今を生きる
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クラオタには、なぜ今の音楽を聴かない人が多いのだろうか?
長年の疑問です
クラシックの素晴らしさは認めるけど、芸術的価値がいまだ定まらない、現在進行形の音楽にもっと触れてもいいと思う… 最近vipとかなんjみたいな雑談スレ多過ぎだろ
この板どっかに晒されて標的にされてるのか? 今の音楽?
聴いてるよ
ヘルムート・ラッヘンマン、クシシュトフ・ペンデレツキ、トリスタン・ミュライユ、エトヴェシュ・ペテール、ベルンハルト・ラング、ヴォルフガング・リーム、
ステファーノ・ジェルヴァゾーニ、カイヤ・サーリアホ、マティアス・ピンチャー、トーマス・アデス、マーク=アンソニー・タネジ、池辺晋一郎、細川俊夫、西村朗、藤倉大
どれも存命中の作曲家たちだ 最近引退した人のは、聞いたことない
1年前に引退宣言して、その間に大稼ぎ
商業主義に乗ってる音楽は、あんまり面白くないね 日本中大騒ぎ、マスコミも取り上げる
会場に入れなかった爺が、壁に耳を当ててた
ここまで来ると、唖然として、言葉もない -ー=-‐ 、__
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クソスレータ・テルナー[Qthosleata Telnault]>>1毎日いくつクソスレ建てれば気が済むの?
(1946〜1992 イタリア) 2ちゃんは、だいたい糞スレ
たまに表題が良くても、中身は糞 真に今の今を聴きたいならば自分が即興で演奏せねばなるまい
だが聴くという行為自体が既に過去の記憶と向き合うことの連続であるから
真の今を捉えることができるのは最初の1音だけなのかもしれない 今を生きるって、意識しなくても事実です
ただ、頭でいろいろ妄想しているから、気づかないだけです ケージの4分33秒は今を捉えようとして遂に一音も捉えることの出来ない現実を、
同じくASLSPは、それじゃこの長大な音楽は639年間も鳴り続けるわけだがその中から今を見出してみろ
しかし僅かな断片でしかないその鑑賞とやらに意味はあるのか?という
いずれも今という概念への皮肉で以って作られた作品である 行く川は絶えずして
もた、元の水に非ず
だから、存在は現象であり、存在と言う言い方が妄想とも言える
なお、ケージのそれは、音楽とは言えない、妄想喚起のまがい物 現在進行形の音楽って、ゲンオンのことかい
クラシックの場合は、心情に訴える曲が多い気がする
実直さ、恋愛感情、自然の美しさへの感動などなど
最近作曲された音楽って、カエルの声とか電車の音とか具象性があるものが多い気がする
なお、五線紙に何にも書かないのは、論外
絵だって、キャンパスに何にも書かなかったら絵じゃないよね
舞踊だって、何にも動かなかったら、舞踊とは言えない そう、説明がないと分かんない、曲が多い
クラシックだと、題名を聞いただけで雰囲気感じる曲が多い
フィンガルの洞窟だって、寥寥とした海の岸部に寒々とした風が吹く光景、が目に浮かぶ
メンデルゾーンが音楽の風景画家と言われる由縁だよ
あうでもないこうでもないと能書き聞かないと分かんないのは、未熟と言わざるを得ない 内容が分からんと困るのはオペラくらいなもの
言葉に依存しない音楽はそもそもが抽象的だ
あとは聴き手の想像力の問題(というか教養の問題だろ) 今を生きる()とかいう青臭いスレタイから現代音楽批判につながるっていうのが面白いな
結局ポップスとかロックとかそーゆーの聞けって言いたいだけだろ?違うの? 西村先生が、今日のゲンオンで、スペースって言ってた
でも、どんな音楽にもスペースはあると思う
運命だって、演奏者によってかなり違う感じになると思う
楽譜にすべて表現することは、できないよね、きっと
作曲者がどこまで自己表現するか、良心の問題だろう クラオタだって、ゲンオン聞いてる人、多いと思う
クラシックだって、ゲンオンだって、すべて過去に作曲されたもの
今聞いてるのは、今かかっている演奏、過去のどの演奏とも違う
だから、今聞いて、今反応すれば、「今を生きる」と言える 現代音楽がクラシックと呼ばれる時代が来るのだろうか。
クラシックとして残っていられるのだろうか。
そしてクラシックと呼び、愛聴する人類はどんな世界の人達なんだろう。 ゲンオンが、後世まで聞きつがれるか?
残念ながら、私は否定的な意見を持っている
ゲンオンを聞いていると、クラシックのアンチテーゼに過ぎない気がする
クラシックのやらないことを探してやっているって、感じです
いわゆる、与党民主党の、単なる反体制勢力に過ぎない野党って感じでしょう
したがって、クラシックが聞かれなくなる時代が来ると、ゲンオンも自動的に消滅するという運命
私は、まったlく新しい楽器を使った、全く新しい音源じゃないと、新境地は開けないと思っている ゲンヲンって、もう新しい事な〜んもやってないでしょ? 朝に、ラッパーのECDさんのドキュメントをやってた
57歳で急性ガンで亡くなったが、死を前にして、たんたんと作曲を続けていた
ラップは好きじゃないけど、音楽であることに間違いない
こういう、まったく新しい、クラシックとは隔絶した音楽が、後世に残っていく可能性もアル、と思う 今を生きて食えてりゃ残らなくてもいいのだ
そうは言っても1000年残そうとして頑張った太陽王の音楽は
やはりそれなりに尊重されて残ったのであったが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています