
これより古い例を知らん。知ってる人、いるかい? ダイクは、オペラで成功出来なかった悔しまぎれ
に書いたと思うが、そんなベートーベンが大好きやで ベートーヴェンの第九は実験作。本当に力を入れたのはミサ・ソレムニスだ。オペラ云々はあんまり関係ないと思う。 よく、凄い凄いって使う人いるけど、
内容なく表現方法知らなくてその言葉には
なるんだよな 語彙力ない若者が「ヤバい」で片づけるのと一緒だな 一昔前は「ヤバい」は「不正」のニュアンスが込められてた 音楽的語彙力がなく自分に自身がなく言葉に頼る
音楽は言葉ではないというのに カラヤンのモーツァルトもいいね
初期も聴いてみたい カラヤンのモーツァルトってそんなにいいのか……?
20年前くらいにベームの演奏と聴き比べた時は個人的にベームの方が良かったが、
今聴くと変わってるかもしれんので聴いてみる。 まあ、昔は俺も聴かなかったが
後期全集買っちゃった。
これだけあればとは思わないが
39番は特によかった。
バレンボイムの話によると、モーツァルトの手紙で いつもの倍増した人数で自身の交響曲を聴いたモーツァルトが喜んだとされるものが残っているだとか言ってたな。 >>572
自分はプラハはカラヤンに限る
プラハはアダージョの先は速くないといけません 「僕はハイドンの音楽もなかなか好きだ。形式の完備整頓、表現の清らかさという点では無類である。
併し、モーツァルトを聞いた後で、ハイドンを聞くと、個性の相違というものを感ずるより、何かしら大切なものが欠けた人間を感ずる。
外的な虚飾を平気で楽しんでいる空虚な人の良さと言ったものを感ずる。この感じはおそらく正当ではあるまい。
だが、モーツァルトが僕にそういう感じを目覚ますという事は、間違いない事で、彼の音楽にはハイドンの繊細ささえ外的に聞こえる程の驚くべき繊細さが確かにある。
心が耳と化して聞き入らねば、ついて行けぬようなニュアンスの細やかさがある。一と度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、もうモーツァルトを離れられぬ」
(小林秀雄)
 ̄"`''-,__, --‐‐-.. "やっぱ、モーツアルト最高" ,
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l ,l ヽ \// l \ / 「誰でもモーツァルトの美しいメロディーを言うが、実は、メロディーは一と息で終わるほど短いのである。
或る短いメロディーが、作者の素晴らしい転調によって、魔術の様に引延ばされ、精妙な和音と混り合い、聴く者の耳を酔わせるのだ。そして、まさにそれ故に、それは肉声が歌う様に聞こえるのである。
モーツァルトの器楽主題は、ハイドンより短い。ベートーヴェンは短い主題を好んで使ったが、モーツァルトに比べれば余程長いのである。
言葉を変えれば、モーツァルトに比べて、まだまだメロディーを頼りにして書いているとも言えるのである」
(小林秀雄)
 ̄"`''-,__, --‐‐-.. "やっぱ、モーツアルト最高" ,
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l ,l ヽ \// l \ / 「主題的器楽形式の完成者としてのハイドンにとっては、形式の必然の規約が主題の明確性を要求したのであるが、モーツァルトにあっては事情は寧ろ逆になっている。
捕らえたばかりの小鳥の、野性のままの言い様もなく不安定な美しい命を、籠の中でどういう具合に見事に生かすか、というところに、彼の全努力は集中されているように見える。
生まれた許りの不安定な主題は、不安に堪え切れず動こうとする、まるで己を明らかにしたいと希う心の動きに似ている。
だが、出来ない。それは本能的に転調する。若し、主題が明確になったら死んで了う。或る特定の観念なり感情なりと馴れ合って了うから。
これが、モーツァルトが守り通した作曲上の信条であるらしい」
(小林秀雄)
 ̄"`''-,__, --‐‐-.. "やっぱ、モーツアルト最高" ,
/ 、゙ヽ、 ‐-'´ ヽ‐- / / ヽ
,/´ .., ヽ,,l_)' zェェェァ' ;rfァt ヽ ,ト/ / ヽ
/ ヽ,r' ,l′ _,,, . __,, ,l゙.-〈__r,'、 ヽ_
_.l ヽ」 ,l .イてソ` l イにj`,/ ゙‐ヽ、_,, /l
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| ヽl | ,| .ヽ \ //ヽ ,| ,l
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l ,l ヽ \// l \ / ”何か意味がありそうだけど何も言っていないが
理解したふりをすると偉そうに見える文章を書くと
自分を偉そうに見せたがる馬鹿が沢山釣れる、
ということを実証してみせた偉大なる釣り師が小林秀雄先生
ノーベル文学賞を与えても良いと思う”
"小林秀雄の半分は、はったりかも、俺の理解力不足かも、小林も理解していないのかも、小林の筆力不足かも、と言うモヤモヤで成り立っているが、
残り半分は大変分かりやすく滅多に無い無い名文だろう。俺にとってのモオツァルトもまたそんな感じ"
"小林秀雄の文章は、音楽評論では無く文学作品として評価されているもので、モーツァルトの音楽の本質とは掛け離れた、主観的なもの。
聞き専クラオタの知ったか評論に通じるものがある、これを引用するなど、お笑いとしか言い様が無いねw" ここがまだ2ちゃんねるだったころ、このスレも含めてクラ板には凄まじい奴がいっぱいいたものだった
急に出てきて発作みたいに罵詈雑言を書き連ねる「京大」
オカマ言葉で長文でカラヤンの賛辞を書き連ねる「カラベル」
他人がモーツァルトを誉めると突然に出現して噛みついてくる「モツおじさん」
二言目には「アナリーゼができない人がクラを聞くなんて」と言うアナリーゼ君
他にも、映画「アマデウス」は歴史的事実を描いた史実的な作品だと頑なに主張して譲らない奴もいた
そういうのはみんないなくなって、当時は死ぬほど荒れていたこのスレも平和になった
よかったなあ… >他人がモーツァルトを誉めると突然に出現して噛みついてくる「モツおじさん」
コイツは存命中では
各スレを[]で荒らしてますよ 当スレが誇る良識人達による小林秀雄評
”何か意味がありそうだけど何も言っていないが
理解したふりをすると偉そうに見える文章を書くと
自分を偉そうに見せたがる馬鹿が沢山釣れる、
ということを実証してみせた偉大なる釣り師が小林秀雄先生
ノーベル文学賞を与えても良いと思う”
"小林秀雄の半分は、はったりかも、俺の理解力不足かも、小林も理解していないのかも、小林の筆力不足かも、と言うモヤモヤで成り立っているが、
残り半分は大変分かりやすく滅多に無い無い名文だろう。俺にとってのモオツァルトもまたそんな感じ"
"小林秀雄の文章は、音楽評論では無く文学作品として評価されているもので、モーツァルトの音楽の本質とは掛け離れた、主観的なもの。
聞き専クラオタの知ったか評論に通じるものがある、これを引用するなど、お笑いとしか言い様が無いねw" 「、、、心が耳と化して聞き入らねば、ついて行けぬようなニュアンスの細やかさがある。一と度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、
もうモーツァルトを離れられぬ」
(小林秀雄)
 ̄"`''-,__, --‐‐-.. "やっぱ、モーツアルト最高" ,
/ 、゙ヽ、 ‐-'´ ヽ‐- / / ヽ
,/´ .., ヽ,,l_)' zェェェァ' ;rfァt ヽ ,ト/ / ヽ
/ ヽ,r' ,l′ _,,, . __,, ,l゙.-〈__r,'、 ヽ_
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l ,l ヽ \// l \ / 他人の手垢のついたモーツァルトを聴いちゃいけないな モーツァルトやベートーヴェンの交響曲の新録音が最近はなかなか出ない
スター指揮者がいなくなったからかな
おかげで俺は両者の曲を1960〜80年代の演奏ばっかりで聞いてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています