モーツァルトとハイドンはどっちが凄い K./Hob. 2
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作曲動機はイングランドの『神よ国王を護り賜え』のような
国民に愛される歌を作りたかったということなので
事実上の国歌を作りたかったと言っていい モーツァルトのプロシア四重奏2番を聴いたが、ハイドンのop55-1に似ているなあ。第一楽章であれっと思って、第二楽章のメロディに関しては意図的に似せているのかと思った。
そしてプロシアセット自体が至るところにハイドンの雰囲気がある。 >>146
おいおい>>145はカナダ国歌の話だぞ 音楽的才能はともかく経済的に安定した生活を送ったハイドンの方が賢かったのは確か 若き日のベートーヴェンがボンからウィーンに旅立つとき
故郷の友人たちから
「ハイドンの手からモーツァルトの精神を受け継げ」
みたいな寄せ書き贈られたんだよね
そういう姿勢だったからハイドンとベートーヴェンの師弟関係はうまくいかなかったのかな ベートーヴェンの時代にはもうハイドンなんて過去の人ってことじゃね?
しかも当時からウィーン界隈の主流から見たらかなり風変わりで
それが当時のパリやロンドンでウケた理由なのかもしれないが
熱狂がおさまってみたら、みたいな… ベトがモツの音楽を理想としていたことは確かで
そのベトから影響を受けた音楽を聴く人達が
同じようにモツを素晴らしいと感じるわけで。 それにそこで言われる「モーツァルトの精神」というのは
音楽や作曲のことを
言ってるわけではないと思うが。 ヨアヒム・ニコラス・エッゲルトやヨハン・ヴィルヘルム・ヴィルムスの交響曲を聴くと
当時ハイドンの影響力が絶大だったことが分かる ヨーゼフ・マルティン・クラウスは、ハイドンともモーツァルトとも違う独自の世界観がある >>151
本当はモツに師事したかったようだが
先に死んでしまったから、仕方なく
ということでは? もしもモーツァルトが存命でモーツァルトの弟子になってたら
モーツァルトからハイドンの素晴らしさを説かれてモーツァルトからハイドンの精神も受け継いでしまってたりしてw ハイドンとモーツァルトは得意曲種が違うんだよね
モーツァルトの後期交響曲や弦楽四重奏曲はハイドンがいなければ生まれなかったが
その他の曲種に関してはあまり関係が無い モーツァルトの初期のピアノソナタもハイドンの影響があると言われている。
ベートーヴェンがモーツァルトに弟子入りしていたら、うまく行ったとはとても思えないな。
絶対衝突してるだろ。
ハイドンはベートーヴェンにずいぶん寛容だったと思うよ。 >>158
やはりベトには時代的にも「自由音楽家としてのモーツァルト」の存在が
大きかったんだろう
ハイドンのように音楽人生の大半を勤勉なサラリーマンとして
さらにお役御免になってから外国で大ブレークなどという道は
ベトにはなかったということさ >>160
ベトだけではなくすべての人に寛容であり
晩年はパパ・ハイドンなどと皆から慕われたというが
そのイメージからこれまでハイドンをファットに演奏する人が
わりと多かったわけだが、
実のところ音楽自体は極めて無駄のないタイトでスタイリッシュな
音楽であるという。 ハイドンとベートーヴェンは得意な曲種が近い。旋律重視でないのも似ている。 ハイドンとストラヴィンスキーは意外と似ている
どちらも理知的な作曲スタイルを得意とした >>163
ベートーヴェンはハイドンを物凄くライバル視していたことは確か
まあハイドンの死後はハイドンは偉大だったと言っている
何と言っても交響曲・弦楽四重奏曲をメジャーにしたのはハイドンの功績 ハイドンとベートーヴェンの関係を見るとどうしても考えるのが
ニコラ・ポルポラとハイドンの関係
同じように師弟関係でポルポラもハイドンに対してほとんど何も教えていないのにもかかわらず
ハイドンは「作曲の真の原理」を教えてくれたと語っている ハイドンに「プロメテウスの創造物」を褒められたときに「Creationの作曲なんて簡単でした」と答えて「天地創造」に当てこすったらしいね>ベートーヴェン
もっとも両作品はドイツ語の原題が違うから眉唾という気がしないでもないが
(あるいは、そこだけ英語かフランス語にしたとか?) >>166
それも恐らくベト同様、ポルポラ死後の話であろう
ハイドンも若い時はポルポラからは
学ぶべきものはもはや何もなかったと言ったとか言わなかったとかで
基礎なんて独学でなんとかなるし、あとはその人のセンスの問題かと。 >絶対衝突してるだろ
というのは間違いないだろうな。ハイドンにすらそのような
退っ引きならぬガチ・マジ勝負な人であればね >>164
新古典主義とかネオ・バロック様式の作品は
モツ・ベト以降のロマン派音楽に対峙するようなものだからね >>168
ベートーヴェンがハイドンに弟子入りした時、ベートーヴェンがあまりに作曲の
基礎を知らなさ過ぎてハイドンは閉口していたらしい ベートーヴェンもそれを分かってたんだろう
ハイドンに隠れて何人かの別の作曲家に師事して作曲を学んでいる
ベートーヴェンは結局ハイドンの弟子という肩書が目当てだったんだと というか、ハイドンも教科書的な作曲の基礎なんて知らなかったんだろう。
対位法なんて独学だったわけで、ベートーヴェンが望む音楽大学的な対位法は教えられるわけがない。
ハイドンの曲は同時代しばしば評論家に規則の誤りを指摘されていた。
現代になってハイドンが教科書的に考えられているのがおかしい。 対位法なんかバッハの平均律やオルガン曲を譜面で勉強すれば、
すべての理論とその至高で典雅な典型的実例が読み取れるだろ。
モーツアルトはバッハはお手本になるといってた。 ハイドンが参考したと思われる楽譜はバッハでも次男のCPEの楽譜。
それと対位法は書物として出版されていたもの(フックスだっけ?)
バッハといえばもう息子達が生きた音楽であった時代であり
今日のようにバッハやモツのレコードが溢れている時代ではなかった。 ハイドンがバッハと言うとC.P.E.バッハで、モーツァルトがバッハと言うとJ.C.バッハだな
モーツァルトの特徴の一つである「歌うアレグロ」はJ.C.バッハから受け継いだもの 当時、宮廷ではイタリアオペラが大流行した関係で
みんなそういった傾向の曲になってるといっていい。
一方、辺境地でエステルハージ侯がバリトンという楽器を演奏する人
だったことも関係して他とは一味違う作風に。
フリー後はどちらかというと、都の主流に近づこうと努力してるような
そんな印象を受ける。すでに大家であったというのに(!) ハイドンのオックスフォード第二楽章の終わりに近いとこめっちゃ美しい 交響曲第47番ト長調の第2楽章の最後のとこ(変奏曲のコーダ)も好き でもハイドンの交響曲の緩徐楽章なら、第64番イ長調のラルゴ(「時の移ろい」)で決まりかも
https://youtu.be/H3-K3gmRGzE?t=410
それまでの対位法を駆使した作風から心機一転対位法を排除したことと
どこまでも終止形らしい終止形がないまま続いていく不安定さ #49ラ・パッシォーネも神がかってる。
#64もhob番号的に60番台だが
エスターハーズィー期の交響曲ははっきり申し上げるなら
美辞麗句的なモツの諸作品などとはちょっと比べものにならない…。 天地創造の序奏はもっと後の時代の交響曲みたいな響きだな。
書いたのが最晩年でほとんど古典派が終わってる時代ってのもあるだろうけど、高齢でこんな曲書けたのってすごいな。 ハイドンもモーツァルトも好きなんだけど、ずっと飽きずに聴き続けられるのはハイドンだと思う。 モーツァルトはヨーゼフハイドンの弟のミヒャエルハイドンの影響を強く受けていると思う
ミヒャエルハイドンはモーツァルトの子供時代の師匠で両者は密接な関係がある
モーツァルトの交響曲第37番と思われていたものはミヒャエルハイドンの交響曲第25番であったことが20世紀になってから判明した >>173
ハイドンって、あんま曲聞いてない人からのイメージだと古典派の形式作った人だから型にはまった曲ばっか書いた作曲家くらい思われてるけど、案外ぶち壊してる系の側だよなw 若い頃に今のチェコ領やハンガリー付近で創作してたということ
パリやロンドンといった海外でウケたということもヒントになる
3拍子のメヌエットにアクセントをずらして4拍子を形成するなんて
根っからのおかしなことをしたがる人 時計とロンドンに続けてハフナーシンフォニーを聞いたが、全然満足度が違うわ。
ハイドン:ふうん、なかなかいい曲じゃないの
モツ:す、凄え。これは奇跡だ… ロンドンとハフナーならロンドンブーツの方がいいと思うけどな
ハフナーが奇跡ならロンドンも奇跡…と言い切れない両者の作風の差も感じはするけどハフナーはちと弱い
掛け値なしの奇跡ならプラハに大小ト短調…それ以上にロンドンと比べるならジュピターだろう
告別vs小ト短調というのもなかなかいい勝負になると思う
ロンドンvsジュピターでも告別vs小ト短調でもどっちかってーとモーツァルトだとは思うんだけどハイドン聴いてる間はそんなこと思わない
小ト短調はもちろんジュピターでさえハイドンと比べると「若いな」と思うことがあるよくも悪くもだけど
とはいえモーツァルトがあと十年二十年長生きしてたとしてもジュピター以上の交響曲を書いたかどうかは疑問
交響曲だけじゃなく多分晩年のモーツァルトが(器楽では)もっともリキ入れてた曲種であるピアノ協奏曲なんかでも27番の先がまったく想像できないんだけど ハフナー交響曲の白眉は第1楽章だよな。冒頭主題の展開の巧みさは全く舌を巻くほどうまい。
第2主題がないのはハイドンの影響とも言われるが、楽章全体を注意深く聴くと、第2主題が入る余地がないほど、第1主題の動機が圧倒的に全体を支配していることに気付く。
この楽章はジュピター交響曲フィナーレとはまた違った意味で、ソナタ形式に対位法を見事に溶かし込んだモツ音楽の精華だと思うんだ。
ハイドンの交響曲でこれ程興奮させられるものに俺はまだ出会えていない…。 まぁ、初めから演奏会用に作られたロンドンセットと、元曲がセレナードのハフナーを一律に比べるのはムリがあるだろうがね。ロンドンセットに比べて、ハフナーがスケール感で及ばないのは認める みんな口をそろえて凄い凄い言うジュピターも
終楽章なんかはハイドンが3番(3番はれっきとした初期交響曲)で
すでに使用済みのネタなんだよね。
すごく短いし、充実度・完成度ではジュピターかもしれないが だいたいハイドンの交響曲にスケール感を追及したいなら
お門違いも甚だしい
ハイドンはリズム感。そういった意味で
モツ・ベトがロマン派につながろうがハイドンは新古典主義として返り咲く。 もちろん音は異なるが
ベト第9の一楽章で出てくる ”ちゃっちゃっかちゃ、ちゃっちゃっかちゃ”という
2度繰り返すリズム
ハイドンの「ラ・パッシォーネ」の終楽章の冒頭、3度繰り返すリズムと酷似している。
ベトは第9の4楽章でこれまででてきた音をすべて否定するわけで
その流れは完全に古典派と決別しロマン派へとつながってゆく。なーんてね。
いろいろ楽しいわけです。 >>192
モツのリンツ聴いたら後退したと思いそう 小ト短調と告別で比較する発想がようわからんな
ハイドン中期の短調交響曲を告別しか知らなかったんだろうな ウェブスターによる研究では、疾風怒濤の「前期」には
ネームシンフォニーは「火事」のみで
短調は意外にも#39のみ
ということになる。
むろんモツの#25より先に作曲されてる ちなみに疾風怒濤の区分けも様々であり
ウェブスターの区分けは
1765-68年は短調が1曲であることから
「娯楽交響曲群」として1768あたりから
1772あたりまでを疾風怒濤としていますな。 告別以外よー知らないのも本当ですけど一番有名なのも確かでしょ?
告別よりいい(疾風怒濤期の)短調交響曲ある? >>204
45番「告別」って終楽章が変わった構成してるから有名(ハイドンの交響曲は話のネタにしやすい面白い特徴あるものほど有名になりやすい)だけど
39番、44番「悲しみ」、49番「ラ・パッシオーネ」の方が好きだな個人的には 「告別」は離宮から帰郷したい楽団員のために
候へ休暇をほのめかすための仕掛け
なので「さよなら」くらいの日本語訳にした方がいい。
クラシック音楽というとすぐ深刻めいた雰囲気を付加したがる傾向があるが
それがすべての音楽にあてはまるとは限らない。 「びっくり」じゃなく「驚愕」なのはクラシックでびっくりはねーべっていう感覚があったんだろけど今だと「驚愕」の方がギャグっぽく響く気がする 英語では「サプライズ」ですむけどね
独語は確か「太鼓一打」みたいなニックネームで
「太鼓連打」と同じく聴いた感じそのままの名付けだが
ある意味、漢字と雰囲気が似てるのかもね これといった録音も少なくザロモンセットに比べたら知名度が低い
60番などは「迂闊者、愚か者、うつけ者、迂闊な男、うっかり者、うすのろ
など定まってないが
日本なら落語で必ず出てくる「粗忽者」がしっくりくる マイナーどころ(短調じゃなくあんま有名じゃないって意味ね)の交響曲だと「熊」が好き
割りと直球勝負な感じなのにハイドンらしくちゃんと?コミカル 「熊」って親しみやすいハイドンのハ長調の中では
実はわりと演奏が難しいんじゃないかと思うようになった。
ハイドンのハ長調交響曲は祝典・催事向けということで、まず曲が長めなことが多い。
繰り返しを省略する場合、通常は終楽章の最後の繰り返しを省略することが
常だけど
ヴァイル盤は第一楽章の最後部分を省略して終楽章の最後は繰り返す。
偽終止を際立たせるためのロビンスランドンの監修によるものか。
それは好いのだがラッパだけで、どうもホルンの音が居ないように聴こえる…。
これも、ラッパとホルンが同じパートを吹く場合、ラッパはホルンの代わりで
吹かなくてもよいというランドンの指示だろうか?
一方で、わりと好演奏が多いグッドマン盤も
ラッパが入るためホルンをオクターブ下げて演奏させてるので
いつものアッパーな響きがしてないなど満足のいく録音がとても絞られてくる。
11弾めでアントニーニの「熊」もお出まし予定だが、
ぜんぶ繰り返してほしい自分にとっては、望み薄…。 パリセットで一番好きなのは87番だな
次点が86番 #85だな
突如「告別」の第一楽章が鳴り出すくだりにはいつも感動する。
フランスの王妃がお気に入りだったのは
#45だったんじゃないかなと
他の曲でもこのメロディが出てくるが何番かは忘れた。ハイドンのおはこメロディなんかな。 なるほど車大工の血をひいてるから
曲のメカニズムやリズム処理が巧みなんだな ハイドンの親父さんは車大工なの? モーツァルトの親父さんは有名だけど…
時代的に別の分野の職人の子が音楽やるのは大変だったでしょうかね?
半分マジ半分ネタな話 作曲ってのは構築だから建築系と近いとは思う
リズム処理ってのは車だから? 演奏家はスピード狂が多いらしいけどモーツァルトやベートーヴェンは現代に生きてたらカーキチやってた気がする
ハイドンはどうだろう? ローラウという片田舎の職人だったらしく
兄弟そろって美声だったので
少年合唱団に入れられたのが事の発端。 モツは病弱、ベトは短気、
ハイドンは意外にもいたずらっ子で
こっ酷く折檻されたようです。
弟はその点では要領よく兄より先に
作曲家の道を歩み始めたという 心身ともに病弱で早死にさせたが後世に名を遺した息子と
生きているうちに巨万の富を得た息子
あんたならどっちの息子がいいかつう問題やね ハイドンのおやじさんは音楽好きであったようだが車大工
偉大な音楽家の生みの親
いっぽうで、子を衰弱させるまでに育てあげたが
カッサチオという曲から赤の他人が3曲抜粋して
「おもちゃの交響曲byハイドン」として売られていたという
そういった対決内容になりますでしょうか? ミヒャエル・ハイドンは酒乱だったそうだが、できの良い兄貴と比較されてぐれたのかな。
モーツァルトはミヒャエルと仲良かったらしいが。 できの良い兄貴というよりは、先に音楽家として出世したのはミハエルのほうで
本来ならモーツァルトとハイドンときたら
モツおやじの同僚だったミヒャエルの方なんだよな
若いモツに影響を与えたのもJCバッハだし。
レコード史的には完全に闇に葬られてきた作曲家に少しでもスポットを当てたいね。 なのでどちらかといえば、
兄からしたら先を越されたできの良い弟であって、
モツともにエリート組であったはず(!) グレングールドどうたらの奴は各掲示板に現れるモーツァルト解らんコンプレックスの阿呆だから相手せんで善いぞ! >ハイドンの親父さんは車大工なの?
Wagnerは「車大工」 ここもモーツァルト解らんコンプレックスを攻撃に変えたゴミ屑が集うスレッド。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています