シューマンって知名度ほどの作曲家か?
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トロイメライだけの1発屋
別に無理に聴く必要は無い ゝー '_ W (9)ノ(@)ノヽ)
ノ(@) . _ __ .. .._ )ノ(ノノ(@))
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(ヽノ(o) (ノノノ(8()
(()ノ(@) 二__ (ノノ(9ヽ))
(()@ヽ 二__, --、r'"___、 ヾ ト-' @)ノ(ノ8)
(o)ゝノレ'"~,-,、 ! ! ' '" ̄ .ノ \(9)ノ(@)
ゝ K/ー'~^~_/ ヽミ:ー‐‐'" ヽ@)ノヽ)
!〉 ー―'"( o ⊂! ' ヽ Y
i ,.:::二ニニ:::.、. l i
.! :r'エ┴┴'ーダ !Kl ショタはシュウマンが嫌いだよw
.i、 . ヾ=、__./ ト=
|. :、 ゙ -―- ,; ,!
|. :. .: ノ
l、 ;ミシミッ l
/^‐-,,____,,,,,,,,ミ.i i.ミ........,,,,,,,__,,,.--ヽ
~‐‐'~ ,,`∪' ^'‐‐~ >>181は義務教育の音楽の授業でしかクラシックを聴いたことない人なんだよきっと 「子供の情景」しか聴いたことがない・弾いたことがない
10年ROMってろ、ゴミがwww >>181は子供の情景を通して聴いたことすらないだろ
下手したら「『子供の情景』?何それ?」とか思ってそう トロイメライだけじゃなくて、ピアノを少し知ってれば楽しい農夫もあるんだけどね 少なくとも前期ロマン派を代表する作曲家なのは間違いない ベルリオーズにも、メンデルスゾーンにもショパンにもワーグナーにも成れなかった人
それがシューマン シューマン好きにとっては「ファウストの情景」ってどうなの? 「情景」は演奏会で聴いたことあるよ
第3部の児童合唱がかわいかった
多分もう生で聴く機会に恵まれることはないだろう おまいら、Rシュトラウスのトロイメライも偶には思い出してやってくれ(´;ω;`) エリック・ル・サージュのシューマンピアノ作品集をアマゾンで1/1にポチったのが
単身赴任先に届いてた。当分楽しめそうだ 楽園とペリ、第二幕の終盤はアカン
バラの巡礼はまだ聴いてない 今年はシューマン生誕210周年だからシューマン特集多いだろうな んな訳ない
生誕200年の年、ショパンと比べて圧倒的に少なかった
2人は同じ年の生まれだからいつもショパンの陰に隠れてる
ああ、かわいそうなシューマン
ショパンをドイツに紹介したのはシューマンなのに イメージ的にショパンは子供も含めて女性ファンが多そう
その差じゃん? シューベルト、ショパンと並ぶ、
ロマン派三大Sの1人だな シューマンはロマン派感みたいなのが抜群だよね。それやりすぎじゃん?みたいなのを含めて、脳裏に浮かんだことを全部吐き出してる感じ。 わかる。
逆にメンデルスゾーンとか古典的で、
お前ロマン派舐めてんの?って感じ メンデルスゾーンは全てに予定調和的で自分の語法の殻から出てこない感じw
たまにはああいうのも安心感があっていいけど。 >>205
せっかくおじさんがボケたっぽいのに
誰かこれに突っ込んであげないと可哀そうじゃないの? >>206
シューマンのことを評して「ポエム君」と言ってた人がいたな >>211
自分的にはポエムというよりかは、もっと直情的なものを感じるけどね。
ポエムを紡ごうとあれこれとトライしている作曲家自身のある種の熱さみたいな。 あえて荒らしにならせて貰うが、まあ、あのギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団を普通の人間が
聴いてもその凄さがわかるのに蔑視している連中に、まず本当の意味での芸術的理解力なんてないがな。
何だかんだ言っても謝肉祭頃から楽器無しに紙の上だけで作曲出来るようになったらしい
時点で、はっきりと天才の域に達した面があるがな。「ワーグナーにも成れなかった人」なんて
馬鹿を書いた奴がいるが、楽器無しに作曲出来なかったヴァーグナーのほうが、シューマンよりも
比較できない程遙かに下だが、当の作曲をする立場として言うと。第一シューマンが賞賛しなかった
事からもわかるように、ヴァーグナーのどこが天才なのか。自分も天才とは、決して判断しない。
実際、(バッハ以降の作曲家はシューマンに限らず対位法がただの数学に終わっている嫌いがあるが)
ヴァーグナーの対位法は、音の線同士がそれこそ内的に結びついていないため、シューマンに比べて明らかに
聴くに堪えられない。そもそも自分がバッハから教わった事で、対位法の内的な結びつきを聴けばその作曲家の
程度がわかり、対位法はその作曲家の試金石になり得るという事があるが、それを基準にしてもヴァーグナーなど
シューマンに比べて話にならない。霊感や精神的内容でも、明らかに劣るが。
関係ないが、自分が作曲する時にも、基本的に全て楽器無しに紙の上だけで作曲するが。もっとも
こんな話しても、それこそど素人に過ぎないここの住人にはわからないだろうが。というより今の時代、
クラシックの才能それ自体を、まともに理解出来る奴自体がいないがな。事実、クラシックの作曲家のくせに
楽器無しに紙の上で作曲出来ない連中が幅をきかせ、才能がない連中のごまかしに過ぎない、無調音楽が
横行しているところからもわかるように。 才能あるんだったら卑屈になっちゃ駄目だろ。世の中の人間はいろいろ、理解出来る人もいれば理解できない人もいる。
自分の価値を客観的に理解出来ているなら、周りなんてまったく関係ないじゃん。 ピアノ曲ではクライスレリアーナとかシンフォニックエチュードとかも唯一無二だよね。 オーケストレーションに難があったと言われているが、返って曲のテクスチャーがよく見えて明快だし、
指揮者も色んな工夫の余地があるので、中々楽しいと思う。ふ 女で才能を伸ばしたが女で身を持ち崩したよくある男
周りに才能が多く集まりすぎたのも彼の安心立命を損ねるマイナス要因になった
主体が弱く、他者の共感的なリアクションを期待しすぎるアマちゃんな姿勢
努力家だが齎される結果を信じてはいない 自己嫌悪と英雄崇拝的妄想の間を絶えず揺れ動く
思い詰めるよりかは呆けるべきだったのだろうがそのような環境ではなかったのだろう
知的に高度な環境というのはある意味逃げ場のない場所でもある 最初聴いた時はよくもまあ恥ずかしげもなく頭の中の閃きを大っぴらにできるなあと
でも超絶にカッコいい瞬間があるのは分かる シューマンの映画を見た
どこかで見た俳優だと思ったらUボートの従軍記者(主人公)だった
それに気付いて以降、変な同情心が湧くのであった ブラームスはクララにプロポーズしたのかどうか気になる。2、3回はセックスしただろうな いったん致したら2〜3回で終わるもんじゃなくないか?
その後もずっーと付き合いある訳だし ゼロ回もしくは何千回のどちらかな気がする
ブラームスの性格的に前者だと思うが トロイメライ聴きながら崎陽軒のシウマイ弁当を食べる。
シウマンになった気分でイイ! ブラームスはクララの娘に乗り換えようとして、クララと仲が悪くなった事を思い出してあげてください。 違うんだなー
アガーテ嬢と結婚前提に付き合っていてクララと一時期関係が悪くなった
クララの娘が好きで結婚したいというヨハネスの気持ちは、娘をイタリア貴族に嫁にやった後にようやくクララの気づくところとなった 映画の最初と最後でクララがアンコールでトロイメライ弾いてたけど、
トロイメライは当時から人気曲だったのかな ショパンよりかは好きだな。ショパンの、あのヒステリックな女が喚いてるみたいな感じがないし。少しキチ入ってるせいでむしろ音楽に深みが宿ってる。 >>237
お前はショパンのなにを聴いてるんだ?? とかく何かと比べないと自分の好みも語れない精神性がね 日本ではシューマンよりも崎陽軒のシウマイの方が有名にょ シューマンの作品はつまらないものばかり
トロイメライと楽しき農夫ぐらいしか聞くものがない それしか知らないんじゃあ低評価になるのも仕方ないか 先日ラジオでN響定期公演(ポーランド作曲家の曲ばかり集めてた)の模様を中継してた際に解説の西村朗が、
ショパンをベタホメしてて、シューマン、リストと比較しても「ピアノ音楽ではショパンがひとつ抜けている」と言ってた
何もそこで引き合いに出さなくてもいいと思うのだが…… シューマンのピアノ協奏曲は名作中の名作だと思うけどな
ロマン派のピアノ協奏曲の中でももっともバランスがいい シューマイの話ばかりしてる池沼はパンこねてる間に
シューマンのピアノ協奏曲を聴くべきだと思うわ シューマンの作品を教え広めることをシューマンシップと言うらしいね >>4
あの小品寄せ集めたような作品
一つ一つの作品はなんだかメロディだけとかリズムだけとか
へんてこな曲が多くね?
ぽっぽろっぽろっぽろっぽろっぽろっぽろっぽぽ
とか あれ曲なんか?クライスレリアーナ あまりメロディに頼らない書き方なんだな
モーツァルトと同じだよ >>255
??
メロディに頼らないのはベートーヴェンとサンサーンスだろう? >>256
「白鳥」や序奏とロンド・カプリチョーソを聴いてそう思うんだ? >>257
サンサーンスのピアノ協奏曲は基本的にモチーフを発展させる形でかかれてるけどな
ピアノトリオもそうだな
てか「白鳥」は真っ先に頭に思い浮かばなかった
そういえばあれもサンサーンスだったなw >>258
そもそもサン=サーンスって、シューマン以上にここで名前出すほどの作曲家だとも思わない >>259
えー?
「白鳥」と「序奏とロンドカプリチオーソ」しか聴いてないんでなくて? 『赤の組曲』土屋隆夫
「ビゼーよ、帰れ シューマンは待つ」
という謎めいた新聞広告の背後には、美貌の人妻の失踪事件が絡んでいた。… >>260
オレはピアノ弾くので、ピアノエチュードとかコンチェルトもひととおり知ってるつもりだけど、
サン=サーンスは明らかに二流
>>261
久しぶりにその名をきいたな
懐かしい
天狗の面、影の告発はじめ、ほとんど全作品を読んでます ドビュッシーが自分の作品を自画自賛して「ショパンの右かシューマンの左」とした。
右と左のどちらが上かは明確ではないが、一般的には右を優先と考えて、「シューマン、自分、ショパンの順」だろうか。
と、映像第1集を書き終えた頃のドビュッシーの自己評価ならびに彼のシューマンとショパンに対する評価が推察される。
>《映像第1集》を仕上げた彼は、エディターのデュランにあてて 「ショパンの右かシューマンの左……ピアノ音楽の歴史にしかるべき位置を占めるだろう」と書いた。
「12の練習曲」を仕上げたときは、この音楽は、演奏の絶頂からみおろしているのだと豪語した。1世紀を経たこんにちでもその価値は減ずるどころかさらに高まっている。 >>263
ドビュッシーのその言葉はよく知られてるけど、
「一般的には右を優先と考えて」というのはどこから出てきたのですか?
当時のフランスのものの見方に則してるんでしょうか?
ちなみにショパンは彼の24の前奏曲を完成させた時に、バッハの平均律の楽譜の隣に置いて、
「自分のものはバッハのこの作品に比べたら殴り書きに過ぎない」と述べたと伝えられています
ショパンのあまりに謙虚な姿勢と、ドビュッシーの鼻持ちならない姿勢との差が面白い >>262
サンサーンスのコンチェルトとエチュード全部一通り弾けるのか
そりゃ凄い
プロでもあまりいないぞ >>262
サーンスならピアノじゃなくてオルガン曲を弾きな >>264
gauche → 不器用、ぎこちないの意味があるので、
左ほど不器用という事になる。
ただし上に書いたようにドビュッシーの発言の意図は必ずしも明確ではない。
神の右座にキリストがいる事を考えると、自分は神で、その左右にシューマンとショパンがいる、という発言かも知れない。
その場合でもシューマン>ショパンになるが、ドビュッシー本人が最高位になる。
表彰台もそういう位置関係になっている。 シューマンが同逆立ちしたってショパンの上になるはずがないわ シューマン地震動時代ではモーツアルトに対するサリエリ的に自己を位置付けてたろ シューマンはショパンをべた褒めしてたが、
ショパンはシューマンから献呈された楽譜を開かずに
しばらくピアノの上に放って置いたとか >>270
ショパンは同時代の音楽にはあまり興味がなかったらしいからね
特にシューマンのような表題音楽、描写音楽はかなり毛嫌いしてた
270が紹介してる楽譜の話は、オレが読んだものとは少し違っていて、
ショパンの弟子が先生のピアノの上にずっと放ってあった楽譜があって、
タイトルをみたらシューマンの謝肉祭と書いてある
弟子が「その楽譜は何ですか」とショパンにたずねると、ショパンは素っ気ない答えをしたというもの
謝肉祭はショパンに献呈した作品じゃない(ショパンに献呈したのはクライスレリアーナ) 、
ブラームス信者やベートーベン信者は
モーツァルト判らんコンプレックス煽ると発狂して愉しめますよ! ブラームススレッドでモーツァルト判らんコンプレックス煽りするとめっちゃ激昂して愉しめますよ! シューマイはショクパンをべた褒めしてたが、
ショクパンはシュー饅頭から献呈された楽譜を食べた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています