■■■フルトヴェングラー32■■■
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447 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2020/05/05(火) 19:04:25.67 ID:qzKREHV7
コロナ自粛の関係で、ネットで動画を見ることが増えたのだが、
トスカニーニ関係でオススメはこれ
↓
【人類トスカニーニ計画】
https://youtu.be/kwnqe9VcdDo
人類トスカニーニ計画とは、大袈裟なタイトルだし、
女性がやっているのも珍しい 大したことなかろうと思って
視聴したら、きちんと同曲異演やら、協会盤まで
フォローしているので、感心したよ 448 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2020/05/05(火) 19:15:50.46 ID:QIilXvak
>>447
釣りに注意
↓
「人類古便計画」 フルトヴェングラーなどドイツでは忘れられた過去の遺物
いまでも神のごとく崇拝してるのはバカ日本人だけ >>4
ファンが全員神のごとく崇拝してると思い込んでるマヌケ いみじくも、令和が
ポスト・コロナの時代となった。
今後、ライフ・ウィズ・コロナの考えが重要。
No Life, No Corona.
No Life, No COVID-19 !
No Life, No Music
No Life, No Furtwaengler ! 昔は天災や飢饉や疫病があると改元したから
ポストなんとかだらけだ 何も書きこむことがないといつものくだらないコピペ貼るバカチョン ttps://www.youtube.com/watch?v=5GLYr4pEKT4
新コロ、新コロ、新コロコロコロ♪
波に パンデに ミックに乗れ乗れ
新コロ、新コロ、大型客船♪
新型のコロナ♪ >>2
コロナ自粛の関係で、ネットで動画を見ることが増えたのだが、
フルトヴェングラー関係でオススメはこれ
↓
【人類フルトヴェングラー計画】
https://youtu.be/kwnqe9VcdDo
人類フルトヴェングラー計画とは、大袈裟なタイトルだし、
女性がやっているのも珍しい 大したことなかろうと思って
視聴したら、きちんと同曲異演やら、協会盤まで
フォローしているので、感心したよ 以降「裏庭のエロ以下」と「売女イトと大工の駆け落ち」の逸話は禁止 本人は面白いだろうとドヤ顔してるけど全く面白くない フルトヴェングラーもウイルスの犠牲になったんだよな 意外にも悲愴はSP時代の名盤として残っている
ただし音質はよくない グレートはどれもこれも名盤揃い
差が激しいベト9とは大違い いや、シューベルトのグレートは演奏こそ多いが、その大半は駄盤
長く反復のやたら多い曲なので、指揮者の力量がモロに出る
名盤は本当に数えるほどしかない。
クレンペラー盤を推薦する
この曲の1楽章は加速する演奏が多い中、足が地についた演奏で、木管の響きも美しく素晴らしい フルトヴェングラーの「グレイト」は戦時中の
ストックホルムライブを推す
ウィーンフィルであるのもポイントが高い
録音も時代を考えれば、思いのほか聴きやすい ザルツブルク関係は正規音源を
オルフェオ(orfeo)がリリースしているのだが、
リマスタというか、音質調整が悪いというか、
ボリュームを上げないと聞き取れない
下手すると、海賊盤のほうが良かったりする
まったくひどい話である
そう思いませんか? ボリュームを上げて聞き取れるなら良いじゃないか
上げなくても聞き取れるのは最悪だ >>28
何言ってるんだ
オルフェオは放送音源に一切手を加えずそのままの状態でCD化
してるんだよ
EMIはじめ他社がいかに音を加工、編集してるのかよく分かる
極めて良心的じゃないか オルフェオってクラウス&アイヒンガーがリマスターしてるんじゃなかったっけ? >>27
自分もあのスタジオ録音のやつが最初に聴いたから思い入れがあるんだが、もう廃盤なんだよな。 第九はバイロイトよりルツェルンが好き
グレイトは戦時中もよいけどグラモフォンが好き
ブラ1はグラモフォンもいいけど、北ドイツが好き
最近のお気に入りの動画は、人類フルトヴェングラー計画 タワーのサイトで久しぶりに通販検索してみたら、けっこう興味深い新譜がモゾモゾ出てくる予定。
コロナ非常事態解除が楽しみだ。 >>4
amazon.de 見たらそんなこと言えないわ >>39
ほっとけ。
4は自らの無能を世間に公表しているようなもの 今日5/25はフルトヴェングラー戦後復帰の日
皆で祝おう 俺は当然ベートーヴェンSym5を聴く
DG盤LPで 今日5/27はフルトヴェングラー戦後復帰の3日目。
1947年この日の運命交響曲のライブ演奏は未だにこの曲のベストCDとされている。
皆で祝おう おじいちゃんが夜中のトイレで思いついてすぐ書き込みました Beethovenを得意とした古便だが、それはSP時代、モノラル時代まで
ステレオ時代になってからは衰えた老指揮者の表現しかできなかった
コーホーはそこも指摘していた 誰と間違えてんだ?
俺もバイノーラルのエロイカは聴いてみたいが 元ネタ
387名無しの笛の踊り2020/05/27(水) 09:16:37.33ID:G1UTnyi8
モーツァルトを得意としたワルターだが、それはSP時代、モノラル時代まで
ステレオ時代になってからは衰えた老指揮者の表現しかできなかった
コーホーはそこを指摘していた
これを名前をすり替えてパクる朝鮮人
・ ↓
388名無しの笛の踊り2020/05/27(水) 09:36:19.14ID:micxyXPc
Beethovenを得意とした古便だが、それはSP時代、モノラル時代まで
ステレオ時代になってからは衰えた老指揮者の表現しかできなかった
コーホーはそこも指摘していた
51 名前:名無しの笛の踊り 2020/05/27(水) 11:28:41.98 ID:Rb5kpn9s
Beethovenを得意とした古便だが、それはSP時代、モノラル時代まで
ステレオ時代になってからは衰えた老指揮者の表現しかできなかった
コーホーはそこも指摘していた >>48
フルトヴェングラーは戦後、2年ぶりにベルリンに復帰した
1947年5月25日、ティタニア・パラスト、曲目はベートーヴェン、
チケットはまたたく間に完売。空襲の恐怖の中、マエストロと
ベルリン・フィルがベルリン市民の慰めであり、心の支えだった
ベルリン市民は戦後、巨匠の復帰を渇望していた
戦後の混乱した経済の中、コーヒーやタバコ、靴、陶器などを
窓口に差し出してチケットをもとめようとするものも多かった。
その演奏は空前絶後のものとなった その録音は残されており、
後世の我々が耳にできる まことに幸いなことである コーホーは○○と言った
としか書けない可哀想な老人もワルタースレを徘徊してるしな >>61
さかなです。
ttps://26786720.at.webry.info/201406/article_7.html
>でもコーホーを食べた人達は美味しいと言っているようですし、
>昔食べたコーホーの味の記憶を思い出すため食べる事を目的に出かけて見ました。 協会盤のバイロイトの第9が届いたので聞いてみました。
プチノイズが1〜2か所ほど取り残しがあり、強音がビリつく所もありますが、LP起こしとしては名盤・名復刻の部類に属するでしょう。
会報を読んでもライナーノートを見ても、元になったLPが何であるかは触れられていません。
私はLPに詳しい訳ではありませんが、「日本の足音入りマスターによる日本初期盤」LPが起こし元である、とにらみました。
理由は、足音入りマスターから起こしたディスクの共通点として、
1.冒頭に足音と拍手が入っている。
2.第4楽章でバリトンが歌う「歓喜の歌」のリフレインの合唱が、外盤ではミキサーが音を絞っていて白けるのに対し、足音入り盤はなぜかそこの音量低下が目立たない。
3.第4楽章の合唱の追い込みに入った所で、マイクが合唱自体よりも残響を大きく捉えてしまったため、半拍ないし1拍遅れて合唱が聞こえてくる部分があるが、これも足音入り盤はなぜかそれが目立たない。
という点が挙げられます。
さて、今回の協会盤では、上記1.はありませんが、2.3.は足音入り盤と共通しています。外盤に比べて欠点が目立ちません。
ということは、足音入りのLPから足音をカットしてしまえば、今回の協会盤のようなディスクができる、ということになります。
以上は私の推理ですが、皆さんが聞いたご感想はいかがでしょうか? >>64
解説に音源は、UK盤のALP1286-7って書いてあるよ。 >>66
ありゃりゃ、それはうっかり見落としていました。お恥ずかしい、失敗失敗。
・・・ところで、タワーレコードに予約注文していた54年ルガーノコンサートのCDが届きました。
あのコンサートの原テープは今日では田園交響曲の冒頭部分が痛んでおり、そのままCD化するとエルミタージュ盤のように聞き苦しくなります。
今回出たATS(アルトゥーロ・トスカニーニ協会)レーベルのCDは、電子的に補修したのか、テープを裏打ちしたのか、冒頭が大分改善されました。
テープの痛み(恐らく「折れ」)に由来するポコポコノイズは取り切れていませんが、スピーカーから聴く分には充分鑑賞に耐えるレベルです。
残る2曲、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番とシュトラウスのティル・オイレンシュピーゲルも非常に音質が良好・鮮明でした。
一聴の価値あり、です。 ルガーノの田園、演奏は良いんだけれど音が悪かったからね。 >>67
田園第三楽章の繰り返しのつぎはぎはどうなってますか? ルガーノLIVEは晩年を代表する名演だが、
マスター音源そのものが不完全で痛んでいるのが、悲しすぎる
ピアノ協奏曲などは、むしろEMI盤のほうが音質的には、
聴きやすい 劣化前のマスターを使っているからかも >>68 >>70
直っていません。ホルンがリピートの同じ所を見事に同じく吹き損じています。田園のマスターは編集後のテープです。
これだけ多くの出版元が枕を並べて討ち死に、ということは、第一次的なテープ(放送局?)はもう存在しないと諦めた方がいいのかもしれません。
>>72
ピアノ協奏曲にも田園にも言えることですが、EMI盤やLP起こし盤等の旧盤の方が、低音が効いて豊かで音が太く、その意味では聴きやすいのは確かです。
今回のATS盤の魅力は、音質が清澄で演奏が細部までくっきりと聞き取れる、という所にあります。
ATS盤で聴くと、E.フィッシャーが急病で倒れ、急遽代演したルフェビュールのピアノには必ずしも精緻とは称し難い点がある、などの発見があります。 ATSは胡散臭いレーベルだ
誇大な宣伝が目立つ信用できないマイナーレーベル NDRのブラ1は何回聴いても深みがあって素晴らしい ブラを何回つけても深みがあって素晴らしい、Hカップ >>74
昔、米国に実在したThe Arturo Toscanini Societyにあやかってつけたレーベル名だろうね
売り文句の語彙とジャケのデザインセンスを見る限りOレコードの変名じゃないかと思ってる
↓の評論や翻訳仕事で食ってる人をライナーに使って、それっぽい説得力を増やしてる
ttps://www.echorrhea.com/ 協会盤バイロイト第九(WFJ-107)、今更またバイロイト第九かよ!、と思って聴きましたが、期待以上でした。聴きやすい。 フルヴェンの演奏はどの曲に限らず1回聴いたらしばらくは聴きたいと思わないぐらい胸焼けしてしまうのはなぜなのか >>84
同意。DGのバーンスタインによる晩年のLiveにも共通するように思う。 日本人でフルトヴェングラーの実演を体験した人はいるのか? >>86
分かる分かる
マーラー全集とか巨人と復活だけで満腹 フルトヴェングラーやバーンスタインはCD向けではないということか
実演で聴いたら終生忘れ得ない感銘を受けそう >>87
朝比奈さんあたりは、会話までしている
控えめに見積もっても、二桁はいると思うが、
ご存命の方は少ないかも >>87
旧海軍のドイツ駐在武官だった曾祖父はバイロイトでトスカニーニを聴いたそうな
当時のポスターやプログラムや写真がある
フルトヴェングラーはわからんが、ベルリン常駐だったのでその可能性はあるかも
オレが生まれたときには曾祖父は亡くなっており、祖父から又聞き話しをよく聞かされた 1930年だっけ
ジークフリートが死ぬ前ので二人が参加してた
ポスターやプログラムみたいっす これってステレオ録音なんですか?
https://tower.jp/item/2782202
構成数 : 1枚
合計収録時間 : 01:18:00
録音 : ステレオ (---)
【曲目】ブルックナー:交響曲 第8番 ハ短調(ハース版)
【演奏】ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
【録音】1944年10月17日(ライヴ) フルトヴェングラーの音質について少し書こう
ご案内のとおり、マエストロの録音は必ずしもよくはない
しかし、聴くのが辛いほどでもない もちろん、デジタルの
ハイファイ優秀録音に慣れている人は、酷いと言うかもしれない
しかし、わたしのように古い実況録音を聴き慣れた人間には、
むしろ、鳴っていたであろう音を雑音のなかに探るように聴く、
楽しみは格別なものがある 演奏がよければ、音響の悪さなど
気にもならなくなる そういう力が巨匠の演奏にはある
聴き始めるとたちまち音楽に引き込まれ、録音がどうだの、
ノイズがどうだのといったことは、吹き飛んでしまう
これが、フルトヴェングラーの魔法なのだと思う
この魔力にとりつかれると、もう逃れられない
フルトヴェングラーには無上の喜びがある 1931年2月のブルックナー3番、聴きたかったな… バイロイトの第9、東芝の赤盤2枚組レコードは宝物
第1番が4面に収められている レコードはカビが生えるし盤自体の材質も経年劣化でダメになっていくからいずれはゴミになる >>100
ちゃんとガン箱に入れてもらえよ
家族に言っとけ >>101
まぁそれを言ったら、金属原盤も磁気テープもハードディスクも未来永劫劣化しないわけではないが 世界で始めて疑似ステレオを発売したのが独エレクトローラ
その商業化に使われたのがフルトヴェングラーであった
日本では東芝レコード10周年記念として何枚も発売された
英雄、運命、第7、第9などベストセラーとなった
レコードのラベルもフルトヴェングラーの顔を印刷してあった ブライトクランクはモノ音源にエコーをつけただけのインチキディスクだった あれは蓄音機で再生したやつをSTEREO録音したやつなの? >ブライトクランクはモノ音源にエコーをつけただけのインチキディスクだった
ウイーン・フィルとの運命、第6、第7 ブライトクランクはモノ盤とは桁違いの臨場感で凄かった 人工ステレオがまだ理解できていなかった連中はこぞって買いまくった ステレオ普及期にタマ数揃える間に合せだよな
歴史的録音を云々というような高尚なもんじゃない
俺は聴きやすいと思うけどな
イヤホンが多いからw 古弁聴きながら歩けば
歩き方に精神性が宿るといえよう ブライトクラン盤が出たときレコ芸ではどれも推薦盤にしていた
なにしろオープンテープまで発売されて
くそ評論家が左側からホルンの音が聞こえてなんちゃらどうたら能書きこいてた
当時のレコ芸批評家はフルベンを神のごとく崇拝していたからな ウイーン・フィルとの 第5, 第7 ブライトクランクでフルトヴェングラーの人気が出たんだよ
モノ盤だけではフルトヴェングラーは忘れられていた ブライトクランク、今発売してない事を考えると一時的な人気で終わったね。
一発屋で消えていった芸能人か ブライトクランクで人気が出たからライブ録音が探されたんだよ >>121
122 が書いてるがウラニアのエロイカは生前から人気があったじゃないか。
何がブライトクランクで人気だよ。
EMI のベートーヴェンの全集は、そんなにいいと想わないけど、ブラームスの全集はいいな、と思う。 >113
俺も家の敷地は170坪位はあるけど、
嫁に気兼ねしてヘッドホンが多いわ。 >>124
一室防音にしろよ
ドアに窓と床だけ対処でも音ほぼ漏れんし >126
地方だから土地広い事を自慢したかったのは事実です。
申し訳ございません。
買った当初は好きなだけ音出せると思ったら、
実は家の中に自分以外の人間がいる事に気づいて愕然としたと言う事が一番言いたかった事です。
>128
防音室を作るのは前から考えてるのですが、
ローンが大変なので大きなリフォームをする余裕がありません。
でも、そのうち防音室で作ることを夢見てます。 ウラニアのエロイカよりEMIのエロイカの方が遥かに名演だよ 1947年の第五ライブも初出は録音が酷過ぎて、当時はEMIの第五の方が評価が高かった
時にブライトクランクのEMIの第五は立体感が凄かった バイロイトの第九も後に出た放送録音のライブよりゲネプロのEMI盤の方が遥かに名演だった
フルトヴェングラーはライブよりスタジオ録音の方が名演なんだよ
特にブライトクランクはモノ盤より桁違いに良く聴こえる >>131
音質より演奏が全然違う
晩年のスタジオ録音は本当覇気がない メニューイン、フイッシャーと共演した協奏曲は評価が低かったのに
なぜかブライトクンク化されて発売された
コーホーでさえ推薦しなかったのに >晩年のスタジオ録音は本当覇気がない
ウィーンフィルがそういう演奏に向かないだけだろ 音楽がわからないアホはティンパニをバンバンぶっ叩くと覇気が有ると思うからなあ >>133
完成度が高いなんて言葉でごまかしてるけど、ぜんぜん物足りないし欲求不満
大空を自由自在に飛んでいた鳥を捕まえて篭の中へ閉じ込めたような印象を受ける
キレイにお行儀よく演奏するようになんて指示が出ていたのかね?
そう勘繰りたくもなる フルトヴェングラーは戦争前、戦時中、戦時中と晩年の間、それから晩年
この4つに分かれるかな?
俺は戦時中の燃えるに燃えた演奏が好きだな
とりわけベートーヴェンの9番には圧倒された。また6番の4楽章の嵐のシーンもピッコロが不気味な恐ろしさで響く、
好きなところだ。ウラニアのエロイカは1950年のベルリンの方がいいな
総じて、ウィーンフィルは羽目を外さないというのか、それが物足りない。
ベルリンのフルヴェンの意のままに動く演奏が好きだな。
52年のトリスタンにしても、フラグスタートの絶唱が聞けるので不滅の演奏だが、オケだけ見るとやはりフィルハーモニーは力不足。
最後のワルキューレにしても、歌い手も今ひとつだが、ウィーンフィルというのがやはりなー・・・・ まぁベルリンと比べてウィーンの表現が独特で婉曲的なのはそうだと思うけど、やはりフルヴェン個人の姿勢取り組みが一番の原因で、聴衆のいないマイクだけに向かう箱の中での仕事は冷めてシラけたお義理的な心境だったんじゃないかな
ウィーンでも戦中には燃焼度の高いものもあるし > 聴衆のいないマイクだけに向かう箱の中での仕事は冷めてシラけたお義理的な心境
ライブとスタジオ録音のこの違いは多かれ少なかれ全ての演奏家に言えるんじゃないのかな?
ワルターは俺はあまり好きでないけれど、しかし50年代のウィーンでのライブ演奏はすばらしい
そう言えば、ウィーンフィルとワルターは相性がいいんじゃないか。ワルターの意図するところを
ワルターが何も言わなくても理解しそのように演奏していたように思える。晩年のコロンビアは
そのような能力はなく、ワルターも老いていたせいか、相手に分からせようとする根気もなかったような感じがして、
生ぬるい演奏が多い。 大戦中のブラームス、交響曲4番、ピアノ協奏曲2番とか異常にテンション高いよな。 フルトヴェングラーの運命は演奏自体は43年の物が最高だが、音がよろしくないので、一般には47年の物を薦める。25日か27日かは好みの問題だな。
パリライブもいい。 >>146
一般的に評価の高いこの47年の運命、俺はあまり評価しない。
復帰等々に迷わされているんじゃないか?
43年の運命が一番。確かに録音が悪いのが多いが、tahraのは以上に音がいい
ソースが違うという噂だが >>144
ワルター&ウィーンフィル
相思相愛を音で表現したようなカップルだね
両者の目指す音楽の方向性が見事に一致してる
興奮や高揚はないかわりに幸福感に満たされている >ワルター&ウィーンフィル
>相思相愛を音で表現したようなカップルだね
ワルター&ウィーンフィルは本来のワルターの演奏スタイルと全然違うよ
ワルター&ウィーンフィルは中庸で格調高い演奏だけど、
ワルターはマーラー直伝の本来滅茶苦茶速いテンポでポルタメント掛け捲りのエキセントリックな演奏で有名だったんだよ
フルトヴェングラー&ウィーンフィルも中庸で格調高い演奏だから、意図的に演奏スタイルをウィーンフィルに合わせて変えている > ワルターはマーラー直伝の本来滅茶苦茶速いテンポ
”本来”・・・、それからどういう変遷をしたかの説明がない場合、この言葉、あまり意味がないし、
いちゃもんをつけたがる人の常用する言葉。。
確かに戦前や戦後直後頃のワルターはかなりテンポを動かし、ときにはあおるような演奏だった
(ニューヨークフィルとのベートーヴェンの交響曲全集など)。
しかし、人は変わる権利がある。 >>142
ウラニアのエロイカが何種類もあるとは知らなかった
あとフィルハーモニーではなくフィルハーモニア >それからどういう変遷をしたかの説明がない場合、この言葉、あまり意味がないし
ワルター
1935年までは極端に速く緩急も極端なテンポ、ノンヴィブラート・ポルタメント奏法
1936年から1939年までは早めだが緩急は大きくないテンポ、ノンヴィブラート・ノンポルタメント奏法、音色を最重視
1940年から1957年までは遅めのテンポで大音量のヴィブラート・ノンポルタメント奏法、低音を強調した力ずくの演奏、音色は中性的で濁った音
1947年以降は極端に遅いテンポ、室内管弦楽団風で響きは薄い 誤記訂正
1958年以降は極端に遅いテンポ、室内管弦楽団風で響きは薄い ワルターも1938年で死んでいれば20世紀最高の指揮者だったんだけど、晩節を汚したんだな フルトヴェングラーも戦中死ぬか戦後活動停止になったままなら伝説になってた そういう話じゃない
戦後録音あるんでなんとなく現代とつながりある人物として認識できるじゃん
聞けるの戦中までだと自分ならムックやニキシュらの伝説カテゴリーのところに入れちゃうわ せめてボルヒャルトに気付いてほしかった
名は残ってないが そいつ伝説になったんか
担ぎ上げられただけの指揮者とは違うだろ 名は残ってないが
名は残ってないが
名は残ってないが >>162
こういう人は何でググろうとしないのだろう アメリカ兵に射殺されたのか
ウェーベルンもそうだったっけ フルベンはオペッレッタも指揮したことがあるんだよ
これが散々たる大失敗に終わり、二度とオペレッタを振らなかった
フルベンにしてみればこんな低俗なもん指揮したくなかっただろう
それでナチスに睨まれたんだ
ヒトラーはオペレッタが好きだったからね >>166
フルトヴェングラーはオペレッタを振らずに、
ナチスに睨まれたとな
そんな話、聞いたことないわ モーツァルトのレクイエムの録音が残っていないのは残念の極み フルベンは時代遅れだったから現代音楽には目もくれなかった
これで指揮者人生をフイにしたんだ >>177
アナタの「現代音楽」の定義がよく分からんのだが、
「同時代の音楽」とするならば、
シェーンベルクの管弦楽のための変奏曲は、初演を手掛けている、
録音の残るストラヴィンスキーは、大して年齢が変わらない
ヒンデミットやペッピングに至っては、むしろ年下だ
現代音楽(同時代の音楽)には目もくれなかった、
という主張には無理がある なんかニワカが増えたせいかこのスレ、最近怪しい情報が多い。初心者は眉に唾をつけて聞くように。 フルベンはニューイヤーコンサートにも呼ばれなかった
それだけウイーン・フィルから煙たがられていた証拠だ
一連のEMIでの録音は金になるから仕方なくつき合っただけだ クナだってベームだって呼ばれてないけど
当時のニューイヤーはウィーン子のための催しだった。
それが映像化、商業化の波には勝てず ニューイヤーコンサートなんてくだらないワルツとかそんなのばっかりだろ
嬉々として振っているカルロスクライバーとかイメージ台無しでガッカリしたわ ウィーンフィルに恐れられていたのは
マーラー、トスカニーニ
愛されていたのは、クラウス、クナ
尊敬されてたのはフルトヴェングラー、ワルター >>182
だってクラウスでじゅうぶん事足りていたから
後継のクリップスも同じくウィーン生まれだし、その後はボスコフスキーの弾き振りと続く
他国勢の出る幕はなく、ワルツもポルカも今と比べて当時は遥かにローカルな音楽だったんだよ .>>182
フルトヴェングラーはウィンナー・ワルツを振るのが苦手だったみたいだよ。
ウィーン・フィルのメンバーは彼に対して「ウィンナー・ワルツの時は、あなたは
私たちの演奏に合わせて棒を動かしてればいい」と言っていた・・・なんてことが
宇野功芳の本に書いてあった。 >182
フルベンはドイツの指揮者であってオーストリアの指揮者では無い。
だから、オーストリアの民族音楽を振っても民族音楽にならないというだけだ。 >>187
フルヴェンにウィンナーワルツ、
きいただけで、脚に鉛を感じる コーホーはヨハンシュトラウス2の作品はつまらないと酷評していた。
評価していたのは弟のヨーゼフのほう。 ボスコフスキー時代はあらかじめスタジオ録音されたものを
毎年、ニューイヤーコンサートとして多売されていた
ボスコフスキーが退いたあと、ライヴでしか出さなくなった 1971年頃になるとさすがに選曲がつまらないものばかりになり
志鳥栄八郎も推薦盤にしなくなった ニューイヤーってそもそもクラウスが創始したものだからクラウスが生きてる間は他の指揮者が呼ばれることはなかったんだが。バカ?
それともわかってて言ってるのかな。 >>201
そんなこと言ったらワルタースレのおじいちゃんはどうなるの アビガンについて児玉氏が衝撃発言
「厚生省にコネのある人は、もうみんな飲んでます」
https://twitter.com/tetsuyan1112/status/1272351602171510784
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
518 名前:名無しの笛の踊り[] 投稿日:2020/07/18(土) 20:14:11.11 ID:KizysF/u
新型コロナは空気感染するエイズで結論
「Covid-19 は HIV」:米ペンシルバニア大学の研究で新型コロナウイルスが
フルトヴェングラーに重要な免疫細胞を「エイズ同様に消滅させている」と結論付けられる。
https://indeep.jp/how-novel-coronavirus-destruct-humsn-immune-system/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) フルトヴェングラーに重要な免疫細胞を「エイズ同様に消滅させている」 >>198
>古便のウィンナワルツそんなにダメかな?
マニアックなファンは、きちんと評価しているよ
特に、第二次大戦中(1943年)、ストックホルムで演奏された
皇帝円舞曲は、ウィーンフィルでも語り継がれる名演奏
動画でマニアが解説してくれているので、見ると良いよ ↓
https://youtu.be/IzwH3pN6Pxc?t=756
ストックホルム・ライブはシューベルトも名演だね タワレコで交響曲第2番のCDが安売りしてたので興味を引かれて買ってみた。
なかなか雄大で後期ロマン派風スケールの大きな力作。なんでもっと演奏されないんだろう。
1954年本人追悼演奏会のライブでヨッフム指揮バエイルン放送響だが、音は十分よい。演奏も充実。お買い得だった^^。 >>207
あの曲の冒頭あたりを聴いているとゴッドファーザーPART2を思い出す
移民がニューヨークへやってくるあたりとか .
フルトヴェングラーは、中国語で
富特文格勒 です。 そろそろお盆だからコーホー先生がお帰りになられるかな >>201
確かにねぇ。
宇野功芳死去の後、これと言って特徴のある評論家が見られなくなり、クラシック音楽の世界が淡いグレーのように見えるようになり、
際だった感想の書き込みの材料が失われた状態では、変わった書き込みをすることが難しい。
ただねぇ、フルヴェンにしても,もっと掘り下げて受け止める深さはあると思うんだけど。 昔のレコ芸の評論家はみなフルベンを絶賛してた
今はそのような時代ではなくなった 運命なら、クルレンツェス
宇野の代わりは、許か片山でいい。 朝鮮人なんかをレコ芸評論家に加えたことでおかしくなった >>221
>宇野の代わりは、許か片山でいい
許はマジで勘弁
佐村河内を絶賛するような人間は、そもそも
評論家を名乗ってほしくはない 宇野だろうが誰だろうが、評論家の推薦なんかに左右されんなよ。
俺が評論文を読むのは主に自分の知らない知識・情報が得られるから。 嫉妬狂いゴミ屑と多勢に無勢徒党組んで全ての音楽を失った気分はどうだ?
> > ↓
> ワンミングク、アウアウカー、アウアウアー、ササクッテロ
> スップ、嫉妬狂い阿呆に加担したゴミ阿呆のこいつらの共感羞恥エグいだろな。
> >
> > > ↓
> > > > > 391
> > > > > >
> > > > > > > あはは、ばかじゃねえかw
> > > > > > > 君はグールドの音は死んでも理解できないし
> > > > > > > とにかく必要ないからきかなくてよいよ。
> > > > > > > グールドは作曲家ではないしあんなものはお遊び。
> > > > > > > しかしグールドは作曲家の精神、曲の構造、何を表現しているか、人間の恥のようなものにも過剰に敏感であり、特にモーツァルトに関してはシアトリカルな部分が耐えられないと言っていた。俺にはよくわかるなあ、グールドの気持ちが。
> > > > > > > 俺も魔笛のあの有名なメロディとか大袈裟でくだらないと思うし、恥ずかしい。
> > > > > > > おそらくすぐ感情的になり逆上する人間だろモーツァルトは。
> > > > > > > 俺はモーツァルトの曲は全オペラ含めほとんど聴いているが
> > > > > > > つまらない曲は大量にある。しかし
> > > > > > > モーツァルトはバッハの次に好きだし
> > > > > > > モーツァルトのかわいい曲は好きだけど、
> > > > > > > グールドは幼稚な人間ではなかったからね。
> > > > > > > ハイドンありきだろ、モーツァルトはあまりにも
> > > > > > > 過大評価だよ。
> > > > > > > ただ他の作曲家ではありえないほど凄いメロディを持っているのは
> > > > > > > 凄いと思うよ。羊かいのアリアとかミサ。ピアノ協奏曲とか交響曲は飽きてしまったな、単純すぎて、あんなメロディにうっとりしてた20代前半の若き自分が懐かしいw
> > > > > > > メロディは所詮飽きる。 > > > > > > >連発するチョンコ、荒らしはやめろ! モーツァルトの名前見ただけで自動的にモーツァルトへの憎悪えぐいお前が、
とうとう少数派のモーツァルト愉しむフリすら出来ない音楽に造詣まっったく無いゴミ阿呆が確定して善かったな!
↓
>>819
> 在宅ワークBGMで、モーツァルトがNo1!
>
> モーツァルブームがオーケストラと共にやってきた!
820
> 聴き流せる音楽として1番だなんて、モーツァルト本望だろうな
> そのために作曲し続けていたんだからさ > > モーツァルトって頭悪かったのか?あまり知性を感じないけど
> > 389 天才グレングールドがモーツァルトは発展性がないって
> > 392 グールドを否定する奴は必ずグールドの作曲家
> > としての能力を引き合いにだす。
> > おきまりパターンw グールドは実はモーツァルトの物凄い理解者だよ。あの弾き方でわからない?> モーツァルトも平均律のチューニングが
> > 大嫌いだったのは知ってるよね?まあ、平均律とかとんでもない日本語だけど会話について来れるかな?w 自分で音を理解できない奴隷には無理だよw
> > 393 所詮映画アマデウスみて洗脳されてる奴隷ばっかなんだよな。自分の考えなど何一つなし。モーツァルトは実にくだらない曲が多い。 > 大袈裟子供ダマシベートーベン最高だもんな!
>
> ↓
> 391
>
> > > > > > > > > あはは、ばかじゃねえかw
> > > > > > > > > 君はグールドの音は死んでも理解できないし
> > > > > > > > > とにかく必要ないからきかなくてよいよ。
> > > > > > > > > グールドは作曲家ではないしあんなものはお遊び。
> > > > > > > > > しかしグールドは作曲家の精神、曲の構造、何を表現しているか、人間の恥のようなものにも過剰に敏感であり、特にモーツァルトに関してはシアトリカルな部分が耐えられないと言っていた。俺にはよくわかるなあ、グールドの気持ちが。
> > > > > > > > > 俺も魔笛のあの有名なメロディとか大袈裟でくだらないと思うし、恥ずかしい。
> > > > > > > > > おそらくすぐ感情的になり逆上する人間だろモーツァルトは。
> > > > > > > > > 俺はモーツァルトの曲は全オペラ含めほとんど聴いているが
> > > > > > > > > つまらない曲は大量にある。しかし
> > > > > > > > > モーツァルトはバッハの次に好きだし
> > > > > > > > > モーツァルトのかわいい曲は好きだけど、
> > > > > > > > > グールドは幼稚な人間ではなかったからね。
> > > > > > > > > ハイドンありきだろ、モーツァルトはあまりにも
> > > > > > > > > 過大評価だよ。
> > > > > > > > > ただ他の作曲家ではありえないほど凄いメロディを持っているのは
> > > > > > > > > 凄いと思うよ。羊かいのアリアとかミサ。ピアノ協奏曲とか交響曲は飽きてしまったな、単純すぎて、あんなメロディにうっとりしてた20代前半の若き自分が懐かしいw
> メロディは所詮飽きる。 クラシックスレによく現れる荒らし氏の音楽的素養が無さすぎて本当に迷惑。
感覚で書くのなら、もっと有益なことを書いて欲しい。 > 大袈裟子供ダマシベートーベンのが偉大だもんなぁ〜
> 阿呆に産まれたら
> 自分の阿呆ごまかす正当化を少ない脳の浅知恵ふりしぼって考えるもんだなぁ〜
> まぁ、それを思い込めてないから、
> 狂暴化するんだけどなぁ〜
> サトラレは哀し過ぎて笑える NHKFM 8月23日(日)
�゚前9時00分〜�゚前10時55分
名演奏ライブラリー
▽伝説のマエストロ(3)
ドイツの名指揮者 フルトヴェングラー
・ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
・ハイドン:交響曲 第94番 ト長調「驚愕」から 第4楽章
・フルトヴェングラー:交響曲 第2番 ホ短調から 第3楽章
・ブラームス:交響曲 第4番 ホ短調 作品98
・リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28 https://www4.nhk.or.jp/meiensou/x/2020-08-23/07/72222/4665547/
8月23日日曜
NHKFM 午前9時00分〜 午前10時55分
名演奏ライブラリー ▽伝説のマエストロ(3)ドイツの名指揮者 フルトヴェングラー (3)というのが気にくわんな
フルトヴェングラー以上にマエストロな指揮者が二人いるって主張してるんだろ 某YouTuberの配信。
前はホンワカ連帯感もあって楽しかったんだけど
最近、主と著名人が絡み始めてから面白くなくなったな。
明らかに著名人重視になったし、政治ネタも増えてきたし、
そりゃFacebookグループで怒りの撤退する人も出るかと...。 いまNHKFMでフルベン特集放送してるけど、音が悪くて聞いていられねえな
今の時代にはそぐわない時代遅れの指揮者だったな >>237
補正機能搭載してないヤツにはノイズにしか聞こえないだろうな いまだにレコ芸の評論家に洗脳されてるバカがいるんだなw 精神性の時代に生きていなかったので、
その手の話ががジョークにしか聞こえ無いんだけど。
いやまあ、古弁は楽しいから好きなんだけどね。 精神性と言いだすのはコーホーに洗脳された愚かな輩といえよう >>237
ほらね、来ましたよ。こういう安易な勘違いアホウwwww
音が悪いのは
指揮者のせいではない!
おまえうましかなの?
おまえの親って、人間? まあ、録音技師の思うようにはマイクをセッティングさせなかったし、同時期の他の人の録音より音は悪いのも確かだけどね。 フルベンがもっとレコード録音に積極的だったら多くの名盤が残せたのに 俺の知人なんか、「今一番したい事は、デジタルレコーダー忍ばせて、1940年代のドイツへ
タイムスリップして、御大の演奏会のライヴを収録しまくりたい。」って言っていたぜ。
なんか、少年の様にピュアで、すっげ〜熱いものを感じたぜ!! ベートーヴェンの耳を未来の医学で治してから、1940年代に連れていくだろ。 >>235
まぁ、トスカ、メンゲルで
5大指揮者。
クレ+悪太ー ニキシュ、ワインガルトナー、エーリッヒ・クライバーはどこ行った?
録音あるのに。 >>235「楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死」
ワーグナー:作曲
(指揮)ウィルヘルム・フルトヴェングラー、(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(18分10秒)<ワーナーミュージック・ジャパン WPCS−12900>
「交響曲 第94番 ト長調「驚愕」から 第4楽章」
ハイドン:作曲(指揮)ウィルヘルム・フルトヴェングラー、(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(3分56秒)<ワーナーミュージック・ジャパン WPCS−12904>
「交響曲 第2番 ホ短調から 第3楽章」
フルトヴェングラー:作曲(指揮)ウィルヘルム・フルトヴェングラー、(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(16分22秒)<Deutsche Grammophon 457 722−2>
「交響曲 第4番 ホ短調 作品98から 第1楽章の冒頭部分」
ブラームス:作曲
(指揮)アルトゥーロ・トスカニーニ、(管弦楽)フィルハーモニア管弦楽団
(2分34秒)<Warner Classics 0190295349516>
「交響曲 第4番 ホ短調 作品98から 第1楽章の冒頭部分」
ブラームス:作曲
(指揮)ウィレム・メンゲルベルク、(管弦楽)アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(2分40秒)<Warner Classics 0927 42662 2>
「交響曲 第4番 ホ短調 作品98」
ブラームス:作曲
(指揮)ウィルヘルム・フルトヴェングラー、(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(41分04秒)<ワーナーミュージック・ジャパン WPCS−12898>
「交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28」
リヒャルト・シュトラウス:作曲
(指揮)ウィルヘルム・フルトヴェングラー、(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(16分19秒)<ワーナーミュージック・ジャパン WPCS−12903> フランクの交響曲録音の際に、マイクの数が多すぎると言って
マイクを取り除かせたんだろ
録音に対してはまったく無知だったんだな
時代遅れもいいとこじゃん フルベンは考え方が古かったから新鋭のカラヤンにも抜かれたんだよ
それが嫉妬となりカラヤンに対抗意識をむき出しにしたんだ そうです、そうです、貴方様の仰るとおりでございます。
よ〜く、ご存じでいらっしゃいますねぇ(笑) 若手に嫉妬したフルベンはみっともなかった
指揮活動を禁止されてたときに
BPOのレベルを下げないように努めたチェリにも嫉妬したし 音楽性はともかく、人間的には小せえ奴だったとしか言いようがない 芸術ってのはコンプレックスとか不満とか、怒りとか、そういった負の感情が昇華されてできるもの まあ、あの偏屈な性格があるからこそ、
あの音楽を生み出す事ができるとも言えるからなあ。
芸術家に人格なんて求めても仕方がないという話だよ。 >>264
付き合ったこともない人間を、お前の価値観で
断言するなよ!(笑) 若い頃に自分が他への驚異になる立場で気が付かなかったろうけど、歳とって権力Maxになったのにカラヤンやチェリビダッケが出てきたのはビックリして凄いストレスだったろうね。 頂点まで上り詰めるとあとはそれを維持するか落っこちるかのどちらかだもんね
自分の座を脅かす存在になりえる者を警戒するのは当たり前だし、音楽を取り巻く時代の変わり目を痛感してたんだろう
時代の変革とそれに適合する人物に怯えていたんだと思う
自分がもはや時代遅れの音楽家であることを晩年のフルベンははっきりと認識していたんじゃないかな エリーザベット夫人の証言をまとめた志鳥栄八郎氏の著書によると、
WFは、年々衰え行く聴覚の事もあり、若い頃から興味を抱いていた、作曲の方に
活動を移したがっていたとある。そういう心境にあって、チェリビダッケほかの様な
新進気鋭の登場は、当然と捉えていた筈で、世に言われるほど嫉妬だの焦りだのに
駆られていたと言うのは、いかにも迂闊な見方。
人生浅い人のメガネで、そして自分の心象中心で、何事も判断しようとするから、
そんな話題にはしゃぐ愚か者が、さらにそこに集い虚構世界を餌に、虚しい宴会状態になる。 おめえら、そう言う事だよ!
想像でモノ言うな!
少なくとも、一次資料をあたれよ! フルベンがカラヤンの登場に恐れていたことは事実
自分の地位が低くなってしまうからね 仮にフルトヴェングラーの聴衆が居なくなっても、彼の音楽論は残る >>269
その資料とやらも怪しいもんで疑ってかからなきゃならんでしょ
身内の証言なんてアレだからね
虚々実々でしょ
シンパシィが強いほど都合悪い部分は隠蔽し美化をはかるのが常 もう自分の時代ではなくなったと判断して死を選んだフルベンは正しかった >>278
お勉強のほうはあまり得意じゃなかったみたい
受験に失敗して旧制中学しか出てないから
まぁ独学でマスターした可能性はある
訳書とかあるんかな? 当時の人って、適当な情報で穴埋めして記事をでっち上げてたから、信憑性はわからん奴だね。
「人間フルトヴェングラー」は読んだことがあるけど、大人が読むような本でなくて、中学生位が書いた感想文だった。 >>279
へへ、また一つの事実だけ捕まえて
可能性からの妄想合戦ですね
一知半解のガキどもがァァ〜 こんなところで、想像に浸ってワアワアぎゃあぎゃあやってるより、
知りたきゃいろいろ、実証的文献をあたりゃいいじゃん。
『可能性はあるな』とか抜かしてないでさ。
大体、何で志鳥氏の学歴云々言ってんの?本当におかしな連中だな。
どこかに、揚げ足取りが出来ないか?そればかりクンクン嗅ぎまわって、卑しい奴だ。
まあ、文献を探して真相掴む、そう言うのやった事もないんで、当然やり方も分からないから、また論点ずらしで大童だろうけどよ(笑)
一生この、蟻んこの巣から出られず終わるんだろ?
おまエラみたいな、無学なやつは(笑) フルトヴェングラーなんか聞くのは、それからでいいよ。
どうせ今も、「鳴っている音」しか聞いていないんだろ? ホンモノが判らん事が悔しくて仕方ないゴミ阿呆
> ↓
> > > 391
> > > >
> > > > > あはは、ばかじゃねえかw
> > > > > 君はグールドの音は死んでも理解できないし
> > > > > とにかく必要ないからきかなくてよいよ。
> > > > > グールドは作曲家ではないしあんなものはお遊び。
> > > > > しかしグールドは作曲家の精神、曲の構造、何を表現しているか、人間の恥のようなものにも過剰に敏感であり、特にモーツァルトに関してはシアトリカルな部分が耐えられないと言っていた。俺にはよくわかるなあ、グールドの気持ちが。
> > > > > 俺も魔笛のあの有名なメロディとか大袈裟でくだらないと思うし、恥ずかしい。
> > > > > おそらくすぐ感情的になり逆上する人間だろモーツァルトは。
> > > > > 俺はモーツァルトの曲は全オペラ含めほとんど聴いているが
> > > > > つまらない曲は大量にある。しかし
> > > > > モーツァルトはバッハの次に好きだし
> > > > > モーツァルトのかわいい曲は好きだけど、
> > > > > グールドは幼稚な人間ではなかったからね。
> > > > > ハイドンありきだろ、モーツァルトはあまりにも
> > > > > 過大評価だよ。
> > > > > ただ他の作曲家ではありえないほど凄いメロディを持っているのは
> > > > > 凄いと思うよ。羊かいのアリアとかミサ。ピアノ協奏曲とか交響曲は飽きてしまったな、単純すぎて、あんなメロディにうっとりしてた20代前半の若き自分が懐かしいw
> > > > > メロディは所詮飽きる。 >>283
フルトヴェングラー指揮の場合は「鳴っている音」にもれなく脳内補正が追加されます(笑) まぁ此の板はモーツァルト判らんのが悔しくてモーツァルト批判する生きる値打ち無しゴミ阿呆が多いが、全体的にはモーツァルトを愛する人間のが多くて、お前らゴミ阿呆は少数派の音楽聴く資格剥奪されたゴミに成った訳だ。
> ↓
> > > 391
> > > >
> > > > > あはは、ばかじゃねえかw
> > > > > 君はグールドの音は死んでも理解できないし
> > > > > とにかく必要ないからきかなくてよいよ。
> > > > > グールドは作曲家ではないしあんなものはお遊び。
> > > > > しかしグールドは作曲家の精神、曲の構造、何を表現しているか、人間の恥のようなものにも過剰に敏感であり、特にモーツァルトに関してはシアトリカルな部分が耐えられないと言っていた。俺にはよくわかるなあ、グールドの気持ちが。
> > > > > 俺も魔笛のあの有名なメロディとか大袈裟でくだらないと思うし、恥ずかしい。
> > > > > おそらくすぐ感情的になり逆上する人間だろモーツァルトは。
> > > > > 俺はモーツァルトの曲は全オペラ含めほとんど聴いているが
> > > > > つまらない曲は大量にある。しかし
> > > > > モーツァルトはバッハの次に好きだし
> > > > > モーツァルトのかわいい曲は好きだけど、
> > > > > グールドは幼稚な人間ではなかったからね。
> > > > > ハイドンありきだろ、モーツァルトはあまりにも
> > > > > 過大評価だよ。
> > > > > ただ他の作曲家ではありえないほど凄いメロディを持っているのは
> > > > > 凄いと思うよ。羊かいのアリアとかミサ。ピアノ協奏曲とか交響曲は飽きてしまったな、単純すぎて、あんなメロディにうっとりしてた20代前半の若き自分が懐かしいw
> > > > > メロディは所詮飽きる。 グールドだって現代のピアノでバッハを弾くとか全然バッハが解ってないけどな > ヴァイオリン レイトの会とかいうスレッドの
> 糖質スコア自慢の虚言癖自作自演会話が哀し過ぎる。
> 流石阿呆過ぎる
> ↓
>
>
> 246
>
> > >>23D
> >
> > > 俺も楽器は100万だけど弓は10万だよ。
> > > 弓は高い安いはあまり関係ない。
> 245
>
> > >>23C
> >
> > > 最近100万くらいの楽器に買い換えたんだけど、弓は以前のままで、何を隠そう値段は5万
> > > はぁ、誰かお金ちょうだい
> 231
> > > すみません「100万の楽器に30万の弓だ」が強いインパクトだったので、その金額が目安となってしまいました。
> > > 「先生に予算と、」は霞んでしまってました。
> > >
> > > >よく見たら弓は個人持ち
> > > 逆に言うと弓が良いとそんなに違うってことでしょうか??素人レイトの疑問はつきません・・・
> > > 上手(程度問題はありますけど)になれるかどうか、にも影響が・・・・と考えてもよいのでしょうか。 >>287
どこを分かっていないのか。
適宜上げてください。
はい、どうぞ!! >>282
>おまエラ
なかなかユニークなセンスですね ドン・ジョヴァンニもフルトヴェングラーやクレンペラーのようにニ短調の和音をジャ〜〜〜ン!と長々と鳴らすのではなくハーディングのように短く切ってセコセコ演奏するのがこれからは主流になるのかね? (6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
http://twitter.com/ibuki_air
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ↑言い尽くされている。
自分が初めて聞いたのですら、小4の時「オーケストラがやって来た」TVで
芥川也寸志さんが言っていた。 「音楽の広場」って、NHKだったっぽくね?
だから、なんかちがくね?
でも、そうは言っても直純は、居なかった記憶っぽくね?
つまり、曖昧なんじゃね?
でも、やっさんが言ったのは、マジじゃね? 見ると、なんか書き募って
304 に対して、嫌みっぽくね?失礼しましたじゃね? でもフルトヴェングラーの指揮棒の振り方はトンデモで目の当たりにすると面食らうのは事実じゃね? 「我慢できなくなって椅子の回りを2周して弾き始めればそこがアインザッツ」
ベルリンフィルのジョーク 何と言っても彼の文章が素晴らしいよ
交響曲は忘れられても文章は残る >>310
「みんなが我慢できなくなってズズーッと出始めたらそこがアインザッツ」
ウィーンフィルのジョーク >>308
笑いながら言うけど、見知らぬ相手に「ks」は、失礼。 むむ、そんな事に小一時間も費やすおぬしとは・・・いかに? 暇だねぇ
まだ暑いねぇもう少し涼しくなると動きやすいんだけど 超ピアニッシモを要求されて
弾く真似だけしたら満足げに頷いた
という話あったな いんや俺はフルトヴェングラーの話として読んだ
ソースはLPのライナーノーツかな
どの曲か忘れたけど 音楽の広場 NHK総合
土曜 22:30 - 23:10 (1976年4月10日 - 1978年4月1日)
土曜 21:10 - 21:44 (1978年4月8日 - 1981年3月28日) - 移動とともに放送枠が6分縮小。
金曜 19:30 - 19:59 (1981年4月10日 - 1983年3月18日) - さらに5分縮小。
金曜 19:30 - 19:58 (1983年4月15日 - 1984年3月23日) - さらに1分縮小。
記憶にうすいなあ >>303
その駄洒落の作者は近衛秀麿子爵だ、という説があるが、真偽のほどは確認できない。 >>322
その通り
エンジェル・ベスト100だったと思う >>326
比較的最近の新書で読んだような気がするから、そっちは孫とかひ孫引きなのだろう >>325
それも聞いたことある。
ただ、
303は、「芥川が最初だ」とは言っていない。
ま、これの原典とか、どうでもよいので・・・。 初めて客員として訪れたとき、オケの楽員に
「もっとはっきりと振ってもらわなければ分からない」と言われて
怒って帰ってしまったというエピソードを何かの本で読んだことがある 音楽評論家のようなゴミの言ってる話を完璧に信じてる奴がいて笑える
あんなもの半分は創作だろ いろんなエピソードあるわな。
まあ、今では「炎上」扱いされるようなのもね。 戦後復帰演奏会(5月27日)のべト5のSACD、最近初めて聴いた。
確かにCD(私が持っているのは「UCCG-3696」という番号のもの)に
比べて音質とかダイナミックレンジは向上しているが、音そのものに
勢いが無いように思えた。もうちょっとマスタリングとか工夫して、
エネルギッシュな感じに仕上げて欲しかった・・・ p協、いろいろ故あって聴いているんだが、
クーベリック、偉い人だったんだなあ。
母体の支援あってのことだろうが、
本当に立派な仕事をした。
にもかかわらず、
日本に来たらドヴォジャークかスメタナばかりやらされて、
本当に申し訳なかった。
日本国民を代表してお詫び申し上げます。 >>338
ソリストのエリック・テン=ベルクとかいうやつ、
本当になんも知らんが、
誰か知ってる奴いるか? >>338
メータがベルリンフィルの定期でバレンボイムを起用して、
そのあと手兵のロスフィルとやったライブが
海賊版で出回ってるらしい。
メータもバレンボイムも、
どっちもおかしい。 あと、フルヴェンのドキュメンタリーでバレンボイムが弾いてた。
楽譜は出版されてるから、簡単に手に入る。
まあ、弾けるけど、長い。 スレチだが、
クーベリックこそはブルックナーの最高の指揮者だった。
バイエルンの退任記念の9番のライブは
これ以上はないという至高の演奏だった。 日本初演はN響で園田だったそうだが、
当時N響アワーでやったのかしらね。
もし音源があるなら、今となってはレアものだぞ。 これもスレチだが、
シンフォニー2番の日本初演に
朝比奈がこだわって、
無理やりやってしまった。
そのあとの取材で
団員には悪いことをしたと懺悔していたのが笑えた。 戦後復帰初日の1947年5月25日の
田園と運命のCDを色々聴き比べてみた。
漂白されてるってんで、駄目出しされてる
THARAのFURT 1016を、かなり前から持ってて、
まぁ、昭和22年の録音なんだから、こんなもんでしょ。
と思って聴いてた。臨場感が薄い。
もう少し「いい音」で聴いてみたいと思って、
今手に入る中ではマシと言われてるDeltaの
DCCA-0022を聴いてみたら、THARAよりは
ドライじゃないような感じ。劇的にいいとは
思わなかったけど。
以上の2枚では、録音はともかく、
あまり名演とも思わなかったけど、
FONIT CETRAのK33Y 193を聴いてみたら、
少しコモった感じはあるけど、臨場感が凄くて、
名演奏だなぁと初めて感じた。
少々リバーブをかけて、ついでに若干ステレオ化してますな。
後から人工的に足してるんだろうけど、会場の残響、
奥行きみたいのを感じる。音像を甘くする処理を
してるんだろうけど、弦や管の立ち上がりが
鋭く鮮やかなまま残ってる。
上手に後処理をしてて、邪道かもしれないけど、聴きやすい。
auditeのKICC 959は一番クリア。一番、マスターテープに
忠実な音なんだろうけど、ちょっと高音がキツいかなぁ。
やはり、あまり名演に感じない。
クリアなんだけど、臨場感が薄い。ソノシートにあったよね
みたいな感じ。 最近オペラの再発売してますが…
テープ起こし?ですかね(笑) >>347
今、キングから出たフィデリオを聞きながらこれを書き込んでいるが、明らかに板起こしではない。 東芝の赤盤時代が最高に売れた
とくに疑似ステレオで発売されたときの人気はすごかった
レコ芸の批評家もすべて推薦にしていたもの >>349
同意。
ターンテーブルが壊れて以来LPは聴かなくなったが、
LPから録音しておいたカセットテープを聴いてみると、
CDよりも楽しめたから不思議。高音がよく伸びて熱気
をおびて盛り上がる。(ワーグナー指環RAIローマ)
そのテープもわかめのようになって廃棄。 VPOとのベト9は録音予定に入っていたというのは本当か >>354
コリングウッドが55年のスタジオ録音を企画していた、とまことしやかに言われていますが、
当時のEMIの関係者のほとんどが死去した今日となっては、検証は難しいでしょうね。 あと一年生きていれば残りの2番、8番、9番が録音できていたのにね >>356
ライヴでもスタジオでもどちらでもいいがともな2番の録音を聴きたかった(´・ω・`) フルベンのベートーヴェンは奇数番号がいい
これは以前からも言われていたほど
4番にしろ田園にしろ、ひどいもんだ
本人も不得意だったんだろう >>358
フルトヴェングラーのベト4、田園の素晴らしさが解らないとは、
音楽を聴く耳を持ってないんだろうな。
全くもってひどいものだ。 田園のテンポの遅さは異常、ドロドロとした暗さ
爽やかさがまるでない
誰でもこんな演奏は受けつけない レコ芸でもフルベンの田園は酷評されてるし
最悪の駄演だもの あのしみじみとした感慨の深さ
心に染み入るゆったりとした足取り
フルトヴェングラーの田園は他に類のない名演としかいいようがない
本当に素晴らしい EMI全集盤は駄演だからそれしか聞いてないとフルヴェンの偶数番号はダメって評価も頷ける フルベンの田園なんかを賛美してるバカには困ったもんだ 自負の感性だけが絶対だと思ってる低レベルの輩は困ったもんだ でも、5チャンてそう言うバカが、そう言うバカな事を言い合う場だからね!
そもそも。
ここで言い負かしても、何にもならん訳だしさ(笑) >>366
「感性」なんて気の利いたものとも思えないが
田園なら田園は快活でなければならんという固定観念でしか音楽が聴けないんだろ
こんな奴はレコ芸推薦を有難がって拝んでればいいんだよ
幸せなじじいだよw ほとんど聴力なくなって暗く重く絶望的な気持ちだったんでしょベートーベン
そんな心情を表現したと思いながら聴けばまんざら的外れでもないんじゃないのフルベンの田園 フルトヴェングラーの田園は決して暗い音楽にはなっていないよ。
あの独特のテンポの中で、田園風景はにこやかにほほ笑んでいる。 今、最近新しく出たワインガルトナーのベートヴェン交響曲全集を聞いているところ。
そして思った。
フルトヴェングラーの対極に立っていた指揮者は、トスカニーニでもカラヤンでもなく、ワインガルトナーではないだろうか。
瞬間瞬間の表情に全てを賭けるフルトヴェングラーに対し、常に全体の構成を考えて曲を構築するワインガルトナー。
フルトヴェングラーは「音と言葉」でトスカニーニを一言も悪く言っていないが、ワインガルトナーは鋭く批判している。
両者の美学は正反対で、決して相容れることがない。
(ただし最晩年のフルトヴェングラーはワインガルトナー化(?)の傾向がある。
ワインガルトナーの運命を聞いて、'54年正規録音のフルトヴェングラーの運命を連想した。) アゴーギクを多用したフルトヴェングラーのスタイルは全体の構成をとことん考えてこそ出来る技
むしろワインガルトナーのようなスタイルの方が全体の構成をあまり考えずによく言えば素直にその場その場で振ってる演奏 そのCDみたら、ミドルネームのありそうな日本人名でオーパス蔵とか書いてあるので、胡散臭さがなかなかあるね。
【再生・復刻エンジニアのAkira A Fukushimaより】
「ワインガルトナーのベートーヴェン:交響曲全集は巨匠の金字塔とも言える名録音です。やはりSPで直接聴くことが望ましいのですが、数年前にオーパス蔵さんが立て続けにCDとして発表した音質が十二分と呼べるほどの素晴らしさで、感動しました。このまま9曲が復刻されて行くものと信じておりました。しかし、ウィーン・フィルとの演奏4曲のみで終わったことは残念です。 フルトヴェングラーはシェンカー理論の人
個人的には>>337のようのな、曲全体の大きな流れを考えた振り方をしてると思ってる
ブラ4の第4楽章のコーダに突っ込むまでの組立て方、からのコーダの爆発には鳥肌立ったな ただ、フルトヴェングラーの演奏は瞬間瞬間の表情にもハッとすることが多いし、
>>376の感想も的外れではないと思う
てか、聞き手の感想に正解とか間違いとかは無いと思うし、感じ方は人それぞれだ
変に前知識持ってないほうが、色眼鏡がかからなくていい フルヴェンの舞台、
行定ので実際に見に行ったが、
最近、また別の演出で上演されてたのね。
こういう舞台が日本でどんどん上演されるのはとてもいいことだ。
余談だが、90年代にカラスの一人舞台が黒柳で上演されたのを見逃したのは、
生涯最大の失態だった。
今に至るまで後悔し続けている。
今やるんだったら、高橋惠子か大竹しのぶだろうなあ。 このスレの住人で、
黒柳のカラス見に行った奴いるか? >>382
ちなみに、行定の舞台、
端役で鈴木亮平が出てた。
だいぶ後になってそのことを知って、仰天した。
ずいぶん出世したなあ。 そういや、書いてて思い出したが、
レッグがフルヴェンとカラスを組ませることを考えてたとかいう話を思い出した。
いやそれはどう考えても合わんだろう。 フランス物は苦手だったフルトヴェングラー
フランクの交響曲だって本人の指揮か信用できない
新世界の例があるからな >>387
フランクはオルフェオ・レーベルのウィーン・コンサート集から新しく出ているから、信頼性が非常に高い。
それよりもターラのモーツァルト40番の方が問題。 彼の交響曲はアルフレート・ヴァルター指揮のCDが(あくまで比較相対的に、だが)退屈感が少ない。 >>389
では、多くの人から「お前は、今日一杯で死ね!」と言い募られたら
お前はどう行動するんだ?
そう言う事は、人に聞くものじゃない。 「魔弾の射手」のステレオ録音が出るらしいが完全なステレオ録音じゃないでしょ?
トスカニーニの晩年のステレオ録音と称する収録方法と同じやつでしょ? >>397
>今回弊社が使用する音源は1984年に伊チェトラで発売されたLP(品番はFE-24)
はい、解散 >>398
慌てんじゃねえや、話は終えまで聞くもんだ
>今回弊社が使用する音源は1984年に伊チェトラで発売されたLP(品番はFE-24)、ミラノのディスコス社制作のマスターテープです。
板起こしじゃねえんだ、テープ音源だ 本CD原盤には「オリジナル・ステレオ録音」と明記されており、RODOLPHEでも
放送用録音とは別のステレオ録音であると断言しております。しかし、ステレオ黎明期
のいまだ実験的とも言える時期の録音であります故、弊社といたしましては、ここに
聴かれるステレオがどの様な方法によって収録されたかについて、独自の調査を進めて
おります。この件につきましては、一部マスコミ等でも取り上げられ、各方面から様々
な御意見を頂いておりますので、調査結果につきましては、判明次第『レコード芸術』
広告等で発表させて頂きます。ご了承ください。
1989年5月25日 株式会社ANFコーポレーション
…っつうのが、俺の持っている輸入盤ハルモニアムンディ仏CDに、輸入元が添付していた
断り書きの文章でござい。皆さんの言っている、音源かどうかは存じません。 今回のステレオ録音、ものすごく怪しいような気がするが、
確かにデッカでは55年には正式なステレオ録音をしているので、
実験的な録音という可能性もあるが、とりあえず発売されたCDを
聴けば、疑似ステレオかどうかわかるので、発売を待つことにしよう。
私としては、疑似ステレオ化したマスターテープからCD化に一票、
というところかな。 stereoと云うmonauralかな(笑)
昔は飛びついて買ったもんだが… モノラル録音を蓄音機で再生してステレオ録音すればスタジオの残響を付けてオリジナルのステレオ録音 ウェーバーはなんとも言えんが、
ベートーヴェンは、やはり最初に
聴くべき、フルトヴェンヴェケヴェンだよな!
異論はないよな! ベートーヴェンなんて別に大した作曲家じゃないし最初に聴くべきなんていう大層なものは必要ない >>408
の馬鹿へ!(笑) その事実を理解できない場合、多くの未発達段階の人間は
その事実を安易に否定したり、無かった事にして、我が身が平然としていられる環境に
安住したがる、認知的不協和に陥る。 >>411
そういう釣りに乗ったら>>408の思うつぼですよ
煽り目的でわざと書いてるんだから >>412
冷静な御助言ありがとう!
夕べはストレス解消で、「一番手軽に叩きやすいバカ」を叩いてしまっただけ。
こう言うのが「煽りにのった」事になるのだろうけれど(笑) >>411の日本語を理解できるやついるの?全く意味不明なんだが 日本語としては十分読める
全く共感しないだけのこと フルトヴェングラーのステレオ録音は定期的に有るのではの話しになるが…
真性は無いのが結論では? こんどAltusから出たウィーンフィルとのライブ4枚組、後ろから順に2枚目まで聞いたが、これはちょっとひどいぞ。
低音がバッサリ切られてベートーヴェンがベートーヴェンに聞こえず、ブラームスがブラームスに聞こえない。
どうしてこうなった… マスタリングが悪いからだろ。プロデューサーの耳がおかしいんだよ >>424
2004年発売の単品はそんなことないけどな、、
再発売するにあたってマスタリング変えてしまったんだろうな。 >>424
いつもそういったレベル
与えられたもので満足せよ! >>424
Altusのパブリシティには「しかも新リマスター」とか書いてあるだけ。
要は、ヤツ等メーカー側としては、
それさえ歌えば、消費者は再び目の色変えて、ムシャブリツイテ来る、
っていう態度なんでしょうね。もう、乗らない方が良いんだよ。 SACDになったら必ず音質向上すると思い込んでるバカがいるからな。
そういう奴は糞メーカーのいいカモなんだよ。 モスキート音なんか聞こえないジジイ連中ばかりだもんな 今やセンターも協会も新譜無いし。
ドラえもん呼ぶしかないよ(笑)
「何処でもドア〜♪」(爆) 結局は、「音質ばかり聞いてんじゃねえ!音楽を聴け!」
って事だ。 移動したからといって無いものは無いだろ
ろくおんはっけんきぃ〜♪
でテキトーな録音引っ張り出して信じ込ませてくれた方がいい 日本でフルトヴェングラーを神のごとく祭り上げてた批評家はクソだと思う フルトヴェングラーを神のように崇めていたのは評論家である前に、彼の元で演奏したオケの面々、彼と共演した歌手、ソリスト全員なんだよな >>440
どうした!?
あ、声を出さずに泣いてるぜ(笑) フルトヴェングラーは神だと思っている。
7年ほど前の正月休みに両親と静岡市のフルヴェン実家(もんじゃ焼き屋)に
食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりフルトヴェングラーが
玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わないイタリアンないでたちで。
フルヴェンが「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた楽団員が「フルヴェンさん!」「フルヴェンさんかっけー!」などと
騒ぎ出し、フルヴェンが戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い
サインをしてくれた。
楽団員達がフルヴェンの指揮するベルリンフィルだとわかったフルヴェンは
いい笑顔で会話を交わしていた。
そしてフルヴェンは「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親はフルヴェンの気さくさとかっこよさに興奮しつつ
食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さん(カズ妹)が
階段の上を指差しながら
「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。 フルトヴェングラーが1000人以上の女性とセックスしたって本当? 演奏会の前に指揮者控え室に要件を伝えに言ったら御婦人とパコってる最中だったとか >>397
まだ発売前みたいね。
ステレオなのかな?
当たり前だがモノラルかな? しつこい朝鮮グック
毎回同じコピペ貼りつけるだけのキチガイ 神田方面から御茶ノ水駅に上る坂の途中にあったお店で
フランス協会盤のベト第6響を買った事ある。
演奏時期忘れたが、50年代。えかった。 50年代に秋葉原でアルバムを買えるような御身分だったらもう100歳近いだろ フルトヴェングラーもトスカニーニもワルターも好きで、10歳くらいの頃から随分あれこれ聞いているけど、
しばらく仕事の多忙さにかまけてしばらく聞かなくなってたけど、このコロナ禍で時間が出来たので、
改めて色々聞き直しているけど、やっぱりフルトヴェングラーは孤高の芸術家だと再認識した。
でも正直言って、ベートーヴェン演奏については全ての交響曲がベストだとも思えないんだよね。
ブラームス交響曲についてはフルトヴェングラーは本当に最高の演奏者だと思うけど。
ブラームスって新古典派の鎧をまとったロマン派だと思う。だからフルトヴェングラーの解釈がブラームスの鎧を剥ぎ取って本音を語っているように感じたんだ。
ブラームスが亡くなった頃、フルトヴェングラーは既に産まれていたし、ブラームスゆかりの人から話を聞く機会も少なく無かっただろうし。 レコード芸術と音楽の友とモーストリークラシックを買ってきて読んだ。
音楽の友はフェドセーエフのインタビューがのっていた。夫婦で
普通に新幹線で移動したようだった。レコード芸術には恒例の一年の
まとめで読者アンケートが乗っているが毎年毎年かならず左近幸村とかいう
変な名前の人(ペンネームか?)が載っているがこの人はいったい
何なんだろう。M夫人というのもよく見かけるなあ。あと広告で
フルトヴェングラーのステレオ録音が1/20日発売と書いてあってえっと思って
レコード屋によってみたら売っていたので買ってしまった。で毎日聴いている。 フルトヴェングラー&ウィーン・フィル/ウェーバー:『魔弾の射手』(2CD)
https://www.hmv.co.jp/news/article/2011301008/
これが噂のステレオ録音か 前にターラから出てるなら、キングの誇大広告じゃないか https://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%8825%E6%97%A5
1月25日
誕生日
1868年 - フベンティーノ・ローサス、作曲家(+ 1894年)
1886年 - ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、指揮者(+ 1954年)
1899年 - スリーピー・ジョン・エスティス、ブルースシンガー(+ 1977年)
1913年 - ヴィトルト・ルトスワフスキ、作曲家、ピアニスト(+ 1994年)
1921年 - アルフレッド・リード、作曲家(+ 2005年)
1927年 - アントニオ・カルロス・ジョビン、作曲家(+ 1994年)
1929年 - ベニー・ゴルソン、ジャズサクソフォーン奏者
1938年 - 石ノ森章太郎、漫画家(+ 1998年)
1938年 - 松本零士、漫画家
1947年 - 宇野ゆう子、シャンソン歌手
1948年 - 前野曜子、歌手(+1988年)
1949年 - さとう宗幸、歌手、俳優、司会者 もうすっかり忘れ去られた指揮者
モノラルしか残さなかったのが痛恨の極み 今年またEMIから2021年リマスターによるフルトヴェングラー新全集が出るようだね。
それに先駆けてアナログでベト1&3が出るみたい。音がどれほど変わるかね。 >>478
買いたいのは山々だが、もう置く場所がねえんだよ ( ^ω^) >445 ワロタ 今月21日に東寺行ってこようかな >>478
リマスターしても音はもうよくならないよ。
現代のオーケストラのような響きに作り変えるだけ。
リマスターの度に音が悪くなる。 フルトヴェングラーは肺炎で死んだけど、原因はコロナだったりするのだろうか チャイコフスキーの死因もコロナだった
モーツァルトの死因もコロナだった 本当に知らないようだからマジレスすると
コロナウィルスと呼ばれるウィルスが発見されたのは何十年も前で
電子顕微鏡登場前にも存在したと考えるのが自然
一般的に風邪と呼ばれるものの病原体は様々だが
その中にもコロナウィルスは含まれる
現在パンデミックを起こしているものが
「新型」と断るのはそういうこと 風邪拗らせて肺炎なんてのも昔からあるしな
肺炎自体の要因も色々 難聴で悩んでたらしいから、
事実上の自殺じゃないかと言われている >>495
言われてないけどな
コロナ禍で、飲み屋に通って死んだ志村けんは
事実上の自殺とされている
と書くのと、同じレベルで、根拠に乏しく無責任
まともじゃねえな 本日、ディスクユニオン神保町店で、正真正銘オリジナルの「ウラニアのエロイカ」LPが店頭に出品。
お値段、110,000円。
買う奴いるのかなぁ? いるんだろうなぁ。 10時35分ってまだ店開いてないよね
お店の宣伝? ウラニアのエロイカを神名演として騒いだのがレコ芸のバカ評論家たち
海外へ行けば 何それ? なんだけど
当時のレコ芸の腐れ評論家のフルベン崇拝主義は異常だった 当時なんか知らんが、ウラニアのエロイカは演奏もいいだろ。
ウラニア劇場の人かよ。 1937年のワルキューレって音良いのね
知らんかった 一角獣への復讐劇はまだまだ序の口?
ウラニアのエロイカ → ピッチ修正
バイロイトの第九 → 別収録テープの公開
BPOブラ4 → オリジナルテープ蔵出し
復帰演奏会3日目 → 手出し無用
BPOブラ1番 → 手出し無用 >>503
じゃ、おまえのエロイカの名演って誰だい?
ユダヤ人の悪多か? >>508
コヴェントガーデンのオケが下手クソなのが難だけどな >>503
> 海外へ行けば
行ったことのない馬鹿の井の中の蛙 >>503
ウラニアを大絶賛していた評論家は宇野の他、誰?
絶賛する方向性が違うだけで、そこだけみれば、あれだけの演奏はなかなか無いよ。
もちろん現在の感覚のとしてのアンサンブルなど技術面からすれば、いろいろあると
思うけれど。
>>505
聴き手の自由だと思うが、作曲後から現在に至まで演奏され続けてきたことは事実。
忘れ去られた作品が無数にあることを考えたら「大した作品ではない」とは言えない。 >>519
>ウラニアを大絶賛していた評論家は宇野の他、誰?
宇野はレコ芸全盛時代から、ウラエロをあまり高く評価してこなかったよ。
講談社の+α文庫の宇野本でも、音質を理由に低い評価しかしていない。
宇野がウラエロを高く評価するようになったのは、聴力が衰えた最晩年、ひたすら音圧を上げたミソス板起こしを高評価し始めてから。 レコ芸って、そういえば大メーカーのきちんとプロモーションされたものしか誉めなかったな。
バイロイトの第九(1951)はEMIが出したから誉めたけど、1950年代も放送用とかで残ってた第九はあるのにな。
テスタメントとかターラとか、良いもの出してるのだが。 >>520
ウラエロ…新しいエロ本かと思った(爆) フルベンはいつも一発録りだったという
ニコレが証言している DGのシューマン、ハイドンがそうだよな
そのときの録音スタッフと開始でやりやったことは有名 カラヤンは録音という名の練習をさせてたんだけどな。
フルトヴェングラーの晩年は裸の王様みたいなものでしょ。
特にレッグとカラヤンが仕事始めた後は。 >>528
フルトヴェングラーは「トリスタン」を最後にレッグとおさらばした。
晩年の一連の録音はコリングウッドがEMIのフルトヴェングラー付きになった。
あの一連の録音を聞いて「裸の王様」と決めつけられる奴は、このスレでは変態趣味扱いされるから、気を付けようね。
あと、このスレでカラヤンを褒めると、いつもここを荒らしているあの馬鹿と間違えられるよ。 カラヤンは死んでから急激に忘れ去られたけどフルトヴェングラーはまだこうして需要がある 年寄りは昔のことはよく覚えてるけど最近のことはすぐ忘れるってやつか カラヤンもフルトヴェングラーもどっちも昔だろ
反論になってないぞ低脳 時空の問題じゃないよ。
フルトヴェングラーと言う19世紀的芸術家と
からやんという20世紀の商人の話しさ。 今日のT氏のYouTubeでフルヴェンの偶発ステレオの話聞いたが初耳。
荒れるの承知でフルヴェンのステレオについて皆様の手持ち情報を知りたい。 ステレオ録音は無いよ。
ステレオっぽい、はある。
ソ連からドイツに返還された戦中録音ですら、音がフラフラして、もしやステレオ録音?
みたいな。 フルベンが亡くなった1954年にDECCAはすでにSTEREO録音を開始していた
いっぽうEMIは時代遅れのレッグがいたから無理だった >>541
レッグは「トリスタン」を最後にフルトヴェングラーに切り捨てられたよ。
以後、レッグはフルトヴェングラー担当を外れ、カラヤン付きに専念。
その後の一連のスタジオ録音は、コリングウッドがプロデュースしていた。 >>542
レッグがトップで仕切っていた会社だから、という意味でしょ シカゴ響の音楽監督に就任してたらRCAかマーキュリーあたりと契約して
実験的なステレオ録音が残されたのかな? 偶発ステレオがあるらしいが、制作者の許可がとれていない。
と、指揮者ユーチューバーのT氏が言っている。 ここの住人はフルトヴェングラーをモノラル・システムで聴いてない? ヘッドホンで聴くにせよ、自分好みにリバーブ噛ましても違うだろうに。 フルベン没後10年目に独エレクトローラが
ブライトクランクとかいうの偽ステレオ盤を発売した
これがとんでもないインチキ商品で悪評をかった ブライトクランクの何が良くなかったかというと
高音バイオリンと低音チェロ&コントラバスを分けて配置する
初期ステレオ録音(いわゆる2chモノラル)にヒントを得て構成したからで
フルトヴェングラーの一体感のある揺らぎをバラバラに分散させることになった。
かえってユニコーン経由の貧しくてもガツガツした演奏のほうに
軍配を上げる人が多くなったのが混迷を深めることになったかな。 ブライトクランクは当時のステレオ・カートリッジの性能にも起因していて
オルトフォンやシュアーのような高級機種以外は
10dB程度の分離で音場感を出すのが精一杯だった。
アンサンブル型ステレオというのも、まだまだ主流だったし
ステレオの定義そのものが、現在のものとは異なると思うべきかも。 そもそもボーカルなんてモノラルで録ってるわけだし
最近ではエフェクターでステレオ効果を出すものも出ている。
ttps://www.izotope.jp/products/vocal-doubler/
モノラルで聴くと明らかにズレて気持ち悪いんだけど
ステレオだったらほどほどに聴きやすくなるかもしれない。 レコード会社のインチキ商法に騙されたバカなファンがいたな >>554
改めてヘッドフォンで聞いてみた。
どうやって録音したかは分からないが、確かにステレオに聞こえる。
いわゆるステレオ録音をやったのか、2本のマイクで別取りした2録音を繋ぎ合わせたのか、は分からない。 >>557
ゴルゴ13名作選
S・F・Z(スフォルツァンド)(第425話) 発表1998年6月
<ストーリー>
ドイツの音響メーカー”クーゲル・ブリッツ社”の社長ブラウワーの父は
工場をクラシックホールに改造するほどのクラシック愛好家であった。
ブラウワーはロシアの友人『ズーコフ』の訪問を受ける。
ズーコフは、旧ソ連が接収したフルトヴェングラーの録音を
買わないかと持ちかける。1943年12月の日付である。
テープを聴くや、この演奏が自社のホールで演奏されたものだと直感、
ブラウワーはテープを買い取る。この演奏会にはヒトラーが来ていた。
そして、その日は父親が亡くなった日でもある。
テープを聴きこむブラウワーは、銃声が録音されていることに気づく・・・
ブラウワーが地元オーケストラを率いて演奏をする日がやってきた。
曲は録音テープと同じベートーヴェン交響曲第三番”エロイカ”。
テープに銃声が記録されていた箇所にさしかかると、ブラウワーは
かすかに銃声を聞く。コンサートを聴いていたズーコフが、
ゴルゴの狙撃により眉間を打ち抜かれたのだった。
ゴルゴの狙撃地点は、ブラウワーの父親の投身自殺の場所と同一だった。
ブラウワーは全てを悟る。ブラウワーの父はヒトラーを狙撃したが失敗、
その後に投身自殺を図ったのだと・・・
なお、タイトル「スフォルツァンド」とは『力を込めて強く』の意味 フルトヴェングラーにステレオは今更だな。
それよりは放送局に録音が埋もれて無いのかな。
ベートーベンの二番とか… ベートーヴェン崇拝者のフルトヴェングラーでさえ2番は駄作だと考えていたんだな
だから演奏しなかった >>562
えっ?
レコードになった48年10月3日以外にも54年4月2日にハンブルグでそのあとにブラームスのピアノ協奏曲第1番などのプログラムで4〜6日にティタニア定期で演奏してますが。
もしかしてフルトヴェングラー協会の公演記録が間違っているのかな? >フルベン没後10年目に独エレクトローラがブライトクランクとかいうの偽ステレオ盤を発売した
>これがとんでもないインチキ商品で悪評をかった
ブライトクランクを聴いた事ないだろ
ブライトクランクの運命や第七はモノラル盤より比較にならない程良かったよ EMIでVPOと残したベト全はあの時代でもノッペリしていて奥行きとか空間を感じられない録音だから、疑似ステレオにすると違和感を感じるんだよ。
ハンマーとか鐘を吊るした部屋で、2本のスピーカーで再生した音をステレオ録音したような音で、録音した時の音以外に別の音が混ざっちゃっている感じ。 とにかくEMIのVPO録音は聞くに堪えない酷い音だった
フルトヴェングラーがCDになってから人気が無くなったのはEMIのVPO録音が酷かったからだ テープは普通に音いいよ
録音として完成されてる
sp盤も悪くないんだよね >>564
魔弾の射手のブライトクランクは宇野がフルトヴェングラーの全録音中最高の音質と絶賛してたんだが残念ながらCDはダメだね。 ユニコーン原盤の戦中録音もゴミ扱いになったし、旧EMI残念。
ただ、ユニコーン原盤は余りイジってないレコードの音なので安心して聴ける。 やっぱりLPじゃないとダメなのかな?
アナログ・プレーヤー買おうかな
最近音沙汰ない友人にヴァイオリン好きがいてアナログ盤がいいって言ってた
でも本国オリジナル盤は高いから買わないそうだ 今始めるなら良いと思う
10年前なら進めなかった
馬鹿みたいに高かったし >>550
これは聞けたもんじゃ無かったよ。
直ぐに売った。 あの家のオデオでは上手く鳴ったんだろ。
今のスピーカーとは音が違う。 功芳氏はLP時代にワルターのCBSソニーのカッティングも絶賛してたね しかし功芳氏のレコード批評が受け容れられたのは
意外に古いステレオ装置で聞いてた人が多かったからだと思うふしがある。
コーンツイーターの国産スピーカーなんてゴロゴロあったし。 >>578
SONYでなく日本初出の日本コロムビア盤だろ。いい加減なこと言うな。 そういえば吉田秀和氏の晩年のスピーカーはエラックだったな。
ビデオデッキいっぱいに囲まれて置いてあったのでAV指向? ドイツの放送関連で使用している機材
AKG K240とかMusikelectronic Geithainのスピーカーとか
ライブ収録のほうはこっちが本命なような気もする 戦争中のイギリスのスピーカーはタンノイ製で戦車にまで使われた
日本においてはタンノイ製スピーカーは長年に渡り音楽愛好家の支持を集め
ステレオLPレコード発売以降以降熱烈な支持を集めたJBLと共に長らく輸入スピーカーブランドの双璧をなした
74年に工場で火災が発生、音質の要であったコーン紙工場が全焼。再起不能かと言われたがドイツ製のコーン紙に変更
これをみるかぎり、コーン紙が本質では フルベンのライブの基礎はSIEMENSとかSABAの20cm
つまりラジオ用スピーカーだと思うね。
ボーカル域がハキハキしてないとつまらない。
最近はめっきり数が減って高騰してるけど。
タンノイはEMIの録音には良いが
こっちから入るとライブ録音には支障が出る感じ。
まぁ貧乏人には関係のない話だが。 いつ来ても時間が止まってるな
ここの平均年齢は70歳くらいか; 大昔の指揮者なんだから当然だろ
新譜が期待できないんだから 新しいというか、ウラニアのエロイカのピッチ修正や音質改善を聞くと
音が良くなるにしたがってフルトヴェングラーが普通の演奏に聞こえてくる とはいえ、1949年のブラームス3番なんかは
あまり期待していなかったけれど、低弦のボーイングが明確になって
劇的な雰囲気がより一層増したように感じる。
こういうところから次世代へ残すアルヒーフの見直しが始まるのかな。 期待してなかったのはグランドスラムのテープ起こしで
アウディーテ盤が既に出てるので、それほど違いはなかろうと思ってたが
いい意味で期待を裏切られたというか。 >>583
一番いい加減なのはコーホー氏だと思われ コーホーの古いオーディオ装置ではSONY盤LPの方が良く聞こえたんだろ。
同様にコーホーが絶賛したフルトヴェングラー指揮ベト全集TOCE-7530〜34もコーホーの古いオーディオ装置では良く聞こえただけ。
普通のオーディオ装置で聞けばややハイ上がりでそんなにはよくない。 コーホーのステレオ装置については山之内正との共著にある程度書いてあるが
高域は明瞭に伸びていて、ウーハーの出音に遅れが無く揃っている一方で
ウーハーのクロスが合わずに木管の音に芯がなく音像が膨らむと述べている。
山之内正宅(WilsonAudio)の音はそれほど違和感がなかったらしいが
クレンペラーのベト7のSACDの試聴では自信に溢れている(細部が克明)としながら
CDでの人間味のある演奏(悠然とした音の流れ)のほうが懐かしいと言い
SACDのように音が変わってしまうと批評に困るということも述べている。
マスターテープの音に近い(はず)と説明しても「こういうのが一番困る」と苦笑い。
思うに東芝EMIのサウンドポリシーの籠のなかで批評していて
そこから飛び出してまで過去のレコード批評を整理しなおす気はなかった。
SACDの全てが良いとは言わないが、版権が切れてリマスター音源が増え
アナログ時代のレーベル毎のサウンドポリシーがリセットされていく現状では
試聴者自身が功芳氏に代わって困ることが必然となっていると思う。 功芳氏がハーベスのHLコンパクトを勧めていた理由に
中音が張っていることを言っていたが、いわゆる500〜1000Hzではなく
BBCモニター特有のポリプロピレンの共振からくる1〜2kHzの癖を指していて
2000年以降のモデルで艶が消されると逆に批判にまわった。
同じ演奏のリマスター盤でも同じことが繰り返されていたと考えるべきで
演奏芸術の普遍性という観点とは、全く違う次元で躓いていた。
サウンドポリシーというのは本来、それだけデリケートな問題なのかもしれないが
第一印象で白黒を決定する批評方法ということにも問題があったともいえる。 ちなみに知っている人は知っていることだが
功芳氏は「最初の30秒聞けばその演奏の良し悪しが判る」と言っており
本人いわく陶器の鑑定人の目利きのようなものらしい。
ムラヴィンスキーは舞台袖から歩いてきた時点で凄い音が出ると感じたというので
第六感のようになものも加わっていたのかもしれない。 つまり人を見かけや、名前、国籍なんかで偏見を持って評論書いて(半分くらいは雑談と悪口)ご飯食べてたんだろ。 >見かけや、名前、国籍
功芳氏は新譜を聴く場合には無記名のテスト盤を要求してたらしい。
演奏者の来歴とかそういうのは無意味だと。
一方で「こういう表現はフルトヴェングラーならでは」という言葉で締めくくったりするので
言ってることとやってることが違うという感想を拭えない。
フルベンの晩年の解脱したスタイルは、完全燃焼して真っ白な灰になった感じだけど
純粋にドイツ音楽という観点でみると、むしろ自然体で無理なく鳴らしている感じ。
音質が良くなっている分だけ、別の聞き方があるような気がする。 >>596
途中で聴くのやめるかどうするかって
サンクコストの話かな? >>599
いちよ全部聞くらしいのだが、最初の30秒の印象で
その後の印象も9割方変わることがないということだった。
平凡な演奏が、何も良いところが書けずに一番困るとも。
批評家として好き嫌いが激しすぎると昔から言われてたらしい。
翻って考えてみると
リマスター盤の出来不出来についての口コをみると
ほぼ似たような批評方法をとっていると思う節もある。 すまん。口コ=素人のクチコミでした。
フルベンの晩年の演奏スタイルについて話を戻すと
音質が鮮明になった分だけ、ドイツのオケの底力というか
必死に演奏している感じが伝わってきて面白い。
ムジークフェラインのEMIとゾフィエンザールのデッカの違いかな。
同じ英国なのに異なるサウンドポリシーには昔から悩まされたけど
今は放送録音のオリジナルテープの洗い直しで悩むことになる。 前半ポンコツでも段々乗ってきて
終盤キタ―――(゚∀゚)―――― !!ってなる演奏も世の中にあるにはある 功芳氏の批評で面白いのは、レコードを傾聴するという行為が
たとえ素人でも誰にでもできるということを、巧く言葉にしている点だと思う。
悪い点は、クラシック演奏家を名曲名演という枠組みに嵌めすぎて
読者に効率的なレコード購買=音楽批評と思わせてしまうこと。
個人的には、たとえ駄演でも巨匠らしいエッセンスは大いにあると思うのだが
お金を払ってまで聴く必要がない、何度も聞き返すのは時間の無駄
そういう消費者目線に呑まれていく状況から抜け出すことも必要だと思う。 ライブ録音についていうと、フルベンのようにハプニングが面白い演奏家と
アラが出ることで演奏スタイルに綻びを感じる演奏家とがあって
フルベンが1930年代にインタビューに答えているものでは
レコード向けに外面を整える演奏家が増えてきているという警戒感があった。
SP盤の時代からライブとセッションの演奏スタイルの違いは認識されていたのだ。
そのまま額面通りに受け取って、ハプニングばかり期待するのもおかしいが
フルベンの場合は終始波風立たずに終わるのが駄演という意見が趨勢だった。
逆にそういう演奏は、録音の良いセッションだけで十分とも。
でも何も起こらない演奏であっても
カラヤンやベームとは違うフルベンなりの音楽の組み立て方があって
むしろ波風の立たないライブのほうが音の構造が判りやすい一面がある。
問題はラジオ風の音が普通のステレオ装置では一層貧弱に聴こえることだ。 ラジオ放送といっても、戦後のフルベンのライブはほとんどがFM放送向けで
ドイツ国内のFMモノラル放送は1949年から開始され、当初は10kHzまでだったが
1952年からは15kHzまで周波数レンジを伸ばしている。
いわゆる晩年のスタイルに突入する頃にはHi-Fi音質で放送されたのだ。
このことは最近のリマスター盤を聞けばよりはっきり判る。
一方で、聴感的なレンジは100〜8,000Hzがメインであり
その後のハイファイの主流となる100Hz以下の重低音
10KHz以上の高音の伸びやかさは期待できない。
つまり、大半のステレオ装置でチャームッポイントとなるべき帯域が
ノイズや歪が混ざったまま曖昧に放置されている。
種種雑多なリマスター盤にみられるトーンの違いは
100Hz以下と10kHz以上のアプローチの違いによって生じていると思う。
CD以降の規格の理解が、FMモノラル放送の音響バランスと乖離しているのだ。 GRAND SLAMから最近出た52年12月8日の英雄は音質、演奏とも最高だな
ウラニアのSACD程音質を妄想でカバーする必要なく、HMVのSACDよりベルリンフィルな分演奏に覇気がある
録音も1952年としては上々で迫力満点
若干高音がキンつくがそれもご愛嬌
感動したわ ドイツでのFM放送の開始はやや変わっていて
1948年に欧州内の電波の混線を防ぐため国際会議を開いたとき
敗戦国だったドイツは電波の到達距離が狭い中波帯のみあてがわれたが
それだったらまだ規制のない超短波でのFM放送という方向に転換した。
もともと戦中からAEGマグネトフォン&ノイマン製マイクによるHi-Fi録音が完成しており
生中継でなくとも音源に関する課題は既にクリアしていたというべきだろう。
ラジオ受信機も、ほとんどが2wayスピーカーを装備しており
高域は両サイドから広がるように配置され音場感を出すように工夫されていた。
ttp://www.tubesound.it/Grundig_3055.htm
ttp://www.radiomuseum-bocket.de/wiki/index.php/Telefunken_Concertino_9
ドイツ国内だけはレコードを買うより遥かに安価にHi-Fi録音が楽しめたのだ。 1950年代のスピーカーのカタログで整備されているのはイゾフォンで
周波数特性などが載っている。(一番下の方)
ttps://www.lup-berlin.de/blog/1950er-jahre/
多くのスピーカーがPAやAM放送の規格に準じた
100〜8,000Hzのエクステンデッドレンジに属し
そこにコーンツイーターを被せてHi-Fiにする。
この時代のスピーカーはフィックスドエッジであり
ボーカル域が均質に鳴るように設計されているため
ドイツ語の発音に合わせて中高域にピークがある一方で
大口径でも低域の反応が素早い。
イゾフォンといえば、放送局のモニターとして長く使われた
同軸型2way Orchesterが有名だが
比較的音量を大きくして聴くため、全体には落ち着いたマットな音だ。
録音中はベイヤーダイナミック製ヘッドホンDT48で試聴していたが
こちらはノイズ検知の観点から高域がきつい仕様になっている。 ここってちょっとアルバムほめただけでステマ扱いされるんだな
偏屈 auditeの復刻だと、ドイチュラントラジオのオリジナル・マスターテープから、って出所をきちんと書けるのに、平林のやつはPrivate archiveっていう、嘘つき仕様だからな。
レコードの板起こしなら、元ネタのレコードの型番が書けたのに。 auditeは少しエコーを掛けて聴きやすくした分だけ遠鳴りしやすい。
Odfeoは高域がしゃくれあがって薄っぺら。
平林は低域寄りにガツガツ来るように仕上げてくるし
Altusは高域側で直接音を強く感じる。
Tahraの国内盤は何もいじらない分だけ粗削りと感じる。
EMIとDGの従来盤に対して
それぞれ音の鮮度をアピールするのに必死なんだけど
標準的な仕様にそろそろまとめてもらいたい。 プライベートテープがマスターテープという演奏もあるから需要があるということ?
放送局がRIASみたいに出してくれればいいけど 平林のは、個人が放送局から何かの伝手で譲り受けたコピーテープで
リール・トゥ・リールという類でも、商品化されていないものだと思う。
フルトヴェングラー協会も夫人が所蔵してたテープをレコード化したし
東ドイツには放送局間で融通されたコピーテープも残っている。 フルヴェンオタク的に、カバスタの新世界事件は、黒歴史なんですか?
. >>621
なんかIDが偉そうだなw
クリュイタンスのベト4なんてのもあった >>622
>クリュイタンスのベト4なんてのもあった
ベト8だろ 音源の出所書けないものとか、ダメじゃんという話じゃないか。 フルヴェンの新世界は未開封のCDを持ってるぞ
メルカリで高く売れるかな? 平林盤のDr. Friedhelm Schoning って
フルトヴェングラー協会の元会長さん? GRAND SLAMの英雄の復刻は普通にチェトラのテープの写真出てるけどな キングレコードって海外レーベルの輸入販売が主じゃないの?
チェトラもそうだしharmonia mundiとかpentatoneとか
たまにリマスターとSACD制作もやるんだろうけど チェトラが入手した音源のリソースは?
イタリア国内で放送されたテープが眠っていたとか? 日本フルトヴェングラー協会…
チェトラ…
ユニコーン…
懐かしい響きだな。 あとミュージック&アーツもお忘れなく(最近は回心したが) >>632
そこまでは書いてない
チェトラのテープ入手すれば経路やソースがわかるかもしれないが しかしチェトラのテープの鮮度がそれなりに良かったのなら
どうして最初からその品質で出さなかったのかな。
業界的に海賊盤らしく悪音に振舞ってないとダメだったとか? それにしても戦時下でもカラヤソの
初期ステレオ音源とか録ってたのに
なんでカラヤソより遥かに格上のフルベンで録らなかったんだろう >>638
こっそり録音とかしててくれればよかったのにね
今頃はお宝音源だったでしょう フルトヴェングラーとレッグは、オリンピックと森 喜朗の組み合わせみたい。 >>636
チェトラのLPもCDも聴いてないからよくわからないな
CDに関して言えばアナログテープからのデジタルトランスファーの技術が進歩したのが比較的最近だからじゃないか
今じゃ民生用の機器でもハイビットハイサンプリングレートの結構いい音でデジタルトランスファーできるらしいし 個人的にはハイレゾサンプリングが音質改善の決め手ではなく
DAWの使用でノイズリダクションやリバーブの掛け方が巧くなったからだと思ってる。
それまではフィルターやイコライザー調整くらいしか方法がなかったかも。 ユーチューバーの指揮者先生が放送で明言してたからあるんだろうな、偶発ステレオ。
秀和や近衛が耳にしたというリアルなフルトヴェングラーの音はぜひ聴きたい 少なくとも戦前の写真では両翼配置だから、それを確認したいね Orfeo、Tahra、Auditeなどから放送局所管のオリジナルテープがリリースされると
1950年代ドイツでの国内FM放送の本来のクオリティの高さが明らかになった。
これらのラジオ用モノラル録音をHi-Fi音質で真正面から受け止めるためには
デジタル世代のトーンキャラクターの排除、ステレオ世代の音場感の見直しなど
20世紀のオーディオの進化をリセットしないと本来のクオリティを発揮できない。 ある程度フラットに再生できるスピーカーを1つだけでモノラル再生すればいいじゃないか。
デジタル世代のトーンキャラクターが、何の事かわからないが、レコードの頃の方が小手先で音変えて出さてたさ。 >>648
フルレンジ1本に戻るべきだね
結局それが一番明確な音 フルレンジだと旧富士通テンのTD712zMK2ですか。
正確な音であるかはわからないですが。 >>648
今では改善されたが、1990年代には20kHzに強い共振をもたせるトーンが流行った
ttps://www.stereophile.com/content/celestion-3-loudspeaker-measurements
ttps://www.stereophile.com/content/bw-nautilus-805-loudspeaker-measurements-part-2
ttps://www.stereophile.com/content/acoustic-energy-ae2-loudspeaker-measurements >>650
アインザッツが低音からビシッと決まるのはフィックスドエッジだね。 フルベン時代のスピーカーというと、劇場用のオイロダインやコアキシャルを思い浮かべるだろうが
ドイツは既に1950年代の家庭用ラジオで2wayスピーカーを装備してた。
中央に楕円型のエクステンデッドレンジ、両脇にツイーター2個を配置し音場感を演出。
ttp://www.radiomuseum-bocket.de/wiki/index.php/Telefunken_Operette_6
ttps://www.lup-berlin.de/images/Katalog/1959/Seite%2010%2011.jpg
ttps://www.lup-berlin.de/images/Katalog/1959/Seite%2008%2009.jpg
この方法はSIEMENSの大型スピーカー 6Ruf-lsp-23aでも応用された。 あと戦中のものでも高級ラジオは既に2wayだった。(7001型はシベリウスも愛用)
ttps://www.radiomuseum.org/r/telefunken_spitzensuper_7001wk.html
ttps://www.radiomuseum.org/r/telefunken_spitzen_super_8001wk.html
1940年代にマグネトフォン放送が本格化する頃には受信側でも準備が整っていた。 イギリスとの大きな違いは、ラジオでレコードをかけることが法律で禁止されてたため
イギリスで2wayスピカーをもつのは、レコード再生を前提にした高級電蓄が主流で
LP盤の発売に前後して開発されたHi-Fi機器は今でも人気がある。
ドイツのほうは、レコードよりもFM放送のコンテンツが圧倒的に多く
ライブ録音はレコードの捕捉ではなく、むしろ反対の立場だった。
ちなみに日本では、1960年代のステレオLPでオーディオ趣味がはじまり
1970年代のFM全国ネットでラジカセのHi-Fi対応が本格化したので
1950年代のドイツ製ラジオでHi-Fi試聴というとイメージが湧かない。 初期のHi-Fi機器で重要な位置を占めるのが自作で
ウィリアムソン回路は最初は自作でしか対応できなかったので
トスカニーニはオーディオに詳しいオケ団員に作ってもらってた。
(スピーカーのVOTTタイプの詳細は不明)
一方でこうした自作オーディオが後の世代まで残る可能性は低く
家電レベルでHi-Fi機器を量産していたドイツの特異性が際立つ。 オートグラフにパラゴン、ウエストミンスター…
どうせ私の愛機はスターリングだよ。 フルトヴェングラーのソフトはもう出尽くしたから、
フルトヴェングラーを再生するハードを売り出せば良い
当時のオーディオに合わせてチューニングするモノラルシステムだ
俺って頭いい ソ連が持って行った物はまだあるんじゃないの?
杜撰な管理でボロボロになってるかもしらんが 音源の管理に関してはEMIよりソ連の方が優秀じゃないか。 ドイツ製のビンテージスピーカー(特に大口径)は数が減ってしまったが
代替品としてジェンセンのエクステンデッドレンジスピーカー(ギターアンプ用)があり
特性を比較するとほとんど同じ設計思想であることが判る。
ttps://www.lup-berlin.de/images/Katalog/1959/Seite%2006%2007.jpg
ttps://www.jensentone.com/vintage-alnico/p10r
ttps://www.jensentone.com/vintage-alnico/p12r
ジェンセンのユニットは、PA用もしくはジュークボックス用に使用された。
30cmのフィックスドエッジともなると、躍動感がハンパなく強くなる。
いずれも正面特性は中高域がキツイが、斜め脇から聴くと正常になり
1940年代に設計されたスピーカーでは、AXIOM80も同様の特性をもつが
エクステンデッドレンジは高域にツイーターが必要になる。
Qoが高いので、平面バッフルもしくは後面解放箱向けになるが
低音のキレが良くなるのは、他のドイツ製フルレンジと同様。 >>666
周波数特性を見るとAMラジオ程度か
音楽聴くにはちょっと厳しいな だからツイーター付けるのは必須。1950年代もそうしてた。
ただフルレンジでもなくウーハーでもない中途半端な仕様が
フルトヴェングラーの時代の放送録音をアクティブに再生するのに最適。 同じ大口径でもウーハーとエクステンデッドレンジでは大分様相が違う。
ウーハーが50〜1000Hzのレンジなら、エクステンデッドレンジは70〜6000Hz。
この違いはボーカル域を全てカバーしているかで異なるのだが
実際には出音の均一さもボーカル域で保証されていることになる。
ウーハーは100Hz以下に重点を置くため、500Hz以上がくすんで沈み込み
この帯域を保証するため大型ホーンやスコーカーを投入することになるが
大方は中域〜高域より遅れて低音が包み込むように設計される。
古いフィックスドエッジのウーハーはここの踏ん張りが違うのだが
いかんせん保存状態の良い物は希少で高価。 さらに大口径エクステンデッドレンジと小口径フルレンジとの違いは
エクステンデッドレンジが200Hzから上の帯域をダイレクトに振動させる点で
ミッドローでのスピード感が中高域から遅れを取らず付いてくる。
ピアノの低弦がガッシリ喰い付いてくる所で明確な違いが出る。
小口径では箱鳴りで返してくるので800Hz以上のクリアネスが逆に演出され
女性ボーカルやヴァイオリンでは済んだ音が得られる。
古いエクステンデッドレンジは、大口径の割には低音が伸びず
周波数特性では10cmのバスレフと変わりないのだが
低弦から一丸となり湧き上がるオケの高揚感はなかなか得難い。 戦後の一時期だが、英米でドイツ製テープレコーダーを評価する際に
それまで長時間録音で使っていたアセテート盤と比較していた。
実は音の明瞭さの点では、アセテート盤のほうが優位にあり
理由はスクラッチ音を伴う高域のパルス成分が豊潤だからだ。
それに比べるとテープの音は滑らかだがノッペリしている。
BBCの技術レポートではこの点を批判していた。
ttps://www.bbc.co.uk/rd/publications/rdreport_1946_10
1980年代まではアナログ盤でのリリース(多くは海賊盤)だったので
元テープの音質のみが課題となっていたが
最近になって放送局保管のオリジナルテープが公開されるときに
おそらく戦後と同じ問題が浮上してくると感じている。
もともとCD規格だって固有の音があるわけではなく
デジタル対応機器という悪あがきが産んだ弊害のほうが多かった。 CD再生で問題なのは、元テープの音割れ、10kHz以上のノイズが目立つこと。
過入力による音割れはライブ収録では付き物のようなものだが
音割れしたときのザラザラ感がさらに強調されているように感じる。
理由はパルス成分をうまく処理しきれずにいるためで
多くの人は真空管アンプを使用することで低減されると感じている。
理由は真空管自体がパルス成分をリンギング(オーバーシュート)で滲ましてくれるから。
10kHz以上のノイズは、もともと1950年代の録音ではノイズ管理をしていないが
デジタル時代に入って超高域でのパルス波の再生が定位感を規定するため
10kHz以上の帯域で過敏な反応をするツイーターが悪さをしていた。
具体的には会場ノイズがテープのワウと一緒にフラフラさ迷っていて
音楽の流れを阻害しているように感じる。
さらには20kHz付近で累積するデジタルノイズが余計に目立って雑然とする。
一時期ライントランスが流行ったのは、人工的なノイズを低減するためだったし
真空管アンプには出力トランスが付いているのでそれも相性が良いとされた。 元テープに依存する音の悪い部分はCDのせいじゃないよ >>672
あなたの常用装置・聴取環境・耳の感度をアップしてくれないか?
他人の見解をひたすら紹介してくれているのか?
全く現実感がない。 >デジタル時代に入って超高域でのパルス波の再生が定位感を規定するため
>10kHz以上の帯域で過敏な反応をするツイーターが悪さをしていた。
>具体的には会場ノイズがテープのワウと一緒にフラフラさ迷っていて
>音楽の流れを阻害しているように感じる。
モノラルで定位ってあるのか? 初めて聞いたぞ 真空管アンプの課題について書こうかと思ったけど後回し
見た目がアレだけどモノラルシステムの概要(花輪は無視して!)
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/image520.jpg
斜め45°の周波数特性は映画館のアカデミー曲線に沿ってる
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/image418.jpg
インパルス特性はライン出力とほぼ相似だと思う(上ライン、下スピーカー)
尾を引いてるのは、ツイーターを入れた鉢植えの共振(約5kHz)
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/image1123.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/image521.jpg
フィックスドエッジの瞬発力はツイーターに全く遅れない(逆に少し早い)
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/image1120.jpg
耳の感度は説明できないんですみません >>675
ここの住人はモノラル再生にステレオ機器を兼用している人が多そうだからね。
自分も10年前はそうだった。
そこで安くてもそれなりに迫力のあるモノラル再生を考えてみたら
1940年代のPA用スピーカー=ギターアンプ用に行き着いた。 ブライトクランクの音源をモノラルスピーカーで再生したらどう聞こえるの? 真空管アンプについて言うと、古い録音はそれでないとダメというわけではなく
むしろドイツ製のものは、真空管でもソリッドな音のものが多くて
たとえ放送録音でもキッチリ鳴らし切ることで実力を発揮すると思ってる。
よく真空管の音が暖かくて柔らかいという感想を言う人がいるが
面白いのは最初だけで、何か突っ込んで聴こうとしても、難しい感じがする。
小型ミキサーに付属してるリバーブをいじったほうがキャラクターを制御できる。
例えばルームエコーだとタイトに締まるし、ステージエコーだと音に広がりが出る。 >>678
装置などのアップありがとう。
リムドライブプレーヤーにモノラルカートリッジ、会社ごとのeq切り換え付きフォノアンプ、A級にこだわったシングルパラレル真空管アンプがでてくるかと思っていたが、現代のテクノロジーなんですね。
解説続けてください。 >>680
今度試してみる。今だと現役は平林盤になるかな?
ちなみにステレオ録音もモノラルミックスして聴いてそれほど違和感はない。
左右の高域を入れ違いにして、エコーの逆相成分を打ち消さないようにしてる。 >>678
片チャンだけ取りだした方がいいんじゃないの?
もしも位相が合ってない場合ぶつかるでしょ >>682
理解のあるレスで安心しました。
>>684
ミックス時によほど人工的に逆相にしてなければ問題ない。
モノラル試聴だと左右の広がりは一次元的な距離感に置き換わるので
単にマイクと楽器の距離感が入れ違うだけになるらしい。
その音量差や立ち上がりの時間差を聴くとディレイがかかったエコーと同じになり
悪い位置にくると音が濁ると思うが、おそらくマイクセッティングで回避している。
結局トータルのサウンドバランスは大きく変化しない。 >>686
ギターアンプそのものはB級アンプ&過入力で歪ませるようにできているので
クリップング・ポイントが微妙にしか調整できないので注意。
ジェンセンは普通のアンプで鳴らすと意外にノーマルに鳴ってくれる。
そもそも汎用的な拡声器として開発されたユニットだ。
Qo=2が超えているため、バスレフではボンつくので、後面解放型が素直でいい。
バッフルとユニットは割りばしでも挟んで少し隙間を開けると解放的に鳴ってくれる。
最初板に直接付けたが、板材の重たい振動が乗って調整が難しかった。
あとチャンデバを使ってマルチアンプで駆動すると音調を整えやすい。
フィックスドエッジは新品だとエージングに半年は掛るので気長に調整するといい。 ギターアンプ用ユニットは、もとは高級電蓄か簡易PA用に開発されたもので
開発時期が1940年代に遡るものが多い。
米ジェンセンのほか、英セレッションのアルニコブルーなどが現在も製造されてて
大きな枠組みではクラングフィルムのPA用スピーカーも同様の仕様だった。
基本はマイクの生音を拡声しても、生楽器に負けないスピード感のある点で
放送ライブのように加工して無い音には向いている。
自分の使ってるC12Rは一番安い機種だけど
ボイスコイル径が小さくフェルトで覆ってあるのが気に入って選んだ。
分割振動が激しいけれど、それ自体がリバーブの機能も兼ねていたので
入力するパワーが過大でなければ、艶やかに倍音を出してくれる。
ツイーターとのクロスは1〜3kHzでかなり性格が変わってくるので
エージングが進まないうちは低めに合わせると耳に馴染みやすい。
あと高域に大型ホーンは、力敗けして全然合わない。やはり適材適所で。 フルトヴェングラーの録音は、ほぼ9割近くが1947〜54年の放送録音で
それも日記のように様々な演奏会の記録が辿れる点で特殊だ。
とはいえ、1942年のマグネトフォン放送録音と1947年のものは基本的に同じであり
戦中〜戦後の技術的な違いは、SP盤とLPほどの差で感じるほどはない。
このため誤解されやすいのが、1949年以降の録音品質の差で
ドイツ国内でFM放送が開始されたことで録音機材も新しくなり
さらの1952年からは周波数帯域が10kHzから15kHzまで拡張された。
従来の海賊盤なら同じAM放送レベルで統一されていたが
オリジナルテープの公開により音質の差が明らかになったと思う。
フルトヴェングラー自身は、1952年に大病を患って長期療養した後に
かつての自由奔放な演奏からどっしり構えた晩年スタイルに転換しただけに
放送録音の音質の充実ぶりと何かを引き換えにしたのだと誤解を受けかねない。 1950年代に世界に先駆けてFM放送を全国ネットで行ったドイツにおいて
同時期の独グラモフォンをはじめとするLPプレスの品質があまり良くない。
レコードでみたときにEMIのスタジオ録音が飛びぬけているのは
その後のフルトヴェングラーとオーディオの関係に大きく影響を与えている。
改めて、EMIのルツェルン、ウィーンフィル、フィルハーモニアの演奏と
アウディーテのベルリンフィル定期演奏会を比べてみると
かつては音質の差とセットで認識された演奏の評価も
同じ1947〜54年の歳月の流れのなかで並行して聴けるようになった。
媒体がLP、FMの違いを越えて同じ目線で
フルトヴェングラーの芸術を堪能できるようになったのだ。 1952〜54年の晩年スタイルの評価は
音質で選ぶならEMIやDGのスタジオ録音
即興性や情熱のようなものは1951年以前のライブ
という二者択一の外側から傍観していた感じがする。
しかし、音質の面でスタジオ録音に負けないとなれば話は別である。
そして晩年のスタイルで克明に記録されているのは
指揮者よりもオケ団員の自発性というか情熱がみなぎっており
かえってフルベンのほうが、熱くなりすぎないように馴らしてる感じだ。
古典的フォルム重視という達観したような聞き方では逃れられない
嵐のなかで忽然と立つ大樹のような生命の強さを感じる。 最近ようやくCDの音質について悟ったのは、FM放送に合わせて策定したと思える節があり
B&Wを導入したときのアビーロードは1970年初頭のアナログコンソールのままだし
JBL 44430、BBC LS5/9などのモニタースピーカーは高域が16kHz止まり
とても20kHzの録音品質について吟味できる環境ではなかった。
FM放送の三角ノイズやエンファシスで柔らかく包み込んで丁度良い塩梅に収まってたのだ。
ところがフルベンの放送ライブもFM放送用に収録されたものの
1980年代のFM放送とは雰囲気が違う。
よく昔のステレオ装置についてホールのS席という喩えがあったが
モノラル放送では指揮者の頭上から見渡したそのままの音が収録される。
このため、楽器の奥行き感が弦〜木管〜金管のように展開せず
全ての楽器が指揮者を中心に均等に聴こえるように配置する。
そこがラジオ的な楽曲の捉え方なのだが
どうも従来の晩年スタイルはステレオの音場に近づけようとして
漫然とした印象を与えていたように思う。 モノラル時代のドイツのラジオ局のコントロールルーム
ドレスデン放送局
ttps://www.radioeins.de/content/dam/rbb/rad/programm/medienmagazin/1/129%20-%20Funkhaus%20Dresden,%20Kontroll-Regie-Raum%20(bis%201952).jpg.jpg/img.jpg
ベルリンFunkhaus
ttps://www.radioeins.de/content/dam/rbb/rad/programm/medienmagazin/1/051%20-%20Kontrollraum%20Berliner%20Rundfunk,%20Masurenallee,%20Koll%20Werner%20Steimer.jpg.jpg/img.jpg
スピーカーはデスクの斜め左側に置くことが標準
Isophon Orchesterがこの頃製造されモニターとして使われていた。
ttp://www.hifimuseum.de/lausprecherbau-1949.html ライブ録音での天吊りマイクの設置情況
Funkhaus1947
ttps://1.bp.blogspot.com/-SWnKw7zhehU/TcM_rXWynNI/AAAAAAAAK64/eJHN6miz_1Y/s1600/Berlin+Philharmonic+In+Berlin%2527s+Funkhaus+1947.jpg
ティタニアパラスト1947
ttps://furtwangler.fr/wp-content/uploads/2017/05/Titania-Palast-mai-1947.jpg
ザルツブルク1940年代
ttps://lastfm.freetls.fastly.net/i/u/894c727734974ed6a1afaa277f14b374.png
使用マイク ノイマン CMV3
ttps://ja-jp.neumann.com/cmv-3 戦中はマイクを指揮者と並んで置くことが多かった
ttps://www.deutschlandfunk.de/berliner-philharmoniker-1945-zwischen-endzeit-und-neubeginn.1991.de.html?dram:article_id=478286
ただし、以下の写真は奥の方に客席に2本と鉄骨の上に1本エコーマイクが置いてあり
残響音をミックスしてたらしい。(客席は映像用か?)
ttps://i.guim.co.uk/img/media/d9839fac88f9178adc6fe53cd3dbe7df05f29f12/0_254_4699_2820/master/4699.jpg?width=1200&height=900&quality=85&auto=format&fit=crop&s=6d10affd3f5fffe694c41511b22b1d70
ttps://c8.alamy.com/comp/C46B4T/wilhelm-furtwaengler-with-the-berlin-philharmonic-orchestra-1942-C46B4T.jpg 1951年5月19日のウィーンフィル公演の様子
ttps://furtwangler.fr/wp-content/uploads/2017/05/WPO-19-5-1951.jpg
指揮者頭上に2本のマイク、木管の前に1本。
デッカツリーのマイク配置に似ているのと
この日の演目にフランクの交響曲が含まれていたので
あるいは…という感じもするが、録音は残っていないらしい。 ほぼ同じ時期のベームの演奏会でも同じマイク設置で
ムジークフェラインでの収録方法はこれで確定。
(マイクはノイマンCMV3からAKG C12に変わってる)
ttps://www.akg-images.com/archive/-2UMEBMBE8MWS5.html モノーラル録音ができるのなら原理的にはステレオ録音もできるよな
2つのテープの同期が難しいかもしれないが 1942〜45年のベルリンでHelmut Krugerという技師がテスト録音してたんだけど
一部しかテープが残ってないらしい。(カラヤン、ギーゼキングが有名)
そのときのマイクセッティングは戦後にRCAやマーキュリーがやってた
3本マイクを立てる方法だった。
ttps://lossenderosstudio.com/img/omnitriad.png
イギリスのブルムライン氏はヘッドホンでのバイノーラル試聴だったが
ドイツでの再生方法はどの機器をターゲットにしてたかは分からない。 1941年に米RCAがディズニー映画「ファンタジア」でステレオ興行している。
RCAは光学フィルム帯にパイロット信号を流して音を左右を振り分ける方式で
左にバイオリン、右にチェロとコントラバスという演出を効果的に使った。
ttp://www.widescreenmuseum.com/sound/fantasound1.htm
ドイツはマグネトフォンは普通の2chだけど、話の中で同じような効果を言及してるので
あるいは劇場用スピーカーでのマグネトフォン・コンサートも考えていたかもしれない。
ttps://www.northeasterndigital.com/post/the-birth-of-stereo-recording
他にエックミラー O15型のHi-Fiモニター、ベイヤーダイナミック DT48など
ステレオ試聴する手段はそろっていたので、どれも可能だったといえる。
ちなみに戦中のステレオ録音の会場だったベルリンのフンクハウスは
戦後にソ連軍の監理下に入り、撤収する1947〜48年のタイミングで
戦中の放送用テープを持ち去ってしまったということが書いてあり
実は1947年の復帰演奏会3日目も危うい情況にあったのかもしれない。 別に専門用語なんて出てこないだろw
面白いから続けてくれ
当時の録音イメージがかなり把握できた >>698
フランクの後に運命。
録音が残って無いのは残念です。
貴重な話しを引き続きお願いします。 戦後のベルリンフィルの拠点となったティタニア・パラストだが
1949年にコンサートホールとして大改修を行っており、モダン建築としての面影を失ったと言われる。
ttp://filmtheater.square7.ch/wiki/index.php?title=Steglitz_Titania-Palast
フルトヴェングラーとベルリンフィルの写真をみても確認できる。
1947年(改修前:リハーサル?)
ttps://furtwangler.fr/wp-content/uploads/2017/05/Titania-Palast-mai-1947.jpg
1952年(改修後:コンサート)
ttps://media.gettyimages.com/photos/konzert-der-philharmoniker-unter-furtwnglerim-titaniapalast-in-foto-picture-id542374325?s=2048x2048
マイクは同じCMV3の天吊りマイク1本のみだが
1947年より52年のほうがずっと指揮者の頭上に近づいている。
個人的には1949年頃から音質が良くなったのは
マイクをCMV3からU47に変更したからだと思ってたが
どうもレコーダーやマイクアンプ等の周辺機器のほうが改善されたらしい。
>>698-699のムジークフェラインでも新しいマイクは使わずに
古いCMV3を使用しているのは、どうもフルベンのこだわりらしいのだ。 ティタニア・パラストの建設は1928年で当時はまだ無声映画の時代
映画音楽もオーケストラでの生演奏、パイプオルガンを装備していた。
1947年の舞台上方に虹のように架かっているのがそのパイプで
既に電磁バルブなどで遠隔操作できるようにできていた。
ttps://de.wikipedia.org/wiki/Kinoorgel
ttps://www.monumente-online.de/de/ausgaben/2008/2/zweimal-sperrsitz-bitte.php
つまりドイツの大型映画館のアコースティックは、音響の整えられた施設であり
1929年から封切られたトーキーに対しては
「トーキーは耳と目を台無しにする!トーキーは神経を痛める!」
と大々的に広告を打ったと言われる。(日本の活弁組合とは規模が違う)
ちなみにKinoorgelの大手であるWelte & Sonは自動演奏オルガンも手掛け
豪華客船タイタニック号でも近代技術の見世物として大いに活躍した。
それとほぼ同規模のものがチェコの自動楽器博物館にあり
交響曲などを演奏したCDなども出ている。 フルトヴェングラーの場合は、この手の自動演奏技術に懐疑的であり
時代の流れとして機械文明が人間を圧倒することに抗うかたちで活動していた。
例えば1930年代のインタビューで「レコード向けの演奏をする人たち」への嫌悪を語っているし
コンサートのレパーリーが売れ線に集中することへの問題も話している。
そのままカラヤンのことを言ってるのかと思うがそれより遥か20年前のことである。
私たちは1950年代の録音について、LPでのカタログ埋めの演奏を多く知ってるし
フルトヴェングラーの個性という言い方も、この時代背景があってのことなのだ。
ティタニア・パラストはまさにこの問題と向き合う主戦場だったのかもしれない。 ここでフルトヴェングラーが録音嫌いと言われる反面
大量に残されたラジオ用音源について考えてみる必要がある。
ひとつはフルトヴェングラーを正規のスタジオ録音に限定すると
戦前から戦後にかけてそれほど多くはなく、それだけでは芸風を判断できない。
では、ラジオ音源が他のアーチストと同様にスタジオ録音の捕捉かと言えば
どちらかというと逆の立場ということになる。
これは意味を慎重に考えなければならないのだが
音楽家の活動は普段のコンサートのうちにあり
レコーディングはその断片でしかないということだ。
つまり生身の演奏家の姿を正確に反映しているのはコンサートであり
幸いにもその活動の大半を記録として残せたフルトヴェングラーについては
その実像を知るうえでライブ録音は欠かせないことになる。 一方で放送録音というのはラジオという媒体を通じている限り
繰り返し聴けるものではなく、放送枠という時間に縛られている。
つまり常にアップデートされる情報という事件性を担保しないと
報道メディアとして息切れしてしまうのだ。
ドイツの放送録音については他のアーチストについても
この手の録音が比較的高音質で残されていることが判っている。
フルトヴェングラーから少し手を広げると、大量に残されたラジオ音源は
ある時代のクラシック音楽界全体の記録としてアーカイヴされていると判る。
実はこのこと自体が、戦後ドイツのクラシック音楽の隆盛を知る手掛かりとなり
フルトヴェングラーの芸術の特異性を相対的に知ることになると思う。 >>709-710
録音機材やマイクの配置を語ってるのと比べて面白くないぞ。 フルベンがやや気まぐれなライブ録音との関係に興味を抱いてた例として
1953年のローマでの指輪に際して、EMIに録音チームの派遣を打診したことだ。
この頃になると、リハーサルをスタジオ録音として並行して録ることも行われたのと
この指輪はコンサート形式のため、歌手を1幕ごとに入れ替えて上演したらしく
メードルの話だと全力で歌っても疲れないから、かなり楽だったとのことだ。
話のネタとしてクナッパーツブッシュが、リハなし&拍手の最中のフライングというのは
ラジオ局に演奏をリークされるのを嫌ってのことかもしれない。
それに比べるとフルベンはライブ録音にそれなりに積極的な意味を見出していたが
生前にリリースされた数を考えると、没後のライブ盤の数はさすがに驚くことだろう。 ところでライブ・コンサートのHi-Fi録音の主要メディアはラジオであり
1950年代のドイツはFM放送で50〜15,000Hzの規格で収録され
さらに家庭用真空管ラジオも2wayのHi-Fi対応機器であった。
しかし、戦前のクラングフィルムの音響システムの全体を見渡せば
ラジオ規模での音響設備は序の口の1〜2Wの辺りであり
指数的に音響出力の増えるPA設備に対し幅広く対応していた。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/wigge1934_9.gif
どうもオリジナルテープから起こした放送用録音を聴く限り
それがラジオ用ということとは関係なく、共通の録音品質で録られていた。
その辺の誤認が海賊盤を中心に半世紀近く続いていたことになる。 では他の国のHi-Fi技術と何が違うかというと
戦時中に開発された音響機材はドイツ国内で規格標準化され
なおかつノイマン、AEG、BASF、クラングフィルムなどは国営化されて
専売企業のような扱いをうけることができた。
ラジオ部品についても標準化が進んでおり、真空管はもとより
スピーカーなどは戦後に独占企業を解体していったが
ジーメンス、イゾフォン、サバなどは同じ規格で製造された。
これにFM放送という公共メディアの規格が加わっていたのだ。
これは何を意味しているかというと
英米のオーディオメーカーやレコード会社のようなサウンドポリシーの違い
足並みの揃った規格の一歩先を争う百花繚乱、玉石混淆のようなことは
起こり得ないことになる。自由競争とは逆の船団方式で挑んでいたのだ。
これは現在のリマスター音源に関する小競り合いからすれば
全く逆の価値観が働いていたことになる。 >>714
なるほど
ところで、モノラル期のDGのLPはどのイコライジングが最適だろう
自分はとりあえずDINを当てはめているが、正解という確信がない このドイツ国内放送規格に支えられてたフルベンのライブ録音であるが
マイクや録音方法の選択については、戦中の手法を保守的に維持し
マイクは1928年開発のCMV3を根強く使い続けた。
戦時中はオンリーワンの先端技術だったが
1950年代ともなればノイマン U47、AKG C12など次世代のマイクが出ており
U47は低域が豊かになり、C12は高域が繊細に録れる。
特にCMV3にこだわり続ける理由もなかったと思うのだが
磁気テープ録音技術を共同で広めていった自負もあったのかもしれない。
さらにティタニア・パラストでは1本マイクでの録音に執着し続けたが
ムジークフェラインでは3本マイクで楽器群を分ける方法で録られている。
両者のホールの違いもあるが
結果的には、ベルリンフィルとウィーンフィルの演奏スタイルを分けるくらい
両者の印象は異なっており
ベルリンフィルは一体感があるが荒々しく音割れがしやすく
ウィーンフィルはマイクが増えただけ少し音が濁って漫然とした感じになりやすい。
ちなみにクナッパーツブッシュのムジークフェラインでの録音は
本来はかなり近接マイクに近いバランスで
ゾフィエンザールで録られたデッカの音に近い印象がある。
フルベンのEMIやオルフェオのリマスター音源はリバーブを深く掛ける傾向にあるが
良い悪いの問題はさておき、ムジークフェラインの響きに印象操作された恰好だ。 >>715
DGの録音チームは、RIASのように良質な機材を優先して使えたところと
旧帝国歌劇場などのように古色同然のまま録音されたところに別れ
DGのフルトヴェングラーは後者に属するように思ってる。
同じ時期のフリッチャイなんかに比べると音の鮮明さが全く異なる。
意外だったのが、アウディーテのRIAS音源のフルベンの音質で
やはりRIASの録音品質で録られていたのだと感心した次第。
同じことはケンペ/ドレスデン歌劇場が放送用に録音したオペラでもおこり
DGのベーム:アルプス交響曲との比較で色彩感など印象が違う。
東側のシャルプラッテンのほうがこの手の差別感はほとんどない。
DGのLPは初期のカッターレースがオルトフォン製、後にノイマンに統一されるが
カートリッジが家庭用エラック、初期オルトフォンOEM、後発EMTでキャタクターが違うので
使いこなしも含めて、真相はかなり奥のほうにあるように思う。
マイクやレコーダーの差のほうが、もっと些細な問題に感じるくらい多様性がある。 あと家庭用音響機器で気を付けなければならないのは
標準的な音響規模が小さい、つまりラウドネスを考慮しなければならないことで
例えばイゾフォンの小型スピーカーは、あからさまに低音を増強している。
ttps://www.lup-berlin.de/images/Katalog/1959/Seite%2004%2005.jpg
これらはラジオ用でミニワットでバランスが取れるようにしてあり
FM放送に対応したHi-Fi仕様は、以下の20cm以上のものにツイーターを加えた。
ttps://www.lup-berlin.de/images/Katalog/1959/Seite%2010%2011.jpg
それでも検聴用のモニターウピーカーに比べるとドンシャリ気味のバランスとなる。
ttps://www.lup-berlin.de/images/Katalog/1959/Seite%2012%2013.jpg >>718の周波数特性で気を付けなければならないのは
カタログ値は正面のもので、斜め横に振れると高域は下がる傾向にある。
この時代の4〜5kHzに共振(分割振動)を起こす癖をもっていたのは
どの角度からでもアナウンスの子音を明瞭に伝えるためで
昔の日本ではサ行がキツイとか言われてきた特性でもあり
バイオリンのキーキー音も中高域の分割振動の設計センスで決まる。
一般にクラングフィルムのような業務用は大音量でも音割れがせず
ラジオ用フルレンジは艶が乗って小音量でも表情が判りやすくできている。
ただフィックスドエッジだと角が立つのは最初のパルス信号で
ほとんどの楽音では見た目ほど尾を引く感じはしない。
逆に角度が変わっても全く下がらないのが低音で
200Hz以下は部屋の関係で共鳴vs縮退が起こるので
音量が増すごとにバランスが変わってくる感じがする。
小型スピーカーだと部屋の響きをうまく掴めないので低音は多めに
大型スピーカーは部屋の響きを拾いやすいので低音は控えめにしてる。
このとき低音側がフィックスドエッジだと機械的なバネで引き戻るので
100〜300Hzがタイトに引き締まって低音の表情が豊かになる。 ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/wigge1934_9.gif
に示す音響規模の表に従うと、通常の家庭用の音響規模だと
同じラジオ・電蓄の規模でも1〜2W、2〜3W、3〜5Wで
スピーカーの性質が大きく変わることが判る。
これも人間の声のスケールで考えると判りやすく
近くのしゃべり声、2m離れて数人に話す声、10m離れて呼ぶ声などの差がある。
多くの人が本格的というのは10〜20WクラスのPA機器だが
家庭用で使いやすい3〜10Wを見逃しやすい傾向にあると思う。 RIAS放送局のFM放送開始は1952年5月からであり
東ベルリンのほうが1950年から先行したことを考えると
ドイツ国内では一番遅いくらいのものであった。
ただしそれより前の1949年ににRIASはAM送信機を20Wから100Wに増強したため
追加の資金を得るまでに時間を要したのかもしれない。
ttps://www.radiomuseum.org/forum/rias_berlin_und_seine_stoersender.html
一方で、当時はラジオ局の数も少なかったため
AM局でも送信幅を広く取ればHi-Fiに近い音質での受信も可能だった。
これでフルベンのRIAS音源の音質のピリオド(1949と1952)の説明がつきそうだ。 1956年のドイツ国内向けラジオの周波数パネル
ttps://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nordmende_Tannhauser_57_3D,_1956,_front_panel_(3).jpg
中波とFMしかないのは、混信を抑えるため1948年の国際会議で
ドイツは短波帯の使用を禁止され中波帯しか振り分けられられなかった。
このため、まだ規制のなかったVHF帯によるFM放送に舵取りしたという。 ノイマンCMV3以外のマイクでの録音
EMI製 HB1Bダイナミックマイク(1940年代のEMIセッション録音)
ttps://media.gettyimages.com/photos/wilhelm-furtwaengler-conducting-the-vienna-philharmonic-wiener-picture-id543488607?s=2048x2048
ttps://img.hmv.co.jp/image/jacket/400/50/2/5/202.jpg
ノイマン M49(1950年代ルツェルン:エドウィン・フィッシャー共演)
ttps://media.gettyimages.com/photos/wilhelm-furtwaengler-is-conducting-the-fifth-symphonic-concert-at-picture-id543488901?s=2048x2048
AKG C12(1954年ザルツブルク:ドン・ジョバンニ)
ttps://media.gettyimages.com/photos/salzburg-the-german-composer-and-conductor-wilhelm-furtwangler-in-picture-id121516960?s=2048x2048 ドレスデン放送局の美人エンジニアのお話
ttps://www.youtube.com/watch?v=YWIIKwqzk9E
この手の写真はヤラセかと思ってたが中心人物だったらしい。 >>723でのEMIセッションのマイクアレンジで思い出したのは
写真に残ってるムジークフェラインの収録方法が
1931年のアビーロードでも同じ方法で行われていることだ。
ttps://s3-eu-west-1.amazonaws.com/images.abbeyroad.com/widget/image/2c245e4a-d169-4099-bc22-076fdd76a9cd.png
このときはWE 47型コンデンサーマイクが使われたが
湿気の多いロンドンではチリチリとノイズが混ざりやすいため
ブルムライン博士が開発したHB1Bダイナミックマイクが使用された。
独エレクトローラの戦中最後のバッハ/マタイのセッション(1941年)でも
同じマイクが使われている。(ラミン/ライプチヒ・ゲヴァントハウス)
ちなみにブルムライン博士はバイノーラル・ステレオ録音の発明者で
もしかするとステレオでのテスト録音を意識していたかもしれないが
当時のアセテート録音ではよく分からないというのが正直なところだろう。
ボヤっとしたEMIの録音? ムジークフェラインの響き? 真相はどうだろう? 1960年代のORFによるウィーンフィルの収録は
現在のステレオ録音と同じような2本マイク+補助マイクに変わっている。
ttps://www.youtube.com/watch?v=16UDOxB5r68
ttps://www.youtube.com/watch?v=Rtc6yJGgZkk
ttps://www.youtube.com/watch?v=vuXODojyfME
カッチリした如何にもテレビ向きの音になるのだが
意外なことにステレオ装置で聴くと痩せ細った音になりやすい。
理由は低音の被りを排除しているからだが
全く入っていないわけではなく、余韻を残さないようにしているので
通常のレコード録音に比べ量感が出ない。
もうひとつの理由は、通常のウーハーは出音が遅れるのが普通で
マルチウェイともなると位相の逆転も含めかなり複雑な波形を出す。
ttps://www.stereophile.com/content/measuring-loudspeakers-part-two-page-3
その差はたった1ミリ秒だが、周波数で言えば500Hzの半波長であり
この位相のクビレはそれなりに聴き取れてしまう。
低音がスレンダーに収録された放送録音の場合は
高音のパルスのほうがカチャカチャと目立って聴こえることになる。 一方で、古いフィックスドエッジは、PAで生楽器と共演することも想定して
出音に関するタイミングは機械的な補助も得ながら正確に出てくる。
私の使ってるジェンセンC12R(ギターアンプ用スピーカー)もその例に漏れずかなり早い。
実際にはツイーターより少し早くフライングしていて
図中の1.5msから徐々に盛り上がってきているのが30cmスピーカー。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/image521.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/image1120.jpg
ステップ応答は機械的に押し戻すので1msで音が引いてしまうが
200Hz以上の帯域で波形を保証しているのでダイナミックに鳴る。 個人的に思うのは、フルトヴェングラーのライブのような放送録音は
家電として量販されていたラジオやテレビの品質管理に沿っていて
それを迫力をもって鳴らし切るには、1950年代のPA技術が有効だ。
単純にはマイクとアンプとスピーカーというシンプルな組合せの間に
録音メディアが介在しているということになるが
現在の放送局蔵出しのリマスター盤の鮮度がそれにあたる。
現在のマルチトラック収録に合わせたスタイルに行き着く前の
マイクの生音にアプローチする方法は古くて新しい技術だと思う。 nacoがフルヴェン取り上げてくれんかな。
あんな🐙みたいなキモい男は見る気せんもん。 マイクの過度特性に付いて行けるインパルス応答をもつものに
ヘッドホンもしくはイヤホンがある。
多くの場合、スピーカーよりヘッドホンのほうが
格段に安く音質を上げられるので手っ取り早い手段ではある。
ただし、モノラルの場合は頭内定位が課題になる。
個人的には長い間モノラルスピーカーで試聴し慣れると
もとにあったステレオ感の脳内変換が薄らいできて
頭内定位の問題はあまり気にならなくなった。
逆に気になるのが、外耳の共鳴からくる癖が大きく出ることで
昔はラウドネス曲線、今はDiffuse Field Equalizationで規格化されているが
空間で聴くのと、耳の近くで聴くのとでは、音の遠近の感覚がかなり違う。
最近は耳介の形状まで議論されるのでかなりややこしい。
ttps://www.kistork.com/testjapanese
1940〜50年代のスピーカーにみられる4kHz付近のピークは
音響規模をスケールダウンするときの明瞭度を確保するためだが
現実には小さい出力で効率よく拡声するための技術だったので
必ずしも小さな音で聴くためのものではない。
こうした技術は、些細な聞こえ方の問題よりも補聴器の分野で応用されたが
人間の耳の聞こえ方というものが、思っているほどフラットではないことは確かだ。 ステレオかモノラルかについては、フルベンの場合はモノラルのみだが
実際のステレオ信号はかなり人工的な音響をもっている。
ttps://www.headphonesty.com/wp-content/uploads/2020/04/Displaying-Crosstalk-1100x743.jpg
ベルリンフィルでの1本マイクへのこだわり
逆にウィーンフィルでの3本マイクでの収録による違いは
従来なら荒削りだが燃焼度の高いベルリンと
優雅で力強いウィーンとの位置づけになってるように思える。
では晩年のベルリンフィルは?
外面の造形性が高いのに、内面はかなり燃え上がっている感じで
内側のメラメラとした炎が、従来だと聞こえ辛かった。
個人的にはモノラル録音をステレオ装置で聴くというのは
少なくともベルリンフィルの録音に関してはNGだと思う。 戦時中のフルトヴェングラーの録音を担当したFriedrich Schnapp氏は
その後のフルトヴェングラーの収録方法に圧倒的な影響を与えた人で
マグネトフォンと天吊りマイクによるモノラル録音を行ったパイオニアだ。
戦後に北西ドイツ放送に移り録音技師をしたが
1951年のブラ1などのライブ録音にも関わっていた。
当時の常任はS.イッセルシュテットだったが、同じ方法で収録されている。
ttps://www.ndr.de/orchester_chor/elbphilharmonieorchester/nwdrsinfonieorchester102_v-contentxl.jpg
ヌヴーとのブラ協など有名な録音もあるので聴き比べも良いだろう。 そのせいで、デッカ録音時もマイクを1つしか使わせなかったやつ そりゃおもしろいね。で、1回ポッキリで縁が切れたか。
ブラ2はもともと眠たい演奏をするロンドンフィルを相手に拍の頭が乱れがちで
セッションそのものも順調でないように感じる。
でも>>723のEMIセッションでは3個マイクを使わせている。
こっちは復帰前後であまり贅沢も言わなかったのかな。 CD屋さんの説明にもあった
http://www.aria-cd.com/arianew/shopping.php?pg=label/furt02
3月11日にはブラームスの交響曲第2番が演奏され、これにより英デッカによる録音セッションが組まれました。
これはフルトヴェングラーにとって英デッカヘの初録音であり、3月22日からロンドンのキングスウェイ・ホールで行われたセッションは、フルトヴェングラーがかなり神経質になっていた(ジョン・カルショー″Getting the RecordStraight″による)とされ、当時のデッカのマルチ・マイクと異なり、フルトヴェングラー自身の要求によりワン・ポイント・マイクで収録されたとされます。 1940年代のデッカ録音風景(シューリヒト)
ttps://c8.alamy.com/comp/W3780E/ealing-studios-sound-studio-orchestra-1940s-W3780E.jpg
マイクはマルコニー製AX型リボンマイク
ttp://www.coutant.org/bbc/index.html
当時はまだテープ録音機は試用段階なのでカッターレースだと思うけど
そもそもffrrのカッターヘッドがどういうものなのか調べ切ってない。 昔モノラル病棟スレにいたひとかな
お友達になりたいがスレ違いと叩かれそう ノイマン CMV3
ttps://en-de.neumann.com/cmv-3
フルトヴェングラーは持ち歩いてたかと思うくらい
どの場所でもこのマイクとマグネトフォンで収録していた。 故障のときの予備かな?
コンデンサーマイクは湿気などでチリチリとノイズが乗ったりするので。 なるほど故障に備えてですか
フィルム用とテレコ用に二系統で収録なのかぁと思ってました
ヴァイオリンピックアップしたいのでマイクスタンド立ててるんだと思いますけど本番ではマイクはどの位置にあったんでしょうね フルベンのライブが1947〜48年に比べ1949年から音質が良くなるのは
レコーダーやマイクプリ等の改良もあると思うけど
どうもマイクのメンテが追いついてなかったようにも聴こえる。
最初は1949年にノイマンU47が製造されたので換えたのだと思ったが
フルベンは1950年代に入ってもCMV3に固執していた。
ちなみにマイクの先っぽは交換できて、東ドイツで1960年代まで製造されてた。 勉強になるなぁ
RIASは50年頃のを聞くと機材が一新されたのか相当音がよいです
SFBは49-50年頃は資金難だったようで多分音源を米レーベルに売っていたと思います
この時期の収録音で感心するのはRIAS収録の方ですね マイク位置は天吊りと床スタンドの2種類があって
スタンド置きの場合は指揮者のすぐ後に置くことが多い。
ザルツブルクなら1本吊りマイク
ttps://lastfm.freetls.fastly.net/i/u/894c727734974ed6a1afaa277f14b374.png
ttps://www.youtube.com/watch?v=vItuQgmLyxw
ルツェルンの場合は天吊り1本かな。
ttps://media.gettyimages.com/photos/wilhelm-furtwaengler-is-conducting-the-fifth-symphonic-concert-at-picture-id543488901?s=2048x2048
この写真はノイマンM49と並列でCMV3がぶら下がってるけど
レコード会社と放送局という棲み分けかもしれない。 こんな詳しい人滅多にいないので便乗スレ違いですんません
これワルターとVPOのマーラー9番のなんだけどマイク型番わかりますか?
https://i.imgur.com/VlvAJTF.jpg フルベンのRIAS音源のほうは、1949年にティタニアパラストの大改修
1952年にFM放送開始というように、市政から補助が出たタイミングで
録音機材を更新しているように見受けられる。
それでもベルリンフィルには一種のペナルティがあったようで
同時期のフリッチャイに比べ明らかに機材の更新が遅れてる。 >>746
おそらくEMI HB1型だと思うけど、先端のメッシュカバーが少し違うような。
ttps://www.abbeyroad.com/news/lester-smith-on-the-emi-hb1e-microphone-2508
1940年代の独エレクトローラはEMI製のマイクで録音していた。
あと、もしかするとWE 618型かもしれない。
ttp://www.coutant.org/we618a/index.html
アビーロードは1931年にスタジオを改修した際にWEと技術提携している。
ttps://s3-eu-west-1.amazonaws.com/images.abbeyroad.com/widget/image/2c245e4a-d169-4099-bc22-076fdd76a9cd.png
ttp://www.coutant.org/we47/index.html >>748
このSP盤のマトリクスにある□マークはWE製品使ってるロゴだったはずですがマイクなのかカッティング機器なのか忘れちゃいました
どちらもあり得そうですね
感謝です! フルトヴェングラーの録音で同時代の平均より音が良いものって少ない気がするんだが。
最近は昔より耳が悪くなったのか、その悪い音でも満足なんだけど。 EMI録音でダグラス・ラーターが録ってる録音は非常に良いよ ダグラス・ラーターは、カラヤンの若い頃のEMIの録音を担当していた人じゃないか。
お家のCDで検索したら、フルトヴェングラー、PO、エドヴィン・フィッシャーが1951/2/19-20、カラヤン、PO、ギーゼキングが1951/6 の録音が共にダグラス・ラーターで、録音日近すぎな気がするのと、フルトヴェングラーとの録音のタイミングで、POは自信満々な感じなんだが。 >>750-752
フルベンの録音は、EMIやDGなどのレコード会社による正規盤と
RIASやORFなど放送局のライブ録音に別れ、数は放送録音が9割を占める。
ただし放送録音はレコード会社との専属契約がかなり厳重だったので
オリジナルテープの蔵出しはNGでほとんどは海賊盤として世の中に出ていた。
この音質がAM放送のエアチェックなみだったので試聴に苦労した。
各国のフルトヴェングラー協会などは親族などを交えた研究目的の頒布で
比較的ましな音質で提供していたが、海賊盤の数のほうが圧倒的だった。
ところが没後50年経って著作権関連が解かれると
放送録音のオリジナルテープが自由に扱えるようになったので
当時FM放送で流していた品質そのままでフルベンを聴けるようになった。
音質改善にはデジタルデータをパソコンで編集できるようになったのが大きく
再生スピードの修正、テープの皺、会場の咳などのノイズのゴミ取り等々
様々な修復が成されているが、イコライザーやリバーブの癖がまちまちなのが課題。 フルベンの戦中のマグネトフォン録音を参考にすると
ドイツの放送録音には、SP盤→LP盤という時代区分がなく
1942〜65年頃まで一貫して同じ手法で記録された。
その間モノラル→ステレオという技術展開もあるわけで
1940年代の最新技術と1960年代のオワコンという
極端な意見のなかで亡霊のようにさ迷っている。 個人的には放送局のオリジナルテープは
カメラでいうネガフィルムのようなもので
モノクロ写真で現像という過程が重要なのと同じで
リマスターの過程からオーディオ装置の最適化まで
まだまだ検討する余地を残していると思う。
私自身も最近になって15年振りにCPプレーヤーを
ラックスマンD-03Xに買い替えたのだが
意外なことに1990年代のセブンシーズ盤がまともに聴けた。
高域が丸まってボヤっとしたところが霧が晴れたというべきか。
ついでに外部USB経由でアマゾンのサブスクなどつまみ食いしながら
CD購入の検討をしているという感じ。 フルベンの放送録音のリリースの歴史は実に奇妙で
1950年代まではFMでの実況放送として流れ
1960年代に復帰演奏会などのライブ録音が出始め
1970〜80年代に海賊盤のリークで盛り上がり
1990年代はCD化の是非でファン層が別れ
2000年以降は板起こし、放送局蔵出し音源まで様々。
蓋を開けてみると1942〜54年のマグネトフォンによるHi-Fi録音と
1949年以降のドイツ国内のみで有効だったFM放送とが忘れられて
SP盤〜LP盤〜ステレオ録音のレコード史の流れで租借している情況だ。 1950年代のFMモノラル放送の品質についていえば
もしかしたら覚えている人がいるかもしれないが
1970年代のモノラル・ラジカセと多少似た感じがあって
AM放送を流すとステレオより音声が明瞭で聴きやすく
さりとてFM放送の音質の良さも判るという塩梅。
1950年代は英米なら高級電蓄というものがあったのだが
ドイツの場合はLP発売よりFM放送のほうが先行したので
この時代にあるのはHi-Fi対応の真空管ラジオが大多数。
それだけで一流のクラシック演奏が絶え間なく聴けたのだ。
このギャップを埋めることができないまま半世紀が過ぎた。 英米の高級電蓄といっても、カートリッジからスピーカーまで
一貫したサウンドポリシーで設計された芸術品のようなもので
デッカのデコラ(モノラルとステレオがある)をみても
パーツだけ取り出しても、ピックアップ、アーム、楕円スピーカーなど
今からみればポンコツのようなものばかりだ。
案外PX25やトランス類にサウンドの秘訣があるのではと疑うのだが
何よりも初期プレスのLP盤からして音が違うわけで
なかなか全体のシステムとして再現して構築するのは難しい。 あとクラングフィルムを中心とするドイツ製の業務用機器という手もあるが
CDプレーヤーもスチューダーやEMTなどに揃えて対処している。
お金さえあればそうしたいところだろうが、中の下くらいの一般庶民は
8千円のジェンセン製ギターアンプ用30cmスピーカーを後面解放箱に入れて
ツイーターをチャンデバ+ステレオアンプでマルチアンプでバランス調整する位で
ラジカセよりは数倍リッチな音でPAモノラル再生することをお勧めする。
実際にドイツ国民もその規格で25年間を過ごしてきたわけだし
豊かな放送録音の資産もそれで十分に満喫できるようにできていた。
ジェンセンはアメリカ製? いやいやデンマーク人の無線技師ですよ!
それとテープレコーダーの開発もデンマーク人のポールセン。
ラジオやレコードよりも先行した技術だったが
アメリカやドイツという外国で資本を得て花開いた。 冷戦で西側の息が掛かった都市でのFM放送の開始は
RIASが1952年、ORFが1953年と独墺圏では奥手だった。
1952年時点でのFM放送の送信局数は以下の通り。
Bayerischer Rundfunk 27
Hessischer Rundfunk 7
Nordwestdeutscher Rundfunk 29
Radio Bremen 2
Suddeutscher Rundfunk 12
Sudwestfunk 27
Sender Freies Berlin 2
合計 106
遅れた理由は東側のFM放送網が発達していたために
政治的なプロパガンダに利用されないか懸念していたからだと言われる。
ちなみに東ベルリンSFBのFM放送は1950年から始まっており
ザルツブルクではドレスデン(1948〜)からのFM放送を聞かないか警戒して
試験放送の際にモニター調査をしていた。(結果はORFのみ試聴)
逆のこともしかりで、ドレスデン市民がRIASに手紙を出して18ヶ月の懲役刑
ザクセン州のラジオ商会はRIASにチューニングしたかどで有罪となった。 モノラルの聞き方は斜め横からと決まっており
傍から見ると一緒に並んでいる感じがするくらいの位置になる。
スピーカーの特性も正面では中高域を強く、斜めからフラットに設定していた。
AXIOM80を聴く瀬川冬樹
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/segawa-img_0.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/segawa-img_4.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/image1132.jpg
ヤノヴィッツの自宅? ソファとラジオの位置に注目
ttps://c8.alamy.com/comp/EWDT15/sterreichische-konzert-und-opernsngerin-gundula-janowitz-in-hamburg-EWDT15.jpg
ttps://www.radiomuseum.org/r/grundig_musikgeraet_2067.html >モノラルの聞き方は斜め横からと決まっており
それは納得いかんな
ヤノヴィッツの場合、つまみを操作する都合なのは明らかだし
瀬川氏の場合は製図板が定位置だろう 瀬川氏の部屋の図面をみると、レコード側の椅子かソファベッドが音楽鑑賞の定位置だろう
それは操作の都合からも容易に想像できる
写真は単にスピーカーと持ち主を同じ構図に納めたに過ぎない
つまりこの椅子はお客用だ >>762-763
AXIOM80の斜め横30°がフラットになる設計思想は
1979年ステサン別冊で佐伯多門氏がコメントしている。
瀬川氏はソファにまっすぐ座れば斜め横からの試聴だ。
ヤノヴィッツは当時のラジオ&電蓄の聞き方として標準で
写真のために移動しているわけではないのは見ての通り。
古いドイツ製フルレンジもこの試聴位置を元に設計されている。
BBCだって斜め横からモニターしていて、パルメコも正面からだと中高域がきつい。
ttp://www.knightsaberdeen.com/LSU%2010%20RogerWilmut%20bbc%20speaker%20l1%20(3).jpg
ttp://www.knightsaberdeen.com/1000%20LSU%2010%20RogerWilmut%20bbc%20speaker%20l1%20(1).jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/1950/BBC/BBC-M008-12.jpg なんで正面特性のみを中高域を盛り上げるかというと
古いスピーカーの矩形波による高調波歪み(倍音特性)を調べると
斜め横からでも倍音は正面特性と同じような分布になる。
一方で、スイープ音での応答はフラットからカマボコ型になる。
これは高域成分の録音に限界の多かった時代の折衷的な方法で
他にも真空管のリンギング、トランスの磁気歪みなど様々に存在した。
おそらくアナログ盤のスクラッチ=パルス成分も同じ効果がある。 自分は片耳で聴くのは耐え難いけどな…
モニターチェックの場合はそうなのかもしれないが
当時の一般リスナーは平気なんだろうか? それと、モノラル時代はリモコンが無かったからね
音量と周波数を合わせながら聴くからどうしてもこうなる
ヤノヴィッツがリモコン持ってたら違ったと思うよ ここの話題の半分て音質やオーディオなんだな
ジジイが集まってるのが分かるな; >>766
片耳で聴いているようでいて、ちゃんと反対側の耳で補完している。
どちらかというと実音とエコーのように聞き分けているらしい。
スピーカーを介して部屋の響きを聴くという感じになる。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/ppos-09-acoustics2.jpg
慣れるまでに少し時間が掛かるけど、慣れるとヘッドホンの頭内定位も無くなる。
自分はモノラル耳と勝手に呼んでる。
モノラル録音をステレオスピーカーで聴くというのは色々と課題がある。
ステレオによる干渉波(無響室の1本での測定とは異なる)
ttps://www.youtube.com/watch?v=HxJJepW2SZg
本来の音像をステレオに解体して組み直す
ttps://www.headphonesty.com/wp-content/uploads/2020/04/Displaying-Crosstalk-1100x743.jpg
あとステレオだとこんな聞き方はできない
ttps://i.pinimg.com/originals/7d/b9/50/7db9509d5ae9419bd6eb18e040b7d56b.jpg 1950年代のスピーカーの呼び方にリプロデューサーという言い方があるが
本来は、蓄音機の振動子(サウンドボックス)のことを指したり
ドイツ語でWiedergabegeratと検索するとテープレコーダーが出てくる。
つまりレコードやテープの信号を音響に変換する機器のことを指すのだが
1970年代頃からレコードとオーディオはマニアの棲み分けが激しくなり
レコードマニアはレコードの音質を、オーディオマニアは機械の性能を
それぞれ別個に話す傾向がある。
ところが、フルベンの生きた時代は、DIN規格の船団方式で
録音から放送、再生まで一貫した品質管理をしていた。
そのバランスが崩れたのは1965年頃からで、FMモノラル放送がなくなるにつれて
古い録音は全てAM放送であったかのような誤解を与えている。
主犯は英米伊日でリリースされた海賊盤によることは確実だが
裏ではアーチストのレコード専属契約がネックになって放送局に封印されてた。
この誤解を解いてフルベンのサウンドを解放するには
1950年代のFMラジオという規格に沿ってバランスを取り直さなければ
色々と変なことがおきることになる。 例えば、ステレオ音像を作り出すのは700Hz以上の周波数で
主に5〜10kHzの高域でセパレーションを確保している。
つまり鋭利な高域の指向性に頼ってステレオ感を出しているわけで
さらにはツイーターの反応を早く立てることで違いを際立たしている。
この高域のアクセントがフルベンのモノラル録音の一体性を削いでしまう。
普通に聞けば判るが、独特の躍動感は100〜1000Hzという
楽器の実音域で激しくひしめき合っている。
ミッドローでの出音が曖昧だと、ベルリンフィルのガッシリとした力感がぼやけて
一般にアンサンブルの乱れとされる高域の粗さだけが目立つことになる。
周波数のバランスだけでなく、出音のバランスもピラミッド型であるべきだ。 何日か前にこんな長文誰も読まないよと言ったらイヤ読んでるよと反論した奴がいたけど責任持って全部読めよ 反論したものではないけれど
私は読んで楽しんでいる。 片耳が物理的に痛くなるので「モノラル耳」は自分は無理だ
俺は一本スピーカーの真正面に陣取るスタイル
ウーファーの中心を見つめていると、向こうにオーケストラが見えてくるよ アウディーテのRIAS音源の画期的だと思ったのは
ヒデミットはともかく、ブラッハーやフォルトナーなど現在でも聴けない
比較的マイナーな新古典主義の現代曲を織り交ぜた演目を
ドキュメントとして万遍なく再現していることだと思う。
それも当時の最高の音質で記録されていたのだ。
こちらはフルベンらしくないと言えば失礼だが
あまり曲想をいじらず生真面目に演奏している。
単独で聴くとココシュカやムンクのような表現主義に近い感じのする
ブラームス3番、英雄なども造形性が浮き彫りになるから不思議だ。 フルトヴェングラーとオーディオの発展史を考えると
SP盤〜LP盤というレコード販売で考えるよりも
放送メディアの発展史で考えるほうが妥当だ。
戦時中の1942年から交流バイアス化されたマグネトフォンによる
ラジオコンサート(無観客の放送ライブ)の収録が始まったが
録音時間を細切れにせず、ぶっ通しで収録できるテープ録音は
フルベンのように曲想にアドリブを交えて変化させる指揮者にとって
本来の演奏に近い記録ができたメディアといえる。
このときの録音機材は1948年まで同じものが使用されたが
基本的にドイツ国内でのラジオ放送に限定されていたのと
戦中のテープがソ連に接収されたことにより幻の演奏になっていた。 戦時中の録音機材の更新時期が訪れたのは1949年で
ちょうど占領軍が撤退しベルリン市政がドイツ人の手中に戻った時期である。
それまでRIAS放送(AM)は20kWに制限されていたが100kWに増強し
仮の演奏会場になっていたティタニアパラストの内装を大改修して
専用のコンサートホールとして再開した。
一方で、RIASのFM放送開始は1952年まで保留され
東側のSFBのほうが先手を打って1950年からFM放送を開始した。
手間取った理由は、1948年にドレスデンからはじまったFM放送網の整備と共に
東西冷戦の前哨戦としてプロパガンダ放送への警戒感があったからだとされる。
一方で、1952年のFM放送は、高域が10kHzから15kHzまで拡張され
それに伴う音質改善は、当時のHi-Fi録音の標準を保っていた。 一方で、マグネトフォンによるライブ録音には問題がいくつかある。
まず最初に、それらがドイツ国内での放送にほぼ限定されていたこと。
今市場の溢れているもので生前にリリースされたライブ録音はほぼ皆無だ。
ベルリンで聴けたHi-Fi放送は、外国では全く知られなかった。
第二に、レコード会社による専属契約の枷が厳しく
放送局から直接オリジナルテープを市場に出すことは禁じられていた。
このため多くの海賊盤が現れたが、AM放送をエアチェックしたような音質は
フルベンのライブ録音を「音は悪いが演奏は最高」という誤解を生んだ。
ともかく高音をカットされ歪み切った音が大半だったのだから
あえて言えば戦後ドイツの工業技術に対しネガティブな印象を与えたと思えるほどだ。
焼野原のなかでか細いAM放送の電波を聴くベルリン市民というイメージだ。 第三の問題は、ドイツ国内でのHi-Fi放送がレコードの発展史と交錯し
1940年代には最先端の録音品質、1960年代には古ぼけたモノラルラジオという
両極端な評価がみられることだ。
この評価の発端は、フルベンの海賊盤が大量にリリースされはじめた
1970年代のオーディオ技術に照らしわせれば説明しやすい。
つまりFM放送といえばステレオだし、モノラルは古ぼけた電蓄の音と決まってる。
そういう時代にフルベンのライブ録音は人気が出たのだ。
このパラドックスが現在も解けないまま放置されている。 こうしたレコードのHi-Fi化の裏で忘れられているのは
マグネトフォンによる録音技術が特許の関係もほとんど無視して
連合国側の戦利品として流通し、ステレオ→モノラルの蔑視が生まれたことだ。
そのうえライブ録音のオリジナルテープのほとんどは半世紀に渡り
放送局の保管庫に厳重に管理・封印されて眠っていた。
この2つの事柄が解放されるまで
さらにアナログからデジタルへの録音フォーマットの移行があるわけで
タイムカプセルを開けら浦島太郎のようになっていたというのが正直なところだ。
その間に淘汰され忘れられたオーディオ技術が沢山あって
多くの人が録音の良し悪しを語るとき
再生方法のミスマッチと勘違いしてるように思われる。
実際にはLP盤よりも古いHi-Fi技術なのだから仕方ないかもしれない。 レコード会社との専属契約の結果として
良好な音質による記録が世に出るのが遅れたというわけか
皮肉なものだ 古便初心者です。戦後のウイーンフィルとの録音はあまりらしく無くイマイチと感じました。
古便臭を強く感じられる曲目と録音年代をいくつか教えていただけないでしょうか。 >>787
腐りかけたエサを撒きに来るな、ヴァカ。 好みでない曲を聴くのは苦痛だから、薦めてもらってまで聴かんでいいわ。
真面目に探す気があるなら、古い順に聴いていけばわかるわ。 比較するとフルトヴェングラーはオケがのってない演奏もあるから。
1947/5/25の演奏会がいいのか1947/5/27の方がいいのか、みたいな。
まあスタジオ録音はEMIは特に重要でないと感じる。 ウィーンとベルリンで全然違うよね
ベルリン風フルトヴェングラーはカラヤンに ウィーン風フルトヴェングラーはバーンスタイン
につながる
あと ウィーンはフルトヴェングラーとは別の音楽を持っていてそれに巨匠が合わせるところもある
かといってベルリンが好みかというと個人的にはウィーンのほうが評価が上だったりするかも 1942の第九とルフェビュールモーツァルトと1947DG第5 がいいなベルリンは
ウィーンは1952第九 第3 第4 第6 1952ブラームス1 1950ブラームス4 ベルリンもウィーンもカラヤンを通じて国際的になり独自色を失ったとみるべきだが
時代的にオーケストラの機能性をブラッシュアップする方向へ賛成していたと思える。
例えばクリュイタンスやカイルベルトが客演した演奏は、同時代のカラヤンより整ってる。
同様にRIAS管やウィーン響のようなスタイリッシュな演奏と聴き比べることで
都市ごとにあったクラシック音楽の文化的広がりを知ることができるし
フルベン晩年の「らしくない」演奏も十分にユニークな響きをもっていたと判る。 例えば、ベルリンフィルとのブラームス3番について
1949年と1954年を聴き比べると
49年の鬼気迫る煽り方は他では聴けないが
54年の造形的に整った演奏も捨てがたい。
そのどちらもフルベンの個性の在り方だし
ブラームスを聴くという意味でも有意義だ。 >>794
『都市ごとにあったクラシック音楽の文化的広がりを知ることができる』
ドイツの年ごとの文化的傾向を専攻されていたんですかぁ?すごいですねぇ。
一端をご披露ください。ぜひ。 ワーナーから新リマスターベートーヴェンの1番3番出たけど以前のSACDとの音質差はどうよ? >>796
例えば、ベルリンだと本来は歌劇のほうが歴史があって
ベートーヴェンのフィデリオが上演された頃は
ウィーン、ドレスデン、プラハと並ぶドイツ語オペラ上演の盛んな地域だった。
主な歌劇場が帝国歌劇場と旧シャルロッテンブルク劇場で
あとクロル劇場があったが、意外にオペレッタの演奏にも伝統があったし
ヴォツェックの初演などもベルリンで行うなどモダニズムの最先端にもあった。
帝国歌劇場の団員はRIAS管に流れたことで、戦前のモダニズムはこちらが継承。
シャルロッテンブルクは市民歌劇場として残ったが
興味深いのがティタニアパラストでフラグスタートを迎えたコンサートで
かつて首席をしたジョルジュ・セバスティアンが指揮をして
この団体の当時の実力がかなり高かったことを示す。
ベルリンフィルはシンフォニー中心の楽団で、常任のフルベンの他
多くの客演指揮者による解釈の多様性を聴かせてくれる。
もうひとつのベルリン放送響は東側に属したが
アーベントロート(ライプチヒ放送響と兼任)による手堅い演奏をする。
これにRIAS管のスタイリッシュな演奏が加わることで全体像が見渡せる。 ウィーンはどちらかというとウィーンフィルと国立歌劇場の独り相撲のようにみえるが
現代物もこなすウィーン響まで広げると
実際にはウィーンで聴けない演目がないくらい多様性をもっている。
1950年代だとモーツァルトなどの古典派の演奏ならウィーン響のほうが上品だし
オペラではモンテヴェルディからベルクまで意欲的なプログラムを組んでる。
ただウィーンフィル団員による室内楽まで幅を広げると古典派も面白いが
最もウィーン情緒あふれるコンチェルトハウスSQは元ウィーン響の団員だ。
フルベンではベルリンフィルのほうが多様性に富んだ演目をもっていて
ウィーンフィルでは新しいものに挑戦することは難しかった。
あえていえばベームが新作オペラなど正面突破を図ったというべきだが
経営の面ではかなり苦労したのではないかと思う。 ベルリンについて付け加えると
カール・フレッシュやマルティン・クラウゼなどによる器楽曲の知的な解釈で
これらの演奏家を新即物主義というのはおこがましいが
現在のドイツ的な構成力の高い演奏スタイルを築き上げたといえる。
ピアニストだと壮年期のケンプやアラウなどにその片鱗がみられ
ヴァイオリニストではシェリングやゴールドベルクなどが挙げられる。
さらにヌヴーやギトリス、イダ・ヘンデルなどを加えると
その多様性にも瞠目するだろう。
実はフルトヴェングラーは、後者の異端の天才の部類に入り
戦前のベルリンという都市がもつユニークさにもつながる。 なるほどぉ。
有難うございます。
もっと聞かせてください。 スレ違いで申し訳ないのですが、クラシックでの一番最初の録音は何なのでしょうか。
ブラームスのハンガリアン舞曲の自作自演のテンポの速さと轟音の如き雑音にノックアウトされたのですが、これより早いエジソンへの録音教えて。 20世紀的脱Hi-Fi音響論
の人が書き込んでるのか、そこのネタをとってきてるか、どっちなんだ?
最近、モノラル用のシステムが欲しくなったものだが。 >>806
まず簡単なのがドイツ製の20cmフルレンジを探すこと。
ジーメンスでもサバでも何でもかまわない。
後面解放型エンクロージャーは自作でもいいけど
アルテック 618型テプリカの背板を外したものがちょうどよく
ヤフオクで注文製作してくれる石川県の木工屋さんがいた。
(今はスリットバスレフに特化してるみたい)
バッフル板への取り付けは爪楊枝程度に薄く隙間を空けることを忘れずに。
これだけで音の勢いが変わる。
アンプはトランジスターでも真空管でも素直な音のものなら大丈夫だけど
デジタルアンプは倍音の出るタイプとそうでないのがあって良く判らない。
あとヤマハの簡易ミキサーはリバーブが優秀なのでオススメ。
個人的には昔のラジカセの丸く艶やかな音が好みなので
サンスイトランスの一番古いタイプを噛ましている。
これとリバーブの乗りが良くとても気持ちいい音を出す。
真空管と違って自分で加減ができるのが肝要など思う。 あと既にオーディオ歴も長い人(フルベンを聴く人はほとんど?)には
25〜30cmのエクステンデッドレンジ(フィックスドエッジ)のスピーカーを元に
2wayスピーカーを組むことをオススメする。(楕円型もOK)
エクステンデッドレンジにツイーターを追加してHi-Fi対応にするのは
1950年代のドイツ製ラジオでは標準の仕様であり
それより一回り大きいPA仕様にすることで大分本格的になる。
20cmと何が違うかというと、200〜500Hzをダイレクトに振動させられるかで
ここの帯域のド根性でオケの躍動感が全く異なる。
20cmは500Hz以下をエンクロージャーの反射音で補うので出音が遅れるが
そのかわりボーカルがクリアだということで、そっちに魅力を感じる人も多い。
ただしこのクラスでのドイツ製ビンテージは希少品かつ高額なので
私は汎用的なジェンセンC12Rのレプリカ(伊SICA製)を使っている。
アメリカ製だとRCAやGEのものが落ち着いた東海岸トーンで
こちらのほうが本数もあり扱いやすいかもしれない。(価格もそれなり) ツイーターの選択が悩ましく、コーン、ホーン、リボンと色々試したが
結局フォステクスのソフトドーム型に落ち着いている。
30cmエクステンデッドレンジに3.5kHzクロスで重ねているが
さらに5dB抑え込んで控えめに使っているので最低限の色付けになる。
既にLP盤を大量に所有している人には愚問だが
CDプレーヤーはそれなりに良い物を使わないと勿体ない。
最近ラックスマン D-03Xに買い替えたが(15年振り更新)
スタジオクオリティの意味がようやく理解できたと思ってる。
それまで使ってたCECのベルトドライブも低域が柔らかく
躍動感をもったアナログ的なバランスでそれなりに良かったが
やはり中低域が遅れずにキッチリ鳴らして正面突破することで
古い墺プライザーのCDでも気持ちよく聴けるようになった。 あとはランシング、タンノイなどの昔からあるスピーカーの所見だが
多くは1960年代以降のフラットネス&ステレオ対応を基調にしたもので
モノラルFM放送用に録音されたフルベンのライブ録音では
レコード会社のスタジオ録音とは品質管理が異なるように感じている。
大は小を兼ねるというが、この場合は当てはまらない。
ラジオ用の音声は、基本的にアナウンスを明瞭に伝えることを基調にしていて
200〜2,000Hzを中心に同心円状に広がる特性を持たしていて
さらに中高域での子音の明瞭度を増す工夫を受信機側で行っている。
これはSP盤からマグネトフォンに引き継がれたトーンで
1970年代にはジャーマン・サウンドとして嫌われた部類に入るが
マイクの生音を拡声するPA機器にもみられる特徴だ。
逆のケースはアセテート盤で、送信側でカリカリの音に仕上げ
受信情況が悪くても明瞭度を確保する方法で
アメリカのプレスト社のカッターレース(世界中で使ってた)が該当する。
米RCAのスピーカーなど東海岸系の落ち着いたトーンは
前提として放送用アセテート録音があってのものだと思うし
WEやアルテックも実は光学フィルムの関係でこっちの特性を選んだ。
いずれも100〜8,000HzというAMラジオ規格をめぐる音響設計の攻防だが
マグネトフォンは録音がフラット、再生側でデフォルメという方法を選んでいる。 あらためてランシングやタンノイのことだが
実は両社ともにPA機器での成功をもとにHi-Fi機器に進出しており
1950年代の製品については、その名残りを留めていた。
ttp://www.hifilit.com/Tannoy/wide.jpg
方向性が変わるのは1960年代からで
ランシングはLEシリーズ、タンノイはレッド〜ゴールドで
フラットネスの確保と高域のチャンネルセパレーションを高めた。
このときの興味が100Hz以下、8kHz以上の両脇の再生に興味が移っている。
ttp://www.hifilit.com/Tannoy/green2.jpg
これは1950年代と60年代の音質の違いとしても現れるが
フルベンのLP盤の音質の差としても現れてくるように思ってる。 こうした再生側でのデフォルメは、試聴する音圧に関連していて
通常言われるラスドネスとは反対に、中高域を高めに設定してあげることで
遠鳴りしている音を、まるで近くで鳴っているかのように
スピーカーから一歩前に出てるかのように錯覚をさせる音調で
500〜2,000Hzを+3dB/octで上げていく方法を取っている。
いわゆる音離れの良いスピーカーの設計手法である。
あらためて見てみると、大小の違いはあれメーカーごとにトーンの違いを出している。
タンノイは+2dB/oct
ttp://www.hifilit.com/Tannoy/wide.jpg
JBLは+3dB/oct
ttp://www.lansingheritage.org/images/jbl/specs/pro-comp/2135/page2.jpg
ジェンセンは+6dB/oct
ttps://www.jensentone.com/vintage-ceramic/c12r
この中域〜中高域を結ぶ帯域での吹き上がりが
音像の実体感の違いとして現れるのだが
1960年代以降は、ここでの歪みを嫌ってカットするか抑え込んでいる。
この帯域はちょうどRIAAのターンオーバー周波数に該当し
ここでデフォルメするとその先が見定め難いということが原因だと思うが
マイクの特性にはそういう区別はないわけで
PA用スピーカーがレコード再生で嫌われた理由にもなっている。 テープ収録とFM放送のエンファシスは、高域のノイズのみ気にしていて
テープのほうは欧州CCIRでは4.5kHz以下はフラット
ttp://www.ant-audio.co.uk/Tape_Recording/Library/EQ.pdf
FM放送のほうも同じ傾向にある。
ttps://www.radiomuseum.org/forum/fm_pre_emphasis_and_de_emphasis.html
単純には両者の間にはライズアップする帯域の非線形性が生じるのと
欧州のテープをアメリカで使用すると高域が数dB下がる。
これをみて何となく思い出すのはセブンシーズ盤の高域の丸い音調で
もしかするとオリジナルテープのコピーを使っていながら
EQの時定数を間違ってた? などとゲスの勘繰りをしたくなる。 ただデジタル録音以降にマルチトラックレコーダーの機能が後退した時期に
放送録音と同じようにマイクとミキサーのみでシンプルに収録する方法が増えて
現在のクラシックの録音の大半はそうじゃないかと思う。
つまり、フルベン時代の放送録音のダイナミックな録音方式が
一般のオーディオにも適用されているのだといえる。
もちろんフルベンの天吊り1本マイクへのコダワリには到底及ばないが。
モノラル1本録りなんて、70年遅れのトップランナーかもしれない。 オッサンの理想はフルレンジとAVアンプのDSPでフラットにしたやつなら20cmもツィーターいらない気がした。 俺は再生時のデフォルメはしたくないな
EQカーブだけ合わせて後はいじらないのが俺のやり方 >>816
周波数特性がフラットでも、スピーカーの過度特性がチグハグだと、結果が全く違う。
以前に富士通テンのスピーカーを使っていたけど、中域がダンピングで抑えられ過ぎて
モノラル時代の録音全般に相性が良くなかった憶えがある。
同じジェンセンでも16cmのものは、確かに周波数バランスは同じなんだけど
中低域の表情が重く沈み込んでいて、30cmよりも活気がなくNG。
あとパイオニアのロクハン、エレボイの20cm、ステトリアンJr、色々試したけど
この部分のバランスをどう説明すればいいかなかなか伝わりにくい。 >>817
LP盤の扱いはCD(デジタル)とは全く違う。
むしろRIAAカーブは人間の聴覚の良いところを突いてる。
CDはもっと機械的に特性を割り振ってるので
別のところで人間の聴覚にフィットさせなければ心地よくならない。 16cm は昔よくお薦めにあったけど、20cm は聞かないね。
ユニットだけなら、そんなに大きさに差は感じないけど、箱が大きいのが部屋を選ぶわ。 過去のアナログ盤が良かったと言われるのは
カッティングしてた技術師が適度にイコライザーやダイナミックレンジをいじって
レコードに収まる心地よい音をよく知っていたからだった。
ttp://www.audiosharing.com/people/gomi/kyositu/kyou_05_1.htm
それでも時代を経るごとに質が下がっているとはよく聞く話である。
フルベンの場合は、オリジナルテープの所在からして不備があった。
現在のところ、こうした作業はマスタリングという工程で行っているが
新譜のカッティング屋さんの腕が良いかどうかはグレーだと思う。
CDと同じマスターを何もいじらずにカッティングしてればあまり意味がない。
そのうち神扱いされる名人が生まれてくるのを期待しよう。 >>820
ロクハンが良かったのはステレオ初期の時代で
モノラルなら同じスペースで30cmも可能だ。 >>819
いずれにせよ俺はリヴァーブなど使おうと思わない
(ギターアンプには付いてるけどね) 近年のフルレンジで20cmはFostex以外無さそうだし、選択肢少ない >>824
基本的には20cmのフィックスドエッジはビンテージ(中古)で探すしかない。
伊SICAのダブルコーンがヨーロピアントーンで有力だったが
このご時世で手に入りにくくなった。
ただしQo=0.3でバスレフ向きなので、むしろ1960年代向き。
新品でフィックスドエッジというのはオーディオ用途では製造してなくて
ジェンセンやセレッションがギターアンプ用として復刻製造している程度。
これの20cm以下はコーン紙が重たくてダメで
25cm以上でないと本領を発揮しない。ツイーターは必須。 30cm径のスピーカーの置き場所に困るというのはステレオの場合で
モノラルの場合は人一人が座っていられるスペースがあれば十分。
1950年代の写真をみても、スピーカーとの距離も1m前後に収まっている。
ttps://media.gettyimages.com/photos/finnish-composer-jean-jan-sibelius-listening-to-the-radio-picture-id50493953?s=2048x2048
ttps://c8.alamy.com/comp/BXKYJK/broadcast-radio-married-couple-listening-to-the-radio-germany-circa-BXKYJK.jpg この手のスピーカーはQoが高くて、ジェンセンの場合は2.0を超える。
シミュレーションしてみると、バスレフだと100Hzがコンモリ持ち上がり
100Lを超える大型密閉でも、後面解放箱と低音の伸びは一緒。
なので後面解放箱のほうが伸びやかで躍動感のある音で聴ける。
オススメはアルテック618型エンクロージャーの背板を外して使うことで
ヤフオクで検索すると、注文製作してくれる木工屋さんがでてくる。
ギターアンプ用のキャビネットも売ってることは売ってるが
箱の採寸をギリギリまでいじめて、表面に壁紙を張って響きを殺しているので
あまりオススメはしない。 SABA グリーンコーンについてデータを取ったサイトがあったので紹介。
ttp://www.troelsgravesen.dk/greencones.htm
平面バッフルか後面解放箱での使用が基本で
そのままでは低音が伸びないので
この人は中央の保護フェルトを除去してQoを下げたらしい。
あと関連リンクに綺麗な箱を製作しているところがあった。(輸入は無理だろうな…)
ttp://www.butterfly-reso-speaker.de/butterfly-en.htm
どうもRIASにせよザルツブルク音楽祭にせよ、ロゴマークがバウハウスなんだよね。 1950年代のスピーカーにありがちな中高域の暴れは
良くも悪くもアクセントになっている。
ちなみにグリーンコーンのステップ応答は以下の通り。
ttp://www.troelsgravesen.dk/greencones_files/19-200_0.5mtfb_rez-box_-28.2dB-step-resp.jpg
時系列的に最初の立ち上がりが高域で
次第に低域へと移行していくのだが
高域に強いパルス性の癖のあることが判る。
これがいわゆるドイツ的なカッチリした音調の正体である。
私のシステムのJensenも例に漏れずそのままだと暴れ馬なのだが
高域を3.5kHzで切ることで中高域の暴れをスッポリ抜いていることが判った。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/image584.jpg
3〜6kHzの強い分割振動は強いパルス性の立ち上がりを示すが
そこをカットすると下の帯域までスムーズなステップ応答が画ける。
つまり本来のピストン運動での振動を確保していることが判る。 私のモノラルシステムの音響特性は
最終的には昔の映画館の規格に近くなっている。
(青破線は戦前のアカデミー曲線)
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/image418.jpg
これは例えばEMG Mark-Xという、お化けホーン蓄音機と一緒で
いわゆるホールトーンを再現するアコースティックな特性なのだと思う。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/image554.jpg
ttps://www.youtube.com/watch?v=wILO4UU2Dp0
これを聴くだけでも200Hz付近のレスポンスの重要性が判る。 それは機材のクセを聴いてるという話で録音された音を聴くから離れていっているのでは? 現在の癖のないスピーカーとはこういうこと。
ttps://www.stereophile.com/images/styles/600_wide/public/616bwsp.promo_.jpg
ttps://www.stereophile.com/images/616BW802fig2.jpg
ttps://www.stereophile.com/images/616BW802fig6.jpg
これに合わせた録音と、そうでないシンプルな録音があって
多くの人は新しいほうが正しいと思い込んでる。
フルベンの時代のオーディオ技術は、さしずめ7周遅れのトップランナーだな。 >>833の3個目のグラフ(ステップ応答)について説明すると
3個の山はツイーター、スコーカー、ウーハーの順に並んでいて
ネットワークによって生じる位相の変化を示している。
特徴のひとつは各ユニットが滑らかに繋がっており
クロスオーバーでの変化はそれほど感じないこと。
さらに各ユニットの音が分離しており濁らずに分解すること。
4kHz以上のツイーターは定位感や音場感を担当しパルス成分がかなり鋭い
350〜4,000Hz(実際は700〜2500Hz)は音色や声色の実在感を担当し
400Hz以下で中低域〜重低音を担当している。
この中域と低域の分離を大きくとっており、中域のクリアネスを強調する。
と言っても、ほとんどの人は中域の音色は区分けがつかないので
木管楽器などの分解能が良いというほうが判りやすいだろう。 ところが、4kHz以上の帯域を定位感に割り当てる方法が確立したのは
1970年代中頃にBBCがサウンドステージのモデル化を提唱して以降で
LS3/5aやLS5/8などが出て、インパルス応答をコンパクトに収めるようにした。
それまでは、どちらかというと平面的な広がりのある音場感のほうが優勢だったし
パルス波をコンパクトに収めすぎると音が痩せてギスギスしやすい。
1960年代のマルチ録音ともなると、10kHz以上はノイズが雑多に混ざっているので
初期のマルチ録音は前後感覚がアベコベに聴こえることが多い。
フルベンのライブ収録ともなると、中高域からザワザワした観衆ノイズが目立って
全体に漫然とした印象で部屋を満たすことになる。
これは電気信号の正確な再現ではなく、人工的な癖が大きく関与している。
結局、ミッドレンジ以下に頼って音色や躍動感を掴むことになるのだが
低域の鳴りが遅れるため700〜2,500Hzを中心として把握するのは
スピーカーの規模感で考えるより、ずっと狭い帯域で判断することを強いられる。
単純にいえばピラミッド型のようでいて、釣鐘型の支持で高域にぶら下がり
その支持点を失うことで、全体のバランスが成り立たない構図になる。
録音方式が50年間で大きく変化しており、ミスマッチとなっているのだ。 参考までにBBCでのサウンドステージ構築に至る過程を紹介すると
元は1940年代にEMIの録音技師 ブルムライン博士のバイノーラル理論に由来するが
1970年以降にFMステレオ放送をする際に、何が家庭で最適な音響かを調査するため
Acoustic Scalingと称して、小さな模型ホールを作ってシミュレーションした。
ttps://www.bbc.co.uk/rd/publications/rdreport_1970_13
ttps://www.bbc.co.uk/archive/acoustic_scaling/z6p4bdm
ここで判ったのは、ニアフィールド・リスニングでのサウンドステージの再現であり
様々なホールの響きの違いは4kHz以上の残響音のわずか0.1秒差程度で生じる。
この成果を元に開発されたのがLS3/5aであり
BBCがFMステレオ放送の録音方式と共に総合的にプロデュースした試聴方法となる。
ttps://www.bbc.co.uk/rd/publications/rdreport_1976_29 BBCによるサウンドステージのモデル化が完成する前後で
クラシック録音の奥行き感や定位感に変化が生じた。
いわば奥行き感と引き換えに音像が薄くなり迫力が出ない。
まさにこのときにフルトヴェングラーの発掘ライブ音源に多くの人が驚愕したのであり
同時期に頓挫した4chステレオも相まって、それまでの進歩主義に疑念が生まれた。
ただしオリジナルテープの本来のクオリティからかなり落ちた状態で流布され
多くはAM放送のエアチェックより低い音質、1950年代のアンティークを模していた。
それでも十分に伝わる演奏の凄さがあった。それが20世紀のフルトヴェングラー論だ。 日本でのモノラルHi-Fiの歴史を紐解くと意外に情報が少ない。
国産LP盤がようやく手元に届くようになった1956年(昭和31年)の
松下電器の冊子を見ると8P-W1(ゲンコツ)を用いたHi-Fiラジオがあり
当時レコードを買えなかった人にもHi-Fiを楽しんでもらおうと
ラジオ局のほうでも色々と工面していたようだ。
AM放送でHi-Fi? と怪しむかもしれないが
NHKでも広帯域放送の実験をしていて
それ用の広帯域IFTも部品として販売されていた。
今だと混信を避けるために4kHz付近からロールオフするAMラジオも
10kHz、15kHzと広げて可変することが可能だった。
この頃からNHK技研の指導の賜物か、周波数特性はフラットと決まっており
1959年にFMステレオ放送用に開発された2S-305モニタースピーカーをもって
その後のHi-Fiの定義はほぼ完結する。
荻昌弘氏がはじめてフルトヴェングラーのLP盤に接したのが1953年。
手巻き蓄音機を大事にしていた事以外に当時のことを知るすべがない。 ただゲンコツもロクハンもそうだが、標準箱での低音のコントロールが緩く
団子状にボヤっと広がるような低音と、アナウンスの子音を際立たせる音調があった。
このことは1979年にステサン別冊のフルレンジ特集でも指摘されていたので
1950年代のHi-Fiが周波数特性重視で出発していたことが判る。 荻昌弘氏は1968年は「ステレオ」という本を執筆したが
そこでフルトヴェングラーとシューリヒトへの愛着を語っている。
1960年代のステレオ装置はYL音響を中心としたもので
ウーハー:パイオニアPW-38C×2本
ミッドレンジ:YL音響 555+M130ホーン
ツイーター:YL音響 SH180
クロスオーバーは、おそらく250Hzと3kHzだったろうと思われる。
箱は岡田諄氏の設計とのことで、システム全体の見立てもお任せで
故障したときは先生に電話で依頼してたらしい。
アンプはパイオニアSM801(7591プッシュ、タムラトランス使用)
カートリッジはオルトフォンSPU-GTEがお気に入り。
これを10畳間の壁面一杯に置いていたという。
この頃、YL音響はコーンウーハーを開発しておらず
パイオニアのウーハーを付けたシステムを販売していた。
1968年に長岡鉄男氏が訪問した際には
「シャープで歯切れの良さと迫力」「スカッとした目の覚めるような音」だが
「最近はモーツァルトやバッハが一番好き」とのことで
1970年代にはスペンドールBC-IIとラックスSQ-38Fの組合せに変わった。 同じホーンスピーカーの大家として池田圭氏がいるが
1978年にラジオ技術に盤塵集という連載の途上で
「フルトヴェングラーの海賊盤」と題して5ページほど書いていた。
フルベン・ファンにはあまり話題に上らないところをみると
あまり好意的でない意見のようにも思えるが…
あるいは氏のことなので、セカンドコピーくらいのテープを持っていたかも。 スペンドールの名前が出たけど、フルトヴェングラーの再生に向いているか、分からないですよね。
「現代版LS3/5a」目指したブックシェルフスピーカー「Classic 4/5」
が、この前出たのですが密閉型なので、壁に付けて置いても、という扱い易さはあるのですが。 >>843
スペンドールの選択はやはり最新のオーディオ事情にキャッチアップするためで
けしてフルトヴェングラーの再生を第一に考えた結果ではないと思う。
私自身は1970年代以降の再生技術から離れることを勧めたい。
ちなみに前作のBC-Iから、インピーダンスの乱高下が話題になってた。
ttps://pinkfishmedia.net/forum/threads/the-bbc-ls3-6.238588/
理屈よりは結果という天才肌の人ではあるが、BBCはLS3/5aで採用をひっくり返した。
1990年代にドイツ放送協会向けに120/1Aを開発したが、設計思想は1970年代のままだ。
ttps://www.stereophile.com/content/spendor-s100-loudspeaker-measurements
実際の録音現場ではAKG K240ヘッドホンなどが活躍していた。
ただこれも1970〜80年代の録音に興味のある人には良い選択肢だと思う。 実際にBC-2が使われている光景は少ないが
以下のような狭隘なところに適していた。
ttp://www.orbem.co.uk/cr/recruit.htm
ちなみにLS3/5aは地方局で置き場所に困らない点で重宝された。
スピーカーの置き方が理論通りになっている点に注目。
(普通のスタジオは並行に置いている)
ttp://www.stanlaundon.com/tees/studio2.jpg
LS5/8を使用するスタジオでは、一般の録音スタジオと同じくオーラトーンを配置。
ラジオ用音声としてのバランスを確認していたのと、それがポップス向けだと判る。
ttp://www.orbem.co.uk/final/8a.htm 1970年代に日本でFMステレオ放送がはじまって以降
朝のバロックなど普段聴けないレコードを掛ける番組以外にも
海外ラジオ局提供のライブ録音などをエアチェックした覚えのある人もいるだろう。
レコードとして販売されないため、放送を聞き逃すと二度と聴けないためだが
本来、ラジオでのライブ録音の放送とは、ほぼ一回きりのものだった。
これと同じ情況が1950年代のドイツについても言えて
毎週アップデートされるライブ録音の他に
NHK響のように放送局お抱えのオケが独自のアルヒーフを製作していた。
グラモフォンやシャルプラッテン、プライザーなどは
地元の放送局のスタジオ録音をレコード化することがあったが
ほとんどの場合はテープ保管庫にお蔵入りとなる運命にあった。
例えば、フリッチャイ&RIAS響のバルトーク録音集などは
弦チェレやP協などグラモフォンからレコード化された録音以外にも
多くの録音がされていた、つまり氷山の一角のようなもので
そこにはない「管弦楽のための協奏曲」の目の覚めるような音質で
オリジナルテープの弦チェレも録られていたという事実に遭遇する。
実はフルトヴェングラーの無数のライブ録音も同様であり
レコード業界と放送業界の文化の違いも含めて
ちゃんと評価してあげないと、またお蔵入りしてしまう可能性を感じる。 よくアメリカン、ヨーロピアンというふうに区別するが
1940年代にはWEもRCAもフラット指向のモニターに努めていた。
WE 755A
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/western_electric_755a2.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/we755af2.jpg
RCA MI4400B
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/RCA_64-A1.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/1950/RCA-MI-4400B.jpg
ところがエレクトロボイスのカタログをみると
多くの人が好ましいと感じる特性は2〜6kHzを強調したものだと書いてある。
ttp://www.hifilit.com/Electro-Voice/baronet-2.jpg
最終的には、高音質の録音が増えたため、フラット指向が残ったのだ。
この中高域を強調する音響理論が始まったのは
ベル研究所が発表したラウドネス曲線に沿ったもので
スピーカーの製造からすると1950年代に集中している。 一方でBBCのモニタースピーカー選びの過程はユニークで
1940年代末にパルメコ製スピーカーを選定する規準が
それまで使っていたGE製のエクステンデッドレンジとの上位互換性で
その主たる目的は、男性アナウンサーの声が明瞭に聴こえるという
報道局ならではの規準だった。
具体的には、1〜2.5kHzのクリアネスで、ここが沈んでいるのはNG。
タンノイをはじめアルテック、AXIOM80など多くの候補が無残に散り去った。
ttps://www.bbc.co.uk/rd/publications/rdreport_1948_04
旧GE社製スピーカー
ttp://www.orbem.co.uk/bh32/images/8dc_1.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/1950/BBC/RK-GEC1930s.jpg
新パルメコ製2way(最終的に独Lorenz社製ツイーターを加える)
ttp://www.orbem.co.uk/marconi/images/marconi5f.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/1950/BBC/BBC-M008-12.jpg
実はこの方針は1980年代まで有効であり
LS5/9の開発でもウーハーの特性で隠し味として適用されていた。
ttps://www.bbc.co.uk/rd/publications/rdreport_1983_10 こうした言語的な特徴というのは各国で異なっており
以前に日本の六本木の街頭ノイズの変化を調べていた話を聴いたが
ある時期から4kHzのピークが6〜8kHzのほうにシフトしたので
原因を調べてみるとロシア人の渡航者が増えたとのことだった。
イギリスとドイツの違いは、やはり中高域のところにあり
英語がクイーンズイングリッシュの独特な喉音を大事にするのに対し
ドイツはそこよりも2〜6kHzのクリアネスを意識している。
ttps://www.lup-berlin.de/images/Katalog/1959/Seite%2006%2007.jpg
これにツイーターを加えたのが1950年代のドイツ製ラジオ(FM放送対応)だった。 >>848
BBC の1948 の記事 からそこまで読み取るのは、少し無理がある。
Parmeko と Tannoy は同じ評価だし。 最後の方に、オケが良くてもスピーチが不自然なのはNGと書いてある。
90〜7,000Hzで混変調を起こさないのが肝だが
300〜900Hzで胸声でボヤける、5kHz以上が金属っぽいのじゃダメだと。
パルメコとタンノイが良かったのは、注文を付けると即座に改良版を出したこと。
つまりスピーカー自体の性能に加え、柔軟に対処できる開発力が買われた。
もしかすると、パルメコが1回切りの納品でそれ以外では存在しないところをみると
BBC以外への販売を禁止する条項があり、タンノイは契約しなかったかもしれない。 1948年のBBCレポートにはEMI製の電蓄が出ているが
これがEMI製の楕円コーンに加えデッカ製のリボンツイーターが装備された
1台きりの特別仕様だった。
後にデッカはステレオ電蓄 デコラを発売するが、そこではEMIのユニットを使用。
それぞれの思惑とは逆のチューニングをしていたのが面白い。 荻昌弘氏の「ステレオ(1968年)」を古本で購入したが
そこに1963年にステレオ購入にあたっての様々な思いが書いてあった。
興味があって読んだのは、1953年に購入したモノラル装置について
LP再生装置はフルトヴェングラーと会話する媒体だと思い込んでいた。
アンプはマニアの自作、スピーカーはグッドマン、愛聴盤はトリスタン。
残念ながらスピーカーの型番とモノラル用のカートリッジについては書いてない。
巻末にお気に入りのレコードがリストアップされているが
フルベンのライブ録音は、復帰演奏会、バイロイト、そしてブラ4のみ。
(バイロイトの第九については「総練習の実況録音」とされていた) 愛聴盤はワーグナー管弦楽曲集(EMI)だった(今で言う第1集)。
グッドマンズのスピーカーで咆哮するような音量で聞いてたらしい。 色々調べていると、英国製レコードプレーヤーはおそらくこんな感じ。
ttps://www.humsila.com/garrard-brochure-1953/
ガラードは様々な電蓄会社にOEMでプレーヤーを提供していた。
グッドマンズのスピーカーでHi-Fi対応は1953当時だとAXIOM150しかない。
AXIOM80は1954年からとなるようだ。
ttp://www.ajaudio.co.uk/AXIOM%20150.pdf
ttp://www.hifi-archiv.info/Radio-Werbung/Goodmans/ 背面開放型のスピーカーを見て思ったが QUAD ESL はどうなのだろう?
フルレンジだし。振動板は大きい。 ESL 57は波形も平面波なので、まずこれに慣れるのに時間が掛かります。
もうひとつは低音の応答がスレンダーなので、多くの人には痩せて聴こえることです。
高域の指向性が狭く15°程度だとされ、このビーム範囲内に頭をもっていけるように
距離と椅子の高さの関係を正確に合わせなければなりません。
ttps://www.stereophile.com/content/quad-esl-loudspeaker
クレッシェンドの盛り上がりや低音の迫力は期待しないが出ている音が正確なので
例えば室内楽などには一番向いています。フィリップスの録音を思い浮かべてください。
ハスキルやグリュミオー、ボザール・トリオ、イタリア四重奏団、中庸の美徳です。
フルトヴェングラーでも繊細な方向で新たな発見があるかもしれません。 ちなみに新しいESL 2805は低域のレスポンスを少し引き延ばしており
聴感的にもノーマルに整えているようです。(妥協点を見出している)
ttps://www.stereophile.com/content/quad-reference-esl-2805-loudspeaker-measurements
ただ指向性は300Hzでも完璧な球面波を作り出しており
サイズが大振りの割には小型スピーカー並のスマートな音像を出すと思います。
数あるスピーカーで正弦波を正確に出せるものはQUADだけです。
価格的にはかなり高い買い物になるので、他の可能性にも目移りしそうですが
コンデンサーマイク 1本に対抗する最終兵器かもしれません。 荻昌弘氏のステレオ装置のコンサルタントを務めた岡田諄氏が気になったので
1962年刊の「ステレオFM時代」という本を購入してみた。
この頃からデンオン製のステレオMC型カートリッジが購入できたことや
荻昌弘氏のステレオ装置はこの本が出版された翌年の1963年に構築されたが
その基本となる考え方は「理想のリスニングルーム」というところで伺える。
荻昌弘氏はモノラル装置からの移行にあたり、自身の養った音楽観と共に
ステレオ装置とどのように向き合うべきかを綴っている点が面白い。 岡田諄氏の「ステレオFM時代」(1962年)について
岡田氏がFM東海のハイファイ・クラブでDJをやっていたこともあり
この頃からデンオン製のステレオMC型カートリッジが存在してたことや
小会場でのレコードコンサート用に三菱 2S-305を勧めていることなど
1970年代初頭とほとんど変わりないモダンな内容になっている。
フルレンジから2wayへの移行を歪のないHi-Fi再生の前提にしている点も
この頃にはかなり思い切った割り切りだったように思える。
優秀録音の筆頭にアンセルメ、バースタイン、ワルター、ショルティが挙げられていて
これに関してはおそらく現在も同じ評価だろうと思う。
この時点でフルベンがステレオを残さなかったという禍根を残すのは
モノラル再生での本格的なシステムを組むことなくステレオに移行した
日本の戦後のHi-Fi史(ステレオの歴史)があるように思える。
イギリスのレコード文化は、五味康祐氏が述べていたように
1960年代初頭でもSP盤が続けて聞かれていたし
QUAD 33に存在したハイカットフィルターなどにその保守性が伺える。
ここではドイツのラジオ文化の特異性がフルベンに影響している。 イギリスでのレコード文化は
放送法でラジオでのレコード演奏を禁じていたことで独占的な地位を確保できた。
つまりイギリスにはDJがおらず、基本的に生演奏の実況中継に頼っていた。
最近になってicaというレーベルから、アマチュアのエアチェック音源が出ているが
これらの記録はBBCにはほとんど存在していないのだ。
フルベンのほうは、1970年代のユニコーン音源で苦渋を舐めさせられたので
この手の音源には抵抗(もしくは免疫)があるかもしれないが
icaの音源を聴く限り結構いい音質で放送されていたことが判る。
一方で、ドイツの放送録音は、特にクラシック音楽のテープが多く保管され
そもそもテープ録音機の開発が放送局主体で進んだことから
当時のライブ録音はドキュメンタリーとして存在していたように思える。
つまり普通なら放送設備のある会場でなければ不可能だった実況放送も
録音機とマイクを持ち込んで演奏会の情報を掻き集めることができたのだ。
その音質の優れていたことは、21世紀になって改めて判明したといえよう。 フルトヴェングラーのスタジオ録音のうち
SP盤からLPへの移行期に録られた演奏に
ベートーヴェン7番(1949)とシューベルト9番(1950)がある。
これらのオリジナルテープは存在しないが
特にベト7のテープを廃棄したという理由に挙げられている
テープの保管情況が不安定だったというのは嘘だという感じがする。
おそらく原盤を作成した時点で、コピーされて流出するのを恐れて
破棄したのではないかと思えるのだ。
同じ時期にFM放送用に録音されたケンペ/ドレスデン歌劇場のオペラは
コピーされたテープがアメリカで海賊盤として出たおかげで
ケンペのメト進出の足掛かりになったという。
現在のグランドスラムの個人蔵のコピーテープもおそらく同じ流出音源で
その範囲もそれなりに広く存在していることが判る。
コンパクトで高音質でのコピーが容易なテープレコーダーは
良くも悪くも従来のメディアの方法を変えていったのだ。 読んでると言った奴、ちゃんと責任持って全部読んでるか? 一方で、グランドスラムについてやや不可解なのが
Auditeのリバーブを掛けた音が気に入らないとして
セカンドコピーのテープを蒐集&リリースするのは有り難いが
AltusがORFのオリジナルテープをリリースできるのと同じように
正面突破ができない理由があまりよく判らない点だ。
というのも、この手のテープは文化財団のような機構で管理されてて
基本的にマージンさえ払えばオープンに利用できると考えられる。
このためサブスクなどでの音源公開に関しても積極的で
むしろより多くの人に広く知られることを目指しているともいえる。
個人的にはCDのほうが音質が良いので購入する方向なのだが
この辺も文化遺産の継承方法として考える必要のある課題だと思う。 まぁ戦時中マグネトフォンの重箱よりは良心的かと。
流出コピーテープの音質がレコード会社の所持しているものよりも
良いというのも見つけもんかも。
そういう地場のコミュニティも本当は知りたいところ。
例えばライトナーだったか、多くの放送テープのコピーを
夫人が一番多く所有しているけど、なかなか手放さないとか。
色んな運命のもとで伝承され記憶されていくもんだと思う。 ここでレコード文化と放送文化の違いだが
レコードが照明など手の込んだポーズをとったものである一方で
ラジオはありのままのスナップショットに近いようなもので
いわゆるブロマイドと生写真のような違いがある。
カメラの世界では、ファッション関係などのカメラマンと
報道系のカメラマンとのスタンスが別れているが
そのスタンスの違いは録音の世界にもあるのだと思う。
フルトヴェングラーの場合は、圧倒的に報道系の録音が多く
あえていえばスポーツ観戦にも似ているように思う。
やはり白熱のプレーをしている最中の表情やポーズが良いのであって
全てがベストなのではなく、エラーもすれば空振りもする。
ライブ録音にはそうした全てがドキュメンタリーとして収められている。 写真の印画紙に光沢紙を選ぶか、マットなものを選ぶか
そうした選択はモノラル録音にもあって
古いライブ録音なら、雑音や歪みの目立たないマットなものが良い
以前ならそう思っていた。
しかし実際は、艶のないマットな表情には音楽表現の限界があり
交響曲を迫力をもって引き出すというものは最初から諦めていた。
なので、多くの人はフルベンの演奏を精神的だと言ってきたのだと思う。 一方で、ビンテージのオーディオ製品の音には独特の艶があり
むしろモノラル録音には、こっちのほうが合っていると見直すようになった。
それが真空管のリンギングだったり、トランスの高次歪みだったりしたが
やはり一番の違いはスピーカーで、分割振動を積極的に音色に加え
か細い表情まで積極的に鳴らす方向のものが多い。
その変わり、ステレオになるとリンギングが音の広がりや定位感のじゃまをするので
そうした設計思想はモノラルLPと共に立ち消えになった。
これも文化の違いというか、1950年代の音響機器の基本が
大勢で聞くPA機器からダウンサイズすることにあり
それも生楽器と共演しても出音が遅れないリアルな反応が要求された。
4kHz付近にある共振峰は、子音が埋もれて胸声にならないためだが
実際には他の帯域もかなりのスピード感をもって再生する。 モノクロ写真での醍醐味が、黒の諧調だったり構図の面白さだったりするけど
ほとんどの人はフルベンの演奏の面白さを、構図だけで語っている感じがする。
低音〜中音域にある諧調が、全体の迫力につながる過程が面白い。 荻昌弘氏が1968年の著書で、バイロイトの第九について
「総練習の実況録音、といわれるもので、聴衆の咳なども入っている」
と記しているが、この噂の出所について知ってる人いる? GPは客入れる場合もあるな
ウィーンフィル定期土曜日とか 昔はきちんと情報伝わってたのか。
バイエルン放送盤が見つかった時に本番とゲネプロとかで騒いだのに。 ライヴであることを装う必要がない
日本の販売戦略がそれを望んだだけ? 事実はどうあれ、荻氏がどこからそういう話を聞いたか?
LPのジャケに書いてある程度じゃ、誰でも判るんだけど
関係者の話であればどういう人たちか? EMI?放送局?親族?
あまりにもサラッと書いてあるので、周知の事実だったのだろうが
それだけにどれだけの人が知っていたのかも気になる。
逆に公式ルートでは総練習だと伝えられなかった理由は?
例えば当時は本番前のゲネプロ中にセッション録音するのは一般的だった。
(1952のEMI英雄、ワルター大地の歌など)
それだと通しでなくて編集するのは当たり前だし
ゲネプロで見学者の封鎖に失敗して咳まで入ってしまったので
ライブだと断りを入れることを思い付いたとか。
どれも想像の域を越えない。 演奏会を編集して大きな傷を無くすのはわかるけど、拍手と足音を付けるセンスがな。
あと、プロデューサーが編集で色々イジったと思われのは
レッグのEMIのせいだ。
他でやってるせいで。 荻氏の1968年の著書に近い年代では、オルセン1973年版で
バイエルン放送局での生中継とテープの存在が指摘されているため
編集跡の問題も含めて知ってる人は知ってることだった。
しかしその記述からEMI盤がゲネプロ主体の編集ということまでは誰も想像できなかった。
EMIがバイロイトと契約していた7年間の録音権が大きく幅を効かせているなかで
放送局テープは厳重に管理されてたので聞き比べは不可能であり
そうなると「総練習の〜」というくだりはEMIの中の人しか知らないことになる。
「聴衆の咳なども入っている」という書き方も総練習という前提で
拍手と同様に後からミックスしたという疑惑まで臭わしているのだ。
では、なぜ、誰が、わざわざそのことを話し、荻氏にまで伝わったのか? >>877 あの当時の騒ぎは…
新聞にも載ったよな。 フルトヴェングラーのライブ録音が真正であるべき理由を考えてみると
全体の構想のなかでテーマの表情に天才的なひらめきがあり
そこを編集するということが神聖を汚すように思われている。
ホロヴィッツのNYライブがミスタッチを後で修正したと咎められたが
本人の了承のもと長く鑑賞に耐えるように修正したと考えるのが妥当だ。
スケジュール上でゲネプロと録音セッションをぶつけた場合
テープの編集は当然ありえるわけで通常は問題視することではない。
それがフルトヴェングラーの演奏であること自体に何の違いもないのだ。
ただライブで期待されるフルベンの即興的な曲想の流れを考えると
巨匠以上にその是非を判断できる人はいないと誰もが考える。
ここに真正の意味が問われるのだ。
しかしフルベンらしい演奏とは、はたして何か?
私はフルベンの晩年の田園がウィーン、ベルリン共に好きで
第九の3楽章が永遠に続いているような時間の流れがユニークだ。
しかし一般にはフルベンらしい魅力がないと隠避される演奏でもある。 フルトヴェングラーの演奏スタイルが1952年以降に晩年様式に変わったきっかけは
肺炎を患って長い療養を強いられて以降に体力が衰えたと思われる一方で
トリスタンのスタジオ録音が本当の理由だったかもしれない。
つまりまるで夢遊病のように演奏中は忘我の状態であった演奏を振り返り
どの角度からみても古典的な風格をもつべきだと気が付いたのかもしれない。
実は同じようなことがスキーで骨折した1941年にも起きており
そのときラジオ放送を聞いたことで一連のマグネトフォン録音につながった。
戦後のラジオ放送にも協力的で多くのライブ録音が聞けるのは幸いなことだが
1本マイクへのコダワリは最後まで続いた。有機的な響きを大切にした結果だ。 戦後のバイロイト祭については、レッグEMIの強欲が全くの弊害になって
1951年から7年間の録音の独占契約とレコード化の不履行により
音楽祭の名演の録音テープが全てお蔵入りとなった。
このことには長らくヴィーラント・ワーグナーが頭を抱えたことで
21世紀になって次々にリリースされたオルフェオのORF音源は
1960年代のフィリップス音源に比べて、暗中模索だがワクワクする感じだ。
そのなかにバイロイトの第九があったわけで、生き馬の目を抜くような
バイロイトの政治力というか、オペラ興行者の意気込みが感じられる。 >>885
1954年ルガーノでの田園が一番好きです。 >>886
難聴になったのも大きいね、聴覚障害起こすとか、ストマイ系を馬鹿すか使ったのかな
52年以前は、音が自ら語り、音楽が自らドライヴしていくのをフルヴェンがコントロールする感じだけど
52年以降は、ドライヴしていく音が良く聞こえない所為もあるのか、フルヴェンが鑿で自らフォルムを彫琢していっていると感じる
特にパリの運命とか >>889
1953年のローマ指輪を聞く限り、まだ演奏に慣れないRAIを相手に
ちゃんとドライヴしているところをみると、日によって調子が違ったのかな? 私は難聴で赤い手帳持ってますが、日にちより時間で違いますね。
突然聴こえが酷く悪くなったり、そこそこ聴こえたり。
まっ金属音は全く聴こえず駄目ですが(笑)
シンバルやトライアングル等高い音は脳内補正です。 >>886
フルトヴェングラー録音芸術の極致はトリスタンと53年のシューマンだよね
でも、何故シューマンだったんだろう
本流というべきベートーヴェンでもブラームスでもなく
しかもオーケストレーションが良くない曲で
アマオケをやっているけど、シューマンは人気のある方ではないのに >>892
同じ感覚はウェーバー「魔弾の射手」やバッハ「マタイ受難曲」にも言えて
ウィーンで振ってもらいたい演目は色々あるのに何かのコダワリがあるんだと思う。
その辺はフルベンが本来はウィーン楽派の流儀に属さず
むしろライプツィヒやベルリンの血筋を汲んでることと関係してるかもしれない。
両都市は大バッハと息子カール・フィリップ・エマニュエルの思索的な音楽に始まり
シューマン、ブラームスまで引き継がれるドイツ音楽の本流でもあった。
バッハを「音楽の父」という言い方が、まだ歴然と残っていた時代の価値観だ。
ブラームスを多感様式の最後の灯だ、なんて言うとおかしな気がするが
フルベンの演奏はそういう感性で一貫していると思う。 たまたま1950年代のリヒテルのシューベルト・ソナタ集を聞いているんだけど
この頃のリヒテルの演奏ってフルベンと同じ雰囲気をもってると思う。
ダイナミックの過剰な変化、リズムの畳みかけ、若いという理由だけではない。
ロシア出身とはいえ、父がブルックナーに師事したことのあるドイツ人音楽家で
リヒテル自身もワグネリアンのひとりだと自負していた。
ただ米RCAがバドゥラ=スコダによるソナタ全集を出す際に
「ウィーン音楽の様式が血脈となって流れている」と評価されたのとは異なり
リヒテルは遠い望郷にも似たドイツ的なものを手探りで問い直す感じがする。
面白いことに、ずっとドイツで活動したフルベンも同じスタンスなのだ。 以前から疑問に思ってる事が有ります。
歌手のモノマネをする人は数多おり、そのエンターテイメント性に感心しますが、
何故にフルベンを完全コピーで演奏するとかのオケがひとつたりとも存在しないのでしょうか。
しょうもないオケの独自の音楽性とかどうでも良いです。プロのオケならテンポ感の完全コピーくらいは容易くできるはず。
うちのオケはフルベン完全コピー専門のオケです。そういうオケが有るなら是非聴きたいし、断然支持する。 連投すみません。
指揮者で今回の演奏はフルベンの完全コピーで再現するとか言う人はいないのですか? >>893
ライプツィヒ的伝統か、確かにねえ
リストやヴァーグナーがメンデルスゾーンだかシューマンだかの室内楽曲聴いて
「ライプツィヒ的」と吐き捨てたそうだけど
独墺は宗教も歴史的沿革も地域ごとの差が大きいし、
日本人には分かりづらいコンテクストがあるんだろうね、
それにフルトヴェングラーはゲヴェントハウスとBPOを兼任してたしね
ただミュンヘンがどうなのかは良く分らないけど
読みかけで放置してた「フルトヴェングラー家の人々」連休中に読んでみよう
ところで、「フルトヴェングラーとトーマス・マン」という本の巻末に
訳者が、邦訳されたフルトヴェングラー評伝について
かなり詳細な論評を書いていて、中々に面白かった >>899
フルベンの戦時関連のものは、まだ読む気がしないんだな。
というのも、当時は誰だって何らか形で戦争に関わっていたし
なぜあそこまで庶民レベルで殺害が繰り返さなければならなかったか
到底理解できないように思えるからだ。
リース著「レコードの文化史」と「フルトヴェングラーと政治」も
興味があるのだけれど、どうもそこまで踏み込めない。
あとミュンヘン、ドレスデンなどウェーバー〜ワーグナーに所縁の地があるが
フルトヴェングラーは南から北へと向かっていったようで
キャリアの初期以外に客演した形跡がないようにみえる。
R.シュトラウスのオペラと距離を置いていることもあるかと思うが
こっちの地域性(バイエルン訛りの貴族)に馴染めなかったのかも。
でもワーグナー自体は南部の騎士道ロマンスが好きなんだよな。
クリュイタンスのバイロイト演奏を聞くとその感覚がよくわかる。 戦後のフルベンはモダンとは程遠い19世紀の骨董品のように思われるけど
演奏会場にはティタニアパラストやRAIローマなど近代的な会場に乗り込んで
伝統的なドイツ音楽をやるのを好んでいたように思える節がある。
戦中のAEG工場でのフィルムもプロパガンダ映画だと判っていながら
ドイツ音楽のヒューマニズム、近代社会での経済とテクノロジーなど
20世紀が抱えた対立的な文化形態の挟間に立って
人間賛歌ともいえる実存的な意味を説いているように思える。
チャップリンのモダンタイムズと比べると、ずっとシリアスに演じている。
その意味でも、フルベンのレコードというパッケージメディアは
本人が意識しようがしまいが、機械が語る不思議な遺物のような気がする。 19世紀ドイツのオペラ脚本で異彩を放つのがゴシック奇譚で
「魔弾の射手」「さまよえるオランダ人」など
悪魔や幽霊が主役となるホラーな内容のものが多い。
流行した時代が19世紀末より50年前後の幅があり
この手の脚本のメッカは「ファウスト」のようにパリにあったのだが
オーベールなどがドレスデンやベルリン、ライプツィヒに進出し
ドイツ語訳の上演を手掛けるにあたり、ドイツ音楽にも飛び火した。
しかしウィーンでは官憲の働きで抑制された歴史をもち
むしろオペレッタのほうが健全な社会を代表してた。
これと対抗するかたちで、シェークスピア劇をオペラ化する活動もあり
発祥がどちらもイギリスなだけに、本来はブラームスvsワーグナーよりも
より具体的で判りやすいものなはずだが、同じクラシックとして扱われる。
ヴェルディvsワーグナーのほうが、言語の違いと相まって深刻なはずだ。
フルトヴェングラーの演奏が霊感に満ちているという意見は
実は19世紀風のゴシック趣味と共鳴しているのかもしれない。
個人的には戦中の運命、英雄、ローエングリンなどを聞く限り
リズムの緩急が激しい割に極めて構築性の高い結び付きがある。
一方で戦後のそれは廃墟と化した古城の奇譚を聞くような感じだ。
そこがフルベンの芸風に決定的な価値を与えているように思うのは
後継者のカラヤンとのコントラストがあまりに明瞭だからだろう。
クナッパーツブッシュだって戦後の数年間まではスタイリッシュな演奏だった。
フルトヴェングラーの死後に何かが変容していったように感じる。
(顔立ちがフランケンみたいというのは抜きにして) >>900
読む気しないのは、やむを得ないと思う。
もともと日本人に、まったく歴史、地理、政治的前提環境が違うドイツのことを理解するのは難しいし、
その点からしたら、ドイツと日本なんて敗戦国という以外の共通項はないに等しい。
なにせヒトラーは反教養主義の権化とも言え、我がニッポン含め近代の政治指導者でそんな人他にいないし。
日本だと陸軍大学を中心とした閉鎖的タコ壺的人事組織環境の中で合目的的な視点をかなぐり捨てて組織防衛的行動に皆で走っただけだしねえ、まあ、今回のコロナ騒動でもなーんも変わってないことだけは十分わかったが。
スターリンがどうかと言われれば、あれが辺境グルジア出のボリシェビキでなく欧州中央の出ならタダの柄の悪い権力政治家止まりだったろうし。
何にしても、中々に我々の手には負えそうにない。
「フルトヴェングラーとトーマス・マン」巻末紹介の評伝は「フルトヴェングラー家の人々」以外全部読んだけど
結局著者の立場によりけりという分裂した読後感を総括するなどこちらの能力外だったし。
ただ、岩波新書黄版の「フルトヴェングラー」はそれでもお薦め。
丸山眞男以下著者のリベラルアーツ的教養の深さが圧倒的なのもあるけど
なにせ日本人が語っているから、我々と同じ土台からの視点を提供してくれている。 >>903
どうもリベラルアーツというと、ダヴィンチやキルヒャーを思い浮かべるのだけど
戦後日本のリベラルアーツの論客たちがフルベンにぞっこんだったと聞いて
1970年代のフルベンのライブ発掘ブームの謎が何となく判ったように思う。
荻昌弘氏のオーディオ読本で感じた漠然としたものは
吉田秀和氏のヨーロッパ巡りのレコード鑑賞版という感じで留まってたけど
1980年代にこうした議論に熱中してたというのが初々しいというか
まだブラームス1番の決定盤捜しが残ってたとか、ピリオド的にも面白そうだ。 1970〜80年代のフルベンのライブ発掘が、どちらかというと考古学に近い印象があって
最近のオリジナルテープからくる音質改善は、この手のクロニクルの地勢図を換えつつある。
音質的にレコード会社の正規録音と遜色ない形でオーソライズされたからだ。
それは精神的と言われるフルトヴェングラーの演奏をフィジカルに体験する手段と
アルヒーフの構築方法の改革に近く、フルトヴェングラー放送局というべき
当時の実況録音がもつドキュメンタリー性の再現となるだろうと予想している。
かつてあったことの備忘録ではなく、繰り返し追体験されるニュースなのだ。
それは他のドイツ音楽家の録音にも言えて、戦後の荒廃というイメージとは裏腹の
FM放送によって築き上げられたリアルタイムな時間共有のシステムとして
残されたテープの時事と体験とが交錯しながら組みあがっていく。
それが曖昧になったドイツのゲマインデの思想とほぼ一致しているように思える。 問題は当時は精々1週間前に留まっていたニュースの鮮度が
50年以上も経ってしまっていることである。
レコード会社が警戒していたのは、放送インフラがもつ絶大な配信力で
もともと税金を投入して整備された放送網の存在は
レコードを個人で購入させるための仕組みを前提から覆すことになる。
この利権を封じる手段が専属契約に含まれていたわけで
フルベンの場合は、どちらかというとイギリスでの国内法
つまりレコードのラジオ放送を禁止する法律が厳しく適用された。
ところが普通に考えてみると、ほとんどのクラシック演奏家は
レコード売上げで生計が成り立つようなことはほぼ皆無で
ステージでの演奏を中心に全ては巡っていた。
実はこの記録を膨大に所有してたのが、ドイツの放送局なのだ。
それもドイツ国内のみで有効だったFM放送向けに保管された。
今更気付くのは、1970〜80年代のライブ録音のリリースは
ラジオ音源=AM放送ということを偽装してレコード化されたことだ。
公式のラジオ実況が非正規録音という形で世に出ることのカラクリは
一層不可解な歴史として語られなければならない。 戦後の荒廃の時期はまだFMがなくAMだし
1970〜80年代のライブ録音はFM放送前提が多い FM放送は1949年のバイエルン放送局からはじまり、1952年までにはドイツ全国で放送網が整った。
ttps://www.br.de/unternehmen/inhalt/70-jahre-br/70-jahre-ukw-welle-der-freude-100.html FM放送なんてもう20年以上聴いてないな
昔はよくカセットテープでエアチェックしたものだった
FM fanとか今でも売ってるのかな RIASのFM放送は1952年までずれ込んだが
理由は1950年に東側のSFBがFM放送を先行開始したことで
冷戦下でのプロパガンダ放送を懸念して西側では許可が遅れた。
同じことはORFでも起きていて1953年までずれ込んだ。
一方で、ドイツ国内では1952年には従来の10kHzまでの放送規格を
15kHzまで拡充し内実共にHi-Fi放送の体制が整った。
実際にはそれ以前からマグネトフォン、ノイマン製マイクなど
録音機材の性能は確保されており、フルトヴェングラーのRIAS録音も
1949年から徐々に音質が改善され、1952年にはかなり安定している。
ちなみにこの時代のドイツ製ラジオは2wayスピーカーが標準装備され
音場感を出すためにラジオ筐体の両脇にツイーターを付けており
グルンディッヒの3D-Klang方式は、エコー感の調整も可能だった。
つい最近までこの手の真空管ラジオは輸出向けと紹介されていたが
ラジオ内蔵スピーカーの2way化は1937年の製品から存続しており
AM時代から10kHzまでの準Hi-Fi規格で放送されていた。
(戦中にシベリウスがテレフンケン製の高級ラジオを愛用していた)
当初は生中継が主体だったが、1942年にマグネトフォンコンサートが始まり
これによってフルトヴェングラーのライブ演奏がヨーロッパに広く知られた。 リースの評伝を読まないのは勿体ないぞ
非常にドラマチック 映画を観ているようだ エリーザベト夫人は
「主人は、オーケストラと聴衆の間に産まれる
ゲマインシャフト(有機的連関と訳)こそ大切に
していました。」と述べていた。
自分は、この言葉の典型として51年の
バイロイト祝祭管との録音があった。
ゲネプロ録音編集説も出て来ると複雑な気分。 そのGemeinschaftの訳は「一体感」でいいと思う >>913
・・・ですよね。
>>914
はい、その方がぴったり来ますね。 ゲネプロでもちゃんと観客は居たみたいだからご心配なく。
おそらく地元のお偉いさんや祝祭関係者かもしれない。
咳声もエッヘンと偉そうでござろう?
ゲマインシャフトというのは、一般的には共同体という訳だけど
この場合は地域社会の繋がりよりもさらに踏み込んで
コンサートによって生じた家族のような親密感というほうが良いかも。
地域の教会の信徒たちを総じてゲマインデと呼ぶので
隣人を互いに赦し合うことで生じる博愛とも重ね合わせているのだろう。
終わりに隣の人と抱き合って祝福するくらいのものだと思う。 >>908
>>906
>今更気付くのは、1970〜80年代のライブ録音のリリースは
>ラジオ音源=AM放送ということを偽装してレコード化されたことだ。
ステレオで出せないねそれじゃ
そんな偽装初めて聞いたがどういう根拠? >>917
オリジナルテープのほとんどが50年間公開されずに封印されてた。
フルトヴェングラーのライブは音の悪いのが当たり前になっていたが
実際にはそれとかなり掛け離れた優秀なモノラル録音だった。
それがなぜ、あんな無残な音質でリリースされたのか?
専属契約を結んだ正規スタジオ録音が独占的な地位を確保してきたが
非公式の録音に位置付けられた放送録音の音質、演奏ともに
平等の土俵に立った現在では、その地勢図が変わると言うべきだろう。
この封印はレコード会社が慣例的に行っていた専属契約によったものだが
バイロイトなどはEMIが7年間の録音権を買い取っていながら
カラヤンが主催者と喧嘩別れすると録音計画を早々に白紙にしたため
1950年代のバイロイト録音も長らくお蔵入りになっていた。
それでも放送録音は大切に保管され、現在に引き継がれて
ラジオ局がオーソライズした正規録音として堂々と名乗れるようになった。 あー言いたいことは理解した
70〜80年代に登場したフルヴェンの過去の録音ってことね ドイツの放送局の技術が高かったのは理解しましたがステレオ録音・放送は遅かったのでは?
なぜでしょう? ただEMIが一方的に悪いというよりも
イギリス国内では当たり前だったラジオでのレコード演奏の禁止法令を
他の国にも厳格に適用したことの弊害だったと考えるべきだろう。
この点は戦勝国なりのコモンセンスの押し付けが
国際ルールの取り決めで重要だと考えられたのだが
英米両国ともにDIN規格に代わるものを提供できないまま
ドイツ国内のHi-Fi放送網の整備と録音活動は進んでいった。
英米側の都合で考えれば、その頃にドイツのラジオがHi-Fiで
市販されているレコードより音質が良いとなると非常に気まずい。
コモンセンスの質が悪いことの結果は見ての通りだが
フルトヴェングラーのレコード批評がこの価値観に縛られているのは
1980年代に比べブームが冷めた後なだけに残念な気がする。 >>920
FMステレオ放送はアメリカで1964年からボチボチ
イギリスや日本でのの全国ネット化は1970年代なので
ドイツの1965年の切り替えは逆に早いほう。
レコードのほうは、バイノーラル録音の特許が英EMI
45/45ステレオレコードが米Westrexなので、そっちで出遅れたかも。
イギリスはアメリカ主導のLPレコードのパテント許可が遅れて
フルトヴェングラーのベト7のダビング事故が起きたし
初期の1955年時点では、まだコロンビアもRCAもテスト段階だったので
逆に封印されて、EMIはテープでのステレオ録音を展示してた。
ドイツの情況などは推して知るべしである。
タンノイのアメリカ版GRFも、米クリプッシュの特許に触れていたから。
逆に米シュアーは、独ElacのMM型の特許を買い取って攻勢に出た。
日本の品川電機の15度傾斜の件は黙殺した。
各国の特許闘争も意外にややこしい系図がある。 ただちゃんと理解してもらいたいのは
ステレオだから音場感があって、モノラルだから音が直接的というのは
再生装置をステレオ録音に合わせすぎている結果だと思う。
それもプレートリバーブを多用したマルチトラックに最適化されている。
モノラル録音が中央定位しかしないなら、それはモノラルの再生に適していない。
1本のスピーカーの音が左右の耳に届かないように高域の指向性を絞ってあるからで
リバーブ処理をしてないモノラル音声だと逆相成分が貧弱で広がりのない音になる。
そこを録音のせいにされても困るんだよね。 >それもプレートリバーブを多用したマルチトラックに最適化されている。
いつの時代の話をしているのか 今はもっと高域のパルス波だけを敏感に拾うので症状が悪化してる。 >>922
日本でのFMのステレオ回線が開通したのはもっと遅かったのでは
地方局へはあらかじめ録音テープを送付して再生していたのでは? 録音の質も大事だが、当時のベルリンフィルの楽器配置を知りたいな
フルヴェンは両翼配置を終生貫いたのか? 昔より今のほうが周波数特性がフラットになったと思ってるかもしれないが
それは規格上の話であって、実際はもっと変なことになっている。
例えば、定位感は、昔は左右の位相差程度で区分していたが
現在では立ち上がりのパルス成分を約30cmの音速差で正確に出すことで
他の楽音をマスキング効果で抑えてようやく成り立っている。
ところが1950年の録音は、その帯域がパチパチ、シャーシャーのノイズだらけで
全体に雑然とした印象だったり、テープの音割れに過敏に反応したり
咳の音が楽音より大きく聴こえたり、不自然なバランスになってしまう。
かといって高域をカットすると、ウーハーの反応の遅さが目立ちモゴモゴ。
設計思想からして違うのに、うまく鳴らないと録音のせいにする。 >>926
おっしゃる通りで、旧帝大のあった都市で全国制覇と言ってるにすぎない。
アメリカも先駆的な局はあったが、メジャーが設備投資するまでは時間がかかった。
ドイツは良くも悪くも船団方式。日本では松下電器のようなスタンスだが
ソニーのよう役割はフィリップスに任せてたかな。 >>927
戦中のフィルハーモニーは両翼配置。
ウィーンフィルはどこでも両翼配置。
ルツェルンの写真(年代、オケ不明)も両翼配置。
1947年の復帰演奏会は両日ともチェロ右翼配置。
1949年のパリ公演は両翼配置。
1951年のバイロイト(?)も両翼配置。
1952年のティタニアパラストは両翼配置。
ということで、基本的には両翼配置だが
復帰演奏会だけチェロ右翼になってたらしい。
1946年とされるチェリビダッケでも確認できるので
戦後まもなくはベルリンフィルはチェロ右翼だったが
後に両翼配置に戻った。 ベルリンフィルとのわずかな写真・動画を見る限り、弦は左から
vn1,vc,va,vn2 または vn1,va,vc,vn2(cbは右端か左奥)のようだが
フルヴェンは生涯これで通したのかどうか、知ってる人教えてくれ >>930
行き違いになったけどありがとう
カラヤンが片翼にしたわけね >>932
それも急にやったわけでもなくライブでは両翼配置もちょくちょくみかける。
1970年の東京公演は両翼だったし。やはり録音用のパフォーマンスかと。 フルベン愛好家でなくて良かったよ。
大変すぎるな。 >>897
バカの一言で片付けるのではなく、何故に存在しないのかこのバカな私に教えて下さい。
過去には、パパマンがゴドフスキーならこうやって弾くよと言いながらマネをしてみせたレコードが存在し、大変面白いと思ったので >>931
Vn.1-Vla-Vc-Vn.2 の配置はないのでは?
現在のオケの弦配置は
1)両翼 Vn.1-Vc-Vla-Vn.2 これは外声を左翼、内声を右翼にする配置
2)アメリカン(ストコフスキー考案とも) Vn.1-Vn.2-Vla-Vc これは右から左のピラミッドバランス
3)修正アメリカン(フルヴェンが考案とも) Vn.1-Vn.2-Vc-Vla これはチェロだけ音が前へ飛ぶ(Vn、Vlaは上へ飛ぶ)ので、Vn.1の次に重要なチェロの音が通る
の3パターン。
両翼を採用するのは、昔の大概の作曲家の時代はこの配置だったので、それを想定したオーケストレーションがなされていることが多いから、例えば悲愴の4楽章、あとよくあるストバイセコバイの掛け合いもそう
ただVn.1と2は似たようなことをやるので、両翼で開離配置すると、アンサンブルを合わせづらい、
そのため、ヴァイオリンを左翼にまとめる配置法が出てきた筈。
Vn.1とVlaをくっつけてVn.2を離すのは、あまり合理性がない。
なお、ヴァイオリンとヴィオラは、案外見分けにくいよ。
弦楽器経験者はすぐ見分けられるけど。 HDTTの運営者の人か
フルトヴェングラー音源もっとリリースしてほしい >>939
だからそのバカに何故ゆえバカなのかちゃんと説明出来ずに、一言で片付けるあなたはバカではないのだろうが、頭の悪い人なのでしょうね。 >>940
バカに説明するほど教育家ではない。
自分の不明を恥じないあんたはバカの上に
自分がかわいくてたまらない◯◯◯。
自分で言い出したことを自己検証するというステップも知らないようだから
思いつきが口をついて出ると
何かすごいことを言ったつもりにでもなるのか?
自分のバカを本心直すことが出来るのは
遠慮会釈なく己を苦しめる自省の積み重ねしかないということをどうも知らないらしいな?
口トンがらかして抵抗しているところを見ると二十歳以下かな?生物年齢ではなくて社会的成熟年齢だけど。ま、ここまで言ってもわからないなら、一生バカと言われることに。お気の毒さま。 フルベンと同じ様式で演奏すれば面白いと言っただけで、バカ扱い。
何故バカなの?本当になんで自分がバカな事を言っているのがわからない。
教えてよ、バカじゃない賢い人 >>942
子供の言い訳。リンク先とバカにはなんの関係もない。こういうねじ曲げた言い方、ひょっとしてあんた東大卒?あるいは官僚?
ギャハハ。
自己検証に言及したのにまるで見てないかのようなのは、治りようがないビョーキだわ
フルベンコピーが流行りますように!
だはははははははははははぁ これの8分あたりのジュリーニのコメントがおもしろい。
ttps://www.youtube.com/watch?v=ZfXHJbdJTHg もっと問題なのが11分頃のバイロイト祝祭劇場に入る人だかり。
日の光がほぼ真っすぐの南向き。これって1951年初日のフィルム? いちよこれが1951年初日のニュースフィルム。
ttps://www.youtube.com/watch?v=Gq1AU0DBLS0
ただ賓客がセレモニーに入る感じもするので微妙かな。
ただバイロイトのレストランは1950年まで難民キャンプとして利用されたので
招待された人には一般市民も含まれていたかもしれない。
ちなみにクナのパルジファルは1959年のフィルムで1951年ではない。 ちなみにヴィーラント&カイルベルトと談笑している写真は1954年のバイロイト時。
他のアングルでヨッフムも混じっている。
ttps://i.pinimg.com/originals/57/88/91/578891ba27c6d2d8fe1a3855c5e49b5c.jpg 1954年のリハーサル風景(一番後で演出の最終チェックをする)
ttps://i.pinimg.com/originals/f0/d6/55/f0d6551cf50f740ed6bf16898babab20.jpg
こちらは1951年のワーグナー兄弟。(まだ眼鏡を掛けてない)
ttps://www.wissen.de/lexikon/bayreuther-festspiele
手に持ってるのは舞台設定ノートか。
同じようなものをスカラ座公演で手にしているHEINRICH SCHMIDTという人が居た。
ttps://static.archiviolascala.org/upload/fotografie/full/308/3087PIN.jpg 旧フィルハーモニーでのマグネトフォンコンサートの情景
舞台と会場を緞帳で仕切って残響をコントロールしてた?
ttps://media.gettyimages.com/photos/photograph-of-wilhelm-furtwangler-a-german-conductor-and-composer-picture-id929250278?s=2048x2048 古いタイプのマグネトフォンFT4(K4)について
ドイツ占領下のリトアニアのラジオ局に持ち込まれて
その後1965年まで現役だったという。
ttps://museumofmagneticsoundrecording.org/ManufacturersAEGMagnetophon.html
製作時期こそDCバイアスだが、実際には機械部分はそのままで
ACバイアスに改造して製造し続けたとも言われる。
ttps://www.radiomuseum.org/r/aeg_magnetophon_k4_k_4.html
こちらはスウェーデン放送局の話
この時期のストックホルム演奏会がテープ収録だった可能性が高い。
ttps://www.filmsoundsweden.se/backspegel/magnetophon.html スウェーデンにマグネトフォンが入った経緯は
1940年のヘルシンキ五輪のために大量に購入したが
大会が中止になったため、スウェーデン・ラジオがもらい受けたという。
この時期はシベリウスがテレフンケン製の高級ラジオを聴いてた時期とも重なる。
ttps://www.youtube.com/watch?v=nuHwwhGw7qo
ttps://www.radiomuseum.org/r/telefunken_spitzensuper_7001wk.html
Hem fran Babylon(1941)などの映画製作でも使用され
今でも十分高いクオリティを示す。
ttps://www.youtube.com/watch?v=vVpj9WovNl8
ttps://www.filmsoundsweden.se/backspegel/cmv3.html
ではフルトヴェングラーは? 日本もテープが余りそうなのでNHKがもらい受ければ...
でも現代だとしょうもない事に消費しちゃうよね。 8K用望遠レンズだけでも1本2000万するというので
他の民放や映画製作にも無償貸出すればいいかな。 1941年周辺のマグネトフォン・コンサートの記事
ttps://furtwaengler.org/download/Auftakt_und_Ausklang.pdf
1941年6月にUFA-Palast am Zooでのデモコンサートが企画された。
フルトヴェングラーは1940年12月にブラームス1番のデモ録音をしており
このレコードコンサートのトリもフルトヴェングラーの演奏だった。
この続きが1942年にずれ込んだのはスキーによる骨折事故のせいだと言われる。
この映画館は1943年の空襲で破壊されたが
1912年に動物園と併設して建てられたレンガ造りの建物に
1941年時点でどういう音響設備があったかはあまりよく判らない。
ttps://alchetron.com/Ufa-Palast-am-Zoo
1930年代のものであればEuropaである。
ttps://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10392&i=10518
1940年代で最大級はEuronorだが以下の写真はストックホルムである。
ttps://www.filmsoundsweden.se/backspegel/euronor.html 1941年のUFA主催の公開コンサートは大成功を収め
50近い報道機関により大々的に知らされたが
翌1942年のゲッペルスのコメントにより、一気に冷え込んだという。
「交響曲全体を細いテープに録音できるようになりました。
このプロセスが発展し続ける場合、
戦後、それはレコード業界全体に大混乱をもたらすでしょう。
したがって、私はそのような広範囲にわたる発明を民間企業に
委託したくありません。」
ttps://www.opusklassiek.nl/cd-recensies/cd-gvdl/furtwaengler_1939_1945_contents.pdf
とはいえ、その後の3年間に40近いコンサート収録が行われ
リトアニアやストックホルムでの例を挙げると
マグネトフォン技術はドイツ国外でもラジオから映画まで広く使用していたわけで
戦後の紆余曲折がありなから現在でも楽しめるわけだ。
ttps://furtwaengler.org/download/RundfunkSenAuf.pdf クルト・リースの伝記では
フルトヴェングラーが1941年に骨折のためウィーンで療養中に
はじめて自分の演奏をラジオ放送で聴く決意をしたと記述し
それが演奏中は忘我の状態でいるのを客観的に聴くためだとしている。
一方で、AEGの開発担当だったハンス・シーサーの証言では、
1940年12月16日のブラームス1番の録音の際に
「フルトヴェングラーはその録音品質に興奮し
何度も何度も録音を聴き返しました。
録音中や録音直後にそのような品質で聞くことができることを
彼は経験したことがなかった。」とあるので
自分の演奏をプレイバックで確認するという行為はすでに経験済みである。
ちなみに録音会場での確認は
ベイヤーダイナミック製のDT48ヘッドホンで試聴したと考えられ
ラジオ放送の品質よりもずっと鮮度の高いものを聴いたと思われる。
1941年のUFA Palastでのテープ再生コンサートに同意したのも
この新技術が既に実用段階に達していたと理解したのだ。 1941年6月のマグネトフォン・コンサートから得られることは
録音そのものはRRG局のシュナップ氏が担当したものの
その再生機器に関してはUFA(Klangfiim)が先導してプロモートし
その結果にフルトヴェングラー自身も新しいプロセスだと確信した
ということになる。
この1940年12/16録音のラジオ放送は1940年12/28〜41年1/5にかけ
テオドール・ベルガーのロンディーノ・ジョコーソとバッハのブランデンブルク5番と共に
デンマーク、ウィーン、ドイツで流された。
続けてブラームスP協2番(E.フィッシャー)、シューマン1番、ブルックナー7番などが
録音されたが、スキーの怪我のため長期療養に入る。
一方で、この技術が民生用に広まるとレコード業界に打撃を与えると
ゲッペルスはいらぬお節介をして政治利用しか許さなかった。
面白いことに療養中の4〜10月までは放送記録そのものもなく
2〜3月に放送した演奏が複製であることを悟られることを懸念したかもしれない。 UFA Palast am Zooでのマグネトフォン・コンサートのPA機器だが
客席2,000相当の規模だと44010 Europa Klartonということになる。
(以下の1942年カタログ P.10〜13)
ttps://www.filmsoundsweden.se/backspegel/aeg-klangfilm.html
これがフルトヴェングラーの最初のマグネトフォン体験となる。
少なくとも戦中のフルトヴェングラー周辺の音響技術が
現在のAMラジオで聴くような音質ではないことは理解できよう。 放送局側のモニターシステムは50〜10,000Hzを保証していた。
クラングフィルム Eckmiller型同軸2wayスピーカー
ttps://docplayer.org/58552474-Der-eckmiller-lautsprecher-6-charakteristische-groessen-fuer-die-elektroakustische-beurteilung-eines-lautsprechers.html
ttps://www.klangfilm.org/data/documentations/loudspeakers/loudspeakers/rrg_o15/02.jpg
ベイヤーダイナミック DT48型ヘッドホン
ttps://www.kaden-kensaku.com/blog/history-headphone/
ttps://www.filmsoundsweden.se/voxbilder/filmhist/magnetophon/radiotekniker_k4.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/Dresden-Buehlau-1948.jpg 読んでると言った奴、ちゃんと責任持って全部読んでるんだろうな >テオドール・ベルガーのロンディーノ・ジョコーソ
これ聴きたいんだけど、CD出てる? >>964
フルトヴェングラーの録音は失われていて
ベーム、クナッパーツブッシュ、ストコフスキー、コンヴィチュニーが録音している。
ちょっとしたアンコール・ピースのような小品だが
こうした現代作品を差し挟むのもフルトヴェングラーの演奏会には多い。 いや、曲は知ってる
クナ盤を持ってるしサヴァリッシュがN響で披露したのを聴いた
しかし、わざわざ録音したものを無くしたのか… 初期の録音テープが失われる機会は色々あって
1941年の時点では交流バイアス化されたK4レコーダーが試作品しかなくて
テープのコピーが残されないまま消去されたと考えられる点。
同時期の録音でテープが残っているものはほぼ皆無だ。
交流バイアス化が遅れた理由は、既にドイツ軍が直流バイアス式を大量発注したものの
生産が間に合わないなか、途中で仕様変更することを禁じたとも言われる。
もうひとつは、ゲッペルスが1942年にマグネトフォンと録音テープの商用利用に反対したため
(その理由が「レコード業界を混乱に陥れる」という他愛ないものだった)
1942年以降レコード化などの目途も立たないままテープが保管庫に眠っていたこと。
これは1941年のマフネトフォンコンサートの成功が新聞メディア等で大々的に宣伝され
1940〜41年にはフィンランド、スウェーデン、リトアニアなどにも幅広く量販してたのだが
ゲッペルスの発言後は急速に軍事機密扱いになったこととリンクしている。
最後のひと押しが戦後のソ連軍によるRRG録音テープの接収。
ただそれまでにドイツ国内でも諜報活動も含むマグネトフォンの扱いに紆余曲折があり
フルトヴェングラーの演奏記録も用途がかなり制限を受けていたと言うべきだろう。 当時のフルトヴェングラーの放送記録をまとめたものを参照すると
ttps://furtwaengler.org/download/RundfunkSenAuf.pdf
1941〜45年は外国遠征以外での生中継はしておらず
基本的にマグネトフォンでのテープ録音を放送している。
ベルリン空襲は1940年のロンドン誤爆以降続いており
1943年以降は制空権も失い昼夜問わず行われたので
生中継は空襲のリスクが大きく回避したと思われるが
マグネトフォンが高音質だったゆえの奇策だったことになる。 1941年に観客2000人のもと行われたマグネトフォン・コンサートで重要なのは
新しく交流バイアス化されたテープ録音機(50〜10,000Hz、S/N=60dB)のお披露目であり
それがラジオ用に限定した録音規格ではなく、もっと包括的なハイファイ技術のデモだったことだ。
その音響効果を確認する目標として、フルトヴェングラーとベルリンフィルの演奏が選ばれ
巨匠も新しい録音技術そのものへ同意して、その後の録音活動に協力した。
それは1941年以前の録音嫌いとは全く違う態度だったとみていい。
実態のない精神主義的な演奏論とは、むしろ決別する方向で未来を見ていたとも言える。 ちなみに今も曖昧になっている1941年のスキー事故の日時だが
クルト・リースの記述通り、入院中に聞いたラジオがブルックナー7番だとすると
演奏はウィーンで2月2日に行われ、RRG放送が確認できているのが2月23日
となるので、この3週間の出来事と考えられる。
その後は3/22放送を最後に10月の退院後の演奏会まで放送は途絶えるのだが
おそらくヒトラーがマグネトフォンを利用した演説放送で居場所をくらましていたのに対し
入院して演奏できないフルベンの録音が流れるのは不都合だと気付いたのだろうが
記録として2/23と3/22の放送が残っているため、入院時期を春として発表した
と考えるのが妥当だと思う。 ちなみに1940年12月から1941年2月までに録音された曲は以下のとおり。
おそらく1940.12と1941.01はコンサートを含め3日演奏しているのと
巨匠自身が録音の途中でもテープの内容を繰り返し確認したとあるので
セッション録音と同等の条件で録られたと予想される。
1940.12.16
Berger: Rondino giocoso
Brahms: Symphony #1
Bach: Brandenburg concerto #5
1941.01.12〜14
Brahms: Piano concerto #1 / Edwin Fischer
Schumann: Symphony #1
R.Strauss: Tod und Verklarung
最後のウィーン公演だけが本番一発録りで
巨匠が入院中にラジオで自身のライブ録音をはじめて確認したという
クルト・リースの証言もあながち嘘でもないような気がする。
1941.02.02(ウィーン公演)
Smetana: Die verkaufte Braut Ouv.
Zilcher: Violin concerto / Erich Rohn
Schubert: Violin rondo, D 438 / Erich Rohn
Bruckner: Symphony #7 >>936
「3)修正アメリカン(フルヴェンが考案とも) Vn.1-Vn.2-Vc-Vla」
これは、ドイツ型と言われる配置で、アバドがBPOに就任した頃は、ほとんどこの配置でしたね。 カラヤンもライブでは基本的にはドイツ型だったのだが。。。
ttps://img.hmv.co.jp/image/jacket/800/97/5/5/049.jpg
ttps://img.hmv.co.jp/image/jacket/400/36/2/7/514.jpg
ttp://img-cdn.jg.jugem.jp/5a9/3349251/20160331_1622422.jpg
指揮者の個性に比べれば、サウンドや演奏スタイルに弦楽配置はそれほど影響しないし
ベルリンフィルのアメリカ型配置はステレオ・レコードに合わせたパフォーマンスだと思う。 >指揮者の個性に比べれば、サウンドや演奏スタイルに弦楽配置はそれほど影響しないし
めちゃくちゃ影響する。というか配置は個性。
両翼を知らない人かな? 両翼配置がフルベンとカラヤンの演奏を隔てる理由にはなってない。 運命の第一楽章や、第九の第二楽章は両翼配置でなけりゃと思う。 当人が両翼にこだわってたのに、そこを軽視するファンが居るのは驚きだ サウンドにめちゃくちゃ影響するというんだから
モノラル録音からでも伝わるのだろう
よくわからんが 反応が薄すぎて失望したんじゃないか
ほほうと感心してただただ見ていたんだが 両翼配置は
クレンペラー、ムラゥィンスキー、クーベリックが
拘っていた。
所謂ストコ配置はステレオ録音で多数派になっていったのかね。
バイオリンが隣同士のが音合わせやすいという事情もあるのかもしれないが 指揮や演奏すると分かるけど
ストコ配置は弾きやすい >>982
そりゃ、弦で一番掛け合い多いのは、ファーストヴァイオリンとセカンドヴァイオリンだからね
だから、演奏は当然難しくなるが、両翼配置は古典的な配置で、昔の有名な作曲家はこれを前提にサウンド構築している(悲愴が有名)
そこらへんも含めた指揮者のこだわりの変数なんだろう
ただ、ストコ配置はコンマスとチェロトップが遠くなり、しかも途中にウロチョロする指揮者の姿が目線に入るので、存外これも合わせにくい、ファーストヴァイオリンとチェロは外声同士なので、正しくオケのサウンドのフレームになるからここのアンサンブルの精度も無視はできないからね
あと、大して上手くもないアマチュアが通ぶって両翼配置をオレタチ本モンダゼースゲーダロー的雰囲気醸し出しながらやっているのは、傍からは失笑でしかないのではあるが 両翼はVnの振り分け効果も大きいが
なによりチェロが正面に居る効果が凄い
チェロを右にまとめるとサウンドが薄っぺらになる チェコフィル始め東欧オケに見られるコントラバス横一列配置
全てを包み込むバスが素晴らしい
ストコフスキーはきっと片耳が悪かったのだろう ウィーンフィルやN響の(元?)定位置
ヴィオラが左のやつが一番合理的かもな
客席にチェロが側板向いてるよりは表板向いてる方が良いに決まってるし、ヴィオラは裏板が客席に向いてるのが楽器的にあってる
でもヴァイオリン両翼も作曲家の意図含め、サウンドの的な美しさは独特のものがある 的な→(削除)
コントラバス横一列はMVでのウィーンフィルが有名人だが、コントラバスは弾きにくいだろうな
しかしMVで聴くウィーンフィルは最高 戦時中までは古典式Vn1-Vc-Vla-Vn2
ttps://c8.alamy.com/comp/D868NH/berlin-philharmonic-under-furtwangler-1932-D868NH.jpg
復帰演奏会だけアメリカ式Vn1-Vn2-Vla-Vc
ttps://furtwangler.fr/wp-content/uploads/2017/05/Titania-Palast-mai-1947.jpg
ttps://photox.pchome.com.tw/s13/joehauz/98/142036409965/
その後はドイツ式Vn1-Vn2-Vc-Vla
ttps://www.youtube.com/watch?v=UUm-VfeCFBI ベルリンフィルはティンパニが第二の指揮者と言われてるから弦の配置が変わっても、
ティンパニは常に指揮者の正面に陣取っている。 ・1940年末までにマグネトフォンK4を交流バイアス化した試作機は完成しており
50〜10,000Hz、S/N=60dBをもつHi-Fi規格であった。(従来:100〜6,000Hz、40dB)
マグネトフォンK4は1941年までフィンランンド、スウェーデン、リトアニアと広範囲に販売されていた。
機密扱いになったのは1942年にゲッペルスが「テープ録音機はレコード業界を混乱に陥れる」という理由で
民間での販売を禁止したことによる。
・1940年12月に録音されたフルトヴェングラー/BPOのブラームス1番(現在紛失)では
巨匠も「その録音品質に興奮し、演奏中や演奏直後に何度も何度も聞き返した」とある。
この録音テープはベルリンのほかウィーン、コペンハーゲンなど広範囲に配信され
1941年6月にはクラングフィルム製PA機器で2,000人規模のコンサートが行われ大盛況となった。
このため戦中の録音品質はラジオ規格を越えた包括的なHi-Fi規格であったことが伺える。
・クルト・リースの著書で巨匠が入院時にラジオで自身のブルックナー7番を聴いたとの記述より
スキー事故は1941年2月2日のウィーン公演から2月23日のRRG放送までに起こったと推定される。
「春頃」とされる記録は3/23の放送が録音テープによることを隠ぺいするためだったと思われる。
・1942〜45年のフルトヴェングラーのマグネトフォン録音はベルリン空襲の激化と関連しており
この時点で巨匠のベルリン公演は実況中継が行われず録音テープでの放送のみとなっていた。
・1949年以降のライブ録音はFM放送向けのHi-Fi規格で録音され、ドイツ製ラジオも2wayスピーカー付だった。
・荻昌弘著「ステレオ(1968)」にバイロイトの第九が「総練習の実況録音といわれる」と記されていた。 総じてこのスレの後半は久々に読みごたえがあったので保存した
こことカラヤンスレもほほうと思いました
中の人ありがとう
>>996
乙 従来のライブ録音の音質評価で改めるべきこと
・1950年代ドイツのライブ録音はAM放送用のローファイ規格である
→1949年より50〜15,000HzのFM放送が開始されていた
・ライブ録音はラジオ用なので高級オーディオとは相性が悪い
→クラングフィルムのPA機器でコンサートが開けるクオリティがあった
・モノラル録音なのでオーケストラの音場感は皆無
→多くのステレオ装置は高域の指向性が狭いのでモノラル再生が貧弱になる
モノラルにはモノラル専用の再生装置が必要である
・古い録音はCDよりLPのほうが音が良い
→LP時代に放送局オリジナルテープが使えた盤は一握りであり
ほとんどのタイトルは2004年以降にCDリリースされたものが優位である
・なぜオリジナルテープが今頃出てきたのか
→ラジオ局は個別の演奏家と専属契約を結んでいなかったので
著作権の関係で演奏家の没後50年まで封印されていた
・サブスクなどネット音源はどうか
→デジタル・アーカイヴの在り方と関連するのだが
ドイツでは文化を広める広報活動の一貫として考えているので
サブスクで比較的どの音源もCDと同じ音質で提供している
(古文書類のファクシミリの扱いもほぼ同じである)
逆に日本やイギリスは商業活動や保護団体への対価がメインになるので
デジタル・コンテンツは全て有料で提供される
この辺はレコード販売での著作権保護の考え方が踏襲されている
ベルリンフィルのような団体は著作権上の法人として生きているので
自主レーベルの運営も兼ねてサブスクへの解禁はほとんどしていない ・サブスク音源があるのにCDやSACDでの販売は意味があるのか
→現在のサブスク音源はFLACによる非圧縮音源という提供だが
デジタルの七不思議でパソコンのソフトウェアではジッターが多く
音に深みがない、出音に滲みが出るなど音質の面ではまだ課題がある
いずれMQAなどチップ対応の配信が始まれば環境は整うと思う
・2004年以降のオリジナルテープでのLP盤はどうか
→限定盤ながらタイトル数は増えているのが現状だが
カッティング技術についてはアナログ全盛期に比べると競争もないのでまちまち
(ロックやジャズほどの知識がカッティング屋さんにないというのが正直なところ)
モノラル盤といえども1980年代のステレオカッティングレースによるので
古いヴィンテージ機器との相性には限界もある
製造コストもかなり高いこともありマニア向けの商品といえる ・今後CDやSACDの販売はどうなるのか
→CDもLP廃止と同じ40年の歳月を過ぎているので次世代議論は必須
欧米ではネット配信への切り替えが早くから進み
ベルリンフィルの広報も日本でのパッケージ・メディアの売れ行きは特殊だと言ってた
輸入盤で日本語解説付きのSACDが製造される事態にまで発展している
実際には古いオーディオ装置で余生を生きている人が買ってるので
いずれは無くなると思うが、CDが現在のLPと同じように復刻リソースとなる
そういう時が50年後にあり得るかもしれない このスレッドは1000を超えました。
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