NHK クラシック音楽館 第8楽章
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前スレ
NHK クラシック音楽館 第7楽章
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1521808327/ 聞き專をバカにしとったらあかんぞ
聞き專がいてこそのクラシック業界
聞き專が聞かなくなったら、音楽家も食ってイケん ナマで聴いていない人は明日の音楽館を聴いて!あのブルックナーが許せる人はそう沢山いないんじゃないかな?ブルをブラームス風にやるなんて冒涜じゃないの??ブル9たよ!ブル7じやないんだよ! それはただ個人の好みによって作ったルール
好みは人それぞれ ブル5、ブル8は、デジタル的でいいと思うけど
ブル7、ブル9は、やや旋律が流れても「あり」だと思う >>158
ブル7とブル9を一括にしてしまうのはおかしいんじゃない?
ボクはブル7は旋律に流れる楕演奏がありかもしれないが、ブル9でそれをやっちゃーオシマイだと思うんだけどなあ。 3,5,8はデジタル的
4,7,9は、やや歌ってる
7番をやや厳しくして、彼岸的にしたのが9番
5番に肉付けして、芸術的・感動的にしたのが8番 昔はブルックナー演奏にはお約束があって、演奏スタイルは違っていても、ブルックナー流から逸脱しないものを良しとした。だから相反するブラームス風なんてペケだった。今は純正のブルックナー指揮者がいなくなった分、お約束が乱れてきたきらいがある。 >>161
だから聞き専は駄目だって言われるんだよ。
あんまり我見を押し通さない方がいいよ。 51歳無職ですがHKT48の今村麻莉愛(15)と結婚できますか これほどブルックナー演奏の意見が別れたこと近年ないんじゃね?
オンエア楽しみだ 俺は、演奏スタイルは分からないけど
ブルックナーの壮大な宇宙的躍動感を感じた
今は、膨張宇宙、だから膨張しきって、宇宙は消える
だから、第3楽章のアダージョで終わっている 鑑賞にあたっては、
テンポ、和声の扱い、強弱の解釈、
フレージング、などなどの要素があるわけ。
にもかかわらず、聞き専は
歌っているとか、機械的とか、
彼岸的にした、感動的なとか、
(果ては精神性w)
主観的なものしかないから、
自分の好み以外が楽しめなくなるんだよ、
ちなみに聞くが、彼岸的な演奏とは、
どんな要素なんですか?
答えられないよね。
それに対して、指揮者は
この和声進行を印象づけるために、
テンポを落としてとか
勉強して考えぬいてるんだよ。
そのあたりの要素もわからないで、
ブルックナーはこうだとか
言わないでほしい。
かなり、幼稚な鑑賞の仕方だぞ。
長文で悪いが、聞き専が悪いのではない。
聞き専は楽器ができないから、
鑑賞のしかたが
幼稚なやつが多いと言いたいのだ。 >>167
あなたはブルックナー指揮した経験あるの?
同じ穴の貉じゃないの?
ブルックナーを指揮したこともない幼稚な弾き専だから鑑賞が浅く、彼岸が見えない、という風に言われちゃうよ。 >>168
効いてるw効いてるw
彼岸が見えるのですね。
すごいですね。
どういう要素の演奏で彼岸が見えたの?
まさか、怪しい宗教ですか?www
ブルックナーを指揮したことはないけど、
演奏は何度もあるよ、
演奏すると指揮者の意図が分かったり、
自分でもスコア見たりするけど
そういうことはわからないよねw
まあ、言い争いもしたくないので
彼岸をw見ていてください。 聴き専をバカにしてはいけない。
下手な先入観をもたずに、そこでなっている音だけを聴いて率直な感想をもつ人の直感のほうが
的を射ていることだってあるだろう。
だいたい楽器ができて演奏経験があるとかいって上から目線になる人のいうことなどはなからあてにできない。
本当に修羅場をくぐってきた経験者はもっと謙虚だよ。 ここで「俺は指揮したことがある」つってもアマチュア楽団レベルの
素人さんなんやろ…
なんでそこまで偉そうになれるのかわかんないな
普段もそんな偉そうな態度で指揮してたのかな
よくみんなついてきたよね
クラブの先輩の知り合いだから仕方ない、我慢我慢…って感じかな 上にも書いたが、
聞き専をバカにするつもりはない。
自分の好みにあわないのは
だめな演奏だとか、
ブルックナーはこうでなければいけない
という先入観たっぷりの
幼稚な聞き方はやめろといってるだけである。 >>165
先入観に凝り固まった聴き方をしている人が
一人いるだけのようにしか見えないが
自分の好みに合うか合わないか、それだけの話
好みに合わないからといって、この演奏は間違っているとか、
この指揮者は分かっていないなどと言うのはあまりに不遜 この前放送していたサイトウ・キネン・オケの演奏会をゆうべ観た。
ボレロは当初不安だったけど、管楽器のメンバーがみんな頑張ってて破綻も無く良かったね。
サン=サーンスはオルガンの響きがメインじゃなくて付随レベルに格下げされてたのが残念・・・
オルガンよりもピアノ連弾の方がよく聴こえるって、もうね・・・
おまけのN響演奏会は井上さんの変な踊りしか目に付かなかったわ。
内容はいつものN響って感じの毒にも薬にもならないつまんない内容でした。以上。 >>167
第3楽章の29〜44小節でヴァイオリンとヴィオラが
32分音符をやるが(直前でトランペットが威勢よくやるやつ)
あんなふにゃふにゃの引っ込んだ音で良いのでしょうかねえ?
スコアには、ちゃんとテヌートの指示が付いてるよ。 8時間開けてみたら、ものすごい盛り上がりだ
今日の対談と演奏は楽しみだね
「聞き專はダメ」と「我見」については、明日論ずる Prahaは歌いどころを心得た名演だと思うが。
ブル9は誰かが言った様にブラームスみたい。
ヴァントや朝比奈が懐かしい。
先日のノットでもまだブル的宇宙観を現出してたと思う。 この日の演奏を聴いた身として、ブロムシュテットさん、NHK交響楽団最良の最上の演奏会が収録されて後世に伝えられることを、誇りに思います。 「隊長、放射能レベルが上昇しています、ゴジラが接近してきている模様」
「そうか、北北西に進路を取れ!」
「隊長、やり過ごしました、どうも、爆発した恒星の破片だったようです」
「なんか、だんだん暗くなってきたな、照明点灯!」
「隊長、ダメです、エネルギーが切れてきました」
「そうか、なんか我々の体も希薄になっていくようだ、意識も薄れていくな」
生じる性質のものは、滅失する性質のものである ブロムシュテットとヴァント、朝比奈を比較しちゃいかん
ブラームスみたいかも知れんが
ああいう嗜好もある様になったんだね
わたしはいやだが >>172
意見には完全に同意だけど、ココは聞き専の巣窟なんだから、そう言う事を言っても無駄なんだよ。
テヌートって何?と言うレベルだからねw マタチッチ・チェコのCD持ってるけど、そんなにスタイルが違うとは思わない
マタチッチの方が寂寥感が強いけどね、スケルツォも切れ味鋭く厳しい >>186
聞き専って何?せめて聴き専と言おう。
テヌート知らないのは論外だけど。
アナタは楽器をやるから何者だというのですか?
聴き専でもスコアぐらい読みますよ! >>177
このテヌートが何を意味するか、どのように演奏すれば
ブルックナーの意にそうのか、とは難しいところではある。
まあ、しかし何かしないといけないのは確かであって、
演奏家はそれを考えて答えを演奏で示す義務がある。
ブロムは、その何かしないといけないことに無頓着であった
ことは確かだ。土曜日の朝8:15、朝ドラを見た後の
5歳のチコちゃんに「ボーッと生きてるんじゃあねえよ」と言われそう。
ブルックナーはこの部分を『生からの別れ』と
特別に表現していることからも窺えるように、
その無頓着さは非難されてしかるべきものである。
ちなみに、あれを「十字架」だという人もいるけど、
僕はそうは思いたくない。 >>191
要するに無頓着な演奏ってことね?
賛成! >>188
寂寥感が強くて、スケルツォは切れ味鋭く厳しいんだったら、ブロムシュテットとは全然スタイル違うって言ってるのと同じだよ。 >>189
少々楽器ができるからって全然偉いわけじゃない。気にするな。 そうだよね、ブルックナーの次に、返す刀でマーラーか
芸人の謗りをまぬがれない選曲 なんか誤解している人がいるが、>>177の「そのテヌートってどういう意味?」というのは
一般的なテヌートの意味を訊いてるわけじゃない
>>191のように「このテヌートが何を意味するか」ということだが、その個所の32分音符にテヌートが付いてることが
どう>>176に結びつくのか意味が分からなかかったので訊いてみた
残念ながら、はっきりした答えは無かったようだが >>196
まあ「テヌートの意味は?」という問いかけに対して「テヌートも知らないのかよ」という低レベル加減だからな。楽器馬鹿は。指揮者も大変だよ。 >>196
<はっきりした答えは無かったようだが >
この曲は絶対音楽だよ。答は聴衆それぞれが引き出すものだ。
指揮者は、『なにかあるもの』を聴衆に提示するのが仕事だ。
「ああ、ワグチューは無事吹きよった」では、話にならん。
ブルックナーのスコアによく表れる「楔」は、楽典にある
スタッカーティシモではないことは、誰でも知っている。
ここでのテヌートが何か特別の意味を持つものだ
ということは、スコアを見れば誰でも気づくことだ。
それをどのように表現するかが指揮者の腕の見せ所
だということだ。
たぶん、196は具体的に何かを示せと言いたいのだろうが、
やり方はいろいろあるだろう。指揮者がそれに注目していると、
どんな方法であれ聴衆に伝わればよいだけなのだから・・・。
まあ、トランペットの時自体が、弦との掛け合いなんだから
まずそこから始めないといけないけどねえ・・・ ブル9は彼岸的な響きという見解に、妄想的との非難がある
ブルックナーは神にささげると言ったそうだけど
こういう平安で禅定的響きについて考えるに、欲界レベルではなく
色界第4善(捨・平安の境地)レベルの響きと考えられる
したがって、ブルックナーの前世は色界第4善という天界であったと思われる >>196 スコアみてきた。
練習番号Aは同じ音型だが、
tpはスタッカート、弦はテヌートだが、
この場合、弦は直前にトレモロをしてるから、
その弾き方とは変えろと言うぐらいの意味で、
次第にdim.すると、
tpもテヌートになるから、
ここからは先程より、
穏やかにという意味かなと思った。
そう考えると、昨日の演奏が
なにもしてないわけではない気もする。
そして、気になるのは
ブロムシュテッドの版のスコアも
全く同じにテヌートがついてるのかね?
そこまではわからんが、
こういう論議の方が
彼岸が見えない!といって文句を
言うやつよりはよほど健康的かと。 対談で、マロがほとんどしゃべらなかった
明らかに、しゃべったところをカットしたんだろう
持ってるプロム翁の写真つき資料について、偉そうに語ってるはずだ
昨日の録音をすぐ見たい気持ちにならない
やっぱ、演奏として、いまひとつなんかな?
ブラームス的と言うのは、旋律を引っ張りすぎと言うことなんですか
似ていたとしても、何が悪いのか分からない、ブルックナー的寂々感は出てたと思う >>203
まず資料関係を見てみよう。
オーレル版、ノーヴァク版、シェーンツェラー版、コールズ版(ブロム使用)
は、すべて全く同じである。Tp.は点(pppのときは横棒)。弦は全て横棒。
(スタッカートやテヌートは既成概念があるのでここでは使わない)
自筆譜もまったく同じである。ただ、自筆譜ではただの横棒ではなく
時々太い横棒が書かれている(印刷譜では表わせない)。
レーヴェ版(初版)では、トランペットは点付きで、それぞれmfから
松葉が付いている。時々くしゃみをするような演奏があるが、
それはレーヴェ版の影響。そして、弦では横棒がスラーに変えられている。
<次第にdim.すると>
確かにdim.はいくつか書かれているが、「次第に」というのはいかがなものか?
場面がコロッと変わるつなぎに、かどを丸くするために
加えられたものと理解するのがブルックナー的だと思う。
なだらかな下り坂ではなくて、段々畑のようなものをイメージ。
いわばスウェルではなくストップで操作するオルガンのようなもの。
<弦は直前にトレモロをしてるから>
どのように演奏で実現させるかは別として、刻みは基本的に
32分音符であるとの認識をすべきだろう。練習記号Qのヴィオラ
などはヴァイオリンに合わせてきっちり32分音符で弾くべきである。
以前、金子さんはアマオケでアダージョ全部、刻みを32分音符で
弾くことを試みたが、テンポの揺れを吸収しきれず不可能だった
と述べておられる。
ただ、練習記号Aからの部分は、トランペットの32分音符に
きっちりはまるように弾くことは可能だろう。その時横棒の音符を
少し長めに弾くことは、そんなに難しいことではないように思う。
とにかく、弦楽器奏者全員が横棒がある無しにかかわらず
思いを共有することが一番肝心なことであって、ちゃんと
指揮者が制御すべきであろう。 その演奏技術の違いによって、ブルックナー的に
どのように表現内容が異なって聞こえてくるのでしょうか <次第にdim.すると>
言い忘れたが、「段々畑」と比喩したが、それは強い(高い)ところ
からだんだん下っていくのではなくて、強さが減じるにしたがって
だんだん高い所へ昇っていくという感覚がブルックナーには
必要だということだ。
《アルプス交響曲》は、僕の大好きな曲の1つだが、
その最後の夜では、夜のしじまに溶け込んでいく感じが
とても素晴らしい。ブルックナーはそれとは逆だということだ。
>>207
演奏技術は、優れている方が良いに決まっている。
ここで言ってるのは、技術ではなくて楽譜をどう読むか?
そして、オケ全体が一体化して(同じ目的に向かって)どう反応すべきか?
について述べているだけである。
京都橘が評判を呼ぶのは、音楽の一体化を「見える化」しているからだと思う。
N響の舞台ではそんなことは出来ないので「音として見える」
ためにはどうすればよいか? それを議論すべきであろう。
特にブルックナー演奏の場合など・・・ ブルックナー音楽の印象についてあまり語ってませんね
あなたの言いたいのは「一体化」ということだけですか
段々畑の比喩は、意味が分かりません ブルックナーみたいな人間離れした曲の感想に
手垢のべったべたついた、アルプス交響曲のような俗っぽい曲を書くのはナンセンス
でも、朝比奈先生が好きだったという話も聞いたことがあり、不思議だ 上の方で「ブラームスのようなブルックナー」という話が出てきたが、
言い得て妙!
何のことを言ってるのかよく分からないが、そこが良い。
「あんなのブルックナーじゃあない!」って言ってしまったら
”それを言っちゃあおしめいよ”てなことになるだろう。
ブルックナーはアマチュア作曲家である。それも相当頑固な・・・
だから、しつこく自分の作品に執着する。金が絡まんだけに
そうとうえげつない。やりたい放題、改訂の山だ。
有名な逸話で、皇帝に拝謁する機会があって、
なにか望みはないかと訊かれた時に
「ハンスリックを黙らせてください」と願い出たそうだが
「そりゃ、無理なことだわな」と答えられたそうな。
要するにプロからは煙たがられていたということだ。
とにかく、プロがカチンとくる指示や、指示不足と見られるものが満載だ。
ひるがえって、指揮者もオケマンもプロである。
お客に気に入られてナンボということである。
そこに付け入るのがブルヲタ。
ブルヲタお目当てのアダージョ練習記号Lのところなど
中途半端に美しくたおやかに演奏されるとおかんむり。
「なんであんなに軟弱なん?楽譜に書いてある通りに
アマチュア(それも技術は確かな)のように真摯にやれ!」 一方レーヴェ版は、批判されることが多いが、そこでは
プロの目で見た手直しが行なわれている。
この箇所は、ピアノに始まって念入りに表情付けしている。
もしプロとして美しくやりたいのなら、「レーヴェ版を勉強して
ひたすら味濃くやりなはれ」と不平を鳴らす。
もちろん原典版が良いとは思うが、レーヴェ版を知らない人
のために、どんなことを要求しているのか、Lからの要点を記そう。
1小節目:弦はピアノに始まりどんどん膨らむ。
2小節目:今度は萎み始める。そこへホルンがそっと入り込み膨らむ。
弦はホルンの後を追って膨らむ
3小節目:ホルンは萎むが弦は萎まない(mf)。Vl.1は表情豊かに。
ワグチューは静かに和声を支える(p)。
4小節目:mfを保ったままで、低弦は表情豊かにcresc.。そのまま
5小節目:弦全体のフォルテに突っ込む。幅広くゆったりと。
6小節目:2拍目からはmfに減じ、4拍目からはppでひそやかに。
ホルン(pp)や次の小節のワグチュー(pp)はひそやかに加わる。 ブラームスのような というのは空間とか空気感の様なものより
筋肉質っていうことだろ セルなんかはそれで成功してるけどな キュッヒルさんがコンマスだったことも関係あるのかな
と、チラッと思った(ブラームス的と言うことに関して) >>217
マロだったらブルックナー的になるとでもおもってるの!!! いや、そういう意味じゃなくて
ウィーン・フィルは、流麗に歌ってなんぼ、だから
しかも、ジェリー二とブルやったとか言ってたので
そんな感情を持ちました N響はもっと素晴らしいN響を目指しているだけ
何処かのオケのコピーを目指すオケなんて有ると思うか? >>220
ジュリーニのブルックナーはブルックナー流だよ。 オーケストラにもお国柄 N響指揮者の対話法とは NHK交響楽団 首席指揮者 パーヴォ・ヤルヴィ氏
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO37276010S8A101C1000000
各国オーケストラをヤルヴィ氏が講評している 11月11日(日)放送
<N響1895回 定期公演>
91歳の世界的指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットが
“交響曲の父”とも呼ばれるハイドンと、
その後の100年に及ぶ交響曲の歴史に最後の輝きを与えたマーラー、
巨匠2人の作品を披露します。
ブロムシュテットが「古典派の最も大切な作曲家」の一人に挙げるハイドン。
今回取り上げるのは、晩年のハイドンが、
市民層に音楽が定着していたイギリスの地に渡って書いた、
最後の交響曲、第104番「ロンドン」です。
そして後半は、若き日のマーラーが
オペラ指揮者としてがむしゃらに働く中で書き上げた
最初の交響曲、第1番「巨人」です。
ヨーロッパが劇的な変化を遂げた18世紀から19世紀の時代。
交響曲の歴史とその時代の精神までも浮かび上がらせる、
ブロムシュテットのタクトに注目です。
1.交響曲 第104番 ニ長調「ロンドン」(ハイドン作曲)
2.交響曲 第1番 ニ長調「巨人」(マーラー作曲)
管弦楽:NHK交響楽団
指 揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
(2018年10月19日 NHKホールで収録) ------------------------------------------------------------
〜ブロムシュテット 初来日での名演〜
演奏会のあとは、過去の名演からお楽しみ下さい。
伝説の名演として語り継がれる、初来日での演奏をどうぞ。
■交響曲 第6番「悲愴」から 第3楽章 第4楽章(チャイコフスキー作曲)
管弦楽:NHK交響楽団
指 揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
(1981年11月13日 NHKホールで収録) 作曲家のほぼ100%が男性
女性に男性の気持ちを推し量れと言ってもね
「男同士じゃない〜〜か、むかしーーのよう〜に、語り明かそう〜よ〜〜」の世界 >>228
ブロムシュテットは1973年ドレスデンSKと来たのが初来日。
DDR音楽祭の時でザンデルリンク等と一緒だった。
81年はN響初登場の間違いだよな。
(73年は現在のNHKホール落成で全盛期のカラヤン・ベルリンPhも11月に来日) 西郷どんの後は、
はいどんでロンドン
ど、ですかでん?! やっぱ、プロム翁のおっしゃるとおり
マーラーはふざけた野郎だぜ グーチョキパーで何作ろうなところくると歌詞が回り出して集中できなくなる 先週は前半はよかったが、後半はややバラけたところもあった。
今週は前後半ともにいいじゃん、いいじゃんだった。N響の力が大いに発揮できていた。
来年も見たい指揮者だ。お元気な姿を見れることを期待しよう。 もうN響定期はブロムシュテットとパーヴォとアシュケナージが順番に振ってくれればいいわ
それで充分 >>238
ブロムだけでいい。パーヴォとアシュケはいらんのと違いますか?
スーパー爺さん崇拝者ですので ブロムシュテットさんの巨人、1-2楽章が特に良かった気がする。 臨くんのインタビューもお願いしますo(`ω´ )o プロムシュテットさんの話を聞いていて
指揮者って、芸術の紹介者、つまり、演出家とか映画監督みたいなもんかなと思った
一部の偉大な芸術家を除いては なんかやたら奏者のアップが多かった
カメラ割も変わった感じ >>245
へーそうなの
マーラー興味なかったけど録画あるからちゃんと聴いてみようかな >>247
マーラー聴かない人だったら聴きやすいと思うよ。名演かどうかはアナタ自身が決めたらいい。 >>238
>>239
さすがにブロム爺だけじゃ飽きちゃうw
238に半分同意、でも他の指揮者も面白い時あるしさ
昨年のエッシェンバッハのブラ2と3、以外と良かったよ コリン・デービスとロンドン響は、オーソドックスな名演
ソヒエフ・N響は、楽しくて、少し厳かな名演
プロム翁のロンドンは、第2楽章をキチンと聞かせてくれた
巨匠は晩年になると、みんな、ゆっくりとなる
だけど、全然飽きませんでした、きっちり鳴らした名演 >>251
アンタが聴いたCDや演奏だけでロンドンの評価するのはナンカへんちくりんだよ。
オジサンみたいに何十年も音楽聴いていると数多くのロンドンの名演聴いてきてるし、デイヴィスや誰ソレなどの陳腐な比較は虫唾が走るんだよ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています